銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第7話 「守矢神社とっても素敵なところ!(自称) ②」

 

 

 

 

 

 月見と射命丸文は、かつて月見が幻想郷に住んでいた頃からの旧知であるが、その関係はお世辞にもよいとはいえない。むしろ悪い。互いを憎み合う犬猿の仲ではないにせよ、月見は文から大層嫌われているのであった。

 月見が嫌われることになった理由は、かつて幻想郷で生活していた頃の、とある出来事がきっかけになっているのだけれど――。

 

「……まあ、それは射命丸個人にも関わることだし、私の一存では話せないかな」

「はあ、そうなんですか……?」

 

 どうして嫌われてるんですか? ――その早苗の追究を、月見はやんわりと断る。文個人のプライベートに関わるのは事実だし、月見としても、なるべく思い出したくない出来事なのだ。

 早苗はしばし疑問符を浮かべたままだったが、やがて詮なしと判断したのか、視線の先を“彼女”へと変えた。部屋の隅。早苗が持ってきた枕に頭を埋めて、文が寝かされている。

 

「それで、どうしましょう。文さん……」

「どうするもなにもねえ……」

 

 諏訪子の弾幕によって見事に気絶した彼女は、未だ目を覚ます様子がない。なので、起きるまで待つしかないのが大前提なのだけれど。

 では文が目を覚ました時、月見はどうするべきなのだろうか。正直、また一悶着起こって騒がしくなってしまうのは必至だと思えた。

 ならばいっそのこと、

 

「射命丸が目を覚ます前に、帰ってしまった方がいいかもな」

「そ、そこまでするんですか?」

 

 早苗が目を丸くして驚きの声を上げた。

 月見も、その行動の問題性は充分に理解している。まるで会うのが嫌だから逃げ帰ったように取れるし、文への印象も最悪だろう。

 なれどもそんなことをするまでもなく、月見の文への印象は既に最悪なのである。

 

「しかし、目を覚ましたらまた……ねえ」

「そ、そこまで嫌われてるなんて」

 

 早苗の瞳は、驚愕のあまりに震えているようにすら見えた。

 

「文さん、誰にでも社交的で明るいのに……」

「……」

 

 月見は今なお眠る文を見遣った。

 確かに彼女がこの守矢神社にやって来た時、早苗を呼ぶ声はとても気さくで明るく、社交性であふれていた。しかしながら、月見にとってはそれこそが意外なのだ。

 月見がかつて幻想郷で生活していた頃は、文はそれこそ絵に描いたような天狗――仲間意識が強く、仲間以外には排他的――であった。そんな文が人間と親しく交流している姿など、月見には俄に想像できない。

 月見が外の世界を跋渉していた500年の間に、幻想郷の住人たちもまた変わっているということなのだろう。紫や操は、あいかわらずだったけれど。

 

「う、ううん……」

 

 と、そうこう考えている内に、文が意識を取り戻したらしい。仰向けの状態から寝返りを打って体をこちら側に倒し、そしてやにわに開かれたその瞳と、はたと目線が合う。

 

「……ッ!」

 

 文は、すぐに跳ね起きた。一瞬で視線を周囲に巡らせ状況を把握すると、こちらを鋭く()めつけて刃のごとき警戒を露わにする。腰に伸ばされた手はすぐさま紅葉扇を抜けるよう、既にその柄へと添えられていた。

 幸いここが人の家故に思い留まったようだが、人目がない場所だったらそのまま斬りかかられていたのだろうか。やれやれ、と月見は内心で低く苦笑する。

 

「……あんた、なんでこんなところにいるのよ」

 

 来たのは、嫌悪と敵意が剥き出しにされた問い掛けだ。隣で、早苗が気圧されたように浅く息を詰めたのが聞こえる。

 月見は肩を竦め、それから答えた。

 

「久し振りに戻ってきたんだよ。……それより、怪我はないか?」

 

 文は眉間に深い皺を刻み、ふんと小鼻を鳴らした。

 

「あんたに心配される義理なんてないわよ」

(ちょ、月見さん……私、さすがにこれは予想外なんですけど)

