境界を越えて   作:鉢巻

6 / 12
晴天に浮かぶ月

 

澄み渡った青空に正午を告げる鐘が鳴り響く。

喫茶店『Pace』。この店が賑わっているのは何も夜に限った話ではない。食後にコーヒーを飲みながらリラックスした一時を過ごす為、あるいは食事その物を楽しむ為と、仕事の合間を縫って安らぎを求める者達が今日もこの店に集まる。

 

「ごちそうさまでした。いやー今日もおいしかったです、マスター」

 

横須賀鎮守府所属の正規空母、赤城もその一人である。カウンター前の席に座り、膨らんだお腹を満足そうに撫でる彼女の前には、綺麗に平らげられた大皿が何重にも積み重ねられている。

 

「お粗末様です。相変わらずの食べっぷり、今日も絶好調のようですね」

 

「それがそうでもありませんよ。最近は色々と悩み事が多くて、どうしたものかと困っている所です」

 

「赤城さんが悩み事とは珍しいですね。一体どんな事なんです?」

 

黒島がそう言うと赤城がカウンター越しにヌッと顔を近づけてくる。

 

「そうですねぇ、一体どんな事だとお・も・い・ま・す?」

 

「さ、さて、何の事やら…」

 

顔を逸らして苦い顔をする黒島に、赤城は耳打ちするように小声で話しかける。

 

「マスター、この置物は一体どこで手に入れたんですか?」

 

「これはその………北方のお姫様からの贈り物で…」

 

「やっぱり…!通りで見覚えがあると思いました」

 

「プラモデルって事で通してるんですけど、やっぱり分かるもんなんですか」

 

「当然です!私達艦娘が、プラモデルと本物の区別がつかないなんて事あるわけないでしょう!ハァ…最近龍驤さんがやけに気が立ってる理由がようやくわかりました…」

 

頬杖をついて溜息を漏らす赤城。対して黒島は、アハハ…乾いた笑みを返す事しかできなかった。

 

「いいですか、マスター。今後、あの子達にはもう少しこの店にくるのを控えるように言っておいて下さい」

 

「飲食店の経営者として、それは言いづらいか「言い訳無用です!」…はい」

 

前回の一件の後、驚異的な嗅覚の持ち主である赤城は、深海棲艦の匂いという物を完全に記憶していた。そのおかげで、彼女は前日に深海棲艦がこの店に訪れていたかどうかを残り香によって把握する事が可能となっていた。

そんな彼女曰く、深海棲艦――レ級達がこの店にくる頻度は、まさに『月月火水木金金』。懐が深い赤城もさすがに痺れを切らし始めていた。

 

「確かに今の所目撃情報や噂などの報告は上がっていないものの、正直いつバレてもおかしくないんですからね?」

 

「それは分かってますけど、彼女達が喜んでいる顔を見てると、とてもそんな事を言う気にはなれませんよ」

 

困った顔をしながらも、黒島はきっぱりとそう言い切った。

 

「ああもう、危機感が足りませんね…いいですか?こんな優遇が、いつまでも続くとは限らないんです。慢心はダメ、ゼッタイです!もし万が一、うちの提督に見つかりでもしたら――――」

 

「提督が何だって?」

 

突然かかってきた声に、赤城の言葉は遮られた。思わず赤城は両手で自分の口を覆う。そして恐る恐る声があった方へ顔を向け、その声の主の名前を口に出した。

 

「せ…川内さん⁉」

 

「どしたのさ赤城、そんなに慌てて。変な物でも食べた?」

 

訝し気に首を傾げながら川内という少女は答えた。

頭につけた簪に、たなびく白いマフラー。服装は絵物語にでてくる忍者を彷彿とさせる。彼女もまた、横須賀鎮守府所属する艦娘の一人である。

 

「や、マスター。元気してる?」

 

「おかげさまでな。今日は何にする?」

 

「今日はこれが手に入ったからね~。例のやつで頼むよ」

 

そう言って川内は手に持っていたビニール袋を黒島に渡した。

 

「確かに。それじゃ、席について待っててくれ」

 

「はいはーい。赤城、隣座っていい?」

 

「ど、どうぞ…」

 

「で、提督がどうかしたの?」

 

「あ、いえ、ええと……」

 

余程不意を突かれたのか、赤城はうまく言葉が思いつかないようだ。仕方がない、と彼女の代わりに黒島は口を開く。

 

