半分の月がのぼる空・二次創作短編集   作:土斑猫

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ある日、里香はみゆきに占いの館に誘われる。
ある悩みを抱えていると言うみゆきと、彼女を心配する司。
そんな彼女達を案じ、里香と裕一は共についていく事を決める。
ただ、その先で待っていたのは――

「半分の月がのぼる空」を舞台にした、ちょっと不思議な物語。


ー羽占いー

                    ―1―

 

 

 女子は占いが好きだ。

 雑誌の星占いのコーナーを見て一喜一憂したり、訳の分からないカードを買ってきていじってみたり、好きな男が出来たら誕生日や血液型を聞き出して攻略法を占ったり、果てには「こっくりさん」とか「エンジェルさん」だとか怪しげな儀式に手を出す連中もいたりする。

 そういうのに興味のない僕としては、その気持ちは良く分からない。正直馬鹿らしいと思うし、あのカードと説明書一式で、カメラのフィルムが何個買えるかなどと考えてしまう。

 その点に関しては里香も同じで、他の女子みたいに「こっくりさん、こっくりさん、おいでください」とか言ってキャアキャア騒いだりしない。

 生まれてからずっと、今だけを信じて生きてきた里香にとって、占いによってもたらされる曖昧な未来や胡乱な予想など、取るに足らないものなのだろう。

 クラスの女子達が占いに興じる中、里香はその輪に加わる事なく本のページをめくっているのが常だった。

 

 

 そんなある日。金曜日の放課後。帰ろうとしていた僕と里香は司とみゆきに呼び止められた。

 「何だよ?」

 放課後の里香との一時を邪魔された僕は、些か不機嫌な調子でみゆきに訊ねた。そんな僕を無視する様に、みゆきは里香に話しかける。

 「ねえ、里香。明日、ちょっと付き合ってくれないかな?」

 「何?」

 「明日ね、ちょっと「Fortune Silhouette」に行ってみようと思って……」

 「フォーチュン・シルエット?」

 何だ?それ。

 里香も同じ気持ちらしく、キョトンとした顔をしている。

 「何?それ」

 「知らない?最近駅前に出来た、占いの舘。安くて、よく当たるって評判なの」

 占いと聞いて、里香が眉を潜める。

 「占い?どうしてそんな……?」

 「それは……」

 口ごもる、みゆき。何か、いつものみゆきらしくない。

 「……おい、一体どうしたんだよ?」

 僕はヒソヒソ声で、一歩離れて立っていた司に訊ねる。みゆきも里香同様、占いなんてものには興味を示さない口だった筈だ。それが何で、占いの舘なんてものに行こうなんて言い出したのか。何かあったとしか思えなかった。

 司は少し迷った後、やっぱりヒソヒソ声で返してきた。

 「うん……。実は水谷さん、この間の模試が良くなかったらしいんだ」

 「模試が?」

 「うん。第一志望の大学の判定が下がっちゃったんだって。それで、酷く落ち込んじゃって……」

 なるほど。

 司は卒業後、東京のなんとか言う料亭に修行に行く事になっている。そして、みゆきの第一志望の大学も東京だった。

 そう。二人は一緒の約束をしていた。

 二人でこの町を出て、二人で歩いていくつもりだったのだ。

 だけど、ここに来てそれに影が射したという訳だ。

 今の時期、もう期限は本当のギリギリだ。残り僅かの時間で、全てを決めなくてはいけない。

 「塾の先生にも、学校の先生にも、第一志望は無理して狙わずに、第二志望に的を絞った勉強をする様に言われたって……」

 司が、寂しそうに言う。

 僕はそうか。と頷く。

 ただでさえ、受験生にとってはナイーブになる時期だ。模試でそんな評価を受けたあげく、先生達から口をそろえてそう言われれば、心も揺らぐというものだろう。

 もっとも、先生達の言う事は当たり前かもしれない。彼らの役目は、生徒を無事次の進路へと差し渡す事だ。今ここに来て危ない橋を渡らせるよりは、確実な安パイを進めるのは当然だろう。

