銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第71話 「すとらいくあっぷ・ふれんどしっぷ ①」

 

 

 

 

 

 仕方のないことだったと、誰しもが言う。

 そうなのかもしれない。実際、ほんの半年ほど前までフランは精神を狂気に侵されていたし、そのせいで能力を暴発させてしまうことも少なくなかったし、人から避けられたり恐れられたりするのは必然だったといえた。

 それはフランも、仕方のないことだったと理解している。

 しかし同時に、それはもう過去の話であるはずだ。月見と出会い、レミリアと和解して、フランは狂気を跳ね返す堅い絆を手に入れた。あの日以来は能力が暴発したことも、狂って我を失ってしまったことも一度としてない。自分で言うのもなんだけれど、プライドばかりが高くて素直じゃない姉とは比べ物にならないくらい、人畜無害な女の子になれたと思っている。

 だから未だ、フランに月見以外の『友達』がいないのは。

 決して仕方のないことなのではなく、ただ、自分の勇気が足りないせいなのだ。

 

「お疲れ、美鈴」

「あ、妹様。お疲れ様ですー」

 

 ある夏の異変があった。山の空が緋色の雲で覆われた異変は、ある臆病な女の子が、幻想郷の世界へ踏み出すきっかけとするために起こした異変だった。

 それだけのためにわざわざ異変を起こすなんて、変なの。姉はそう言って呆れていたが、フランは変だとは思わなかった。確かに比那名居天子の行動は、回りくどくて、傍迷惑で、決して褒められたものではなかったかもしれない。でもフランは褒める。すごいと思う。だって天子は、たとえどれほど回りくどくても、傍迷惑でも、自分の意志で行動を起こしたのだから。

 勇気が出なくてなにもできない自分とは、大違いだ。

 

「今日もお出掛けですか?」

「うん。いつものところに」

 

 月見と出会い、水月苑へ遊びに行くようになってから、フランの世界は間違いなく広がった。話をする人がたくさん増えた。名前を知っている人がたくさん増えた。妹にしたいと言ってくれる人がたくさん増えた。けれど友達だと思えるほど打ち解けた相手は、未だに月見だけだった。

 月見はフランの大切な友達であり、命の恩人であり、お父さんみたいに甘えられる唯一の相手だ。どれだけべったりしても、咲夜が羨ましそうな顔をするくらいべったりしても、嫌な顔ひとつせずいくらでも受け入れてくれる。「お前は甘やかされるのが上手だね」といつだったか月見は言っていたが、それを言ったら月見だって、甘えさせてくれるのがすごく上手だと思う。

 月見はきっと、フランが一言助けを求めれば、いくらでも快く世話を焼いてくれるのだろう。

 だからこそ、いつまでも甘えてちゃダメだよねと思うのだ。

 

「そうですか……頑張ってくださいね」

「うん。ありがと」

 

 フランドール・スカーレットは、今日もこっそりと紅魔館を抜け出す。就寝時間をいつもよりちょっと後ろへずらし、過保護な姉がすやすや眠る頃合いを見計らって。咲夜に眠気覚ましの珈琲を淹れてもらい、日光対策のクリームを塗ってもらって。

 お供には、姉と同じデザインの日傘を一本。

 

「じゃあ、行ってくるね」

「はい。いってらっしゃいませ」

 

 今日も門の警護に勤しむ家族へ手を振って、フランドール・スカーレットは歩いていく。

 自分の足で。自分の意志で。

 自分の力で、友達をつくるために。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 月見は幻想郷で一番、紅魔館をよく訪ねてくれる客らしい。一週間に何度も来てくださるのは月見様くらいですと、いつだったか咲夜が嬉しそうに言っていたのを思い出す。

 自覚はある。紅魔館が誇る大図書館は月見のお気に入りの場所だし、なによりこっちから顔を出してやらないと、咲夜とフランが拗ねるのだ。「月見様、最近紅魔館にいらしてくれませんよねー」「ねー」と二人揃ってジト目で文句を言われた時のことはよく覚えている。お陰様で紅魔館は、水月苑を除いて月見が最も入り浸っている場所なのである。

 だからだろうか。最近は買い物や散歩の道すがら、特に用事がなくても、紅魔館の方へふらっと立ち寄る機会が増えた。水月苑と距離が近いご近所さんだというのもあるのだろう。その日、決して意識したわけではないのだけれど、天気がいいから散歩をしようと思い立った月見がまず向かったのは紅魔館だった。

 

「……うん?」

 

