銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第80話 「銀髪兄妹里歩き ①」

 

 

 

 

 

 幻想郷の従者たちは、みんな偉い。

 紅魔館の家事をテキパキ取り仕切る咲夜をはじめ、大図書館の整理整頓を役目とする小悪魔、みんなにいじられてもめげない美鈴、おバカな主人のストッパーを務める藍、毎日天魔と追いかけっこをする椛、薬の実験台にされている鈴仙、従者となってこの方休みをもらったことがない妖夢など。幻想郷で誰かの部下として頑張っている少女たちは皆、日頃から尋常ではないほど苦労を重ねている。たとえ本人にその自覚がないとしてもだ。

 よく体調を崩さないものだと思う。人間ならもちろんのこと、妖怪だって、ストレスが限界を超えれば胃に穴が空き心身に異常を来す。疲れた素振りなどちっとも見せず、出会えばいつも笑顔で挨拶をしてくれるその健気な姿は、感心を通り越して畏敬の念すら月見の心に湧き上がらせる。

 並の従者なら、とっくの昔に夜逃げしているはずなのだ。

 だからその日の朝も中頃、パンパンに膨らんだ風呂敷を背負ってやってきた妖夢の姿に、月見はなにを言われるまでもなく一発で事態を理解した。

 

「妖夢……遂に幽々子に愛想を尽かしたんだな? わかった、あいつとは私がじっくり話をしておくから」

「ち、違いますよ!?」

 

 どこからどう見ても、必要最低限の荷物だけを持って職場から逃げ出してきたとしか思えないのだが。

 太陽がほどよく高くなり、月見がそろそろ出掛けようかと考え始めていた朝だった。幻想郷もいよいよ秋のはじめに突入し、日がな一日ぽかぽか陽気でとても過ごしやすくなってきている。間もなく木々は赤色黄色の雅な衣をまとい、多くの果実を実らせるだろう。暑さが苦手な人にも寒さが嫌いな人にもちょうどよい、数多の生き物を癒やす恵みの季節である。

 そんな恵みの季節になって早々、この少女は夜逃げみたいな恰好でなにをしに来たのかといえば、

 

「この中身は白玉楼のお菓子です。私の留守の間に、幽々子様に食べ尽くされてしまってはたまりませんので」

「ふむ?」

「今日は私、初めてのお休みを頂けたんです!」

 

 妖夢がきらきらした目でそう言ったので、月見はああと納得した。先日ミスティアの屋台で開催された、幻想郷苦労人同盟の呑み会を思い出す。

 

「ちゃんともらえたんだね」

「はい! 『わーかほりっく』の危険性について一生懸命訴えたら、幽々子様もわかってくれました!」

 

 いろいろと誤解がありそうな気はするが、どうあれ、妖夢が休みをもらえたのはよいことだった。ゆっくり羽を伸ばしてほしいと思う。祖父より今の務めを継いで以来初めての休日に、彼女の瞳は夢と希望と活力で漲っているのだった。

 

「それで、どうして私のところに?」

 

 妖夢は夢と希望と活力が漲る笑顔で言う。

 

「はいっ。いい機会なので、ここのお庭をまとめて手入れしようと思いまして!」

「なに?」

 

 月見は思わず、

 

「すまない妖夢、もう一度言ってくれるかい」

「え? ……いい機会なので、ここのお庭をまとめて手入れ」

「ダメだ」

「なんでですか!?」

 

 むしろ本気で言っているのかこの少女は。

 

「妖夢。今日の休暇にあたって、お前がやっていけないことは五つある」

「は、はい」

 

 月見が真剣な面構えで語りかけると、ただならぬものを感じた妖夢はぴんと背筋を伸ばした。月見は人差し指を立て、

 

「ひとつ、白玉楼の家事」

「はい」

「ふたつ、幽々子の身の回りの世話」

「……はい」

「みっつ、買い出し」

「は、はい」

「よっつ、剣の修行」

「……」

「そしていつつ。庭仕事だ」

「じゃ、じゃあ私はなにをすればいいんですか!?」

 

 妖夢が途方に暮れた様子で叫んだ。それが冗談や演技には見えなかったので、ようやく月見は事の重大さに気づき始める。

 

「思いっきり遊んで羽を伸ばせばいいだろう。趣味のひとつやふたつ、」

「わ、私の趣味は剣のお稽古と、庭のお手入れです」

 

 まさか、この少女、

 

