目が覚めたら知らない天井だった。
「……ここは?」
寝惚け眼で、辺りを見渡す。
するとここが病室だということが分かった。
メイが入院していた部屋に、よく似ていたからだ。
リィンは、ベッドから上半身だけ起き上がって、記憶を探るように頭を手で押さえた。
「……ああ、そうか私、お姉ちゃんに負けて……」
今何時だろう。
あれから……どうなった?
「シズク……」
病室の窓から、外を見る。
すると、アークスシップの天井に赤い警告が浮かんでいるのが見えた。
あれは、緊急クエストが発生していることを示すものだ。
「えーっと……ダークファルス【敗者】討伐作戦……?!」
何がどうしてそうなった、とリィンは慌ててベッドから転がり落ちる。
行かなくちゃ。
もしかして、シズクが戦っているかもしれない。
急いで扉を開け――ようとして、リィンがドアノブに手をかける前に扉が開いた。
「リィン。もう、起きたのか……」
果たして扉の向こう側から現れたのは――父親だった。
青い髪に青い髭を蓄えた大男。
ヨークヤード・アークライトがそこに立っていた――!
「お、お父さん……何でここに?」
「娘と娘が戦って、片方がメディカルセンターに搬送されたと聞いて親が様子を身に来ることがそんなにおかしいか?」
「い、いや……おかしくないですけど……今は、その」
「ダークファルスの元へ向かう気か? いい心がけだが、無意味だ。
六芒均衡を中心に、アークスでも屈指の実力者たちが今ダークファルスの本体と戦闘中とのことだ……今更合流したところで何も出来ないだろう。……いや、そもそも戦闘参加の許可が降りないだろうな」
「そう、ですか……」
じゃあ多分、シズクは参加していないのだろう。
それを聞いて少しほっとするようにリィンは息を吐き、ベッドへ戻り座った。
実はまだかなり頭が痛いし、身体は滅茶苦茶だるくて動くのが辛いのである。
ベッドに座り込んだリィンを見て、父親は見舞い客用の椅子に腰掛けた。
「それで、気分はどうだ?」
「ちょっと頭痛くてちょっと身体がだるい程度です」
「そんな状態でダークファルスと戦いに行こうとするな。馬鹿かお前は」
返す言葉も無い。
多分、『ちょっと』っていう嘘は見抜かれてるんだろうなぁ、と思う。
何となくだけど。
「…………」
「…………」
お互いに、沈黙。
見舞いなら見舞いの品の一つや二つ持ってきてくれてもよかったのに、と思ったが口に出すようなことじゃあるまい。
ていうか様子を見に来たと言っていたから、本当にただ様子を見に来ただけかもしれない。
あるいは……そんな考えが浮かばないほど焦って急いで来た、とか。
いやそれは無いか。
リィンは自身の中に浮かんだ考えを、即座に否定する。
「……お父さんはさ……」
「……ん?」
「泣いたこと、ありますか?」
沈黙に耐え切れなくて、つい。
あれは歴史改変前の出来事だったというのに、聞いてしまった。
急にこんな質問をして、変に思われてしまわないかな、と。
そんなリィンの心配などつゆ知らず、父は青い髭を撫でながら答えた。
「あるに決まっているだろう」
「…………そう、だよね」
知ってる。
「じゃあ……お父さんが私に初めて稽古を付けてくれた日、覚えてますか?」
「…………ああ」
「あの時、『泣くな』と、私に言いましたよね。強者は涙を見せない、と。
……あれは、子供をあやすためのただの詭弁だったんですか?」
だとすれば、滑稽だ。
泣きたくなるくらい、滑稽な話だ。
ただの詭弁を、父親からの唯一の教えとして十何年も守り続けてきたなんて。
「……いや」
リィンの、その質問に。
父親は答える。
「『強者は涙を見せるべきではない』。それは詭弁なんかではなく、俺の本心だ。
……よく、あんな小さなときのことを覚えていたな」
「じゃあ……!」
「その教えには、続きがある」
リィンが、目を見開いた。
