目が覚めたら知らない天井だった。
「……………………夢?」
真っ白い天井を、
いや、待て、夢じゃあない。よく見たら、知らない天井は見たことのあるメディカルセンターの天井だった。
メディカルセンター。
つまり……ここは、病室?
「おや、目が覚めたかい? シズク」
戸惑っていると、横から知らない声で知らない男が話しかけてきた。
誰かに似ている、小さな男の子。
シズクと身長は同じくらいだろうか。
髪をうなじで一本縛りしている、少年。
――シャオが、シズクの病室の椅子に座っていた。
「…………誰?」
「ぼくはシャオ。君の叔父……つまり、シオンの弟のような存在だよ」
「シャオ……シオンの……お母さんの、弟?」
「そう。やっと会えたね、シズク」
朗らかにシャオは笑う。
そういえば、誰かに似てるかと思ったらお母さんに似ている。
悪い奴では、無さそうだ。
心の警戒レベルを少し下げて、とりあえず起きようと枕から頭を上げる。
「て、えぇ!? お母さんのおとうっ……ぐっ……!?」
その瞬間、ぐらり、と視界が歪んだ。
「なん……っ……」
「ああ、ダメだよ急に動いたら。君は丸三日も寝てたんだから」
「み、三日……?」
そんなに寝てたのか、とシズクは目を見開いた。
そりゃ急に起きたら眩暈の一つでも起こすだろう。
(ああ……段々と思い出してきた)
(あの後キャンプシップに乗ったあたしは、知恵熱でぶっ倒れて……)
そして――その後。
その後、どうなった?
「シズク。シオンを介して全知に繋がっていた君は、シオン亡き今全知を使うことが出来ない」
「…………」
「だから、疑問が残るのは当然だ。それに答えるためにぼくは今ここにいる」
何でも訊くといいよ、と。
シャオはいつもの小生意気な笑みではなく、やはり朗らかに微笑むのだった。
推理小説で言うところの、解決編。
残された謎や伏線を回収しようじゃあないか。
「……じゃあ、あの後……あたしが気絶した後、どうなったの?
ルーサーは……【敗者】は、倒した?」
「倒したよ。弱らせたところを、ダークファルス【
「【双子】に……!?」
驚いたが、あり得ないことでは無いだろう。
ダークファルスは決して仲良しこよしの集団ではない(【
「そっか……うばー、じゃああいつとはもう、二度と会うことは無さそうだね」
「そうだね、それについては間違いないと思うよ」
ほっとする。
もう、あの前髪の長い男のことは見たくもない。
完全にトラウマだ。
「【双子】は今どうしてる?」
「目下捜索中。元気になったら多分シズクにも手伝って貰うから」
「でもあたし、今演算くらいしか出来ないよ?」
シズクは、無意識のうちに左目辺りを手で抑えた。
もう、その左目は海色に光らない。
全知は失われたのだ。
「充分だよ。ヒトの感情を式に入れた演算ならぼくよりシズクの方が優秀だしね」
何せシズクは、人間なのだから。
高度な演算能力を持った人間は、その一点で観測者を越える力を発揮できるのだ。
かのルーサーも、人心掌握を得意としていた。
人心を式に入れ演算し、ヒトの心を掴むための最善解を導き出す。
その点では、シオンを軽く越えていたことがテオドールや虚空機関の職員の態度から窺えるだろう。
「ぼくもヒトの心や感情については学んで理解しているつもりだけど、それでも純然たるヒトには敵わないから」
「純然たるヒト……」
なんか、改めて他人に言われると照れる。
照れるというか、嬉しいというか。
『ヒトになりたい』という夢が叶った――叶っていたという事実が、自然と頬を緩ませる。
でも……。
それと同時に、母を失ったという事実も、シズクの心を軋ませる……。
「……シズク?」
「あ、ああえっと。そうだ、確認なんだけど……あたしがどれだけ活躍しても一切話題にならなかったのってお母さんの仕業だったの?