 足を止めたのは、紅魔館の血みどろな屋根を眼下に控えた頃だった。

 背が高い鉄製の門の前に、美鈴ともう一人、誰かがいた。日傘の下にすっぽりと隠れて、その姿は見えないけれど。

 

「……レミリアかな?」

 

 あの日傘は、確かレミリアのお気に入りだったと記憶している。しかし自信はない。夜行性の彼女がこんな朝早くから外を出歩くとは、俄に考えづらかった。

 月見が首をひねっている間に、美鈴と何事か話をしたらしい何者かは、森へ――霧の湖の方へ――歩いていってしまう。

 

「?」

 

 なんだったのだろうかと疑問に思うが、美鈴に訊けば済むことだと判断し、

 

「美鈴」

「……あ、月見さん。おはようございますー」

「ああ、おはよう」

 

 門の前に降り立って、人懐こい笑顔で迎えてくれた美鈴に尋ねた。

 

「今、レミリアがいたか?」

「え? ……あー、見ちゃってましたか」

 

 美鈴が困ったように頬を指で掻いた。それが、あまり好意的な反応には見えなかったので、

 

「……見なかったことにした方がいいか?」

「いえいえ、そこまでのことじゃないですよ」

 

 美鈴は控えめに両手を振り、それから、うーむと難しそうに腕組みをした。

 

「あー、でも、妹様には黙っていてもらえると……」

「ということは、なにかフラン絡みかい」

 

 だったら、レミリアがこんな朝早くから出歩いているのも納得だ。大切な妹のためなら、きっと日傘だってかなぐり捨ててみせることだろう。

 

「はい。お嬢様は、妹様を追って霧の湖に向かったんですけど」

「へえ……あの子、湖に行ってるのか」

 

 少し、意外に思う。霧の湖は、こういってはなんだがあまり面白い場所ではない。湖以外のなにかがあるわけではないし、その名の通り霧がよく立ち込めるので、森林浴にも不向きだ。元気でアホの子な氷精と、少し気弱でふみうな妖精がいなければ、月見だって足を運ぶことはなかっただろう。

 なお月見が散歩がてら霧の湖まで足を運ぶ理由は、チルノとの親睦を深めるためというのが大部分である。どういう経緯かはいまいちわからないが、なぜか月見はチルノからライバル視されてしまっていて、弾幕をぶっ放されるわ水月苑の池を凍らされるわ変な噂を流されるわ、いい加減困っているのでそろそろ和解しておきたいのである。餌付け用のお菓子を忘れてはならない。

 

「しかし、一体なんの用で?」

「んー」

 

 少し考える素振りをした美鈴は、口で語るよりも現場を見せた方がいいと踏んだらしい。

 

「……見に行ってみます?」

 

 湖の方角を指差し、

 

「多分、面白いものが見られると思いますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうもこの少女、初めから隠すつもりなどなかったようだ。月見が答える前からその瞳は「当然行きますよね?」と雄弁に語っていたし、実際月見が頷けば、彼女は訊いてもいないうちからたくさんのことを教えてくれた。

 

「妹様には、『月見には教えないでねっ!』と言われてるんですけどね」

 

 夏の新緑が鮮やかな森を進む中、美鈴は月見の隣でそっと苦笑した。

 

「でも私、月見さんには……他の誰が知らなくても、月見さんにだけは、知っていてほしいって思うんです」

 

 ざっくりとまとめれば。

 フランは夏の異変が終わったあたりからしばしば霧の湖に出掛け、『あること』を成し遂げようと自分一人の力で頑張っている。本人はレミリアの目を盗んで内緒でやっているつもりなのだが、幻想郷一過保護な姉はとっくに気がついており、こそこそと後を追いかけては陰ながらエールを飛ばしている。美鈴を始め、咲夜とパチュリー、小悪魔は、余計な首を突っ込まずあたたかい目で見守っている。

 およそ、そういった内容の話であった。

 

「妹様、本当に頑張ってるんですよ。今までは月見さんにべったりしてばかりでしたけど、いつまでも甘えたままじゃダメだって思ったみたいなんです」

「……そうか」

 

 月見の頬に、自然と穏やかな笑みが浮かんだ。なかなか感慨深い話だった。一緒に寝ようよーとか一緒に温泉入ろうよーとか、何度断っても諦める気配がないあの甘えん坊も、月見が知らないところでいつの間にか成長を始めていたらしい。

 

「いいことだね」

「まったくです。月見さんが初めて来てくださったあの日以来、みんないい意味で変わったので感謝感謝ですよ」

 