「ここの鎮守府の提督がどんな人か聞いてたんだよ。あんまり噂も聞かないし、どういう人なのか気になっちゃってさ」

 

黒島が横須賀鎮守府の提督の事を知らないのは事実である。知っているのは、日本最大最強の鎮守府の長という大雑把な肩書のみ。様々な噂の集まるこの喫茶店においても、それ以上の情報は今の所ない。

ならば、聞ける時に聞いておこう。赤城の凡ミスを利用した黒島の諜報作戦だ。

ちらりと目を向ければ、赤城は川内に見えないように黒島に向かって「グッジョブ」と言わんばかりに親指を立てていた。

 

「なーんだ、そんな事かぁ。なんなら私が教えてあげようか?」

 

「ああ、頼むよ」

 

「そうだねぇ…まあ一言で言うなら超真面目な人だね。仕事には一切妥協しないし、自分に対しても部下に対しても厳しいし。戦績もすごいんだよ。あの人の指揮で遂行した作戦は全部成功してるし、死人や轟沈艦もほとんど出てないんだ」

 

「へぇ、すごい人なんだな」

 

作戦を全て成功。言うのは簡単だが、それを実行するのは容易ではない。軍人でない黒島でも、それくらいの事は分かる。

 

「そうそう。でもね、その反面実は恥ずかしがりやでさ。結構可愛いところもあるんだよね~」

 

「可愛い…ですかぁ?」

 

川内の『可愛い』という言葉を聞いた赤城は渋い顔をしながらそう言った。

 

「四六時中あの人と一緒にいますけど、そんな感情持った事なんて欠片もありませんよ。

というより、アナタが提督を気に入ってる理由って、ただ夜戦をたくさんさせてくれるから、というだけでしょ」

 

「ピンポ~ン、だいせいか~い!」

 

クイズ番組のような軽いノリで川内は赤城の問いに答える。

 

「夜戦は私の命と同じくらい大事だからね。提督には感謝してるよ」

 

「全く、そんなのだから他の子達に夜戦バカなんて言われるんですよ」

 

「もう、赤城ったら。自分が夜戦できないからっていじけないでよ~」

 

「いじけてません」

 

軽い雰囲気でそんなやり取りをする二人を見て、黒島はクスリと小さく笑みを漏らす。

 

「あ、ごめんマスター。話逸れちゃったね」

 

「いいよいいよ。ま、続きは食後のお楽しみって事で」

 

そう言って黒島はできあがった料理を川内の前に置く。目の前に出された料理を見て、川内は瞳を輝かせた。

 

「おお、きたきた!マスター特製のオムライス!」

 

「名付けて夜戦スペシャル。どうぞお召し上がれ」

 

三日月形に整えられたオムライスに、皿いっぱいにたっぷりとかかったデミグラスソース。それはまさに闇夜に浮かぶ月のようである。

じゅるり、と垂れる涎を拭き取り、川内はスプーンでオムライスを一口分掬って口に運ぶ。

 

「ん~ふわとろぉ~♪半熟の卵が口の中で溶けて、ご飯と絡まってくるぅ~」

 

さらにそこにアクセントを加えるのがソースである。濃厚だが決してしつこくないそれが、甘いケチャップライスの味をより一層際立たせるのだ。

 

「ご満足頂けたかな?」

 

「うん!これで今日も夜戦頑張れるよ!」

 

満足そうにオムライスを頬張る川内。しかしその隣では…。

 

「……………」

 

赤城がメニュー表を鼻先の位置まで近づけて、そこに並べられている文字を凝視していた。その様子は、子供がいたら思わず目を伏せさせてしまうような異様な光景だった。

 

「…………ない」

 

「な、ないって…何がです?」

 

「メニューに夜戦スペシャルという言葉がどこにも載ってないんです!日替わりランチでもこんなメニュー見た事ありませんし!普通のオムライスはあるのに……これは一体どういう事です⁉」

 

普段黒島の店で出しているオムライスは、デミグラスソースではなくケチャップをかけている。さらに言えば、卵の焼き加減も半熟というより少し硬めの具合だ。

そしてもう一つ、嗅覚の鋭い赤城は気付いていた。このオムライスは、使われている素材が違う。

 

「まろやかかつ濃厚な甘い香り。それでいて、卵独特の生臭さはほとんどない……。これは、最高級卵極み三選の一つ、『月の光』!」

 

「その通り!」

 

声のした方へ赤城は振り向く。そこには、イスの上で天井の灯りを背後に立つ川内の姿があった。

 

