銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色
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東方地霊殿 ① 「想いと嘘で固める指先」

 

 

 

 

 

「――ねえ、ちょっといいかい?」

 

 知らない声だった。振り向いてみると、やはりそこにいたのは知らない少女だった。円の形をした巨大な注連縄を背負った、古めかしい出で立ちをした少女だった。

 疑問符。

 誰だろう。ひと目で地底の住人ではないとわかった。続けざまに地上の妖怪かと考え、首を振り、それにしては嫌に澄んだ少女の気配から、神様なのかもしれないと思った。

 珍しい。神様を見たのなんて何年振りだろう。

 だが、それはいい。それよりも不可解なのは、なにゆえ地上の神様がこんなところで、わざわざ自分に声を掛けてきたのかだ。疑問は静かな警戒に変わる。

 

「……なに?」

 

 露骨に凄んでそう返したが、少女はどこ吹く風と涼しげに、

 

「いや、ちょっと尋ねたいことがあってね」

 

 少し、拍子抜けしたと思う。地上の神様がこんな地底くんだりまで直々にやってきて、尋ね事なんて。普通、そういうのは遣いを立ててやらせるものではないのだろうか。

 変なやつ。

 怪訝は、再び同じ問い掛けの言葉となった。

 

「なに?」

 

 少女は、魔女のように笑った。

 

「なあに、大したことじゃないよ。ねえあんた――」

 

 本当にどうでもいいことだったら、適当に答えてやりすごそう。そう心に決めて、やたら勿体ぶっている少女の言葉を鼻白みながら待っていると、

 

「――ちょいと神様の力に、興味あったりしない?」

「……?」

 

 少女が放った蜘蛛の糸に、心が絡み取られたのを感じた。

 

 今冬はじめての雪が降った、白の地底。

 これが、すべてのきっかけで。

 どんな言葉で己を責めても決して足りることのない、どうしようもない後悔の始まりだった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 今年一番の雪が降った。

 随分積もった。月見の腿くらいまでは届くかもしれない。里人や山の妖怪が、今年は雪が少ないと口々に言い合い、このまま過ごしやすい冬になるかと思われた矢先の出来事だった。

 その日簡単な朝食を摂った月見は、和装コートを着込み手袋をつけ、朝の雪掻きをするため玄関の戸を開けた。

 広がるのは、粋な雪化粧を施された日本庭園である。土も石も草も木も、みんな深々と真っ白い雪で着飾って、冬もかくやの幻想的な景色を作り上げている。秋も秋で見事だったが、やはり冬の景色が持つ儚さと寂しさは、えも言われぬ美しさとなって心の奥に染み込んでくる。思わずこぼれたため息が、月見の目の前にふっと白い靄を掛けた。

 玄関の戸を閉めるのに合わせて、池の方でぱしゃんと水の跳ねる音がした。

 

「旦那様~」

 

 わかさぎ姫が、冬の水面から上半身を出して元気に手を振っていた。月見はその場で手を振り返す。

 

「おはよう、ひめ」

「おはようございますー。たくさん積もりましたねぇ」

 

 この屋敷で生活してもう半年以上になる月見だが、此度冬になってはじめて気づかされたことがある。近くで温泉が湧いている恩恵なのか、水月苑の池は冬でもさほど水温が下がらないらしいのだ。なので冬本番に突入しても水面が凍りつく気配はまったくなく、わかさぎ姫も元気にそのへんを泳ぎ回っている。

 わかさぎ姫は、冬になってからは首にマフラーを巻いていた。水の中の生活でどのような意味があるのかはわからないけれど、とてもよく似合っているのは間違いなかった。和服とマフラーは意外と相性がいいのだ。

 月見は立てかけてあった雪掻き用のスコップを手に取り、

 

「どうだい、今日の水温は」

「はぁい、やっぱりあんまり冷たくならないですー。とっても過ごしやすいですよぉ」

「そいつはよかった」

 

 雪掻きを始める。目の前の石畳をまっすぐ、反橋の近くまで。石の凹凸があるので、ざっくりと掬い取ってあとは尻尾でぺしぺし払い飛ばす。

 わかさぎ姫が、畔の岩場にもたれかかって言う。

 

「やっぱり、冬になっても素敵なお庭ですねぇ」

「そうだね。今度、妖夢にも伝えてあげてくれ」

「はぁい」

 

 水月苑正面の反橋は、雪をたっぷりと積みあげて天然の滑り台と化していた。もちろんチルノの仕業である。この前は大妖精やフランやその他妖精たちを連れて来て、みんなでそり滑りをして遊んでいた。

 なので、橋の周辺は雪掻きの対象外とする。どうせ冬の間は、滑って危険だからと言って渡る者もいない。

 庭園の方も、歩く道を確保する程度はやっておかなければならない。大丈夫だとは思うが、雪の下に埋もれた植物をスコップでへし折ってしまったら幽香に怒られるので、念のため、尻尾で優しく雪をどかすだけにしておく。

 もふもふ除雪機を運転する月見に合わせて、わかさぎ姫がちゃぷちゃぷと池を泳いでいる。

 

「その尻尾、とっても便利ですねえ」

「こういうときは重宝するね」

 

 もし月見にこの尻尾がなければ、スコップで雪をすくっては投げ、すくっては投げをこの庭中で繰り返さなければならないわけで、それはとんでもない重労働だと思うし、夏の異変で白玉楼の雪掻きを一人で成し遂げたらしい妖夢が、一体どれほど大変な思いをしたかがよくわかって、月見は少し目頭が熱くなるのを感じた。

 と、

 

「――てやっ」

「!?」

 