 美鈴が明るく笑ったのはほんの一瞬だった。次の瞬間にはため息をついて俯き、月見がギリギリ聞き取れない声でぽつりと、

 

「……まあ、咲夜さんがヤキモチ焼きになっちゃったのはアレですけど」

「なんだって?」

「なんでもないですよー。あ、そろそろ湖に着きますね。では月見さん、ここからはお静かにお願いします。しー、ですよ」

 

 そっと人差し指を立てて言われてしまえば、大人しく黙らざるをえない。そろりそろりと忍び足な美鈴を見習って、月見も物音を立てないよう、次第に霧が出てきた中を慎重に進んでいく。

 白みがかった視界の向こうで、うっすらと揺らめく湖畔が見えた。

 

「このあたりから見ましょうか」

 

 おあつえ向きな茂みに身を隠し、月見と美鈴はぴょこりと頭を出して湖の様子を窺う。霧が濃くなってきたせいでなんの人影も見えないが、無人というわけではなさそうだ。奥の方から声が聞こえる。

 しかし、

 

「……なにやら騒がしいね」

 

 怒鳴り声というか、金切り声というか。

 美鈴が苦笑した。

 

「あはは……やっぱりまたやってるんですね」

 

 騒ぎが段々近づいてくる。湖上を覆う霧のカーテン越しで、二つの小さな影が躍った。「あたい」というフレーズが聞こえたから、片方の影はチルノのようだ。虫の居所が悪いらしく、ぎゃーぎゃーと甲高い声をあげている。

 そしてもうひとつ、荒ぶるチルノを必死に宥めようとしている声が、

 

「――あーもうっ、あんたもいい加減しつこいわね! さっさとあっちへ行っちゃいなさいよーっ!」

「ま、待って! 話を聞いてってばー!?」

 

 フランドール・スカーレット。

 霧をかき分けようやく姿を見せたと思えば、弾幕の雨が降り注ぐ中で、フランがチルノから逃げ惑っていた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 まあそうなるよなあ、と月見は思うのだ。

 霧の湖周辺の自然は、妖精たちにとってひとつのオアシスであるらしい。大きいのからちっこいのまで様々な妖精たちが暮らしていて、時に遊び感覚で徒党を組んでは紅魔館を襲撃し、美鈴や咲夜を困らせている。そんな怖い者知らずな妖精たちのトップに君臨しているのが、同族の中では異様なほど高い力を持つ氷精・チルノだった。

 チルノは妖精でありながら、いっちょまえに仲間意識と縄張り意識に強いところがある。自分たちの憩いの場を侵す部外者を見つければ、それが誰であろうと問答無用で撃退しようとする蛮勇である。今、月見の目の前でフランを追い掛け回しているのも同じ理由なのだろう。

 日傘片手に一生懸命弾幕を回避するフランを見ながら、月見は隣の美鈴に、

 

「面白いものっていうのは、あれのことか?」

「あはは。だって、吸血鬼が妖精から逃げ回ってるんですもん」

 

 美鈴は襲われるフランを心配する素振りもなく、なんとも微笑ましそうな顔をしていた。心配するまでもないのだ。危なっかしいとはいえ所詮は弾幕ごっこだし、そうでなくとも吸血鬼であるフランは、その気になれば目障りな妖精一匹くらい簡単に消し飛ばしてしまえるのだから。

 ではなぜ、フランはチルノを消し飛ばしてしまわないのか。美鈴が逃げるフランを目で追いながら、ほうっと温かいため息をついた。

 

「妹様……妖精たちと、友達になろうとしてるんですよ」

「――そうか。そうだよな」

 

 月見は深く頷いた。なんとなく、そんな気がしていた。フランが霧の湖まで足を運ぶような理由など、きっとそれくらいしかないのだと。

 これは、あの時の続きなのだ。

 幻想郷がまだ春だった頃。藤千代にぶっ飛ばされた月見が、霧の湖に墜落したあとのこと。月見を迎えにきたフランが、妖精たちに恐れられ、避けられた、あの時の。

 

「ほら……この前、天人の子が異変を起こしたじゃないですか。あれに感化されたらしいですよ。私も頑張んなきゃ! って」

 

 実に回りくどくて傍迷惑で、痛々しい失敗もしてしまったけれど、最後は自分の力で夢を掴み取った天子。

 その姿から勇気をもらったんだろうと、美鈴は教えてくれた。まだまだ幼いところもあると思っていた少女たちが、月見の知らないところで影響し合い、成長している。それでこうもえも言われぬ気持ちになってしまうのは、月見が年寄りだからなのだろうか。

