歩き始めて、既に三十分ほど。左腕につけていた腕時計が壊れていないのであれば、間違いはない。後ろを振り返ってももうあの遺跡は見えず、鬱蒼と生い茂る木々が私の視界を占めていた。今のところ、行けども行けども森ばかり。体力をつけておいて良かったと、つくづく思う。救いは、気候が良いことだった。昼の太陽が程よく照り帰り、暑すぎず寒すぎない快適な気温と湿度を保っている。
目新しい不思議植物があるということはなく、こうして歩いていると本当にここが異世界なのかと疑問になってくる。
「ねぇ」
〈――あん?〉
方向の指示しかしてこないガリューに、こちらから話しかけてみることにした。
「さっき話してた、あの……魔力を扱うとか、魔力を鍛えるとか力を引き出すとか、について考えてたんだけど……今一つ具体的なビジョンが浮かばないんだけど。そもそも魔力って何」
〈そこからか……〉
魔力とは剣と魔法のファンタジーにつきもののミラクルエネルギーなのだが、お話ごとに様相・設定がまるで違うために、その知識は無いに等しい。
ガリューは面倒くさそうに呟き、何かを考えるようにしばし黙した。私はとりあえず足を止めることなく歩き続け、しばらく私の足音と茂みをかき分ける音だけが響いた。
〈魔力を感じることも出来ない、ということだな〉
「うーん。こっちで目が覚めてから、今までにない変な感じはするんだけど。明確な感覚まではちょっと」
これまで無視してきたが、この世界の空気に何となく違和感はしていた。しかしそれはあまりにも曖昧で、他の五感に埋もれてしまい、新しい感覚として確立させることは私には出来なかった。
〈なるほどなぁ。……手っ取り早い解決法があるんだが、やってみるか?〉
「どうやるの?」
なので、私はガリューの提案にはすぐに食いついた。
〈簡単だ。一時的に、身体の主導権を俺に渡せ〉
「……えぇ?」
しかし、その方法を聞いて私は途端に不安になった。その理由は、言うまでもない。どれだけ友好的でも、ガリューは自称・悪魔なのだ。
「だ、大丈夫なの?」
〈……お前、疑ってんのか? さしずめ、俺がお前の体を乗っ取ったまま返さなくなるかも知れないとか考えてんだろ〉
「そりゃまぁ……」
〈めんどくせぇ……どちらにしろ、訓練場の門はお前には開けられねぇんだ。この先、俺の協力無しにやっていけるってんならそうしろよ。俺は構わねぇ〉
「……」
そう言われると弱い。と言うかどうしようもない。信じるものの誰もいない異世界、現状、頼れるのはガリューしかいないのだ。それに、よくよく考えてみればただただ一方的に協力してもらうなどというのは確かに虫の良すぎる話だ。私も、相応のリスクを負わなければフェアとは言えない。
〈お前が許可してねぇと、俺は表に出れねぇんだよ。つべこべ言わずに、是か非で答えろ。それと、非だってんなら俺はもう何も言わねぇぜ。俺は、お前の子守をしてんじゃねぇんだよ〉
最後通告するように、ガリューはそう言った。
私としても、この世界のことを色々と教えてくれている彼を困らせることは本意ではない。
「ごめんなさい、是です。お願いします」
〈おうよ。任せておけ〉
「それで、私はどうしたらいい?」
〈何もするな。抵抗しなければ、それでいいさ〉
ガリューにそう言われ、私は足を止めた。
すると、途端に自分が遠くなるような錯覚がして、気がつけば身体が動かせなくなっていた。思わずどことも分からない虚空でもがくが、私の身体はぴくりとも動かない。周りの風景も、映像ごしにでも見ているようで、実感が無い。
例えるなら、着ぐるみごしに世界を見ているかのような、そんな感じだ。着ぐるみは自分の意志では動かせず、勝手に動いているような。
「よぉ、どうだ? こんな感じだが」
〈えっ〉
今までとは違って、着ぐるみの外から肉声のだみ声が聞こえてきた。代わりに、私の声がくぐもったように頭の中に響く。
「特に問題はないようだな。うまくいったぜ」
〈ガ、ガリュー?〉
私の口が勝手に動き、勝手にしゃべりだす。しかしその口から紡がれる声は、慣れ親しんできた私のものとは似ても似つかぬ柄の悪い男の声。傍から見れば、きっとシュール際まわりないだろう。
