境界を越えて   作:鉢巻

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境界を越えて

澄み切った空がどこまでも続いていた。

遥か彼方の水平線で海と一つになり、溶け合う。ここの景色はこんなに綺麗だっただろうか。心地いい風が吹く海岸線の防波堤で、ふとそんな思いにふける。

 

『――――』

 

声をかけられ、振り返る。

そこにいたのは――――

 

 

 

 

カラン、と軽い音を立てて、薬莢が床に転がる。

銃口から白い煙が立ち昇り、辺りに硝煙の香りを漂わせた。

 

「レ級」

 

銃を下ろし、眼前に倒れ伏す血塗れの少女――レ級に声をかける。

レ級は何も答えなかった。彼女はただ、今自身の前で起こった出来事に、呆然と目を見開いていた。

 

「…ありがとな」

 

黒島の放った弾丸は、何もない天井に、ぽつりと小さな穴を空けた。

 

「……何のつもりだ」

 

雨宮が口を開く。表情から見て取れるのは苛立ち。刃のような鋭い眼光が、黒島を射抜く。それに対して黒島は――

 

「これが分からないのなら、アナタは軍人失格だ」

 

ゴトッ、と鈍い音を立てて拳銃が雨宮の足もとに投げ捨てた。

 

「…まさか、また妄言を語るつもりじゃあるまいな。今自分がこいつに何をされたか、分からなかったわけじゃないだろう」

 

「もちろん分かってますよ。でももう、決めたんです。何が起ころうと、こいつと――彼女達と歩いて行こうって」

 

黒島は口元に小さな笑みを浮かべながら、言葉を続ける。

 

「雨宮さん。アナタの言っている事はもっともです。でも一つ、アナタには欠けている物がある。それは―――人間性だ」

 

黒島の言葉に、雨宮の眉がピクリと動く。

 

「人間性だと?なぜそんな物を深海棲艦に振舞う必要がある。こいつらはただの害悪でしかない。害悪でしかない存在に、人間性など必要ない」

 

雨宮がそう言うのももっともだ。彼女は鎮守府の長として、一人の軍人として戦場に身を投じ、様々な光景を見てきた。深海棲艦の恐ろしさは彼女自身が一番よく知っている。

だが、

 

「それはあくまでアナタの中で価値観でしょう。俺にとっては違う。例えどれだけ否定されようとも、彼女達が俺にとって大切な存在だという事は変わらない」

 

「だからどうしたと言うのだ。その狂った妄想の果てに何を思う。それほどまでに奴らに肩入れして、貴様は何がしたいのだ」

 

「………俺には夢があります」

 

それは、つい最近できたばかりの夢だった。この一ヶ月、彼女達と過ごした時間の末に生まれた、夢。

 

「海の見えるこの場所で、皆が心の底から安らげる憩いの場を作りたいんです。普段の嫌な事は忘れて、人も、艦娘も、深海棲艦も関係なく、楽しく会話に花を咲かせられるような、そんな風景をこの場所に描きたいんです」

 

「いきなり何を言い出すかと思えば…同じ事を何度も言わせるな。言ったはずだ、そんな結末などありえないと。この海に平和をもたらす為には――」

 

「深海棲艦を根絶するしかない、ですか?」

 

黒島の言葉に、雨宮は押し黙る。

 

「それじゃあアナタは、ただの圧制者と何も変わりないじゃないですか…!自分の理を押し通し、本当は害の無い存在を悪と決めつけ、あまつさえそれを力で解決しようとする。…教えて下さい、雨宮さん。アナタは戦争を終わらせる為に戦っているのか。それとも、戦争をする為に戦っているのか」

 

「…戦争という言葉を知っているだけの人間が、でかい口を叩くんじゃない。戦場での奴らの姿を見た事があるか?強大な力を振りかざし、理不尽に命を奪っていくその様を。私はそこで潰えた者達の意志を背負ってここにいるのだ。だからこそ、私は深海棲艦共を殲滅しなくてはならんのだ。それに何より、和解などという府抜けた終結では、死んだ者達が報われん…!」

 

