太陽が真上にある時間に、病院の施設内に設けられている広場で、悠也は煙草を吹かしながらベンチに座っていた。視線の先には、夏には数人の子供が遊ぶであろう小規模な噴水があった。
少し視線を外すと幾つもの小さな丸テーブルとイスが置いていて、そこには白衣を着た医者であろう人がコーヒーを飲んだり煙草を吸っていた。
物好きな人たちだ。この寒空の下でそんなことをしているのだから。
「あら、神崎君。はやてちゃんはどうしたの?」
右手に湯気の立つカップを持ち、左手には幾つかの資料を持っている石田先生が悠也の隣に座った。
この石田先生との出会いは、はやてが雨の日に病院に行かなければならなかったときに、悠也が「濡れるから」と言って一緒に行ったとき会ったのだ。それからは少し喋ったり、はやての誕生日会に来てもらったりなどだ。
「病院の中は暖かいから、寝ちゃったみたいです」
ワザとらしく肩を竦めて煙草を吸う。
「そう。それで」
「あっ」
ギロリ、と効果音が付いたような錯覚と共に口元に合った煙草が消えていた。
石田先生の手元を見ると、携帯灰皿に押し込められている煙草があった。
医者は、というよりも未成年者が煙草を吸っているとなれば、取り上げるのが大人と言うものだ。隣に座る石田先生を横目に、悠也は上着の内ポケットから新しい煙草を取り出そうとして止めた。
もし出そうものなら箱ごと取り上げられるからだ。実際に、はやての家に置いてあった新箱をごっそりと持ち去られたのだ。それも十二箱。
「……用事を思い出したので帰ります」
「あら、このまま内ポケットにある箱を出してたら取り出してたのにね」
「はやてとザフィーラに夜にまた来ると言っておいてください」
顔が引き攣らない様に心がけながら、悠也は病院を出た。
そして、あまり人が通らない路地に移動して悠也は消えた。
まるでバケツを引っくり返したかのように降り続ける雨。そんな世界に一つの人影がった。
そして、その隣に急にもう一つの人影が現れた。
「酷い雨だな」
「まったくだ。バリアジャケットが無ければ下着まで濡れてしまう」
悠也とシグナムは、そのまま上に飛ぶ。雨は雲から発生しているのだから、その上は晴天だ。だが、そこに辿り着くには雷や荒れ狂う風という障害が発生するが、そんなものは関係ないと言わんばかりに球体のシールドを使って高速で分厚い雲を通り抜けた。
そこには、見渡す限りの青と淀んだ雲。そして巨大な龍が飛んでいた。
日本では太古の昔に存在したという伝説の生き物。西洋には太古の昔に存在したお伽噺の存在。そんな存在が、悠也とシグナムの100メートル先に存在した。
翼を広げて、そこにいるだけ。だというのに、その存在感は計り知れない。
「アカレラ、剣を」
「畏まりました」
アカレラが一本の剣に変わり、右手に。シグナムは既にレヴァンティンを持っている。
中段に構えるわけでもなく、下段に構えることもない。だらんと力を抜いて構える。
それが悠也の構え。相手に初動を知られる事無く動く構え。
「行くぞ!」
「言われるでもない!」
魔力をブーストさせて悠也本来のスピードを遥かに超えるスピードで斬りかかる。
本来なら音もなく斬れるが、鈍い音とともに手に伝わってきた反動に顔をしかめた。
硬い。ものすごく硬い。
「ハァ!!!!!」
シグナムもシグナムで龍を斬る。スッパリと斬れた傷口からは血が出ることもなく黒く焦げていた。炎の魔力変換だ。炎でレヴァンティンを高温にして焼き斬ったのだ。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAA」
ビリビリと空気が振動する。龍は吠えただけなのに、二人とも吹き飛ばされた。
圧倒的な敵。種の違い。存在からして違う存在に、悠也は圧倒された。
だが、
「黒騎士、推して参る!」
見たこともない存在に恐怖している、自分に喝をいれる。こんな障害は要らない。
自分は一人の女の子を救う為だけに、動く。動け。動かなければ、はやては死んでしまう。
「オォォ!!」
黒い魔力を全身から迸る。それが、推進剤となって音を置き去りにした。
だが、相手は龍。シグナムですら目で追う事の出来ない悠也を、その巨大な尻尾で遊撃する。
これが悠也一人なら遊撃出来ただろう。だが、ここにいるのは二人だ。
烈火の将・シグナム
「飛龍―――一閃!!」
