銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色
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東方緋想天 ⑫ 「見果てぬ青の先まで」

 

 

 

 

 

 もしもこれが皆敬虔な信仰心を持った参拝客なら、今頃霊夢は、目を小判にしながら涎を垂らしていたのだろうか。

 緋色の雲が払われてから、早いもので三日が経った。幻想郷の天気はすっかり元へと戻り、見上げればからりと晴れた夏の空、耳を傾ければ照りつけるような蝉の声。

 そして高らかに尾根を駆け抜ける、釘を打つ音。

 博麗神社の建て直しを開始した、今日がその一日目である。

 月見が見回す限り、ここにも妖怪あそこにも妖怪でごった返すような賑わいである。建築に覚えのある腕自慢妖怪たちがこれでもかというほど集結し、以心伝心の動きで基礎工事を行っている。諏訪子が土地を整え河童が木材を準備し、萃香の指揮のもと天狗たちが土台を築いていくのだが、まるで積み木を組み上げていくような手際のよさだ。ここに鬼たちが加われば、なるほど水月苑を一日で仕上げた手腕も納得の行くところかもしれない。

 その中に交じって、月見も微力ながら手伝いを、

 

「えっと、では次の質問よろしいでしょうか!」

「ん? ああ……」

 

 したいのは山々なのだが、取材熱心な鴉天狗の少女に捕まってしまっていた。

 もちろん、文ではない。敬っているのかおちょくっているのかわからない慇懃無礼な敬語が代名詞の彼女だが、月見に対してだけは百八十度回転し、鋭い刺を持つ冷ややかなタメ口を使うことで広く知られている。なので今月見の目の前で熱心にペンを動かしているのは、つい先程名刺で名前を知ったばかりの相手であり、

 

「ではではっ。先日、月見様がなんと十一尾の尻尾をお持ちの妖狐だと明らかになりましたが、その本数になったのはいつ頃のことなのでしょうか?」

「……それ、他のやつらからもう何度も訊かれたからさ。そっちから教えてもらってくれ」

「ダメですっ。新聞記者として、ちゃんと自分の目で見、耳で聞いて確かめないとっ」

 

 文に負けず劣らずの情熱は大変立派なのだが、それが紙面まで反映されていないのが惜しい。天狗の新聞は数あれど、過去月見の心を掴んだのは『文々。新聞』ただひとつである。

 山の妖怪を含め大勢が見上げる先で、必要とはいえ十一尾を開放したのは迂闊だったかもしれない。お陰様で異変が終結してから三日が経った今でも、月見のところまでメモを片手にやってくる鴉天狗はひっきりなしだ。今なら、外の世界で日々マスコミに追い掛け回される有名人と、仲良く酒を酌み交わせる自信がある。

 

「――というわけだ。これくらいで大丈夫か?」

「はいっ、ありがとうございます! それでは次の質問に参りますね!」

「……残り、あとどれくらいだ?」

「あと少しですよ! ええと……あと、たった三十程度で」

 

 どうせそれも今までされた質問と同じなんだろうなと思うと、ため息しか出てこない月見なのだった。実際にやっては失礼なので、心の中だけで留めておくけれど。

 というわけで、逃げ出す口実を探して周囲をさらりと見回してみる。しかしさすがは建築慣れしている集団だけあって、助けを必要としている者などまったく見当たらない。その連携はまるで初めからシナリオの決められた劇を演じるようであり、月見が手伝いを申し出たところで、精々足を引っ張るのが関の山なのかもしれない。

 さっさと残り三十全部答えた方が楽かあ――と、月見が諦めかけたところでふと、

 

「ほらほら、どうしたのー? ペース落ちてるわよー」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 私は病み上がりなんだから、も、もうちょっと手加減……!」

「聞く耳持ちませーん。手伝いをしたいって言い出したのはあなたじゃない。自分の言葉には責任を持つこと」

「だからってこれは無茶よー!?」

 

 河童天狗の玄人たちに交じって、ひとつ、今日初めて木材の重さを知ったかのように初々しい少女の姿。

 比那名居天子が、紫にいじめられていた。

 

「はーい、次はこれねー。ちゃっちゃとよろしくー」

「いじわるー!!」

 

 スキマの奥からポーンと吹っ飛んできた木材を小さな体で懸命に受け止め、河童のもとまでひいひい言いながら運んでいく。妖怪ならばいざ知らず、彼女は人間で、なおかつ特別体を鍛えているわけでもない華奢な少女だ。自分の身の丈ほどの木材を抱えて無理に走り回れば当然、

 

「へぷっ」

 

 見事地面と接吻した天子に追い打ちをかけるように、スポーンとスキマから吹っ飛んできた追加の木材が、

 

「ひにゃー!?」

 

 哀れ木材の下敷きとなった天子を見て、月見は苦笑しながら腰を上げた。彼女の不幸を利用するようで悪いが、この場から逃げ出す口実としてはちょうどいい。

 

「月見いいいっ、助けてえええええ!」

 

 折りよく情けない声で助けも求められたことだし、鴉天狗の少女に軽く手を振り、

 

「悪いけど、続きはまた今度ね」

「あっ、月見様ー!?」

 

 逃げるように――まあ実際逃げているのだが――早足で天子のところへ向かう。しかし、こういうシチュエーションで真っ先に駆けつけそうな、『天子ちゃんマジ天使!クラブ』とかいう連中はどうしたのだろうか。彼らならむしろ、殴り合って先を争いながら天子の手助けをしそうなものだが――。

