「うっ……」
ファルス・アンゲルを打倒した瞬間、シズクは膝を付いて倒れた。
鼻から血が数滴落ちて、彼女を囲んでいた海色の光が消えていく……。
接続、解除。
管制、放棄。
「シズク!?」
「だ、大丈夫ですかシズク!」
「だ、だいじょう、ぶ……」
いつもの、演算による知恵熱だ。
腕で鼻血を拭い、再び管制を掴もうとしても頭が働かない。
脳みそがオーバーフロー中だ。
痛い、痛い、痛い……。
でも、仇は取れた――。
「……どうやら、限界が来たようだね……」
「!」
倒れていた【
バチバチと赤い稲妻と共に身体を修復しながら、一転して冷静さを取り戻した様子で【敗者】はにやりと笑みを浮かべた。
「……ふふふ、ふはははははは! この程度で僕が、【敗者】が! ……死んだかと思ったかい……?」
「…………ダークファルス……!」
「ふん、しかし時に戦いもいいものだな……解が、解が見えたぞ! 新たな解が!」
ダークファルスは、基本的に不死身。
傷を負っても、周囲のダーカー因子を取り込んで回復してしまう。
変身が解除される程度には追い込んだが――そこまでだ。
倒すまでには、至らなかった。
(いや、まだだ)
(まだ、ここから更に押し込めば……!)
「そうだ、全知になれないのなら……僕自身が全知となればいい!」
「……は?」
「この宇宙のすべてと融合し宇宙が僕となれば、それは全知と呼べるものになる」
「…………」
狂っている。
もう、正常な思考すら出来ないほどに。
それが出来るものを、ヒトは『全能』と呼び、
それを実現しようとするものを『無知』と呼ぶのだ。
「これならシオンの娘など必要ない……ああ、そうだ、証明の必要もない。完璧で完全な解じゃあないか……ふふ……はははははっ!」
【敗者】へ、周囲のフォトンが集まっていく……!
これは、まさか――!
「こいつ、フォトンをかき集めて……? あの時のゲッテムハルトと同じか!」
ダークファルスには、三つの形態がある。
ローコストの人型形態、ファスル・アンゲルやヒューナルのような人型戦闘形態。
そして最後に、大型戦闘形態。
かつてアークスシップを襲った際に【巨躯】が成っていた形態であり、民家くらいなら軽く踏み潰せるサイズになるダークファルスの最強形態だ。
こんな場所で、変形されたらどうなるかなんて想像するまでもない……!
「このままじゃ巻き込まれる! 一旦退くぞ!」
「わっ」
ゼノが、皆に呼びかけながらシズクを肩に担いだ。
まともに動けない程疲弊しているのでありがたいが、少し恥ずかしい。
「退く? 退くだと? 冗談を言うな、落第者」
【敗者】が、掌に黒い弾を生み出し、振りかぶる。
「全知へ至る最初の一手、それはここまでコケにしてくれた貴様らを喰らうこと、それは自明だろうがァッ!」
放たれた弾が、四人の中心付近の地面に当たり爆発。
『リン』とクーナは上手く避け、シズクはゼノが庇ってくれたがマトイが一番爆発に近かったことで一人地面に倒れこんだ。
「マトイ……!」
「おい、大丈夫か嬢ちゃん!」
『ここは僕らに任せて』
「え――?」
シズクにだけ聞こえる声が、また聞こえた。
フォトナー達だ。
それと同時にマザーシップ内の海が、【敗者】に向けて流れ出し――
――シオンの海が、彼の四肢を捕らえた。
「ぐ……!? シオンの海……どういうことだ! なぜ、僕の邪魔を……!」
「フォトナーの皆!」
「フォトナーだと……!? 馬鹿な……いや、この不快な意識の集合体は……くっ、有象無象が! 何故邪魔をする! 貴様達とて、僕と同じものだろう! 今更、何のつもりだァッ!」
かつての同胞に、【敗者】は眉間に皺を寄せ、憤り叫ぶ。
しかしフォトナーたちは答えない。答えられない。
最早ただの思念体になった彼らの声が聞こえるものは、彼らと融合したシオンかその娘であるシズクだけだ。
手出しが出来ないように。
シズクたちが逃げられるように、【敗者】はシオンの海によって上空へと拘束された。
そして。
『……『リン』。そして、マトイ。聞こえているな……?』
「……っ!」
シオンが、現れた。
死んだはずのシオンが――お母さんが――目の前に……!