炎の斬撃――飛龍一閃――を飛ばしながらシグナムも龍に飛び出していた。
何も、この龍を殺さなくてもいいのだ。蒐集さえすればいいのだから。
と言っても、この存在相手に簡単に出来るとは思ってもいない。現に、悠也はその存在に圧
倒されてしまって勝負を急いでしまっている。
あの魔力の解放は後先を考えないものだ。
だから、悠也に気を取られている内に蒐集してしまおう。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」
飛龍一閃で、僅かに尻尾の軌道を逸らされた龍の腹に穴が開いた。
あの超加速で、硬くない場所にあれだけの魔力が直撃したのだ。貫通しない方がおかしい。
そのまま悠也は龍からだいぶ離れた場所で停止した。
シグナムは、龍が悠也の方に向いた瞬間に蒐集を開始。普通の魔導師相手なら数十秒で済むが、龍は数分かかってしまった。
その間、龍は暴れに暴れたがバインドで口を封じられ足を封じられ、尻尾までバインドでグルグル巻きにされて身動きが一切取れなかった。
「蒐集完了……なかなかだな」
蒐集を終えたシグナムは、落下してゆく龍をしり目に浮いているだけの悠也の傍に寄った。
肩で息をして、アカレラの切っ先は完全に下に向いていた。
これ以上は戦えませんって感じだ。
「つ、疲れたぁ」
「そうだな。お風呂に入って汗を流したいな」
「はやても待ってるし、帰ろ」
そのまま悠也はシグナムの肩を抱き、引き寄せた。
そしてジャンプした。
結局、悠也が自分の家に着いたのは夜の九時だった。予想以上に探索、撃破、蒐集に時間をかけてしまったようだ。だが、それでも今回の蒐集は大きかった。
10ページも埋まったのだ。満足だ。
「けど、力不足……かな」
「いえ、ご主人様は恐れながらもアレを撃破しました」
確かに、龍の腹を貫いた。けど、あれはシグナムの援護があったからこそ出来たものだ。
悠也は恐怖した。自分よりもデカい存在に。心が震えた。存在からして違う存在に。
生きた年月が違うのか、それとも種としての圧倒的存在からか。結果は勝った。それでも、負けた。
戦場では一瞬の隙が致命傷となる。それを理解していても、恐怖した。
「んじゃ、そろそろ行こうか……?」
自分の寝室に入って、ラフな格好に着替えた悠也はモゾモゾと動く毛布の気づいた。普通、一人と猫一匹の家で勝手に動く毛布など見たことが無いし見たくもない。シオンは腕の中にいるのだ。
「…………」
「にゃ~」
「GO!シオン」
「に~!?」
君に決めた!と言わんばかりにシオンを空中に放り投げ、ベッドを指さす悠也。
と言うよりも、既にシオンの着地地点はベッドだ。流石に硬い床に落とすほど悠也は鬼畜ではない。
「うわ!?」
「シャッー!」
余りにも覚えがある声が聞こえ、シオンが威嚇した。威嚇というよりもビックリしたから出た声だろう。数秒もかからないうちに腕の中に戻ってきたシオンの頭を撫でながら、ベッドから落ちた少女に声をかけた。
「なにやってんだヴィータ」
そう、毛布の中でモゾモゾしていた犯人はヴィータだった。
もう寝間着姿のヴィータは、毛布の中でモゾモゾしていたから髪がぐちゃぐちゃになっていた。
「これからはやての所に行くんだろ!?」
「行くよ」
「アタシも行く!」
「ん」
「わぷっ」
悠也はハンガーにかかっていた黒のパーカーをヴィータに着せ、ぐちゃぐちゃになっている髪を直してやり抱きかかえた。はやてと同じ背格好のヴィータを抱くことなんて簡単だ。
パーカーが大きすぎて、それ自体が服みたいになっているが冷えて風邪を引くよりは遥かにマシ。ジッパーを上げてフードを被せると全く前が見えない。
「行くぞ」
「おう」
悠也はヴィータを抱きかかえてジャンプした。
Said―――
夜、はやては石田先生が指定した病室で夜空に浮かぶ月を見ていた。
真っ暗な夜空に浮かぶ孤独な月。よく、はやては月を自分に見立てていた。孤独な自分を。
けど、よく目を凝らして見れば周りには月が放つ光に負けじと光を放っている無数の星が存在していた。暗い夜を照らす月と星々。
「なんか、なぁ~」
疲れていたのだろうか。悠也に見守られながら昼過ぎには寝てしまい、起きてみれば空は茜色に染まっていた。寝る子は育つと言うけれども、よく考えてみれば寝すぎ。いや、よく考えなくても寝すぎである。普段からエネルギーを使わないはやてが眠くなるためになにをすればいいのか。
