銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

55 / 140
第54話 「ぶらり旧地獄一人旅 ④」

 

 

 

 

 

 ほっぺたを引っ張られて半泣きになったさとりに叱られているうちに、すっかり遅くなってしまった。式神の反応を追った月見が聖輦船に辿り着く頃には、旧都の町並みは遠くへ消え、草木一本生えないいずこかの荒地ばかりが広がるようになっていた。

 聖輦船は、見た目自体はまさに『大きい木造の和船』と簡潔に言い表すことができた。かつての都で見た月の方舟のように、淡い光を放っていたり、薄雲をまとっていたりは当然しない。海賊船めいた偉容は束の間月見を圧倒したが、目についたものといえば逆にそれくらいで、空を泳いでいる以外はごくごく普通の帆掛け船だった。

 だからこそ、なんとも不思議な船だと月見は思う。

 

「ふうん……」

 

 聖輦船に並んで飛行し、その姿を観察する月見がまず気づいたのは、船体がかなり綺麗だということだった。木材が傷んでいない。もちろん多少の経年劣化はあるものの、船の名誉の勲章である海水による腐食がまったく見て取れない。修理をしたような跡もないので、腐食された部分の木材を張り直したわけでもなさそうだ。

 だがそれ以上に不思議なのは、風がほぼ吹いていない旧都の上空を、一定の速度で飛行していること。こんな頼りない風の中では、帆が生み出す推進力など雀の涙ほどでしかないだろう。なにか別の力が船全体に作用していなければ、こうも安定した飛行は実現できない。

 まさか、初めから空を飛ぶために造られた船だとでもいうのだろうか。そんなの、月の世界の話じゃああるまいし。

 周囲に人影が見られなかったので、月見はとりあえず甲板に降り立ってみることにした。船首に立ち、生まれて初めて経験する、空飛ぶ船から見渡す景色は、

 

「……」

 

 光の差し込まない暗い空、もとい岩盤。生物はもちろん緑の影すらもない、荒涼とした殺風景な大地。妖怪の月見でさえ違和感を抱く、未だ地獄の名残を孕み澱んだ空気。

 生まれて初めての空飛ぶ船は、飛んでいる世界があまりにも悪すぎた。

 どうせ空を飛ぶのなら、やはり青空の下と緑の上を飛ばねばならんと月見は思う。果たしてさとりが健気に応援してくれた通り、楽しい思い出をつくることができるのか、のっけから不安になってきてしまった。

 背後に誰かがいると気づいたのは、その直後だった。最小限まで気配と足音を殺し、獲物との距離を詰める狩人の如く背後を狙っていると気づいた瞬間、月見は反射にも近い速度で反応していた。

 振り返らぬまま、尻尾で背後を一閃する。

 

「ぎゅふ!?」

 

 月見の予想に反して、聞こえた悲鳴は幼かった。振り返ってみれば、受け身も取れず甲板の上をごろごろと転がっていく、見慣れぬ妖怪の姿があって、

 

「まさか……鵺か?」

 

 見慣れない妖怪だが、見慣れないからこそ、その名が一瞬で脳裏に弾き出されていた。

 鵺。スズメ目ツグミ科に分類される、トラツグミという鳥の別称だ。一方歴史上では、平安時代の末期に京都御所に出現した、猿の頭、狸の体、虎の手足に蛇の尻尾を持つという、正体不明の妖怪を指す名前でもある。正体不明故に名も持たなかったこの妖怪が、鳴き声がトラツグミに似ていたことから『鵺』と名付けられて以降、今や本物の『(トラツグミ)』よりも有名な存在になったといえるだろう。

 その鵺が、目の前にいた。

 実際に目にするのは初めてだった。かつての平安末期、風の便りでその存在を知りひと目見ようと京に向かったものの、割とあっさり退治されたらしく結局無駄足になってしまった、あの時の徒労は未だ鮮明に思い出すことができる。

 もしかすると、地底にやってきて一番の収穫かもしれない。なるほどこういう妖怪だったのか、ふむふむなるほど、とその奇妙な出で立ちをまじまじ観察していると、起き上がった鵺が、青筋を浮かせながらズンズンと四足歩行で迫ってきた。

 

「ちょっと! あんたいきなりなにすんのよ!」

 

 トラツグミの鳴き声ではなく、それどころかごくごく普通の少女の声である。体長一メートル半以上、子どもが見れば悲鳴を上げて逃げ出すか大泣きするかの二択であろう不気味な姿をしておきながら、琴を鳴らすように若くかわいらしい女声はシュールの一言に尽きた。月見の中にあった鵺の理想像が、それはもう一発で粉々になって砕け散るほどに。

 そうか、こんな妖怪だったのか……と驚き半分がっかり半分になりながら、とりあえず、弁明する。

 

「悪かったね。でも狐にとって、尻尾ってのは自分の手足以上の立派な武器だ。気配を殺して忍び寄ったりするもんじゃないよ」

「ぐっ……それはあれよ、ちょっとおどかしてやろうと思っただけで……」

 