てっきりカスラさんがやってると思ってたんだけど、いくら六芒均衡でも情報隠滅が完璧すぎるなぁおかしいなぁってずっと違和感あったんだよね」
「そうだよ。絶対にルーサーに情報が漏れないよう、カスラの情報隠滅の隙をシオンが埋めていたんだ」
やっぱりか。
推測は当たっていたようだ。
「あたしがルーサーに捕まると、ルーサーはあっという間に全知へと至っていた……そりゃお母さんもあたしの存在が奴にばれないように必死になるよね」
「必死になってたのは、ルーサーが全知に至るから、ってだけじゃないと思うけどね」
「うば?」
首を傾げる。
他にも何か理由があるの? と。
「ルーサーに存在がばれないようにするためだけなら、もっと他にやりようはあった筈だよ。
例えばシズクを殺す、とか」
いきなり物騒なことを言い出すシャオ。
でも確かに、その通りだった。
それが一番手っ取り早くて、確実にシズクからシオンに至る道を潰せる方法だ。
「…………」
「シオンはさ……」
シズクが返す言葉もなく黙っていると、シャオが天井を見上げながら言葉を紡ぎ始めた。
「シズクに生きて欲しかったんだよ」
「……!」
「ルーサーが全知に至るとか以前の問題として、シズクがルーサーに捕まり非人道的な実験に晒されるのを何より嫌がった。それだけは――避けたかった」
ルーサーが、シズクを殺そうとしたとき。
シオンは言っていた。『それだけはダメだ』、と。
「ああそうだ。それに加えて、シオンはシズクの望みを叶えようとも動いていたようだよ」
「あたしの、望み?」
「『ヒトになりたい』っていう、望み」
その望みは、シオンとシズクが直接会話をし、シオンが彼女が人間であることを説明すればそれだけで叶う夢だった。
でも、シズクが物心つく頃には、シオンはルーサーに常時監視されているため会いに行けず、それは叶わない。
だから第二の案を取った。
シオンが死ねば、シズクの全知は失われる。
体内に海は残るが、それだけなら演算能力が人並み外れているだけの人間として生きていける。
そう。
シオンは、自分が死ぬことでシズクの全知を消そうとした。
全知が無くなれば、あとは時間の問題だ。
シズクは自分が『ヒトになれた』と判断して、望みを叶えていただろう。
だからどうせ死ぬのなら――会わないほうがいいとシオンは判断した。
「いや、待って」
「?」
「おかしいでしょ。だって、お母さんはサポートパートナー経由だったけど、最後にあたしに会いに来たじゃない」
会うつもりが無かったなら、あんなことするべきではない。
ましてや自分が母だということを醸し出す理由なんて、もっと無いはずだ。
「ああ、あれはぼくがそうするように誘導したわけだけど……でも、そうだね。観測者として考えればシオンは決して君に会いに行かなかっただろう」
初志貫徹するのなら、会いに行く理由なんて欠片もない。
意味もなければ、理由も無い。
「じゃあ何故シオンはあの時シズクに会いに行ったのか? そんなの、答えは簡単だ。ぼくでも分かる」
「…………」
「シオンは――
――我慢できなかったんだよ」
口で何と言おうとも。
どれだけ論理的にシズクと会わない理由を組み立てても。
娘に会いたい――成長した娘を、一目見たい。話したい。
言いたいことが沢山あって、やりたいことが沢山あった。
「それは、理論とか演算とか……感情論すらも越えた原初の性質――『母性』。
多分シオンは、殆ど無意識にシズクの元へ向かっていたんじゃないかな」
母親として、シズクを産んだ身として、
気になった。
我慢できず、会いに行ってしまった。
それが、今までの苦労を水の泡にしてしまう所業であったとしても。
「…………あたしを、産んでくれて」
ぽつり、とシズクは呟く。
「お父さんと会わせてくれて、情報操作とかで間接的に守ってくれて、我慢できずに様子を見に来てくれて」
そして最後には、頭を撫でてくれた。
不器用だったしぎこちなかったけど、あれには確かに愛情がこもっていた。
「……何が、母親らしいことが出来なかった、よ……アナタが居ないとあたしは生まれていないし、生き残ることも出来なかったじゃない……」
「…………」
シャオが、突然来客用の椅子から立ち上がった。
シズクに背を向けて、病室の扉に手をかける。
「じゃあ、ぼくはこの辺りで失礼するよ。まだ話したいことはあるけど……病み上がりだしね、また今度にしよう」
そう言って、シャオは病室から出る。
扉を閉めて、ふーっと一息吐いて前を見ると――シャオの眼前に、お見舞いの品であろう花束を持ったリィンの姿があった。
「あ、シャオ。シズクの調子はどう?」
「リィン。丁度良かった」
丁度良かった? とリィンが首を傾げる。
