銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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閑話 「重なるアイツ」

 

 

 

 

 

「――うわあああああすげええええええええっ!! いやーかぐや姫って月に帰ったんじゃなかったんだね、ってかそもそも本当に実在したんだね!! ヤバいよヤバいよスペクタクルだようっひゃー超絶ウルトラべっぴんさんんんんんんんん!! 私は女子力五のゴミですよーアハハハハハハハハ!!」

「「……」」

 

 一人でラリっている志弦を、早苗と輝夜は能面みたいな顔で見ていた。

 

 

 

 早苗が志弦に幻想郷の主な土地を案内して回ったのは先日のことだが、本来であれば、その日のうちに永遠亭の訪問も終わっているはずだった。しかし永遠亭は迷いの竹林の奥に立つ診療所であり、迷いの竹林といえば、幻想郷でも指折りの危険地帯として知られる場所である。きちんと道案内をつけなければ、永遠亭に辿り着くのはもちろん、生きて外へ出ることすら難しい大自然の迷宮だ。いくら早苗が優れた力を持つ巫女であっても、そういった場所でわざわざ家族(しづる)を危険に晒す理由などないわけで。

 早い話が、先日は道案内をつかまえることができなかったため、已むなく竹林の入口で引き返したのだ。主に医療の分野で幻想郷から欠かすことのできない施設にもかかわらず、交通の便が最悪というのはどうなのだろうと早苗は常々疑問に思っている。蓬莱山輝夜も、竹林のせいでギンが遊びに来てくれないとか嘆くくらいなら、永遠亭ごと引っ越してしまえばいいのに。そうすれば早苗たちも行き来がしやすくなって一石二鳥なのに。なにか理由があるのだろうか。

 仕切り直しの日は別にいつでもよかった。今すぐ顔を見せに行かなければならないほど重要な相手でもないので、今度近くを通ったときでいいかと早苗は軽く考えていた。しかし、そこで志弦が予想以上の勢いで食い下がった。

 彼女は声を大にして訴えた。――だって早苗、永遠亭にはかぐや姫がいるって言ってたじゃん! かぐや姫っていったら超有名人じゃん! わたしゃあ早く会ってみたいよ! ――好奇心が旺盛で行動を躊躇わないところは、とても志弦らしいと早苗は思う。

 今日は幸い、竹林の入口付近で筍掘りをしていた名もなきイナバをつかまえることができた。彼女に道案内をお願いし、遂に志弦は、念願のかぐや姫とのご対面を果たすことができたのだ。

 その結果がコレである。

 

「つーかさー、幻想郷の女って全体的にお顔のレベル高いよねー。竹林案内してくれた兎っ子はありゃー将来相当綺麗になるだろうし、鈴仙もヤバい。あんなん、町中歩いたら十人中十人が振り返るよ。そんでトドメにかぐや姫様の、私の語彙力じゃ到底表現もできない美しさですよ。あー、私って真ん中くらいの顔は持ってるだろって思ってたけど、こりゃーいよいよ自信なくすなー……」

 

 さっきまでハイテンションで叫んでいたはずの志弦が、今は広間の壁際で体育座りをしている。ふへひひひと変な笑いで肩を震わせている。どのみちラリっている。

 予想はしていた。なにせ、相手は日本人なら知らぬ者などいないかぐや姫なのだ。そんな相手と対面して、まさか志弦が平静でいられようはずもない。早苗だって、初めて輝夜と出会ったときはかなり興奮してしまった。しかしそれでも、志弦のようにラリったりはしなかったはずだが。

 輝夜が広間にやってきても声ひとつあげず、愛想よく自己紹介をしたところまでは完璧だった。しかしそのあと、輝夜が名乗ったところで遂に志弦の我慢が限界を迎え、火山が噴火するようにテンションは急上昇し、その反動で今は壁際で体育座りなのだった。

 輝夜が苦笑いをしながら、ぽそりと言った。

 

「なるほどねえ。これは確かに、『あいつ』の血って感じがするわ……」

「……?」

 

 それがあまりにも小さな声だったので、早苗は聞き取れなかった。確かめようかと思ったが、輝夜はもう志弦に向けて手招きをしていて、

 

「ほらちょっと、ひとりでラリってなんかないでこっち戻ってきなさいな。まだ話が途中でしょ」

「はっ。そ、そーでしたそーでした。いやーすみません私ったら、かぐや姫様があんまりべっぴんさんなもんでつい」

 