 この妖怪、本当に鵺なのだろうか。かつての京都御所を恐怖に陥れたという、妖怪としては輝かしい経歴を持っている割に、いかんせんカリスマが感じられないというか、駆け出しの狐か狸が覚えたての変化の術で化けているだけに見えないこともない。

 

「私が思ってた鵺とはなんか違うなあ」

 

 不満を口に出してみたところ、鵺の青筋が一気に濃くなった。

 

「なんですって! 私のことが怖くないっての!?」

 

 その見た目と声のギャップが怖いといえば怖い。

 月見は肩を竦め、

 

「怖がってほしいんだったら、怖がるようなことをしてご覧よ」

「ふん、泣いて後悔しても遅いんだから。……がおー!」

 

 鵺が前足を上げて飛び掛かってきたので、よしきたとばかりに尻尾で弾き飛ばした。

 ぺちんみぎゃあごろごろごろ。

 賑やかに甲板の端まで転がっていった鵺は、それっきり沈黙、

 

「……はい、残念」

「ちょっとあんたねええええええええええ!!」

 

 少女が絶叫しながら飛び起きた。せっかくの綺麗な肌色を迸る怒りで真っ赤っ赤にして、今度は船に穴を開けるように、力強い二足歩行でズンズンと――

 

(……ん?)

 

 少女。

 少女であった。

 一体いつからだったのか、鵺の姿が少女になっていた。

 

「あんた、私に喧嘩売ってんの!?」

「おっと」

 

 木を容易くへし折ってみせそうなほど強靭だった虎の手足が一転、猫のように細くすらっと伸びた腕で、月見の胸倉を締め上げてきた。ぴょこぴょこと生物みたいに動くアホ毛を生やした、ショートボブの少女である。若干涙に濡れた釣り目は激しい怒りに染まっていて、鎌のような形をした右の翼が月見を切り裂かんと暴れ回り、矢印状になった左の翼が、いつでも月見の息の根を射抜けるよう脳天・喉仏・心臓にロックオンされている。

 少なくとも、うぬぬぬぬぬー! と唸るかわいらしい声が、きちんと似合う姿ではあった。

 しかし、先ほどまでの鵺はどこに行ってしまったのか。

 少女が吠える。

 

「最初のは私も悪かったかもしんないけど、今度は完璧にあんたが悪いわよね!? 怖がらせてみろって言ったのはあんたよね!? なのにぶっ飛ばすなんでひどくない!?」

「あー……それはあれだよ。びっくりしてしまったからつい手が出たんだ。悪かったね」

 

 もちろん嘘である。怖がらせる方法=飛び掛かるという図式が古典的すぎたので、ツッコミを叩き込んだといった方が正しい。

 しかし少女は単純なのか、月見の嘘を完全に信じきったようだった。

 

「え? あ、そうなんだ……。ふふん、そうならそうと早く言いなさいよ。びっくりしたんだったらなにも怒ることはないわ」

 

 満足げに頷いて月見の胸倉から手を離し、ご満悦な様子で胸を反らす。口が『ω』の形を描くドヤ顔は、今までの不気味な姿からはかけ離れて、子猫みたいな愛らしさだった。

 まあ、それはさておいて。

 

「それで? さっきまでの鵺はどこに行ったんだ?」

「はあ? どこって、こうしてあんたの目の前に……ああ、そういうこと」

 

 少女はつまらなそうに小鼻を鳴らし、

 

「私の能力よ。『正体を判らなくする程度の能力』」

「ほう?」

 

 それはまた、『鵺の声で鳴く得体の知れないモノ』らしい能力だ。いや、その能力を持っていたからこそ、正体不明の妖怪として名を与えられるようになったのだろうか。

 

「なにに見えるかは、その人の先入観とイメージでまちまちね。……あんたには、それこそ鵺の姿で見えてたっぽいけど」

「お陰様で、見た目と声のギャップがシュールだったよ」

「ふん」

 

 ぷいとそっぽを向いた少女は、半目で、

 

「で? そういうあんたは何者よ」

「月見。ただのしがない狐だよ。地底を観光しててね、その一環でここにやってきたんだけど」

「ふうん……?」

 

 地底を観光って正気で言ってる? と今までの経験上変な目で見られるかと思ったが、意外と少女の反応は穏やかだった。それどころか興味深そうに眉を上げると、月見に一歩近づいて下から覗き込むように、

 

「狐ってことは、地上の妖怪なんだ?」

「ああ」

「ものは相談なんだけど、私をこの地底から出してくれない?」

「私に言われても」

 

 月見は肩を竦めた。地上と地底は互いに不可侵の関係であり、その約定を中心となって結んだのは紫と藤千代だ。かつて水月苑建築の際に鬼が地底からやってきたのも、今月見がこうして地底を散策しているのも、すべて彼女たちの許可の上に成り立っているのであって、逆をいえば許可を得られない限り、月見がどうこういえる話ではない。