「そうか」ともう一度深く頷くセンチメンタルな月見の横で、美鈴がふと小首を傾げた。

 

「あれ? ところで、お嬢様ってどこにいるんでしょう……」

「……そういえば、姿が見えないね」

 

 美鈴の話によれば、幻想郷一過保護な姉は一足先に紅魔館を出発し、頑張るフランをじっくりねっぷり見守っているはずである。美鈴と一緒に捜してみると、

 

「――ああっ、危ないフラン避けてっ! ……よしいいわよ、今だそこで反げ――ってなんで反撃しないのよ! そんな生意気な妖精なんて、ぶっ飛ばしちゃいなさいってばー!」

 

 小さな声がした。月見たちから少し離れたところの茂みで、見慣れた桃色の帽子がぴょこぴょこと飛び跳ねていた。

 

「あ、お嬢様。あんなところに……」

 

 霧でやや霞んでいるが、間違いなくレミリア・スカーレットである。木陰の下で日傘を畳み、両腕をぶんぶん振り回して声援をあげている。

 

「ダメよフランッ、妖精たちと仲良くなりたいのはいいけど、だからってそんな下手に出てちゃあ! いじめっ子なんかに負けちゃダメッ、キチンと実力の差をわからせてあげないと! ほらそこ、隙だらけだから一発――だからぁっ、なんで反撃しないのよもぉーっ!」

 

 もちろんそのエールは、フランに気づかれてしまわないよう、月見たちがギリギリ聞き取れる程度のものでしかなかったけれど。

 美鈴が頬に手を当て、目を弓にした。

 

「ふふ。お嬢様、かわいいですねえ」

「……そうだね」

 

 確かに愛らしい。その代償として、吸血鬼のカリスマは行方不明だけれど。

 云うなれば、テレビの前で一生懸命ヒーローや魔法少女を応援している子どもであった。ああやって陰ながら応援することで、一緒に戦っている気になっているのだ。チルノが派手な弾幕を撃てば顔を青くし、フランがそれを躱せばガッツポーズをし、さあ反撃よっ、あーもうなんでなにもやり返さないのよおっとそればっかり言っている。そればっかりに全神経を総動員させているので、月見たちの存在にはさっぱり気づいていない。

 聞こえるはずもない姉のエールが背を押したのか、フランが意を決して声をあげた。

 

「あ、あのっ! 私は、あなたたちとお話がしたくて、友達に……!」

 

 当然、荒ぶるチルノは聞き耳を持たなかった。

 

「そんなこと言って、あたいたちを油断させて食べちゃうんでしょ!? そーはいかないわよっ!」

「だから違うってばー!?」

 

 猪なのだ。チルノは仲間意識が強く縄張り意識が高く、ついでにアホの子なので一度スイッチが入ってしまうともう止まらない。走り出した彼女を止める方法は三つ、諦めて倒されるか、仕方ないと割り切って倒すか、餌付け用のお菓子をチラつかせるかだ。

 姉のエールに更なる熱が入る。

 

「フランッ……言葉で解決しようとするのも大事だけど、時には実力行使も已むをえないものなのよ……!? だからほら、ちょっとだけでいいから――」

 

 その時チルノの放った一発が、ほんのちょっと――見間違いかと思うほど本当にちょっとだけ――フランの服を掠って、

 

「ああっ、今掠った! あいつの弾幕がフランを掠った!? じょじょじょっ上等じゃない妖精の分際でそっちがその気ならこっちにも考えがあるんだから」

 

 すかさずトチ狂ったレミリアが高く腕を掲げ、赤い妖力で輝く槍を顕現させ、

 

「は?」

 

 月見がそうこぼした瞬間には、既に美鈴は動いていた。

 腰を低く落としたまま、彼女は獣の如き勢いで加速した。地を蹴る音がまったく聞こえない、まるで宙を滑るような走りだった。レミリアとの距離を瞬く間に詰め、その勢いのまま、てーい! とボディプレスを仕掛ける。

 避けられるわけがなかった。

 

「グングにゅむ」

 

 レミリアの体が、美鈴の下に押し潰されて消えた。同時に、あと一歩のところで名を呼んでもらえなかったグングニルが、赤い霧となって消滅していく。

 一秒足らずの出来事である。チルノはまったく気づかず弾幕を撃ち続けており、フランもまた、まったく気づかず弾幕を躱し続けている。月見だけが、美鈴の体の下からはみ出る桃色の裾を眺めている。

