銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色
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第53話 「ぶらり旧地獄一人旅 ③」

 

 

 

 

 

 藤千代は、およそ十分ほどで妄想世界から帰ってきた。

 

「気がついたら月見くんが隣にいました! これぞ愛の為せる技ですか?」

「私に訊くな」

「じゃあそういうことで!」

「ええいひっつくな」

 

 隙あらば肩にすり寄ってこようとする藤千代を、月見は尻尾を使ってぐいぐい押し返す。客人としてソファーを貸してもらっている手前、あまりみっともない姿を晒すわけにもいかないのである。

 いや、向かい側でお茶の準備を整えるさとりが、この互いに譲らぬ戦いを見てなかなか困ったように笑っていたので、既に手遅れかもしれない。

 

「お二人とも、本当に仲がいいんですね」

 

 月見の心を読んだにもかかわらずなにも言ってこないので、やっぱり手遅れのようだ。

 藤千代がえっへんと胸を張っている。

 

「そうなんですよ。大地が裂けようと離れない堅い絆で結ばれているのです」

「だからひっつくなって」

「さとりさんさとりさん、月見くんの心を読んでくださいっ。月見くんはツンデレさんなので、きっと満更でもないと思ってるはずっ」

「……鬱陶しいと思ってるみたいですね」

「がーんっ」

 

 わざとらしく仰け反った藤千代が、やはりわざとらしく、よよよと崩れ落ちていく。

 

「もう月見くんったら、素直じゃないんだから……」

「さとりさとり、千代の心を読んでみてくれ。きっとこうやって油断させる魂胆のはず」

「えっと……ごめんなさい。私、藤千代さんの心は読めないんです」

 

 ああ、そういえばそういう話だったか。『認識されない程度の能力』を上手く使って第三の目から逃れているのだと、勇儀が酒を呑みながら教えてくれたのを思い出す。

 ……ついでにあの店で財布の中身を空にされたことまで思い出してしまい、ちょっとブルーな気分になった。

 ひと通りお茶の支度を終えたさとりが、同情するように柳眉を下げた。

 

「月見さん、あのお店に行ってきたんですね……」

「行ってきちゃったんだよねえ……。知ってるのか?」

「直接行ったことはないんですけど……外にお遣いを出すと、たまにあの店でお金を全部使ってきてしまうことがあって」

 

 今までいくら搾り取られたことか……とため息をつくさとりもまた、ブルーな表情だった。こんなところにまで被害が及んでいようとは、つくづくあの看板娘が、末恐ろしい商売上手なのだと戦慄させられる。将来はきっと、夫を尻に敷いているに違いない。

 

「あ、お茶どうぞ」

「ああ、ありがとう」

 

 さとりが淹れてくれたお茶を受け取る。趣ある濁りの日本茶だ。地霊殿という建物が純西洋風なだけあって、紅魔館に行った時と同様紅茶が出てくるものと思っていたので、少し意外な気分になる。

 もっとも、咲夜によく紅茶をご馳走してもらう身とはいえ日本茶派なので、一向に大歓迎だけれど。

 

「もちろん紅茶もありますが、地底ではまだあんまり広がっていないですし、慣れてない方も多いんです」

「なるほどね」

 

 さとりの言う通り、例えば鬼の連中が好んで紅茶を飲んでいる姿は想像できない。地上でも、日頃から紅茶を嗜んでいるところといえば、紅魔館以外にあるのかどうか。西洋の文化は、幻想郷では未だ少数派だ。

 熱いので気をつけながら一口含んでみれば、月見が淹れるよりもずっと美味しい。

 さとりが、少しくすぐったそうにはにかんだ。

 

「日本茶に限らず、お茶を淹れるのは好きなんです」

 

 その花が綻ぶような笑顔を見ながら、月見は思う。やはりさとりは、月見の記憶にある覚妖怪とは似ても似つかないほど穏やかな性格をしている。人の心を読む能力を持っていても、それを悪用することなく親切で友好的。ともすれば、彼女が覚妖怪であること自体を忘れてしまいそうになるくらいだ。

 地底の住人からは避けられがちとのことだが、正直、あまり理解できない。普通にいい子ではないか。避ける理由がどこにあるというのか。

 さとりが、とてもくすぐったそうに頬を赤らめた。

 

