邂逅
「ありがとうございましたー」
海の見える街にあるとある喫茶店。
カランコロン、とベルが鳴る音と共に客が出て行った。
この店のオーナーである青年、黒島亮はそれを見送ると最後の客が残した食器を片付け始める。
黒島がこの喫茶店を開いて数年、経営はそれなりにうまくいっていた。
海軍の基地が近い事もあり昼食時にはよく海兵や艦娘が訪れる。赤い弓道着の女性が訪れた際には店の食糧が空にされるかと冷汗を流した事もあったが、それも今ではいい思い出だ。
食器を片付ける際に、窓から外の様子を見てみる。
空は曇天、海も遠目で見る限りだがかなり荒れている様子だ。
「降ってきそうだな…今日はもう客もきそうにないし、ちょっと早いが閉めるとするか」
そう思って黒島は店仕舞いを始めた。
午後六時三十分。太陽が水平線に沈んだ。
*
時計の針が七の数字を指す頃、黒島の予想通り雨が降ってきた。
大粒の雨が窓を叩く。風もかなり強い。
「まるで嵐だな」
こんな天気では深海棲艦も大人しくしているだろう。くつくつと夕食のカレーを煮込みながら、黒島はある事に気付いた。
「作りすぎた…」
彼は寸胴鍋でカレーを作ってしまっていた。この鍋は例の赤弓道着の女性の為に用意した物だ。食べる量が尋常ではない為、普通の鍋では調理が追いつかなくなってしまったのだ。
しかも彼女はここの所毎日きて同じ注文――カレーを食べていた。その為体が無意識の内に動いてしまっていたのだろう。
「もうちょっと気を張らないとダメだな…」
そう言えば最近独り言が多くなった気がする。一人暮らしが長くなると増えると言うがそれは本当だったようだ。
そんな事を考えながら出来上がったカレーをテーブルの上へ置く。
その時だった。ピカッ、とカメラのフラッシュのような光が窓から差し込んだ。
「雷か」
雨は激しさを増している。この分だと明日の朝まで降り続きそうだ。
こんな日は長く起きていてもいい事は無い。さっさと食って寝るとしよう。そう思ってイスに座ろうとした時、再び雷光が部屋を照らす。
その時、黒島は何か違和感をような物を覚えた。何かが違う、何かがおかしい。
雷鳴が鳴り響き、二度三度と光を放つ。そして黒島は違和感の正体に気が付いた。
窓の影に、何かが映り込んでいる。
即座に身を翻して窓の方を見る。その視線の先の窓には、確かに黒い影があった。
そして、稲妻の光がその影の姿を照らし出す。
一見は年端も無い少女だった。しかし、その肌の色は不自然な程に青白い。黒いフードを被っており、首には白いストライプの入った黒いネックウォーマーを付けている。
その少女の口元には、まるでこの世の全てを嘲笑うかのような凶悪な笑みが浮かべられていた。
黒島はその少女の正体を知っていた。この店にくる艦娘達に嫌という程その話を聞かされていたからだ。
戦艦レ級。かつてサーモン海域で猛威を振るったと言われる深海棲艦だ。
姫や鬼などの階級が付けられていないのにも関わらず、それに匹敵、もしくはそれ以上の火力と装甲を兼ね備えた、文字通りの怪物。雷撃、砲撃、航空戦、全ての戦闘において異常な力を発揮するその様は、もはや単体で一個の艦隊を成していると言っても過言ではない。
しかも目の前のレ級はただのレ級ではない。俗にエリートと呼ばれる存在だ。怪しげに光る二つの赤い瞳がそれを証明している。
黒島は腰を抜かしながらも何とか立ち上がり、調理場から包丁を持ち出して窓の向こうの怪物と向き合った。
当然こんな小さな刃物で何とかできるような相手ではない。だがそれでも、黙ってみすみすやられるような無様な事もできない。強いて言うなら、悪足掻きだ。
キイ、と音を立てて窓が開かれ、雨風と共にレ級が入ってくる。レ級は床に足を着けると腰の辺りから生えた蛇のような尻尾を使って静かに窓を閉めた。
服からは水がポタポタと滴り落ちている。この嵐、荒れる海の中をどうやって抜けてきたのだろうか。ここにきた目的は一体?疑問は幾度なく浮かぶが、それを一つ一つ考えている余裕などない。
レ級はフードを取ると首を左右に動かして周りを見渡している。
(何かを探しているのか?)
そう思った時だった。レ級が黒島のすぐ隣のテーブルに一瞬で接近してきた。
全く見えなかった。黒島は慌ててレ級と距離を取り、体中の神経を全て警戒に回してレ級の様子を探る。
だがそんな黒島の様子を気にも留めず、レ級の視線はテーブルの上の何かに注がれていた。
不思議に思った黒島は、レ級の視線を辿りその先にある物を目に入れた。
それは――――――――カレーだった。
「ウ…」
レ級が何かを呟いた。とっさに黒島は身構える。人型の深海棲艦は人語を喋ると言うが果たして本当か。
そしてレ級は、その口で確かに意味のある言葉を発する。
「ウマソウ……!」
…………は?
