ヴェルサイユ宮殿内にある王の私室にはルイ十六世に臣従するもののうち、サーヴァントだけが集められていた。
先日の義勇革命軍の強襲と大脱走についての話をするためである。生きた人間達の中にもルイ十六世が信頼する者がいないではなかったし、ルイ十六世としては彼等にも全てを話しておきたかったのだが、そこで燕青が召喚早々に強硬に反対したのだ。
曰く、下手に話しても信じられないし仮に信じられでもしたら最悪内部分裂の元になるというのである。
マリーは寧ろルイ十六世に賛成し民に誠実であるためにも話すべきとしたのだが、デオンとまだ当時は生きていたパラケルススが燕青に賛同。諫言者である燕青に至っては処刑覚悟でかなり強い口調での大反対だった。
なお黒衣のランサーは客将で一介の
人が好過ぎて優柔不断なルイ十六世だが、彼の魔星が一人にここまで言われては決断せざるをえなかった。
よってサーヴァントや人理焼却などについて知るのは、ルイ十六世とそのサーヴァントだけである。
「報告します。義勇革命軍は我が軍の追撃を振り切り逃走、行方を眩ませました。また前後の状況から鑑みるにあの強襲はヴェルサイユ市内の『カルデア』を脱出するための陽動だったと推測され、」
「待ってくれ。待ちなさいデオン。
「……死者はいません。音刃による狙撃を行ったのは十中八九サー・トリスタンでしょう。正体不明のアサシンと違い、彼はこれまでの戦いにおいても一切一般人の犠牲者を出すことはありませんでした。今回も同じです。ただ重症者はいませんが転んだり飛んできた瓦礫片が掠めたりで軽傷者は何名か。
破壊された建物は軍事施設や結界の基点となる場所が多く、民間の建物の被害は極めて軽微です」
「良かった、いや怪我した人が出てしまったのは悲しいけれど、死者が出なくて本当に良かった……っ。マリー、直ぐに街へ出て負傷者を治してきてくれるかい? ああ、それと壊れた街は聖杯を使って直ぐに元通りにしよう」
「任せて。大好きな皆を直接治してあげられるのは、サーヴァントになって一番嬉しかったことの一つだもの」
ルイ十六世の頼みに頷くよりも早くマリーは立ち上がる。
ルイ十六世とマリー・アントワネット。彼女にとって自分の宮殿や安全が壊されるより、民の暮らしこそが一番大事なことなのだ。デオンは自分の仕える二人の主君を誇らしく思うと同時に、後世で二人を暗愚、毒婦として語る無責任な歴史家共を呪う。
しかしながら黒衣のランサーは意見を後世の歴史家と等しくするらしい。デオンには黒衣のランサーが微かに嘆息したような気がした。
「君は、王と王妃様のご采配に異があると?」
「初めに言ったはずだ。俺は俺が認める男にだけ仕える。サーヴァントのマスターの関係だとか令呪が云々だとかそういう表面的なものじゃねえぞ。真に家臣として心服するか否かってことだ。
それができないマスターには俺も一介のサーヴァントとしてしか仕えん。裏切りはしないが、言われたこと以外をやるつもりも意見を言うつもりもない」
それはもしかしたらサーヴァントとしては理想形なのかもしれない。
自ら意見を出すことはなく、マスターの指示通り唯々諾々と従う。聖杯戦争に参加するマスターには、そういう使い魔らしい振る舞いをサーヴァントに要求する者も多い。
しかし黒衣のランサーはつまるところ『ルイ十六世とマリーは仕える主君に値しない』と侮辱しているにも等しい。
自分の仕える主を馬鹿にされて黙っていられるデオンでもなかった。目の前の男が常軌を逸した化物であることを知りつつも、その手はサーベルへと伸びる。
「やめなさいデオン」
「しかし陛下、この男は許しがたい侮辱を!」
「侮辱? 彼は侮辱などしていないよ。余は優柔不断な暗愚な王で、彼の言う通り彼の主君には相応しくない。生前の彼の主君と比べれば私の器量なんて水溜りのようなものさ」
「何を仰いますか! 陛下がフランスの民を愛するお気持ちは誰に劣るものではありません!」
「確かに余も民を思う気持ちでは負けるつもりはない。だがねデオン、民を愛することと民を幸せにすることは別問題なんだ。君はローマ皇帝の……ティベリウス帝とネロ帝を知っているかい?」
「……はい」
ヨーロッパ王国の祖たるローマ帝国のことはデオンも幼い頃より教わっている。
ティベリウスは初代アウグストゥスより帝位を継承した二代目皇帝、ネロは五代目にしてユリウス・クラウディウス朝最後の皇帝だ。
うちネロは第二特異点でカルデアの人理修復に大いに協力したのだが、ルイ十六世に召喚されたデオンはそのことを知らない。
「暴君と揶揄されるネロ帝であるが、実際には市民から絶大な人気を誇り、自身もローマ市民達を心から愛していた。だが度重なる放蕩や浪費、暗殺によってネロ帝は最終的に皇帝の地位を追われ一人自害することになった。
対してティベリウス帝は市民からまったく人気がなかった。彼が死んだ時などローマ市民は大喜びしたという。きっとティベリウスも市民のことなど愛してはいなかっただろう。だがティベリウスは国庫を富ませ、大過なく国を治めた。その業績は名君と呼んでいいものだろう。
