半分の月がのぼる空・二次創作短編集   作:土斑猫

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―水仙月―

                 ―水仙月― 

 

 

  ―カシオピイア、

   もう水仙が咲き出すぞ

   お前の硝子の水車

   きっきと回せ―  

 

(宮沢賢治・「水仙月の四日」より)                   

                            

 

                  ―1―

  

 

 ゴロゴロゴロゴロ―――

 回る。

 世界が回る。

 ゴロゴロゴロゴロ―――

 白い世界が。

 真っ白に回る。

 「うわぁあああ―――っっ!!??」

 ドシ――ンッ

 ドサドサドサッ

 なんちゅうベタな…。

 ゲレンデを一直線に転がり落ちた挙句、コース外れの木にぶち当たり、その振動で落ちてきた雪に埋まるという、まるでギャグ漫画みたいな真似を地でやってしまった僕はそんな事を考えながら、冷たい雪の中からモゾモゾと這い出した。

 「アハハ、裕一、かっこ悪い。」

 途端、後ろから跳んできた声に、僕は一瞬ビクッとなり、そのままギギギ、と顔を振り向かせた。

 その視線の先にあるのは、淡いピンクのニット帽と同じ色のダウンジャケットを着た女の子の姿。 

 「・・・里香、見てたのか?」

 「うん、見てたよ。上から落ちてきて、ここに埋まるまでずっと。」

 綺麗な顔に満面の笑みを見せながら、ケラケラとそんな事を言う。

 「裕一、滑れなかったんだ。」

 そう言ってニンマリとする里香に向かって、僕は思わず、

 「い、いや違うぞ!滑れないなんて事は、ない!!断じて、ない!!」

 なんて虚勢を張ってしまう。

 「ふ~ん?」

 その顔が、ますますニンマリとするのを見て、しまったと後悔するが、もう後の祭りだ。

 「じゃあ、これは何?」

 そう言いながら雪にまみれた僕の頭を、可愛いポンポンの付いた手袋でポンポンと叩く。

 「こ、これは…これはだな…そ、そうそう、たまには滑れない奴の気持ちを味わってみようと思ってやったんだ。」

 「へぇ、じゃあ、わざとなんだ。」

 「お、おうわざとだ!!全然、わざとだぞ!!」

 「へぇ~~~。」

 目の前の小悪魔の笑みが、ますます深みを増してくる。

 だけど、墓穴を掘り続けていると分かっていても虚勢を張った手前、今更撤回する訳にはいかない。

 そして、その事は里香も十二分に承知している訳で…

 「じゃあ、滑って見せてよ。今度は本気で。」

 満面の笑みでそう言って、リフトを指差す。

 そうだよ…。そういう女だよ…こいつは…。

 サァッと吹いた風にふわりと舞った長い黒髪が、今に限っては悪魔の翼の様に見えた。

 「うわぁあああ―――っっ!!??」

 数える事十数分後、結局僕は最初と同じルートを同じ様にたどって、里香の待つ木の根元に帰る事となった…。

 

 

                  ―2―  

 

 

 「いててて…」

 「全く、無理はしないようにって言われてたでしょ?ちょっと間違ったら大怪我よ。これ。」

 腕に出来た、大きな青あざ。それに温湿布をしながら、付き添いの保健の先生がそう説教をくれた。

 「あ、雪。」

 誰のせいだと思っているのか、部屋の窓辺に椅子を置いて座っていた里香が、薄暗くなってきた外を見てそう言った。

 その言葉につられて外を見ると、なるほど。雪が降ってきていた。

 「そりゃ冬だもんな。降るだろ、雪くらい。」

 僕の言葉に、里香がムッとした態で振り返る。

 「風情がないんだから。裕一は。」

 知るか、んなもん。

 そうやって、しばし睨み合う。

 傍らでは、石油ストーブに置かれたやかんがしゅんしゅんと音を立てている。

 保健の先生が苦笑しながらそれを取り、ととと、とティーパックの入ったカップにお湯を注いだ。

 民宿風の小部屋の中に、ちょっとミスマッチな甘い香りがふわりと流れる。

 「そろそろ皆、戻ってくる頃ね。」

 僕と里香に紅茶の入ったカップを渡しながら、先生は薄闇と雪の降る外を覗いて、そう呟いた。

 と、その声に応える様に、部屋の戸の向こう側からどよどよと大勢がざわめく音が聞こえてきた。

 今日、僕らの高校は毎年恒例、一泊二日のスキー教室に来ていた。一年と二年は全員、三年は希望者で、今後の受験に差し支えなしと判断された者が参加する事になっている。

 「裕ちゃん、里香、晩ご飯だよ。」

 部屋の戸がガラリと開いて、そんな言葉とともにみゆきが顔を覗かせた。

ちなみに、もうほぼ進路が決まっているみゆきと司は今日も一緒にきている。山西は希望したが、この成績で何言ってんだと却下されたらしい。

 結構な事だ。

 里香は参加出来るかどうか難しい所だったけど、極力無理をしないと言う事で病院から許可がおりた。

 もちろん、滑ったりはしない。見学だけだ。

 「おう。」

 「分かった。」

 僕と里香はそう言うと、残っていた紅茶を飲み干し、保健の先生にお礼をいって部屋を出た。

 部屋を出た先には長い板張りの廊下が伸びていて、その奥から皆のざわめく声が聞こえてくる。時折混じる怒声は引率の鬼大仏だろう。

 一歩足を踏み出すと、板張りの廊下はギシギシと軋んだ音を立てる。

 僕達の泊まっているこの旅館、民宿風と言えば聞こえはいいが、何の事はない。ただの年期の入ったぼろ旅館である。トイレが汲み取り式でないのがせめてもの救い、といったところだ。

 「・・・雪、強くなってる。」

 廊下を歩きながら窓の外を見た里香が、そんな事を言った。

つられてみて見ると、なるほど、空から注ぐ雪はその量を増していた。もっとも、  水分を多く含んだ、所謂ベシャ雪ではない。軽く風に舞う、サラサラしたパウダースノーだ。

 すっかり日の落ちた、漆黒の世界。その中を、淡く白い粉が舞う様はなかなか幻想的で綺麗だった。

 「カシオピイア、もう水仙が咲き出すぞ。お前の硝子の水車、きっきと回せ。」

 窓の外を見ていた里香が、唐突にそんな言葉を口にした。

 「何だよ?それ。」

 僕の問いに里香が怪訝そうな顔をする。

 「知らないの?宮沢賢治の「水仙月の四日」で雪童子(ゆきわらし)が詠ってた台詞。」

 「すいせんづきのよっか?」

 「知らないの?」

 すんません。知りません。

 「もう。駄目だなぁ。裕一は。今度、貸してあげるから読みなさい。」

 「・・・ふぁい・・・。」

 「そんな顔しない。短い話なんだから、すぐ読めるよ。」

 僕の気の無い返事に、里香はそう言って苦笑した。

 

 

                 ―3―

 

 

 夕食の後は自由時間だった。皆が思い思いに過ごしている中、あたしはリビングホールで本を読んでいた。

 「里香先輩。」

 声をかけられて顔をあげると女の子が二人、外着を着た格好で立っていた。確か、同じクラスの松島加奈と長瀬千恵だ。二人とも、手には懐中電灯を持っている。

 私が「何?」と聞くと二人はえへへと笑って暗い窓の外を指差した。

 「民宿の人から聞いたんですけど、このスキー場の近くで樹氷が見れるそうです。」

 「樹氷?」

 「はい。」

 加奈が頷いて、千恵が続く。

 「それで、里香先輩。一緒に見に行きませんか?」

 「あたし?」

 「はい。先生には許可もらってますから、大丈夫ですよ?」

 そう言って、持っていた3本目の懐中電灯を差し出してくる。

 樹氷・・・。

 そんなもの、写真でしか見たことが無い。心の中でモゾリと好奇心が蠢く。

 「先生の許可、もらってるんだ。」

 「はい、ゲレンデのコース内ならいいそうです。」

 二人はキラキラと目を輝かせて、こっちを見てくる。断るのも、可哀想だ。

 横目で、ちらりとホールの隅を見る。裕一は司君と楽しそうに話をしている。

 声をかけようとも思ったけど、みゆきや司君はもうすぐ卒業だ。二人とも卒業後は伊勢市を出て東京へといってしまう。裕一と一緒に過ごせる時間はもう幾ばくも無い。その少ない時間を削りたくはなかった。