もしかして今起きたところなのかしら、とリィンが疑問を口に出そうとして――。
「シズクが泣いてる。慰められるのは、君だけ――っと、速いね」
言い終わる前に、リィンは花束を地面に落としながら病室へと駆けていった。
「良い仲間を持ったね、シズク……」
地面にぶちまけられた花を一輪一輪拾い上げながら、シャオは一人呟いて。
拾った花束を、そっと扉の傍に置いておく。
すると扉の向こう側から泣き声が聞こえてきたので、そそくさとシャオは退散するのであった。
*****
扉を開けると、シズクが泣いていた。
ベッドで上半身のみ起こした状態で、俯きながらそっと静かに頬を涙で濡らしている。
「シズク!」
リィンが駆け寄ると、シズクはハッと顔を上げ――目を見開いた。
「リィン……」
「大丈夫!? シャオに何か酷いことでも言われた?!」
リィンが、あの時のシオンのようにシズクの頬に手を当てて――親指で、グッとシズクの涙を拭う。
その手が温かくて。
涙が頬を伝ってベッドを濡らす前に、リィンの親指が濡れたのを見て。
シズクはぐしゃり、と顔を歪めた。
ダムが決壊したように、シズクの涙は大粒となってとめどなく流れていく。
「あ、あ、あぁ、あああああああ……!」
「ちょ、ちょっと、本当にどうしたのよ、シズク……」
「リィン! リィン……リィン……!」
リィンの胸元に顔をうずめるように、シズクはリィンへ抱きついた。
突然のことに驚きながらも、リィンはそっとシズクの背中へ腕を回す。
「あ、あ、あたし……あたしは……人間だったっ」
「……!」
「最初からずっと、ずっと、自分が化け物だと思い込んでいる人間だった!」
いつの日だったか。
メイが言った言葉が蘇る。
『ならさ、きっと感情は最初からあったんじゃない?』。
その通りだった。
シズクは自分に感情が無いと思い込んでいた、ただの思春期の子供だった。
「そ、それで泣いてるの……?」
「違う……! これは嬉しいの……嬉しくって仕方が無いの……!」
「じゃあ何で、そんなに泣いてるの……?」
「お母さんが、死んだ……もっと、沢山、話したいこともやりたいことも沢山あったのに、死んじゃった……」
殺された。
目の前で。
「それ、は……」
「でも、お話できたのは楽しかったし、殺されたときはもうわけがわからなくなって……」
怒りが沸いてきた。
そう、今のシズクに襲い掛かっているものは、喜怒哀楽。
嬉しいし、怒っているし、悲しんでいるし、楽しかった。
色んな感情が――ぐるぐる渦巻いて。
涙となって、流れ落ちている。
「ねえリィン……なんなの……?」
「……?」
「
嬉しいし、
悲しいし、
泣きたいし、
辛いし、
苦しい。
沢山の感情が渦巻いて――分からない。
それを聞いて、リィンは思い出す。
姉が死んだときに抱いた気持ちを、父が、姉が、泣いている姿を見たときに抱いた感情を。
「ねえ、リィン……教えてよ……」
「そんなの……
――私にだって、分からないわよ」
「……?」
ふと、シズクが顔を上げる。
顔を上げて――リィンを見る。
ぽたり、と。
シズクの額に雫が一滴落ちた。
「…………リィン?」
驚いて、シズクは目を見開く。
涙でぼやけた視界でも、分かるほどはっきりと。
リィンが泣いていた。
涙を流して、その頬を濡らしていた。
「……何で、リィンが泣くの?」
「えっ……」
今、自分が泣いていることに気付いたとばかりにリィンは頬へ手を添える。
添えた手が濡れたことを確認して、リィンは一瞬戸惑う。
何で、泣いているんだろう。
でも、その疑問は、一瞬の内に解決した。
「…………貴方が泣いているからよ、シズク」
かつて。
【コートハイム】が解散したときに涙を流さない理由として使ったセリフと、全く同じセリフを言葉にしながらリィンは微笑む。
「貴方が泣いているなら、私は一緒に泣きたいし、貴方が笑っているのなら、私は一緒に笑いたい」
「…………」
「だから、今は一緒に泣きましょう。
泣きたいときは泣いた方がいいって、私に教えてくれたのはシズクでしょう?」
そうして。
二人は抱き合って、涙を流しあう。
一緒に泣いて。
一緒に笑って。
一緒に悲しんで。
一緒に楽しむ。
そして二人で成長する。
一生一緒に生きていく。
きっと、二人が名前も分からなかったあの感情の答えに辿りつく日も、そう遠くは無いだろう。
「――リィン」
「……? 何? シズク……」
「辛い時も、楽しい時も、いつも一緒に居てくれて。
こうして慰められる時もあれば、慰める時もあって。
大人かと思いきや結構子供っぽかったり。
頭が良いのに察しが悪かったり、察しが悪いくせにタイミングが良かったりして。
いつもあたしのことを守ってくれる。
そんなリィンが、大好きです」
次回、エピソード2のエピローグです。