「死んだ人間が何を望むかなんて誰が分かるんですか。…結局アナタも俺と同じだ。怖いだけなんだ。自分の知らない世界に踏み出すのが、自分の知らない世界を知る事が。だからそうやって、他人の言葉を頑なに拒む。そうでないとアナタは、自分が保てなくなるから…」

 

「戯言を言うのもいい加減にしろこの狂信者が‼」

 

雨宮の怒声が、喫茶店の中に響く。

 

「貴様の発言は我々海軍への、平和な海を取り戻す為に戦う者への侮辱だ!幻想を描くだけの人間が、軍人の心理を語るんじゃない!」

 

「ならば人間としてのアナタに問おう!アナタは、死んだ人間の亡霊に憑り付かれ、殺戮という名の正義でしか道を切り開けない愚か者か!それとも、知らない世界に踏み出せず、自分の殻に閉じ籠っているだけの臆病者か!少なくとも俺には、アナタはただの臆病者にしか見えない!」

 

 

秒針が止まる音と共に、静寂が辺りを包み込む。

その中で、直径九ミリの銃口が黒島の頭を覗き込んでいた。

 

 

「……最後にもう一度だけ聞く。貴様の望んだ世界がどんな結末になろうと、貴様は同じ言葉を唱え続けられるか」

 

「…結末も何も関係ありません。何があろうと俺は自分の道を突き進む。それが、彼女達との約束ですから」

 

真っすぐな瞳で、雨宮の目を見つめた。もう、どんな言葉にも屈しない。どんな恐怖にも屈しない。それが自分自身の意志だから。そうすると彼女達に誓ったから。

もう目は、逸らさない。

 

 

「………今の言葉…忘れるなよ」

 

 

重々しい口調で、雨宮がそう言葉を放った。そして―――

 

 

 

「黒島亮。貴殿を、日本海軍特務外交官に任ずる」

 

 

 

「…………へ?」

 

あまりに突拍子もない言葉に、思わず間の抜けた声が出た。

 

「任務はその名の通り、深海棲艦と民間人の交流を深める為の活動を行ってもらう。やり方はお前の好きなようにして構わん。月に一度活動内容を報告書に纏めて提出しろ」

 

「え、えと…?」

 

「また今後の経費については全て海軍が補う。必要に応じて申請するがいい。その他の詳細は追って連絡する。川内、こいつらの手当てをしてやれ」

 

「はいは~い」

 

川内は軽い返事をすると、どこからともなく緑色のバケツを取り出し、中に入っていた液体をレ級に向かってぶちまける。

すると不思議な淡い光がレ級を包み、体に着いた血や傷を跡形もなく消していった。

 

「エ……アレ?」

 

「よかった~、深海棲艦にもちゃんと高速修復材効いたよ~。はい、じゃあ次マスターの番ね。さすがに人間に修復材は効かないから、普通の応急処置で我慢してね」

 

「え、いや、ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

ようやく落ち着きを取り戻し始めた思考が声を上げさせる。

 

「安心しろ。確かにこいつは夜戦しか脳に無いバカだが、それでも一般的な治療の知識くらいはある」

 

「いやそういう事じゃなくて!これは一体どういう…」

 

黒島だけでなくレ級も状況を把握できていないようで、驚きと戸惑いが混ざった表情で頭を右往左往させている。

 

「どうもこうもない、私はお前の本質を見たかっただけだ。まあ案の定、どこまでも救いようのない大馬鹿者だったがな…」

 

くしゃりと髪を掻き上げて、雨宮はそう言った。

 

「だが皮肉な事に、新たな歴史を築くのはいつもお前のような馬鹿な者達だ。周りに否定されながらも、叶いもしないはずの幻想を追いかけ続け、そして最後には成し遂げてしまう。…臆病者の私には到底できない所業だ」

 

雨宮の予想外の発言に困惑しながらも、黒島はそれを聞き入れる。

要は試されていたのだ。これからの時代を作り上げていくのに相応しい人物かどうかを。口先ばかりが優れていても、それは務まらない。だからこそ極限まで追い込む事で、黒島亮という人物の本質を見極めようとしたのだ。

しかし一つ、黒島には腑に落ちない事があった。

 