 とんでもない勢いでなにかが飛んできたのを察知し、月見は咄嗟に尻尾を振るった。

 それは雪球だった。尻尾で打たれると同時にべしゃりと潰れ、次の瞬間には粉々の欠片となって宙に散る。大小様々な大きさの粉雪が視界を彩る中、月見は半目で、

 

「……いきなりなにするんだい」

 

 わかさぎ姫は残念そうに、

 

「あー、防がれちゃいましたぁ」

「話聞いてるかな」

「私、寒いのは苦手なんですけどぉ、雪合戦は大好きなんですー」

 

 果たして雪合戦とは、プロ野球選手ばりの剛速球で雪球をぶん投げる容赦のない遊びだっただろうか。

 

「こう見えても私、水の中だと強いんですよぉ。ぱわーあっぷするんですー」

 

 わかさぎ姫は水辺の雪でせっせと雪球を作り、それを女の子らしくだいぶ雑な感じで振りかぶって、

 

「せいっ」

 

 140km/hくらいは出てたんじゃなかろうか。月見がまた尻尾で弾き飛ばすと、わかさぎ姫はぱちぱちと拍手をした。

 

「ほーむらぁーん」

「あのさひめ、私はいま雪掻きをしてるんだけど」

「雪合戦はお嫌いですかー?」

「いやだから、」

「むむう。ならば次は、わかさぎ印の魔球をお披露目いたしますよー」

 

 この子は間違いなく赤蛮奇の親友なのだと思う。

 わかさぎ姫がまたせっせと雪球を作り始める。鼻歌交じりで、とてもいきいきとしていて楽しそうである。それ自体はとてもよいことなので、更にもうひとつだけ、人の話を聞いてくれるとすべてが丸く収まると思うのだがどうだろうか。

 

「……?」

 

 そんな中で、月見が『ソレ』に気づいたのは偶然だった。わかさぎ姫の遥か後方――白い化粧をした森の方から、ふよふよとなにかが飛んできている。人の頭くらいの位置を、頭くらいの大きさのなにかが。

 それは一見すると、妖精に見えた。断言できなかったのは、姿がこのあたりの妖精とは大きく違っていたからだ。雪に溶け込む色素の薄い体をして、頭の上には輪っかまで浮かべている。けれど天使のような神々しさはかけらもなく、むしろ「お化けの仮装をした妖精」という表現が似合う出で立ちであった。

 そんな灰色の妖精は池の上を渡り、どんどんわかさぎ姫の背後に近づいてくる。雪球作りに夢中なわかさぎ姫は、「わかさぎ印の魔球は固さが命ですー」とまったく気づいていない。

 

「おいひめ、後ろ」

「え? ……もぉー、そんなお決まりの手には引っ掛かりませんよー?」

 

 なにもこのタイミングで頭がよくならなくても。そんなことをしているうちに、妖精はもうほんの真後ろまで迫ってきていて、

 

「嘘じゃなくてほんとに」

「ばあああああっ!!」

「ふみ゛いいいいいぃぃぃっ!?」

 

 自分のすぐ耳元でシャウトされて、わかさぎ姫はものすごい勢いで水の中に逃げた。

 だから言ったのに。

 

「あははははは!」

 

 いたずら好きな灰色妖精は大声で笑い、水面近くでくるくると喜びの踊りを踊って、そのまま山の上に向かって飛んでいってしまった。

 

「……ふむ?」

 

 なんだったのだろう、今の。いや、「妖精がわかさぎ姫をおどかした」のは見た通りなのだが、それにしてもなんだか腑に落ちない。あれは一体どこの妖精で、なぜわざわざお化けみたいな恰好をしていたのか。

 ……ところで、わかさぎ姫はどこに。

 

「ひめー?」

「ふ、ふあい……」

 

 か細い返事がどこからか返ってきた。池を見回して捜してみると、わかさぎ姫は反橋の下の影に紛れ、いかにも外敵に怯える小動物のような有様で、水面から顔をちょこっとだけ出していた。やはりか細い声で言う、

 

「な、なんだったんですか、今のはぁ……」

「妖精だね。いや、見事な手際だった」

「みいい……」

 

 ここからでは遠くてよくわからないが、きっと今のわかさぎ姫は涙目のはずだ。

 

「も、もういませんよね……? 大丈夫ですよねっ……?」

「ああ、もう飛んでいったから大丈」

 

 いきなり山の上から、

 

「――ぶわあああああっ!!」

「ひぎゃああああああああああ!?」

 

 ……ああ、この悲鳴にはとても聞き覚えがあるような。具体的には過ぎ去りし秋、赤蛮奇の体捜し中に出会った山彦の少女が、ちょうどこんな感じの金切り声を上げていたような。

 わかさぎ姫が、鼻の先まで水につけてぶるぶる震えている。なので月見は緩く息をつき、

 

「……どれ、じゃあちょっとどうにかしてくるよ」

 

 わかさぎ姫が、水面を波立たせながら八回くらい頷いた。

 月見は已むなく雪掻きを中断し、一度屋敷に戻って身支度を整える。そうこうしている間に、また上の方から「ひょおおおおおいっ!?」と悲鳴が聞こえてきた。今度はにとりか。

 寒さが肌を刺す冬だからといって、特に物静かになることもなく。

 今日もあいかわらず元気で、あいかわらず賑やかな一日の始まりである。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「温泉だ――――――――――っ!!」

「霊夢のバカ――――――――っ!!」

 

 そして天子は霊夢を羽交い締めにした。正気を疑った。まさかこの世界に、間欠泉に満面の笑顔で飛び込もうとするおバカちゃんがいるなんて。

 この幻想郷において、天子が日頃からよく訪ねる場所といえば三つある。第一が職場(てらこや)のある人里であり、第二が月見の住む水月苑であり、第三が霊夢の住む博麗神社である。そして日頃から多くの時間を共有する人物も三人おり、第一が仕事仲間の上白沢慧音であり、第二が恩人の月見であり、第三が友達の博麗霊夢なのである。

