アイツは薙切の中でも最弱!?   作:あつあげのてんぷら

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3.笑わない料理人

 六義達も早速調理に向けて動き出した。

 

「薙切君は白板を確認してきて下さい。私は肉の下処理に入ります」

「レシピを見ていないのに分かるの? あと六義でいいよ」

「先程見て覚えました。問題ありません」

「ここから白板まで結構な距離があるし文字も小さいと思うんだけど」

「問題ありません」

「へえ……目が良いんだね……」

 

 ブッフ・ブルギニョンは本来、一晩ワインに浸けた牛肉を弱火でじっくりと煮込んだ料理だ。二時間で完成させるにはしっかりと肉が柔らかくなるまで煮込まなければならない。それを考慮してか白板のレシピも簡易な物だった。だが余裕を持ってその時間を確保するためには下拵えを手早く済ませる必要がある。いつの間に決まっていた分担によるとガルニチュールは六義が担当するようだ。

 六義は識の手元を見た。筋取りも丁寧で中々に手際が良い。

 

「自分の作業に集中して下さい」

「あ、ごめん」

 

 視線に気づいた識はじろりと睨んだ。六義は黙って野菜を切り刻んだ。

 

「言っておきますが私は一番早く提出するつもりですので、しっかりついてきて下さいね? 生意気な編入生に格の違いを見せつけてあげたいので」

 

 やや挑戦的とも取れる言い方だった。表情も変わらず、口では興味がないと言っていたようだったが、内心はかなり熱くなっているようだ。見かけ程クールではないのかもしれない。

 従姉妹と少し似ているなあ、と六義は思った。あちらもかなりの負けず嫌いなのだ。というより薙切一族には負けず嫌いが多いのだ。現総帥も若い頃はかなりのやんちゃだったらしい。

 

 薄力粉をまぶし表面を焼いた肉を鍋へと移し、ワインでブーケガルニと共に煮込む。灰汁取りをし、炒めた野菜、トマトピューレを加えて更に煮込めばほとんど完成だ。

 六義は一息をついた。周囲を見回しても自分らのペアより進んでいる人はいないようだった。一番で提出が出来そうだ。

 恵と創真のペアも順調に進んでいるように見えた。相変わらず恵は緊張でガチガチであったが、創真の緊張感のなさが良い感じに作用しいつもより動きが良い。創真も恵にそれとなくフォローを入れたりと随分とペアワークに慣れていた。案外あの二人は良いコンビかもしれないと六義は思った。

 それに反して自分のペアは……と六義は隣の相方を見た。識は煮込みの段階に入ってから微動だにしていない。未だにろくに目も合っていない。やはり相性が悪いのだろうか。いや、それでも作業に支障がないという事は逆に相性が良いのだろうか。

 本当に彼女は鉄仮面のように表情が変わらない。

 

「今、何か失礼な事を考えませんでしたか?」

「いやあ、まさかそんな事はねえ…………。あはははは」

 

 六義はまた睨まれてしまった。笑って誤魔化す。

 

「薙切君、そろそろ盛り付けに入るので用意をお願いします」

「りょーかい。それと六義でいいよ」

 

 肉と野菜を皿に盛り付け、煮汁で作ったソースをかける。これで完成だ。

 出来た品をシャペルの前に持っていった。やはり一番のようだ。

 

「シャペル先生、審査をお願いします」

 

 シャペルは無言でフォークで肉に切れ込みを入れた。肉はほろりと崩れ、フォークはするりと沈んでいった。

 シャペルの目が見開かれる。

 

「白板のレシピ通りならこの短時間でこの柔らかさにはならないと思うのだが、君たちはどんな手品を使ったのかね?」

 

 シャペルは睨むように問いかけた。

 識はそれに憶さず答える。

 

「肉の下処理の際、炭酸水に漬け込んでおきました」

 

 炭酸に含まれる炭酸水素ナトリウムには肉のタンパク質を分解し柔らかくする効果がある。そのお蔭で長時間煮込む事なく、短い時間で仕上げて提出する事が出来たのだ。突然隣からプシュリと炭酸の封を開ける音がした時は六義も驚いた。