「……ほら、たまにはぱっと金を使って、人里で美味しいものを食べるとか」

「そ、そんな勿体ないことできません!? 贅沢は敵です!」

 

 まさか、

 

「……お前、今日一日なにをして過ごすつもりだったんだ?」

「えっと……とりあえず、昼間のうちにここのお庭をできるだけお手入れして」

 

 この少女、思っていたより深刻かもしれない。

 

「わかった。妖夢、もういい」

「ああでも、広いお庭なので夜までかかっちゃうかも……え、どうかしましたか?」

 

 どうしたもこうしたもあるか。月見は笑顔で告げた。

 

「私と遊びに行くぞ」

「……へ!?」

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「え!? えぇ!?」としどろもどろな妖夢を半ば強引に連れ出して、現在地は人里へ移る。

 たくさんのお店が軒を連ねる大通りは、今日も里人の輝かしい活気で満ちていた。八百屋や道具屋の客引きの声が途切れることなく響き、甘味処や定食屋が昼に向けた仕込みに奔走している。竹の買い物カゴを片手に大人たちが談笑し、寺子屋を卒業したばかりの子どもがあたりを走り回って遊んでいる。まるで里に住む者すべてが家族であるかのような賑わいは、月見がやってきた半年前からちっとも変わっていない。

 さてその賑わいの隅っこで、月見は小さな井戸端会議を形成していた。なにはともあれ、まずは作戦会議である。朝の買い物をしていたらしい天子と、ちょうど近くにいた男女数名を捕まえて、

 

「……というわけで、なにかいいお店でも知らないか?」

「うーん……」

 

 問われた天子が、口元に人差し指を当てて考え込んだ。両腕でぶ厚い紙の束を抱え、肘からは筆記用具が入った紙袋を提げている。今やすっかり人里の一員となった天使先生にとって、寺子屋で使う道具の買い出しは立派な仕事のひとつなのだ。

 なのでこのあたりのお店に関しては月見より断然詳しいはずなのだが、いかんせんその表情は芳しくない。

 

「一言でいいお店っていっても……妖夢は普段どんなところに行ってるの?」

「え、えっと……八百屋さんとかお豆腐屋さん、お菓子屋さんなんかはよく使います。買い出しで」

 

 みんなに囲まれて、妖夢は若干肩身が狭そうにしている。

 

「あとは、白玉楼のお庭用に花屋さんや道具屋さん……とか」

「それって、要するに仕事でってことよね? ……遊んだりするときは?」

「そ、それは……」

 

 目を逸らし、

 

「……そ、その、そういうのはちょっとよくわからない……です」

「……えっと」

 

 人里は、基本的には文明開化以前の古き佳き町並みが残る場所だけれど、外来人の影響でそれ以降の文化がいろいろ持ち込まれてもいる。たとえば定食屋と客取り合戦を演じる洒落た洋食屋、和菓子屋の隣で暖簾を垂らす懐かしい出で立ちの駄菓子屋、ほろ苦い珈琲の香りを漂わす喫茶店、明らかにコンビニを意識した雑貨屋などは里人から大層評判だし、本屋では外の本が並んだり、呉服屋では洋服が飾られたり、舞台では歌舞伎や能楽と一緒に演劇が上演されたりもする。土地の小さい里ではあるけれど、決して遊んで回る場所まで少ないわけではないのだ。美味しいものを買い食いしつつお店を巡るだけで、一日くらいは簡単に潰せる。

 しかし、魂魄妖夢を甘く見てはならない。彼女は白玉楼の庭師に就任して以来休みなしであり、そんな労働環境を一切疑問に思っていなかった筋金入りのワーカホリックである。仕事以外の用事で店に入ったことなど、一度もないのではないか。あったとしても多くはあるまい。

 少し黙っていた天子がまた、

 

「えっと、美味しいものを食べたり」

 

 妖夢は即答する。

 

「しないですね。自分で作った方が安く済みますから」

「……いろんな服を買ったり」

「いろいろ買ってもどうせ着ないので、必要以上には買わないようにしてます」

「……本とか」

「私は体を動かす方が好きなので……」

「お、お芝居を見たり!」

「おじいちゃんは好きだったみたいですけど」

「……う、歌を詠むとか」

「そういうのも特には……」

 

 天子がだんだんしょんぼりしてきた。

 周りの里人たちも、腕を組んで複雑そうな顔をしていた。

 