 「ちょっと待ってて、仕度してくるから。」

 あたしは差し出された懐中電灯を受け取りながら、そう言った。

 

 

                 ―4―

                

   

 「うぅ、さむ~い。」

 積もった雪をサクサクと踏みながら、加奈がそう言って自分の身体をかき抱く。

 しゃべる口元から、ふわりと漏れる白い息。

 「大丈夫?ちゃんと着ないと、風邪ひくよ。」

 「大丈夫ですよ。先輩こそ、大丈夫ですか?身体、弱いんでしょ?」

 自分達で誘っておいて。大丈夫も何もないものだ。

 「大丈夫。ちゃんと着てるし、懐炉も入れてるから。」

 苦笑しながらあたしがそう答えると、加奈は「良かった。」と言ってまたサクサクと雪を踏み始めた。 

 その後はしばらく、皆無言でサクサクと雪を踏み続けた。

 「あ!!あそこ!!」

 突然千恵がそう叫んで、それまで足元を照らしていた懐中電灯を前に向けた。

 光を受けた雪がキラキラと光って、「KEEP OUT(立ち入り禁止)」のロープが浮かび上がる。そして、その向うに・・・

 「「「わぁ・・・」」」

 三人が、一斉に声を上げていた。

 深い夜闇の中で、透き通る様な純白に身を凍てつかせた木々。それが雪の光を纏って立つ姿は、この世のものとも思えないほど綺麗だった。

 「凄い・・・。」

 「綺麗・・・。」

 加奈と千恵の二人がそう呟いて、魅せられた様にフラフラと近づいていく。

 「あ、ちょっと…!!」

 二人が立ち入り禁止のロープを超えるのを見て、あたしは思わず呼びかけたが、まるで聞こえてない様に奥に進んでいく。

 「もう…。」

 仕方なく、あたしも彼女らを追った。

 「わぁ…凄い!!」

 「素敵…!!」

 樹氷の森のただ中で、あたし達は感嘆の声を上げていた。周囲一体を包む、凍麗な輝きの光景。それは、俗世とは遠く離れた別世界のものの様だった。

 「来て良かったですね!!先輩!!」

 二人はそんな事を言いながら、周囲の風景を携帯のカメラでパシャパシャ撮っている。

 「気をつけて。そっち、崖になってる。」

 立ち入り禁止になるのも頷ける。樹氷の森の直ぐ外れは、深く切り立った崖になっていた。

 そんなあたしの言葉を真面目に聞いているのかいないのか、大丈夫大丈夫と言いながら、二人はパシャパシャとシャッターを切るのに夢中だ。

 あたしは一つ溜息をついて、視線を周りの樹氷達へと戻す。

 ああ、本当に綺麗だ。

 (やっぱり、裕一も連れてくれば良かったかな?)

 今の彼なら、この情景をもっと上手くフィルムの中に留めてくれるに違いない。

 (あ、でも学校行事にカメラなんか持って来てないか。)

 そんな事にも気が回らないなんて、結局あたしも浮かれているのかもしれない。

 そう思って、クスリと苦笑いした時 ――

 ズ・・・

 「・・・え?」

 「先輩、どうしました?」

 急に訝しげな声を出したあたしに、加奈が不思議そうに声をかけてきた。

 「あ・・うん・・・。」

 ・・・何だろう?

 何か、変な感じがする。

 この感じは、何だろう。

 ズズ・・・

 おかしい。

 何かが。

 「里香先輩?」

 あたしの様子に気づいた千恵が、声をかけてきた。

 「うん・・・。何か、変な感じがする。もう、戻った方がいいかも。」

 あたしの言葉に、二人は不満を露わにする。

 「え~~、何でですか?こんなに綺麗なんですよ。もうちょっと見ていきましょうよ。」

 「そうですよ。先生にも許可とってありますし、もう少しだけ。ね?」

 そう言って、二人とも目の前の光景から目を離そうとしない。

 許可とは言っても、こんな所まで入り込むとは言ってないだろうに。

 けどまぁ、仕方ないかもしれない。

 この光景をもっと見ておきたいっていう気持ちは、よく分かる。

 あたしだって、そう。

 もう、次はないのかもしれないのだから。

 しょうがない。もう少しだけ。

 そう思った、その時―

 ―――ズッ

 「――え?」

 

 背後で響いた、無気味な音。

 振り向く。

 その先で、ゴパッと白が弾けた。

 まるで、堰き止められていた水が決壊する様に。

 弾け、溢れた雪。

 それが、純白の激流となって押し寄せる。

 こっちに向かって。

 冗談みたいなスピードで。

 間にある、全てのものをなぎ倒しながら。

 白い、白い、“白”が迫る。

 「――っ!!」

 とっさに視線を巡らすと、直ぐ隣で、加奈がボケッと立っていた。

 目を見開いたまま。

 竦み上がったまま。

 どうしようもなく。

 どうする事も出来ず。

 ただ、立ち竦んでいた。

 ドンッ

 それを見た瞬間、あたしは彼女を力いっぱい突き飛ばしていた。

 驚いた顔が、舞い散る粉雪の向こうに遠ざかって行く。

 そして、次の瞬間――

 ドゥッ

 (―――あっ・・・)

 物凄い、本当に物凄い力に身体が弾かれる。

 宙に浮く感覚。

 回る景色。

 真っ白に染まる視界。

 遠のく意識のその中で、一瞬、けれどはっきり、“彼”の顔が見えた。

 こっちを見つめる、心配そうな、情けなさそうな、けれど優しい、優しい、彼の、顔。

 手を伸ばす。

 届かない。

 待って。

 待って。

 やだ。

 お願い。

 だって。

 だってこんなの。

 こんなの―

 ないよ―

 そして意識が、白い闇に堕ちて―

 

 

                  ―5―

 

 

 18時56分、〇〇山のスキー場北側斜面にて表層雪崩発生。スキー教室に来ていた伊勢市の〇〇高等学校の女生徒三人が巻き込まれた模様。内二人は自力で脱出。助けを求めてきた処を保護。残り一人が依然、行方不明。引率の教師から当生徒は心臓に障害在りとの報告あり。迅速なる対処を求む。

 

 最初、皆が言ってる事が理解出来なかった。

 ホント。

 何の冗談だよ。それ。

 やめろよ。

 全然、笑えねぇよ。

 そんな事、ある筈ないだろ?

 なぁ。

 なぁ!!

 

 「何だよ!!おい!!何でそんな事になってんだよ!?」

 皆が集められたロビーに、僕の怒鳴り声が響いた。

 他の生徒や宿泊客の視線が集中するけど、気にする余裕なんてなかった。

 僕の目の前では、里香の同級生の女の子が二人、泣きじゃくっている。

 僕はその内の一人の肩を掴むと、乱暴に揺さ振った。

 女の子がビクリと身を竦め、僕の顔を見上げる。

 怯えきった目。後悔と無力感と恐怖に塗れた、憐れな目。

 けど。

 構うものか。

 「里香はどうした!?どうしたって!!?何でいないんだよ!?何処にいるんだよ!!」

 女の子は答えない。答えられない。ただごめんなさいごめんなさいと繰り返しては、両手で顔を覆って泣きじゃくる。

 ああ、くそ。

 泣くなよ。

 泣いてんじゃねぇよ。

 泣いてちゃわかんねぇだろうが。

 「ごめんなさい!!ごめんなさい!!」

 傍らで震えていたもう一人が、相方の肩を掴む僕の手に縋り付いてきた。縋り付きながら、話し始める。あたしが、あたしが誘ったんです。千恵は悪くないんです、と。

 添えられた手が震えている。歯の根があっていない。カチカチと歯の鳴る音が、妙に癇に障る。

 「樹氷、見に行ったんです・・・。先輩、誘って・・・。それで・・見てたら、変だって、先輩が、なんかおかしいから、帰ろうって・・・でも、綺麗だったから、あたしと千恵が・・もう少し、もう少しって・・・・そしたら・・上の方で、変な音がして・・・見たら、雪がたくさん、たくさん落ちてきて・・・あたし・・その、訳わかんなくて、頭、真っ白なっちゃって・・・すくんじゃって、動けなくて・・・そしたら・・そしたら先輩が、先輩が突き飛ばしてくれてそれで、みんな真っ白になって、それで、それで・・・気がついたら先輩・・・いなくて・・・いなくなっちゃってて・・・それで・・・・それで・・・・」