 仕事の都合で慧音の家に泊めてもらったことがある。水月苑にお泊りしてみたこともある。

 だから時には、博麗神社でささやかなお泊り会を催すことだってあるのだ。

 最初は、せめてもの罪滅ぼしのつもりだった。去りし夏の異変で、天子は計算違いから博麗神社を地震で倒壊させてしまい、霊夢に散々な迷惑を掛けた。今ではすっかり新しく建て直されたし、霊夢も「もういいのよ昔の話は」と笑って許してくれたのだが、だからといって自分にできる償いをなにもしないのは甘えだと天子は思っている。

 そんな気持ちからあるとき、天子は霊夢のために夕飯を作ろうとした。霊夢は一人暮らしだからきっと毎日の家事には苦労しているはずで、ちょっとでも力になれればいいなと思って。『元箱入りのお嬢様』というだけでなぜかやたらと勘違いされるのだが、一応はちゃんと料理ができる天子である。

 しかし、人里で食材を集め意気揚々と神社を訪ねた天子は、土間に案内された瞬間愕然と立ち尽くすこととなる。

 詳細は省くが。

 ねえ霊夢。霊夢も一応女の子なんだし、もっとこう、ね。

 なので天子は、子どもたちの勉強の先生に次いで、霊夢の料理の先生になった。

 もちろん霊夢は面倒くさがった。すこぶる面倒くさがったが、普通に料理上手な天子に対抗意識を燃やした部分もあったようで、たまに一緒に作るくらいならまあ、という方向で了承してもらえた。それ以来は週に一度は必ず食材引っ提げ神社を訪ね、霊夢と一緒にお料理教室を開くのが、天子の新しい仕事みたいなものだった。お泊り会は、その延長線上でやったりやらなかったりする。

 話を戻そう。

 そんなこんなで今回、天子は博麗神社に泊まった。そして今朝、神社の掃除を手伝っていたところで森から立ち上がる不審な煙に気づき、様子を見に来てみれば間欠泉が噴き上がっていたというわけなのだ。

 目の前で、何メートルもの高さにまで熱湯が勢いよく噴き上がっている。天子は霊夢を無理くり引きずって、飛沫が掛からない位置まで大急ぎで離れる。霊夢がジタバタと喚く。

 

「放しなさい天子っ、あの漂う湯気が見えないの!? とってもあったかそうじゃない!」

「あれは湯気じゃなくて蒸気っていうんです!? 霊夢、間欠泉の温度って知ってる!? 温泉とはワケが違うんだよ!?」

 

 四十度などという生易しいレベルではない。間欠泉で噴き上がる熱湯は、圧力の関係からときには水の沸点である百度すら軽々と上回ってしまう。目の前で噴き上がる間欠泉が正確に温度かはわからないが、もうもうとばら撒かれる蒸気から、「わ~いあったかそ~」なんて気持ちで飛び込んだら最後、生死の境を彷徨って永遠亭行きになるのだけは間違いない。博麗の巫女、間欠泉に飛び込み全身大火傷、意識不明の重体。まったく笑えない。

 霊夢がピタリと動きを止めた。半信半疑な顔で天子を振り向き、

 

「……そうなの?」

「そ、そうよ。中には温泉くらいの温度のもあるみたいだけど、火傷しちゃうくらいなのがほとんどなの。だからほら、危ないからもうちょっと下がろう?」

「……まあ、天子が言うならそうなんでしょうね。むう、残念だわ」

 

 寺子屋には「なんで勉強なんかしないとダメなの?」と面倒くさがる子どもも少なからずいるが、これがひとつの回答だろう。知識があれば、自分の言葉を信用してもらえる。頭の悪いやつだと見くびられてはこうはいかない。

 間欠泉から充分距離を取ったところで、霊夢を羽交い締めから解放する。霊夢は名残惜しそうに腕を組んで言う。

 

「……しかし間欠泉ねえ。こんなところでなんでまた」

「さあ……」

 

 果たして間欠泉とは、こうもある日突然噴き上がるものだったろうか。元々温泉が湧いている水月苑ならまだしも、こんな山奥の森の中で。原理を説明できるほど専門的な知識はさすがに持っていないので、なんとも言えない。

 

「でも間欠泉って、要は温泉でしょ? めちゃくちゃ熱いって話だけど、なんとかして冷ませば参拝客集めに使えないかしら……」

 

 霊夢が大真面目な顔をして考え込んでいる。恐らく今、彼女の脳内は冬になって以来の目まぐるしい速度で回転しており、「萃香に頼めばいけるか……?」とか絶対考えている。ねえ霊夢、参拝客を集めたいんだったら、温泉より先にやるべきことがあると私は思うな。

 天子はいつも、博麗神社に通う際は空を飛んでいる。理由は二つ。山奥の神社なので単純に飛んだ方が楽だから。そして、参道という名の獣道が怖くて歩けなかったからである。

 あんな道をわざわざ好き好んで歩くのは、筋金入りのハイキング好きで、かつ心臓に毛が生えているやつくらいに違いない。道が木の根でデコボコうねっているためひどく歩きにくいし、植物が鬱蒼と生い茂っているせいで周囲の状況がまるでわからない。あれでは妖怪が隠れていたってそうそう気づけないし、茂みから飛び掛かられたらもうおしまいだ。夜中にあの道を一人で歩けと言われたら、天子は泣きながら命乞いをする自信がある。

 あの参道さえどうにかすれば、里から参拝客も来てくれるかもしれないのに。

 

「……とりあえず、一旦戻ろ? お掃除も途中だし」

 