「そういえばあたし、妖夢ちゃんが買い出し以外でここに来てるの見たことなかったねえ。なるほどそんな事情があったのかい……」

「まさか、一度も休みをもらったことがないなんてなあ」

「妖夢ちゃんくらいの子なら、まだまだ遊び足りない年頃だろうに」

 

 うーむ……と、里人も月見も天子も、みんなが低い声で唸る。

 妖夢が慌てて、

 

「あ、あの、私そんな、特に遊びたいとか思ってるわけじゃないです。むしろまだまだ半人前なので、もっと修行しないといけないくらいで」

「うーん、そいつはどうかねえ」

 

 この面子の中では一番皺の目立つ女が、眉間の皺をますます深くした。

 

「妖夢ちゃんくらいの歳じゃ――まあ、実際のところはあたしとどっこいどっこいなんだろうけどね。それはともかく、遊んだことがないってのはどうかと思うよ。あたしら人間にとっちゃ、若いうちに遊ぶのも立派な修行のひとつさね」

「そ、そうなんですか?」

 

 妖夢が目をしばたたかせた。そんなの考えたこともなかった、と言うような反応だった。

 

「ま、遊んだ経験が生きていく上で役立つことなんてほとんどないけどね。でもだからって、決して無意味ってわけじゃない。人の心ってのは、遊ぶ経験を通しても成長するもんなんだよ。ねえお狐様」

「は? ああ、うん、そうだとは思うけど」

 

 なぜそこで妖怪の月見に振るのか。あながち間違いでもないだろうから頷いておくけれど。

 女は我が意を得たりと笑い、

 

「ほら、お狐様もこう言ってる」

「そうなんですか……。知らなかったです。まだまだ勉強が足りませんね」

 

 純粋な妖夢は早くも真に受け始めている。女は更に畳みかける。

 

「それに、たまに思いっきり息抜きすることで違ったものが見えてくることもあるしね。ただの遊びと侮ることなかれ、何事も無駄にはならないもんだよ。経験することが大事さ、ねえお狐様」

「その『お狐様』ってなんだい」

「やだねえ、あたし知ってるよ、狐は神様の使いなんだろう? だから『お狐様』だよ」

 

 いや、神の使いは稲荷であって妖狐とは別モノなのだが、というかそんな誤解をしているのはルーミアだけだと思っていたのに何故人里で、

 

「というわけで、試しに今日一日、仕事のことは忘れて遊んでごらんよ。人生経験を積むのは立派な修行だろう?」

 

 ……まあ、彼女がいい具合に妖夢を丸め込んでくれそうなので、今は黙っておこう。妖夢はすっかり「それもそうかもしれない」という顔で考え込んでおり、

 

「そう……ですね。確かに、剣を道を進むことだけが修行ではないですよね……」

「そうさね」

 

 女が二度力強く頷いて、揺れ動く妖夢の心にトドメを刺した。

 

「だからほら、今日は思いっきり楽しんでおいで」

「……はいっ。貴重なお話、ありがとうございました!」

 

 こういう女の子がセールスや宗教のペテンに引っかかって痛い目を見るんだろうなあと月見は思う。

 

「それじゃあ回るお店だけど、この先にある駄菓子屋なんかどうだい? 外来人のお婆さんがやってる店でね、駄菓子以外にも外から流れ着いたっていうおもちゃが置いてあるんだよ。自由に遊べるようになってるから、いっぺんやってみるといい」

 

 里人たちは、口々にいろんなお店を教えてくれた。どんなお店がいいのかは皆目見当もつかないので、とりあえず手当り次第だった。あそこの喫茶店は他にない珍しい食べ物を置いてるとか、今日の何時から一風変わった演劇が上演されるとか、つい最近どこどこにおもしろいものができた、あそこの裏メニューは実に美味い、お洒落をしたいならあの店で決まり、ここの何々は見ておく価値がある、どこの某が最近開いた店は評判がよくってな、エトセトラエトセトラ。

 ひと通り出揃ったところで、月見は話をまとめた。

 

「よし、それじゃあのんびり回ってみようか」

「わかりましたっ」

 

 遊ぶと聞いてはじめはあまりいい顔をしていなかった妖夢だが、今はすっかり乗り気になっている。なかなかいい感じだった。これで、残された唯一の懸念といえば、

 

「あ、でも私、お金はあまり……」

「ああ、それなら気にしないでいいよ。私が出すから」

「へ!?」

 