 

「……」

 

 とりあえず、合流することにした。茂みから顔が飛び出ないよう、四つん這いでそろそろと移動していく。途中でため息をついた。

 もしも美鈴がいてくれなかったら、今頃は霧の湖の形が変わり、チルノは跡形もなく消し飛んでいたのだろうか。

 

「……美鈴」

「あ、月見さん。いやはや、危なかったですよー。まさかアレを撃とうとするとは私も予想外でした」

 

 美鈴の女性の魅力豊かな体に押し潰され、レミリアはピクリともしない。

 というか、

 

「おい、それ」

「え? ……あ」

「きゅ~……」

 

 打ち所が悪かったらしい。誇り高き吸血鬼は、両目をぐるぐる巻きにしてすっかり伸びてしまっていた。

 美鈴はしばらく黙って、

 

「――さて、お嬢様も大人しくなりましたし戻りましょうか。あんまり長居するとバレちゃいますからね」

「大人しくなったというか、大人しくさせられたというか」

「た、たまたまですたまたま! 決して、私が重いとか、そんなんじゃないですからね!? 決して! 断じて!」

 

 どうしてこの少女はこんなに必死なのだろう。

 ともあれ、紅魔館に戻るのは賛成だ。フランが自分の力で頑張ると決めたのだから、月見もまた、あたたかい気持ちで見守るだけである。

 たとえチルノに仲間たちが加勢し、ますます苛烈な弾幕をフランに浴びせているとしても。

 さすがに息切れを起こしたフランが、もう弾幕を躱すのだけで精一杯で、声をあげる余裕すら失っているとしても。

 

「よーし、みんなもう少しよ! 押せ押せー!」

「だ、だからっ……も、もう、やめ、あう!?」

 

 ……レミリアが気を失っていて、本当によかった。

 フランの努力が報われるのは、もうしばらく先になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 月見がレミリアを抱きかかえ、美鈴が日傘を広げて紅魔館まで戻ってくると、門のところで咲夜が待っていた。

 とてもイイ笑顔だった。美鈴の顔がさーっと青くなった。

 

「あー……さ、咲夜さん……」

「お帰りなさい、中国」

 

 とても可憐な笑顔のはずなのに、なぜか有無を言わさぬ凄みがある。

 

「仕事もしないで、一体どこに行っていたのかしら」

「えぇっと、ですね……」

 

 冷や汗を流す美鈴は少し迷ってから、

 

「その、月見さんと二人で」

「二人で?」

「あーっいや違いますっ、月見さんとお嬢様の三人で! 三人で! 三人ですよ!? 三人ですからね!? 三人で散歩してまして、決して途中まで二人きりだったとかそんなそんな! ……だからナイフはダメですってばあっ!?」

 

 あいかわらず、仲がいい二人であった。

 流れる動きでナイフを抜きかけた咲夜は、しかし途中で月見の存在を気にしたのか、コホンを咳払いをして得物をしまった。今度はなんのプレッシャーも感じない、彼女本来の柔らかな微笑みだった。

 

「いらっしゃいませ、月見様。申し訳ありません、中国がご迷惑をお掛けしてしまって」

「……あの、なんで迷惑を掛けた前提になってるんでしょうか」

 

 美鈴の半目を当然のように無視し、

 

「それに、お嬢様を運んでまでいただいて。本当にありがとうございます……というか、なにがあったのですか?」

「ちょっと、美鈴に誘われてね」

 

 月見が事の顛末を説明したら、最終的に咲夜が白い目で美鈴を見ていた。

 

「中国……月見様には黙っているようにと、あれほど妹様が言っていたのに」

「ご、ごめんなさいっ!? で、でもでも私はただ誘っただけで、実際に行くって言ったのは月見さんで」

「月見様に責任をなすりつけるの?」

「とんでもないです全面的に私が悪いですすみませんでした」

 

 ……本当に仲いいなあ。

 妖怪が人間の、しかもなんてことはない少女相手にヘコヘコする姿を見られるのは、さすがの幻想郷でもここだけだろう。二人の上下関係が厳密にどうなっているのかは知らないが、改めて、だいぶ不思議な光景ではあった。美鈴だって弱い妖怪ではないのだから、咲夜より上とはいわずとも、対等くらいにはなれそうなものだけれど。

 やっぱり、アレだろうか。こうやって周りから不遇に扱われるのを、それはそれで実は楽しんでいるのだろうか。いじめられて喜びを覚えるとは、美鈴もなかなか上級者のようだ。