 ぶー、と少女がとても不満そうに頬を膨らませた。

 

「なんでよー。いじわる」

「地上と地底の関係は知ってるだろう?」

「じゃあなんであんたはここにいるのよ」

「そりゃあ私は、千代――鬼子母神殿から許可をもらったからね。お前も交渉してみたらいいんじゃないか?」

「む、無理に決まってるでしょそんなの。今まで鬼子母神様の怒りを買って、上の岩盤と同化した妖怪が何人いると思ってるの」

 

 藤千代のぶっ飛ばし癖は、どうやら地底でも猛威を振るっているらしかった。一度危ないところまで行った経験があるのか、少女は完全に血の気を失って、極寒の地に放り込まれたみたいにガタガタ震えていた。

 

「しかし、どうして地上に?」

 

 鵺は恐らく、人間からも妖怪からも嫌われてここまで追いやられたわけではないのだろう。京都御所を恐怖に陥れた張本人だし、力のある人間に懲らしめられて、この地底に封印されてしまったと考える方が自然な気がする。

 であれば、初対面の月見に頼んでまで地上に戻りたがるのも納得だが、

 

「ちょっと連絡を取りたいやつがいるのよ。……あんた、二ツ岩マミゾウって名前、聞いたことある?」

「……あー」

 

 とても嫌な名前を聞いた。いや、別に嫌いな相手というわけではなく、むしろ月見の方が全力で嫌われている相手だった。

 予想通りの反応だったのか、少女が小さく苦笑した。

 

「ま、狐の間であいつの名前を知らないやつなんていないわよね」

「そりゃあね……」

 

 二ツ岩マミゾウは、佐渡に住んでいる化け狸の大妖怪。狐と二ツ岩マミゾウの関係を、一言で簡潔に述べるならば――未来永劫相容れることのない犬猿の仲、だろうか。

 元々妖狐と化け狸は、妖術を得意とする者同士、なにかとライバルとして対立することが多かったのだが、この場合はそれ以上に、マミゾウの方が自他ともに認めるとんでもない狐嫌いなのだ。その程度たるや、彼女の縄張りである佐渡に狐が一匹もいない理由は、全部彼女が外に追い出したからだというのだから呆れてしまう。

 向こうがそんな有り様なので、狐の中でマミゾウに好意的な感情を持っている猛者はまずいない。月見も、嫌いとまではいわないが、大分苦手な相手ではある。ちょっと話しかけただけでブチ切れられ、情け容赦なく叩き潰されそうになったのは、一体いつの出来事だったろうか。

 まあ、軽くあしらってやったが。

 

「知り合いなのか?」

「そんなとこ。ここに封印されてからは連絡も取れてないから、まあ、ちょっとは心配されてると思うのよ」

 

 マミゾウは狐嫌いだが、狐以外であれば妖怪はもちろん、人間に対しても非常に友好的だ。故に狐を除く妖怪からは広く慕われているし、一部の人間からは『二ツ岩大明神』の名で奉り上げられてもいる。あの『鵺』と交友があったとしても、なんら不思議なことではない。

 

「しかし、なんとか鬼子母神殿の許可はもらえたとしても、外と連絡を取るんじゃあ今度は妖怪の賢者殿に目を付けられそうだね」

「そうなのよねー。……あ、じゃあこんなのはどう? ここから出してなんて言わないから、代わりに、地上に戻ったら妖怪の賢者に話だけでもしてみてよ。お礼はちゃんとするから」

「それくらいは構わないけど」

 

 しかしその結果、もしマミゾウが幻想郷にやってくるなんて事態にでもなったら――赤い戦火に包まれる幻想郷。妖怪たちの喊声。人間たちの悲鳴。幻想郷から狐を駆逐しようと猛威を振るうマミゾウと、それに抵抗する妖狐たちの戦いは七日七晩続き、後の幻想郷縁起では『炎の七日間』と記されるようになり――

 有り得ない、と言い切れないあたりが恐ろしい。佐渡から狐を駆逐したあいつならやりかねない。

 まあ、後々になって覚えていたら、紫と話をしてみるとしよう。覚えていたら。ただ、よくはわからないが、すぐに忘れてしまいそうだ。なぜだろうか。

 

「じゃあよろしくね。鬼子母神様の方は自分でなんとかしてみるから」

「……まあ、頑張って」

 

 人の力を当てにするだけでなく、ちゃんと自分でも行動しようとするあたりは感心だが、どうか少女が空の岩盤と同化しないことを祈るばかりである。

 ともあれ、出会って早々胸倉を締め上げられたりもしたけれど、無事に打ち解けることができたらしい。地獄から抜け出す月見という名の蜘蛛の糸を見つけて、少女が初めて気さくに笑った。

 

「私は封獣ぬえ。『ぬえ』は、平仮名で『ぬえ』ね」

「よろしく」

「で、聖輦船の見学に来たってことでいいのかしら? 奥に今の持ち主がいるから、話でもしてみたら?」

 