私の身体、というかガリューは何かを確かめるようにぎゅっぎゅっと拳を握ると、突然近くの木に拳を叩きつけた。バキャっという音とともに拳は木の幹を粉砕、途中までめり込み止まる。
「魔力強化もなしにこれか。悪くない身体だ、なかなか馴染むじゃねぇか」
〈やめてよー、恥かしいよー。と言うか何か卑猥だよー〉
「おっとっと。おいおい暴れんなよ。あくまで、この身体についてはお前の方に分があんだ。気を抜いたら俺の方が乗っ取られちまう」
〈あ、ごめん……〉
着ぐるみの中で心持ちばたばたしていると、ガリューにそう注意された。確かに彼の言うとおり、一瞬いつもの自分に戻れそうな感覚がした。押し込まれるような感触は少しあったが、私の方が力が強いというのはどうやら嘘ではないらしい。ごり押せば私が勝っていただろう。
「チッ……。思ったより、引き戻す力が強いな。長くは出ていられねぇ。さっさとやっちまうか」
〈あ、その前に。ねぇガリュー〉
「何だ。時間がねぇんだ、手短にしろよ」
少し顔をしかめて空中を見つめるガリューに、私は気になっていたことを言った。
〈私の身体を使えるんだから、声ぐらいどうとでもなるはずだよね。声帯も、体の一部なんだから。だから、私の顔でその声は止めて欲しいんだけど〉
「はぁ? どうでもいいだろうが。本来肉体のない悪魔は、そんなこと気にしねぇよ」
〈私が、気にするんだよ! どうして女の子の微妙な機微を理解してくれないかなぁ! ていうかキモいんだよ、想像しただけで!〉
「あーっ! うるせえうるせえ! 分かった――――これでいいんだろうが!」
私の必死の訴えに、ガリューが頭を抱え天を仰いで叫ぶと、波長が切り替わるように声が変わった。聞き慣れた、私の声だ。……口調が荒く、言いようのない違和感はあるが、さっきの想像よりは百倍マシだ。
「余計な手間を食ったぜ。もういい、勝手にやるから、勝手に覚えろ。……一応結界でも張っておくか」
私の声で口汚い悪態をつきながら、ガリューが軽く指をふる。何をしたかは分からなかったが、私が何かを聞く前にガリューは次の動作を始めていた。ボールかメロンでも挟むような形になるよう胸のあたりまで左右対称に両手を上げ、静止させたのだ。
〈何してんの?〉
「黙って見てろ……いや感じていろ」
ガリューも同じだったのか、ガリューが表に出ている状態でも、感覚はほとんど共有している。視覚、聴覚、触覚、嗅覚。おそらく味覚や痛覚、その他の感覚も同様だろう。私は、ガリューの言う通りに両手の間の空間を眺め、意識を集中させた。
「――」
すると、身体から、周囲の空間から、“何か”が集められるような感覚を覚えた。ガリューの呼吸に合わせ、両手のあたりにその“何か”は収束していく。……きっと、これが魔力、なのだろう。
(この感じ……)
この世界に来てからの違和感……いや、正直に言えば、あの夕暮れの公園で見たあの青い光に感じたものと共通のものを、私は明確な感覚として自覚し始めていた。今までは、新しく増えた未知の感覚器に戸惑っていたのだ。しかし、答えはわりと近くにあったのだとようやく気づく。似たようなものを私は元から知っていて、その感覚と中途半端に混合してしまい、余計訳が分からなくなっていたということにも。
「どうだ、分かるか?」
引き続き魔力を集めていたガリューが私に聞き、私はそれに答えた。
〈何だか、気功を練るのに似てるね〉
「気功……ストラのことかぁ?」
〈ストラ?〉
「主に、リィンバウムのニンゲンやシルターンの連中が扱う身体活性技法だ。特殊な呼吸法によって気を練り上げ、攻撃や防御、治癒に応用する技術だと、昔酔狂な龍に聞いたことがある」
〈あ、私の知ってるやつと大体同じだね。何だか嬉しいなぁ〉
私の元いた世界では、世間一般的に知られていても眉唾されていたものだ。私が実践してみせても、大抵信じてはくれずむしろ妙なものを見るような目で見られた。波○拳でもできたら話は別だったかもしれないが、残念ながらそんな技はなかった。
〈でも、何で“魔力”……とやらに似てるのかな?〉
「大元が同じものだからなぁ。似ているのは当然だろ」
〈……どゆこと?〉