「……別にからかってるわけじゃないぞ?」

「う……それはわかってるんですが、その……」

 

 さとりはきゅっと身を縮め、なんとも初々しくぽそぽそと、

 

「覚妖怪は、昔から嫌われ者なので……その、そういう褒め言葉には、ちょっと慣れてないというか」

「そんなもんかね」

「というか、覚妖怪を褒める人なんて初めて見ましたっ。悪口を言うつもりはないですけど、でも月見さんはちょっと変ですっ」

「まあ月見くんは、基本的に誰かを嫌いになったりしないですからねー」

 

 いつの間にか復活していた藤千代が、まだ熱いお茶をちょびちょびと飲みながら朗らかに笑った。

 その言葉を、月見は特に否定しない。自分がそういった、『誰かを嫌う』というマイナスの感情に疎いことは、文との一件を通して既に自覚済みだ。何千年も昔から生きて何千何万という人々を見てきたから、そのあたりについては達観してきているのかもしれない。

 そして、誰かを嫌わないのは藤千代も同じ。というか彼女の場合は、持ち前のふんわり柔らかい人柄で、誰とでもすぐに仲良くなってしまう。さとりの友人をやっているのがその証拠だ。鬼子母神の名を畏れる者は多くとも、人として嫌う者はほとんどいないのである。

 なので別に、月見だけが変という話ではない。

 

「むー……」

 

 しかし自称褒め言葉に弱い覚妖怪は、納得の行かない様子で月見を睨みつけているのだった。……褒められて不機嫌になる子というのも珍しい。もしかするとあれだろうか。彼女はどちらかというと、優しい言葉を掛けられるよりも厳しい言葉をぶつけられる方が好

 

「月見さん?」

「冗談だよ」

 

 莞爾と咲いたさとりの笑顔には、有無を言わさぬ凄みがあった。

 ともあれ、冗談を言われたさとりがまた「むー……!」と不機嫌になってしまったので、月見はさりげなく話題を変えることにした。

 

「さりげなくないですけどね」

 

 そこは目を瞑ってくれると嬉しい。

 

「ところで、この地霊殿には灼熱地獄があると聞いたんだけど」

 

 さとりはしばらくじとーっと半目をやめなかったが、やがてため息とともに、

 

「正確には、灼熱地獄『跡』ですね。一応動いてはいますけど、使われてはいないので」

「なるほど。……せっかく地底に来たんだし、よければ見ていきたいと思ってね」

「はあ……。行って楽しいところではないと思いますけど。熱いですし」

 

 それはそうなのだけれど、やはり見られるものは見ておかないと遥々地底までやってきた意味がないというか、途中の洞穴では地底世界のアイドルを自称するわけのわからないチミっ子に目をつけられ洞穴を出てすぐの橋では橋姫に妬ましい死になさいと罵られ地底の居酒屋では財布がすっからかんになるまで搾り取られそれでおしまいというのはさすがに旅の思い出としては如何せん

 

「わっ、わかりました。案内をつけますから、どうか楽しんできてくださいっ」

 

 わかってもらえたようでなによりである。

 

「おりーん!」

 

 さとりが『おりん』なる誰かの名を呼べば、ちょうど月見が座っていたソファーの真下から、一匹の黒猫が這い出してきた。月見を地霊殿まで案内してくれた、あの二叉の黒猫だ。

 予想外の場所からの登場に、さとりが目を丸くしている。

 

「お燐、そんなところにいたの?」

 

 黒猫は呑気に、なー、とひと鳴き。

 

「隠れてなくてもよかったのに」

 

 なー。なー、なー。

 

「……お燐、今日の晩御飯は抜きね」

 

 な!?

 一体なにを話しているのだろうか。長年世界中を旅して歩いた月見は外国語にまずまずの覚えがあるが、さすがに猫語は専門外だ。ただ、『おりん』なる黒猫がなにか余計な一言を言って、さとりの怒りを買ったと見える。さとりの脚にしがみついて、命乞いならぬ飯乞いをしている。

 

「撤回してほしいんだったら、ちょっとお手伝いをしてちょうだい。月見さんを灼熱地獄跡に案内してあげて」

 

 な!