 どうあれ、着の身着のままな今の天子たちにできることはなにもない。温泉を作るにせよなんにせよ、一度戻って対策を考えなければ。

 天子は、霊夢の手を握って踵を返そうとした。

 

「――霊夢っ!!」

「うひゃい!?」

 

 突然真横に人影が降ってきて、天子は見事尻からひっくり返った。

 死ぬほどびっくりした。というか死んだかと思った。あ、涙が。

 

「ん……ああ、天子」

 

 人影の正体は、もふもふ九尾がチャームポイントな八雲藍だった。う、と天子は内心で尻込みする。夏の異変でいろいろなことあったものだから、天子は八雲紫とその式神である藍が少々苦手なのだ。怖いわけではないし、彼女たちが天子を許してくれたのも知っているが、それでもどんな顔をすればいいのか未だにわからないでいる。

 とりあえず、手を差し伸べてくれたのでそれは素直に受け取っておく。

 

「えっと……ありがとう」

「いや、驚かせてすまなかったね。ちょっと慌ててたから」

「どうかしたの?」

 

 なぜかまったく驚いていない霊夢が問うた。ああ、と藍は振り向き、

 

「ここにいるということは霊夢も気づいてると思うけど、今、このあたりの山で次々間欠泉が噴き上がってる」

「え、」

 

 なにそれ初耳、という顔を霊夢は一瞬して、

 

「……あー、そ、そうね。一体なにが起こってるのかしら」

 

 じとー、と天子は霊夢を半目で見た。霊夢はさっと目を逸らした。

 藍はまったく疑った素振りもなく、ひとつ大きく頷いて続ける。

 

「それだけならまだしも、間欠泉と一緒に地底の妖精まで出てくる始末でね」

 

 ――妖精?

 天子は間欠泉を見た。熱湯が噴き上がり、白い蒸気がもうもうと曇り空に伸びている。少なくとも天子の目には、なんの変哲もない間欠泉のように見える。妖精の姿なんてとりわけどこにも、

 

「あっ」

 

 なんの前触れもなかった。間欠泉の最高到達点より少し上の空で、あぶりだしをするように妖精の姿が浮き上がった。その妖精はまるで熱がった様子もなく、蒸気の中をくるくる回りながら甲高い声で笑って、そのまま妖怪の山の方角へ飛んでいってしまった。

 それが、立て続けに三匹だった。

 藍が軽いため息とともに、

 

「……とまあ、あんな具合でね」

 

 今のが、地底の。

 天子が見慣れている妖精とは随分と雰囲気が違った。地上の妖精といえば明るくてかわいらしい服を着、いつも元気に笑っているのがほとんどだが、さっきのは色の薄い寝間着のようなワンピースで、顔色も死人同然だった。唯一羽が生えているのを除けば、妖精というよりは西洋の少女の亡霊だ。地底といえば地獄がある場所だから、妖精も自然とそういった性質を帯びるのかもしれない。

 霊夢が首を傾げ、

 

「でも、あれって結局ただの妖精よね? なにか問題でもあるの?」

「妖精が出てきたのなら、他の連中まで出てきてしまう可能性がある。……妖精程度なら笑ってられるけど、これでもし地霊でも出てきたら事だよ」

 

 地霊とは確か、地獄の亡者の恨み辛みを凝縮した思念体――要するに悪霊――だったはずだ。地上の生き物には百害あって一利もない。

 藍は目を伏せ、呟くような声音で、

 

「……そういう危険な存在は、藤千代たち鬼が封じてくれてるから大丈夫だと思うけど」

 

 彼女がなにを言おうとしているのか、なんとなくわかった。

 鬼たちがきちんと封じてくれているから、地霊が単なる手違いで出てきてしまう可能性はない。つまり、もし本当に湧き出てきてしまうようなことがあれば――。

 天子でさえここまで気づいたのだから、勘のいい霊夢ならとっくに察していたはずだ。口元に手を当て、少しの間考え込む素振りを見せてから、

 

「……異変、かしらね」

 

 そう、無感動な声でぽつりと言った。

 その、文字にすればたった二つだけの言葉に、天子の心臓は握り潰されるような息苦しさで軋んだ。甦った夏の記憶が一斉に押し寄せる。軽い気持ちが大きな過ちを招き、将棋倒しとなってもはやどうすることもできず、誰も幸せになれない悲劇の争いを生み出してしまう――またあれと同じことが起こるのかと、つい無意識のうちに考えてしまって、しばらくの間呼吸をすることすらできなくなっていた。

 霊夢も藍も、同じ記憶が脳裏を過っていたのだと思う。誰しもが言うべき言葉を見失い、互いの顔を見ることもできず沈黙する。また間欠泉から湧き上がってきた妖精が、ケタケタと気味の悪い声で笑っている。冬の凍える北風が吹き抜けていく。もうこのままどうすることもできなくなってしまうと思われたそのとき、膠着は思わぬ方向から破られた。

 

「――ぅお~い、霊夢~っ!」

「……!」

 

 張り詰めていた緊張がどっと解けた。振り向くと、愛用のほうきにまたがって、ぶんぶんと危なっかしいくらい大きく手を振って、空高くから飛んでくる魔理沙の姿が見えた。

 藍が、救われたようなため息をついた。

 

「……どうやら、相方のご到着みたいだね」

「なによそれ。あんなの、ただ面白半分で毎回くっついてきてるだけでしょ」

 

 口振りこそ素っ気なかったが、霊夢もまた今だけは、魔理沙の乱入を心の底からありがたがっているようだった。

 やってくるのは魔理沙だけではない。後ろで、誰かが一緒にまたがっている。魔理沙の元気な表情がはっきり見て取れるくらいの距離になって、ようやくそれがアリスだとわかった。