 怒り狂った椛に追いかけ回されるのを、それはそれで楽しんでいる駄天魔の姿が脳裏に浮かぶ。操、お前にも仲間がいたぞ。

 

「月見さんっ、なにか失礼なこと考えてませんか!?」

「いや、なんでも。……ともあれ、美鈴いじりはこれくらいにして」

「美鈴いじり!?」

「私自身、行くって言ったのは本当だよ。だから、あんまりいじめないでやってくれ」

「そうなんですか……もう、妹様にはちゃんと黙っていてくださいね?」

「私との扱いの差ッ!!」

 

 美鈴がさめざめ涙を流したが、いつものことなので、月見も咲夜も気にしなかった。

 

「さて、いい加減レミリアを寝かせてあげないとね」

「どうぞお入りください。……そういえば、今日はどのようなご用件で紅魔館に?」

 

 用という用があったわけではない。散歩の途中でなんとなく立ち寄っただけであり、まあ強いて言えば、

 

「お前の顔を見に来た」

「へ」

「私の方からも顔を出しておかないと、どこかのメイドさんは不機嫌になるようだからね」

「……、ま、紛らわしいことを仰らないでください、もおっ」

 

 ぷいとそっぽを向かれてしまった。顔を出さないでいるとへそを曲げられ、出したら出したで怒られる。月見は一体どうすればいいのだろう。

 さめざめ泣いていたはずの美鈴がいつの間にか復活して、ニヤニヤと舐めるように咲夜を見ていた。

 

「んんー? 咲夜さん、紛らわしいってなにがですかぁー? 一体なにを勘違いして」

 

 美鈴のチャイナ帽子をナイフが射抜き、そのまままっすぐ飛んで煉瓦塀に突き刺さった。見るも無惨なチャイナ帽子のはやにえである。

 

「……、」

 

 あとほんの数センチ狙いがずれるだけで大惨事だった美鈴は、涙目でぷるぷる震えて、

 

「中国……なにか言った?」

「な、なんにも言ってないですごめんなさぁい!?」

 

 二本目のナイフを構えてにっこり笑顔な咲夜を前に、日傘を放り投げてアツい土下座をキメる。

 というか、日傘、

 

「――あっつうううううい!?」

「ガフッ」

 

 日光に肌を焼かれたレミリアが月見の腕の中で跳ね起きて、その拍子に華麗な裏拳が月見の顎を打ち抜き、

 

「にゃあ!?」

 

 暴れたレミリアは地面に落下し、どすんと盛大な尻餅をついた。

 

「お嬢様、大丈夫ですか!?」

「あ、咲夜……ううう、肌がひりひりするよお~……」

 

 咲夜がすかさず日傘を回収し助けに入る。レミリアが焼かれた肌を涙目でさすっている。美鈴が「あっやっちゃった」みたいな顔をして青くなっている。月見は顎を押さえてぷるぷる震えている。

 レミリアの赤くなった肌と、痛みに呻く月見を交互に見た咲夜はぼそりと、

 

「……帽子だけじゃ足りなかったみたいね」

「あ、あははははは……」

 

 美鈴はそろそろ砂になりそうだった。

 

「もう、いきなりなんなのよぉ……」

 

 ぐすっと鼻をすすったレミリアはまだ頭の理解が追いついていないらしく、涙目をこすりながらあたりをキョロキョロ見回して、月見に気づくなり小首を傾げた。

 

「……なんであなたがいるの? というか、顎押さえてなにしてるのよ」

「……いや、なんでもないよ」

 

 強靱な身体能力を持つ吸血鬼の一撃はかなり効いたが、男一匹月見、泣き言は言わぬ。

 そこでようやくレミリアが、あーっ! と大声をあげた。

 

「なんで私こんなところにいるのよ! フランがっ! フランがあの猪口才妖精に!」

「お、落ち着いてくださいお嬢様!」

 

 日傘から飛び出していこうとした主人を、咲夜が慌てて引きとめた。

 

「妹様は一人で頑張ると仰っていたじゃないですか! 割り込んでしまってはダメです!」

「うぐっ……で、でもあの妖精、フランに弾幕を」

「お嬢様が助けに入って、それで妹様が喜ぶと思いますか?」

「む、むう……」

「妹様なら大丈夫ですよ、お嬢様と同じ吸血鬼なんですから。なので今は傷の手当てをしましょう。万が一跡が残っては大変ですわ」

 