 だけど、僕達はそんな合理的な理屈だけで出来てはいない。譲りたくないものだってあるし、失いたくないものだってある。例え、それで人生を少し遠回りする事になっても。大人から見れば馬鹿らしい事この上もないだろうけど、僕達にとってはそれは間違いなく大切な事なのだ。

 ただ、みゆきの心情は概ね察せたけど、それでもまだ腑に落ちない事がある。僕は重ねて司に訊いた。

 「それで、何で占いの舘に行くなんて話になるんだよ?」

 「訊きたいんだって」

 「何を?」

 「自分が、第一志望に受かれるかどうか」

 「はぁ?」

 思わず僕は、呆れた様な声を出してしまった。

 「それって何か、方向性が間違ってないか?」

 僕の言葉に、司は「うぅん」と困った様な顔をした。

 「水谷さん、今、本当に自信なくしてるんだと思う」

 「みたいだな」

 「それで、何て言ったらいいのかな?こう、拠り所になるものが欲しいんじゃないかな?」

 言葉を選ぶ様に、何度も口篭りながら司はそう言った。

 「拠り所?」

 「うん」

 ああ、そうか。それで分かった。

 みゆきは今、すがるものを求めているのだ。

 単純に、半ば惰性に流されて進路を選んでいた頃ならともかく、今のみゆきには目的がある。

 司と共に歩むという、目的が。

 そりゃあ、純粋に学問を究めたいとか、優良企業への就職とか、そんな明確な将来を目指して進学する連中からしたら、ちゃんちゃら可笑しい目的かもしれない。

 だけど、今のみゆきにとってそれは何よりも大切な事。大事な人間と、共にいたいと言う想い。それが、本人にとってどれだけ大きなものか、僕には分かる。

 人間の手は二本しかない。それで何かを抱き締めてしまったら、もう他のものは持てはしない。そこに何を抱き締めるかは、その人間の自由。

 堅実な将来。

 ささやかな夢。

 家族の生活。

 そして、たった一人の人間。

 それは、誰もが皆、平等に与えられた権利。

 みゆきはそれに、司を選んだ。僕が、彼女を選んだみたいに。

 それだけの話だ。

 だけど、世の中ってのはそう優しく出来てはいない。いろんなものが、折角抱き締めたものを奪っていこうとする。囁き、揺さぶり、時には力ずくで。そして、多くの人間はそれに負けて大切に抱き締めていた筈のものを手放してしまう。

 みゆきは今、その瀬戸際にいるのだ。司と見るあえかな夢を、現実という圧倒的な力に押し流されようとして、喘いでいる。もがいている。

 そんな中で、必死になって探しているのだ。揺れる波の中で、自分の手を括り付けるものを。飲み込もうとするうねりの中で、自分の身体を委ねられるものを。

 例え、それがどんなに曖昧なものでも。

 例え、それがどんなに胡乱なものでも。

 自分の想いがすがれるものを、求めているのだ。

 みゆきの想いは、恋に盲目になった挙句の浮ついたものではない。考えて考えて、その果てにたどり着いた答えだ。だけど、その事を学校や塾の先生の様な、大多数の大人は理解してくれない。言って見た所で、何故第二志望ではいけないのかと訊かれるだけだろう。素直に想いを打ち明けても、色恋に迷って進路を選ぶなんて馬鹿な真似をするなと、否定されるのがオチだ。

 今の心理状態でそんな事を言われたら、それこそ泣きっ面に蜂と言うやつだ。みゆきは今、それを一番恐れているのだろう。

 何の事はない。

 みゆきは、言って欲しいのだ。

 想いは実ると。

 自分の想いは必ず実ると、誰かに言って欲しいのだ。

 「僕が、何か出来ればいいんだけど……」

 司が、心苦しそうに言う。

 そう。僕達では駄目なのだ。

 当事者である司や、僕達友人が「大丈夫」と言ったところで、それはみゆきの意にあつらえて作った上っ面だけの言葉に過ぎない。みゆきが望むのは、人情が絡まない、客観的な立場からかけられる肯定の言葉。

