『■■■■■■■』。
そのたった七文字が、シズクという生命体の『根幹』だった。
母親を探すという『目標』も、
レアドロを集めるという『夢』も、
作り上げた『性格』も、
その全てが、たった七文字の『根幹』を基にして造られた副産物でしかない。
『根幹』を――『生まれた意味』を、叶えたいだけの人生だった。
『生まれた意味』を叶えることだけが、生きがいだった。
(……いや)
(…………違うか)
ここまで来て、自分を誤魔化すのはよそう。
生きがいなんかじゃ、ない。
あれは、使命だった。
自分が生きていても大丈夫な存在だと証明するための、演算をするためだけに生きていた――!
(でももう――いい)
(もう、疲れた……)
一滴の雫が、目元から頬を伝って、地面に落ちた。
きっと、何かが間違ってしまったのだろう。
元々あたしは生まれる筈の無い存在だったのが、何かの間違いで生まれてしまったのだろう。
存在自体が間違いで、
存在自体が罪ということなのであれば。
此処で自分の模造品にやられるのは、悪くない――。
…………。
……………………。
……ああ、でも。
最後に、リィンには謝っておかないとなぁ、と。
シズクは顔を上げた。
そこにリィンは居なかった。
付き合いきれない、と逃げてしまったのかもしれない、などと。
そんなネガティブな思考がシズクの頭を過ぎる前に、頭上から聞き慣れた、そう、
リィンの声がした。
「シズク、大丈夫?」
「っ――」
そういえば、いつまで経ってもクローンの銃弾が飛んでこなかった。
死ぬことなく、物思いにふけることができていた!
リィンが――。
リィンが、シズクを、庇うように前に立っていた……!
「り、リィン……」
「…………」
シズクが無事なことを確認して、リィンは視線をクローンシズクの方に向ける。
血が滴る手でブラオレットの銃口を押さえつけながら、
ジーっと品定めするように数秒見つめた後再びシズクに視線を戻し、さらにクローンの方に視線を戻す。
「……やっぱし」
そして、何かに納得するように頷いた。
「しっくりこないわ」
「……?」
クローンシズクは、怪訝そうに首を傾けた。
しっくりこない。
それは一体――どういう意味で?
「解せないね、リィン・アークライト。しっくりこないって……何が?」
「今この状態……いや、展開全てが、よ。だってどう考えても……」
ちらり、と。
リィンは涙を流すシズクに目を向ける。
「シズクが心も感情も無いヒトデナシには見えないじゃない」
「……ヒトのフリが上手いだけだよ、その女は」
クローンシズクが、ブラオレットを持つ手に力を込めながら言う。
ブラオレットは動かない。リィンがシズクを狙えないように、押さえているのだ。
「涙も、笑顔も、『根幹』のための手段でしかない。アナタへの好意だって、偽者にすぎないのに、その女を助けるの?」
「うん」
即答だった。
迷い無く真っ直ぐにクローンを睨みながら、リィンは言葉を紡ぐ。
「例えばシズクがヒトじゃなかったとして……感情や心なんて持っていなかったとして――」
笑顔は張りぼてで。
涙は嘘で。
好意が偽りだとしても。
「私はその偽りの好意に助けられたから」
あの日あの時あの森林で。
シズクに助けられたあの日から、ずっと。
命を救われて。
心を救われた。
だから、今此処でシズクを守ることに躊躇いなんてある筈が無い。
「…………だろうね」
「……?」
「リィン・アークライト。アナタならそう言うと予想していたよ」
クローンシズクは、そう言ってやはり笑わなかった。
感情の欠片も見せないまま、ブラオレットから手を離し、下がる。
ハンターであるリィン相手に近距離戦は不利だと考えたのだろう。
五メートルほど距離を取って、シズクの持っているものと同種のアサルトライフルを構える。
「…………」
応えるように、リィンもまたアリスティンを構えた。
最早問答の余地は無く。
今まさに、リィンが一歩を踏み出そうとした瞬間――。
「リィンは――」
「?」
「いつも『あたし』の味方だもんね」
その台詞は、背後からではなく。
真正面。すなわち、クローンシズクから放たれた言葉だった。
その言葉を受けて、踏み出しかけた足が止まる。
何故なら、驚いたからだ。
今日始めてクローンであるシズクが放った、『感情』の籠もっているかのような言葉に――!