 御心のままに! とでも言うかのようにはっきり頷き、黒猫は月見にチラリと目配せ。言葉はわからないが、ギラギラと使命感に燃える瞳から、ついてきて! と言われたことくらいは容易にわかった。

 お茶をぐっと飲み干し、ソファーを立つ。

 

「ごちそうさま。それじゃあ、ちょっと失礼させてもらうよ」

「楽しめるかどうかはわかりませんが、ゆっくりしてきてください」

「いってらっしゃいー。私は、もう少しさとりさんと話してますね」

 

 少女二人に見送られ出入口へ向かうと、いつの間にかドアノブで、黒猫がぷらーんと宙吊りになっていた。自力で開けようと試みたらしいが、悲しいかな、失敗したらしい。

 

「どれ、ちょっとどいてご覧」

 

 黒猫がドアノブから飛び降りる。月見はノブに手を掛けて扉を開けてやる。

 ……その瞬間、黒猫が猛ダッシュで外に飛び出して、そのままノーブレーキで突き当たりの角を曲がって消えた。

 

「……」

 

 本当にあの黒猫、月見を案内する気があるのだろうか。どうやらあの子の晩御飯は抜きになりそうだ。

 と思って呆然としていたら、黒猫と入れ替わるようにしてこちらへ走ってくる、一人の少女。

 

「お待たせー、おにーさん。それじゃあ行こっか」

「ああ……?」

 

 なんとなく流れのままに頷いてしまったけれど、さて彼女は一体何者か――少女の出で立ちを観察しているうちに、お尻のあたりで黒の二叉が揺れているのに気づき、ぽんと手を打つ。

 

「ああ、おりん」

「あ、そうそう。気づかないかなー? と思ってたけど、そんなことなかったね」

 

 どうやらあの黒猫は、ノーブレーキで曲がり角の向こうへ消えたのち、わざわざ人型に変化してから戻ってきたらしい。なぜそんなに回りくどい真似をしたのか、月見にはいまひとつ理解できなかったが、

 

「ほら……男の人の前で変化するのって、恥ずかしいじゃん?」

 

 まあ、少女、もしくは女性独特の感性の問題ということなのだろう。……ちなみに変化の術とは瞬きも許さぬ一瞬で行われるため、特別、変化途中のアレな姿を見られるとかそういった心配とは無縁だ。そうでなければ、かつて宴会の終盤で酔っ払い、少女たちの目の前で狐に変化して寝た過去を持つ月見の世間体は、疾うにこの地底よりも深い地獄の底まで失墜している。

 それは、さておき。

 

「じゃ、自己紹介だね。私は火焔猫燐。火車の妖怪だよ。『お燐』って呼んでね」

「よろしく。私は月見。ただのしがない狐だよ」

 

 さておき、黒猫改め、火焔猫燐である。黒猫の姿からは一転して、深紅の瞳と三つ編みがまず目に飛び込んでくる少女だ。一方で、黒猫の名残なのか身を包んでいるのは黒のドレスで、三つ編みを留めるリボンや靴なども黒く、操同様黒を好む性格なのだと推測できる。目はやや釣り目だが、八重歯が覗く笑顔は橙と似ていて、とても人懐っこそうだ。

 そして、火車。死者を火葬場や葬儀場に送る『野辺送り』の最中に、黒雲とともに現れては死体を持ち去ってしまうと伝えられる出雲の妖怪だ。猫の姿をしているとされ、実際、年老いた猫が火車に化けると説いた説もある。その信仰は根強く、かつては火車の目を欺くために偽の棺を用意し、葬儀を二度行うこともあったとか。……こんな可愛い見た目をして、嬉々として人間の死体集めをしているのだろうか。あまり想像したくない光景ではあった。

 

「それじゃ、行こっか」

「ああ」

 

 最後にさとりたちに軽く手を振って、応接間をあとにする。

 パタン、と扉を閉める音。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「……それで、どうでしたか? 月見くんのこと」

 

 どうだったかと問われれば、変な妖怪だったというのが率直な感想だ。

 悪口を言うつもりはない。けれどほとんどの者たちが覚妖怪の能力を恐れ距離を置いた中で、むしろ心を読まれるのを利用してこちらをからかってくるような相手になんて初めて出会った。今まで見たこともない妖怪。だからやっぱり変な妖怪だと、古明地さとりは思う。同時に、藤千代から聞かされた通りだったとも。

 