 全く、酷く難しい注文だ。

 そんな自分の欲求に悩みに悩んで、行き着いたのが「占い」。

 確かに、占い師なら見ず知らずの第三者。余計な人情が絡む余地はない。その上、客商売なのだから、こちらの意にそった答えを言ってくれる可能性は高い。

 だけど――

 「だけどよ、そんなんで良いのかよ?根本的な解決になんねぇだろ」

 「そんな事、水谷さんも分かってるよ」

 司は少し怒った様に言って、そしてまたすぐにしょぼくれる。

 「……それでも、行きたいんだって」

 「……そうか」

 病状は、こちらが思う以上に重篤な様だ。里香と話しているみゆきの後姿を見る。その背中は酷くか弱げで、いつものみゆきとは別人の様に思えた。

 

 

 その日の帰り道、僕は自転車を押しながら里香と話していた。

 「で?結局行く事にしたのか?」

 「うん。何だか、一人で行くのは不安なんだって」

 「不安?」

 その言葉に、僕は首を傾げる。

 「色々言われて、変な宗教に勧誘されたり、高い開運グッズ買わせられたり……」

 「おいおい!!そんなヤバイ奴の所なのかよ!?」

 慌てる僕に向かって、里香はやんわりと首を振る。

 「ううん。クラスに何人か行った娘がいて、その娘達に一応訊いてみたりはしたみたい」

 「……で?」

 「そんな事は、なかったって」

 何だ。

 ホッと胸を撫で下ろすと、今度は逆に疑問が湧いてくる。

 「そこまで調べてんなら、何でそんな心配してんだよ?」

 僕の問いに、里香は人差し指を唇に当てて考える素振りをする。

 「う~ん。多分、理由付けなんじゃないかな?」

 「理由付け?」

 何の事だ?僕はまた首を傾げる。

 「ほら、みゆきちゃんって、今までそういう事に興味持たなかったでしょ」

 そんな僕の疑念を察する様に、里香は話し出す。

 「それが、急に占いの館(そんな所)に行くって決めて、何かこう、漠然とした不安が出てきちゃったんじゃないかな」

 ああ、なるほど。未知に対する恐怖というやつか。それなら、分からなくもない。

 「だから、誰かに一緒にいてもらいたいんだけど、そんな不安、説明のしようがないから、あんな分かりやすい理由付けをしたんだと思う」

 なるほど。筋は通っている。

 恐らく、その通りなんだろう。

 それにしても……

 「そんなに不安なら、はなっから行かなきゃ良いのにな」

 そんな言葉が、口をついて出る。だけど、それにも里香は首を振った。

 「駄目。もう“行かない”って選択肢が頭に浮かばないみたい。どう話しても、結局「行ってみてから……」って話に戻っちゃう」

 ……まぁ、予測出来てた答えだ。

 そんな簡単に思い止まる程度なら、最初からこんな選択選びはしないだろう。

 「……大分、煮詰まってんな」

 「うん」

 「……重症だな」

 「うん」

 溜息をつく僕に倣う様に、里香も溜息をつきながら頷く。

 「だから、行く事にしたの」

 「どういう事だ?」

 「言ったでしょ?みゆきちゃん、大分追い詰められてる」

 「だな」

 「今の精神状態じゃ、一人で行かせたら、そっちの方が危ないと思うの」

 「何がだよ。その占い師、変な事はしてこないんだろ?」

 「それはその娘達から聞いた範囲内での話でしょ?もし、そいつが人を選んでたとしたら?」

 「あー」

 里香の言わんとしている事が、ようやく分かった。里香は、占い師が猫を被っている可能性を危惧しているのだ。 もし件の占い師が訪れる客を見て、対応を変えているとしたら?遊び半分や、しっかりした意思をもった人間が相手の時には普通に応対して、これはと思った人物には掌を返した真似をしてくる事は充分に考えられる。占い師なんてものを商売にしているくらいだ。人の心理を読むのは得手だろう。大体、そういう霊感商法に引っかかるのは心身不安定な人間と相場が決まっている。