一瞬時間が止まったかのようだった。だが、確かに目の前の深海棲艦はそう言った。
口元を見ればそこには食べ物を求める雫が一筋流れている。
黒島は少し迷った後、レ級に対してこんな事を言った。
「カレー……食いたいのか」
「カレー…コレカレーッテ言ウノカ…⁉」
声をかけられたレ級は赤い瞳をキラキラと輝かせながら答えた。そんな姿を見て気が抜けたのか、黒島は包丁を下ろしていた。
午後七時三十分。一つ屋根の下で、人間と深海棲艦が出会った。
*
「ウマ―――――――――――――――――――――――‼」
女性特有の金切り声が夜の喫茶店の中に響く。
口いっぱいにカレーを頬張るレ級はまさに幸せの絶頂といった様子だ。
それを横で見る黒島はただただ呆然とするばかりだった。
「ウマイ、ウマイ、ウマイ!コノ世ニコンナウマイタベモンガアッタナンテ…今マデノ人生損シテタヨ!」
「そりゃどうも…」
黒島は改めてレ級の姿を見る。白い肌に白い髪、黒いフードに巨大な尻尾。確かにレ級だ。以前艦娘に貰った写真を見て確認したから間違いない。
しかし、歴戦の海兵達に恐れられるような存在が何故ここに?
「ア!」
突然レ級が声を上げた。黒島は思わずビクッ、と体を震わせる。
「ナクナッチャッタ…」
レ級の手元には空になった皿が一枚。余程夢中になっていたのか、なくなるまで気が付かなかったようだ。
「……おかわりいるか?」
黒島がそう言うとレ級の表情がまるで花でも咲いたかのように明るくなった。これだけ見ていれば、まるで普通の人間のようだ。
「はい、お待ち」
レ級の前に新たによそったカレーを置く。今度は特盛だ。目の前に置かれたレ級はより一層目を輝かせると、それにかぶり付いた。
そして黒島はレ級の隣に座ると、若干おどおどした様子でこんな事を尋ねた。
「なあ、お前って…深海棲艦…だよな?」
レ級がピタリと食事の手を止める。そして彼女は口にスプーンを咥えたまま黒島と目を合わせた。
一瞬静かな時間が流れる。そして、レ級は口の中の物を咀嚼し終えるとようやく黒島の質問に答える。
「ソウダヨ」
「そうか。それで、そんな奴がこんな所に何の用だ?」
現在黒島が最も知りたい事はそれだった。深海棲艦がわざわざこんな所にきた理由、この喫茶店を訪れた理由。それが知りたかった。
黒島の中にはかつてない緊張感が走っている。しかし、それとは対極にレ級はあっけからんとした様子で答える。
「散歩シテタラウマソウナニオイガシタカラ覗イテミタンダ。ソシタラ見タ事モ無イ食ベ物ガアッタカラ、思ワズ飛ビ込ンジャッタ」
コツン、と頭を叩いて可愛らしく舌を出すレ級。黒島はまたしてもあっけに取られてしまう。
「散歩って、何でわざわざ陸を?しかもここは海軍基地が目と鼻の先だぞ。危ないと思わなかったのか?」
「イヤイヤ思ッタヨ。ダカラアエテコノ嵐ニ紛レテキタンダヨ。サスガニ艦娘モコノ天気ジャ基地デ待機シテルト思ッタカラサ」
やはりレ級はこの大嵐の中ここまできたらしい。普通の船なら転覆してもおかしくない風と雨だ。やはり深海棲艦は別格という事だろうか。
「イヤーデモ陸ニ着クマデ何度モ死ニカケタヨ。波ハ荒イシ風モ強イシ、正直沈ムカト思ッタネ」
否、どうやらこのレ級が相当なクレイジーガールのようだ。レ級はそこまで言うと再びカレーを口に運び始める。
「ウマー!ピリット辛イケドソレガマタ米ニ合ウ!命張ッタ甲斐ガアッタッテモンダヨ!」
「…そんなにうまいか?」
「ウマイヨ!私ラナンテイッツモ冷タイ魚バッカリ食ベテルンダモン。コンナニアッタカイゴ飯ヲ毎日食ベラレルナンテ…羨マシイゾ人間!」
「そんな事言われても…」
どうやら深海棲艦には物を調理して食べるという習慣がないらしい。深海の魚をそのままバリバリと食べていたのだろうか。
そして数分後、寸胴鍋いっぱいに作ったカレーは見事に空になっていた。
「ウマカッター、私モウ死ンデモイイカモ…」
腹を膨らませたレ級はご満悦の様子である。
黒島はカレーの皿を片付けると、レ級の前に黒い液体の入ったコップを一つ置く。
「…?」
レ級はコップに入った液体を見て不思議そうに首を傾げる。
「コーヒーだ。うちは喫茶店って言ってな、さっきみたいな軽食も用意できるが、本来はこっちがメインだ」
ホウ、とレ級はコップを両手で掴むと、ゆっくりとそれを口に運ぶ。
「オオ……!」
レ級はまたしても目を輝かせた。砂糖多めのミルクコーヒーはどうやら彼女の口に合ったらしい。