 その言葉が、ガンガンと頭に響く。

 まるで、僕の心をかき混ぜる様に。

 「・・・何だよ・・・。それで・・それで帰ってきたのかよ!!お前助けた里香置いて、お前らだけ帰ってきたのかよ!?」

 抑えられない。

 怒鳴りつける。

 女の子が、ひっと小さく悲鳴を上げて身を引いた。

 もう一人は僕に肩を掴まれたまま、両手に顔を埋め、ただひたすら泣きじゃくっている。ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返しながら。

 胸の中で、何か真っ黒なものが煮えたぎっていた。

 いつか、夏目に対して抱いたものよりも、もっと、もっとドス黒い、凶暴な衝動。

 こいつらが里香を誘いさえしなければ。

 こいつらが里香の忠告をさっさと聞いていれば。

 里香がこいつらを庇いさえしなければ。

 里香は、感じていたに違いない。

 なにせ、生まれてからほとんどの時間を“そいつ”に付き纏われて生きてきたんだ。

 傍らに佇む、“死”の気配。

 その時だって、里香はそれを感じてたんだ。

 だから言った。

 早く戻ろうと。

 それなのに。

 それなのに。

 こいつらが。

 こいつらが。

 ―こいつらが―

 小さな肩を掴む腕に、力がこもる。

 女の子の顔が、歪む。

 「痛い・・・!!」

 痛い?

 痛いだって?

 はは。

 面白い事言うな。こいつ。

 この位で、痛いだってさ。

 里香は、里香はもっと・・・。

 は・・はは・・・うはは。

 駄目だ。

 切れる。

 切れる。

 心が。

 切れる―

 「裕ちゃん、もうやめて!!」

 そんな悲鳴の様な声を上げて、誰かが僕と女の子の間にぶつかる様にして分け入って来た。

 女の子から、手が離れる。行き場を失った黒い滾りが、代わって目の前に立った相手―みゆきに向けられる。

 「・・・み、ゆき・・・。何だよ・・・。邪魔すんなよ・・・。」

 「駄目!!」

 「どけよ・・・。そいつに・・そいつらに訊いてんだよ・・・。里香のこと・・訊いてんだよ!!」

 自分の声とは思えない位に、暗くくぐもった声が言葉を紡ぐ。

 僕の顔を見上げたみゆきが、酷く驚いた様な、怯えた様な、悲しそうな顔をした。あの、いつも強気なみゆきが。

 はは、スゲェな。いったい、どんな顔をしてんだ。僕。

 「どけってば・・・。」

 僕は、みゆきに詰め寄る。

 「駄目だってば!!今の裕ちゃんは、駄目!!」

 みゆきが、悲痛な声で訴える。けど、その悲痛ささえも今の僕には届かない。

 「――っ!!どけって言ってんだろっ!!」

 そう激昂すると、僕は必死に踏ん張るみゆきの胸倉に向かって手を伸ばした。

 その瞬間―

 ゴッ

 横っ面を殴られて、僕は派手に吹っ飛んでいた。

 ものスゴイ衝撃だった。たった一発で頭がクワンクワンと鳴って、視界がグルグル回った。夏目や亜希子さん、いや、親父にボコボコにされた時だって、ここまで酷くはなかった。

 床に手をつきなんとか上半身を起こすと口端から一筋、血が流れた。それを拭いながら殴った相手を見て、また驚いた。

 「つか・・さ・・・?」

 呆然と見上げる、僕の視線の先。震える右手を握り締めた司が、真っ青な顔で立っていた。

 「裕一・・ごめん・・・。でも・・でも・・・!!」

 呆然とする僕の肩を、後ろから誰かの手がポンと叩いた。振り返ると、そこに居たのは引率の「鬼大仏」、近松覚正。彼は片膝をつき、僕の肩に大きな手を置いていた。

 「戎崎、落ちつけ。」

 酷く、優しい声だった。

 「大丈夫だ。もう捜索隊に連絡が行っている。すぐに捜索が始まる。秋庭は絶対無事だ。必ず無事に見つかる。だから、落ちつけ。取り乱すな。大丈夫、大丈夫だ・・・。」

 ゆっくりと、噛み締める様に、言い聞かす様に、優しく、静かに語りかける。

 何だよ。あんた、「鬼大仏」だろ?なんでそんな優しい顔してんだよ。止めろよ。気持ち悪いよ。いつもみたいに怒鳴れよ。無意味に、景気良く、怒鳴って、くれよ。

 ああ、頭がクワンクワンする。痛ぇよ。畜生。

 視線を上げると、そこには立ち尽くしたままの司がいた。

 血の気の失せた顔をうつむけて、白くなるくらい強く握り締めた拳を震わせて。

 ・・・なんか、殴られた僕よりも痛そうな顔をしていた。

 僕の隣には、みゆきがいた。

 いつの間にか、みゆきも泣いていた。

 僕は崩れる様に、床に突っ伏した。

 ゴォオオオ・・・ゴォオオオ・・・

 いつしか外では、雪嵐が酷く鈍い音で唸りだしていた。

 窓を見上げれば、夜闇にあってなお黒い雲が、延々と白い雪を吐き出している。

 ―月は、見えなかった。―

 

 ・・・二次災害の恐れのため、今夜の捜索活動の中止が告げられたのは、それから1時間ほど後の事だった・・・

 

 

                  ―6―

 

 

 あたしは「白」の中にいた。

 上も、下も。右も、左も。何もない「白」の中。

 何も考えられない。思考も白。

 気だるい。意識も、深い白の中へと沈んでいく。

 このまま、全てを委ねてしまおうか。

 そう思ったその時―

 ・・・て

 何かが、聞こえた様な気がした。

 ・・・きて

 それが人の声だと理解するのに、数秒の間を要した。

 ・・・起きて

 誰の声だろう。聞き覚えのない、女の子の声。

 ・・・起きて。

 幼いのに妙に大人びた、不思議な声。それが、あたしに呼びかける。

 起きて。

 ああ、うるさいな。あたしは眠いのに。

 起きて。じゃないと―

 煩わしい。放って置いてほしい。そう思ったその時、

 ――リン

 鋭く響く、鈴の音。

 ―――!!