 天子はもちろん、霊夢も意外そうに眉を上げた。

 

「あら、アリスじゃない。珍しいわね」

 

 人里で教師をやっている手前、天子も名前くらいは知っている。魔法の森に住んでいる人形師の少女で、しばしば裁縫道具や反物を求めて里で買い物しているのを見かける。ただ極度の人見知りらしく、話ができたことは一度もないし、唯一知っている『魔法の森の人形師のアリス』だって慧音から又聞きしたものなのだけれど。

 これはもしかすると、アリスと話ができる絶好のチャンスかもしれない。見た目が同じ年齢くらいの相手だから、前々から話をしてみたいと思っていたのだ。月見の影響で、今の天子は友達作りに積極的なのである。

 藍が、天子と霊夢と順に見ながら言った。

 

「人数も増えてきたし、一度神社に戻ろう。これからやるべきことについて、少し話をしないとならないだろうしね」

 

 魔理沙たちと合流し、みんなで神社に帰る道すがら、天子は早速アリスに声を掛けてみた。

 その結果、めちゃくちゃ驚いたアリスが魔理沙のほうきから転落しかけた。なんというか、ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうも間欠泉から湧き出た地底の妖精は、山を下り魔法の森まで飛んでいってしまっているようだった。

 魔理沙曰く。

 見慣れない妖精どもが森のあちこちで好き勝手に暴れ回り、貴重なキノコを踏み潰すわ危険なキノコの胞子をバラまくわ、迷惑極まりないので十匹ほど成敗してきたのだそうだ。そしてその中の一匹を生け捕りにし尋問してみたところ、地底からやってきたなどという興味深い話を聞けたので、霊夢に知らせようと思いほうきをかっ飛ばしてきたらしい。アリスは、特に予定もなく家でのんびりしていたのが災いして、問答無用で連れ出されてしまったとのこと。

 博麗神社へ戻ってきた天子たちが、現状の把握のため魔理沙とアリスから聞き出した情報の要約である。

 ひと通りの話を聞き終わり、頭の中で五秒ほど整理する間を置いてから、霊夢は炬燵を囲む皆を見回しこう言った。

 

「――やっぱりこれは異変よ」

 

 顔はいかにも鹿爪らしく博麗の威厳を漂わせていたが、首から下は背中を丸めて炬燵の中なので、全体的にはカリスマブレイクだった。

 

「今日になって突然あちこちの山で間欠泉が噴き上がって、地底から妖精まで出てきてる。こんな偶然ってないわよ。地底の誰かが悪さしてるんだわ」

 

 天子も概ね同感だった。間欠泉が博麗神社の一ヶ所だけだったなら、単なる偶然で片付けられていたかもしれない。しかし藍の報告によれば、間欠泉はここ以外でも五~六ヶ所は発生しているという。ここまでの規模になってしまえば、やはり地底でなにかがあったのではと疑わずにはいられない。

 藍も頷く。

 

「そうだね。間欠泉を通って地上に出るなんて破天荒な方法を、妖精たちが自分で思いつくとは思えない。恐らく、誰かが手引きをしているんだろうね」

 

 魔理沙の目がきらりと光った。

 

「霊夢、これが異変ってんなら当然調査が必要になるよな? 地底に行くなら私も便乗させてもらうぜ。どんな場所なのか前から気になってたんだ」

「どんな場所って、普通に地下でしょ?」

「バッカお前、それをこの目で確かめたいんだよ。地下に広がる世界とか、ロマンの塊じゃないか」

 

 こいつの趣味はよくわからん、という顔を霊夢はした。天子には少しわかった。未知の世界とは、いつの時代も人の好奇心を惹きつけるものなのである。かつての天子が、月見という妖怪に、引いては彼が幻想郷で描く世界に憧れたように。

 しかし、この事態を異変と見なし霊夢と魔理沙が調査に向かうのであれば、気になることがひとつ。

 

「でも地底って、確か立ち入り禁止じゃなかったっけ」

「知るかんなもん。異変解決がなにより最優先だぜ」

「そんなテキトーな……」

「いや、あながち間違いでもないよ」

 

 藍が言う。

 

「確かに立ち入り禁止ではあるけど、それも『原則は』だ。事故にせよ故意にせよ、地上に地底の住人が出てきてしまっているのは向こうの不手際。こちらから使者を送る権利くらいはあるだろう」

 

 炬燵からむくりと起き上がった霊夢も続く。

 

「掟守るのも大事だけど、それでみんなを危険に晒してもね。異変が起きてるのなら、私は博麗の巫女として動くだけよ」

「霊夢……」

 

 霊夢の立派な物言いに、藍が感極まってウルウルしている。魔理沙も目を丸くし、

 

「なんだお前、今回は随分と頼もしいな」

「そりゃーそうよ、だって妖精が湧く温泉なんかじゃ客取れな」

 

 盛大な咳払い、

 

「ほ、ほらあれよ、夏の異変じゃあ痛い目見たんだし、さすがの私も今回はちゃんと動くわ! ……本当だってば、だからそんな目で私を見るなあっ!」

 

 天子がじとーっと半目を霊夢に突き刺し、藍が「霊夢……」と乾いた笑顔でしょんぼりしている。魔理沙が「やっぱ霊夢は霊夢だったな」と呆れ、アリスは興味もないのか上海人形のお手入れをしている。

 あーもおー! と霊夢がヤケクソで叫んで、

 

「ともかくっ! これが異変だってんなら、地底より先にまず行かなきゃならないとこがあるわ!」

「?」

 

 天子は疑問符を浮かべた。霊夢はテーブルに拳を落とし、毅然とした声音で言い放った。

 