 

 早苗の唖然とした耳打ちに、月見は苦笑することだけを返答とした。文のこの反応、月見にとってはむしろ予想通りだった。

 

「あ、文さん。文さんって、どうしてそんなに月見さんを嫌ってるんですか……?」

 

 早苗が、乾いた笑顔を貼りつけながら文へと問い掛ける。途端、文の仏頂面が、あからさまに人のよさそうな愛想笑いへと変わった。

 

「ごめんなさい早苗さん、それは企業秘密ということで」

「そ、そうですか……」

 

 直後、こちらに鋭く視線を戻すや否や、また敵意全開の不機嫌面に。

 

「あんたも、まさか戻ってきて早々言い触らしてなんかないでしょうね」

「なんで今更そんなことしなきゃならないんだよ。誰にも話してないって……」

 

 瞬きすら許さぬその百面相に、月見は思わず舌を巻いた。同時に、ここまで露骨に嫌われている自分が少しだけ悲しくなってくる。まあ、仕方のないことではあるのだけれども。

 それっきり、全員沈黙。なんとも気まずい静寂の中で、やっぱり帰っておいた方がよかったかなあ、と月見はふっと後悔した。

 

「え、ええっと! あ、文さんは、今日は私に取材をしに来たんですよね!?」

 

 その沈黙に耐えられなかったのだろう。いかにも考えなしといった風で、早苗がそう声高に口を切った。文はその意図を瞬時に汲み取り、あっという間の百面相で満面の笑顔を咲かす。

 

「はい、そうですよ! 今、お時間大丈夫ですか?」

「はい! いいですよね、月見さん?」

 

 早苗なりに、この気まずい雰囲気をどうにかしようと気を遣ったのだろう。是非もないと、月見は二つ返事を返した。

 

「ああ、構わないよ」

「ありがとうございます! それじゃあ文さん、いいですよ!」

「わかりました! ちょっと待っててくださいね~」

 

 文はよしきたとばかりに元気よく文花帖を取り出し――けれども最後にもう一度だけこちらを睨みつけて、地に響く声でこう言った。

 

「邪魔しないでよ」

「……しないよ」

 

 ふん、とまた不愉快そうに鼻を鳴らされる。

 やっぱり嫌われてるんだなあ、と月見は肩を落とすことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――それじゃあ次の質問ですね! ええと、幻想郷にやって来て半年、人々からの信仰はどのくらい集まってますか?」

「そうですねー、正直まだ充分とは言えないですけど……」

 

 文が社交的だという早苗の談は、寸分の違いなく事実であった。テーブルを挟んで差し向かい早苗に取材を行う文は、月見が誰だこいつはと思う程度には明るく、快活だった。

 顔を爛々と輝かせ、口調もそれなりに礼儀正しく、そして口八丁。途切れることなく、しかし相手に喋らせすぎないように適度な間を挟んで質問を投げ掛け、時に的確な相槌を打って、欲しい情報を次々と引き出していく。月見が知る文の姿とは比べるべくもない。まさに別人だった。

 

「へえー、月見とあのブン屋って仲悪いんだ。それは意外だあ」

 

 月見はその取材の声を背にしながら、目を覚ました神奈子、諏訪子とともに縁側で日光浴をしていた。諏訪子はあいかわらず月見の尻尾にひっついていて、神奈子はボロボロになった髪をしきりに手櫛で整えている。

 注ぐ陽光がとても暖かく、月見は、文のつっけんどんな態度で傷ついた心がじんわり癒されていくのを感じていた。傍らで尻尾を抱き締めながら尋ねてきた諏訪子に、そうだねえと締まらない返事を返す。

 

「あの子もとても社交的になったみたいだし、今や私だけが嫌われ者だね」

「一体なにしちゃったわけ? よかったら教えてよ」

「それについては黙秘権を行使するよ」

「ああ、ということは教えられないようなことをしたと」

「いや、下らないことだよ。……下らなすぎて思い出すのも億劫なくらいね」

「だったら」

 

 月見は諏訪子の頭を軽く叩いて、それ以上の言葉を押し止めた。

 