「…でも、俺を試したって事は、アナタの心は最初から決まってたって事ですよね。なら…」

 

そう。自分の意志を問わず、初めから結果が決まっていたのなら、わざわざそこに自分とレ級を巻き込む理由がない。初めから結果が決まっていたのなら、レ級が傷つく必要もなかった。ならば、なぜ―――

 

「私はこの手で多くの者を殺した。深海棲艦も、艦娘も、人も。そんな者が今更平和を語ったところで、誰が耳を傾ける。だからお前なんだ。人、艦娘、深海棲艦。その境界を越えようとしたお前の言葉だからこそ、人々は耳を傾ける。それが、お前を試した理由だ」

 

どこか悲しげな瞳で雨宮はそう語った。平和をもたらす力はあっても、人々を平和に導く権限はない。彼女が言いたいのはそういう事なのだろう。

 

「黒島亮。例えどれだけの歳月を重ねようと、どれだけの困難が降りかかろうと、必ずその夢を実現させろ。その為なら我々も協力は惜しまん。そうだな。まず手始めに、この戦争でも終わらせてやろうか」

 

扉の外から誰かの叫び声が聞こえてくる。とても聞き覚えのある声だった。

 

「丁度医療班と、お前のお仲間が到着したようだ。しっかりその傷を見てもらえ。サーモンの狂犬、お前もだ。傷は修復材で完治しているだろうが、疲労は別だからな」

 

不意に声をかけられ、レ級がビクッと体を震わせる。その姿を横目に、雨宮は扉に向かう。

 

「ああ、そうだ。――コーヒー、うまかった。また来させてもらう」

 

思い出したようにそう言うと、雨宮は川内を連れて扉の向こうへ去って行った。

緊張から解放されたせいか、体から力が抜け、黒島はその場に座り込む。レ級と二人、数分か数秒か、静かな時間が流れる。

 

「……クロサン」

 

おもむろに、レ級が口を開いた。

 

「何だ」

 

「何デ、私ヲ撃タナカッタノダヨ。クロサンニ、アンナニヒドイ事シタノニ…」

 

俯きながら、消えてしまいそうな声でレ級はそう言った。いつも鬱陶しいほど賑やかな姿が、今日はやけに小さく映っていた。それを見て、思わず笑みを漏らしてしまった。

 

「ナ、何デワラッテンノサ」

 

「いや、別に。ただ、そうだな……お前は嘘が下手くそだ」

 

レ級が俯いていた顔を上げる。頬は紅潮し、目尻には涙が溜まっていた。その小さな体を、黒島は優しく抱き寄せる。

 

「ありがとう。お前のおかげで、俺は折れなくて済んだ。本当に、ありがとう」

 

「クロサン……私ノ方コソ…アリガトウ……‼」

 

扉が開かれ、いくつかの人影が駆け込んでくる。

それが誰か認識する前に、黒島の意識はまどろみの中に落ちていった。

外の雨は、いつの間にか止んでいた。

 

 

 

 

次の日。雨宮の言葉通り、人類と深海棲艦の戦いは終わりを迎えた。それも、どちらかの敗北ではなく、和解と言う結末で。

突然の出来事に誰もが驚きを隠せなかった。だがテレビや新聞を通して情報が周知されていくと、徐々にその騒ぎは治まって行った。

当然、政府や一部の人間はこの結末に納得がいかず、抗議する者、果ては武力行使をしようとする者も現れていた。だが、それらの思いは雨宮のこの言葉によって断たれた。

 

『戦争がしたいのか?ならば相手になってやる。今の内に悔いのないよう、残りの人生を謳歌しておけ』

 

その一方で、この結果に賛同を表す者も多くいた。何でも、深海棲艦に仕事の手伝いをしてもらったとか、遭難していたところを助けてもらったとか、そんな出来事がここ数ヶ月の間にいくつもあったらしい。深海棲艦との共存を望むのは、黒島だけではなかったのだ。

 

 

 

 

 

――――――それから一ヶ月半後。波の音が響く防波堤にて。

 

 

 

 

 

「――クロサン?」

 

声をかけられて振り返ると、レ級が不思議そうな顔でこちらを見上げていた。

 