「…………!」
「っ!?」
突如、上空からの剣閃がリィンを襲った!
クローンシズクの攻撃、ではない。
赤い刃のソード――アリスティンによる、強襲攻撃!
それを何とか同じ剣で受け止めて、リィンは目を丸くした。
いや。順当に考えれば当然なのだろう。
シズクの作成に成功したのならば――次は、
リィンを作成することは、順当であり当然だ。
「…………」
「……私の、クローンか」
鍔迫り合いをしながら、呟く。
強襲してきた相手は、自分自身だった。
青い髪、冷たい瞳。
可愛らしい服に、無骨な大剣。
一寸違わず、リィン・アークライトそのものな、クローン。
あえて違いを言うならば、雰囲気がちょっと暗いし無口だ。
研修生時代を思い出して、少しだけ鬱になる。
「ふっ――!」
軸をずらして、蹴りをクローンの腹に向けて放つ。
見事にクリーンヒットし、相手を引き剥がすことに成功こそしたが、流石はリィンのクローン。
「…………」
まるでダメージを負った様子もなく、くるりと空中で回転して着地した。
クローンのシズクを庇うように、前に出る。
「二対一、か……」
しかも、『シズク』と『リィン』のペア。
クローンがどの程度連携できるか知らないが、単純に遠近コンビは厄介だ。
「り、リィン……」
と、そこで。背後にいたシズクが振り絞るようにリィンの名を呼んだ。
振り返ると、シズクは立とうとしていた。
立ち上がろうとしていた。
震える足で、おぼつかない視界で、必死に。
立とうとして、膝から崩れ落ちた。
「あ……れ……」
「…………」
「ごめ……まって……あたしも、一緒に戦うから……」
肉体的には無傷でも、精神的なダメージが大きすぎるのだろう。
心が折れて、立ち上がれない。
折れる心なんて無いはずなのに、おかしな話だ。
これが演技だとしたら、シズクはさぞかし立派な役者となれるだろう。
「ごめんね」
リィンは、笑った。
一歩踏み出して、謝りながら、笑顔をシズクに向ける。
「なん、で……なんでリィンが謝るの……?」
「アナタのことが知りたくて。耳を塞ぎたくなくて、黙って話を聞いてたけど……聞かなくてよかったことみたい。だから、ごめん」
「そんな……だって、元はといえばあたしが……」
リィンの優しさに、泣きたくなってくる。
いや、もう泣いているわけだけど、悔しさとか辛さとか、そういうのとは別の涙が。
溢れてくる。
「大丈夫」
リィンは、やっぱり笑った。
安心させるように、感情のある人間らしく。
「シズクは、座っていて。私が、あいつらをやっつけてやるから」
「で、でも……」
「大丈夫、シズクが後ろに居てくれるなら――私は戦える」
さあ、前言撤回しよう。
これは、二対二だ。
背中にシズクが居るから、リィンは戦えるのだから。
「だから安心して、見てて」
「リィン……」
そうして。
オリジナル対クローンの、戦いは始まった。
*****
『生まれた意味』と、『生きていく理由』は違う。
全くの別物であり、横に並べるのもおかしいくらいこの二つの単語は用途が違い、優先順位もまた違う。
『生きていく理由』なんて、『生まれた意味』に比べれば些事でしかない。
例えばシズクの『根幹』であり『生まれた意味』である『■■■■■■■』を達成するためならば、シズクは何だってするだろう。
文字通り、何でもする。
『生きていく理由』なんて、たちまち放棄してしまうだろう。
例え『生まれた意味』を達成できるのならリィンを棄てることになろうとも。
呆気なく、シズクはリィンを棄てるのだろう。
そんな風に、
そしてそれを、咎める気も無い。
むしろ、奨励するだろう。
逆にシズクが自分のために『根幹』を棄てることがあれば、それを全力で宥めることは想像に難くない。
何故ならば、シズクを助け、守り、救うことこそリィンの『生まれた意味』なのだから。
……いや、勿論それが真実かどうかは定かではないが、少なくともリィンはそう思っている(そもそも自分の『生まれた意味』を間違うことなく知っているシズクがおかしいのだ)。
狂信していると言っても良い。
シズクに助けられて。
シズクに救われて。
シズクに守られてきた彼女にとって、シズクのためにシズクと別れることは――そりゃまあ嫌だろうが――渋々とだが間違いなく了承できることなのだ。
でも、それは違う。
シズクはヒトデナシの、化け物だ。
人間と同じ思考をしていないが故に――『生まれた意味』を持ちながら、『生きていく理由』を持たぬ彼女には――あるいは。
『生きていく理由』を優先することだって、あるだろう。
そしてその『理由』は、未だ空白である――――。
「ノヴァストライク」
「っ……!」
見慣れた自分の剣撃を、受け止める。