 

「天子ちゃん大丈夫っすか!? 待っててください今俺が優しく手当グエ」

「させるかあっ! 天子が呼んだのは月見さんであんたじゃないわよ! こっちで家具運ぶの手伝いなさいっ」

 

 救急箱を小脇に目ざとく駆け寄ろうとした鴉天狗の青年が、霊夢に襟首を掴まれ引きずられていく。その光景から、『天子ちゃんマジ天使!クラブ』の面々が真面目に仕事をしている理由を察しつつ、

 

「大丈夫か?」

「月見ぃ~、紫がいじめるうぅぅ……」

 

 木材の下から這い出してきた天子は、鼻をすんすんすすって涙目だった。しかし天人の頑丈な体のお陰で、怪我らしい怪我はひとつもない。嘘か真か、安物な刃物程度なら傷ひとつもつかないとか。

 

「ほら、立てるか?」

「……うん」

 

 月見が手を差し伸べると、天子は雲間から陽が覗くように淡くほころんだ。今回から始まった話ではなく、およそ緋色の雲を払ったあの日あたりから、彼女は月見がささいな手助けをするたび幸せそうな顔をするようになっていた。こういう反応をされると、手を貸す側としてもやはり悪くないもので、彼女も意外と人から甘やかされる才能があるのかもしれない。

 紫がスキマからひょこりと顔を出すなり、これ見よがしにわざとらしくため息をついた。なんだかんだで今までのことを根に持っているのか、天子に対してだけはかなりイヤミな態度を取る紫である。

 

「役立たずねえ」

「ぐ、ぐぬぬ」

「紫。この子は人間なんだから、ほどほどにしてやんないと」

「月見はこいつに甘すぎっ。やるって言ったのはこいつの方なのに!」

「確かに手伝うっては言ったけど、運ぶ木材がぽんぽん吹っ飛んでくるのはいじめでしかないと思いますっ!」

 

 天子が、さりげなく月見の後ろに隠れながら涙声で叫んだ。それを見て、紫の眉間にますます不機嫌そうな皺が寄る。ここで月見が退けば、天子は地獄のような労働を強制されるに違いない。

 

「木材運びなら私がやるから」

「うー! 月見はほんっとにこいつの肩ばっか」

「天狗たちの取材にはもう飽き飽きなんだ。適材適所。一緒に、やろうじゃないか」

 

『一緒に』のところをかなり強調していったら、紫の眉間の皺がころっと消し飛んで、

 

「そうねっ。じゃー月見、一緒にやりましょう! 愛の共同作業っ!」

「はいはい」

 

 まあ、天狗の取材から逃げられるならなんだっていい。

 紫が周囲を見回して、スキマの縁に頬杖をついた。

 

「天子は、そうねえ……みんなすごく手際がいいし、手伝うようなことなんてなさそうだけど」

 

 どうやらみんな暇を持て余していたらしく、博麗神社の再建工事には、両手からあふれるほど充分すぎる人手が集まっている。現に一部の妖怪たちはやることがないようで、端っこの方で茶菓子を摘み合ったり、大声で談笑したりしている有り様だ。

 天子が、「月見がやるなら私も一緒に……」みたいな顔をしているが、

 

「天子ー! 暇だったら、ちょっとこっち来てくれなーい?」

 

 折りよく、もしくは折悪しく、萃香とともに工事を監督する霊夢からお呼びがかかった。両腕いっぱいに広げた設計図と、難しい顔をして睨めっこしている。新しい母屋に新しい家具をどう配置するか、今から早速シミュレーションしているのかもしれない。

 

「ちょうどいいじゃないか。行っておいで」

 

 天子が迷うように紫を見た。紫は、頬杖をついたまま鼻でムスっとため息をついたけれど、決して、行くなとは言わなかったので。

 

「えっと……じゃあ、ちょっとだけ行ってきますっ」

 

 服の土埃を手早く払って、一直線に霊夢のもとへ。二人で一緒に設計図を覗き込み、

 

「どうかしたの?」

「ちょっと居間の内装を考えてたんだけど、どうせだったらあんたの意見も聞いてみようと思って」

 

 大きな設計図の左端を霊夢が持ち、右端を天子が持って、

 

「……ここに箪笥置くの? こっちの方がいいんじゃない?」

「あー、それは私も迷ったんだけどね。やっぱそっちの方がいいのかしら」

「その方がいいと思うなあ。そしたらほら、これをこっちに持ってきて……」

「あ、なるほどねー。だったらさ――」

 

 二人揃って頭を悩ませ、打てば響くように意見を交わし、時には朗らかな笑い声をあげる。博麗神社を壊した者、壊された者という関係はすでに過去のものとなり、今や彼女たちは、互いが友人として申し分ない関係を築いていた。

 自然と頬が緩む月見の横で、紫はまたため息をついている。

 

「まったく。あいつもそうだけど、霊夢もまあ、あんな呑気に笑っちゃって」

 

 あまり人に気を許さない少女だと思っていた。人間とも妖怪とも関わりの深い博麗の巫女だけあって、知人友人は種族を問わず多くいるが、一方で誰からも一線距離を取った、どこか損得勘定な振る舞いが目立つ少女だった。

 賽銭を入れてくれる上客の月見には、そこそこ親密に接するし笑顔も見せる。

 しかしそうでない相手にはどこまでも冷たく素っ気なく、笑顔も滅多なことでは見せはしない。

 そんな彼女が、損得関係なく誰かと気ままに笑い合う姿は、ひょっとすると紫ですら初めて見たのかもしれない。

 