 ぬえが親指で示した先――甲板の中心に、船室へと続く扉がある。

 

「行ってもいいのか?」

「あー、じゃあ私が呼んできてあげる」

 

 この少女、意外と面倒見がいいのかもしれない。正体不明の妖怪『鵺』の隠れた一面に、やはり人間たちの伝承など当てにならないものだと月見は思う。

 ぬえの背に続いて、船室の方へと向かう。途中、何気なしに周囲の景色を眺めてみるも、見えるのはやはり紫紺色に淀んだ殺風景だけ。早くも青空が恋しくなってきているあたり、月見はあまり、地底での生活には向いていないのかもしれない。

 扉を目の前にしたところで、ぬえが半身になって振り返る。

 

「じゃ、ここで待ってて。ちょっと話してくるから」

「よろしく頼むよ」

「はいはい。……ムラサ~、起きてる~?」

 

 ムラサなる人物の名を呼びながら、ぬえが船室の中へと消える。その折、迂闊にも扉を閉め忘れたようだったので、好奇心に負けた月見はちょっとだけ中を覗いてみることにした。

 床から壁から天井まで、そのすべてが木材でつくられた部屋。間取りは八畳間より更に一回り広く、中央には剥き身の木でできたテーブルと、四隅には同じく剥き身の樽がいくつも積み重ねられている。樽の上は物置場所と化しているようで、小箱や置物や観葉植物など。四方八方が木材に包まれた、自然との調和あふれる純朴な小部屋は、まるで森の奥深くに丹精込めて作られた秘密基地のようだった。

 ぬえは、この部屋から更に奥へ続く扉を開けて、向こうにいる誰かと話をしていた。――そう、お客さん。この船を見学しに来たんだって。……ううん、地上の妖怪だってよ。うん、狐。とりあえず顔だけでも出してやったら?

 ぬえが一歩足を引くと同時に、扉の奥から少女がぴょこりと顔を出した。ぬえと同じ黒のショートヘアーを揺らし、その上には錨のマークがついたキャップを乗せている。ちらりと見えた鍔の広い襟と赤のスカーフは、セーラー服、すなわち水兵服だろう。出で立ちから見て、あの子が聖輦船の持ち主と思われる。

 月見の姿に気づいた少女が、不意を衝かれたように目を丸くした。しかしほんの一瞬で、

 

「やあやあすみません、お待たせしました!」

 

 さながらたんぽぽのような、温かく親しみやすい笑顔だった。少女はぬえを押し退けパタパタと小走りでやってくるなり、ほおぉーと大仰な顔をして月見を見上げた。

 

「ほんとに狐だ……。ぬえって悪戯好きで、よく私たちに嘘つくんですよ。なので半信半疑だったんですけど、まさか本当に、こんなところまで地上の妖怪がいらっしゃるなんて」

「ちょっとムラサ、それは今話すようなことじゃないでしょ」

 

 バツが悪そうに顔をしかめるぬえをあっさり無視し、まだ出会ってほんの数秒にもかかわらず、気さくに右手を出してくる。

 

「私、村紗水蜜っていいます。船幽霊です。この船の、まあ、船長みたいなもんをやってます」

「月見。ただのしがない狐だよ。よろしく」

 

 船幽霊といえば、海の事故で亡くなった人間の霊が、怨みや悲しみなど負の感情によって半妖怪化した地縛霊のようなもの――と思っていたが、なにもそれだけに限った話ではないらしい。海がない地底でも元気に活動しているし、その言動は、恨み辛みが元となって生まれた妖怪とは思えないほどに明るく、握手を交わした手は温かい人情で満ちていた。

 

「よろしくお願いします。私のことは、気軽にキャプテン・ムラサとでも呼んでください」

 

 月見は一瞬思考、

 

「わかったよ、キャプテン・ムラサ」

「……、」

 

 水蜜は一瞬沈黙、

 

「ええと……こ、こんな地底くんだりまでわざわざ」

「面白そうな船だったからね。……ん? ということはこの船って幽霊船なのか、キャプテン・ムラサ?」

 

 船幽霊は、幻の船に乗って現れることもあるという。この船が幽霊船だとすれば、空を飛んでいるのにも納得できるが、

 

「い、いえいえ。この船は見た通り、木で造られてるちゃんとしたお船ですよ」

「ふうん……なのに空を飛んでるなんてすごいじゃないか、キャプテン・ムラサ」

「わ、私の自慢の船なんです。えへへ」

 

 水蜜の笑顔がひきつっている。後ろの方で、ぬえが笑いを噛み殺している。どうかしたのだろうか。

 

「そ、それであの、月見さん」

「どうした、キャプテン・ムラサ」

「そ、その、キャプテン・ムラサってやつなんですけど」

「それがどうかしたか、キャプテン・ムラサ」

「よ、世の中には、初対面の空気を和やかにする、ツッコミ狙いの冗談というやつがあってですね?」

「ふむ? よくわからないな、キャプテン・ムラサ」

「なのでこう、そんな真顔で返されると色々と困っちゃうというか」

「難しいな、キャプテン・ムラサ」

「あ、あの。もしかして私、いじめられてますか?」

「もっとはっきり言ってくれないとわからないぞ、キャプテン・ムラサ」

「怒っていいですか?」

 