「これは品種改良などの人の手が一切施されておらず、なおかつ厳選された純国産の鶏からのみ獲れる卵。その味もさる事ながら、栄養価も他の卵と比べてずば抜けて高い。まさに、夜戦には最適の食材なんだよ」

 

まるで道化師のようなわざとらしい身振り手振りで、川内は赤城を見下ろす。

 

「やはりアナタでしたか川内さん。さっきのマスターに渡したビニール袋、中身はそれですね?その卵は、鮮度を保つという理由で通信販売は一切行っていない。手に入れるには産地である中国地方の奥地へ直接足を運ぶ必要がある。…川内さん、アナタ一体どうやってそれを手に入れたんです……!」

 

「……言っておくけどね、赤城。私は夜戦をする為なら、手段は選ばないよ。例えそれが、人道を踏み外す事だったとしてもね!」

 

「お行儀悪いからやめなさい二人共」

 

空気が異様を通り越してよく分からない物になってきた所で黒島はストップをかけた。

 

「ちぇ、これからがいいところだったのに~」

 

「食事中は大人しくしなさいって習わなかったか?ほら、いつまでも立ってないで座って座って。赤城さんも、いつまでそんな怖い顔してるんですか」

 

「だって納得いかないんですもん」

 

赤城はあからさまに不満そうにしながらテーブルに突っ伏くする。

 

「『月の光』はコストが高すぎてウチの店では常備できませんからね。川内ちゃんがこうやって材料を持ち込んでくれた時ぐらいしかお出しできないんですよ」

 

「裏メニュー、ってやつ?どう、かっこいいでしょ?」

 

「ただひたすらに羨ましいです…!元々作る人がうまいのに素材までもよくなったら……そりゃあおいしくなりますって!」

 

テーブルをバンバンと叩いて慟哭する赤城。その姿を見て、黒島もさすがにかわいそうだと感じると同時に、ある不安が胸をよぎった。

―――――万が一ヤケでも起こされたら、食料の在庫がヤバい。

 

「なあ川内ちゃん。赤城さんにもこのオムライス作ってあげちゃダメかな?まだ卵も何個か余ってるし…」

 

「しょうがないなぁ、今回だけ特別だよ?」

 

黒島の頼みに川内は快く了承してくれた。

 

「ありがとう、川内ちゃん。代わりに後でコーヒーおまけするよ。赤城さん、すぐできますんでちょっと待ってて下さいね」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

赤城の暗い表情が一転、パッと花が咲いた。

一先ず危機は去った、と黒島は胸を撫で下ろすと、オムライスを作る為調理を始めるのであった。

 

 

 

 

「ごちそうさまでした。あー、おいしかったです。やっぱり素材が違うと味も違いますね」

 

夜戦スペシャルを食べ終わった赤城はイスの背にもたれかかると満足げな顔でそう言った。数分前にも同じような光景を見たような気もするが、まあ気のせいだろう。

 

「え、じゃあ本当は私がくる前にご飯食べ終わってたの?」

 

「そうだよ。そこに空になった寸胴鍋が転がってるけど見るか?」

 

「どれどれ…うわマジだ。さっすが正規空母、よく食べるねー」

 

先に食べ終わっていた川内はサービスのコーヒーを片手に二人と雑談を交わしていた。

 

「この後も仕事が待ってますから、いっぱい食べて景気つけないと!」

 

「その言い方だとまだ食べるように聞こえるんですが…」

 

「お望みとあらばいくらでも」

 

「勘弁して下さい…」

 

「あれ、赤城午後からの仕事ってなんだっけ?出撃?」

 

「違いますよ。最近新しく入った子の訓練をするんです」

 

「ああ、あの防空駆逐艦の子か。舞鶴からきたっていう。着任早々赤城直々のご指導とは、災難だねぇ」

 

「この前店にきた子達も言ってましたよ。赤城さんは訓練になると人が変わるって」

 

赤城の指導の下行う訓練は鎮守府でも指折りの厳しさという事で有名だ。黒島が聞いた話によれば、訓練開始初日でノイローゼになった者も出たとか。

 

「私も着任したばっかの頃は世話になったな~。大破しても全然中止してくれないし、ほんと鬼かと思ったよ。新人さんには、少しは優しくしてあげなよ~」

 

「実戦以上の事態を想定しなくて何が訓練ですか。手を抜くなんて言語道断です」

 