「……きっとこれこそが、幻想郷から望まれた結末だったんでしょうね。見てよ。嫌そうな顔してるやつなんて一人もいやしない」

 

 討論が白熱している天子と霊夢はもちろん、それを見守る月見も、神社の骨組みを着々と作り上げていく妖怪たちも。

 そして……なんだかんだで、紫だって。

 みんな、笑っている。気に食わないことや辛いこともあったけれど、それは全部終わった話。これからは、同じ場所で一緒に生活をしていく仲間だから。

 

「……お前には、礼を言わないとな」

「? なんで? あいつのことを認めたから?」

 

 いや、と月見は小さく首を振った。まったくの的外れではないが、それよりも大きく勝る感謝の気持ちがあった。

 首を傾げる紫を見返して、おどけるように口端を曲げる。

 

「あの子を受け入れてくれるような、優しい幻想郷をつくってくれたことに……かな」

 

 完成した当初は、本当に完成したとは胸を張れないほど上手く行かないこともあった幻想郷だけれど。今やここは、種族を問わず皆が笑い合えるあたたかい世界に成長した。

 こういう世界があればいいと、夢想したことは昔から何度もある。そして、それはもう夢ではない。まぶたを上げればすぐ目の前に、夢が現実となった光景が広がっていることを、月見は心の底から素晴らしいと思うのだ。

 虚を衝かれて紫がくるりと目を丸くした。それから数秒間、ゆっくりと、頬が色づいていって。

 

「……ありがと、月見」

 

 やがてこぼれた微笑みは、心に柔らかな日射しを落としたように、あたたかかった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 もちろん、落成式など名ばかりである。

 要はみんな、酒が呑みたいのである。

 

「みんなー! 香霖のとこから旨い酒をかっぱらっ――じゃなかった、お裾分けしてもらってきたぜー!」

「こっちも! 天界から秘蔵のお酒をかっぱらっ――じゃなかった、分けてもらってきたわー!」

「私だって! 外の世界から高級なお酒をかっぱらっ――じゃなかった、買ってきたわよー!」

 

 新生博麗神社の落成式、兼、比那名居天子の歓迎会である。暇を持て余す山の妖怪たちが寄ってたかってフル稼働した結果、工事はわずか一日で完了した。そして庭の手入れと家具や神具の運び入れがあらかた終われば、待っているのは当然宴会というのが幻想郷の習わしであった。幻想郷の宴会は時間を選ばす、まだ太陽の高い真っ昼間だろうが関係ない。

 この宴会のためだけに余った木材で特大のテーブルを作っている者がおり、酒や食材を次々運んでくる者がおり、仲間を呼びに飛んで行く者がおり、新しい母屋の台所で鍋を振るっている者がいる。そのどれにも属することなく、博麗霊夢はたったひとり、ご神木の幹に背中を預けてため息をついている。

 

「はーあ。せっかくお賽銭箱も新しくなったってのに」

 

 工事を手伝いもしなかったくせにタダ飯をしようとしている連中も含め、参加者はざっと眺めただけで百は下るまいし、ひょっとしたら二百にすら迫るのかもしれない。総じて宴会好きな幻想郷の住人たちとはいえ、これほどの大人数が集まるのは珍しい。

 これが全員参拝客だったなら、きっと今の霊夢は幸せだった。これが全員参拝客ではないので、今の霊夢は憂鬱だった。

 艶のある木目に金具で堅牢な装飾を加えた、博麗神社の新しい素敵なお賽銭箱に、お金を入れてくれたのは今のところ月見と天子だけだ。早くも馬鹿騒ぎの様相を呈しつつあるその他の人間妖怪神様諸々は、わかっていたこととはいえ、拝殿の方へは近寄りもしてくれない。

 まあ、今回は霊夢もタダで酒を呑んで美味しいご飯を食べられるので、目を瞑るけれど。

 

「……霊夢は、交ざってこないのか?」

 

 いきなり隣から声が聞こえて、少しびっくりしてしまった。振り向けば、一体いつからそこにいたのか、月見が銀の尻尾を麦穂のように揺らしている。半分ぼうっとしていたせいで、声を掛けられるまで気づかなかった。

 

「月見さん……びっくりさせないでよ」

 

 喉で笑った月見は詫びるでもなく、

 

「随分と、考え事をしてたみたいじゃないか」

「んー。これがみんな参拝客だったらいいのにって」

 

 正直に答えたら、またくつくつと笑われた。それほど変なことを言ったつもりはないのだが、月見の笑顔はこんな時でも裏表がなく穏やかなので、そう悪い気はしない。

 

「お料理はもう終わったの?」

「もうすぐ運べるよ」

 

 結局、神社と母屋の設計は従来のものをそっくりそのまま踏襲した。デザインはもちろん、大きさも場所もすべて丸々だ。「今までずっと暮らしてきた場所を別物にしちゃうなんて嫌!」と頑に主張する霊夢が紫を感動させた――などという話があるはずもなく、ただ設計を考えるのが面倒くさかっただけである。

 変わったところといえば精々、建物がボロくなくなって、一部家具の置き場所が変わったくらい。今までとまったく同じ場所に、まったく同じ形で建っている母屋からは、段々と美味しい香りが漂ってきていた。

 

「まあ、みんな私よりもずっと料理が上手いから、ほとんどやることなんてなかったけどね」

「ふーん。月見さんのお料理、私は好きだけどなあ」

「おや、ありがとう」

 