「……藤千代さんの言った通り、変な人でした。初めてです。覚妖怪の私に、あんな風に――」

 

 心を読むのも、読まれるのも、恐ろしいことだ。数え切れないほどたくさんの心を読んできた。だから、己の能力がどれほど他人から疎まれるものなのか、古明地さとりは痛いほどによく知っていた。

 好意的な反応はまず返ってこない――返ってきたとしても、それは初めだけ。最初は純粋な好奇心だけで、言葉にせずとも意思が伝わる珍しさを面白がっていた者たちも、結局は、一度心に浮かべれば最後すべてが筒抜けになるという事実に、やがて恐怖を覚え拒絶するようになる。もしくは、表面上は好意的に見えても、心の中では恐ろしいことを考えている下賎な連中というのも、少なからずいた。

 それが、普通だった。幻想郷最強と謳われる鬼子母神すら、さとりに心を読まれるのを忌避して、能力を使うことで第三の目の認識から外れているのだから。

 だからこそ、心が読まれることを気にするどころか、逆に利用してこちらをからかう姿すら見せた月見の存在は、さとりにとってなによりも鮮烈だった。

 

「――本当に変ですよね。私みたいな妖怪相手に、かわいいとか、面白いとかなんて考えて、からかおうなんて」

「多分、それって半分以上素だと思いますけどねー。ふふ。月見くんと話してる時のさとりさん、見ていてとてもかわいらしかったですよ?」

「……それはもう、忘れさせてください」

 

 さっき、お燐にも同じことを言われた。一応は真面目に月見を案内しているようだが、彼女の晩御飯抜きを取り消すと、まだ心に決めたわけではない。

 

「嫌でしたか? 月見くんと、話するの」

 

 どうだったのだろうか、とさとりは思う。とりあえず、非常に疲れたのは確かだ。ほんの数十分彼と話をしただけで、笑ったり怒ったり、向こう一週間分は表情筋を動かした自覚がある。

 けれど。

 

「……嫌では、なかったですね」

 

 月見と話をしている最中こそ、たびたび不機嫌になったりしたけれど。

 こうして思い返してみると、それよりもなによりも、やっぱり新鮮だった。慌てるあまりよく考えないまま口を動かしてしまったり、顔を真っ赤にして品のない大声でツッコんでしまったり。地底にやってきてからは――いや、地上で暮らしていた時期を含めても、こんなことをして生きていた記憶はほとんどなかった。なんだか自分が自分でなかったみたいで、笑ってしまう。

 自嘲するのではなく、ただ、さっぱりした気持ちで。

 

「それほど、悪くは、なかったです」

「仲良くできそうでしょうか。もしそうだと、私としても非常に嬉しいんですけどー……」

 

 さとりは口元に笑みを残したまま、目を伏せ、それはどうかな、と思う。確かに月見はいい人だ。数十分話した印象だけに限っていえば、もしかして、と期待してしまう部分があるのは事実。

 けれどそういった相手と、結局は上手く行かず疎遠になってしまった事実も、さとりの記憶には数多く刻まれている。

 

「……仲良くするっていっても、どうすればいいんでしょうね。私、そういうのはよくわからないです」

「なにもしなくていいと思いますよ」

 

 さとりは反射的に伏せていた視線を上げた。

 静かな表情のままお茶を傾ける、藤千代のかすかな笑顔が見える。

 

「特別なことなんて、なにも要らないですよ。ごくごく普通の、さとりさんの、ありのままの姿を見せちゃえばいいんです」

「……でも」

 

 それで上手く行った経験なんて、地霊殿のペットたちや藤千代の例外を除いては一度も、

 

「それでいいんです。……だって月見くんは、そういう人ですから」

「……」

 

 藤千代の心は読めないけれど、それでもわかる。嘘をついている者は、こうも綺麗には笑えない。月見という妖狐と、最も多くの時間を共有した友の一人としての、掛け値ないまでの確信だった。

 当たり前の公式を、諳んじるように、

 

「人のありのままの心を、ありのままに受け入れる。……月見くんの最大の美点であり、欠点なのです」

 

 だからさとりも、小さく笑った。

 

「……あの人のこと、本当によくわかってるんですね」

「ふふふ、そうなのです。海よりもふかーく、山よりもたかーく、空よりもひろーい関係なのですよ」

 