「知りたいんだったら射命丸に直接訊いてくれ。……言い触らすなって、ついさっき釘を刺されたばかりだからね」

「むう……」

 

 不満顔の諏訪子に、隣から神奈子も肩を叩く。

 

「ま、そっとしといてやりなよ。あの鴉天狗も、本気で知られたくないみたいだったしね」

「ふーん……一体なにやらかしたんだかー」

 

 そう唇を尖らせつつも、諏訪子に追究してくる素振りはなかった。尻尾を抱いたまま後ろに寝そべり、もふー、もふー、と右へ左へ転がって遊び始める。

 

「でも、意外ではあるよね」

「なにがだ?」

 

 神奈子が、バツの悪そうな微苦笑を浮かべた。

 

「ほら、あんたって基本的に人付き合い上手い方だろう? 誰とでもすぐ仲良くなれるっていうか。だから、良くも悪くも気さくなあの天狗と反りが合わないってのが意外だなって」

「……ふむ」

 

 確かに昔から、人付き合いについては上手くこなしている自覚がある。いわゆる“仲が悪い”関係にあるのは文と、あとは佐渡に住んでいるあの狸妖怪くらいで、他は概ね以上に良好だ。この神社にやって来る前にも、厄神の少女と白狼天狗に知り合ってきた。

 しかし、記憶を遠く遡れば、やはり反りの合わないまま終わった相手というのもぽつぽついる。

 

「まあ、誰とでも仲良くなれるわけではないということだね」

「まあね。けどあんたのことだ。案外その内、ひょっと仲直りしちゃったりするんだろうね」

「……そうだといいけどね」

 

 呟く言葉には、ため息が混じる。およそ500年の長いインターバルがあったにも関わらず、文は未だあの出来事をしぶとく根に持ち続けているのだ。……仲直りは、もしできるとしても、一筋縄ではいかないだろう。

 

「じゃあ、最後の質問です!」

 

 背後で一層高く張り上げられた声に、月見は振り返った。文が、今までの純粋に取材を楽しむ笑顔を、会心のいたずらを仕掛けようとする子どものようににやついたそれに変えている。なにか嫌な予感を感じたのか、早苗がやや身を後ろに引いていた。

 文はテーブルに両手を乗せて身を乗り出すことでその距離を詰め、問うた。

 

「早苗さん。ぶっちゃけ、今好きな男性とかいます?」

「――はい?」

 

 唐突の問いに、早苗は目を丸くして呆然と動きを停止。沈黙の中でゆっくりと五秒が経過し、しかして早苗の顔が、ボンと煙を上げて真っ赤になった。

 

「い、いやいやいやいや! そんな、好きな人なんて!?」

「あやや、なにやら怪しい反応ですね! もしかしているんですか!?」

「いや、す、好きだなんてそんな! ただちょっといいなあって思ってるだけで、ってなに言わせるんですかあああああ!」

「いるんですねー!? さあ、さっさとゲロって楽になっちゃって下さーい!」

 

 ははあ、と月見は内心唸り声を上げた。あの文が、人の色恋話にまで興味津々になっている。記憶にある姿とはまったく見違えるばかりで、感心するやら呆れるやらだ。

 ぎゃーぎゃー騒ぎ合う二人を姦しいなあと思い眺めていると、隣で神奈子と諏訪子が不思議そうに顔を見合わせていた。

 

「あれ……早苗に好きな男なんていたっけ、諏訪子?」

「んーん、知らない……。いつの間にそんな相手ができたんだろ」

「ん? お前たちも知らないのか?」

「ああ。てか早苗はここしばらく、男と会ってすらいなかったと思うけど」

「もしかして案外、月見だったりしてねー。なーんて」

「……、」

 

 喉をころころ鳴らしながらの諏訪子の軽口を、月見は咄嗟に否定できなかった。拝殿の前で初めて出会った時の、早苗のあの恍惚とした表情が思い出されて、冗談が冗談に聞こえなかったのだ。

 