 もちろん、月見の腕前が藍や妖夢や咲夜よりも上だとは思っていない。けれど霊夢は、月見の作る料理の味が好きだった。特別手が込んでいるわけでもなく、特別な味付けをしているわけでもない素朴な味わいは、もともと質素な生活を好む霊夢の舌によく馴染んだ。藍たちが作る懐石料理みたいな品々は、舌が肥えていない霊夢には少し合わない節があるのだ。……無論、タダで食べられるなら喜んでいただくが。

 だから月に何度か、水月苑まで遊びに行って料理をご馳走してもらうのは、ここ最近になって加わった霊夢のささやかな楽しみだ。

 霊夢は月見を見て、

 

「ねえ。……ちょっと、話しない?」

「? 構わないけど」

 

 ご神木の根本に腰を下ろす。それを見た月見も同じように、よっこらせ、と座り込む。人間ならば三十代とも言いづらい若い見た目をしているくせに、猫背で胡座をかく姿がまるでおじいちゃんみたいだったから、霊夢はくすっと笑った。

 

「月見さん、それじゃあまるでおじいちゃんみたい」

「実際、おじいちゃんだよ。私より長生きしてる妖怪なんてそうそういないはずだ」

「じゃあ今回の異変は、おじいちゃんの体には少し堪えたかしら?」

「ああ、そうだね」

 

 月見は後ろに両手をついて、胸を反らして空を見上げ、

 

「……今回ばかりは、本当に疲れたよ」

 

 本当にその通りだと、霊夢は思う。今までの異変なら、首謀者を弾幕でボコればそれで終わりだった。弾幕ごっこで幻想郷随一の実力を持つ霊夢なら、特別難しい役目でもなかったのだ。

 なのに今回はどういうわけか、神社が壊れるわ紫が暴走するわ天子が殺されそうになるわ緋色の雲を消し飛ばせと言われるわ。

 もしも月見がいなかったら、自分と魔理沙だけだったら、今この風景に辿り着くことは決してできなかった。紫に敗れ、天子を失い、そしてすべてをなかったことにされた偽りの日常を生きていたのだろう。

 一人の少女が目の前からいなくなったことすら、思い出すこともなく、のうのうと。

 考えただけで鳥肌が立つ。

 

「……月見さんには、ほんとに感謝しないとね」

「それを言ったら私だって、お前には感謝しているよ」

 

 首を振った。まぶたを下ろせば甦る。一閃の下に斬り捨てられた天子が、血の飛沫をまき散らし崩れ落ちていく。思い出すだけで体が凍えるようだ。動かなくなった天子をただ見ていることしかできなかった己が、すべてを解決してくれた月見に感謝されるなんて、ちゃんちゃらおかしな話ではないか。

 だが、

 

「わぷっ――ちょっと、なにするのよ」

 

 ガシガシと、ほとんど叩いているのと大差ないほど乱暴に頭を撫でられて、霊夢は月見の腕を素早く振り払う。

 それを、月見は気にした風でもなく、

 

「なに暗い顔しているんだよ。私に感謝されるのは迷惑だったか?」

「そんなんじゃ……ただ、私は天子を守りきれなかったし、月見さんに感謝される権利なんて、ないって思っただけで」

 

 またガシガシしようと伸びてきた月見の右腕を、すかさず掴み取る。

 

「っ……月見さん、さっきからなんなの? 私、頭撫でられて喜ぶような年頃はとっくに終わったんだけど」

 

 だが月見は男性で、しかも妖怪だから、力は少女で人間な霊夢よりずっと強い。両手を使って抵抗しても負けてしまいそうだ。押し切られそうになる一歩手前でぷるぷる震えていると、月見が白い歯で笑って、

 

「そうか? 随分と、ませたことを言う子もいたものだと思って、ね!」

「わわっ……!?」

 

 右手に気を取られている隙に、左手でガシガシされた。それで慌てて左手を止めようとしたら、今度は右でガシガシ。右を止めようとすれば左でガシガシ。そのうちどちらも止められなくなってしまって、両手でガシガシガシガシガシガシ。

 もおーっ! と両腕を滅茶苦茶に振り回した。

 

「子ども扱いしないでったらっ! 確かに私は、あなたの歳からすればまだまだ子どもなんでしょうけどね、」

「――ありがとう、霊夢」

 

 と。

 顔を真っ赤にして怒っている自分がおかしいとすら思えるくらいに、優しく柔らかな言葉だった。

 霊夢が続けるはずだった言葉を見失っているうちに、

 

「お前はちゃんと、私との約束を守ってくれたさ。あそこで元気に走り回っている子は一体誰だ?」

 

 月見が指を差した先では、天子が子犬みたいに走り回って食器の準備をしている。

 月見が言いたいことはわかる。月見と交わした約束は、「天子を死なせないでくれ」だった。天子はああして生きている。だから、約束を守れなかったわけではない。

 わかってはいるのだ。

 

「……でも、天子を守りきれなかったのは、事実」

「だがお前がいてくれなければ、私は間に合わなかったかもしれない。お前がいてくれたから私は間に合ったし、天子だって助かったんだ」

 

 ひょっとしたら、月見の言う通りなのかもしれない。実際、幻想郷最強格の大妖怪相手に、霊夢という人間はよくやった方なのだろう。ただしそれは、紫の心に大きな葛藤があったからこそのことだったけれど。

 もしも紫に初めから迷いがなければ、きっと一瞬で終わってしまっていた。

 実力ではない。ただ、運がよかっただけなのだ。

 