 正気に返った志弦が、ずりずりと品のない四つん這いで広間の中心まで戻ってくる。空席になっていた座布団へ座り直し、心なしかいつもより背筋を伸ばして、

 

「えーっと、改めまして神古志弦です。この間幻想入りして、なんだかんだあってここで暮らしていくことになりました。今は守矢神社の見習い巫女やってます」

「こっちみたいなヒラヒラの巫女服じゃないのね」

 

 輝夜が早苗と志弦を見比べる。この日も志弦は、袴に小袖の伝統の巫女服を着ている。腋のない巫女服は好みに合わないらしく、好きで着ている立場としては少々寂しい早苗である。

 

「あー、これはちょっと私にはかわいすぎるんで……」

「ふーん……」

 

 輝夜が品定めするような視線で志弦を凝視する。頭の先から正座した足の指先までじっくり観察し、鑑定士みたいな顔つきで黙って腕を組む。

 志弦が首を傾げる。

 

「……あの、なにか?」

「ああ、ごめんなさい。昔の知り合いに似てる気がしたの。これでも、長生きしてるから」

「あー、かぐや姫ですもんねー。平安? 奈良だっけ? とにかく千年以上っすよね」

「まあね」

「しかも物語の通りめちゃくちゃ美人だし……」

 

 そこで志弦はため息、

 

「誰だよ、当時でいう『美人』が今でも美人とは限らないとか言ったやつ。もー女としてやるせなくなるくらいなんですけど……」

 

 志弦がまた壁際で体育座りを始めそうだったので、早苗は強引に軌道修正をした。

 

「とまあそんなこんなでして、これからよろしくお願いします。病気になったときとかは、ここでお世話になると思いますので」

「……そうね」

 

 輝夜の鑑定士みたいな顔つきが、先ほどから晴れない。志弦を見てずっとなにかを考えている。

 

「……あの、輝夜さん。どうかしましたか?」

「あっ」

 

 突拍子もなく、輝夜がそんな声をあげた。志弦の肩に虫が止まっているのを見つけたように、細く形のいい眉を上へあげて、

 

「さっきからなにか忘れてるような気がしてたんだけど、そういえばこのあと用事があるんだったわ」

「あ、そうなんですか」

 

 なるほど、だから難しい顔をしていたのか――早苗はそう納得する。

 

「悪いけど私は準備しないといけないから、今度は永琳のところにでも挨拶に行ってちょうだい。鈴仙を呼ぶわ」

 

 れーせーん! と輝夜が襖の向こうへ声を張り上げる。大声まで綺麗な人だ。すぐに屋敷のいずこかから、はーいただいまーと元気な返事が返ってくる。

 ちなみに、と志弦が、

 

「かぐや姫様も鈴仙も大変な美人であらせられますが、ということはその永琳さんとやらも?」

 

 この質問には、早苗が答える。

 

「当然美人だよー。大人になったらこうなりたい! って感じで」

「だよねー」

 

 半分、自虐的なため息混じりだった。

 気持ちはわかる。幻想郷の女の子はみんな美人揃いである。とりわけ妖怪や、輝夜を始めとした月の住人など、純粋な人間ならざる者たちの容姿というのは本当にすごい。『オーラが違う』とはまさにああいうことを言うのだ。外の世界では結構モテるクチで、ある程度は顔に自信を持っていた早苗も、幻想郷にやってきてからはすっかり世界の広さを思い知らされた。

 もっとも、女子力五を自称する志弦だって顔自体は決してマズくない。友達関係は霊感体質のせいで上手く行っていなかったようだが、そうでなかったら同級生から告白くらいはされていたはずだと思う。世界の広さに打ちひしがれる気持ちはわかるが、志弦に限ってはもっと自信を持っていい気がする。

 失礼しまーす、と鈴仙が入ってきた。

 

「姫様、お呼びですか?」

「二人を永琳のところに連れてってあげて。私、用事を思い出したからちょっと出掛けてくるわ」

「用事ですか?」

 

 初耳だ、という顔を鈴仙は一瞬したが、すぐに切り替え、

 

「わかりました。……じゃあ二人とも、ついてきて」

「あいあーい」

 

 志弦がいち早く席を立ったので、早苗も立ち上がる。

 

「それじゃーかぐや姫様、これからよろしくです」

「ええ」

 