市民を愛し愛された皇帝が暴君となり、市民に愛されず愛さなかった皇帝が名君となった。つまるところ、もうぶっちゃけると……民を愛さないでも、国を治めることはできちゃうんだろうなぁ」
言いたくないことを渋々と絞り出すようにルイ十六世は苦笑した。
きっと〝暴君〟とされたネロ帝に自分を被せているのだろう。
「サーヴァントというのは辛いね。自分の辿った歴史を客観的に見れるせいで、気付きたくもなかったことに気付かされるんだ」
「陛下の言われたことは分かりました。しかし私は例え名君だったとしても民を愛さぬ王に仕えたくはありません。白百合の騎士である私が忠を誓うのは、例えいつの時代でも貴方と王妃様です」
「ありがとう、デオン。それとランサー。君の意見を聞きたい。余の言われたことならやってくれるなら、意見を求めるというのもありだろう?」
一本とられたな、と黒衣のランサーは肩をすくめる。
「大したことじゃねぇさ。ただ『聖杯』を使って修復するなら結界の基点からだ。パラケルススの張った結界はどうも本人が死んでも良い仕事をし続けているらしい。あれを維持するだけで義勇革命軍の動きを制限できるだろう。
なんでもかんでも民を優先させりゃいいってもんじゃねえ。偶には民を泣かせてでも軍事を増強させんのも王の仕事だ」
「その意見には頷きたくないが、結界のことは分かった。民の施設を直してから直ぐに取り掛かろう」
「………………ふん」
冷めた目でルイ十六世を見た黒衣のランサーは、立ち上がって部屋を出ていこうとする。
彼はなにも言わなければ一日中ずっと門を守っているので、そこへ戻ろうというのだろう。
「ああそうだ。これはマスターに対してじゃなく、一個人としては嫌いじゃないルイって男へのお節介な忠告だ」
「なんだい?」
「燕青の言うことは聞いておくんだな。もしもアンタがあれにまで見放されたなら、待ってるのは禄でもない末路だぜ」
それだけ言って黒衣のランサーは去っていった。
英霊として時間軸を超えた知識をもつルイ十六世は、四大奇書の一つである水滸伝についても勿論知っている。燕青の主人であった盧俊義が度々彼の進言を無視したことで失敗を繰り返し、遂には見放され悲惨な末路を迎えたことも。
「分かっている………分かってはいるんだ…………肝に銘じておくよ」
この場にいない燕青の顔を思い出しながら、ルイ十六世は自分に言い聞かせるように頷いた。
未だ絶対革命王政軍が発見していない革命義勇軍の本拠地へ行くために、イギリス海峡まで撤退してきた藤丸立香が目の当たりにしたのは有り得ないものだった。
「なんですか、これ?」
「島だよ」
あっけからんと答えるボナパルト。
それはいい。これが島なのは子供だって分かる。問題なのは島の名前だ。
「なんで島の名前がセントヘレナ島なんだーーーー!?」
「…? なんで島の名前が駄目なの?」
事情を理解しえないルイが素朴な疑問を口にする。
「何がって言われたら一言で応えるのは難しいんだけどね。ナポレオン的にセントヘレナはヤバいんじゃないかとか」
セントヘレナ島といえば敗北したナポレオン・ボナパルトが生涯に渡り幽閉された島。つまり彼の英雄の余り縁起が宜しくない終焉の地である。
そんな厄ネタのような島をよりにもよってボナパルト本人が拠点にするとはどういうことなのか。だが問題はそれだけではない。
「ねぇマシュ。俺、世界史の成績2だったから詳しくないんだけどセントヘレナ島がある場所がおかしくない?」
「はい、大いにおかしいです。セントヘレナは南大西洋に浮かぶ陸の孤島です。イギリス海峡の、それもフランスに程近い場所にあるはずがありません」
『たぶんエルサレムにオジマンディアス王のエジプト領が出現したのと似たようなものかな。セプテムのロムルスもそうだったけど、最上位の君主系サーヴァントが特異点に召喚されると連鎖的に縁のあるものが召喚されることがままある。このセントヘレナ島もナポレオン・ボナパルトが召喚されたことによって本来あるべき場所から引き寄せられたのかもしれない』
『けど不幸中の幸いかもしれないぜ。人理定礎値がオルレアン未満のここだから島一つで済んでるけど、もしエルサレムと同じEX級だったらどうなっていたか』
ロマンとダ・ヴィンチの説明により一応納得する。
確かにこれまでの特異点の滅茶苦茶っぷりに比べれば島一つくらいどうということはない。
「それにしてもボナパルトさんはどうして態々ご自身にとって縁起の悪い場所を拠点にされたのですか?」
「単純に都合が良かったからかな。ここは本来の歴史には存在しない場所だから当然地図にものっていない。しかも僕には土地勘がある。秘密基地としての条件をこれ以上なく満たしていたのさ」
「なるほど」
いつもはふざけているのに、ちゃんと真面目にやるべき所は抑えているのが卑怯なボナパルトであった。