【敗者】を睨みつけるように、つまり『リン』たちに背を向けて。
「お母さん……その、身体は……」
「……シオンさん! 生きて……生きていたの!」
マトイが起き上がり、嬉しそうな声でシオンを視界に入れた。
しかし、シズクはシオンを見た瞬間、全てを理解したかのように声量が落ちていく……。
これは、もう……。
『……いいや、わたしはもういない。わたしはもう、世界から失われた。
今のわたしは、わたしたちが紡いでくれた残留した思念のかたまりだ』
やっぱりか、とシズクは目を閉じる。
つまりは、幽霊みたいなものだ。
残留思念でも意思を持っているのは流石だが、シオンが死んでしまったという事実はもう覆らない。
『……時間もない、手短に伝える』
「シオン!」
『リン』が、叫んだ。
シオンの声を遮るように、叫ぶ。
その声に――シオンは思わず振り向いた。
その声に――シズクは思わず目を開ける。
「私達には、いい。お前の言いたいことは、大体分かる。今の内に逃げろっていうんだろ? 分かってるから、いい。
だから……シズクの話を、聞いてやってくれないか?」
『…………っ!』
「『リン』……さん……」
「こいつはずっと、母親と――アンタと、会いたがっていたんだ」
『リン』が目配せすると、ゼノがシズクを肩から下ろした。
戸惑うシズクの背をマトイが押し、クーナと『リン』が引っ張って。
シオンとシズクが対面した。
「…………」
『…………』
「…………お母さん」
『…………やめてくれ』
シオンは、これまでに見せたことが無いような、困惑した表情で言葉を紡ぐ。
『わたしに、アナタの母親を名乗る資格なんて――無い』
「…………」
『わたしは、アナタに母親らしいことなんて何もしてあげることが出来なかった。育児を他人に押し付け、最後の最後まで、会うつもりも無かった。
……こんなわたしを、母親だなんて呼ばないでくれ』
シオンは、シズクから目を逸らした。
拒絶のようで、そうではなく。逃避のようで、それも違う。
分からない。
シズクにも、シオンにも分からない。
それでも、シズクは。
「……お母さん」
『……っ』
シズクはシオンの事を、母と呼んだ。
母親らしいことが出来なかった? そんなこと理由にならない。
育児を他人に押し付けた? お父さんと出会わせてくれてありがとう。
だからシオンが何を思おうと、シズクはシオンから生まれた娘で。
シオンはシズクの母親なのだ。
それだけは絶対に揺るがない。
「お母さん、あたしね、十四歳になったんだ」
『……?』
シズクは、言葉を紡ぎ出す。
ずっと、ずっとずっとずっと。
言いたいことがあった。
やりたいことがあった。
言って欲しいことがあった。
やって欲しいことがあった。
「この十四年間、本当に色々あってね。語り尽くせないくらい、本当に色々。でも特にアークスに入ってからの思い出が一番濃かったな」
『…………』
「友達も、沢山できたし、尊敬できる先輩だって、好きなヒトだってできた」
沢山、あるんだ。
沢山、考えたんだ。
全部は無理だろうけど、少しでも多く聞いて欲しい。
「あと、えっと、そう、あたし趣味でレアドロコレクションをしてるんだけどね。全然レアって落ちてくれなくて……お母さん何かコツとか知らない?」
『…………いや、それは……運だろう』
「……だよね。えーっと後ね、……あれ? ちょっと待ってね、お母さん」
記憶を探るように、シズクはこめかみに指を当てる。
「言いたいことも、やりたいことも、言って欲しいことも、やって欲しいことも、沢山あった筈なのに……」
『…………』
「色々考えてて、ずっと、もしお母さんに会えたらってことを考えてたのに……」
でも、何も思い出せない。
時間だけが過ぎていく。貴重な、最後の時間が。
「あ、あれ……?」
……シズクが、何も思い出せないのも当然だ。
先ほどの【敗者】戦で、限界を越えて演算を行ったシズクの脳は、活動限界なんてとうの昔に越えている。
まともな思考なんて、出来るわけが無い。
「あれ、あれ、おかしいな、あれ……」
ぽろり、とシズクの瞳から涙が一筋零れた。
嫌だ。
こんな別れ、嫌だ。
『シズク……』
「嫌だ……嫌だ嫌だ! こんな、こんなの……! 待って! お母さん待って! まだ、消えないで……! 消えないでよ、お母さん……! もっとお喋りしたい……頑張って思い出すから、話したかったこと思い出すから……待って……」
『…………』
シオンは、泣きじゃくりながらそんなことを言うシズクを見て――そっと、足を動かした。
シズクの方へ、一歩、一歩、進んで。
そして、シズクの目の前で、止まった。
真正面から、至近距離で、シズクとシオンは向き合う。
『……落ち着くんだ、シズク』
「お母さん…………でもっ!」
『…………もう』
「っ!」
シオンがそっと、その手をシズクの頬に添えた。
親指でシズクの涙を拭い取るように、動かす。