「――月見さんのとこよ」

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 まっさきに疑うべきはあの狐だ。

 あの狐、夏の異変では素知らぬ顔をしていたくせに、裏では黒幕の天子とバリバリつながっていたという言い逃れのできない前科持ちである。しかも彼は、幻想郷の中では極めて数少ない、地底への自由な立ち入りが許されている妖怪でもある。この異変の黒幕が、またもや彼の知人友人であるというオチは否定できない。二度と同じ手は喰うものか。だからまず手始めに水月苑を強襲し、この異変について知っていることを洗いざらい吐かせてやるのだ。

 と勇んで突撃した水月苑で、しかし霊夢は、気勢をすべて挫かれ呆れ果てることになったのだけれど。

 

「……ねえ、月見さん。温泉宿の次は幼稚園でも開業したの?」

「……はっはっは」

 

 月見はただ、悄然と乾いた笑みだけで答えた。

 間欠泉から発生していた、オバケみたいな姿をした地底の妖精。雪の降り積もった水月苑の庭が、すっかりあの妖精たちの遊び場と化していた。

 ざっと見渡しただけでも二十匹近くはいる。わかさぎ姫と雪合戦をしたり、にとりと巨大かまくらを作ったり、響子とかいう山彦と橋を使ってのそり滑りをしたりしている。そしてきゃーきゃーと甲高い歓声で遊ぶ少女たちを、月見が縁側から物静かに見守っている。

 完全に幼稚園、もしくは託児所の類である。

 一応事情を聞いてみれば、彼の言い分はとてもありきたりな一言に集約された。――まさかこんなことになるとは思わなかった。

 発端は、月見が朝の雪掻きをしている最中、どこからともなく飛んできたオバケ妖精がわかさぎ姫をおどかして去っていったことだった。その後、どうも山の方が騒がしいので様子を見に行っていると、あちこちに発生した地底の妖精があれやこれやのいたずらを繰り広げて回っていたのだ。そして、あー月見さんいいところになんとかしてくださいよこれーと天狗や河童から便利屋扱いされ、一匹また一匹と預かっていくうちに、いつしか水月苑が幼稚園代わりになってしまっていた。今でも文やはたてが幻想郷中を飛び回っていて、新しい妖精を発見次第ここへ連れてくる手筈になっている。

 という、なんとも呆れ果てた話だった。

 天子がくすくすと笑った。

 

「なんだか月見らしいなあ」

「同感」

 

 魔理沙が肩を竦め、

 

「なんつーか、こういうちっちゃいやつらの世話が似合うよなお前って」

 

 霊夢もそれには同意する。彼の人間性の為せる業なのか、小さい女の子と一緒にいてもキケンな香りというのがまるでしないのだ。まったく、他の野郎どもに爪の垢を煎じて飲ませてやってほしい。もしも山の変態天狗が月見と同じことをやっていたら、霊夢は脊髄反射で弾幕を叩き込む自信がある。

 月見は息だけの苦笑を応えとして、

 

「いらっしゃい、みんな。アリスははじめてかな」

「そ、そうね……。遠くから見たことは、あったけど」

 

 霊夢は今更ながら、

 

「そういえばアリス、あんた月見さんからは逃げないのね」

「? どういうこと?」

 

 首を傾げた天子に魔理沙が説明する。

 

「こいつが超絶人見知りってのは話したろ? そん中でも男と話すのだけはからっきしでな、大抵は挨拶もできずに逃げ出しちまうんだ」

「へえ……」

「まともに話せるのなんて、香霖くらいだったはずなんだけどなー?」

 

 魔理沙に意味深な横目を向けられ、アリスはぷいとそっぽを向いた。

 

「わ、私だって、なんとか慣れようとしてるのよ」

「ここまで長かったけどねえ。今まで何度逃げられたことか」

「っ……!」

「シャンハーイッ!」

「いでで、こらこら耳はダメだよ」

 

 余計なことを言った月見に上海人形をけしかけ、グイグイと耳を引っ張らせる。……本当に驚いた、こんなアリスを見たのははじめてだった。たとえ上海人形経由とはいえ、操っているのは他でもないアリス自身だから、これはつまりアリスが自分の意思で異性の体を触ったということではないか。明日は大雪が降るのだろうか。いやいっそ槍か。待て待て、今日になっていきなり間欠泉が発生したのってひょっとしてそういう。

 あと天子、羨ましそうな目で上海人形見るのやめろ。

 月見が上海人形を両手で捕まえ、膝の上に置いた。

 

「……で、今日は一体なんの用で? 子守りの手伝いなら大歓迎だよ」

「あ、じゃあ――いだい!?」

 

 コロッと寝返ろうとした天子をチョップで黙らせ、霊夢は本題に入る。

 

「実は今朝から、ウチの神社の周りで突然間欠泉が噴き上がってね」

「間欠泉?」

 

 なんだそりゃ、と言うような反応だった。いかにもシロっぽいリアクションだが、油断はしない。この男は狐なので、何食わぬ顔でさらりと嘘をつく一面があるのを忘れてはならない。

 

「で、ここで遊び呆けてる妖精って、みんなその間欠泉から一緒に湧いてきたやつなのよ」

 

 月見が喉で笑う。

 

「なんだ、そんな危ないことしてやってきたのかこの子たちは」

 

 どんな小さな違和感ひとつも見逃さぬよう、霊夢は月見の隅々にまで目を光らせる。

 

「でね? 普通、間欠泉が何ヶ所も発生して、しかもそこから地底の妖精まで湧いてくるなんて考えにくいでしょ? だから私たち、地底で誰かが悪さしてるんじゃないかと疑ってるんだけど」

 

 月見の目つきが少し遠くなる。何事か考え込んでいる。

 霊夢は一気に切り込む。

 