 今のみゆきなら、絶好のカモだ。

 「だからね、行く事にしたの」

 僕が事の次第を理解したのを察した様に、里香は改めてそう言った。

 「大丈夫か?」

 そんな話を聞くと、今更の様に不安になってくる。心配そうな顔でそう訊くと、里香はニコリと微笑む。

 「大丈夫。なんかやばくなったら、襟首掴んで引っ張り出してくるから。」

 「いや、それもだけど……それだけじゃなくてさ……」

 「何?」

 「お前まで、巻き込まれたりしないか?」

 その言葉に里香は少しキョトンとして、そして不敵な笑みを浮かべる。

 「裕一、あたしがそんなのに引っかかると思うの?」

 「……思わない」

 考える前に、口が動いた。

 それを聞いた里香が、「でしょ?」と言ってアハハと笑う。

 僕も「だな」と言って、ウハハと笑った。

 「わりぃな」

 僕がそう言うと、里香が「何が?」と訊ねてくる。

 「みゆきの事。頼むよ」

 僕の言葉に、里香はうんと言って頷いた。

 

 

                    ―2―

 

 

 そんな事があった次の日――

 「「あー」」

 僕と司はお互いの顔を合わせるなり、そう声を上げた。

 「やっぱり」

 「来たんだ」

 二人の声が重なり合う。

 僕の傍らでは、里香が呆れた様な顔をして立っている。

 「大丈夫だって言ってるのに」

 里香が溜息をつきながら言う。

 「で、でもさ」

 「やっぱり、その……」

 ばつの悪そうな顔をしながら、僕と司は頭をかく。そんな僕達の様子を見て、里香がクスリと笑った。

 「しょうがないなぁ。じゃあ、皆で行こう。いいよね?みゆきちゃん?」

 「え……あ、うん……」

 戸惑いながらも頷くみゆき。決まりだ。僕達は連れ立って、目的の場所まで歩き出した。

 その途中、里香がそっと身を寄せてきた。何かと思っていると、僕の事をジト目で睨んできた。何か、不機嫌そうだ。

 「な、何だよ?」

 「何で、来たの?」

 「何でって……」

 「言ったよね?みゆきちゃんの事、頼むって」

 「お、おぅ」

 「信用出来なかったの?あたしの事」

 そう言って、不満そうに口を尖らせる。

 「いや……そういう訳じゃ……」

 「じゃ、どういう意味?」

 ジッと見つめてくる、黒い瞳。僕は、少しオドオドしながら答える。

 「や、やっぱり心配だったから……」

 「ほら、やっぱり信用してない」

 ふくれっつらが、ますますむくれる。

 「そうじゃねぇよ」

 「じゃ、何?」

 僕は、自分の胸の内を吐き出した。

 「みゆきもだけど……その、お前の方も……」

 「あたし?」

 里香が、キョトンとした顔をする。

 「裕一、自分で言ったじゃない。あたしはそんなのに引っかからないって」

 「そうは言ったけどさ……」

 上手い言葉が、見つからない。僕は頭をガシガシと掻き毟る。

 「ほら、もしその占い師に柄の悪い連中とかついてたら……」

 「はぁ?」

 そう。

 昨夜、家で今日の事を考えているうちに、だんだんと心配になってきたのだ。もし、件の占い師が里香がいう様な人物だったとしたら、その裏に黒幕がいるかもしれない。例えば、上に“ヤ”の字がつく人とか。もしそうだとしたら、流石にヤバイ。

 心配し始めたら、もう止まらない。妄想はドンドン進行した。

 

 目をグルグル回しながら、怪しい笑みを浮かべる占い師が差し出す、これまた怪しげな壺やら石やらに手を伸ばすみゆき。そんなみゆきの襟首を、引っ掴んで引っ張り出そうとする里香。それを見た占い師が、指を鳴らす。すると、後ろの垂れ幕の裏からゾロゾロと出てくる、柄の悪い黒服の男達。いくら里香でも、その手の連中に力ずくで来られたら敵う筈もない。男達に捕まる里香。そして里香みたいな美人を、そういう奴らがそのまま放っとく筈もない。そいつらは、自分達のボスの所に里香を連れて行く。(ちなみに、そのボスは革張りの豪華な椅子に座って葉巻を燻らせながら、膝に黒猫を乗せていたりする)ボスは里香を品定めする様に見つめた後、こう言うのだ。