 それに耳を打たれ、白に溶けかけていた意識が引き戻される。

 我に返るその瞬間、風に踊るまっ白い衣が見えた気がした。

 「・・・・・・あ・・れ・・・?」

 気付けば、そこには誰もいない。

 「う・・・。」

 半ば雪に埋もれていた身体を起こす。

 夢だったのだろうか。そのわりには、頭に響いた声や鈴の音は妙にはっきりと耳に残っているのだけれど。

 ビュウゥウ―――ッ

 「――っ!!」

 突然背後から吹き付けた、氷雪混じりの風。その痛い程の冷感に、思わず身体がすくみ上がる。

 何で自分がここにいるのか。どうしてこんな事になっているのか。

 寒さで鈍る思考を叱咤して考える。

 そうか、あたしは雪崩に―

 自分の身体をかき抱いて、叩きつける雪に目を細めながら上を見上げると、大きくせり出した岩が見えた。

 運が良かったのだろう。雪崩に巻き込まれるのではなく、弾き飛ばされた事。落ちたその先が深く雪の積もった場所であった事。せり出した岩が雪崩落ちてくる雪を防いでくれた事。そして何より、こんな非常事態に、この継ぎ接ぎの心臓がもってくれた事。

 どれか一つでも欠ければ、恐らくあたしの命はなかった筈だ。

 死ぬ筈の場所で生き残った。それなら、あたしはまだ生きられる。

 かじかみかける身体を、無理無理に雪の中から起き上がらせた。こんな場所にいれば、どの道凍死しかない。そうなる前に、せめて雪風をしのげる場所を探さなければ。

 何とか立ち上がった時、左足首に鈍い痛みが走った。どうやら、挫いているらしい。でも、それが何だというのだろう。あんな事に巻き込まれて、これだけで済んだのだから、むしろ幸運というものだ。出来るだけ考えをポジティブに保ちながら、痛む足を引きずって歩き出す。

 そういえば、加奈と千恵はどうなっただろう。ふとそんな事を思って空を見た。鈍く響く音を響かせながら、無数の雪を吐き出している、厚い、厚い、くすんだ闇色の雲。

 「裕、一」。

 無意識にその名を口にしていた。一筋だけ流れた涙は、風にさらわれ、あっという間に闇に消えた。

 月は、見えない。

 例え様もない心細さに、心が揺らぐ。

 その時―

 リン

 「!?」

 重い風音の向こうから、突然響いた鈴の音。

 思わず目を向ける。

 今度は夢なんかじゃない。

 いつの間にか、目の前に一匹の黒猫がいた。

 音は、その黒猫の首輪についている大きな鈴から鳴っていた。

 「こんな所に・・・?何で・・・?」

 チョコンと座って、ジッとあたしの方を見つめる黒猫。やがて、ゆっくりときびすを返すと吹雪の中を歩き出した。真っ直ぐに立った尻尾が、パタパタと揺れる。

 「・・・ついて来いって、いうの?」

 黒猫が、「そうだ」とでも言う様に頷いた。

 強い風にビクともしないその足取りに導かれる様に、あたしもゆっくりと歩き出した。                    

                           

                           

                   ―7―

 

 

 消灯時間が過ぎて館内が静まりかえるのを待つと、僕はガサゴソと動き出した。

 防寒着を着込み、その中に入るだけの懐炉を詰め込む。リュックの中に旅館のマッチや懐中電灯、それにお菓子をありったけ放り込む。

 それを背負うと、同室の連中が起きない様にそっと部屋の戸を開け、足音を忍ばせて廊下に出る。階段の下り口にさしかかると、階下でガヤガヤと人の声がしていた。多分先生や救助隊の人がまだ起きているのだろう。僕はそのまま階段を通り過ぎると、廊下の端にある非常口に向かった。

 僕が非常口の戸に手をかけた時―

 「裕一・・・。」

 突然かけられた声に顔を青くして振り返ると、そこに立っていたのは司だった。

 とりあえずホッとしていると、司が声をかけてきた。

 「・・・行くんだね。」

 「ああ・・・。」

 司は黙って、僕の手を取ると、その大きな手を僕の掌に乗せた。その手が退けられた後、僕の掌の上にはカロリーメイトの箱が二つ、乗せられていた。

 「気をつけて・・・。」

 「おぅ。」

 それだけで良かった。

 司は行けない。司が来れば、当然みゆきも行くと言うに決まっている。そんな事をしても、死ぬかもしれない人間が増えるだけだ。里香は僕が守ると誓った。だから、僕だけでいい。

 ありがとな。

 僕は泣きそうな顔をしている司に、出来るだけ明るい顔でそう言って非常口の戸を開けた。途端―

 ビユゥゴォオオオッ

 物凄い雪嵐に顔を打たれて、僕は思わず目を瞑った。手探りで戸を閉めると、目を薄目に明けた。

 真っ黒い闇の中に、叩きつける様な風雪が狂った様に渦巻いている。

 あいかわらず、月は見えない。

 「・・・里香・・・。」

 僕は一言だけ彼女の名前を呼び、そして闇の中に足を踏み出した―

 

 

                  ―8―

 

 

 ―リン リン リン―

 優しく、力強い鈴の音。それが、風雪の囁く絶望を散り飛ばしていく様だった。

 あたしはただひたすら、目の前を進んでいく黒猫についていった。

 その黒い姿は、白一色の世界の中でもよく目立つ。激しい風雪の中でも、何とか見失わずにすんだ。時折、挫いた左足が鈍く痛む。あたしがもたつくと、黒猫は足を止めて待ってくれた。

 この時、何だかんだ言ってあたしは冷静さを欠いていたのだろう。いつもなら、気付かない筈はないのに。

 前をトコトコと歩く黒猫の小さな身体が、この強い雪嵐の中で微塵とも揺るがない事に。歩くその足元に、全く足跡が残っていかないことに。黒い身体が黒いまま、ほんの少しの雪も付かない事に。

 たくさんの不自然に気付かないまま・・・ひょっとしたら無意識のうちに気付かない様にしていたのかもしれないけれど・・・あたしはただ黒猫の後をついて行くだけだった。

 

 「う・・く・・・こ・・んの!!」

 旅館を威勢よく飛び出したはいいが、そこから幾ばくも進まない内に、僕は雪嵐の猛渦に巻き込まれていた。

 叩きつける風雪に目を開けることもままならず、深く積もった雪に足をとられて思う様に進む事も出来ない。微かな後悔が頭を過ぎるが、それを顔にまとわり付く雪と一緒に振り払い、僕はがむしゃらに突き進んだ。

 奮闘する事数十分、やっと半ば雪に埋もれかけた立ち入り禁止のロープが見えてきた。

 この先に、里香達が雪崩にあった場所がある。僕はロープを乗り越え、その奥へと分け入る。

 そして、絶句した。

 ・・・酷い有様だった。つい数時間前まで、たくさんの木々があった筈のその場所は、今はもう、ただの雪の丘と化していた。所々突き出している木の枝が、辛うじてその場所がかつては林であった名残を残していた。

 こんな所に、里香は・・・。

 一瞬で脳内を満たした絶望感に、軽い目眩すら覚えた。

 あの里香の小さな身体が、こんな馬鹿げた猛威に巻き込まれて耐えられる筈がない。よしんば、巻き込まれるのを免れていたとしても、その衝撃に里香の心臓は耐えられるだろうか。それに・・・

 「う・・うわぁあああああ!!」

 脳裏を駆け巡る幾つもの不吉な考えを振り払う様に、僕は大声を上げて雪丘へと飛び込んだ。

 「里香!!何処だ!!里香!!返事しろー!!!」

 胸まで埋まる雪を掻き分けながら、僕は夢中で雪をかき分けまくった。

 白だった。どれだけ掘っても、何処まで掘っても、ただ延々と白い色だけが目に飛び込んでくるばかりだった。

 里香の濡れ羽の様な綺麗な黒髪も、可愛いピンク色のダウンジャケットも、見つからなかった。

 「里香!!里香!!里香―!!!」

 ぼくは、半狂乱になって雪の中を探り回った。

 ―ねぇ。 

 低く唸る吹雪の音も、自分が掻き分ける雪の音も、聞こえなかった。

 ―ねぇってば。

 止まれば、心の底から染み出す絶望に沈んでしまう。僕はただ、喚き散らしながら雪を掻きまくった。

 ―あのね、

 雪を掻く手がかじかんで動かなくなってきた。それでも掻いた。寒気がジャケットに滲みこみ、振るえが止まらなくなってきた。それでも掘った。

 ―それ以上行くと、

 いつの間にか僕は泣いていた。鼻水が出て、歯がガチガチなって、顔が強張ってきた。酷い顔だ。きっと、里香が見たら笑うだろう。それでも良かった。嘲笑でも、呆れ声でも良かった。

 (そんな顔して、何やってんの?馬鹿裕一。)

 聞きたかった。里香の声が聞きたかった。だから、それを邪魔する雪の音も、風の音も、掻き消そうと喚いた。夢中で喚きまくった。

 だから―

 ―落ちるんだけど―

 自分の足が踏み抜いた雪の下。そこに地面がない事に気がついたのは、身体が宙に舞った後だった。

 