 背筋をピンと伸ばしたその反応を見るに、やはり彼女はぜんぶ自分で払うつもりだったようだ。

 甘い。今日は他でもない妖夢のための休日なのだから、お金のことなど気にせず思いっきり楽しむべきである。お財布の具合なんてものは月見に丸投げしておけばよろしい。

 

「なにかほしいものとかあるか? よほどのものでなければ言ってごらん」

「や、やっ、それはとてもありがたいお話ではあるのですが、月見さんにそこまでしてもらうのは」

「いいじゃないかい、妖夢ちゃん」

 

 またあの女だった。

 

「男のこういう申し出はありがたく受けとくもんだよ。思いっきり甘えちゃいな」

「は、はあ……」

 

 半信半疑な妖夢の横で、天子がなにやら羨ましそうな顔をしているのは――あまり気にしないでおこうと思う。

 

「じゃ、行くよ」

「は、はいっ。……あの、つ、月見さん」

「ん?」

 

 さっそく歩き出そうとした月見の背を妖夢が呼びとめた。月見が振り返ると、妖夢は緊張で赤くなった顔を隠すように深く頭を下げて、力いっぱい叫ぶのだった。

 

「不束者ではありますが、よろしくお願いしますっ!!」

 

 ざわ……! ざわ……! 騒然とする大通り。

 きっと、本日はお世話になりますとでも言いたかっただけなのだろう。しかしそれが緊張のあまり不束者になってしまうあたりはなんとも妖夢らしいし、勢いのあまり大通りの端まで届くような大声になるあたりも妖夢らしいし、つまりは現在、あらぬ誤解が凄まじい速度で人里中を伝播していっているのであり、

 やはりあの女が、

 

「――そうだね。ま、いっそそういう関係にでもなったつもりで」

「うわあ――――――――――――っ!?」

 

 ようやく己の過ちに気づいた妖夢が情けなく絶叫する。

 せっかくの休日だが、まずは、ざわつく里人たちの誤解を解いて回るところから始めなければならなかった。

 寺子屋そっちのけでやたら一生懸命協力してくれた天子の姿が、妙に印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うう、ひどい目に遭いました……」

「お前は勢いで喋る前に、一旦立ち止まって冷静に考える余裕を持つべきだね」

「肝に銘じます……」

 

 あらぬ誤解を解き終わり、やけに達成感のある顔で寺子屋に戻っていった天子と別れ、月見と妖夢は里のこぢんまりとした駄菓子屋を前にしている。

 例の女が口に出していた、外来人の老婆が営んでいる駄菓子屋である。

 月見はこの店を知っている。天子がやってくる前は子どもたちの遊び相手を務めさせられるのも少なくなかったので、その一環で訪ねたことが何度かある。今は客はいないようだが、もうしばらくすれば寺子屋帰りの子どもたちで大層賑わうのだ。

 見てくれはいかにも昭和のそれで、里では珍しいガラス張りの引き戸を通して店内が覗き見できるようになっている。飴玉や一口サイズの煎餅、きなこ餅、麩菓子などが木箱に入って陳列されている。材料が手に入らない都合で仕方ないのだろうが、駄菓子の品揃え自体はそう大したものではない。それよりも目を引くのは、壁に引っ掛けられたり天井から吊り下げられたりしている、笑ってしまうほど懐かしいおもちゃたちだった。

 忘れ去られたものが流れ着く幻想郷だからというのもあるし、ここの老婆がなにかと経験豊富で、大抵の遊び道具は手作りしてしまえるのだ。お手玉やおはじき、独楽、竹で作った水鉄砲、空気鉄砲、竹とんぼにけん玉にでんでん太鼓と、駄菓子よりずっと品揃えがいい。今挙げたのはどれも有名なおもちゃだが、中には月見ですら名前を知らないようなものもある。駄菓子屋というよりかは、小さなおもちゃの博物館みたいな店なのだった。

 妖夢を連れて店内へ入る。奥の座敷へ続く小上がりでは、骨董品みたいな老婆がちょこんと正座し、そこだけ時間の流れが違うのではないかと思うほどゆったりのんびりお茶をすすっている。

 月見が店内を半分進んだところで、老婆が「あらあらまあまあ」と顔を上げた。年老いた猫が鳴いたような声だった。

 

「その長ぁい尻尾、ひょっとして月見さんかしら」

「そうだよ。しばらく振りだね――ああ、いいよわざわざ立たなくても。腰に響くだろう」

 