「で、ですからその、恋愛感情どうこうは関係なくて、ただちょっと、こう……ね?」

「や、全然わかりませんから。――だから正直にぶっちゃけちゃいましょー!」

「も、黙秘権ー! 黙秘権を行使させてくださいー!」

 

 目を輝かせながら詰め寄る文と、彼女を両手で必死に押し返す早苗。それだけならば別段どうということはない。故に問題は、そうする傍らで早苗が、こちらをチラチラ横目で窺ってきていることだ。

 やがて、神奈子と諏訪子もそれに気がつき始める。

 

「……あれ? これってもしかして」

「え? あれ? ……まさか、ほんとに?」

 

 唖然とした様子で、神奈子と諏訪子が同時にこちらを見てきた。月見は黙秘権を行使した。

 やがて文も早苗の目の動きに気づいたのか、詰め寄るのをやめて彼女の目線を追った。そしてその先にいるのが月見だと知ると同時、冗談でしょとでも言うかのように頬を大きく引きつらす。

 ――奇遇だな、射命丸。私も同じ心境だ。

 

「……ま、まさか」

 

 文はギシギシと立て付けの悪い動きで頭を戻して、

 

「早苗さん。……まさか、あいつ、とか?」

「……………………」

 

 文がこちらを指差し精一杯に搾り出した言葉に対し、早苗は俯き、沈黙した。図星を突かれて返す言葉がない、とでも言うかのごとく。

 唐突に、周囲の雑音がすべて消え失せた。張り詰めた空気の中で、「ええと、あの」と、早苗が言い淀む音だけが響く。

 そして遂に、

 

「これにはそのー、深い深い事情があってですねー……」

 

 遂に早苗は、文の言葉を肯定したのだった。

 

「「――うわあああああ!」」

 

 真っ先に反応したのは神奈子と諏訪子。二人は風のような速さで早苗を文からひったくると、先ほどまでの文に負けず劣らずに勢いで、早苗を質問攻めにし始めた。「いや、違うんです! だから深い事情があるんですよ、お二方が期待してるようなのとは違うんです!」揉みくちゃにされながら早苗が必死に叫ぶけれど、二人は耳も貸さない。

 

 ……さて、と月見は考えた。私は一体どうすればいいんだ、と。

 もはやここまで来れば、あの「『どうか僕を、あなたの犬にしてください』って言ってくれませんか?」という発言は、間違いなく本音だったという線が濃い。ならば早苗には少なからず、月見を犬にしたいという願望があるとでもいうのか? ……本当にどうすればいいんだ、と月見は頭を抱えた。

 とりあえず、私は狐だよ、犬じゃないよ、と説明を……いやいや、そういう問題ではない。

一体全体どういうことなんだと、月見は戦慄を隠すことができなかった。

 

「――じゃあ私、取材が終わったんで帰りますから」

 

 不意にそう響いた声で、月見はこの場に文がいることを思い出した。あれだけしつこく食い下がって手に入れた情報だ、さぞかし満足しているのだろう――と思ったのだけれど、文は心底気に食わないといった体で顔をしかめていた。その鋭さたるや、少し前に月見が向けられたあの刃のような睥睨にも劣らない。

 それに気づいたのは月見だけ。早苗は言うまでもなく、神奈子も諏訪子も、そもそも文の声を聞いてすらいなかった。

 文はそうしておもむろに立ち上がると、こちらに向かって一直線に歩いてくる。そしてそのまま横を通り過ぎ、

 

「あ、おい」

 

 月見の制止の声も聞かず、あっという間に空へ飛び去っていってしまった。

 妙だな、と月見は思う。今の文は表情もさることながら、声にだって背筋が寒くなるほどの不機嫌さがにじみ出ていた。どうやら、早苗の回答が心底お気に召さなかったらしい。

 果たしてそれがなにを意味するのか、月見は思案してみるけれど――

 

「わ、わかりました! 全部、全部話します! そーですよ東風谷早苗は月見さんが気になってますー、でもそれにはちゃんとした理由があるんです! だから聞いてくださいってば――――!?」

 