「……月見さんには、わからないかもしれないけどね。私、怖いのよ。怖かったんじゃなくて、今だって怖い。……天子が、斬られた時の、こと」

 

 多分、トラウマになってしまっているのだと思う。人が死にゆく姿を見たのは初めてだった。あんなにも、人の死の足音をすぐ耳元で聞かされたのは初めてだった。目の前で動かなくなった者に、手を伸ばすことすらできない己の無力は、今でも繰り返し夢で甦るほど恐ろしかった。

 

「正直言えば、今すぐにでも忘れちゃいたいくらいなんだけど……でも、忘れちゃダメなんだと思う。私ね、自慢するわけじゃないけど、弾幕ごっこはかなり強いからさ。スペルカードルールが根付いた今の幻想郷でなら、割と怖いものなしだって思ってたの」

 

 いざこざが起これば、スペルカードルールに則った決闘で白黒をつけるのが今の時代の習わし。それが当たり前だったから、スペルカードルールを取り払った時にどういうことが起こるのかなんて忘れていたし、思い出そうともしていなかった。

 その答えが、きっと天子であり、月見であり、紫であり、そして霊夢だった。妖怪(ゆかり)はその気になればいつだって人間(てんし)の命を奪うことができ、それを人間(れいむ)は見ていることしかできなくて、止められるのは、同じ力を持った妖怪(つくみ)だけ。

 スペルカードルールがなければ、人はあんなにも無力なのだと。そのために、スペルカードルールというものが生まれたのだと。弾幕ごっこで数々の妖怪を蹴散らした記憶に埋もれ、忘れてしまっていた。

 だから霊夢は、戒めなければならない。網膜に焼きついた悲劇の光景を、二度と繰り返さないために。

 

「だからお願い、あんまり優しくしないで。じゃないと私、きっと自分で自分を許しちゃう」

 

 そして、忘れてしまう。あの時天子を失いかけた恐怖も、守れなかった痛みも。

 

「……」

 

 月見の感謝を無下にするような拒絶は、きっと失礼だったろう。けれど月見は眉ひとつ歪めることなく、ただ雲がまっすぐ伸びていくように、静かに長く、息を吐いて。

 霊夢の背を、大きく広げた掌で二回、叩いた。

 叱咤するように。

 

「確かに、それも必要なことなのかもしれないな」

 

 でも、と。霊夢ではなく、走り回る天子を見つめながら、

 

「なにも、天子のために頑張った自分の想いまで、否定することはないんじゃないか」

「そんなこと……」

 

 答えかけてから霊夢は考えて、それから言い直した。

 

「そんなことないわ。そもそも、私が天子のために頑張ったってのが間違い。私はただ、あのまま天子を殺されたら、自分が納得できなくて嫌だっただけ。だから、天子のためじゃなくて自分のために」

 

 霊夢の言葉を遮って、月見がくつくつと笑った。喉を痙攣させるような笑みだった。

 

「私も、似たようなことを天子に言ったよ。……そしたら、バカ、って言われた」

「……」

「それにお前、私たちが雲を消し飛ばす時に、先陣切って天子を応援してたじゃないか。喉を痛めて声も掠れてたのに、まるでお構いなしでさ。あれも自分のためか?」

「あ、あれは……っ」

 

 咄嗟に言い返そうとしたが、なぜかどうしようもなく焦ってしまって、上手く言葉を見つけられなかった。月見の指摘はもっともだ。確かにあの時霊夢は、潰れた喉で声を張り上げる痛みを懸命に耐え忍んでいた。苦しむくらいならやめておけばいいのに、黙ってはおれなかった。けれど、天子のためだったわけでは決してない。ないったらない。あくまで、中途半端な終わり方をされては自分が納得できないからであって、最後の最後で諦めかけていた天子に苛立ったからであって、

 

「はっはっは」

「……」

 

 けれど呑気に笑う月見を見ていたら、反論する気持ちも引っ込んでしまった。月見は、霊夢をからかって遊んでいるわけではない。霊夢の中に芽生えた感情を喜び、慈しむ、父親のような姿だった。

 ほんのさっきまで、おじいちゃんみたいだったくせに。なるほど、月見を「お父さんみたい」と言って慕うあの吸血鬼は、彼のこういう姿に惹き寄せられたのかもしれない。

 吐息。

 

「……月見さんも、天子のためだった?」

 

 苦し紛れのつもりでそう問うたら、月見は隠そうとすることもなく、ああ、とはっきり頷いた。

 

「結局は、そうだったのかもしれないな。……見てご覧」

 

 月見が母屋の方を指差す。つられて視線を動かしたら、あろうことか天子が、顔面から、へぐぅっと玉砂利の中に突撃したところだった。甲斐甲斐しく宴会の準備に奔走するあまり、足を滑らせたらしい。どっと周囲が沸き立つ中、「わっ、笑わないでよっ!」と手で地団駄を踏んでいる。

 月見は笑みを深めて、

 

「可愛げのあるやつじゃないか。……死なせるには、惜しすぎるよ」

 

 天子が転んだ瞬間、ちゃっかり背後からカメラのシャッターを切っていた鴉天狗の青年が、『天子ちゃんマジ天使!クラブ』に流れる動きで拉致され、境内の隅で袋叩きにされている。

 そんなアホくさい光景を眺めていたら、霊夢も自然と、体から力が抜けていた。

 

「……そうね」

 

 苦笑、

 

「死なせるには、惜しいやつよね」

 