 水蜜が赤い顔でふるふる震え始めたので、このあたりでやめた方がよさそうだ。

 

「冗談だよ、水蜜」

「く、くううっ……! 優しそうなお顔に騙されましたが、そういえば月見さんは狐でしたね!」

 

 くひひひひひと変な声で笑っていたぬえの頭を、水蜜は思いっきり引っ叩いた。

 

「いったぁ!? なにすんのよ!」

「あんたが笑ってるからでしょうが!」

「あんたが笑えるようなことやってるからでしょうが!」

「仕方ないじゃない、ほんとにあれで呼ばれるなんて思ってなかったんだもん!」

「調子乗って慣れてないことするからよ。あんたみたいなのが人にいたずらするのは百年早いの」

 

 ところで、狐にいたずらしようとしたら尻尾でぶっ飛ばされたという、どこぞの鵺の話を水蜜に聞かせてやる必要はあるだろうか。

 

「ムラサ~、さっきからうるさいわよ~。どうかしたの~?」

 

 そんなことを月見が考えていたら、ふと地面を這いずるように気怠げな声が聞こえて、扉の奥からまた別の少女が顔を出してきた。

 飲み会で散々酒を呑んだ翌朝の女子大生だった。長い青髪は寝癖ですっかりよれよれになっていて、寝間着は若干下着が見えかけてしまうほどにくちゃくちゃで、あちこちから覗く素肌には、正視が躊躇われるほど大人びた成長の跡が

 

「ちょっ、なんて恰好で出てきてんのよあんた!」

 

 ぬえが顔を青くして、月見と寝間着少女の間に割って入った。恐らく気を利かせてくれたのだろうが、そのせいで寝間着少女は月見の存在に気づかないまま、

 

「……ぬえ? あんたいたの?」

「いたから。いたから早く着替えてきなさいって。客が来てるのよ客が」

「……客ぅ?」

 

 ここでようやく、月見と寝間着少女の目が合った。月見はとりあえず、お邪魔してるよ、と簡単に手を振った。あ、はい、と少女が目を丸くして頷いた。

 五秒、

 

「――きゃああああああああ!?」

「へぶぅっ!?」

 

 真っ青な悲鳴とともに、少女の平手打ちがぬえの頬を打ち抜いた。

 ぬえが床に崩れ落ちた時には、既に寝間着少女の姿は消えている。扉の向こうで、ドタバタとけたたましく走り回る音、

 

「ちょっと、お客さんって男の方じゃないの! そうならそうと早く言ってよ、あああああこんな恰好で出てっちゃったなんて!」

「……なんで私は殴られたの?」

 

 涙目のぬえが赤く腫れた頬をさする。本来であれば月見が殴られるべき場面だったのだろうが、距離が距離だけに、目の前にいた彼女が標的になったのかもしれない。気を利かせて間に割って入ってくれたというのに、なんとも不憫なとばっちりだった。

 水蜜がため息ついた。

 

「まったく、だから普段から早起きするようにしなって何度も言ってるのに、あいかわらず面倒くさがりなんだから。……すみません月見さん、みっともないところ見せちゃって。良い薬になるんで、あいつが戻ってきたら冷たい目で迎えてやってください」

「そんなことはしないよ。慣れてる」

 

 某気高い吸血鬼のお嬢様だって寝癖が爆発していたし、藤千代に至っては、そもそも寝間着すら着ない有り様である。それに比べれば、充分笑って見過ごせる範囲内だ。

 

「ね、寝癖が直らない……あああああ申し訳ありません、もうしばらくだけお待ちくださいー!?」

「焦らなくていいぞー」

 

 どたんばたん、と船が賑やかに揺れている。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「どうも、大変失礼致しました……」

「いやいや、こちらこそ突然やってきてすまないね」

 

 少女は、名を雲居一輪といった。三分ほどの荒療治でなんとか人前に出られる姿を取り戻した彼女は、椅子に深く座り込んで、己の軽率な行動をどんより雲とともに猛省する真っ最中なのだった。

 氷を彷彿とさせる、蒼く澄んだ長い前髪が目を引く。飲み会明けの女子大生みたいだった姿は、今は尼僧になっているので、どうやら妖怪でありながら仏門に下った身らしい。前髪より後ろを丸々頭巾で覆い、服も、極力肌を晒さないよう荒療治ながらもぴっしりと着込まれている。

 珍しいことに、紫と同じで一人一種族の妖怪だという。強いて名をつければ『入道使い』とのことだが、月見が知る限り、入道を従える妖怪一族など聞いたこともないので、一人一種族と考えるのが妥当なのだろう。かすかに感じる妖気も、どことなく人間らしいというか、月見が今まで見てきたどの妖怪とも異なる独特の波長をしていた。