 「上玉だな。よし、上海に売り飛ば……

 

 「裕一、漫画の見過ぎ……」

 里香が、半眼で僕を見ながら心底呆れた様に溜息をついた。

 「だ、だってさ。分かんないだろ!?世の中何が起こるか……」

 「そこまで行くと、ただの馬鹿だよ」

 身も蓋もない言われようだ。

 「……とにかくさ、心配だったんだよ……」

 些かシュンとしながらそう言うと、不意に里香がクスリと笑った。

 「な、何だよ……?」

 「ホント、裕一は馬鹿だなぁ」

 クスクス笑いながら、里香は「馬鹿だ。馬鹿だ」と繰り返す。そんなに連呼する事もないだろう。流石に僕がムッとしていると、右手にスルリと柔らかい感触が絡まってきた。ドキリとして見ると、里香の左手が僕の右手を握っていた。

 「そうか。裕一はあたしが心配か」

 里香はそう言うと、僕の顔を見た。その顔からは先刻までの不機嫌さはきれいさっぱり消えていて、代わりに上機嫌を絵に描いた様な微笑みが浮かんでいた。

 「じゃあ、しょうがないね」

 ニコニコと微笑みながら、里香が言う。

 「お、おう」

 里香の機嫌が直って安心する気持ちと、やっぱり女はよく分からんという思いをごちゃ混ぜに感じつつも、僕もそう言って微笑み返した。

 ふと前を見れば、司とみゆきが僕達と同じ様に手をつないで歩いている。何か安心した様に身をゆだねているみゆきを見て、僕はホッと息をついた。

 

 

                    ―3―

 

 

 「うわ……。何だよ、これ?」

 「すごいね……」

 目の前に広がる光景に、僕と司はそろって声を上げた。

 件の占いの舘は、ビルの隙間にスッポリと納まる様にして立っていた。黒い外装に中世の洋館を思わせる作りで、「いかにも」な雰囲気を湛えている。入り口の上には、こじゃれたデザインで「Fortune Silhouette」の文字。正直言って、周りの風景からは浮いている感を拭えない。

 だけど、僕達が驚いたのはそんな所ではない。僕達が驚いたのは、その入り口から伸びる人の群れ。

 なんじゃ、こりゃ。

 延々と伸びるそれは、端っこが視界の遥か先。休日とは言え、これじゃまるで朔日餅販売日の赤福みたいだ。しかも、並んでいるのがほぼ女ばっかり。みゆきが、付添い人に里香を選んだ理由が分かる様な気がする。確かに、この中に司みたいなゴツイ男が入っていたら目立つ事この上もないだろう。実際、その群から一歩離れて見ている僕らも、何か落ち着かない様な居心地の悪さを感じていた。

 ここは正しく、女の聖域なのだろう。

 それにしても、見れば見るほど列が長い。これ、並んだとして順番が回ってくるのにどれだけ時間がかかるのだろうか。

 僕は半ばうんざりしながら、里香に問いかける。

 「なぁ」

 「何?」

 「これ、並ぶのか?」

 「並ばなきゃ、しょうがないじゃない」

 里香は何を当たり前の事を、と言う様な顔で答える。

 「でもさ。これ、いつ順番が回ってくるか分からないぞ」

 「並ばなきゃ、永遠に順番は廻ってこない」

 「そりゃ、そうだけどさ……」

 ブツクサ言う僕を、里香は肘で突く。

 「今更、「やめよう」なんて言えると思う?」

 言われて見ると、みゆきがジッと人の列を見つめていた。いや、正確にはその列の行きつく先。「Fortune Silhouette」の扉の奥を見つめているのだ。その顔は酷く真剣で、何処か鬼気迫る雰囲気すらある。もう、最後の望みはここにしかないとでも言いたそうな気配だ。