 老婆はそれでも立ち上がろうとしたが、案の定響いたらしく、苦笑いをしながら腰を下ろした。

 

「いやだわ、こんな近くにいらっしゃるまで誰だかわからなくって。お久し振りですねえ」

 

 座敷の時計を見て、

 

「でも、寺子屋が終わるにはまだ早いけれど」

「子どもたちの相手は、もう天使先生の仕事だよ」

「ああ、そうだったわねえ。じゃあ、今日はどんなご用でいらっしゃったのかしら」

「この子の付き添いだね」

 

 妖夢は、月見の少し後ろで物珍しそうにあたりをキョロキョロしている。見たことないものばっかりだと顔に書いてある。

 老婆は、今になって初めて気づいたようだった。

 

「あらあら、随分とかわいらしいお客様だこと」

「へあ!?」

 

 ストレートな褒め言葉に弱い妖夢は見事に飛び跳ね、

 

「い、いえ、私はそんなかわいくなんか……」

「髪の色が月見さんにそっくりねえ。ふふ、月見さんの妹さんかしら」

「違います!? 髪の色なら咲夜さんの方がそっくりです!?」

「妖夢、そういう話じゃないと思うよ」

「ごめんなさいっ!?」

 

 月見の記憶が正しければ、妖夢は勢いで喋る前に一旦考える余裕を持つと肝に銘じたはずだが。

 老婆は、まるで孫に会ったみたいな笑顔だった。

 

「ふふふ。なぁんにもないところだけど、どうぞゆっくりしていってね」

「そんな、なにもないだなんて。私が見たことないものばかり置いてあって、すごいと思います!」

 

 妖夢が力強く言い切るが、老婆はそれよりも前の部分を不審に思ったらしい。

 

「見たことないものばかり……? 変ねえ、ぜんぶがぜんぶじゃないけど、里では人気のおもちゃたちよ」

「ああ。それは、私がこの子を連れてきた理由と絡むんだけどね」

 

 月見がこの店にやってくるまでの顛末を掻い摘んで説明すると、老婆はなんとも大袈裟に相槌を打って、

 

「あらあら、そうなの。じゃあ、どうぞお好きな玩具で遊んでいって。お代は別に結構だから」

「えっ……いいんですか?」

「いいのよ、ここはそういうお店だから」

 

 妖夢が半信半疑の目で店内を見回す。ただ単に駄菓子とおもちゃを並べているだけの店ではない。商品が置かれたスペースとは別に、独楽を投げて対決させる土俵、射的の的をズラリと並べた台など、おもちゃで自由に遊ぶための場所が用意されている。むしろ、店としてはそちらの方が本命なのだ。

 

「寺子屋帰りの子どもたちが、手軽な値段で駄菓子をつまみながら遊んでいくところなんだよ」

 

 それぞれの駄菓子を入れた小箱には、小綺麗な文字で値段が書かれている。それを見た妖夢が目を剥き、

 

「えっ、や、安い……! こんなに安くして大丈夫なんですか!?」

「駄菓子は安いものよ。でも、儲けがあるかという意味では、あんまり大丈夫じゃないわねえ」

 

 そりゃあそうだ。安い原材料を使い機械で大量生産できる外の世界とは違って、人里では材料の確保も製造もすべて自分の手でやらなければならない。しかも、単価が安いから儲けるためには数を売らなければならない、いわゆる薄利多売の商売である。子どもたちが毎日元気に外で遊んでいる分だけ、今時の外の世界よりかはよっぽど客は多いだろうが、それでも家族を養っていけるほどの儲けはまず出ないはずだ。

 

「でもいいのよ。儲けたくてやっているわけじゃないんだもの」

 

 労力と利益があまりに見合わないから、お金欲しさでやるような商売ではない――それは裏を返せば、老婆が売上以外の目的でやっているということになる。

 

「子どもが好きなの。だからおもちゃを置いて、自由に遊べるようにしてるのよ。子どもたちが私のお店で元気に遊んでくれるなら、それで充分。お金の方は、息子が立派に稼いでくれるようになったから」

 

 きっと、駄菓子屋の店主とは皆そうであるはずだ。子どもが好きでなかったら、そもそも駄菓子を売る商売など考えもしないはずだから。駄菓子屋とは、大人が子どもを想う気持ちから生まれ、営まれていく店なのだ。

 感受性が豊かな妖夢は、すっかり感心しきっていた。

 