「もし本当にそうだとしたら、これって立派な異変でしょ。――ねえ、単刀直入に訊くけど」

 

 決して言い逃れなど許さぬよう、月見にぐいと笑顔を近づけて、息がかかるほどの距離から、

 

「――この異変にも、裏で一枚噛んでたりしない?」

 

 月見は二つの反応を見せた。まずぽかんと呆けた顔で霊夢を見返し、それからすべて納得したように薄く微笑んだ。

 

「なるほどね。……夏の異変がああだったものな、疑われるのも当然か」

「そうそう。洗いざらいゲロっちゃった方が楽になるわよー?」

 

 正直なところ自分ではいい線を行っていると思っていたのだが、月見は素気なく首を横に振った。

 

「残念だけど、今回はなにも知らないよ」

 

 本当のことを言っているようにも見えるし、嘘をついているようにも見える。霊夢は目を眇め、

 

「本当かしら。今回も月見さんの知り合いの仕業とかいうオチじゃないの?」

「さあ」

「……ねえ、弾幕ごっこでボコボコにしたら教えてくれる?」

 

 月見は苦笑、

 

「いや、本当に知らないってば。それに私、スペルカードなんて持ってないよ」

 

 むう、と霊夢は唸った。なんとなく、嘘ではないような気がした。あくまで霊夢の勘であり、彼が嘘をついている可能性を少しも減じるものではないけれど。

 というより、これがもし本当に嘘だったら大したものだ。それはつまり、月見が霊夢を騙しているばかりでなく、夏の異変で起こった事件をなにも反省していないということなのだから。あのときの悲劇を少しでも悔いる気持ちがあるなら、この期に及んで嘘をつくなんて芸当は冗談でもできないはず。

 そう考えれば、月見のことだから、本当なのだろう。

 

「誓って?」

「誓って」

 

 ならよし。

 ――いや、よくもないのか。どうせ今回も一枚噛んでいるであろう月見から黒幕の情報を聞き出し、最短距離で異変を解決するという霊夢の完璧なプランが、出だしでいきなり躓いてしまった。こうなると勘と運に任せて地底を手当たり次第に捜索するしかないが、土地勘もない場所だし苦労させられそうだ。ちょっと面倒くさい。

 いっそ月見さんを連れて行こうかしら、と結構真面目に悩んでいたら、

 

「――きゃっ!?」

 

 突然、後頭部に衝撃。次いで、襟巻きの隙間からうなじ全体に広がった、鳥肌が立つほどの冷たさ。――後ろから雪球をぶつけられたのだ。振り返れば、頭が雪まみれになった霊夢を見て、きゃっきゃきゃっきゃと笑っている妖精がいた。

 

「だ、大丈夫か?」

 

 藍が、もふもふの尻尾で頭の雪を払い落としてくれた。魔理沙がぷぷっと吹き出し、

 

「おい霊夢、なに妖精なんかにやられぶわっ」

 

 その側頭部を雪球が襲う。わーい! と妖精たちが歓声をあげる。

 

「「……」」

 

 首周りが冷たい霊夢と魔理沙はしばらくお互いを見つめ合い、やがてどちらからともなくにっこりと微笑んだ。それを見た天子とアリスが、「ひえ」と変な声をあげて仲良く後ずさった。

 

「ねえ、魔理沙」

「なんだ?」

 

 霊夢はとても晴れやかな心地で、

 

「地底に行く前に、ちょっと準備運動が必要だと思わない?」

 

 魔理沙も、とても晴れやかな顔をしていた。

 

「奇遇だな、ちょうど同じこと考えてたぜ」

「あら、そうなの」

 

 また頭部めがけて飛んできた雪球を、霊夢は軽く首をひねって躱し、魔理沙はほうきで叩き落とした。

 間。

 ぐるんと振り向いた。妖精たちが「ぴえ」と悲鳴をあげた。

 

 あとのことは、敢えてまで語るまい。

 でも、なにも泣きながら逃げ惑うことはないんじゃないかと思う。まるで霊夢が鬼みたいじゃないか、失敬な。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 雪遊びを楽しんでいた妖精たちの歓声が、瞬く間に悲鳴に変わる。召喚されてしまった二名の鬼が、八面六臂の機敏な動きで庭中を跳ね回り、イタズラが過ぎる妖精たちを容赦なく懲らしめていく。みぎゃーぴちゅーん、ふぎゃーぴちゅーんと、一匹また一匹と冬の曇り空に消えていく。止めるべきだろうか。いや、いいや。妖精だからすぐ復活するだろうし、これで落ち着いて話ができるようになる。

 月見は宙空に白く薄い吐息の雲を伸ばし、藍を見遣って尋ねた。

 

「それで? 異変だっていうけど、お前たちはどうするんだ?」

「いつも通り、霊夢と魔理沙を向かわせますよ。私は二人を洞穴まで案内してから、そのあとは間欠泉の様子を見ていようかと」

 

 青い顔で避難してきた響子が、縁側に転がり込んで月見の後ろに隠れた。人を盾にするとはいい度胸だ。

 

「そういう月見様こそ、どうされるんですか?」

「私かい?」

「霊夢も言ってましたが、今回の異変の黒幕が、月見様の知り合いという可能性は高いのでは?」

 

 どうなのだろう。間欠泉の発生が本当に人為的なものであるなら、犯人は相当強い力を持つ妖怪だ。まっさきに思い浮かぶのは藤千代だが、あいつはあれでどうして、地底のトップとしての自覚をしっかり持った仕事真面目なやつなので、自らの手で異変を起こすなんて真似をするとは考えにくい。おくうの顔も浮かぶが、あの子はごくごく普通の地獄鴉であり、間欠泉を発生させられるほどの力は持っていない。