 「……無理だな……」

 「でしょ」

 溜息をつきながら頷く僕に、里香が言う。

 「とりあえず、あたしとみゆきちゃんだけで行ってくるから、裕一達はそこらへんで時間潰してて」

 「ああ」

 そして里香はみゆきの手を取ると、列の端っこへ向かう。

 「おい、並んでる途中で具合悪くなったりしたら、すぐ連絡よこせよ!?」

 「うん。分かってる」

 「中に入って、何かやばそうな雰囲気になったら、すぐ呼ぶんだぞ!?」

 「うるさいなぁ。分かってるってば」

 そう言って、里香とみゆきは人の群の中へ加わっていった。

 「やれやれ……」

 「裕一、ごめんね」

 司が、申し訳なさそうに言う。

 「お前が謝る事じゃないだろ」

 僕は列に並ぶ里香達を遠目に見ながら、頭をかいた。

 

 

 その後、僕と司は舘の周辺の本屋やゲームセンターなんかをブラブラしながら時間を潰した。

 「久しぶりだね」

 不意に司が言った。

 「何が?」

 クレーンゲームで中の景品とにらめっこをしていた僕は、振り向きもせずに言った。もう少しで、クレーンの爪が狙っている景品に引っかかりそうなのだ。景品はWWEの大スター、レイ・ミステリオの覆面だ。当然、レプリカだけど、なかなか良く出来ている。さっきから何度か挑戦して、ようやく爪がかかりそうな位置まで引っ張り出したのだ。

 「こうやって、二人で遊び歩くの」

 司も、じっとクレーンの爪先を見つめながら続ける。

 「そう言えば、そうだな」

 以前は休日になると、よく司や山西とつるんでこうやってダラダラと町中を遊び歩いた。

 だけど、今は違う。

 僕には里香が出来て、司にはみゆきがいる。

 お互いがお互いに大切なものが出来て、時間の多くを彼女達と過ごす様になった。それに加えて受験の時期が近づいて来るにつれ、僕たちが共にいる時間はますます少なくなった。大学を受験するみゆきはもちろん、東京の料亭へ修行に出る司も、その準備で忙しいからだ。身の回りの整理。引越しの準備。修行先への下見や挨拶。住む所の確保。やらなければならない事は、いくらでもある。

 生きる場所を変えるという事は、そういう事だ。

 「……ねえ、裕一」

 クレーンの行き先を見守りながら、司が呟く。僕はクレーンを操りながら、「ん?」と気のない返事をする。5度目の挑戦。操作に合わせて、クレーンがゲージの右へと進んでいく。

 「僕さ、大丈夫なのかな……」

 司の声が、不安そうな言葉を紡ぐ。

 僕は、慎重にクレーンを動かすボタンを押す。

 ここだろうか。

 いや、もう少し右だな。

 「こんな時、どうすればいいか、分からないんだ」

 僕はクレーンを横に動かすボタンから指を離すと、今度は縦に動かすボタンに指を乗せる。

 「僕は、向こうに行った時、ちゃんと水谷さんを支えてあげられるのかな……?」

 ボタンに乗せた指に、力を込める。ウィーンという音を立てて、クレーンがゆっくりと奥にスライドを始める。

 「ちゃんと、守ってあげられるのかな……」

 クレーンが動く。

 奥へ。奥へ。

 もう少し。もう少し。

 「分からないんだ……」

 よし、ここだ。

 僕は指を離すと、「つかむ」のボタンを押した。クレーンが開き、ゆっくりと下に降り始める。

 「何で……」

 開いた爪が、マスクの上に被さる。

 よし。いいぞ。いいぞ。

 僕は、クレーンの先を注視する。

 「何で僕は……」

 爪が閉まる。マスクの端を掴んだ。下がる時と同じ様に、クレーンがゆっくりと上がり始める。掴まれたマスクが、一緒に持ち上がる。僕は、息をつめる。爪の先に、プラプラとぶら下がるレイ・ミステリオ。頬に付いた銀の鷹のマークが、照明の光を浴びてキラキラと光る。持ち上がったクレーンが、動き出す。