 博麗霊夢は、自分と他人の線引きを冷淡に行い、損得勘定で動く人間である。自分は自分、他人は他人であり、自分にとって都合のいい人物だけがいい人であり、他はどうでもいい。月見は賽銭を入れてくれるしご飯を作ってくれるからすごくいい人。紫はインスタント味噌汁を持ってきてくれるし、なんだかんだでよく面倒を見てくれるからまあいい人。森近霖之助はツケがどうこうさえ言わなければいい人。魔理沙はただの腐れ縁。賽銭も入れてくれない妖怪なんて知ったこっちゃない。

 天子と関わったところで、これといっていいことがあるわけではないだろう。むしろ博麗神社をぶっ壊してくれただけ、損得をいえば大損もいいところだ。

 でも、なぜかはわからないけれど。

 不思議と、あいつだけは。

 

「……ねえ、月見さん」

 

 怪我はないかとファンクラブの面々に詰め寄られ、わたわたおろおろしている天子の横顔を見ているうちに、霊夢の唇は自然と言葉を紡いでいた。

 

「私、修行しようと思うの。……スペルカードルールに頼らなくても、人ひとりくらいは守れるように」

 

 無論霊夢だって、博麗の名を継ぐ者だ。今の幻想郷には、スペルカードルールを理解できるほどの知能を持たない妖怪が少なからずいるし、そういった連中の退治を依頼されることだってある以上、妖怪を倒すための術は押しなべて心得ている。そして、今まではそれで充分だと思っていた。

 だが今回の一件で、大妖怪と呼ばれる者たちが、自分とはまるで別の次元にいることを改めて思い知った。……まあ、比較対象が紫なので、些か極端すぎるかもしれないけれど。

 ともかく今のままでは、きっとまたいつか、繰り返してしまう。またいつか、守りたい人を守ることもできず、ただ叫ぶことしかできない日が来てしまう。

 そんなのはもう、嫌だから。

 

「……なぜ、その話を私に?」

「手伝ってよ」

 

 月見の顔を、下から覗き込んだ。

 

「月見さんって、妹紅に修行つけてあげてた時期があったんでしょ?」

「あれは、修行でもなんでもなくただ戦ってただけだよ」

「それでもいいから」

 

 というか、そっちの方が自分の性に合っている。霊夢は、頭ではなく体で理解して覚えるタイプだから。例えば紫のような、やれそれはこうするべきだのあれはこうするべきだのと、事あるたびにネチネチ言う教え方は嫌いだ。

 自分が体で理解できるまで、辛抱強く、一緒に戦ってくれる人がいい。

 そしてそれは、きっと、月見なのだろうなと思う。

 

「ダメかしら?」

「いや……」

 

 言い淀んだ月見は意外そうに腕を組んで、

 

「逆に訊くが、私でいいのか?」

 

 知り合いだけは多い霊夢なので、頼めそうな相手ならもちろん月見以外にもいる。萃香あたりなら、きっと大喜びして相手になってくれることだろう。

 けれどやっぱり、選べるのであれば、月見がいいと思う。

 なんというか。

 月見と一緒なら、強くなれる、気がしたから。

 だから、言った。

 

「月見さんじゃないと、ダメ」

 

 吹き出すように、月見が笑った。

 

「ッハハハ。そこまで言われちゃったら、断ろうにも断れないね」

 

 暇な時でよければね、と。そう言って、微笑んでくれたので。

 

「……うん。お願い」

 

 これは本当に博麗霊夢なのだろうかと、自分で自分に苦笑した。少し前の自分だったら、こんなことは天地がひっくり返っても言い出さなかったはずだ。修行なんてかったるい。紫や魔理沙からは呆れられるが、そんなのしなくたって弾幕ごっこはもう充分強いし、妖怪退治で困ることもないから構いやしない。――ほら、修行してよかったと思ったことも、修行してなくて後悔したこともないし。

 けれど今回の異変では、喉が潰れるほどに後悔した。せめて自分にもう少し力があれば血は流れなかったかもしれないと、もう何百回悔いたかもわからない。

 後悔、できるようになったのだ。自分でも知らないところで、博麗霊夢は思いの外変わっていた。

 そういえば今年に入ってから、今までより思いの外変わった者たちは随分と多い。傲慢だったレミリアは物腰が多少柔らかくなり、冷淡な女だった咲夜は年頃の女の子らしくなり、深窓のお姫様めいていた輝夜はアウトドアなお転婆姫になり、早苗は獣耳が好きというよくわからない趣味を隠さなくなり、人が好物だったはずのルーミアは水月苑で釣りを楽しむ人畜無害の妖怪となり、阿求はどこか陰りのあった笑顔が吹っ切れたように明るくなり、霖之助は「君も月見を見習って……」と小言がやかましくなり、紫はただの残念になった。

 いい意味でも、悪い意味でも。

 今年になってから――正確には春がやってきてから変わった者たちの、随分とまあ多いこと。きっと霊夢が知らないだけで、実際はもっと多いのだろう。

 これは、単なる偶然なのだろうか。それともどこぞの、底抜けに優しくて世話焼きな妖怪のせいなのだろうか。

 歓声が聞こえた。

 

「ん。そろそろっぽいわね」

 

 いつの間にか完成していた特大テーブルに、藍や妖夢など料理上手な面々が配膳を始めている。風に乗って漂ってきた料理の香りが、反則的なまでに霊夢の鼻腔をくすぐった。

 肉だ。

 最後にお肉を食べたのは、いつだっけ。テンション上がってきた。

 