「そうなんですか……」

「そう。だからほら、どうぞ遠慮なく遊んで頂戴。お客さんが笑顔で楽しんでくれることが、私にとっては一番の『儲け』なのよ。遊び方は月見さんが教えてくれるわ」

 

 妖夢がどれから遊んだものか悩んでいるようだったので、月見は一角にある射的の台を指差した。

 

「悩んでるんだったら、まずは射的でもやってみないかい」

「射的ですか……わかりました、やってみます!」

「ちなみに射的っていうのはね、」

「射的くらいはさすがにわかりますからね!?」

 

 的へ向かって左手には、使用する銃が置かれたスペースがある。老婆お手製の空気鉄砲に交じって、外の世界では定番なコルクガンも二丁だけだが置かれている。香霖堂に並んでいたものを慧音が買い取り、このお店へ寄付したものだ。はじめは壊れていて使い物にならなかった――だからこそ霖之助も慧音に売り払った――らしいが、老婆の職人技によって修復され、今では新品同然の輝きを取り戻している。

 せっかくなので、このコルクガンを使ってみることにする。月見はいつも老婆と一緒に子どもたちを見守る側だったので、実際にやってみるのは初めてだった。

 妖夢にコルクガンを手渡す。

 

「使い方は簡単。銃口にコルクを詰めて、あとは撃つだけだよ」

「こ、こう……ですか?」

 

 月見の見様見真似で、妖夢がうんしょうんしょと銃口にコルクを押し込む。なんとも危なっかしい手つきである。間違って引鉄を引きやしないかと不安だったが、いくら妖夢でもそこまでおっちょこちょいではなかったようで、何事もなくコルクをはめ終え、「次はどうするんですか?」といった顔で月見を見上げる。

 どうするもなにも、あとは撃つだけだ。位置は、的から三メートルほど離れたところに線が一本引かれている。たったそれだけの距離とはいえ、実際に銃を構えてみると案外遠い。妖夢も同じことを感じたようで、

 

「こ、こうして見ると意外と距離がありますね」

「もっと近くから撃っても大丈夫よ」

 

 お許しがもらえたので、月見は素直に一歩前へ出た。少し迷ってから妖夢も続く。

 的を置く台は三列の雛壇になっていて、それぞれの列では老婆お手製の的が「俺様に当てられるもんなら当ててみな」といった風格で勇ましく屹立している。一点、三点、五点、十点の四種類があり、点数が高いものほど的は小さくなる。手前の列は点数の低い的がほとんどで、奥に行くほど高いものが増えていく。要するに点数の低い的ほど当てやすく高いものほど当てにくい、単純明快なギャンブルを迫る構成だった。子どもたちはよく、どちらが高い点数を取れるかで熱い勝負を繰り広げている。

 

「構え方は人それぞれだけど、こんな具合で、左手を銃身に添えて支えるのが基本かな」

「ふむふむ……」

「で、あとは自分の狙いを信じて――撃つ」

 

 月見は引鉄を引いた。ポンッと小気味よい音がして、放たれたコルク弾がなかなかいい勢いで飛んでいく。一番手前の列にある的を狙ったのだが、コルクは理想の二センチほど隣を通り過ぎて、そのままぽとりと床へ落ちた。

 つまりは、ダメダメであった。

 

「外しちゃったかあ。これで当たれば、ちょっとは恰好がついたんだけど」

「い、いえ、そんな。ちゃんと恰好よかったで――」

 

 そこまで言った妖夢はやっちまった顔で、

 

「じゃ、じゃあ次は私の番ですねっ!? そうですよね!?」

「……そうだね」

 

 妖夢の自爆癖は、やはり一生治らないのかもしれない。

 妖夢がわたわたと銃を構える。そんな慌てながらでまともな照準ができるはずもないのに、彼女はすぐさま、月見同様手前の的に銃口を向けると、

 

「え、えいっ」

 

 そのまま撃った。コルク弾は見事雛壇の縁に命中し、斜め上へ跳ね上がって、妖夢の頭にぽこんと当たって床に転がった。

 沈黙、

 

「……」

「……えーっと」

 

 妖夢が銃を構えた恰好のまま石化している。しゅうしゅうと湯気を上げ始める。

 月見はとりあえず、

 

「まああれだ、すごいじゃないか。ある意味才能があるかもしれないぞ」

「こんな才能要らないですーっ!?」

 