 レミリアはしばらくの間、ふぬぬぬぬぬと苦渋の葛藤を繰り広げていたが、やがて咲夜の言い分を受け入れたようだった。

 少しもどかしそうに、ため息をついた。

 

「……わかったわ。じゃあ、部屋に行きましょう」

「はい。月見様もどうぞ、手当ていたしますので」

「ん? いや、私は大丈」

「……」

「……わかったよ」

 

 そうやって不機嫌そうに頬を膨らませるのは反則ではないかと、月見はつくづく思うのだ。

 

「それにしても、どうして気を失ったりしてたのかしら。なんだか、おっきくて柔らかい饅頭みたいななにかに襲われた気がする……」

「大丈夫ですわ、お嬢様。中国とは、私があとでよーくお話しておきますから」

「…………ああ、そう。そういうことね。おっきくて柔らかい饅頭ってそういうことだったのね。そう。ふふふ」

 

 レミリアが、自分と美鈴の体のある一部分を見比べて、黒く笑う。

 

「咲夜、お話する時は私も呼んで頂戴」

「わかりました」

「ア、アハハハハハ……」

 

 美鈴の瞳から光が消えかけている。

 月見はとりあえず、美鈴の肩をポンと叩いた。彼女は泣いた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 月見の手当てをしている間、咲夜は終始楽しそうだった。

 それ自体は別に構わないのだが、しかしいくらなんでも、脱脂綿に消毒液にピンセットはないと思うのだ。擦りむいたり切ったりしたわけではないし子どもでもないのだから、消毒液で湿らせた脱脂綿をピンセットで持って、「動かないでくださいね~」と患部にちょんちょん押し当てる必要などまったくないはずなのだ。しかし咲夜は一向に聞く耳を持ってくれず、にこにことなんとも楽しそうにしながら、月見の顎を何度も何度もちょんちょんしていた。一分くらいずっとちょんちょんしていた。月見が「咲夜……」と半目を向けたらハッと我に返って、顔中真っ赤にして縮こまっていた。

 それを見たレミリアが、「私より先に月見の手当てなのね……」とだいぶ渋い顔をしていたが、まあさておき。

 必要のなかった手当てが終わり、色々と満足したらしい咲夜から無事解放された月見は、長い廊下を渡って大図書館まで足を伸ばそうとしていた。特に用事があるわけではないのだが、せっかくなので顔くらいは出しておこうと思う。もっともパチュリーは今日も自室にこもって魔術研究をしていて、会えるのは小悪魔だけだろうけど。

 そんなことを考えながら、廊下を曲がった瞬間だった。

 フランがいた。

 

「おっと」

「あっ……」

 

 足音ひとつ立てず、とぼとぼと体を引きずるように歩いていた。あと一歩前へ出ればぶつかる距離で、月見とフランは同時に足を止める。フランの暗い瞳が月見を見上げる。

 

「あ、月見……」

 

 いつもなら出会った瞬間に嬉々と突撃してくるフランが、この時ばかりはビクリと肩を震わせた。あちこち破けた服と、じくじくとした痛みに耐えるような表情から、なにがあったのかは一目瞭然だった。

 だがなにも知らないことになっている立場上、月見はその通りのふりをして答える。

 

「どうしたんだフラン、いつもなら寝てる時間だろう?」

「う、うん……えっとその、ちょっと夜更かし? あの、朝更かしというか」

「それに服も破けてるし……なにかあったのか?」

「ちょ、ちょっと転んじゃって」

 

 天子ほどではないにせよ、フランもまた嘘をつくのが下手な子だった。ここで月見と出会うのが完全に予想外で、見るからに挙動不審で、どうやってこの場を切り抜けようかと一生懸命考えているのがよくわかる。

 月見はそれに気づかないふりをしたまま、

 

「怪我してないか?」

「だ、大丈夫だよ! 心配しないで、こんなの寝ればすぐ治るから!」

「ならいいけど」

「ええと、月見は本を借りに来たの? ごめんね、私、そろそろ寝ようと思ってて。お姉様にも怒られちゃうし……」

「大丈夫だよ。ゆっくりおやすみ」

「う、うん……」

 

 上手く誤魔化せたとすっかり思い込んだフランが、月見の目の前で堂々と胸を撫で下ろした。この子、実はわざとやってるんじゃないかと月見は思う。誤魔化そうとしているのは口だけで、本当は気づいてもらおうとしているとか。きっとレミリアもこんな感じで、フランが自分に隠れてなにかをやっていると悟ったのだろう。

 

「じゃ、じゃあおやすみ」

「ああ」

 