 「小屋・・だ・・・!!」

 どれだけの距離を歩いたのだろう。

 酷く長く歩いたような気もすれば、あっという間だったような気もする。

 とにかく、黒猫の後を追い続けたあたしの前に現れたのは、半分雪に埋もれた、板張りの掘っ建て小屋だった。

 ―リン―

 黒猫が小屋の戸の前で促す。あたしは最後の力を振り絞って戸の取っ手に手をかける。だけど、凍りついたそれはなかなか開かない。

 「開け、この馬鹿!!」

 悪態をつきながら渾身の力を込めると、バリッという音を立てて戸が開いた。

 「やっ・・た!!」

 あたしはそのまま、倒れ込むようにして小屋の中に転がり込んだ。

 「はぁ、はぁ、は・・・ぁ・・・」

 小屋の床に背倒れたまま、乱れた息を整える。少し左胸の辺りが疼いた様な気がしたけど、気付かないふりをした。

 バタン

 突然そんな音が響いて、吹き込む風が止む。

 首だけを動かして見ると、黒猫が自分の身体で戸を押して閉めた所だった。

 「あなた・・・変な・・猫・・・だね・・・。まるで・・にん・・げ・・・ん、み、たい・・・。」

 黒猫がゆっくりと近寄ってくるのを視界の端に見止めながら、あたしの意識は深い闇に落ちていった。

 

 気が付くと、僕は大の字で雪の中に埋まっていた。どうやら、崖から落ちたらしい。

 下が雪で助かった。ホッとすると同時に、情けなさが込み上げてきた。

 司にあんなにかっこつけて出てきたくせに、いざとなったらこの有様だ。

 知らずの内に、また涙があふれてきた。こんな事じゃ、里香を助けるなんて出来っこない。・・・いや、こんな嵐と雪崩の中で、里香が生きてる筈だってありゃしない。必死に押さえつけていた絶望が、ついにあふれ出した。

 何時しか、僕は声を上げて泣いていた。もう終わりだ。お終いだ。いっそこのまま、雪に埋まって、里香の所へ行こう。僕がそう思ったその時―

 「諦めるの?」

 不意に響いたその声が、僕の嗚咽を遮った。                               

 

 

                  ―9―

 

 

 「諦めるの?」

 僕の事を冷ややかに見下ろしながら、その娘はもう一度そう言った。

 ―これは、なんの冗談なのだろう。

 周りはその風景も見えない程の雪嵐。その中で、一人の女の子が僕の目の前に立っていた。

 それは、真っ白な女の子だった。

 髪も服も肌も、吹き荒ぶ雪と同じ様に真っ白だ。唯一、真っ赤な靴だけが白い闇の中で強烈に目に焼きつく。

 何だこれ。おかしいだろ?色々と。今は右も左も分からない様な猛吹雪で、それこそ鼻水も凍る様な寒さの中で、なのにその女の子は薄手の白いワンピース一着の格好で平然としていて、小柄で華奢で、なのにこの立っているのも困難な様な暴風の中で身じろぎ一つなく立っていて、いやだいたい何でこの娘は立ってるんだ?下に何もない空中に、立って僕を見下ろしているんだ?

 「諦めるんだ。」

 女の子は三度(みたび)そう言って、そこだけ真っ赤な靴を苛立たしげにカツンと鳴らした。

 「あの娘はあんなに生きようとしてるのに。」

 ・・・何?何だって?

 「あの娘を守りにきた君が、諦めるんだ。」

 今この娘、何て言った?

 「じゃあ、いいよ。あの娘はあたしが連れてくから。」

 “あの娘”?“あの娘”って誰だ!?

 「うん。それがいいね。どうせ、あと5年かそこらしか生きられないんだから。」

 絶望と混乱にぼやけていた思考が、女の子の“あの娘”という言葉に焦点が合わさっていく。

 おい、誰だよ?“あの娘”って、誰の事だよ!?

 「苦しい思いをする前に、今あたしが静かに連れて行ってあげる。」

 ―次の瞬間、僕は起き上がり、女の子に掴みかかっていた。

 「何?諦めるんじゃなかったの?」

 僕の手が掴む筈の細い肩は、まるでそこにない様にすり抜けて、女の子は僕の後ろに立っていた。

 だけど、そんな事はもうどうでもいい。

 「“あの娘”って誰だ!!誰だよ!!」

 空を切る手を振り回しながら、僕は女の子に食って掛かった。

 女の子は応えず、そこに立っている。

 振り回す僕の手も、吹き荒ぶ雪嵐も関係なく、静かにただ立っている。

 「頼むよ・・・。誰なんだよ・・・。あの娘って、誰なんだよ・・・!?」

 駄々をこねる子供の様に手を振り回しながら、僕はなおも女の子に食って掛かって・・・いや、すがり付いていた。

 「里香だろ・・・?里香の事なんだろ・・・教えてくれよ・・・頼むよ・・・。」

 神様にすがる罪人の様に、僕は女の子にすがっていた。

 もしその答えの代価として僕の命が望まれるなら、僕は喜んでさし出すに違いない。 

 だけど、そんな僕に向かって女の子は言った。

 「それじゃ、駄目。」

 まるで、僕の心を見透かすかの様な言葉だった。

 「ここで、君が死んだとしても、それはあの娘の命の代価にはならない。ただ、死ぬ人間が一人、増えるだけ。」

 そう言うと、ふわりと宙から降りて僕の目の前に立った。

 ふわふわの雪溜りに立ったというのに、そこに足跡もつかない。

 僕の前に立つと、本当に小さい。小学校の高学年くらいだろうか。

 「だけど、今の君じゃどの道無理かな。あの娘の事は守れないし、君自身もここで死ぬ。」

 突き放す様な、冷たい言葉。

 だけど、真っ直ぐに見上げてくるその目に宿る光は、里香のそれと同じ様に強くて・・・そして優しかった。

 「どうなの?」

 女の子が問う。

 「君が誓ったのは何?あの娘と一緒に死ぬ事?それとも、あの娘を守る事?」

 「俺が・・・誓ったのは・・・。」

 そう。あの日、あの夜。あの暗い病室で、いっぱいに伸ばした手の先に、痩せて小さくなった里香の温もりを感じながら、半分の月の光の下で誓った事は・・・。

 「・・・・・・。」

 僕は半分凍りついた袖で、グイッと自分の顔を拭った。凍りかけた涙や鼻水が、小さな氷滴となってパラパラと散っていった。

 そんな僕の顔を見た女の子は、初めて微笑んだ。とても、とても優しく微笑んだ。

 「やれば出来んじゃん。」

 そう言って雪吹雪の向うを、そっと指差した。

 途端、一際酷い雪嵐が視界を遮る。

 「行きなよ。あの娘が待ってる。」

 吹雪の向うから、そんな声が聞こえた。

 一瞬の間の後、見ればもうその姿はなかった。まるで、幻の様に消えていた。ただ、その白い指が差した方向に、真っ直ぐに小さな足跡が続いていた。

 

        

                   ―10―

 

 

 夢を見ていた。

 あの時の夢。

 暗い病室と、白いシーツ。

 空に浮かぶ、半分の月。

 そして、いっぱいに伸ばした手の先には―

 