「この世界の大体の存在はな、大気中にあるマナを取り込みそこから魔力を生成するのさ。それはストラ、の元となる生命力も同様だ。つまるところ、逆にマナが無くなれば生命力も失われ、死ぬということだなぁ! ハハハハッ」
〈ふん、ふん。笑い事じゃないねぇ。それで、マナ?って空気中にあるんだよね。なのに無くなって死ぬことなんてあるの?〉
「その昔、とある世界で黒い雪が降り、その世界のニンゲンを絶滅させた。その黒い雪の正体が“マナ枯らし”ってぇカビだ。ニンゲンに寄生し、その身体からマナを奪い尽くす。感染力も強ぇし、一度広まればもう止められん。今でも、その世界のどこかに“マナ枯らし”の原種が残ってるって話だがなぁ。しかし……そんなもんがこの世界にも降り注いだら、それはそれは愉快なことになるだろうぜ。くくっ」
私の声のままで、しかし語る話はかなり退廃的だ。悪魔というのは、どうしてもそっち方面に持って行きたがるのだろうか。
私は話を戻すために、口を開いた。
〈えーっと。じゃあ、私の元いた世界にも、マナってあったのかな?〉
「当たり前だろ」
〈ええっ〉
何気なく聞いたことに帰ってきた答えに、私は少し驚く。
〈じゃ、じゃあ、頑張ったら魔法とか使えたのかな〉
「魔法……召喚術のことを言ってんのかぁ? さぁな。ただ、濃度が薄いのは間違いねぇから一度使うだけで息切れするだろうよ」
〈へー……。けど、なんで分かるの? こっちに来たことあるとか? 悪魔召喚!とかで〉
「……例え行ったことがなくともなぁ、分かんだよ。召喚門ってのは、マナを源とした魔力で開く。その魔力で開いた召喚門が、マナの全くない世界に繋がる、なんてことがあるわけねぇだろうが」
〈そういうものなんだ〉
丁寧に説明してくれているガリューには悪いと思ったものの、仕組みは今一つ理解できない。結局頭で考えるのを止めて、そういうものなのだと納得しておくことにした。
「……そろそろ身体も結界も限界だな。最後に一芸見せてやる、目の穴かっぽじってよく見てろ」
〈怖っ〉
再び、しかし今度はさっきとは逆方向に引っ張られるような感覚がし始めた時、ガリューが話を打ち切りそう言った。
私は軽口を叩きながらも、またガリューの両手の間の空間を注視することにした。
〈あっ〉
私がじっと両手の間を見つめていると、魔力の特異な動きとともに、そこに突然黒いものが出現した。最初は小さな点のようなものだったが、それはみるみるうちに大きくなっていった。実物を見たことはないが、コールタールというものにきっと似ていると、何の根拠もなくそう思った。液体のように流動的で、重厚感のある、黒い塊。見つめていると、それが何となく親しみのわく質感をしていることに気付く。表面はオニキスのように輝き、しかしゼリーのようにプルプルとしていて可愛らしい。
膨れ上がったコールタールもどきがバスケットボール大になった頃、私はそれを両手から離れさせた。そして魔力を注いでいくと、それは直径二メートル近くまで膨れ上がり、そうしてついにパチンとはじけ飛んでしまった。
「わっ」
はじけ飛んだコールタールは地面に飛び散ることなく、私の制御から外れると途端に薄れていき、空気中に霧吹きのように消えていった。
「すごーい」
私は思わずぺちぺちと手を叩く。
「あれ」
そして、いつの間にか身体が元に戻っていることに気が付いた。
〈遅ぇよ〉
「ガリュー」
くぐもったように響くだみ声で、ガリューが私に答える。
〈くそ。結局、途中で引き戻されちまったぜ。……ま、どちらにしろいい経験が出来ただろ〉
「ねえ、さっきのアレ、何?」
〈魔力への物理特性付加……いや、特性変換か。魔力をそのまま攻撃に使うのはどうにも効率が悪いんでな。普通はああいう、“闇”やら“炎”やらの現象に変えた上で相手にぶつけんだよ。だが変換させたとは言え、ルーツは魔力だからな。魔力耐性の強い相手には効果が薄いから気をつけろよ〉
「ま、魔法! 魔法だ!」
〈おい聞いてんのか〉
俄然、テンションが上がる。これだ、ファンタジーでこれは、欠かせない。召喚術は感性的にピンと来ない上に他力本願過ぎて、どうにも感動が少なかったのだ。しかし、これならば自分自身の手で使える。……ガリューの力を借りているという点に目をつむれば、だが。まあ、これ自体はガリューが推奨していることなのだから、あまり深くは考えまい。