 なんだかいいなあ、とさとりは思う。そんな風に胸を張れる友人なんて、さとりには一人もいない。世界でたった一人の妹とすらも、決して仲が悪いわけではないが、胸を張れるほど互いを理解し合っているわけでもない。

 それが覚妖怪の宿命なのだと、ずっと長らく諦めていたけれど。

 

「そうですね……そうなれれば、いいですね」

 

 もう一度、望んでもみても、いいのだろうか。

 

「なれますよ。私も、お手伝いするのです」

「……ありがとうございます」

「いつか、三人で一緒にお酒でも呑みましょうっ」

 

 ああ。いつか本当に、そうなれればいいなと。

 さとりは夢を見るようにまぶたを下ろして、はい、と小さくささやいた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「おにーさんって、変な妖怪だよねえ」

「そうらしいね」

 

 もはやあまりに言われ慣れた評価である。

 

「覚妖怪のさとり様と初対面であんなふつーに話する人なんて、鬼子母神様以来だよ。でもおにーさん、鬼子母神様と違ってさとり様に心読まれてるんでしょ?」

「まあね」

「やっぱり変だあ」

 

 灼熱地獄跡の入口へは、応接間を出てから一分と掛からなかった。どうやら地霊殿の中庭に位置しているらしく、二十秒ほど廊下を進んで中庭に出て、更に二十秒で中央まで歩いて到着だった。

 雨は、いつの間にかすっかりあがっていた。廊下の勝手口から出た当初は、正門の庭園と同様丁寧に刈り込まれた庭が広がっていたが、進んでいくうちに物珍しい光景が目につくようになる。

 

「……ここが?」

「ここがというか、このあたりが、ね」

 

 庭の中心を基点として等間隔で、廊下で見たのと同じように、足元がステンドグラス張りになっている。ただしその大きさは大人数名が一度に出入りできるほどで、さながらなにかの扉のようにも見える。

 そして実際、その通りなのだろう。ステンドグラスが横にスライドして開け閉めできる構造になっていたので、さしずめここが――

 

「この天窓から降りてった先が、灼熱地獄跡だよ」

「地面にある窓って、天窓っていえるのかなあ」

「ニュアンスが通じれば問題ないんだよ、おにーさん」

 

 然もありなん。

 

「開けてみても?」

「いいよー」

 

 膝を折って、足元のステンドグラスをスライドさせてみる。その大きさ故に重量があるため、両手を使った。開けた瞬間、暗闇の奥から粘性を持った嫌な熱気が噴き出してきて、思わず顔をしかめた。

 温度自体は、思っていたほど高くはない。しかしさすが地獄の名を冠しているだけあって淀んでいて、風に敏感な操あたりを放り込めば、しばらくの間ふぎゃあああああとのたうち回って苦しんだのち、ひっそりと動かなくなるだろう。

 隙間ができないよう、丁重にステンドグラスを閉じておく。

 お燐が、喉をころころさせて笑った。

 

「あはは。やっぱり地上育ちのおにーさんにはキツいかな?」

「お前は平気なのか?」

「まあね。住み慣れた故郷の空気ってやつだよ」

 

 とてもではないが、暗闇の奥がどうなっているかなど、確かめてみるつもりにはなれなかった。灼熱地獄跡の見学はここで終了となりそうだ。すまんさとり、頑張ってみたけど楽しめなかったよ。

 

「この天窓たちを開け閉めして、熱を逃して温度を調節するんだよ。今は……一つも開いてないから、ちょうどいい感じみたいだね」

「地霊殿が床暖房完備なのも、この灼熱地獄のお陰なんだね」

「そういうこと。……あっと、そうだ」

 

 なにかを思い出したらしいお燐が、パンと両手を打ち、

 

「せっかくだし、ついでにあたいの友達を紹介しときたいんだけど……今は奥の方にいるかなあ?」

「友達……火車か?」

「んーん、地獄鴉だよ」

 

 地獄鴉――とは聞き慣れない名前だが、要は地獄に生息している鴉の総称だろうか。

 

「あたいと同じで、さとり様のペットだよ。ここの温度管理を任されてるのさ」

 

 お燐の話を聞きながら、月見は、足元のステンドグラスの奥から何者かが近づいてくる気配を感じた。もしかすると、件の地獄鴉かもしれない。しかし気配があまりに希薄なため、お燐は気づかないまま、人当たりのいい笑顔で友達の紹介を続け、

 

「名前は、霊烏路う」

 

 ガン!