 うわー! と妖夢は頭を抱えてうずくまり、

 

「い、今のはなかったことに! お願いですから忘れてくださいっ!?」

「ごめん、網膜に焼きついてる」

「わあああああん!!」

 

 なぜコルク弾であそこまで見事な跳弾ができるのか、月見にはよくわからない。きっと才能が可能にした奇跡の芸当だったのだろう。妖夢以外の子では絶対に真似できないはずだ。

 

「慌てながらやるからだよ。もっと落ち着いて狙ってごらん」

「はぁい……」

 

 妖夢が床のコルク弾を拾い、しょんぼりしながら立ち上がる。銃口にコルクを詰めて深呼吸をし、心機一転、

 

「こ、これからが本番ですからねっ」

「ああ」

 

 銃を構える。狙いは先ほどと同じで一番手前の的だ。十秒掛けてじっくり照準を定め、最後にもう一度ゆっくり深呼吸をして、いざ引鉄を、

 

「ていっ」

 

 結果だけを述べよう。再び見事に跳弾し、今度は月見の頭に当たった。

 

「……妖夢」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!?」

 

 この少女、絶好調である。

 老婆の、それはそれは微笑ましそうな笑顔。

 

「あらあら、なんだかすごいわねえ」

「まったくだね。こんなの誰にも真似できないよ」

「うう、一向に嬉しくないよぅ……」

 

 さすがに三度奇跡が起こるようなことはなかったが、妖夢はお世辞にも上手い方ではなく、三点の的に当てるのが精一杯だった。しかしたった三点でも、

 

「や、やった! 月見さん、当たりました! 当たりましたよっ!」

「ああ、見てたよ。やったね」

「やりましたっ」

 

 月見の袖をくいくいと引っ張り、まるで十点を倒したようにはしゃぐ妖夢の姿を見て、老婆はいつにも増してあらあらまあまあしているのだった。

 ちなみにこのあと妖夢は、「もうコツは掴みましたっ。次も当てますよ!」と自信満々で引鉄を引いて見事に外し、真っ赤な顔を両手で覆ってぷるぷるしていた。妖夢らしいといえば、妖夢らしい気がする。

 

 

 

 

 

 とにかく、この日の妖夢は絶好調だった。

 

「あーっ!?」

 

 投げ独楽。勢いよく投げるあまり変な方向へ吹っ飛ばしてしまい、駄菓子の小箱を粉砕する。

 

「あう、」

 

 お手玉。頭の上に乗る。

 

「ひん!?」

 

 けん玉。おでこにぶつけて涙目になる。

 

「ぎゃー!?」

 

 竹とんぼ。思いっきり飛ばしすぎて、壁にぶつけて壊してしまう。

 

「わあああん!?」

 

 だるま落とし。なぜかことごとくだるま崩しになる。

 

「えい! ……えい! ……えいっ! うぐぐぐぐぐぅっ……!」

 

 めんこ。いくら投げてもひっくり返らない。

 そして、あやとりでなんだかよくわからないモノができあがったところで遂に、

 

「も、もういいです! もうわかりましたっ、私に遊ぶ才能はないんです! 私は剣と庭仕事しかできないダメな女なんですーっ!」

 

 妖夢はグレた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「ほら妖夢、美味しい駄菓子がいっぱいだぞー」

「お菓子で機嫌を取れるなんて思わないでください!」

「じゃあ食べないのか?」

「食べないとは一言も言ってないです!」

 

 老婆と一緒に並んで小上がりに腰掛け、小箱から色とりどりの駄菓子を取り出す。早速妖夢がもそもそと頬張り、それを月見と老婆が愛らしい小動物を見る目で眺めている。妖夢の頬がぷっくり膨らんで見えるのは、単に機嫌が悪いからなのか、それともお菓子を頬張りすぎているからなのか。

 怒られた。

 

「そんな顔で見ないでくださいっ」

「ああ、悪い」

「あらあら、ごめんなさい」

「おばあさんは悪くありません。月見さんはダメです!」

 

 理不尽な。

 

「私は知ってるんですからねっ、私があれこれ失敗したとき月見さんがすごく楽しそうな顔してたって! 人の失敗を笑うなんていじわるですっ」

「確かに笑ってはいたけど、それはあれだよ、かわいいやつだなあと微笑ましくだね」

「……そ、そんなところでかわいいとか言われても、ぜんぜん嬉しくないです」

 