「続き……?」
「あの時、まだ小さかったお前には理解できないと思い、教えなかったが……。
そうだな、今なら、理解できるだろう」
父から子に送る、二つ目の教えだ。
「『強者はみだりに涙を見せるべきではない……。
だから。
だけど、じゃなくて、だから。
「涙を見せてもいいと思える、相手……」
「自分の中の弱さを吐き出せない者を、真の強者とは呼べない」
強いと弱いは表裏一体。
強いだけの人間なんて存在しないし、弱いだけの人間なんて存在しないのだ。
強くありたいのなら。
弱さを認め、吐き出さないといけない。
それを受け止めてくれる人が――必要だ。
「だからリィン。お前の弱さを受け入れてくれるヒトを見つけなさい。
お前の弱さを強さに換えてくれるヒトを探しなさい……そして、もしそんなヒトが見つかったのなら大事にしなさい。
そのヒトは、お前の生涯のパートナーに成り得るヒトだから」
「…………」
涙を見せてもいいと思えるヒト。
弱さを、受け入れてくれるヒト。
弱さを強さに換えてくれるヒト。
そんなの――そんなの、
一人しか、思い浮かばなかった。
*****
「…………」
リィンの病室から、一人の男が廊下に出た。
父である。
話すことも話し終えて、娘が無事であることも確認したということで、帰ることにしたのである。
「……ん? パプリカ……?」
「…………」
病室の扉のすぐ傍に、女性が一人立っていた。
赤縁フレームの眼鏡が特徴的な垂れ目の女性――リィンの母、パプリカ・アークライトである。
ヨークヤードが、涙を見せてもいいと思える相手が。
何だか若干お怒りの様子で立っていた。
「……どうしたんだ? 一体……」
「どうしたんだ? じゃあ、無いでしょう」
流石のコミュ障も、夫相手におどおどとはしない。
普通に普通の発声で、言葉を紡ぐ。
「マザーシップが新しくなったとか、管制者が変わったとか、ルーサーがダークファルスだったとか。
色々ありすぎで滅茶苦茶忙しいところを抜け出して……怒られないと思った?」
「そ、それは……リィンが、心配だったから……」
「私が様子見に行くからあなたは後で落ち着いてからくればいい、って私言ったわよね?」
うぐっ、とヨークヤードは冷や汗を掻きながら妻から目を逸らした。
パプリカの手にはお菓子の詰め合わせが入った袋が一つ。
対してヨークヤードは、手ぶらである。
「し、仕方ないだろう! あいつらに何かあったら……俺は……」
「スタンモードで斬られただけでしょう。その程度であの子たちに何かがあるわけないわよ」
全く、貴方は心配性ねぇ、とパプリカは苦笑して病室へのドアノブを掴んだ。
「ほら、貴方は早く仕事に行きなさ……あっ」
「あっ」
扉を開ける。
すると、おそらくは二人の会話を全て聞いていたであろうリィンの姿が、扉のすぐ近くにあった。
父が去って、寝転んでいたのだが。
何かすぐそこで話し声が聞こえてきたから気になって聞き耳を立てていたのだろう。
「あ、えーっと……」
「…………」
「…………」
苦笑いのまま、母は固まる夫と娘の顔を見比べて。
「なんか……ごめん、ね?」
「う、うおおぉおおおおおおおおおおおん!」
と。
謝った瞬間、顔を真っ赤にして父は逃げ出した。
遠くでナースさんの「廊下を走らないでくださーい」という声が聞こえる。
「…………お母さん」
「な、何かな……?」
「お父さんって、あんな感じのヒトなの……?」
「…………そうよ。最近はああいうの、ツ、ツンデレというのかしらね……」
私の素直になれないあれは遺伝だったのか、と納得するように頷いて、リィンは母を部屋に入れて自分はベッドに戻った。
そして。
少し、照れながらも「ねぇお母さん、お父さんとお母さんの話が聞きたいな」と。
就寝前の絵本をねだる子供のように、母へお願いするのだった。
おっさんのツンデレ。