 そう言って月見の脇を通り過ぎようとしたフランが、ふと足を止めた。

 

「……どうした?」

「……うん」

 

 なにかを考えているらしいフランと、少しの間目が合う。フランはすぐに視線を落とし、月見のお腹をしばらく見つめて、それから、

 

「ん」

 

 ぽふ、と月見のお腹に抱きついた。

 

「おっと。……どうした?」

「……んー」

 

 フランは月見の腰をぎゅーっとしたり、お腹にすりすりしたりして、およそ二十秒後、

 

「……ん! ありがと、元気出た!」

「……どうしたしまして?」

 

 なんとなく、本当になんとなく、ツクミン補給ツクミン補給とかつて擦り寄ってきた藤千代の姿が重なった。いや、まさか、フランに限ってそんなことが。

 

「私、頑張るからっ!」

 

 だが真相がどうであれ、フランにもとの笑顔が戻ったのはいいことだったので。

 月見は膝を折って、弓手でフランの帽子を勝手に取り、馬手で頭をわしわしと撫でた。

 

「わわっ」

「よくわからないけど、応援してるぞ」

「あっ……ぅ、ぅー」

 

 嬉しさと悔しさが半々に混じった表情で、フランが赤くなった頬を両手で押さえた。上目遣いで、唇を尖らせ、

 

「もお……月見がそんなんだから、私、いつまでも甘えちゃうんだよ……?」

「ッハハハ。まあ、お前に甘えられるのは嫌いじゃないからね」

「……ぅー」

 

 スカートをぎゅっと握り締めて、顔が見えなくなるくらい深く俯く。耳まで真っ赤になっている。一緒にお風呂に入ろうと笑顔で誘ってくるようなフランが、こうも恥ずかしがるのは珍しいなと思っていると、

 

「……えいっ」

 

 頭に乗った月見の手を振り払ったフランが、今度は首に抱きついてきた。月見の頬を、フランのきめ細かな髪がこそばゆく撫でていく。両腕を月見の後ろでしっかりクロスしながら、彼女はわがままを言うようにささやく。

 

「部屋まで送ってっ」

「いいけど」

 

 今度は大声だった。

 

「私が寝るまで一緒にいてっ!」

「わ、わかったわかった。耳の近くで叫ばないでくれ」

 

 まるで返事をするように、フランが両腕にぎゅっと力を込めた。月見は苦笑しながら左手の帽子をもとの場所に戻し、フランの小さな体を抱いて立ち上がった。

 

「それじゃあ、行くよ」

「……ん」

 

 きっと、何度もチルノに弾幕で追い返されて、何度やってもダメで、少し参ってしまっていたのだと思う。元気出たと笑っていたのも、ただの意地っ張りだったのだろう。恥ずかしがっているように見えたのも、月見の勘違いだったのかもしれない。首に回されたフランの両腕は、ちょっとだけ熱っぽくて。

 そして、震えていた。

 なにかを必死にこらえる息遣いが、月見の耳元で響いていた。

 

「……」

 

 月見はなにも言わず、フランの背中をそっと撫でながら歩いていく。たとえば、チルノに話を聞いてもらいたいならお菓子を持っていくといいとか。大妖精という物分かりのいい子がいるから、そっちに当たってみるのも手だとか。そういう言葉が次々と頭に浮かんでは、音にならないまま消えていった。

 月見は、なにも知らないのだ。

 なにも知らないから、なにも言えない。言ってはいけない。言えば、ひとりで頑張ると決意した彼女の心を、踏み躙ることとなってしまうから。

 

(……大丈夫。大丈夫だよ)

 

 だから月見は、心の中で言葉を紡ぐ。

 

(私はなにも心配していない。お前ならできるって、本気で信じてる)

 

 だって、お前は。

 

(私と友達になった)

 

 生まれた国も、種族も、性別も、体格も、ものの考え方も。なにもかもが違いすぎる私と、お前は友達になった。

 

(恐ろしい妖怪なんかじゃない。狂気に蝕まれていたあの頃とは違う。こういうことで涙を流せるお前は、もう普通の女の子なんだ)

 

 だから、

 

(不安になってもいい。お前が不安になった分だけ、私がお前を信じる)

 

 ――だから、

 

「――負けるな、フラン」

 

 答えは、返ってこなかった。けれど、それでも構いやしなかった。

 首に回ったフランの両腕は、あいかわらず、ぎゅうぎゅうと苦しいくらいだったけれど。

 肩越しに伝わっていた彼女の震えが、いつしかすっかり、治まっていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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