 志弦と一緒に輝夜へ会釈し、部屋を出る。鈴仙が襖を閉める音を聞きながら、そういえば、と早苗はふと思い出す。

 あのとき、輝夜が一体なにを呟いていたのか確認しそびれたが――まあ、大したことではあるまい。

 

 

 

 

 

 早苗と志弦の姿が襖の向こうへ消えたのを見送り、輝夜は心の中で十を数えた。

 数え終わるなり、すぐに行動を開始した。広間を出て誰の姿もないのを確認し、まっすぐに玄関へ向かう。出掛ける準備もへったくれもありはしない。着の身着のまま靴だけを履き、霧で包まれた竹林へ足を踏み出す。

 用事があるのは本当だ。ただ厳密にいえば、思い出したのではなく、あの瞬間にできた(・・・)というのが正しいが。

 向かう場所は、決まっている。

『神古』の名を聞いた輝夜が向かうべき場所など、たったひとつの他にありはしない。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 妖怪の森の麓近くを拓いて建てられた水月苑は、月見の屋敷であると同時に温泉宿でもあるため、当然ながら昼夜を問わず来客が多い。数多くいる月見の知り合いが掃除を手伝っていたり、もしくは単に休憩していたりするのは日常茶飯事だし、大勢と入浴するのが苦手な妖怪が、こっそりやってきて湯を楽しんでいたりする。月見と二人でゆったりのんびりしたいと常日頃から願っている輝夜だが、このような事情があるためいつもさっぱり上手く行かない。この日もやはり、茶の間では月見と他にもう一人、湯飲み片手にのほほんとしている少女がいた。

 八雲紫だった。

 舌打ちしそうになった。

 それは向こうも同じだったようで、紫は輝夜を見るなり剣呑と目を細め、

 

「あら、ひきこもりのお姫様。こんなところまで遥々なにをしに来たのかしら」

 

 輝夜は紫とすこぶる仲が悪い。詳細は省くが、彼女は輝夜を千年以上に渡って悲しませることとなったある事件の原因であり、同時に恋敵でもあり、要するになにがなんでも絶対に負けられない宿敵なのだ。お互い顔を合わせると、いつもメンチを切り合ってばかりいる。それで月見に迷惑を掛けているのはわかっているが、しかし、どうしてもこればっかりは、一人の女として譲ることができないのである。

 今回も、そのようになるはずだった。

 

「どうしたんだい、慌てた風で」

 

 月見の声を聞いて、輝夜はここまでやってきた理由を思い出した。

 だから、正直に言った。

 

「大事な話があるの」

 

 睨み返すのではなく、まっすぐな瞳で紫を見て、

 

「少しの間、ギンを貸して」

 

 当然ながら、紫の反応は素気ない。

 

「なによそれ。なにも今じゃなくてもいいんじゃないの?」

「今すぐ確認したいことなの」

 

 紫と月見を引き離すための、真っ赤な嘘っぱちだと思われたはずだ。ため息の音、

 

「――あのねえ。私と月見の邪魔をするならもうちょっとマシな」

「お願い」

 

 気がつけば輝夜は、紫に向けて頭を下げていた。頭をほんのちょっと前へ傾けただけの、紫からはただ俯いたようにしか見えない不格好なものだったが、それでも、輝夜が紫に『お願い』をするのはこれが初めてだった。

 

「お願い。本当に大事な話なの。五分だけでいい、別に横で見てたっていいから」

 

 幻想郷の管理者である紫なのだ、神古志弦が幻想入りして守矢神社で暮らし始めたのは当然知っているだろう。悔しいけれど輝夜以上に月見をよく知っている紫なのだ、『神古』という名が指し示す可能性にだって当然気づいているだろう。

 別に聞かれたって構わない。輝夜はただ、月見と話ができればそれでいい。それさえできれば、今日のところはこのまま引き下がったっていいとすら思う。

 無視されたのではないかと思うほど、長い間があった。

 紫が言った。

 

「――ああ。そういえば私、ちょうど月見に渡したいものがあったんだったわ」

 

 輝夜は顔を上げた。紫はこちらを見ておらず、頬杖をついて茶の間の隅を眺めながら、

 

「でも屋敷のどこにしまったか忘れちゃったから、戻って捜してこないといけないわねえ」

「……、」

 

 虚を衝かれた輝夜が固まっている隙に、紫はさっさと足下にスキマを開いている。

 

「それじゃあ月見。私、ちょっと戻るから」

「ああ。ゆっくり捜しておいで」

 