 しかし、たとえ黒幕が知り合いであれなんであれ、

 

「……今回は、なにもするつもりはないよ」

 

 それが、月見の嘘偽りのない本心だった。

 正確にいえば、「変なちょっかいを出すつもりはない」だ。夏の異変を思い出す。あれがなぜ紫も天子も涙を流した辛い異変になったかといえば、すべてではないによせ、間違いなく月見の行動にその一端があった。だから心に決めていたのだ――いずれ新しい異変が起こったとき、決して自ら望んで関わる真似はすまいと。

 

「身の程を弁えて、ここで大人しく子守りをしてるよ」

 

 藍が安堵するように息をついた。

 

「そうですか……正直、助かりました。妖精たちに変ないたずらをされても困りますから、ここで月見様が見てくださるなら安心です」

「ああ、任せてくれ。なあ響子」

「えふぇい!?」

 

 ずっと月見の後ろで「人間こわい……」とか呟いていた響子はびっくりして、

 

「な、なんでしょうか!」

「妖精たち、すぐ復活するだろうからさ。そしたらまた遊んであげてくれ」

「うう……でもあの子たち、なんかやることがだんだん過激になってきて怖いんだけど……」

 

 妖精相手にビビる妖怪なんて、月見はちょっとはじめて見た。

 

「ってか、月見さんも手伝ってよ! こんなところで見てばっかないで!」

「いやいや。私なんかより、お前に遊んでもらえた方が妖精たちも楽しいはずだよ」

 

 主にいじり甲斐があるって意味で――という一言は、もちろん口にはしない。

 ジト目で見られた。

 

「なんか今の、ぜんぜん褒めてもらえた気がしない……」

 

 気のせいさ、と微笑んで月見は目を逸らした。

 すると逸らした先では、ちょうど天子が、何事か真剣な面持ちで藍に口を切るところだった。

 

「ね、ねえ、藍」

「うん?」

 

 意を決したように、

 

「私……霊夢たちのお手伝いがしたい」

 

 藍が眉を持ち上げる。天子は続ける、

 

「私が起こした異変のとき、助けてもらったから。だから、今度は私が霊夢たちを助けたいの」

 

 ひたむきな言葉だった。霊夢たちの力になりたいという、嘘偽りない本気の想いがそこにはこめられていた。まさか天子がここまで真摯に霊夢たちを想うとは予想外だったらしく、藍は半分放心状態のまま、

 

「気持ちは嬉しいけど……いや、しかし、さすがにお前まで地底に行かせるわけには」

 

 その途端天子が、なんだかナメクジにでもなってしまいそうな、とてつもなく暗い雰囲気になった。

 

「そ、そうよね……やっぱりダメだよね……」

「え、」

 

 思わぬ落ち込み様に藍がたじろぐ。

 

「それに私、弾幕ごっこ下手だし……行っても足手まといになるだけだよね……」

「あ、えっと」

 

 水月苑の庭を弾幕が飛び交っている。「ごふ!?」「あ、悪いにとり」「ふざけてんのかな!?」とにとりが巻き込まれていて、わかさぎ姫は橋の下に隠れてぷるぷる震えている。

 

「なんでもないです忘れてください……」

「あ、あーっそうだ、私にいい考えがあるぞ!」

 

 藍はだいぶ追い詰められた感じで、

 

「紫様が、冬眠する前にいろいろ改造していったアイテムがあるんだ! それを使えば、ここからでも霊夢たちを助けられるかも!」

 

 天子がぱああっと光を取り戻した。

 

「れ、霊夢が戻ってきたら相談してみよう」

「は、はいっ」

 

 庭の空ではいつの間にか、魔理沙とにとりの激しい弾幕ごっこが始まっている。更に残りの妖精たちが小魚のように群がって徒党を組み、霊夢と果敢な弾幕の応酬を演じている。

 まだしばらく掛かりそうだと月見が思っていると、天子がすぐ隣に腰を下ろしてきた。ついさっき元気になったばかりのはずなのに、彼女はまた物思いな顔で俯いていて、

 

「……ねえ、月見」

 

 小さく掠れた声だった。天子が目を向ける先には、鬼二人が暴れ回る冬の日本庭園がある。けれど天子の遠い瞳は、それとは違うなにか別のものを映しているように見えた。

 なんとなく。

 夏のことを。自分が起こした異変を見ているのだと、月見は思った。

 

「私が言うのも、なんだけどさ」

 

 それは、祈りでもあったのかもしれない。

 

「……今回は、大丈夫だよね。なにも……起こらないよね」

「……」

 

 月見の脳裏にも、同じ記憶が甦る。天子が起こした緋色の異変。最後はみんなで笑うことができたけれど、終わりよければすべてよしとはいうけれど、それでも、あれはやはり辛い異変だったと思う。

 そうならなければいい。

 通例異変は、スペルカードルールに則った勝負の下、霊夢たち人間が黒幕を倒せば恨みっこなしでおしまいだという。だから、そうなればいいと切に思う。

 悲しい涙を流さずに済むのなら、それ以上の幸いなどないのだから。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 少女は、炎の海の中にいた。

 燃えていないものはなにひとつとしてなかった。地が焼け、山が焼け、水が焼け、無数に舞い散る火の粉が空すらをも焼いていた。

 火だけが支配する世界の中で、少女もまた紅蓮の炎に包まれていた。

 でも、熱くはない。これは他でもない、私自身の力だから。

 少し手間取ってしまったけれど、ようやく自分の力になったのだ。

 これなら、

 

「この力があれば――」

 

 ――きっと、私にも。

 そう、祈るように呟いて。

 震える指先を、震えなくなるまで、ぎゅっときつく握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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