 足元のステンドグラスが悲鳴を上げた。ついでに、「うにゃあっ!?」と女の子の悲鳴も聞こえた。

 

「にゃ!? な、なになに!?」

 

 お燐がびっくり仰天して飛び上がる。その頃には既に、足元まで近づいてきていた何者かの気配は、急速に落下を開始している。

 ……心なしか、「うにゃあああああ~……」と情けない少女の悲鳴がフェードアウトしていった気がしないでもない。

 間、

 

「……あー、なんだそういうことか。もう、びっくりしたー」

「……もしかしなくても、今のって」

 

 ほっと胸を撫で下ろしているお燐に問えば、彼女は実に答えづらそうに苦笑して、

 

「あー、ええと、そのー……まああれだよ。おくう、鳥頭だから」

「……」

「結構こういうことがあるんだ。うん、それだけだから、気にしないで」

 

 閉口する月見を尻目に、お燐がステンドグラスを開けて、暗闇の奥に向かって叫ぶ。

 

「おくうー、生きてるー!?」

 

 返事はない。

 

「……大丈夫なのか?」

「んー、まあ大丈夫でしょ。今の灼熱地獄の熱くらいじゃ、地獄鴉は火傷もしないよ」

 

 月見が心配しているのは、火傷ではなく頭の方なのだけれど。

 しかし結構ある光景だけに、お燐はまったく気にしていなかった。

 

「もー、だからいっちょまえに考え事しながら飛ぶのやめなって言ってるのに。何回注意してもダメなんだから……」

 

 ぶつくさ言いながらステンドグラスを閉める。月見は、灼熱地獄の底でたんこぶ作って気絶しているであろう少女に、心の中で静かな合掌を捧げた。

 

「えっと、話戻すけど、名前は霊烏路空ね。あたいたちは『おくう』って呼んでるよ。この通り、ちょっと抜けてるのがかわいいやつなんだ」

「覚えておくよ」

 

 むしろ、忘れられそうにない。某自称地底世界のアイドルに負けず劣らず、インパクトのある登場――いや、退場だった。

 

「じゃ、灼熱地獄跡はこんなとこだね。あと、見て回りたいところとかある?」

「そうだね……」

 

 今回の地底一人旅で、もう一つ見学候補に挙がっているのは聖輦船だ。しかし重力から解き放たれ空飛び回るような船が、今はどのあたりで風を切っているのか。

 そんなことを考えながら、何気なしに空を見てみると、

 

「……ん? あれって……」

 

 見上げる空、もとい岩盤を横切る、地上では見慣れない飛行物体。半ば岩盤と色が同化していてわかりづらいが、指を差してみれば、お燐はすぐにわかったようだった。

 

「ああ、聖輦船だね。地底を飛び回ってるお船だよ」

「なんと」

 

 旧都の上はあまり飛ばないとの事前情報だったが、こんなにあっさり巡り合えるとは素晴らしい僥倖だ。

 しかし、ここで欲望に駆られて追い掛けるわけにもいかない。今は地霊殿にお邪魔している最中なのだから、さとりに断りも入れずに飛び出してしまっては無礼に当たる。かといって、聖輦船の速度は思っていた以上に速く、今から応接間に戻りなどしては見失ってしまうだろう。

 ならば、どうするか。久し振りに見たー、と呟いているお燐の隣で、月見は一枚の紙片を取り出した。人の形を象った式神、『人形(ひとがた)』に聖輦船を追尾させて、あとで気兼ねなく追い掛ければいい。

 掌に乗る程度の小さな式神は、燕のように空を切り、あっという間に見えなくなっていく。お燐の尻尾が、器用に『?』マークを描いた。

 

「今、なにしたの?」

「式神に聖輦船を追わせたんだ。機会があれば見学してみたいと思ってたからね。さとりに断りを入れてから、追い掛けるとしようか」

「ふーん……さすがは妖狐。妖術はお手の物ってわけだね」

 

 厚かましくなりそうなので強くは言わないが、腕に覚えはある方である。

 