 そんなわけで、一輪がどんより雲をまとっているのは決して比喩ではない。雲山という名の見越入道を、彼女は確かに、雲の形で自分の周囲にまとっているのだった。

 桜色をした雲には、『門倉銀山』の頃に同業者だった大部齋爾にも似た、厳しい老翁の相貌が浮かんでいる。一見すると近寄りがたい印象を受けるが、実は口下手でシャイという、なかなか可愛い性格をした入道である。

 雲山も含め五人揃ってテーブルを囲む中で、水蜜がころころと笑っている。

 

「ま、良い薬になったじゃん。これに懲りたら、ちょっとは生活態度を改めなさいな」

「くっ……これは違うのよっ。あんただって知ってるでしょ? 昨日はあの居酒屋であの子に目をつけられちゃったから、つい呑み過ぎて……」

「……一輪、お前もか」

 

 まさか地霊殿に引き続きこんなところでも、あの少女にやられた被害者に巡り合えようとは。もはや商売上手の一線を越えて、無差別に財布を爆撃するテロリストみたいだった。

 

「え……まさか、月見さんも?」

「……財布が空になったよ」

「ああ……私もですよ。あれは反則ですよね……」

 

 一輪のまとっていたどんより雲が、月見にまで伝染しつつある。

 

「あの子に悪気がないのはわかってるんだけど、さすがに財布を空にされてしまうとね……いや、断れない私たちも悪いんだが……」

「今月、結構ピンチなんですよね……ふふふ、塩を舐める生活にならないといいですけど」

「そう……元を辿れば、私が殴られた原因もその居酒屋ってことね……」

 

 ついでにぬえにも伝染し始めた。

 はあ……と三人揃ってため息をついていると、唯一ブルーじゃない水蜜が、「え? え?」と焦りながら、

 

「ちょ、ちょっとみんな、元気ないですよ! もっと盛り上がっていきましょ! ほら一輪、お茶淹れてきてお茶!」

 

 景気付けのように高らかな指名に、一輪は顔を上げて眉をひそめた。

 

「……普通、そこはあんたが率先して淹れてくれるところじゃないの?」

「私より一輪が淹れた方が美味しいでしょ。お客さんに下手なお茶は出せないの!」

「……まったく」

 

 一輪はため息をつきつつも、水蜜よりお茶を美味しく淹れられる自負はあるようで、

 

「すみません、少し失礼しますね」

 

 礼儀正しく頭を下げながら断りを入れて、雲山とともに一旦部屋を出て行った。

 

「で早速訊きますけど、月見さんってぬえの彼氏さんですか?」

「がふっ」

 

 そして頬杖をついていたぬえが、額からテーブルに激突した。

 跳ね起きる。

 

「ムラサ!? あんた一体なに言ってんの!?」

 

 火山が噴火したみたいなぬえに対し、水蜜はさながら、海で吹く潮風のように涼しげだった。ひらひら手を振って、

 

「やだなー、ただのお決まりのジョークじゃん。ほら、なんか空気も暗かったしね。いくら恋人いない歴千年だからって本気にしちゃダメだよー」

「当たり前よっ! てか恋人いない歴千年はあんたも同じようなもんでしょ!」

「私はほら、恋愛は自分でするよりも人のを見てる方が好きなタイプだから。でもぬえはダメだねー、寂しがり屋だし。早くいい人見つけなよー」

「べ、別に寂しがり屋とかそんなんじゃ! ……あんたも勘違いするんじゃないわよ!? こんなの、ムラサが勝手に言ってるだけなんだから!」

「それはもちろん」

 

 槍のように鋭く突きつけられたぬえの人差し指に、月見は浅く肩を竦めて返した。月見はもう、そのテの冗談でぬえみたいに顔が赤くなるほど若くはないのだ。

 賛同してもらえたのになにが悔しいのか、ぬえは、くっと歯軋りをしていた。

 

「そんな当たり前みたいに頷かれても、それはそれでなんかムカつくわ……!」

「え? それってつまり、頷いてほしくなかったってコト?」

「だあああかあああらあああああっ!!」

 

 どうやらぬえは、いじられるタイプらしい。

 

「違う! 違うってばあ! あんなのただの言葉の綾でっ、……とにかく変な解釈したらぶっ飛ばすんだからね!?」

 

 ぬえがテーブルに両手を打ちつけて叫んだ瞬間、部屋の外から一輪も叫んだ。

 

「ちょっとぬえ、お客様の前でなんて口利いてんのよ! ――雲山、拳骨!」

「えっちょまっ、ふぎゅん!?」

 

 音もなくすっ飛んできた雲山がぬえに綺麗な拳骨を落とし、また音もなく部屋を出て行った。時間にして、およそ三秒ほど。過去幾度となく同じことを繰り返してきたのであろう、熟練の手捌きが光る職人技だった。

 