だがしかし、ただの残留思念に過ぎない今のシオンでは――シズクの身体に触れることはできない。
涙は拭えず、シズクの頬を伝って地面に落ちる。
『もう、アナタの涙を拭ってあげることもできない。泣くな、と頭を撫でて慰めてやることもできない』
「…………」
『こんなわたしでも……アナタは母と呼んでくれるのか?』
「当たり前だ!」
即答。
自分で涙を拭いながら――拭っても拭っても次々とあふれ出してくる涙を自分で拭いながら。
シズクは答える。
「だって、だって! 最後に頭を撫でてくれた! あれで、全部伝わってきたもん! ああ、このヒトは確かにあたしのお母さんだ、って!」
『――!』
シオンはその言葉に、驚いたような表情を浮かべて――でも、徐々に苦笑いへと変わっていった。
『……あれは……最後、だから……せめて最後に一度だけ――』
「…………」
『自己満足でも、母親の真似事を、してみただけだったのに……』
「……あたしは、嬉しかったよ。本当に、嬉しかった」
『……母親というものは、難しいな。宇宙を観測するよりも、ずっと難しい』
「違うよ、お母さん。それは違う」
シオンの納得するような言葉に、シズクが首を横に振った。
「お母さんは、難しく考えすぎなんだよ」
『難しく……考えすぎ……』
「あたしも、そうだったんだけどね。ずっと難しく考えすぎてたけど……リィンが救ってくれたんだ」
『そうか……リィン・アークライト、あの子が……』
「うば?」
リィンを知ってるの? とシズクが首を傾げたが、シオンはそれに答えず。
娘の頭の上に手を置いて――触れないが――海色の瞳で自分と同色の海色の瞳を見つめながら、言った。
『アナタが、わたしのことを母親だと思ってくれているのなら……一つだけ、わたしとわたしたち……いや、わたしの、母からのお願いを聞いて欲しい』
「…………何?」
すぅっと、一拍息を吸い込み。
シオンは、最初で最後になる母親らしい言葉を口に出した。
『生きて欲しい。
特別幸せになんかならなくていい。ただ健やかに、友達と遊んで、仲間と働いて、好きなヒトと結ばれて、生きることができなくなるまで、生きて欲しい』
何も、特別な言葉なんかじゃない。
母親なら誰もが願う、子供への願い。
ただ健やかに生きて欲しいという、原初の願い。
「……うん、分かった。約束する」
『……ありがとう』
シズクは、にこりと笑って頷いて。
シオンは、嬉しそうに微笑んだ。
『……さあ、そろそろルーサーを抑えておくのも限界だ。逃げてくれ、シズク』
「うん! あ、そうだ、最後に一つ訊きたいんだけど……」
踵を返して逃げようとして――大事なことを思い出したかのようにシズクは再び顔だけシオンへと向き直った。
「あたしって、ヒトなの?」
『当たり前だ』
何てことの無いような顔で、シオンは答える。
『母が居て、父が居て、姉が居て、叔父が居て、叔母が居て、友が居て、好きなヒトが居て、感情豊かな生き物を……ヒト以外の何に分類すればいい?』
「…………感情、豊かかな?」
『ああ。偽りの感情しか出せない者が、感情に強く影響を受けるフォトンをアークスとして活動できる程に操ることはできない。ましてや、視認できる程の感応度を持つことなんて不可能だ』
「……そっか」
シズクは、それを聞いて嬉しそうに、微笑んだ。
「あたしは最初から、ヒトだったんだね」
そうして今度こそマザーシップから脱出するべく駆け出した。
途中ふらついたところをゼノに支えられて、改めて肩に担がれたところで、五人は最深部から脱出。
サラ辺りがキャンプシップの手配とテレパイプの設置をしているだろうから、マザーシップからの脱出も迅速に終わるだろう。
『シズク……どうやらわたしたちは……似たもの親子だったらしい』
シズクが見えなくなった後も、ジッとその方向を見つめながらシオンは呟く。
『言いたいことも、やりたいことも、言って欲しいことも、やって欲しいことも――沢山、あったな』
何せ、ずっと考えていたのだ。
ずっとずっと、シズクともし話せたら何がしたいか、考えていたのだ。
『なぁ、ルーサー』
その時、シオンの海からの拘束を逃れた【敗者】が、空中から降り立ち地面に着地した。
血走った眼で、シオンを見ている。
おそらく正気など保ってはいまい。でもそんなことお構いなく、シオンは彼に背を向けたまま、言葉を続ける。
『どうやら、わたしは貴様が言うような、全知たる存在では無かったようだ』
ああ、この感情は何だろう。
嬉しいし、
悲しいし、
泣きたいし、
辛いし、
苦しい。
沢山の感情が渦巻いて――分からない。
こんな感情は、知らなかった。
ゆっくりと、シオンは振り返る。
そして怒りのままにダークファルスとして完全体になろうとしている【敗者】に向けて、一言。
『頬を伝う――』
『――この感情の名前も分からない』
一滴の、
次の瞬間――旧マザーシップは全て闇に呑まれた。
シズク「ん? 叔母って誰だ?」
???「クシュンッ!」