 背後で上がった早苗の悲鳴を聞いて、吐息一つで考えを打ち切った。そう、今月見が最優先すべきことは真実の究明。『どうか僕を、あなたの犬にしてください』って言ってくれませんか? ――この発言の真意を探ることである。

 そしてその真実いかんによっては、お互いの今後について、早苗と真剣に語り合うのも辞さない覚悟だ。

 どうか犬にされるような事態だけは勘弁してほしいものだと、そう思いながら、月見はすっかり重くなってしまった腰をよいしょと持ち上げた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

『――どうか僕を、あなたの犬にしてください』

 

 月見の目の前で、燕尾服姿の青年が少女に向けて跪く。真っ白い平面の世界。黒線で仕切られ、いくつもの小さな空間に分かれている。その上に、黒いインクを使って描き出された光景は――世間一般では、マンガ、という通称で親しまれているもので。

 

 合点が行ったと、月見は浅くため息を漏らした。

 

「……なるほど、そういうことね」

 

 事実関係をまとめると、以下のようになる。

 このマンガには、九尾の銀狐――正確に言えば『九尾の狐の先祖返り』――の青年が登場する。そして彼は主人公である少女に対し非常に盲目的な忠誠を誓っていて、その盲信さを如実に表したセリフが、件の――

 

「『どうか僕を、あなたの犬にしてください』……――アッハハハハハハハハハハ!! アハ、ハハハ、ブワッハハハハハハハハハハ!!」

「か、神奈子さまあ! ちょっと笑い過ぎじゃないですか!?」

「いや、ハハハ、だって、ハハ、こ、これっ、ハ――フヒッ」

「神奈子さまあああああ!」

「ウハハハハハハハハハハ!!」

 

 「どうか僕を、あなたの犬にしてください」。その言葉はなにを隠そう、この青年が作中で主人公に対して宣うセリフだったのだ。

 

 腹を抱き締めて、畳をあちこちへ転げ回る神奈子。その反応ももっともなのだろうと、月見は思った。……当事者である身としては、乾いた笑いしか出てこないのだけれど。

 そんな神奈子をナチュラルに無視し、同じくこのマンガを読んでいた諏訪子が、首を傾げて早苗に問うた。

 

「んーと、つまりこういうこと? 早苗はこのマンガのこの男がお気に入りで、銀色の狐ってところが月見と被ったから、このセリフを言ってほしかったと。……だから月見のことが気になってるってのはそういう意味であって、決して惚れてるわけじゃないと?」

「ええ、まあ……」

「あーなるほどねー。早苗って昔っからアニメやマンガが大好きだったからねえ」

 

 諏訪子は納得したように何度も頷き、でも、と続けて、

 

「こういうマニアックなのを好き好むってのは、ちょっとアレだねえ……」

「諏訪子様、そこはマニアックじゃなくて是非メニアックと」

 

 諏訪子は笑顔で無視した。

 

「でも、別に月見とこのキャラが似てるってわけじゃなくない? 月見はこんなにカッコいい顔じゃないよ」

「いやまあ、それはそうなんですけど……あっ、いやいや月見さんが決してカッコ悪いというわけじゃなくてですね、こう、ベクトルが違うカッコいいなんですよ! このキャラみたいに甘~い感じじゃなくて、なんといいますか、大人びた優しい魅力が……」

 

 そこで早苗は諏訪子にニヤニヤとした笑みで見られていることに気づき、顔を赤くしながら縮こまってしまった。それからなんとも気まずそうな上目遣いでこちらを見てくるけれど、月見は曖昧な苦笑を返すに留めた。

 詰まるところ、早苗が月見に興味を持ったのは、『マンガのキャラ』というフィルター越しでのこと。ならば事態は、月見が忌避していたほど重篤ではない。あくまでこのキャラクターと同じ銀の狐である月見にセリフを再現してほしいというだけで、決して月見を犬にしたいという欲望があるわけではないのだ。

 ――そう、だよな……?