「霊夢ー! 月見ー! そろそろ始まるよー!?」

 

 折りよく天子から声を掛かったので、霊夢は月見と二人揃って、よっこらせと腰を上げた。それからふと、宴会の輪の中心で天子が手招きしているこの光景が、噛み締めるほど尊いものであるように思えて、実際歯を噛み締めながら、霊夢は大きく手を振り返した。

 

「今行くー!」

 

 名を呼ばれこうも元気ハツラツな返事をするのだって、今までじゃあ絶対ありえなかった。博麗神社の新生に合わせて自分までもが生まれ変わったみたいで、なんだか少しくすぐったい。

 けれどそれは、思いの外、悪い感覚ではなかったので。

 

「ほら、行きましょ!」

「ああ」

 

 月見の袖を引っ張って、力強く地を蹴り出す。

 お・に・くーっ! と。そんなことを、考えながら。

 

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――そんじゃあ、音頭取りは天子がやるわよー! みんな、ちゅーもーく!」

「ちょっと待ってよー!?」

 

 そして天子は涙目になった。宴会の準備がすべてつつがなく完了し、さあいよいよ乾杯だという頃合いになって、やっぱり初めの挨拶は霊夢なのかなーなどと考えていたらなぜか自分が前に叩き出されていた。百人以上にもなる参加者たちの視線が全身をくまなく直撃する。ひいい、と天子は五歩ほど後退する。

 こういう挨拶はあまり得意ではない。というか嫌いだ。得意という人の方が珍しいはずだ。一体なにが楽しくて、大勢の視線に晒される中でスピーチなぞしなくてはならないのか。元々考えるよりも先に口が動くタイプなので喋れることは喋れるのだが、勢い任せ故に変なことを行ってしまったり、思いっきり舌を噛んでしまったり、ふとした瞬間頭が真っ白になってなにも言えなくなってしまったりと、押しなべていい思い出がない。

 焦る天子を煽るように、霊夢が野次を飛ばしてくる。

 

「ほらー、あんまりみんなを待たせちゃダメでしょー? さっさとなさい」

「こ、これは神社の落成式なんだから、霊夢がいいと思うなあ!」

「なに言ってんの、落成式なんてただの建前よ。これはあんたの歓迎会。だからあんたが挨拶するのは当然でしょ」

「で、でもぉ!」

 

 せめて前もって言ってくれればやりようもあったのに、いきなりだなんてあんまりすぎる。しかも味方がいない。なにかと天子を助けてくれるファンクラブの面々も含め、みんなが期待の瞳で天子を見ている。一部は河童製のボイスレコーダーまで装備している有り様である。天子の頭は早くも真っ白となり、体は砂漠の砂と化して崩れ落ちそうだった。

 文字通りの大弱り。であれば、天子が救いを求める先は当然、

 

「つ、月見~……」

「あんた、困った時にすぐ月見さん頼るのやめなさい。どんだけ依存してんのよ」

「うぐっ」

 

 霊夢に一刀両断され、天子は胸を押さえて呻いた。……もしかしてそうなんじゃないかと自分でも疑っていたが、やっぱり依存しているのだろうか。ここ最近、月見が傍にいてくれるととても安心する。長時間離れると、なんとなく不安で落ち着かなくなってしまう。ちょっとでも困ったことがあると、条件反射みたいに月見の姿を捜してしまう。

 今だってほら、人垣の中から月見を見つけるだけで、緊張でバクバクしていた心臓が少し穏やかになる。……「いつも月見さんばっかりいいいぃぃ!」と怒り心頭で襲いかかってくる男たちを尻尾でぺしぺし弾き飛ばしているのは、この際あまり気にしないでおこうと思う。

 あらかたの男たちを迎撃したところで月見が、

 

「無理そうだったら、私が代わろうか?」

「月見さん、甘やかしちゃダメよ」

 

 どうやら霊夢は、なにがなんでも天子に喋らせたいらしい。いじわるだ。

 霊夢の刺のある視線を、月見はやんわりと受け止めて、

 

「無理だったら、だよ。せっかくの機会だし、みんなに言いたいことがあるなら言ってみたらどうだ?」

 

 なにか、言いたいことがあるんじゃないのか? ――言葉なき言葉でそう問われ、天子は少しの間、考えた。言われてみれば確かに、みんなの前で話ができる機会はこれが初めてだ。今になって初めて気がつくけれど、そもそも天子は、月見以外のみんなにまともな自己紹介すらしていない。

 

「……」

 

 右手に持った盃の中で、酒の波紋が音もなく静まっていく。みんなが行儀よく口を閉じて、天子の言葉を待っている。天子はまぶたを下ろし、ゆっくりと長く、深呼吸をする。

 前を見た。

 

「……皆さん、こんにちは。はじめまして、の人もいるのかな。比那名居天子です」

「「「こんにちはあーっ!!」」」

 

 予想外の大合唱が返ってきて、後ろにひっくり返るかと思った。慌てて踏み留まり、

 

「え、ええっと! ……まずは、その……みんなもう知ってると思うけど、私は異変を起こしました。みんなに、色々と迷惑掛けちゃったと思います。ごめんなさい」

 

 頭を下げた瞬間、口々にいろんな言葉が飛んできた。すべてを聞き取ることはできなかったけれど、気にするなとか、幻想郷じゃああんなの日常茶飯事よとか、むしろ今までの異変と比べると物足りなかったなーとか、どれもが天子を気遣ってくれる温かい言葉だった。