「ふ、ふぐおおお……」

 

 鉄拳制裁されたぬえが頭を押さえながらテーブルに突っ伏し、水蜜は愉快げに笑った。

 

「月見さん、覚えといてくださいね。一輪ってお客さんの前だと猫被りますけど、本性は今みたいにすごい暴力女で」

「雲山、GO!」

「いやー地獄耳ー!? ふぎゃっ!」

 

 また三秒だった。テーブルの上で、「おおおぉぉ……」と亡者みたいな呻き声を上げる少女、二人。

 月見は軽く微笑み、

 

「仲いいね」

「……まあ確かに、付き合いだけは長いですけどね」

 

 水蜜がとても不満そうに顔を上げた。ぷっくり膨らんだたんこぶをさすりながら、涙目で、

 

「でも、親しき仲にも礼儀ありだと思うんです」

「ああ……それはなんとなくわかるよ」

 

 出会い頭に必ずと言っていいほど、笑顔で砲弾みたいなタックルをかましてくるフランの姿を思い出す。彼女にもそろそろ、男の意地にも限界があるんだということを教えてやるべきなのかもしれない。子どもに抱きつかれて永遠亭に運ばれたなんて、不名誉な事件が鴉天狗の新聞に載る前に。

 

「月見さんも苦労してるんですね……」

「出会い頭にぶん投げられたこともあったっけねえ」

 

 もっとも、フランの突進攻撃にせよ藤千代のぶっ飛ばしますにせよ、あれはあれで確かな親愛の表現なのだ。互いに気が置けない関係だからこそ、変に気を遣ったりせず、ありのままの自分でぶつかっていける。それだけ心を開いてくれているのだと思えば、多少肉体的な痛みが発生する程度はどうってことないわけがないので、是非ともやめていただきたい。

 水蜜とぬえが拳骨のダメージから回復してくると、お茶の支度を終えた一輪が戻ってきた。漆塗りされた小綺麗な盆の上には、湯呑みが四つ並んでいる。

 

「……?」

「お待たせしました。どうぞ、月見さん」

「……ああ、ありがとう」

 

 差し出された湯呑みを受け取る。自分の席に湯呑みを一つ、残りの二つを水蜜とぬえに手渡す一輪を見ながら、はて、と月見は首を傾げる。

 

「一輪、一人分足りなくないか?」

「え? ……ああ、雲山の分なら大丈夫ですよ。雲ですから、飲食は必要ないんです」

「いや、そうじゃなくて……ほら、」

 

 強烈な違和感、

 

「……?」

「……月見さん?」

 

 口元に手を遣り、思考の渦中に落ちる。違う。雲山が飲食を必要としないのは、既に入道の知識としてわかっていたことだ。その上で月見は、一人分湯呑みが足りないと言った。だが自分でも、なぜそんなことを言ったのかがわからなかった。

 この部屋にいるのは、月見と水蜜、一輪、雲山、ぬえ。わかっている。雲山の分は必要ないから、湯呑みの数は四つで合っている。わかっている。

 なのに――『いや、そうじゃなくて……ほら、』――あのあとに月見は、なんと続けようとしたのか。なんと続けるはずだったのか。わからない。思い出せない。

 それは云うなれば、己の理解の範疇を外れた、完全な無意識の領域――

 

「……!」

 

 だからこそ。だからこそ、月見は気づいた。無意識、という言葉。地霊殿を発つ前に聞かされた、さとりからの話。

 無意識を操る、少女。

 

「……いるのか? ――こいし」

「うん」

 

 いた。部屋の隅で、積み重ねられた樽の上に腰掛けて、両脚をぶらぶらさせながら。

 古明地こいしが、笑っていた。

 

「「「……!?」」」

 

 一輪たち三人が、血相を変えて椅子を跳ね飛ばした。突如として現れた少女の姿に、鹿爪らしい顔が凝り固まった雲山ですら、確かな驚愕で目を見開いていた。

 その中で月見だけは、腰を上げることもなく、ただふっと笑った。なるほど、と思った。実際にこうして体験した今だからこそ、腑に落ちるように理解することができた。

 これが、無意識を操る能力。人の意識を外れ、無意識の狭間に入り込む異能。

 今になって思えば確かに、あの場所には、こいしがずっと座っていた。ただその姿を、月見たちがこいしだと意識できていなかっただけで。こいしは月見がこの部屋に招かれた当初から、ずっとあの場所で、月見たちの姿を見つめ続けていた。

 

「お前が、古明地こいしか」

「そうだよ」

 

 色調こそ異なるものの、姉のさとりとほぼお揃いの服。左胸の前に浮かんだ第三の瞳。一目でさとりの妹だと納得できる一方で、彼女とは受ける印象がまったく異なる少女だった。さとりのように、外見以上に大人びた印象は欠片も受けない。小さな見た目そのままに、ありのままに、樽に座って両脚を揺らす姿はただ幼い。発育の遅い妖怪の肉体に引っ張られ、精神までもが、成長を止めてしまっているかのように。