 いまいち、断言し切れないのだけれど。

 

「……あー、笑った笑った。なんか向こう一年分笑った気がするわ」

「……神奈子様」

 

 いつの間にか、神奈子が腹筋崩壊地獄から復活していた。腹をさすりながら体を起こした彼女は、涙目を拭って、仏頂面で頬を膨らませた早苗に「ごめんごめん」と謝る。

 

「早苗がこのキャラに月見を重ねてたってのもそうなんだけどさ、月見がもしこんな感じのやつだったらと思うと、もう堪らなくてねえ」

「……」

 

 月見は何気なしに、手に持っていたそのマンガをペラペラとめくった。

 めくって、めくって、めくって――。

 

「いや、さすがに私はこんなことしないからね?」

 

 具体的になにを見たのかは、割愛。

 この青年、自分の部屋を主人公の写真で埋め尽くしたりしていたような気がしたが、気のせいだろう。

 

「いや、だからこそ面白いんじゃないか。ちょっとほら、ねえねえ、このセリフ言ってみてくれないかい? 絶対面白いからさ」

 

 神奈子はマンガを一冊手に取り、あるページを開いてそれをこちらに見せてくる。

 そこに書かれているセリフは、ああ、紛うことなき。

 

「ほら、この『どうか僕を、あなたの犬にしてください』ってやつ」

 

 月見は神奈子の頭を尻尾でひっぱたいた。

 

「あ痛ー……」

「……」

「うわっなんか不潔なモノを見る目っ。いいじゃないかい減るもんじゃないし、ほら、ちょうど早苗もあんたにコレを言ってほしいみたいだし?」

「うええ!? か、神奈子様、それはその……」

 

 早苗がビクッと大声を上げたけれど、やはりというか、神奈子の言葉を否定したりは決してしない。実に、実に申し訳なさそうな上目遣いで、縮こまりながらこちらを見つめてくるのだ。

 ――ああ、なんだか頭が痛くなってきた。

 

「早苗。私は、狐なんだけどね」

「いやいや、別に月見さんを本当に犬にしたいとかそんなことないですよ!? ……た、たぶん」

「……」

 

 せっかくの弁明も、最後に付け加えられてしまった一言ですべてが台無しである。月見は眉間に刻まれてしまった皺を一生懸命に揉み解す。

 と、いつの間にか背後に回っていた神奈子が、いきなりこちらをホールドしてきた。

 

「っ、おい神奈子」

「ふっふっふ、ダメだよ月見、早苗に言うまで帰らせないからあ~いたたたたた! し、しまった尻尾ホールドできてなかった! いたいいたいっ!」

「よぉし神奈子、尻尾は私に任せて! 必殺、諏訪子ダイビーング! アンドスペシャルホールドー! うおーもふー!」

 

 更に尻尾に諏訪子がひっついて、完全に身動きが取れなくなる。

 

「おい、お前らっ……」

「ちょ、神奈子様、諏訪子様! ダメですよそんなご迷惑……」

「早苗ッ……! あんた、この千載一遇のチャンスをフイにしていいのかい!?」

「ッ!? か、神奈子様……!」

「そうだよ! 私と神奈子が時間を稼いでるうちに早くっ!」

「そーい!」

 

 月見は諏訪子がひっついたままの尻尾を強引に持ち上げて、それで神奈子の頭をひっぱたいた。

 思わぬクリティカルヒットになった。二人の頭同士がぶつかる、ゴチンといういい音が鳴る。

 

「「ッ……! ッ……!」」

 

 頭を押さえて畳をのたうち回る二人を、月見は当然ながら無視。早苗を見て、有無を言わせぬように圧力を込めて、微笑んだ。

 びくーん、と早苗の肩が跳ねる。

 

「早苗。私たちはまだ会ったばかりだしね? そういう露骨な話は、されても困るというか」

「……」

「親しい者同士なら……いや、親しいならいいかという問題でもないけど、ともかくそういうことはあまり人に言わない方がいいんじゃないかな」

「……ひゃい。そうですね……」

「ひゃい」

 

 びくーん。

 