 薄っすらと目を開けると、暗い山小屋の光景が目に映った。

 そっと手を伸ばす。けれど、その手は空しく空を掴むだけ。

 ふと気付くと、胸の辺りがほんのりと暖かい。見れば、あの黒猫があたしの腕の中で丸くなっていた。

 「暖めて・・・くれてたの?」

 猫は金色の目であたしを見ると、そうだという様に一声ニャアと鳴いた。

 「変な子だね・・・。キミ。」

 あたしがそう言うと、今度は心外だと言う様にミャアと鳴いた。

 フフッと笑うと、漏れた息が白く染まる。 

 ゾクリ

 思い出した様に冷気を感じて、あたしは身体を震わせた。

 猫を抱いていた胸元を除いて、身体は冷え切っていた。

 確かに、小屋のおかげで風雪は凌げる。けれど、寒さそのものはどうしようもない。 

 身体が瘧にでもかかった様にぶるぶると震えて止まらない。この寒さの中では、あたしの着ている行楽用の防寒着なんて何の役にも立ってなかった。

 このままでは、凍死してしまうかもしれない。

 そんな考えが頭を過ぎり、さっきとは違う悪寒が背筋を震わせた。

 少し前のあたしだったら、こんな形の死でも受け入れていたかもしれない。

 だけど、今は嫌だった。絶対に、嫌だった。

 いつか来るだろうその時は、もうずっと前から覚悟している。

 だけど、こんなのは嫌だ。

 こんな寒さの中で。

 こんな暗闇の中で。

 たった一人で。

 彼のいない所で。

 絶対に嫌だった。

 「裕一・・・。」

 彼の名を呼び、唯一の温もりである猫を抱きしめようとする。その時、その温もりがスルリと逃げた。

 「あ・・待って!!」

 そう言って慌てて上半身を起こしたあたしは、自分の目を疑った。

 たった今まで何も無かった筈の空間に、女の子が立っていた。

 年は小学校高学年くらい。暗闇にボンヤリと浮かび上がる様に見えるその姿は、髪から服まで真っ白で、まるで雪の化身のようだった。ただ一色、靴の朱が闇になれた目に強く焼きついた。

 その娘はあたしを見て優しく微笑むと、自分の腕に収まった黒猫に向かって言った。

 「お疲れ様、ダニエル。」

 すると、

 「まったくだよ。ホントにおせっかいなんだから。モモは。」

 喋った。猫が。

 混乱するあたしを他所に、一人と一匹の会話が続く。

 「―で、モモの方は?うまくいったの?」

 「う~ん。大丈夫なんじゃない?あの調子なら。」

 「何それ?あてんなんないなぁ。」

 そんな事を言い合う内に、女の子がふとあたしを見て、また二コリと微笑んだ。 それは幼いのに妙に大人びた、けれど本当に優しい微笑み。呆然とするあたしの中の恐怖や不安を、全部溶かしていく様だった。

 「がんばったね。もう、大丈夫だから。」

 「・・・え?」

 あたしがどういう事かを聞き返す前に、その姿がふわりと消えた。

 まるで、淡雪が溶ける様に。

 「―もうすぐ、彼が来るよ。」

 そんな言葉を残して。

 そして、呆然と座り込んだあたしの目の前で、小屋の戸がバン!!と開いた。

 

 戸を開けた裕一は、しばらくの間あたしがここにいる事が信じられない様に、ただそこに突っ立っていた。

 あたしはあたしで、目の前に彼がいる事が信じられずに、ただ床に座り込んでいた。

 しばらく見つめあった後、先に動いたのは裕一だった。

 一瞬、頭がクラクラした。

 彼が、体当たりする様な勢いで抱きついて来たのだ。  

 「里香!!里香!!里香!!」

 裕一はあたしの名前を叫ぶように連呼しながら、力いっぱい抱きしめてきた。

 うるさいやら苦しいやら、おかげであたしの方がすっかり冷静になってしまった。

 とりあえず、苦しいので思いっきり突き飛ばす事にする。

 「グヘェ!?」

 不意をつかれた裕一はそんな声を上げて、ゴロゴロと戸の外まで転がっていった。

 「な、何すんだよ!?」

 「うるさい!!やかましいし苦しいし気持ち悪い!!」

 「あ、あのなぁ!!」

 「いいから、そこ閉めて!!寒いでしょ!!」

 裕一は何かブツブツ言いながらも、開きっぱなしだった戸を閉めた。

 吹き込んでいた風がピタリと止んで、お互いがホッと息をついた。

 そして、少しの間があって。

 ―だから、今度はあたしの番。

 あたしは裕一の身体を、後ろからそっと抱きしめた。

 背負われてたリュックが少し邪魔だったけど、両手をいっぱいに伸ばして、彼の身体を包んだ。

 彼の身体が、驚きと緊張で硬くなるのがわかった。

 「お、おい、里香・・・なんだよさっきは・・・」

 「うるさい!!」

 一括すると、彼はすぐ黙ってしまう。いつもの事だ。そのいつもの事が嬉しかった。

 「遅いよ・・・。馬鹿・・・。」

 「・・・わりぃ・・・。」

 彼はそう言って、前で組んだあたしの手に自分の手を重ねてきた。

 彼の温もりが心地良い。少しでも逃がさない様に、抱きしめる腕に力を込めた。

 

 

                   ―11―

 

 

  裕一が、火を起こしてくれた。

 小屋の中にあった囲炉裏に、同じ様に小屋の中にあった木切れをくみ上げて、それに持ってきてたマッチで火を点けた。

 チロチロと小さな炎が、暗闇に沈んでいた小屋の中をぼんやりと照らし出す。やがてゆっくりと、微かな、けれど確かな暖気が部屋の中を満たし始めた。

 「あったかいね。」

 そう言うと、

 「そうか?」

 そう言って、裕一は得意そうにニッと笑った。

 

  焚き火のおかげで大分暖まったとはいえ、小屋の冷気を完全に払うには至らなかった。

 見れば、里香はまだ青い顔で小刻みに震えている。

 僕は自分のジャケットを脱ぐと、それを里香に被せた。

 「裕一?」

 「俺、大丈夫だから。着てろ。それからこれ。」

 そう言って、僕は身に付けてたありったけの懐炉を里香のジャケットの中に突っ込んでやった。

 里香はきゃっと小さく叫んで、エッチだの変態だの騒いでいたが、取り敢えず無視した。

 ―さて、格好はつけてみたものの、寒いのは僕も同じだった。まぁ、火は焚いているわけだし、セーターは着ているわけだから、凍死はしないだろうと自分を納得させ、どっかと炉辺に腰を下ろした。下ろしたはいいが、やはり身体は正直だ。ブルブルと身体が震え、歯がガチガチ鳴り出した。気合で抑えようとしたが、そこは悲しきかな、人間であるが故の生理現象。僕の気合如きでは頑として言う事をきかなかった。

 「裕一。」

 「ん?」

 名を呼ばれ、歯をカタカタ鳴らしながら里香の方を見る。

 見ると、里香がジャケットを半分広げてこっちを見ていた。

 「おいで。いっしょに、入ろう。」

 少し、いや、かなりドキリとした。

 「ば、馬鹿。それ、一人用だぞ。二人いっしょじゃ小さいって・・・」

 「いいから。言う事聞きなさい。」

 「・・・はい。」

 こんな時、僕は彼女に抗う術を知らない。すごすごと里香の広げたジャケットの中に入る。格好悪い事この上もない。

 それでも、二人分の温もりは容易く独り身の寒さを溶かす。情けない歯の音は程なく止まり、気付けば二人分の息遣いと吹雪の音だけが静かに小屋の薄闇の中に響いていた。

 里香の呼吸が、鼓動が、温もりが、密着したジャケットとセーターを通して伝わってくる。

 僕はせめて彼女のそれより高鳴る自分の鼓動が、里香にバレない様に祈るばかりだった。

 それからしばらく、僕達は司のくれたカロリーメイトを食べたりして過ごした。

 「裕一。」

 「うん?」

 不意に呼ばれて横を見ると、里香がこっちを見ていた。

 薄闇の中で、暗く深い瞳が僕を見つめている。

 「どうして、ここが分かったの?」

 「あー、それは、だな・・・」

 さて、困った。幽霊に案内されたなんて馬鹿げた話、この女にしたらなんて言われるか分かったもんじゃない。

 「あ、足跡だ、足跡。お前の足跡を見っけてだな・・・」

 「あたしが小屋(ここ)に来てからどのくらい経つと思ってんの?この吹雪の中で、足跡なんて残ってる訳ないじゃん。」

 その通りだ。僕がたどって来た足跡は里香のものじゃない。里香のそれよりも小さい、恐らくはあの白い娘がつけた足跡。

 「裕一、なんか隠してない?」

 「えー、あー、それは、その・・・」

 里香がぐっと顔を近づけてくる。

 「裕一?」

 「その・・・」

 里香の目が剣呑な光を放った。

 ヤバイ!!と思った時にはもう遅い。

 里香の両手が、悪魔の魔手の様に伸びてきて僕の口の両側を掴む。そのまま力いっぱい、グイーと外側に引っ張ってきた。

 当然、痛い。

 「ひ、ひふぁい、ひふぁい!!やへろって!!」

 悲鳴を上げる僕の口をさらに上下に嬲りながら、里香は小悪魔の笑みを浮かべる。

 「言う気になった?」

 「わ、わひゃった、わひゃった!!」

 こうなりゃ自棄(やけ)だ。馬鹿にでも阿呆にでもすればいい。僕は洗い浚いぶちまけた。

 ところが、里香の反応が予想外だった。

 大笑いするかと思いきや、目を丸くして驚いている。

 「・・・あたしも見た。その娘・・・。」

 「・・・へ?」

 そして里香は話し出した。雪崩に弾き飛ばされて、谷の下に落ちた事。目が覚めた後、黒猫にここまで案内された事。凍えそうな中、その黒猫に助けられた事。小屋の中に突然現れた白い少女の事。その少女と猫の会話の事。そして、その両者が雪の様に消えた事。