 ゆっくりと。ゆっくりと。

 取り出し口に向かって、クレーンは進む。

 もう10cm。もう5cm。

 キラキラと光りながら進む、レイ・ミステリオ。

 後、1cm。

 「水谷さんの隣に、いるのかな……?」

 ポトリ

 マスクが、爪から外れた。落ちたマスクは、取り出し口の筒にちょっとだけ引っかかると、そのままパサリと景品の群の中へ帰っていった。

 「あ、惜しい」

 司がそう言って、アハハ、と笑った。

 僕も、「ああ、ちくしょう」と言って、ウハハ、と笑った。アハハ、ウハハ、と僕達は笑い合った。馬鹿みたいに、笑い合った。

 ♪♪♪♪♪~♪♪♪~♪♪♪~

 胸ポケットの中の携帯が声を上げたのは、その時だった。

 

 

                    ―4―

 

 

 ゲームセンターの外に出ると、日はもう大分西に傾いていた。降り注ぐ西日の中、「Fortune Silhouette」へと急ぐ。僕達がたどり着いた時、もう里香とみゆきは建物の外にいた。

 「おぅ、待ったか……?」

 そう声をかけようとした僕は、思わずそれを飲み込んだ。

 悔しそうな、怒った様な顔をした里香。その横で、ベンチに座ったみゆきが泣いていた。

 「ど、どうしたの!?水谷さん!?」

 司が驚いた様に声をかけるが、みゆきは俯いたまま答えない。ただ黙りこんで、ポロポロと涙をこぼす。

 何だ!?これ!?

 なんか、さっきよりも酷くなってないか!?

 「お、おい!!何だよ!?何があったんだよ!?」

 「何も蟹もないわよ!!」

 僕の問いに、里香は怒りを隠さない声音でそう言った。

 

 

 「次の方、どうぞ」

 列に並ぶ事、二時間。あたし達はようやく「Fortune Silhouette」の建物の中に招き入れられた。

 「お二方ですか?」

 入り口に立っていた女性が、そう訊いて来る。

 「いえ。あたしは付き添いです」

 あたしの言葉に、女性は「そうですか」と頷くと、「占料を」と言ってきた。

 「お一人で、3千円になります」

 安くはないけど、高くもない値段。高校生(あたし達)でも、なんとか払える範囲。これが、ここが流行る理由の一つでもあるんだろう。

 みゆきちゃんから料金を受け取ると、女性は「奥の部屋へどうぞ」とあたし達を促した。入り口からは、奥に向かって一直線に通路が通っている。中は薄暗く、西洋のランプを模した照明がボンヤリと辺りを照らし出している。その通路を、みゆきちゃんと連れ立って歩いていくと、奥の方から歩いてくる人影が見えた。あたし達とは逆の進行方向。近づいてきたのは、一人の女の人だった。狭い通路で、あたしが道を譲るとその(ひと)は何も言わずあたし達の横を通り過ぎた。すれ違う瞬間、彼女の顔が目に入った。見覚えのある顔。確か、さっきまであたし達の前に並んでいた(ひと)だ。つまりは先客。占いを終えて、戻ってきたのだろう。だけど、気になったのはそんな事じゃあない。彼女は、泣いていた。手にしたハンカチを目に当てて、こぼれる涙を拭っていた。

 ……何だか、嫌な予感がした。

 隣を歩く、みゆきちゃんを見る。自分の事でいっぱいいっぱいの彼女は、件の女の人の様子には気付かなかったらしい。その事にホッとしつつも、あたしは内心穏やかではなかった。

 さっきの(ひと)の流していた涙。それが、どうにも不安を誘う。このまま、みゆきちゃんに占いを受けさせてもいいものだろうか。もう一度、隣を見る。みゆきちゃんの目は、相変わらず通路の奥だけを見つめていた。まるで、他の何もが眼中にないと言った表情で。