「え、ええ、全然大丈夫です! そ、そうですよね! こういうメニアックなお話はやっぱりもっと仲良くなってからじゃないと!」

「ひゃい」

「と、とととっともかく! 確認しますけど、アレは単純な好奇心であって、決して私にそういうやましい心があるわけではないのでっ! ええ、なんてったって守矢神社の風祝ですもの! とってもピュアでいい子なんですよっ!」

 

 いや、仲良くなったとしてもあんなセリフを言うつもりなどないぞとか、本当にピュアならそもそもこういうマンガは読まないんじゃないだろうかとか、思うことは色々とあったけれど。

 しかし月見は、まあいいか、とため息一つで受け入れた。好奇心でついついという心情は、月見にも比較的共感できるものだったりする。月見も興味本位で首を突っ込んで痛い目を見たり、他人に迷惑を掛けたり、往々にしてそうやって生きてきたものだ。

 ある意味では、似たもの同士ともいえるのだろうか。月見は苦笑し、神奈子たちが読み散らかしたマンガを一カ所に積み重ねながら言った。

 

「ひゃいひゃい。なるべくピュアな関係を希望するよ」

「……え、ええと。ええ、心配には及びません、よ?」

「ひゃい」

「あ、あの。もしかして私、いじめられてますか」

 

 早苗が涙目でぷるぷる震え始めたので、これ以上はやめておこうか、と月見は判断。同時に、そろそろお暇しようかな、などと考えた。

 守矢神社は過去に何度も訪れているので、今更改めて見て回るようなこともないだろう。ならば早めに出発して、より多くの時間を紅魔館などの新天地の開拓に当てたいものだ。

 ……決して、さっさと帰りたいというわけではない。断じて。

 

「じゃあ、私はそろそろ帰ろうかな。他に回りたいところもあるし」

「あ、そうなんですか? どちらの方まで?」

「紅魔館、とかね」

「あー、レミリアさんのところですか……」

 

 こちらの言葉に、早苗はうーんと難しい表情。腕を組んで考え込む仕草は、

 

「なにか問題でも?」

「いえ……その、レミリアさん――紅魔館の主人である立場の吸血鬼ですね。あの方はちょっと気難しいというか、冗談が通じないところがあるんで、さっき月見さんが私にしたようなことをすると……」

「ひゃい、ってやつかな?」

「……は、はい、そうです」

 

 「はい」にしっかりアクセントをつけて、咳払い。

 

「そういうことをするときっと真に受けて怒っちゃうと思うので、気をつけてくださいね?」

「ひゃ――じゃない、うん、大丈夫だよ。だからほら、涙目になるのはやめてくれないかな」

「~~っ!」

 

 早苗は非常に物言いたげな様子でふるふる震えたのち、こちらから目を逸らして恥ずかしそうに身を縮めた。

 

「月見さん、いじわるです……」

「ハッハッハ、すまないねえ」

「全然すまなそうじゃないですよぉー……」

 

 実際、口先である。きっと好奇心の強いところが影響してるんだろうな、と月見は思った。

 

「月見さん、天然黒(ピュアブラック)なんですか?」

「ピュアブラック? なんだいそれは」

「えっと、このマンガの――ああっ、そんな露骨に嫌そうな顔しないでくださいよー! お、面白いんですよこれ! 月見さんも読んでみますか、お貸ししますよ!?」

「いや、いいから」

 

 両の掌を見せつつ丁重にお断りする。

 早苗はしょぼくれた。

 

「やっぱり、こういう文化が幻想郷に普及するにはまだ時間が掛かるんですね……。でも負けません、いつか必ず月見さんに『どうか僕をあなたの下僕に』って言わせたいなあとか思ってませんよ全然!? 違います違います今のは嘘です冗談ですバグなんです、だから無言で帰ろうとしないでください待ってくださいそんなことされたら心が折れちゃいますからー!」

「ええい放せ早苗っ、私はもう帰るんだっ」

「わ、わかりました、もう止めません。ですからこれだけ覚えて帰りましょう? 『守矢神社とっても素敵なところ』! はい、リピートアフタミー!」

「守矢神社こわい」

「月見さあああああん!?」

 