 シャペルは一口大に切った肉を食べた。ゆっくりと齟齣し、飲み込む。六義達は祈るようにそれを見守っていた。

 

「うむ。味も申し分ない」

 

 シャペルの口許は綻んでいた。それは、あの笑わない料理人が微笑んでいるように見えた。いや、実際に笑っているのだろう。

 六義はほっと安堵した。隣の識もやはり表情は変わらず当然といった様子だったが、小さくガッツポーズをするように拳を握り締めていたのを六義は見逃さなかった。

 シャペルはニヤリと笑った。

 

「多々良木・薙切ペア、十二分にAと評価出来るな」

「ありがとう御座います」

 

 識の思惑通り六義達は早々と一抜けを出来た。周りからも驚きの声が上がっていた。

 六義はその視線にむず痒さを感じながら後片付けを始めた。

 

「凄いなあ。識ちゃんのお蔭で一番乗りだよ」

「当然です」

 

 識は一切照れる事なく言い切った。

 識は誉められても相変わらずの無表情を貫いていて可愛げがない。シャペル以上に笑わない料理人だ。笑えばきっと可愛いいだろうに。六義にはそれがどうしようもなく勿体ない事に思えた

 六義は洗い物をしながら恵達の様子を窺った。何かトラブルがあったのか慌ただしい雰囲気だ。恵に至っては半泣きで絶望そのものといった顔だ。創真も恐い顔をしている。

 そんな彼らを悪い笑みを浮かべながら見ている二人の男子。偶発的なトラブルではない。人為的な嫌がらせだ。

 六義は腹がたった。

 

「薙切君に出来る事はありませんよ」

 

 識が言った。

 

「厨房にトラブルはつきものです。それにこの課題は二人一組と決められています。薙切君が助太刀に入ったら、それは料理長の指示を無視した事と同義です」

「分かっているよ。分かっているからこんなに苛立っているんだよ」

「そもそも、これは全て彼が蒔いた種です。彼の挑発に彼等が乗っただけの事。まあ、彼等も料理人としては失格なのですけどね」

 

 六義はもう一度二人を見た。創真の様子が変わっていた。手拭いを頭に巻いている。それだけじゃない。目が別人のようだ。これが創真の本気なのだろう。

 今から間に合わせる気なのだろうか。いや、絶対に間に合わせるという気迫で充ちていた。

 そこからは怒濤の勢いだった。創真はレシピをほとんど無視していた。恵も創真の気にあてられたのか、目に涙はなく真剣な表情だ。短く出来るものは極限まで短縮。残り三十分しかなかった筈なのに二人は品を完成させた。

 識ですら驚愕の表情を隠せていなかった。

 

「おあがりよ」

 

 シャペルの前に二人の作ったブッフ・ブルギニョンが差し出された。

 シャペルは肉にフォークをあてた。肉汁を溢れさせながらも、肉の弾力がフォークを押し返す。柔らかい。

 

「君たちの組にはアクシデントがあったようだが……どうやって完成を?」

「それなら、使ったのは……」

「ハチミツだよね。創真くん」

「おう……ってなんで六義が説明してんだよ! ってかいつの間に!? えーと、煮込む前の肉にハチミツを揉み混んで、下味をつける時にも使いました」

「成程……タンパク質分解酵素『プロテアーゼ』か!」

 

 シャペルは驚きの声を上げた。

 

「な、なんでそんなこと知ってたの?」

「六義たちも炭酸水を使ってただろ? それで思い出したんだよ。そーいやハチミツも使えんじゃん、てさ。前にパイナップルが使えるって料理本で読んでさ。キウイやコーラ、ピーナッツバターでも試したけどダントツはハチミツだったな。ほら、田所も食ってみな」

「創真くん、ぼくもいいかな?」

「ああ、いいぜ」

 

 どうやら識の時間を短縮した方法がヒントになっていたようだ。思わぬ所で塩を送っていた。

 シャペル達は一口食べた。次の瞬間、各々の表情には満面の笑みが浮かんでいた。

 

「C'est merveilleux. 幸平・田所ペア、Aを与えよう」

 