「? ドウシタノ?ボーットシチャッテ」

 

「いや、別に。ちょっと考え事してた」

 

「フーン。マ、イイヤ。ソレヨリ、早ク行コ?」

 

ああ、とレ級の言葉に答えると、黒島は前を向いて歩き始める。

 

「他の皆はどうしてるって?」

 

「待チ合ワセノ場所ニモウイルッテ。ア、ホラ。見エタ」

 

レ級が「オーイ!」と手を振ると、彼女達もそれに答えて手を振る。赤城、加賀、防空棲姫、港湾棲姫、北方棲姫。見慣れた五人の少女達が、街灯の下に集まっていた。

 

「お疲れ様です。就任式、無事終わりましたか?」

 

いつもの弓道着を着た赤城が一番に声をかけてきた。

 

「おかげさまで、何事もなく終わりましたよ」

 

「デモアノピリピリシタ雰囲気ハ嫌ダッタナー。緊張デオ腹痛クナリソウダッタヨ」

 

「レ級チャンオ腹痛イノ?」

 

「ウンニャー、大丈夫ダヨー」

 

そう言いながらレ級は北方棲姫の頭をワシワシと撫でまわす。微笑ましい光景に、自然と笑みが零れる。

 

「クロサン。オ店ノ、掃除、全部、ヤッテオイタ。スグニデモ、オ店、始メラレル」

 

「私モチャント手伝ッタノヨ。デモソノオカゲデ服ハ汚レルシ体ハ痛クナルシ、散々ダッタワァ。クロサン。オ礼、期待シテルカラネ」

 

了解です、と黒島は海軍式の敬礼でそれに答える。

 

「何はともあれ、就任おめでとうございます、マスター。…いや、これからは黒島特務官とお呼びした方がいいのかしら……」

 

「もー。真面目ですね、加賀さんは。いつも通り、マスターでいいじゃないですか」

 

「いやしかしそういう訳には…」

 

「いつも通りで構いませんよ。一応軍の所属になったとはいえ、やる事は変わりませんから」

 

黒島も今日から本格的に特務官としての仕事が始まる。だが、先程黒島自身が言ったように、やる事は変わらない。コーヒーを淹れ、料理を作り、そして、少しでも多くの人に、彼女達深海棲艦の事を知ってもらう。海の恐怖の象徴などではなく、一緒に食事をして、笑い合える、彼女達の事を。

 

 

 

「―――よし、それじゃあ行こうか」

 

 

 

―――ここに一人、これまでに無い偉業を成し遂げた男がいた。

 

「コラ、ホッポ。アンマリ走リ回ルト危ナイワヨ」

 

「ハーイ、気ヲ付ケル!」

 

「港湾棲姫。あの時のクッキー、まだあるのかしら」

 

「ウン、アルヨ。後デ、食ベル?」

 

だが、彼の名が歴史に残る事は無い。

 

「いい天気ですねー、潮風が気持ちいいです」

 

「ソウダナー。ア、クロサン!」

 

「ん、どうした?」

 

だが、彼の名前は、

 

 

 

「オ腹空イチャッタ…」

 

 

 

「……分かった。店に着いたら何か作ろう。二度目の開店祝いだ、何でも言ってくれ」

 

彼の成した事は、限られた者達の間で、確かに語り継がれていく。

 

「開店祝いですか、いいですねぇ。一ヶ月ぶりのマスターの料理、楽しみです!」

 

「アンタラ二人ハホントニ自重シナサイヨ!私達ノ分マデスグニ食ベチャウンダカラ…!」

 

「クロサン、私ピザガイイ!」

 

「では私はサンドイッチをお願いしようかしら」

 

「私ハ、スパゲッティデ。モチロン、オ手伝イ、スル」

 

「私ハモチロンカレーダナ!特盛デ頼ムヨ!」

 

「分かってるって。――――よし、それじゃあ開店だ」

 

 

人と深海棲艦。その境界を越えた、この世界で。

 

 

 

 

 

 

 

 

晴天の空の下。平和の鐘が、今日も鳴る。

 




ご愛読ありがとうございました。
今後の展開は後日活動報告にてお知らせします。

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