「お兄ちゃんのバカバカバカバカ―っ!!」
「痛ぇ! すまん! 悪かったって言ってんだろ!」
「エヒメさん、落ち着いて! 先生も悪気はなかったことですし……」
エヒメさんが泣きながら先生の肩や背中をひたすら殴打するのを、俺は何とか止めようとするが、無駄だった。
殴打はやめても、エヒメさんは涙目のまま先生を睨み付けて叫ぶ。
「お兄ちゃんの大バカ!!
何でよりにもよってソニックさんにとんでもないことしちゃってんの!?」
先生が桃源団のリーダー、ハンマーヘッドのバトルスーツを破壊して追い払ったのはいいが、そこで先生はエヒメさんが先日助けられたと言っていた「忍者」と出会ったらしい。
その忍者は「音速のソニック」という頭痛が痛いみたいな名らしく、それだけなら別にいいのだが問題は、用心棒から暗殺も請け負う裏社会の人間であったことと、先生が危惧していた通り桃源団と間違われて戦いを挑まれたことだ。
暗殺者なら先生も遠慮など普段ならしないだろうが、エヒメさんを奴が助けたことは事実だったらしいので、さすがに妹の命の恩人を殺すのはもちろん大けがを負わすのも躊躇われて、先生は相手に寸止めで実力差を見せつけて終わらせるつもりだった。
……つもり、だった。
「なんでとんでもないところに攻撃しちゃってんの!?
ソニックさんがお兄ちゃんの所為で女の子になっちゃったら、私はどう償えばいいかわかんない!!」
だが、その寸止めの位置が……股間であった事と、相手は二重で強調するだけあってのスピード自慢だったからか、勢いが止まらず自分から先生の拳にぶつかりに行った。
……これはもう、相手の運が悪かったとしか言いようがない。
「お兄ちゃんのバカ! もうソニックさんが女の子になっちゃったら、責任とって結婚しろ!
あ、ダメだソニックさんに得がない、迷惑でしかない! やっぱ結婚すんな土下座しろ!!」
「言われなくてもしねーよ!!」
もはや怒りすぎて自分でも何を言ってるのかわからなくなってるエヒメさんに、とりあえずお茶を渡して水分補給を促す。
エヒメさんはまだ「お兄ちゃんのバカ」と呟きつつも、泣き叫んで疲れたのか大人しくお茶を飲んでくれたので、この間に何とか説得しようと俺は口を挟む。
「エヒメさん、お気持ちはわかりますがやはり、先生を責めるのは酷です。
先生はむしろエヒメさんの恩人だからこそ相手が自分を殺すつもりでも精一杯手加減をして、殺すのはもちろん怪我もしないように配慮したのですから」
彼女は決して愚かではないので、俺の言葉は言われなくともわかっていたのだろう。
悪気のなかった兄を責めてしまったことを悔やむように眉根を寄せて俯くが、それでも自分の恩人に対する罪悪感の所為か、先生を許すことが出来ないようだ。
……そこまで、いつもあんなに慕っている、俺にどこまでも真っ直ぐに語って誇っていた兄を許せないくらいにその恩人が、ソニックという男が大切なのか。
命の恩人なのだから、それは当たり前だろう。
……なのに俺はその事実が、無性に気に入らなかった。
「……エヒメさん。そこまで、ソニックという男が大事ですか?」
気がつけば、声に出てた。
「え?」
「? ジェノス?」
エヒメさんだけではなく、先生も目を丸くして俺を見た。
何故、俺はこんなことを尋ねているのか、自分でもわからない。
なのに、言葉は勝手に俺の口からこぼれ出る。
どうした? 人工声帯の故障か?
「その男は、暗殺者です。先生が本当にテロリストかどうかも確認せずに殺そうとしたような男ですよ?
エヒメさんを助けたのは確かな事実かもしれませんが、俺にはそいつが善意で助けたとは思えません。何らかの裏の意図があったと考えた方が自然でしょう。
……だから、そんなにも恩義を感じたり、罪悪感を背負う必要はないのでは?」
……重い沈黙が落ちる。
俺は、何を言った? 何故、あんなことを言った?
そしてどんな答えを、俺は望んでるんだ?
「――ジェノス、さんは……」
沈黙は数秒か、数分かかったのかも俺は覚えていない。
ただ泣いてないのに今にも泣き出しそうな、先生に泣きながら責めたてていた時以上に痛々しい目で俺を見据え、エヒメさんは言った。
「ソニックさんが、私を助けてくれたことは、相手が犯罪者だから、感謝する必要がないって、いうの?」
まるで死刑宣告でもされたかのような絶望をその目に湛えて、何かに怯えるようにたどたどしく。
「あの人がしたことに、価値はないっていうの?」
大切な宝物を踏みにじられた子供の顔で、彼女はそう問うた。
「アホか!」
「ぐっ!!」
「ジェノスさん!?」
先生のチョップがいきなり後頭部に入り、俺はそのまま前のめりで床に額をぶつけた。
いきなりの事態で俺もエヒメさんも何が起こったかを理解しきれずにいると、先生は深々とため息をついてから、未だ土下座のような体勢の俺を見下ろして淡々と言う。
「お前な、俺を庇ってエヒメを慰めたかった気持ちはありがたいけどさ、極端なんだよ。
エヒメも、んな顔してんじゃねぇよ。助けられたのはお前なんだから、お前が『価値はある』って思えばそれでいいだろ」
さらっと先生はそう言って、俺の話を終わらせた。
俺は、先生がこれ以上エヒメさんに責められないように、そしてエヒメさんが罪悪感で苦しまない為にあんなことを言ったということにした。
そしてエヒメさんが問うた答えも、俺ではなく先生によって答えられた。
俺に無価値と評されて絶望した彼女に、その絶望こそが「価値あるものであって欲しいもの」の価値を落とすと諭した。
「……ジェノスさん」
起き上がった俺に、エヒメさんは言う。
もう、その目には絶望も怯えもない。
穏やかに、けれど少し気まずげに笑っていた。
「ごめんなさい。心配も迷惑もをかけて。
……それと、お兄ちゃん。言い過ぎた。ごめんね」
「おう。俺も悪かった。もしまた会ったらあいつに謝っとくわ」
……兄妹喧嘩はそれで終結した。
だから、俺も言わねばならない。
「……すみません、エヒメさん。エヒメさんにとっての恩人に対して、失礼なことばかり言って、決めつけて」
俺がそう詫びて、床に手を突き土下座しようとしたのを、エヒメさんが止める。
「ジェノスさん、もういいんです。ソニックさんが何者かわかったなら、心配するのは当然なんですから」
彼女は俺を許した。
俺の言葉は、彼女の大切なものを踏みにじった言葉は、心配故の言葉だと受け入れてくれた。
もしも、罪悪感が質量を伴うものならば、俺は今この瞬間、全身が潰れただろう。
違う。違うんです。先生。エヒメさん。違うんです。
あぁ、人工声帯の故障なんかではない。責任転嫁をするな。
これは、俺の醜い嫉妬だ。
恩義と罪悪感で、先生以上にエヒメさんの心の大半を占めている男に俺はただ、嫉妬しただけなんだ。
愛しくてあまりに尊くて、何よりも大事にしてゆきたかった想いの自覚は、最悪に醜い感情の芽生えがきっかけだった。