 月見が、まるでぜんぶお見通しであるかのように穏やかな笑みで紫を見送る。だから輝夜は、やっぱりそうなのだろうかと思った。本当は月見に渡したいものなんてなくて、けれど素直に輝夜のお願いを聞くのは癪だから、それらしい急拵えの口実をでっちあげて――

 

「あ、あのっ」

 

 紫の姿がスキマの底へ消えようとしたので、輝夜は慌てて、

 

「あ、ありがとう!」

 

 微妙なタイミングだった。輝夜がその言葉を口にしたとき、紫の姿はすでに見えなくなってしまっていた。スキマの口まで閉じていたわけではなかったから、まったく聞こえなかったということはないはずだが、同時にちゃんと聞こえたかどうかも怪しい。

 まあ、聞こえなかったなら聞こえなかったで、別に構わないけれど。輝夜の返事も待たないでさっさと行ってしまう方が悪いのだ。もう頼まれたって二度と言ってなんかやらない。

 

「人のこと言えないよなあ」

 

 紫が消えていった畳の下を見つめながら、月見が愉快そうに肩を震わせた。

 

「ならちょっとだけ席を外してやるって、素直に言えばいいのに。嘘つくにしたって、もうちょっとマシな言い方があると思わないかい」

「……」

 

 輝夜は、なんと返せばいいかわからず曖昧に笑った。輝夜の方から頼み込んだこととはいえ、今までずっと仲が悪かった相手から突然優しくされて、どうも全身がむず痒かった。

 さっさと本題に入ってしまおうと思う。どうせ紫のことだ、あまり長く待つつもりなどないに違いない。痺れが切れたら、たとえ話の途中だろうが遠慮なく首を突っ込んでくるだろう。無駄話に費やしていい時間なんてない。

 輝夜は小走りで、テーブルを挟み月見の正面の位置に座った。改まるような話でもないので、率直に言う。

 

「あのね。今日、ウチに神古志弦が来たんだけど」

「……ああ」

 

 月見はゆっくりとまぶたを下ろした。静かに、噛み締めるような反応だった。

 

「ねえ、ギンはどう思うの」

「どうって?」

 

 白々しい。輝夜が言いたいことなんて、もうぜんぶわかっているくせに。

 上等だと思う。ならば、はっきりと言ってやろう。

 

「あれ、雪と秀友の子孫なんじゃないの?」

「……」

「『神古』なんて苗字そうそうあるとは思えないし、それにあいつの言動、秀友と似てる気がするわ」

 

 月見は答えないし、まぶたを上げもしない。

 正直なところ、輝夜は秀友と親しかったわけではない。仲がよかったのは雪の方であり、秀友については、姿を見かけたり挨拶をしたり、雪から話を聞かされたりする程度だった。けれど雪が語ってくれた『秀友』と、先ほど輝夜の目の前に現れた神古志弦は、なんだか似通っている点が多いような気がするのだ。

 

「しかも、霊を祓ったりなんだりする素質もあるんでしょ。偶然にしてはできすぎてると思わない?」

「……」

「ねえ、なにか言ってよ」

 

 ようやく、月見がまぶたを上げた。緩く天井を見上げ、紫煙を飛ばすようなため息をついた。

 

「……私だって、それは考えたさ。考えないわけがない」

 

 でも、と続け、

 

「もう千年以上昔の話だ。確かめようがない」

「そんなことは……ないでしょ?」

 

 輝夜が月見のためにできることはなにもないけれど、例えば八雲紫なら、能力を応用して時を遡ることもできるのではないかと思う。上白沢慧音だって、満月の夜には完全に妖怪化し、一夜限りではあるが埋もれた歴史を掘り返す力に目覚めると聞いている。

 そう言ってやったら、月見は小さく笑って、

 

「ああ、そっか。それは考えなかったなあ」

「……ギン?」

 

 輝夜は首を傾げた。月見の様子がおかしい気がする。しかしその正体がなんであるかまではわからず、ひとまず目先の話を優先する。

 

「えっと、だからね、確かめようと思えば確かめられるでしょ?」

「……そうだね」

「確かめ……ないの?」

 

 月見は、頷きも首を振りもしなかった。

 

「……正直ね、まだわからないんだ。自分がどうしたいのか」

 

 手元を見下ろし、静かな顔で、けれど困り果てたような声だった。

 