「それじゃあ、一旦戻ろうか」

「そうだね。……これで晩御飯が食べられるといいんだけど」

「お陰で助かったよ。私からも、さとりには説明するとしよう」

「おにーさん、いい妖怪っ!」

 

 太っ腹ー! などとよくわからない褒め言葉をもらいながら、お燐と一緒に応接間へ戻る。扉を開けると、すぐにさとりから声が掛かった。

 

「あ、おかえりなさい。楽しめ――は、しなかったみたいですね。ごめんなさい……」

「いや、謝らなくても。それに、まったくなにもなかったわけじゃないしね」

「はあ。……ああ、おくうですか。もう、またやったのね。お客さんの前で恥ずかしい……」

「よくあることなのか?」

「ええ、二日に一回くらいは……」

 

 結構なハイペースだった。二重の意味で、おくうの頭が心配である。

 ともあれ。

 

「さとり、お燐をありがとう。ちゃんと案内してくれたから、晩御飯はあげてやってくれな」

「そうですか。月見さんがそういうなら」

「やったー!」

 

 その場で飛び上がり全身で喜びをあらわにしたお燐が、「ありがとー!」と満面の笑顔で月見の袖を引っ張った。お茶を飲んでいた藤千代がぐぐっと身を乗り出した。

 

「むっ、お燐さんずるいです! 私もやりますっ」

「お前は座ってろ」

「がーん……」

 

 パタンとソファーに倒れた藤千代を、全員が無視して、

 

「……で、さとりにちょっと相談したいことがあるんだけど」

「あ、なんでしょう。……なるほど、聖輦船を見かけたんですね」

「あまり遠くへ行かれてしまう前に、できれば追い掛けたいんだけど、いいかな」

 

 さとり相手なら細かい説明もいらないだろうと、単刀直入に訊いてみれば、気を害した様子もなく返事は柔らかだった。

 

「ええ、構いませんよ」

「ありがとう。悪いね」

「いえ、」

 

 一度首を振ったさとりはそこで言葉を切り、気不味そうに月見を見上げて、

 

「あの……いい思い出ができるといいですねっ」

「……」

 

 どうやら気を遣われたらしい。ああ、そういえば財布が軽いのを思い出した。「そうだといいね」としか返せない自分が、なんともやるせなかった。

 遠い目をして見えもしない明後日の空を見つめていると、さとりがわたわたしながら話題を替えた。

 

「と、ところで! あの、聖輦船に行かれるなら、一つお願いをしたいことがあるんですけど……」

「ああ、いいよ」

 

 月見は、内容を聞く前から二つ返事で頷いた。さとりは常識的なので、例えば藤千代のように、いきなり「私をお嫁さんにしてください!」とかふざけたことは言わないはずだ。

 

「言いませんっ! ……こほん」

 

『お嫁さん』という単語に顔を赤くしたさとりは咳払い、

 

「私、妹がいるんです。こいし、というんですけど。もし聖輦船でこいしを見かけたら、お手数なんですが、連れて帰ってきてもらいたいんです」

「妹さんも聖輦船に?」

「それはわかりません。もしいたら、の話です」

 

 ふむ、と月見は考える。さとりも行き先を把握していないとは、これでは迷子というか、家出少女の捜索を頼まれたような心地だ。

 さとりが苦笑する。

 

「あながち間違ってもいないです。家出というわけではないんですけど、放浪癖がある子で。もう三日もここに戻ってきてないんです」

「それはまた」

「よく、聖輦船に忍び込んだりしてるみたいなんです。なのでもし見かけたら、お願いしたくて」

「お安い御用だよ。捜してみよう」

 

 さとりの妹となれば当然覚妖怪だから、第三の目を持っているかどうかで、一目見ればすぐ判断できるだろう――と思っていたのだが、さとりが静かに首を振った。

 

「いえ、捜さなくて結構です。本当に、ちらっと見かけたらでいいので」

「?」

「というか、捜しても見つけられないと思います。気がついたらすぐ傍にいて、気がついたら消えている。そういう子なんです」

「『無意識を操る程度の能力』っていうのを持っててね。人が意識していない、無意識の狭間に、こいし様は入り込むんだ」

 