 もちろん、真に受けてすぐ赤くなってしまう妖夢である。

 

「でも、いい経験にはなったろう。里の子どもたちはああいうもので遊んでいるわけだね」

「……まあ、そうですね。勉強にはなりました」

 

 妖夢が肩から力を抜き、ため息をついた。どこか自虐的な色を混ぜて。

 呟く。

 

「こんなの、全然知りませんでした。私ってつくづく、仕事以外のことはなんにも知らないで生きていたんですね……」

「それは仕方ないさ」

 

 月見は、一口サイズの小さな煎餅を一枚手に取った。

 

「私だって、妖夢と出会うまでは日本庭園のことをなにも知らなかった」

「……」

「なにもかもを知って生きるなんて、誰にもできっこないよ」

 

 口に放り込む。横から、老婆が「そうねえ」と同意する。

 

「私だってもう随分長生きしたけど、それでも知らないことばっかりだわ。毎日が勉強ね」

「そう……なんですか」

「そう」

 

 月見は煎餅をのみこみ、

 

「だから、そう深刻に考えることもないよ。確かに今までは知らなかったけど、今日知ることができただろう? だったら明日からは違う自分だ。それで問題ないと、私は思うよ」

「……」

 

 妖夢は少しの間、手の中で半分の長さになった麩菓子を見下ろしていた。ゆっくりとした動きで端っこをかじって、むぐむぐと咀嚼し、それから、

 

「……そうですね」

 

 自分とは違う考え方をする月見を、羨むような笑みだった。

 

「そういう風に考えた方が、楽しいですよね」

 

 吐息、

 

「まったく、月見さんには敵いま」

 

 ぐぐう。

 腹の音だった。

 妖夢の、腹の音だった。

 なかなか技アリのタイミングであった。

 

「「「……」」」

 

 痛々しいまでの沈黙。妖夢の笑顔がすっかり引きつって、決壊寸前でぷるぷる震えている。なにかを言わなければならない。言わないと妖夢が泣く。なので月見は機転を利かせ、

 

「……お前、幽々子に似てきたんじゃないか?」

「いやああああああああっ!!」

 

 妖夢が小上がりから転げ落ちた。地べたに座り込んで、自分の腹を拳でガスガス殴る、

 

「どうしてっ、どうしてこのタイミングでお腹が鳴るんですかっ、どうしてこんなに空気が読めないんですか!? 確かにお腹は空いてますよ、お昼時ですもんねっ、でもお菓子を食べてなお鳴るなんてこれじゃあ本当に幽々子様みたいじゃないですかあああああ私のお腹のばかあああああぅえほっけほっ」

 

 しかも思いっきり殴りすぎてむせている。

 

「……」

 

 月見はぼんやりと思う。もちろん、妖夢が常日頃から、天然というかドジっ娘というか、失敗が多いタイプの女の子であることは知っている。しかし、それでも、果たしてここまでひどかっただろうか。本当に絶好調である。なんというべきか、とにかく、これではもはや紫や操にも引けを取らない。

 あの二人と同レベルとは――なんだかだんだんと妖夢が哀れに見えてきた月見だが、老婆だけが「あらあら」とまったく動じていない。

 

「じゃあ、そろそろお昼を食べてらしてはどうですか?」

「そうだね。そうしようか」

「うう、至極真っ当な反応がかえって辛いよぅ……」

 

 月見は立ち上がって、しょんぼりしている妖夢の肩を叩いた。

 

「ほら、行くよー」

「あっ、待ってくださいまだお菓子が、」

 

 妖夢は食べかけの麩菓子を残らず口に突っ込んで、お茶で一気に流し込む。ごちそうさまでしたっと湯呑みを返すと、老婆が、

 

「気に入ったおもちゃはあった? なんだったらお土産に持って帰ってもいいのよ」

「い、いえそのっ、幽々子様に笑われる未来が丸見えなので遠慮しておきます!」

「けん玉とかいいんじゃないかい」

「絶対に嫌です!!」

 

 と、まあ。

 そんなこんなで、一軒目のお店から大変濃密で有意義な時間を過ごすことができた。

 

「せっかくだし、食べ歩きでもしてみようか。出店でいろいろ売ってるしね」

「食べ歩きですかあ……やったことないです」

「じゃあ決まりだ」

 

 さて、妖夢には悪いけれど――。

 次の店ではどんな騒動を見せてくれるのだろうと、ちょっぴり期待し始めてしまっている月見なのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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