「頑固だな~、戦いも大分落ち着いてるっていうのに」

 

「じゃあ、あの話本当だったんだな」

 

川内が何気なく口にした言葉に黒島が反応した。

 

「何がさ?」

 

「深海棲艦が大人しくなったって話だよ。最近ニュースでも見なくなったしな。知り合いの漁師の子が、漁がしやすくなったって喜んでたよ」

 

「そうそう、そうなんだよ。ここ三、四ヶ月前から被害報告が激減してさ。海の上で会っても、前みたいにガンガン攻めてこないでさっさと撤退しちゃうし。大人しすぎて逆に不気味なんだよね…」

 

川内は訝しげな顔でコーヒーを啜る。実際に深海棲艦と戦っている彼女としては、どこか不穏に感じてしまうのだろう。

できる事なら、彼女にも教えてあげたい。戦う意志の無く、一緒に食事をして笑い合える深海棲艦がいる事を伝えたい。

しかし、それを口にする勇気は、今の黒島にはなかった。

 

「…深海棲艦も、戦いに疲れちゃったんじゃないか?今頃、南の島でバカンスでもしてたりしてな」

 

何も焦る事は無い。いつかこの事を話す機会は必ずくる。ならば、その時まで。黒島は、早まる気持ちを静かに抑え込んだ。

 

「だといいんだけどねぇ」

 

それだけ言うと川内は残っていたコーヒーを一気に飲み干し、イスから立ちあがった。

 

「さて、そろそろ戻るよ。ごちそうさま、今日もおいしかったよ。赤城はどうすんの?」

 

「私はもう少しここに。先に戻っていて下さい」

 

「川内ちゃんも今から訓練か?」

 

「いや、違うよ。夜戦に備えて寝る!」

 

この言葉も何回聞いた事か。川内の夜戦への情熱は計り知れない物がある。

 

「んじゃまたね、マスター。また夜戦スペシャル楽しみにしてるよ」

 

「次も卵、忘れないでくれよ」

 

お代をカウンターの上に置いて、川内は鎮守府へ帰って行った。

残った赤城はコーヒーを一杯注文すると、黒島にさっきの事について尋ねた。

 

「マスター、今あの事を川内さんに言おうとしましたね」

 

「……すごいですね、赤城さん。艦娘って相手の心を見透かす力もあるんですか」

 

冗談交じりで言った言葉は「誤魔化さないで下さい」と一蹴された。

 

「…少しでも知ってほしいんですよ。あの子達の事を、いろんな人達に。そうすれば、誰も戦わなくていい世界がくるんじゃないかって……」

 

「気持ちは分かります。ですが、それが世間では異端だと捉えられる事を自覚して下さい。もし道を間違えれば、その時は…」

 

赤城はそれ以上言葉を続けなかった。道を間違えればどうなるか。黒島自身、自分が危ない橋を渡っている事は十分に自覚している。

 

「分かりました。この事は今後他言無用、それでいいですね」

 

「分かって頂けて何よりです。それともう一つ忠告です」

 

「まだ何か?」

 

「提督の事です」

 

黒島は意外そうに眉をひそめた。川内から聞いた話で十分だと思っていたが、まだ何かあるのだろうか、と。

 

「川内さんの言った事も大体は合っているんですが、それに加えてもう一つ、伝えておきたい事があります。私達の提督は―――――」

 

赤城の言葉を、一言一句逃さず頭の中に埋め込んだ。話が終わった後、首筋を伝う汗がやけに冷たく感じた。

 

「………肝に銘じておきます」

 

今後の事を改めて考えなければいけないな。黒島の心に不穏な風が吹き込もる。

 

「それともう一つ、言いたい事が」

 

「まだあるんですか…」

 

これ以上は勘弁してもらいたいと思った黒島だが、ここまでしてくれている赤城の厚意を無下にはできない。そう思って耳を寄せると―――

 

「前々からマスターの話に出てくる漁師の子って、一体誰なんですか?」

 

「話の温度差がはっげしいですねオイ」

 

この人はこの人で考えが読めない。そう思う黒島であった。

 




閲覧ありがとうございます!

今回登場した卵『月の光』は完全なる空想物です。念の為この場を借りて報告しておきます。
今回は喫茶店『Pace』の昼の部の話をお送りしました。楽しんで頂けましたでしょうか。
次回は深海側の長が登場予定です。一体何を食べさせてやろうか(悪い顔)
ではまた次回!


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。