〈……大丈夫なんだな? それじゃ、もう一度やってみせろ〉
と、続くガリューの言葉に、私は固まる。
「……どうやって?」
〈お前っ!! 俺がさっきやってみせただろうが、感覚を共有しているお前に今更分からないとは言わせねぇぞ! そもそも! 途中からはお前自分でやっていただろうが! 結界が消滅しちまう前に、さっさとやれ!!〉
「あ……」
ガリューに言われて思い出す。あまりに自然過ぎて気付かなかったが、そう言えば私は途中から自分でコールタールを、闇を動かしていた気がする。それも、まるで全てを理解しているかのように魔力を扱い、闇を制御していた。
「……」
その時の感覚を、思い出す。当初は分からなかった魔力の、マナの存在が、手に取るように分かる。なるほど、ガリューの言うように、この世界にはマナがあふれているらしい。マナが知覚出来るようになってから、私の目にはこの世界がまるで輝いているようにも見えた。
気功を練るように、体内の魔力を繰る。まるで、私の手足のようだ。ただただ思い通りに、魔力は廻る。むしろ、これまで出来なかった事のほうが不思議に思えた。
全身を巡らせ、ガリューがやったように手の方へと魔力を収束させる。
そして、願うように集めた魔力に意を込めた。
「っ! 出来た!」
果たして、初の試みは成功する。確かな手応えとともに、私の手の中には黒い宝石の様な闇が生まれていた。
〈俺があそこまでやってやったんだ。出来て当然だろうが〉
「やふー!」
〈聞けよ〉
ガリューが何か言っているが、今の私には聞こえない。私は、自分で生み出した闇に夢中になっていた。
闇の大きさは大体ピンポン球ほどで、糸もないのにプカプカと空中に浮かんでいる。頭の中で右に動かせば右に動き、左に動かせば左に動く。完全に私の意志通りに動いていた。
さらに形を変えてみたり、水のように上から下に落としてみたり、私の周りを螺旋状に旋回させて檻のようにしてみたり。流動的で変幻自在、使いようによっては、これだけで何でも出来るような気がした。
〈――ぉい。おいこら!〉
「え、何?」
そこで、ようやくガリューの怒鳴り声に気づく。ガリューの声は、あくまで頭の中だけで響くもの。闇のことに気を取られ、ほとんど認識していなかった。
〈そろそろ結界が保たねえんだよ。さっさとそれを消せ〉
「わ、分かった」
苛々としたガリューの声音に、これはまずいと私は闇を消した。やり方は簡単、消えろと頭の中で念じるだけだ。
しかしそれはともかく、さっきからちょくちょく出てくる単語についまた興味が出てしまい聞いてしまう。
「ところで、結界って何?」
これも、ファンタジーにはありがちな単語だ。しかし、何故そんなものを張っていたのかが分からないし、ここではどんな役割があるかも分からない。
〈……外界と内界を隔てる障壁だ。物理的な攻撃や召喚術を防ぐ強力なものもあるがな、今回張ったのは、音や気配を漏らさないためだけのもんだ。この程度の魔力に気が付くとも思えんが、万が一、ということもありうる。今あの天使と事を構えるのは、極力避けたいんでな。それに、あの天使以外にもここいらにはなかなか強い力を持った連中がいるようだしなぁ〉
「ほへー。その人達には、見つかったらやばいのかな」
〈知らねぇよ。が、悪魔に対して敵意を持つのは天使だけじゃねぇ。用心はして足りないことはないだろうよ〉
どうやら、私が思っているよりもこの世界での悪魔の立ち位置は悪いらしい。
しかし、悪魔らしくないガリューと話していると忘れそうになるが、彼もあくまで悪魔なのだ。人を騙し、欺き、誘惑し、堕落させる、元の世界でもそう謳われた、神話の怪物。この世界でも、彼らには何らかの悪性があるのだろう。
とは言え、彼が原因で私もとばっちりを食うのはできればご遠慮願いたい。色々助けてもらっている手前、口には出せないが。
〈さて、もういいだろうが。さっさと先を急ぐぞ。もうそろそろ目的地のはずだ〉
「はーい」
ガリューの声に促され、私は止めていた歩みを再開させた。