 唖然とした。

 話だけで言ったら、そっちの方が荒唐無稽だ。

 だけど、僕にはその話を笑い飛ばす事は出来ない。

 なにせ、僕自身がその白い少女に助けられているのだから。

 僕達はそのまま、黙りこくってしまった。

 再び、小屋の中は再び二人の息遣いと吹雪の音だけの世界になった。

 「・・・雪童子(ゆきわらし)?」

 だから、里香が独り言の様に呟いたその言葉は、ひどく大きなものになって僕の耳に響いた。

 

 

                   ―12―

 

 

 「何だよ?その雪童子(ゆきわらし)って。」

 僕の言葉に、里香むっとした様な顔になって返してきた。

 「さっき教えたじゃない。宮沢賢治の「水仙月の四日」に出てくるキャラクター。」

 さっき?いつだ?

 「ほら、旅館の中で・・・」

 しばらく頭を捻って、ようやく思い出した。そうそう、旅館で保険医の先生の所から戻る途中の話だ。

 数時間前の話なのに、今思うと遠い昔の事の様に思える。

 「裕一ったら、すぐ忘れるんだもん。」

 「しょうがないだろ。読んだ事ないんだって。それにほら、こんな事あったから・・・」

 むくれる里香に、僕は必死で弁解した。こんな所で機嫌を悪くされたら、折角収まっているジャケットの中から蹴り出されかねない。そんな事になったら、また寒い小屋の隅に逆戻りだ。そして何より、僕は今のこの状況を終わりにしたくなかった。

 「しょうがないなぁ・・・。」

 里香はそう言って溜息をつくと、こう言った。

 「それじゃあ、あたしが、話してあげる。」

 ・・・へ?何言ってんだ?この女。

 「だから、あたしが話して聞かせてあげるって言ってるの!!」

 な、何ですと!?

 「お、お前、その話暗記してんのか!?」

 「何度も読んだし。それに短い話だもの。覚えるんじゃない?普通。」

 いやいやいや。普通じゃないから。少なくとも、何度か読めば小説の中身を暗記出来るなんて常識は、僕の中にはない。

 「何よ?何か文句でもあるの?」

 いえいえ、ありませんよ!文句なんてありません。僕がそう意思表示をすると、里香の顔からやっと険がとれた。

 「じゃ、始めるから。言っとくけど、途中で居眠りとかしたら蹴り出すからね?」

 「お、おう。」

 やっぱり考えてやがったか。なんて思ってる僕を他所に里香は一呼吸すると、ゆっくりとその物語を語りだした。

 「雪婆んごは、遠くへ出かけておりました・・・」

 

 

 ―その頃、そんな二人を見守りながら、その娘と一匹はフワリフワリと浮いていた。

 周りを吹き荒ぶ風も、吹き付ける雪も関係ないという風に、フワリフワリと浮いていた。

 「いい絆を繋いでるね。あの二人。」

 「覗き見みたい。趣味悪いんじゃない?モモ。」

 「何か言った?ダニエル。」

 主人に横目で睨まれ、背中に黒い羽を生やした黒猫はプルプルと首を振る。その度に、首にぶら下げた大きな鈴がリンリンと鳴いた。

 「それよりさ、何か勘違いされてるよ。ボク達。」

 「みたいだね。雪童子(ゆきわらし)だって。あたしが雪童子なら、さしずめダニエルは・・・」

 白い少女は少し意地悪気に笑って、傍らの相方に声をかける。

 「「雪狼(ゆきおいの)」って所かな?」

 「な、何だって!?」

 それを聞いた黒猫は、憤慨しながら少女の周りをクルクル回り始める。

 「ボクは天上に名だたる仕え魔を輩出した名家、「アラーラ家」のダニエル・ド・アラーラだぞ!!それをあんな、野蛮な描写の連中と・・・」

 「はいはい。」

 喚き散らす相方を軽くいなすと、少女はまた“その二人”に目を向けた。

 

 「・・・アンドロメダ、あぜみの花がもう咲くぞ、おまえのランプのアルコオル、しゅうしゅと噴かせ。」

 里香の語りは、まるで歌う様だった。

 薄く目を閉じ、スルスルと記憶の蔦を辿るその声に、僕はいつの間にかすっかり聞き惚れていた。

 短い話だと言っていたけど、いったいどれ程の長さなのだろう。今ではその事が悔やまれる。僕はもっともっと、この声を聞いていたかった。

 僕の頭では、後で詳しく内容を言ってみろと言われたら困るけれど、取り敢えず大まかな話の態だけは把握出来た。

 寒い冬の日、水仙月の四日と呼ばれる日に繰り広げられる、雪童子(ゆきわらし)と一人の子供の物語。

 憲治独特の、柔らかい文体に里香の声はとても良く合っていた。

 件の女の子の姿と、雪童子(ゆきわらし)の描写に差があるとか、雪童子(ゆきわらし)が連れているのは雪狼(ゆきおいの)なのに、さっきの女の子が連れていたのは黒猫だったとか、気になる所はあったけれど、そんな事は里香も承知だろう。

 突っ込むだけ、無粋というものだ。

 小屋に満ちる、澄んだ冬の空気の中に、里香の語りは静かに流れては消えていく。

 さっきまで忌まわしかった空気の冷たささえが、この語りの前では気のきいた演出の様に思える。

 僕はその語りを一文字一句、聞き逃さない様に精神を集中させた。

 どうかこの一時が、少しでも長く続く様に。流れる声に耳を傾けながら、僕はただそれだけを願った。

 