 補足してくれたのは、月見の後ろで控えていたお燐だった。だからこそ月見には、さとりたちの言っている意味がなんとなく理解できた。

 月見はさとりとの会話に意識を集中させていたので、後ろのお燐の存在をすっかり忘れてしまっていた。すなわちお燐の存在を、意識の外に置いていた。

 意識の外――無意識。

 恐らく古明地こいしの能力は、自分を道端のこいし(・・・)と同じにするものなのだろう。古明地こいしは間違いなくそこにいる。けれど人々はそれを古明地こいしと意識できず、道端のこいし(・・・)を気に留めないのと同じように、無意識のうちに素通りしてしまう。

 一言で言えば藤千代と同じ隠形の能力だが、彼女のように、人から認識されなくなるものとは訳が違う。

 姿は見えるし、声だって聞こえる。けれど、それをこいしだと意識できない。意識しようとすることもできない。無意識のうちに見逃し、聞き逃してしまう。

 さとりが頷く。

 

「ええ、そんな感じです。なので、捜そうとしてもあんまり意味がないんです。それこそ広大な河原で、失くしたこいし(・・・)を捜すのと同じなんですよ」

「……なるほどね。確かにそれだと、捜してどうにかなる問題じゃなさそうだ」

 

 お願いされた以上は見つけてやりたいが、捜そうとしてもしなくても同じこととなっては、まさしく『もし見かけたら』程度の話でいいのだろう。ある意味では、藤千代よりも厄介な能力だ。

 

「ありがとうございます。お礼はしますので……」

「大丈夫だよ。こっちこそ、美味しいお茶のお礼だ」

 

 そう言うと、さとりはちょっどくすぐったそうに目を伏せて、ありがとうございます、とぽそぽそ呟いた。

 

「じゃ、そろそろ行こうかな。見失ってもなんだし」

 

 聖輦船を追わせた式神の気配は、もう随分と遠くにまで行っている。これ以上離れられると、追い掛けるのも楽ではなくなってしまう。

 さとりがソファーから腰を上げて、律儀に頭を下げてきた。某わがまま吸血鬼のお嬢様に心底見習ってもらいたい、来客を迎える家主として鑑になる姿だった。

 

「申し訳ないです、大したもてなしもできなくて」

「いやいや。もう赤の他人ってわけでもないんだし、そんなのは気にしないでいいよ」

 

 さとりが、やや面食らった様子で顔を上げた。さしずめ、もう赤の他人じゃないとか何様ですか図々しい、といったところだろうか。

 

「違いますっ! 月見さん、からかわないでくださいっ」

「悪い悪い」

 

 とまあ、これくらい力を抜いてもいいんじゃないかと思うのだが、どうだろうか。

 さとりが、なにかに怯えるように小さく体を竦めた。

 

「う……いいんですか? 私、覚妖怪なのに……」

「むしろ、なにがダメなのかよくわからないんだが……」

 

 もしもさとりの言わんとしているのが、「覚妖怪なんかと親しくしていいんですか?」という意味だとするならば、月見は誠に遺憾ながら、さとりのほっぺたを餅のように引っ張ってやらねばならない。

 

「も、餅……というか、誠に遺憾とか言っておいてすごく楽しそうじゃないですかっ」

 

 それはさておき。

 真面目な話、覚妖怪と親しくしてはいけない、などという話がありえるのだろうか。例えばこれが幻想郷の未来を左右する外交問題とかであれば話は変わるのだろうが、月見もさとりもただの個人。お互いの気持ちが共通してさえいれば、親しくすることのなにが悪となろう。

 もちろん、さとりが「あなたと仲良くするなんてお断りです塩まきますよ!」と思っていなければの話だけれど。

 

「お、思ってないです!」

「じゃあいいんじゃないか?」

 

 あ、と小さく声をもらしたさとりに、月見は笑って、

 

「改めて、よろしく。さとり」

 

 右手を差し出す。それを、さとりはまるで生まれて初めて目の当たりにするような表情で、きょとんと見つめて。

 

「……よ、」

 

 深呼吸するように、たっぷりと長く、息を吸ってから。

 ほのかに赤い頬で、笑って、

 

「……よろしくお願いします。月見さん」

「ああ」

 

 ようやく重ねられたさとりの右手は、月見のよりもちょっとだけ、熱っぽかった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――ところでさとり」

「はい、なんで――って、いたたたたたひゃひゃひゃ!?」

「おお、本当に餅みたいに痛っ」

 

 怒られた。半泣きで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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