 それだけでもう天子は泣きそうになってしまったけれど、頑張って続けた。

 

「……霊夢と、紫も。神社を壊しちゃって、ごめんなさい」

「その話はもういいのよ」

 

 霊夢は手首を縦に振って、

 

「元々ボロっちい神社だったり、むしろ建て直すのにちょうどいい機会だったわ。ねえ紫?」

「はいはい、私はなにも言いませんよーだ」

 

 紫がぷーいとそっぽを向くけれど、決して霊夢の言葉を否定はしない。ふと天子と目が合って、彼女は肩を竦めた。

 

「ほら、続けなさいな」

「う、うん」

 

 緋色の雲を払ったあの日以来、紫が天子を否定することはなくなった。神社の建て直し工事では散々いじめられたし、言葉の端々にもやや刺があるので、紫自身、まだ自分の心にちゃんと整理をつけられたわけではないのだと思う。

 だがそれでも、続けなさいと――このまま話し続けてもいいと、言ってくれる。普通だったら、帰れと叫ばれても仕方ないはずなのに。

 本当にありがたくて、なんだか目元が湿っぽい。

 

「えっと、みんな、本当にありがとう。……私が異変を起こした理由は、もうみんな知ってると思います。あんなことしかできなかった私だけど、でも、なんていうのかな。楽しくやっていけたらいいなって、思ってるので」

 

 みんなの前で改めてこんなことを言うのはすごく恥ずかしくて、心臓はバクバクで唇と舌はパサパサだった。けれど、決してこの言葉を途切れさせはしない。

 これは、なにも変われなかった今までの自分に告げる別れの言葉。今までの自分では、きっと口が裂けても言えなかった言葉。

 帽子が落ちてしまいそうになるくらい深く、頭を下げて。

 

「……なかよくしてくれると、嬉しいです。よろしくお願いします」

 

 比那名居天子は、弱くなった。他者を拒絶し、孤高に、孤独に、けれど一人でも強く生きていた頃へはもう戻れない。

 誰かと共に過ごす日々の彩りを、知ってしまった。

 誰かの腕に抱かれるぬくもりを、知ってしまった。

 ――人に甘える、ということを、知ってしまった。

 だから天子は、誰かと共に生きていきたい。月見と。月見の周りの人たちと。たくさんの人たちとたくさんのことを体験して、たくさん笑って、時には怒ったり泣いたりもするかもしれないけれど、最後にはやっぱり笑って生きていきたい。

 

「――ほら、いつまで頭下げてんのよ」

 

 呆れたような霊夢の声が聞こえて、天子は恐る恐る顔を上げる。皆が盃を天子へ向けている。こっちはいつでも準備オーケーだと言うように、抑えきれない不敵な笑みをにじませている。

 

「宴会の挨拶は、頭下げて終わりじゃないでしょ? まだ、大切な一言が残ってるじゃない」

 

 うんうん、とみんなが一斉に頷く。それだけだ。みんなが口端を吊り上げて笑うばかりで、天子の言葉に答えてくれる人はひとりもいない。

 けれどそれでも、天子は息を呑むほどに嬉しかった。宴会を始めるにあたって欠かしてはならない『あの言葉』を、みんなが今か今かと待ち侘びている。天子が叫ぶ時を待っている。自分たちが叫ぶ時を待っている。

 鳥肌が一気に立ち上がってきて、目元が潤み、鼻の奥がツンと痛んだ。声が出てしまいそうになるのを必死に我慢した。右手の盃から、お酒がちょっぴりこぼれてしまった。狙いすましたように、頑張れー頑張れーと茶々が飛んでくる。ちょっとだけ、咳き込むような、おかしな声が出てしまう。

 胸が張り裂けそうだった。嬉しすぎて、もはや痛みすら感じた。

 ――なかよくしてくれると嬉しい? そんなの言われるまでもない。

 そんな言葉が聞こえてしまうのは、自分勝手だろうか?

 

「っ……」

 

 涙を拭う。比那名居天子は、このあたたかさが大好きだ。ここにある営みが大好きだ。時にはすれ違ったり、失敗してしまったりして、喧嘩をしたり涙を流したり、決して綺麗なことばかりではないけれど。

 それでも最後には、なんだかんだで、みんなが一緒になって笑っている。

 世界も種族も性別も年齢も、すべてを清々しく取っ払った、いのちを営むあたたかさ。

 その中心に、自分がいるのだ。ようやく、いられるようになったのだ。

 だから、叫んだ。

 

「そ、それではぁっ!」

 

 それは思っていた以上に情けない涙声だったけれど、構いやしない。

 

「新生・博麗神社の完成を祝して!」

「天子の幻想郷デビューを祝してー!」

 

 霊夢から予想外の合いの手を入れられたって、なんのその。

 

「「「祝してーっ!!」」」

「ありがとー!」

 

 津波みたいな大合唱が来たって、もう怯まない。

 だって私、今がこんなにも、幸せなんだもの。

 だから、笑え。太陽の光すら、弾き返すように。

 

 盃を高く掲げ

 胸いっぱいに息を吸って

 

 見果てぬ青の先まで、どこまでも、どこまでも。

 

 

「――かんぱあああああいっ!!」

「「「かんぱあああああいっ!!」」」

 

 

 ……ひょっとしたら少し、泣き笑いみたいになってしまったかもしれないけれど。

 それはそれ。今までの人生で一番の笑顔だったはずだと、天子はちょっぴり、自惚れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――東方緋想天、了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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