只でさえ病院と言う限られた施設の中で、足が不自由なはやてが出来るものなんて読書か車いすで散歩か寝るくらい。結論、できない。
図書館で借りていた本も全部読んでしまった。友達に借りた本も読み終えてしまった。
散歩なんて、こんな時間から行くものではない。つまるところ、九歳児のはやては暇なのだ。
「失礼します主」
極力存在を消していたザフィーラは、ベッドの上で唸る主を抱きかかえた。
突然の事で、きょとんとするはやてだがザフィーラはそのまま病室を出て階段を上っていく。勿論、主に風邪を引かせないために厚手の上着を着せて。
「どないしたんザフィーラ?」
「少し風に当たりましょう。そうすれば、今の気持ちも収まるかと思いますので」
そう言いながらザフィーラは、はやてを横抱きにして屋上に出た。
もう少しで十二月に入ろうかと言うこの時期の夜は寒い。だが、空気が澄んでいて星がよく見える。それに、はやての気分も少しは落ち着いた。
「主はやて。寒くはありませんか?」
「ん、ちょっと」
ザフィーラは、自分の上着を器用に脱いでコンクリートの上に敷いた。そこにはやてを座らせ人間状態から狼状態に変身した。そして、
「わ、あったか~」
「ありがとうございます主」
はやてを包み込むように丸まり、尻尾を足に乗せた。狼の毛皮の完成だ。
「…………む」
「どないしたん?」
「なんでもありません」
ザフィーラは暖かかった。大型犬サイズのザフィーラは、小さい主をすっぽりと覆いこんでしまうほどだ。他の子供と違い、足に障害を持つはやては体の発達が少し遅れている。だが、それでもザフィーラは大きかった。もふもふである。
「あ、ザフィーラから煙草の匂いする」
「……本当ですか?」
「冗談や」
クスクスと笑うはやて。確かにザフィーラは煙草を吸っているが、匂いはしない。
ちゃんとお風呂に入るし、日向ぼっこだって主とする。つまり、はやてに言わせれば「おひさんの匂いや~」である。そもそも、主を重んじるザフィーラがそんな失態を犯すわけがないのだ。
「ふむ、主はやて」
「ん?」
「後ろに悠也がいます」
「えっ?」
バッ、と振り返るはやて。だが、その視線の先には誰もいなかった。
やり返しだ。
「誰に似たんや……。悠也しかおらんやん」
後ろを向いたまま、呟くそこに居るはずのない声が上がった。
「誰がくだらないことをする奴だって?」
「え?」
正面を見ると、そこにはヴィータを抱きかかえた悠也が立っていた。唖然としているはやてに、悠也はデコピンを一発。
「あぅ」
「はやて!」
デコピンされた額を押さえていると、ヴィータがはやてに抱き着いた。
「尻尾ッ!?」
二人に挟まれた尻尾を何とか抜けさせ、そのまま二人に被せた。
悲鳴のような声を上げたザフィーラだが、そのまま動じないのは流石としか言えない。
「後でブラッシングしてやるよ」
「感謝します」
ザフィーラは体の内側で抱き合ってニコニコと笑っている主とヴィータを見て笑う。それにつられて悠也も笑う。
「はやてっ、今日は一緒に寝よう!」
「ええよ。ザフィーラそろそろ戻ろ」
「わかりました。このまま乗っていきますか?」
「うん!」
「アタシも!」
伏せの状態から、はやてとヴィータを乗せる。普通なら子供が二人も乗ったら歩けないだろうが、普通じゃない。盾の守護獣・ザフィーラだ。ヒョイと四本足で立ち上がり、自分の上着を咥える。
「悠也も、一緒に寝よ?」
「病室のベッドじゃ無理だよ」
「ええやん」
「じゃあ、アタシが悠也の上で寝るからさ」
「アカンでヴィータ。それは私がすんの!」
「はやてはいっつもやってるじゃんか」
「それでも!」
「じゃあ一緒に悠也の上で寝よう」
「それや!よっしゃ。早く行こザフィーラ」
「わかりました」
人が乗っている重みを感じさせない足さばきで屋上から移動する三人に、悠也は煙草を取り出して火を点けた。そして煙を吐き出す。
「俺の意思は?」
「はやて嬢も寂しかったのです。そこは諦めましょうご主人様」
そのまま屋上でフィルターの一歩手前まで吸った悠也は屋上から出て行った。
その夜は、悠也の意思など関係なかった。病室に着いた途端にザフィーラに捕まり、ベッドに寝かされて、その上にはやてとヴィータが乗っかり寝息をたてはじめたからだ。
ザフィーラはザフィーラで、部屋の隅で丸くなって寝ていた。