「ウマイ、ソレニ何ダロウ。何ダカホットスル…」
「それが売りだからな、喫茶店っていうのは」
黒島は自分用にコーヒーを注いで一息つく。今日も出来は上々だ。
「……一ついいか」
「ウン?」
落ち着いた口調で黒島はレ級に尋ねた。
「お前達深海棲艦は…何で人を襲うんだ?」
これは黒島だけではなく、全ての人類が知りたい事の一つだ。
深海棲艦が人を襲う理由には様々な意見がある。かつて沈められた艦の遺恨だとか、自然を汚す人類に対する怒りだとか。だがそのどれもがあくまで推測の範疇を出ていない仮説だ。
目の前のレ級からならそれを知れるかもしれない。そう感じた黒島に迷いはなかった。
「人ヲ襲ウ理由…ネ……」
レ級はカップを自分の膝の上に置いて呟く。そして少し間を置いて、彼女は答えた。
「正直、私モヨク分カッテナインダヨネ」
分からない?どういう意味だろう、と黒島はレ級の言葉に耳を傾ける。
「私ハ気ガ付イタラ海ノ中ニイタンダ。自分ガドコカラキタノカモ分カラナイ。タダ、ズット戦ワナキャイケナイッテ教エラレテキタ。ダカラ戦ッテル」
なんて事だ、と黒島は愕然とした。今の言葉が本当なら、レ級はこの戦いにおいて、むしろ被害者といえる立場だった。
理由も分からず、ただそう教えられたから。いわゆる少年兵と同じだ。
デモサ、とレ級は言葉を続ける。
「最近ソウイウノガ何カ…嫌ニナッテキチャッテサ、今ハホトンド戦ッテナインダヨネ」
「そうなのか?」
「私ダッテ痛イノハ嫌ダカラネ。サスガニヤラレタラヤリカエスケド、精々追イ返スカ、隙ヲ見テ逃ゲルカシテルンダ。他ニモソウイウ子結構イルヨ」
最近深海棲艦の侵攻が勢いを落としている、そう聞いた事があった。もしかしたらそれはこのレ級のような考えを持つ深海棲艦が増えてきたからなのかもしれない。
「そうか…分かった。悪かったな、変な事聞いて」
「イイヨイイヨー。コンナニオイシイ物食ベサセテクレタンダカラ、コレクライ当然ダヨ」
朗らかな笑顔でそう言うと、レ級はイスから腰を上げて立ち上がった。
「ジャアソロソロ帰ルネ。雨モ上ガッタミタイダシ」
いつの間にか雨の音は止んでいた。風も静かになっている。先程までの嵐が嘘のようだ。
「ジャアネ、エート……」
「黒島だ、黒島亮」
「分カッタ、クロサン!」
「クロさんて…」
まるで猫みたいな名前だな、だが、悪くない。黒島は自嘲気味にそう思った。
「ネエネエクロサン」
「何だ?」
「マタキテイイカ?」
心臓がドキリと音を立てた。レ級とのこの出会いは悪い物ではなかったと言える。だがしかし、軍事規律を輪にかければ話は別になる。仮にも世間では深海棲艦は人類の敵である。そんな物が海軍基地が間近の喫茶店でたむろしていると知られれば、自分もただでは済まないだろう。
ふと視線を向ければ、そこには無邪気な笑顔を浮かべるレ級の姿。それを見て、迷いなんかは吹き飛んだ。
「いいよ、またばれないようにな。ただし、ただで毎回これだけ食われちまったら店が大赤字になる。そこでだ、ここにくる時は新鮮な海産物を持ってきてくれないか。魚とか海老とかな。そうすれば俺が調理してそれを振舞ってやる。味は保証するぜ」
それを聞いたレ級は今日一番の笑顔を浮かべて頷いた。
そうしてレ級は暗い闇の中に去って行った。
まるで夢でも見ていたかのようなそんな一刻だった。空を見上げれば丸い月が雲の中から顔を出していた。
「さて…片付けるか」
月明かりが店の入り口の看板を照らし出す。
店の名は『Pace』。イタリア語で『平和』を表す言葉である。
*
――――――――――――数日後の夜。
客が使った皿を洗っていると、カランコロンと音を立ててドアが開かれた。
「……いらっしゃい。今度はお友達も一緒か」
黒いフードを被った色白の少女の後ろには、同じように肌の白い女性が数人立っている。
これからは独り言が少なくなりそうだ。そう思う黒島の口元には、自然と綻びが生まれていた。
あけましておめでとうございます!
新年一発目はちょっとした番外編をお送りしました。
というのも、もう一方の作品がスランプ気味の為気分転換を兼ねて書いた一作でした。
もう一方の作品に関しては有限不実行となってしまい申し訳ありません。しかし、続きは書きます!※迫真
こちらの作品は一応連載としておりますが、前述の通り気分転換の為の作品ゆえ更新は未定です。あっても一、二話かも…
そんなこんなであやふやな作者ですがどうぞよろしくお願いします。
では!