「確かめたいという気持ちがないといえば嘘になる。でも同時に、このままでもいいんじゃないかと思ってる自分もいるんだ。確かめた結果、後悔することになるかもしれない。だったらいっそ、今のどっちかわからない状況のままの方が……ってね」

 

 月見のどこがおかしいと感じたのか、ようやくわかった。

 輝夜の知っている月見は、いつも前を向いている人だ。目の前の現実をまっすぐに見つめ、ありのままを受け入れる力を持っている。目を逸らしたり、背を向けることをしない。少なくとも、かつて『かぐや姫』だった輝夜を勇気づけてくれた月見はそうだった。

 もちろん、今の月見もそうであるはずだ。

 けれど、この瞬間に限っては違う。

 逃げている。立ち止まって、思考を止めてしまっている。現実に背を向けて、素知らぬ振りをしている。

 だから輝夜は、本当に今更な話だけれど、月見が『神古』という名をどれだけ大切に想っていたのか理解できた気がした。あの夜――月が空に白い孔を空けたあの日の夜、月見は月人によって深い傷を負い、紫の治療によって事なきを得た。しかしその後、月見は都へは戻らず、『門倉銀山』としての生活に偽りの死という終止符を打ったと聞いている。

 秀友と雪が、決して自分の行方を追わぬように。都に戻って、友として関わり続ければ、いつか必ず正体に気づかれる日が来てしまうから。

 別に、妖怪だとバレること自体を恐れたのではないのだろうと輝夜は思う。たとえ月見の正体を知っても、雪はそれを受け入れたはずだ。そして雪が受け入れるなら、秀友だって同じであったはずだ。

 月見が本当に忌避したのは、自分の正体を知られた結果、秀友たちの生活を壊してしまう可能性。

 人間と妖怪が共存を始めたのなんて高々ここ数百年の話で、昔は両者の溝はずっと深く険しかった。妖怪とつながっていると知られた人間が、周囲からどのように扱われるかなど、当時は火を見るよりも明らかだったから。

 月見がそうまでして守りたかった『神古』の名が、千年以上の時を越えて、再び目の前にやってきたかもしれない――。

 いくら月見でも、冷静でいられるはずがなかったのだ。確かに、神古志弦の姿を見ているとまさかと思わされる。けれどそれは、どこまでいっても「もしかして」の域を出ない妄想である。その「もしかして」も、苗字が同じだからという先入観が生み出したただの錯覚かもしれない。

 輝夜だって、わかっている。

 でも、それでも。

 

「じゃあ……どうするの?」

 

「もしかして」に縋りついたまま、これからずっと志弦という少女を見守り続けていくのか。

 

「……今は、まだ」

 

 月見は、答える。

 

「私の心に整理がつくまで、時間をくれないか。そうすれば、ちゃんと確かめようと思える日が来るはずだから」

 

 苦笑、

 

「情けない答えですまないね」

「……そんなことないわよ」

 

 輝夜はゆっくりと首を振った。今すぐ確かめなければどうこうという問題ではない。時間さえあれば大丈夫だと月見が言うなら、輝夜はそれを信じようと思う。

 笑い返した。

 

「でも、あんまり長く待たせないでよ。私だって気になるんだから」

「ッハハハ、そうだね」

 

 本当に、どうなのだろう。輝夜と月見が胸に抱く「もしかして」は、ただのひとりよがりな妄想なのか、それとも神が与えてくれた天啓なのか。

 輝夜と月見が知る神古。目の前に現れた神古。二つの『神古』は、つながるのか、つながらないのか――。

 面白いことが増えたじゃないかと思う。

 今はただ、月見の心に決心のつく日が、一日でも早く訪れますように。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――はーい時間切れですーっ! さっさと月見を返してあなたは帰ぶっ――ちょっと、なにもビンタすることないでしょ!?」

「うっさいわね、いきなり目の前に出てこないでよ心臓に悪いっ! あと空気読んでよ今そういうことやっていい雰囲気じゃなかったでしょ!?」

「知らないわよそんなのー! なによっ、さっきはちょっとは素直なトコもあるんじゃないって思ったのに、気のせいだったのかしら!」

「えーえー気のせいですー! あんたなんかにお礼言った私が間違いだったわ! 話が終わったら素直に帰ろうかと思ってたけどそれもやめよっ!」

「上等じゃない、ここで引導を渡してあげる!?」

「返り討ちにしてあげる!」

「……お前たち、本当に仲いいよなあ」

「「そんなことないっ!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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