そんな事象に逆に違和感を覚えながらも、リィンはクローンリィンに向けて返す刃で攻撃を仕掛けた。
「クルーエル……!」
「そこね」
しかし、絶妙なタイミングでクローンシズクからの援護射撃が放たれる。
反撃を止め、回避に専念しなければ避けれない――しかも避けなければ致命傷になるし、避けても体勢を崩すことになる、絶技のような精密な射撃。
シズクの得意技である。
思えば相手にしてみれば、これほど厄介な攻撃も無い。
「このっ……!」
「…………」
無言で、クローンリィンの追撃が迫る。
本当にこいつフォトンアーツの時しか喋らない。
流石にそこまで無口じゃない、と思いながらもそれを防ぎ、体勢を整えている間にまたもクローンシズクの射撃が飛んで来る。
防戦一方だ。
防戦は得意といえど、このままでは流石にまずい。
「流石ね。自分たちの戦法だけあって、対応できてるじゃない」
「なんっで、貴方たちみたいなクローンにここまでの連携が……!」
「さあね、貴方たちの努力なんて、簡単に再現できる程度のものでしか無かったってことじゃない?」
銃弾と剣撃が織り交ざり、リィンの体力を着実に削っていく。
防御力の高い前衛をどうにか突破して脆い後衛を先に潰すというのがこういう時の常套手段であるのだが……常套手段であるが故に、それに対する対応策は死ぬほど考えた。
だからこそ、それは通じないだろう。
ていうかそれ以前に前衛を無視したら、動けないシズクがやられてしまう。
正面から前衛を突破して、正面から後衛を倒さなければいけない。
絶体絶命とはこのことなのだろう。
「……いい加減諦めたら? こんなの、消化試合もいいところだよ」
「そうね、でも安心して、私これから謎パワーで覚醒して大逆転するから」
「何それ?」
「漫画ではよくあるのよ」
正直、話している余裕もあんまり無いのだけれど。
頭では分かってはいてもシズクの声で問われるとつい答えてしまうリィンであった。
「これは、現実だけど?」
「漫画より現実の方が面白いんだし、そういう不思議なことが起こっても不思議じゃないでしょう……よ!」
リィンが剣の
「ふっ――!」
そしてそこから流れるように剣を振るう。
自身のクローンの首を狙って、横になぎ払った攻撃は、しかして防がれてしまった、が……。
順応してきている。
クローン二人の、連携に。
「そう……じゃあ、現実なんて呆気ないものだって教えてあげる」
言って。
クローンシズクは銃を構えた。
フォトンが――否、周囲のダーカー因子が彼女の元へと集まっていく――!
「あれは……!」
真っ先に気付いたのは、シズクだった。
そのフォトンアーツはシズクだって使うアサルトライフルの切り札とも呼べる大火力PA。
『エンドアトラクト』。
長いチャージに代わり、強力な攻撃力と
その銃口を、クローンシズクは、シズクに向けた。
「アナタが守ろうと関係ない。全てを貫いてやるわ」
「くっ……! させな……!?」
シズクとクローンシズクの射線に立ち、何とかして防いでやろうとしたリィンを、クローンのリィンが止めた。
抱擁にすら近い形で、リィンが駆けつけるのを阻害する。
「甘いな、シズク」
「!? しゃべっ……!?」
「この女は、その技ですら『何とかして』防いでしまうだろうよ。……こうしてしまうのが一番良い」
「このっ……離せ! 離しなさいよぉ……!」
同じ体。同じ力。
振り解くことも完全に押さえ込むこともできないが、今はそれで充分だった。
「シズク! 逃げて!」
「う、うぅ……!」
「無理ね、そんな及び腰であたしの弾丸からは逃げられない」
そうして、エンドアトラクトのチャージは完了した。
即座に、クローンシズクは引き金を引く。
容赦の無い、躊躇も無い、感情なき攻撃。
莫大な威力を誇る貫通弾が、迫る。
「ぁ――ぁあああああああああ!」
リィンは咆哮し――そして、噛み付いた。
クローンの腕に、歯を立てて全力で。
それこそ噛み千切ってやるとばかりに力を込めて、噛んだ。
「ぐっ……!?」
「シズク!」
一瞬力が緩んだ瞬間に、リィンはクローンの腕から逃れ、駆ける。
シズクは、回避行動すら取れていない。
あと数瞬後には、彼女の身体には大きな穴が空くだろう。
「行かせない……!」
「邪魔!」
追いかけようとしてきたクローンリィンに、アリスティンを投げつける。
攻撃行動としては意味の無い行動だが、一瞬の時間稼ぎにはなるだろう。
「『マッシブ』……『ハンター』!」
スキル名を叫びながら、リィンはついにエンドアトラクトの前へと躍り出た。
武器は無い。
ならばこそ、この人体で一番防御力が高いところ。
すなわち背中で、リィンは弾丸を受け止めた――!
