俺が油断していたとはいえ、自爆以外になす術を失うほどの戦力を持った怪人をまさに言葉通り一撃で倒した人、サイタマ先生は、情けなく倒れ伏すしかない俺を見下ろして尋ねた。
「なぁ、お前大丈夫か? 救急車、呼ぶか?」
「いえ、お構いなく」
ただでさえすぐ傍にいたのに存在を忘れて周囲ごと焼却してしまい、怪我はないとはいえ全裸にしたあげく俺の油断の尻拭いをさせてしまったのだから、これ以上の迷惑はかけられないので、俺は先生のご厚意を遠慮した。
そもそも、救急車や病院では俺を直せない。
「でもお前、それじゃ動けねーだろ?」
しかし先生は、迷惑しかかけていない俺の事を心配してくれた。
そのご厚意は光栄この上ないが、だからこそ甘えてはならない。
「はい。確かに移動手段は失われていますが、連絡手段は残されていますので、ご安心を。
今、博士に回収を頼みますので本当にお気になさらず」
移動手段がないのは見てそのままわかるので正直に認めつつ、迎えが来ることを伝えてそのまま先生にはひとまずお帰りを願った。
俺の所為で全裸な為、もし他に人が来たら先生が通報されてしまうので切実にここは早く帰って欲しかったのだが、先生は一度頭を掻いて、それから当然のように俺を小脇に抱えた。
「!? 先生!? 何を!?」
「先生ってなんだよ、先生って。
誰をどこから迎えに呼ぶのかは知らねーけど、迎えに来るまでお前はうごけねーんだから、そんなら俺の妹にお前ん家でも連れて行ってもらえ。たぶん、迎えに来てもらうより早いから」
何が何だか、訳が分からなかった。
つい今さっき知り合ったばかりで、迷惑ばかりをかけている俺のことをここまで気にかけてくれるのも、先生の妹さんに連れて行ってもらえというセリフの意味も。
「あの、妹さんに連れて行ってもらうとは?」
とりあえず俺は一番理解不能な部分を尋ねると、先生はさらっと答える。
「あぁ。俺の妹、テレポート使えるから。場所さえ言えば、すぐに連れて行ってもらえるぞ」
……規格外の強さを持つ先生の妹さんも、規格外の存在だった。
* * *
「お兄ちゃん!? 何してんの!?」
アパート前で現れた少女の叫びに、場違いながらホッとした。
今現在、サイタマ先生は俺の所為で服が全て燃えてしまい、全裸だ。悪いのはすべて俺の方なのに、言い訳のしようがないほどに猥褻物陳列罪を犯してしまっている。
なので女性が出てきた時は、正直あの怪人にやられそうになった時以上に焦ったが、どうやら彼女は先生が言っていた妹さんらしい。
妹でも年頃の女性なら兄の全裸はトラウマものかもしれないが、少なくとも自分から身内を一番情けない罪状の犯罪者として通報はしないだろう。
本当に申し訳ないが、目撃者が貴女だけで良かった。
「おー、エヒメただいま」
「うん、お帰り! そしてさっさと服を着て! っていうか、さっきの爆発は何!? そしてその人は大丈夫なの!?」
先生はごく普通に散歩から帰ってきたかのように挨拶をして、妹さんは混乱しているのかとりあえず返事を返してから、色々と叫ぶ。
「あー、あの爆発はこいつが蚊退治でやった。そんで、俺の服が燃えた。
で、色々あってこいつがこんなんだから、ちょっとこいつの家まで連れて行ってやってくれ」
「……あー。うん。そうなんだ。うん、わかった。わかったから本当にもうさっさとパンツ履いて」
覇気がなく最低限の説明に妹さんは詳しく話を聞くのを諦めたのか、とりあえず先生に最低限の衣服着用を促して、そしてそのまま俺を受け取った。
あまりに自然に先生から妹さんに渡されて、困惑する。
赤子のように抱きかかえられることを情けなく思うよりも先に、妹さんは先生が俺を彼女に渡した時のように、先生が俺を小脇に抱えた時のように、さも当然と言わんばかりに言った。
「あの、大丈夫ですか?
私一応テレポーターですから、住所言ってください」
俺を博士のもとまで運ぶこと、俺の手助けをすることに何の不満も疑問も抱いていない、無垢な瞳で俺を見つめ返し、尋ねた。
本来なら博士のラボの場所を知られることは百害あって一利もないが、先生に弟子入りをするのならまずはこちらが信頼して、情報を開示しなければならない。
だから、ご厚意に甘えると同時に信頼の証として正直に伝えるつもりはあった。
けれどその信頼は、あくまで先生に向けられたものであって、妹さんに対してはいわばついででしかなかった。
なのに俺は、この目で見られた時、俺が先生の服を燃やしてしまったことに対して何も訊かず、責めもせず、まず俺の心配をして、当然のように俺を博士のもとまで運んでくれようとするこの少女を信頼した。
「……場所は――」
失われたはずの心臓が跳ね上がるような錯覚を、感じた。
どうやら妹さんのテレポートは一度に跳べる距離に制限があるのか、一気に博士のもとまではさすがに行けず、5度ほどテレポートを繰り返してようやくたどり着く。
それでも所要時間は1分足らずで、事前にクセーノ博士に連絡をしていたとはいえ、博士の俺を抱きかかえてやってきた少女には酷く驚いていた。
彼女は博士に俺を渡して、「なんか兄がご迷惑をかけてすみません。この人を、どうかお願いします」と言って、丁寧に頭を下げた。
迷惑をかけたのは俺で、俺はそのことを伝えるべきだった。
まず最初に言うべきことは、先生と彼女に対しての謝罪であるべきだった。
なのに、俺の口から出た言葉は全く違うものだった。
「俺は、ジェノスという者です!!」
まずは、名乗った。
そして、訊いた。
「貴女の名前を教えてください」
本当は知っていた。
先生が「エヒメ」と呼んだのを確かに聞いた。そして、覚えていた。
けれど俺は、聞きたかった。
直接彼女から、彼女の名前を教えて欲しかった。
彼女は一瞬、きょとんとしてから柔らかく微笑んだ。
「エヒメです」
もう俺にとって彼女は、恩人であり尊敬する師匠の妹というおまけでしかない存在ではなかった。
彼女も、俺にとって尊敬に値する人だった。
「エヒメさん、この御恩は忘れません。必ず、お返しします」
俺の言葉に、また彼女はきょとんとしてから今度は困ったように笑った。
「別に私は大したこと、してませんよ」
そう言って彼女は俺とクセーノ博士にもう一度、丁寧に礼をして姿を掻き消した。
謝罪はついぞ、言えないままだった。
* * *
博士は俺を修復する準備をしながら、話しかけた。
「いい娘さんだったの」
博士は、自分の事のように嬉しそうに笑い、呟く。
「オヌシの事を、『この人』と呼んでいたな」
博士の言葉で、思い出す。
あぁ、そうだ。
彼女は初めからそうだった。
兄が全裸で帰ってきて、混乱しながらも出てきた言葉は、「それ」でも「ロボット」でも「サイボーグ」でもなかった。
『その人は大丈夫なの!?』と彼女は言った。
初めから彼女は俺をずっと、人間扱いしていたことを思い出した。