 一輪たちから向けられる敵意にも近い視線を、微塵も意に介さず。

 こいしはその銀色にも近い翠の髪を揺らし、両手を高く上げて、空へ突き抜けるほど無邪気に笑った。

 

「――ぱんぱかぱーん! こんぐらっちゅれーしょーんず!」

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 こいしが害意を以て乗り込んできた悪人でないとわかれば、一輪たちの口から出たのはため息だった。

 

「そう……心を読まなくなった覚妖怪、ね」

「そうだよー」

 

 肩透かしを食らったように座り直した一輪に、こいしはやはり両脚をぶらぶらさせながらにこにこと笑った。――月見の膝の上で。

 

「……なあ」

「んー?」

 

 こいしの翠の瞳がくりくりと月見を見上げる。月見は、膝の上にささやかな少女の重さを感じながら、

 

「どうしてここに座るんだい」

「? だって他に椅子ないもの」

 

 当たり前でしょ? みたいな顔をして言われた。……月見の常識が間違っていなければ、人の膝の上は椅子などではなかったはずだけれど。だが、同じことをフランに何度もやられているせいか、まあいいか、と思って流してしまった。慣れとは恐ろしい。

 

「なかなかの座り心地でー」

「それはどうも」

 

 さて、古明地こいしである。彼女の自己紹介によれば、心を読まなくなった覚妖怪とのことだ。なるほど彼女の第三の目は、さとりと違って眠るように閉じられており、その中に他者の姿を映すことはない。なので心を読まれない安心感からか、一輪たちもひとまずは、こいしを来客として受け入れる姿勢を見せていた。

 ただし不法侵入されたも同然なので、決して釈然とはしていない様子だったけれど。

 

「それにしても、月見ったらすごいねー。まさか気づかれるとは思わなかったなあ」

 

 月見の膝の上でご機嫌に体を揺らすこいしは無邪気そのもので、同じ妹という共通点もあってか、フランの姿を彷彿とさせられる。

 

「偶然だよ。完全に無意識だった」

「それでもすごいよー。だってここの人たちったら、私もう何度もここに来てるけど、一回も気づいてくれたことないもの」

「え」

 

 こいしが放った何気ない一言で、一輪たちの空気にヒビが入った。

 少し探り合うような間があってから、水蜜が恐る恐る、

 

「……何度も、来てたの?」

「そうだよ。お陰で色々いたずらできて楽しかったわ」

「!?」

 

 ヒビの入った空気が凍結した。

 

「じゃ、じゃあもしかして、私の部屋にあるマンガのカバーと中身をめちゃくちゃにしたのって!」

「私だよー」

「ぬあー!」

 

 水蜜が頭を抱えて奇声を上げ、続けて一輪が、

 

「じゃあ、キッチンの麦茶とめんつゆを入れ替えたのは!」

「私だよー」

「こ、このっ……」

 

 一輪が頬をひくひくと引きつらせ、最後にぬえが、

 

「じゃあ、私の下着を盗んだのって!」

「? それは知らないよー」

「……えっ」

「知らなーい」

「……じゃ、じゃあ誰が?」

 

 血の気の失せた顔で固まったぬえを、全員が無視した。

 

「あ、あんたがいたずらしてたのね!? しょーもないのに地味に嫌らしいいたずらばっかりして!」

「ムラサの言う通りよ! ちょっとここに直りなさい!」

「あははっ、やだよー」

 

 月見の膝の上から飛び降りたこいしの姿が、ふっと見えなくなった。本当に消えたわけではない。こいしの姿をこいしとして意識できなくなったので、さながら消えたと錯覚しているだけだ。

 ……とはいえ、錯覚であれどもこいしの姿が消えたのは立派な事実。水蜜が椅子を蹴飛ばして立ち上がる。

 

「ああっ、いなくなった! 一輪、捜してっ」

「言われなくても! 雲山、GO!」

「ちょっと! ちょっと待ってよ、じゃあ誰が私の下着盗んだっての!?」

「こっちだよー」

「あ、いた! ……ダメ、またいなくなった!」

「雲山、とりあえず手当たり次第にいくわよ! ムラサは出口を封鎖!」

「ラジャー!」

「いやあああああ怖くなってくるから無視しないでええええええええ!?」

 

 ぬえの悲痛な叫びに、やはり応える者はおらず。

 水蜜と一輪が、こいしを逃さないよう出入口の封鎖にかかり。

 逞しい二本の豪腕を出現させた雲山が、部屋中を文字通り縦横無尽に飛び回りこいしを捜して。

 こいしが、楽しそうに笑いながら能力を使って出たり消えたりして。

 誰にも反応してもらえないぬえが、うわあああああっとテーブルの上に泣き崩れて。

 

「――あ、おかわりもらうよ」

 

 それらの喧騒を柳に風と受け流しながら、月見はのんびりと、お茶のおかわりを湯呑みに傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 ▲ページの一番上に飛ぶ
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。