 「綺麗な語り・・・。」

 「本当。」

 吹雪の中でその語りに耳を傾けながら、白い少女と黒い猫はお互いに頷き合っていた。

 「ねえ、ダニエル。」

 「何?モモ。」

 「お礼をしようか?」

 「は?お礼?」

 少女はそう言うと、その意を汲みかねている相方をヒョイと抱き上げて微笑む。

 「ちょ、モモ、何を・・・ってうわぁああああああ!?」

 その笑みに不穏なものを感じた黒猫が、その真意を聞こうとするその前に、少女は猛スピードで上昇を始めた。

 あっと言う間に吹雪を抜け、ついたのは遥か空の彼方。雲の上。月の真下。

 明るく照らす月明かりの中で、少女はパッと抱いていた黒猫を放した。

 「モ・・・モゥモ~、一体何する気なのさぁ~?」

 半分目を回しながら彼女を見ると、その手にはいつの間にか握られた、本人の背丈の倍はある長さの鎌。

 「うん。こうするの。」

 少女は微笑んで、月明かりに鈍く光るそれを大きくブルンと振るった。

 冷たい大気が鋭く裂かれ、その下にある雲がそれに薙がれ、大きく流れる。

 「ああ、なるほど・・・ってモモ!?」

 「なぁに?ダンちゃん。」

 「ダンちゃんって呼ぶな・・・じゃなくて駄目だよ!!自然の秩序に関わる事に直接手を出しちゃ・・・」

 そう言いかける相方に、少女はニコニコしながら問いかける。

 「あの二人は死ぬ予定だっけ?」

 ニコニコ。

 「・・・いや、だけど・・・」

 「この嵐で、死ぬ予定の人がいたっけ?」

 ニコニコ。

 「いない・・・けど・・・。」

 「じゃあ、いいよね?」

 ニコニコ。

 「う~・・・」

 「う~?」

 あくまで、ニコニコ。

 「あー、もう分かったよ!?勝手にすれば!!」

 「うん。勝手にする。」

 そう言って、少女は鎌を振るう。

 舞う様に。踊る様に。クルクル、クルクル。鎌を振るう。

 いつもなら、人の命を刈り取るために舞うそれを。

 いつもなら、死した魂を導くために踊るそれを。

 今は人の命を救うために。

 二人の幸せを守るために。

 少女は踊る。

 いつもは涙と共に舞うそれも。

 だから今は微笑みとともに。

 クルクル、クルクル、少女は舞う。

 それと共に振られる鎌が空を切る度、厚く空を覆っていた雲は薙がれ、裂かれて散っていく。

 やがて、大地を覆う吹雪を吐いていた雲は散り散りとなり、澄んだ夜空に浮かんだ半月が、地上を明るく照らし出し始めていた。

 

 

                   ―13―

 

 

 ウトウトしていた僕は、不意に射した光にふと目を覚ました。

 見ると、小屋の窓から光が差し込んでいる。気付けば、それまで唸る様に聞こえていた吹雪の音が止んでいた。

 「ん・・・なぁに?裕一・・・。」

 僕に身を寄せて眠っていた里香も、僕が身動ぎしたせいで目を覚ました。

 「あ・・・吹雪、止んでる?」

 里香と僕は、そろって窓から外を覗いた。

 

 ・・・いつしか雲の消えた空。そこに、無数の星とともに大きな半月が浮かんでいた。

 太陽の様に強くはないけど、優しく、柔らかい光。

 深々と降り注ぐその光が、大地を覆った真っ白な雪に反射して、キラキラと世界を明るく照らし出していた。

 月の光と雪の光。その二つの光に包まれた光景は、息を呑むほどに綺麗だった。

 「わぁ・・・。」

 僕の横で、里香が感嘆の声を漏らす。

 子供の様に目を輝かせてその光景に見入る里香の顔は、それに負けないくらい綺麗だった。

 僕は外の光景に見入る振りをしながら、その顔を心に留めた。いつまでもいつまでも残る様に、強く心に焼き付けた。

 

 ―やがて僕達の無事を見届ける様に、空に輝いていた半月は山の向うへと消え、代わりに眩しい朝日が白い世界を輝かせ始めた。

 

 そして数時間後、僕達は小屋を発見した救助隊によって保護された。

 救助隊の人達に連れられて旅館に戻った僕達を待っていたのは、たくさんの歓声と同じくらいたくさんの涙だった。

 僕は帰った途端、鬼大仏に頬を思いっきり引っぱたかれて雪の上に転がった。

 その後、鬼大仏は僕と里香を痛いくらいに抱き締めると、誰にも聞こえない様にボソリと言った。

 「良くやったな。戎崎。」

 その時の鬼大仏の、怒った様な照れた様な、それでいて微笑んでいる様な顔を、僕は一生忘れないだろう。

 例の二人組、松島加奈と長瀬千恵は里香に向かって泣きながら、何度もあやまっていた。里香も最初はいいよいいよと言っていたけれど、二人がさっぱりあやまる事を止めないので、最期には苦笑しながら黙って二人の頭を優しく撫でていた。

 泣いていたのはみゆきも同じだった。涙で顔をクシャクシャにしている彼女の横に立っている司の頬には、僕と同じく、大きな手形がついていた。

 僕と司はお互いに顔を見合って、ウハハ、と笑い合った。

 

 心配された里香の心臓は、救助隊に同行していた医師によって取り合えずは大丈夫だろうと診断された。けれど念のため病院に行って検査を受けた方がいいだろうという事で、里香だけ先に救助隊の車で帰る事になった。

 本人は至極残念そうにしていたけれど、仕方ない。

 場合が場合。お得意のわがままを言う事も出来ず、里香はスキー場を後にした。

 僕の方は、心配された低体温症も起こしておらず、何の心配もなしという事で予定通り皆と一緒にバスでの帰宅となった。

 

 帰りのバスに乗る直前、僕は小屋のある方向を振り向いてみた。けれど、そこにはただ、いつもの通りのスキー場の風景が広がっているだけだった。                            

 

                            

                   ―14―

 

 

 「二人っきりで一夜過ごしたんだって?何か進展はあったのかい?」

 「な、何もないですよ!!ある訳ないでしょ!!」

 検温に来た亜希子さんにそうからかわれ、僕は真っ赤になって喚いた。

 ベッドの上の里香も、同じ様に真っ赤だ。

 ここは市立若葉病院。スキー場の最寄の病院で一通りの検査を受けた里香は、その後さらに大事をとって掛かりつけのこの病院に移され、一週間の検査入院となっていた。

 亜希子さんは散々僕と里香をからかうと、ケタケタと笑いながら病室を出て行った。

 まったく、なんて看護師だ。

 「裕一。」

 憤慨する僕に、里香が話しかけてきた。何だと訊くと、屋上に行きたいという。行きたいってお前、足捻挫してるだろと言うと、僕に向かって両手を伸ばしてきた。

 ああ、そういう訳か。

 

 「ほら、着いたぞ。」

 そう言って、僕は背負ってきた里香を降ろした。

 「ん。」

 里香は礼を言う訳でもなく、屋上の床に足を着くと、そのままヒョコヒョコと屋上のフェンスの方へと歩いていく。

 「おい、無理すんなよ!!足、捻挫してるんだぞ!?」

 慌てて駆け寄って手を貸すと、じゃあ連れてってとその身を預けてきた。

 僕は半ば抱き締める様に里香の身体を支えると、そのままフェンスの方まで連れて行った。

 里香はフェンスの金網を掴んでその身を支えると、その向こう側の景色をじっと見つめた。

 その方向は、例のスキー場のある方向だ。

 「ねえ、裕一。」

 「ん?何だよ。」

 「夢じゃ、なかったよね。」

 里香の問いに、あの夜の事だと悟った僕は黙って頷いた。

 「何だったのかな?あの娘。」

 その問いに対する答えは、僕だって持っていない。だから、こう返した。

 「雪童子(ゆきわらし)だろ?」

 「ほんとに、そう思ってるの?」

 「ああ。だから、雪婆んごの目を盗んで、助けてくれたんだろ?」

 あの夜、里香が話聞かせてくれた物語に出てくる雪童子(ゆきわらし)は、優しかった。

 雪の山で迷った子供を、とってしまえと言う雪婆んごの命に背いて助けてくれる。

 その時、雪童子(ゆきわらし)が子供にかける言葉は、冷たくて優しい。

 ちょうど、真っ白だったあの娘の様に。

 だから。

 「いいだろ。そういう事で。」 

 「・・・そうだね。」

 そう言うと里香は、僕によりかかる様に身を寄せてきた。

 僕はそれを、そっと抱きとめる。

 「あ、雪。」

 里香が空を見上げて言う。

 つられて僕も見上げると、灰色の空から白い結晶がフワフワと落ちてきていた。

 それを手に受けながら、里香がその詩を口にする。

 僕もそれにならって、覚えたばかりのそれを紡いだ。

 

 ―カシオピイア、もう水仙が咲き出すぞ

  おまえのガラスの水車

  きっきとまわせ。

 

  アンドロメダ、あぜみの花がもう咲くぞ

  おまえのランプのアルコオル

  しゅうしゅと噴かせ―

 

 空から舞い落ちるそれは、町をゆっくりと冬の色に染めていく。

 振り落ちる幾つもの結晶の中、それと戯れる様に舞う、あの真っ白な姿が見えた様な気がした。                                                     

 

                                   終わり

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