 早苗の叫び声に耳朶を打たれながら、月見はしみじみ昔を懐かしんだ。かつて月見が知り合った守矢の風祝たちは、みんながお淑やかで上品で礼儀正しい、まさに『大和撫子』を絵に描いたような女性たちばかりだった。なのに今月見の腰にしがみついているこの少女は、一体どこでおかしくなってしまったのだろう。

 マニアック――早苗の言葉を借りれば、メニアックか。ともかく彼女、はっちゃけている。

 

「は、発音がよくなかったんですかね! じゃあもう一度だけ言いますよ! 守矢神社とっても素敵なところ、す・て・き・な・と・こ・ろ! はい、とっても大事なことなので二回言っちゃいました! これで大丈夫ですよね!?」

「こわい」

「ごめんなさいごめんなさい私が悪かったです初対面なのに本当に失礼なことをしてしまいました申し訳ないですごめんなさいだから許してくださいー!?」

 

 ああ、この早苗だけでも、意識を放棄したくなるくらいに手に負えないのに。

 

「いったたたぁ……あーうー、ようやく痛みが治まって――って月見、なに勝手に帰ろうとしてんの!? 神奈子起きてっ、月見が逃げちゃうっ!」

「なんだって!? 待ちなよ、あのセリフ言うまで帰さないって言ったろー!?」

 

 そのうち、復活した諏訪子と神奈子までもが背中に飛びついてきてしまったので、月見はバランスを崩して前のめりに転倒。

 

「月見さんお願いです、話を聞いてくださいいいい!」

「逃さないよー月見ー! そしてさりげなく尻尾もふー!」

「一回だけ! 一回だけでいいからさ、言ってみておくれよー!」

 

 早苗、諏訪子、神奈子。控えめに見ても器量よしな女三人に揃って押し倒されるというシチュエーションで、しかし月見の心にあるのは、「もう嫌だ」という四文字のみ。割と本気で、守矢神社にやって来たことを後悔し始めてきていた。

 

 その後、身動きの取れない月見が結局あのセリフを言う羽目になったのかどうかは――面倒なので、もう、割愛。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 どうにも虫の居所が悪い、と射命丸文は感じていた。胸の奥にわだかまる釈然としない不快感に、眉はずっと曲がりっぱなしになったまま戻ってくれない。

 あれから新聞を作るべく家に戻ったはいいものの、体の中を虫に喰われているかのような感覚に、どうにもスイッチが切り替わってくれなかった。

 

「……」

 

 原因ははっきりしていた。早苗に取材した内容を漏らすことなくメモした文花帖。その中に書かれた、たった一行の短いメモ。

 

・早苗さんは、月見が好き?

 

 その一文が、なぜかはわからないが、どうしようもないほどに不愉快だったのだ。

 

「……」

 

 なぜだろう。『月見』なんて名前をはっきり書いてあるから、あいつの姿を思い出して不快になるのだろうか。ありえない話でもない。意気揚々と取材に出掛けたらどうやら外の世界から戻ってきたらしいあいつと出くわす羽目になって、ただでさえ機嫌が悪い状態だ。この名前が拍車を掛けている可能性は充分にある。

 けれど、新聞が書けなくなってしまうくらいに調子が落ちるなんて、今までに一度もなかったことだ。このメモは、どうやらそれほどまでに文にとって不快なものらしい。

 

「…………む~」

 

 文はしばらくの間、厳しい表情でメモを睨んで呻いた。このメモがなぜここまで不愉快なのか、理由ははっきりとしない。先ほど考えた可能性で合っているのだろうとは思うが、なんとなく、それだけではないような気もする。一方で、それ以外の理由など皆目見当もつかない。

 

「むぅ」

 

 結局、どれだけ頭を茹でさせても答えなんて見つからなかったので、文は最も単純な解決策を取ることにした。

 

「……うん」

 

 小さく頷くとペンを取り、メモの上に大きな打ち消し線を引っ張る。勢いよく二本。それからページを破り取って、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てた。

 あいもかわらず、理由はわからなかったけれど。

 そうやってメモをなかったことにすると、ほんのちょっとだけ、スカッとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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