 教室内が驚きに包まれた。まさかあの編入生の、よりによって急拵えのような品がシャペルを笑わせるとは誰も予想だにしていなかったからだ。

 

「ただ、Aより上を与える権限を私が持ち合わせていない事が残念でならないがね……!」

 

 シャペルはニヤリと笑った。

 

「御粗末!」

 

 六義は自分のパートナーを見やった。澄ました顔をしているが、固く握られた拳は微かに震えている。彼女も恐らく気づいているのだろう。どちらの品がより美味か。

 六義の食べ比べた感想では、自分達のペアの品の方が柔らかかった。炭酸水に漬け込む時間が少し長かったのだろう。その分肉は弾力を失い、旨味を逃がしていた。その点創真達の品は揉み混む事でそれを防ぎ、味付けもハチミツの甘さと風味がマッチしていた。

 識は静かに創真に歩み寄った。

 

「幸平創真君……でしたね」

「ん? あんたは確か六義の……」

「多々良木識です。始業式のあの言葉……本気だったようですね。楽しみです。次は負けません」

「あー、よろしくな多々良木。……俺って何に勝ったんだ?」

 

 青春だなあ、と六義は思った。こうして料理人は育っていくのだ。

 

 

 

 

「えりなちゃーん。荷物取りに来たよー」

「遅かったわね」

「朝気づいたんだけど、えりなちゃんって今日はちゃん研と食戟があった筈だよね。疲れているかなってさ。それにぼくもこう見えて色々と忙しいし」

 

 六義は昨夜した約束通り学園内の薙切家邸宅へと訪れていた。小さい頃は一時期ここに住んでいた筈なのだが、やはりどうにも落ち着かない。廊下の幅からして寮の部屋より大きいのだ。一体それに何の意味があるのだろうか。利点と言ったら、精々大型動物が通りやすいという事しか六義は思いつかなかった。

 

「あんなのすぐに終わったわ。ここで待っていれば良かったのに」

「いやあ、ここの空気はどうも苦手でねえ。罰当たりな気がするんだよなあ」

「相変わらずの貧乏症だな」

「質素倹約は美徳だよ、緋沙子ちゃん。あ、お茶ありがとう」

 

 えりなの秘書である緋沙子が淹れた紅茶を六義はすすった。茶葉の良さを最大限に生かす淹れ方だ。いつも通り美味しい。

 

「そういえば今日、授業で中々面白い子がいたんだよね。たった三十分でブッフ・ブルギニョンを仕上げたんだ」

「あなたが気に留めるなんて珍しいわね」

 

 六義は嬉々として語り出した。えりなも穏やかにそれを聞いている。

 平穏なよくある光景の筈なのに、緋沙子は何故だか嫌な予感がした。

 

「それでさ、肉にあらかじめハチミツを揉み込んでいたんだよね。それを食べたシャペル先生もハチミツのように蕩けた笑顔をしちゃってさ。普段は怖いけど、笑顔は結構可愛いかったなあ。写真を撮れたら良かったのに」

「へえ、あのシャペル先生が……! 興味深いわね」

 

 シャペルの名前が出てきた事により、緋沙子の予感は確信へと変わった。

 

「六義、まさかその子というのは……」

「さすが緋沙子ちゃん、察しが良いね。あのゆ――」

「待て! それはえりな様の前では禁句――」

「き平創真なんだ」

 

 間に合わなかった。緋沙子は心の中でそっと自分の主人に謝罪した。

 緋沙子は意を決してえりなを窺った。

 えりなはピシリと時が止まったように固まっていた。

 

「……ちにしないで……」

「あれ……えりなちゃん……? 顔が物凄く恐いよ……!?」

「私の前でその名前を口にしないで!!」

「ほあっ!?」

 

 六義は思わずひっくり返りそうになった。ここまで激怒したえりなを見たのは久しぶりだった。何処からかゴゴゴゴという効果音まで聞こえてくる気がする。どうやら自分は地雷を踏んでしまったらしい。

 助けを求め緋沙子を見たが、彼女は静かに首を横に振っていた。

 六義は泣きたくなった。

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