「ぁ――!」
身体が貫かれたような、感覚。
身体を引き裂かれたような、錯覚。
背中への衝撃は振動となって全身をめぐり、フォトンの防御さえも貫いて、リィンの身体に大ダメージを与えた。
身体中が、バラバラになりそうだった。
骨や内臓だって、確実に幾つかやられてる。
だが、それだけだった。
エンドアトラクトの弾丸は、リィンの身体を貫通しなかった。
本当の本当に、『何とかした』のだ。
『マッシブハンター』に、『フラッシュガード1、2』。
そして何より、『絶対に守ってみせる』という強い感情の力。
フォトンは。
感情の影響を強く受けるエネルギーである。
「リィン!」
シズクの叫びが、聞こえる。
見れば、シズクはリィンの目の前に、這いずるようにして座っていた。
本当に、ギリギリだったのだ。
リィンは痛む身体を無理やり動かし、血反吐を吐きそうな喉を必死に押さえ。
言葉を紡ぐ。
「……大丈夫?」
「え……」
「……怪我は、無い?」
「…………っ!?」
何で。
何でこの状況で、他人の心配なんて出来るのだろう。
大丈夫? はシズクの台詞だったし……心配されるべきなのは、リィンの方だった。
「う、うん……リィンが、守ってくれたから……」
……今、分かった。
理屈じゃなく、何かで理解した。
リィン・アークライトは、ヒトじゃない。
ヒトだけど、ヒトらしくない。
こんな自己より他者を優先する存在なんて、ヒトと呼んではいけないのだ。
ヒトとして大事な何かが、欠落していると言ってもいい。
そうだ。思えばリィンはずっと、今までずっと。
ヒトデナシのような、人生を送ってきたのだ。
姉という変態に『管理』されて、学校という集団の中『孤立』して、シズクという化け物と共に『成長』した。
ヒトらしくなくて、当然だ。
ヒトじゃないのにヒトらしいシズクと。
ヒトなのに、ヒトらしくないリィン。
対極に見えて、似たもの同士の二人が惹かれあうのは、きっと必然だったのだろう。
「……そう、それならよかった……」
……そんなシズクの思考なんていざ知らず、リィンは笑った。
自分が瀕死だろうと、シズクが無事なことを喜び、笑った。
その笑顔を見て、シズクは思う。
嬉しいと、本心からそう思う。
端から見たら歪な、人間らしくない笑顔は、
それでもシズクの瞳に活力を蘇らせるには充分な光だった――!
もう、大丈夫。
そうリィンにすら聞こえないくらい小さく呟いて、シズクはブラオレットに手を伸ばした。
「リィ――」
しかし。
リィン、あたしはもう大丈夫だから戦うよ、と。
シズクは言葉を紡ぐことができなかった。
剣が、リィンの身体を貫いていたから。
剣。赤い剣。
アリスティンが。
クローンリィンが、背後からリィンの身体に刃を突き立てていた――。
「えっ」
肺も、静脈も動脈も胃も腸も――心臓も。
全てが切り裂かれて、赤い血がシズクに降り注いだ。
赤い髪が、さらに赤く染まって、そして。
――シズクの瞳が、暗く絶望に染まった。
下げて、上げて、落とす。