 あたしは、気付かれない様に溜息をついた。

 やっぱり、駄目だ。

 今の彼女に何を言った所で、聞く耳を持つとは思えない。それにどの道、ここまで来ておいて今更止めようとも言えない。あたし達は黙ったまま、薄暗い通路を歩いていった。

 

 

 やがて、通路の先に扉が見えてきた。その前に立ち、コンコンとノックをする。すると、扉の奥から「入りなさい」という声が聞こえてきた。若い、女性の声。取っ手に手をかけて、扉を開ける。その向うに広がっていたのは、淡い光に包まれた小さな部屋。灯りはランプ型の照明が数個と、部屋の奥に置かれたテーブルに灯された大きな燭台が二本。その神秘的な光の中に、あちこちに飾られた不思議な絵や、額縁に入ったカード等が揺れている。いかにもと言った雰囲気の様相に目を奪われていると、テーブルの方から「いらっしゃい」と声をかけられた。見れば、女の人が一人、大きな水晶玉を前にして座っている。彼女が占い師だろうか。言われるままに、近づく。女の人は黒い服を着て、頭にはやっぱり黒い色のヴェールを被っている。まるで喪服の様だ、とあたしは思った。燭台の光に浮かび上がる顔は、綺麗だけど少し冷たそうに見えた。

 「占って欲しいのは、どちら?」

 占い師が訊く。

 「あ、あたしです!!」

 みゆきちゃんが答えると、彼女は頷いて自分の前に座る様に促した。緊張した様子で、おずおずと椅子に座るみゆきちゃん。すると、占い師がみゆきちゃんの顔をじっと見つめてきた。厳しいというか、何か威圧する様な眼差し。みゆきちゃんが、耐えかねる様に視線を逸らす。

 「まずは、名前と、そして生年月日を西暦から教えて」

 問いかける声。それも、どこか冷たくて鋭い。まるで、反論は許さないとでも言う様な響きがある。

 「は、はい」

 言われたとおり、みゆきちゃんは自分の名前と誕生日を言う。占い師はそれを聞くと、手元の紙にサラサラッとメモをとった。

 「あ、あの、それで、占って欲しい事は……」

 みゆきちゃんが口ごもりながらそう言った時、占い師がそれを制した。奇妙な意匠の指輪を付けた右手が上がり、テーブルの上の水晶玉にかざされる。

 しばしの間。

 そして――

 「貴女、悩みがあるわね……」

 占い師の口が、ぽそりと言った。

 「は……はい……」

 思わず頷く、みゆきちゃん。

 その返事を聞きながら、占い師は続ける。

 「それは、貴女の今後の人生に大きく関わる事……。そう、例えば……」

 薄くシャドウを塗った目が、みゆきちゃんを見る。

 「……これから、自分が選ぶべき道の事……」

 「――!?」

 息を呑む気配が伝わる。

 「は、はい!!」

 戸惑う様に答えるみゆきちゃん。

 ……一瞬、占い師が、薄くほくそ笑んだ様な気がした。そして、水晶玉を覗き込みながら彼女は続ける。

 「貴女には理想がある。だけど、その理想と現実にズレが見え始めているわね」

 「わ……分かるんですか?」

 「ええ。貴女の守護星が、迷う様に揺らいでいるのが見えるもの」

 淡々と語りながら、占い師は目を細めてみゆきちゃんを見る。

 「大きな星が、貴女の星の行方を遮る様に、グルグルと回ってる……。親御さんか、先生かしら。あなたの理想を否定し、論している……。理想とは違う、別の道を選ぶ様にね」

 ゴクリ。

 唾を呑み込む音が、やたらと大きく聞こえた。

 みゆきちゃんは、目の前の水晶玉を食い入る様に見つめている。まるで、占い師に習う様に。

 「貴女が問いたいのは、自分が理想が叶うのか?それが正しいのか?そう言う事ね」

 「……はい……」

 促されるままに、みゆきちゃんは頷き、そして言う。

 「どうしても、合格したいんです!!あたし……あたし……!!」

 すがる様な口調。けど、それを受けても占い師の表情は変らない。小さく「ふむ」とだけ言うと、手を水晶玉にかざしたまま目を閉じる。

 そして、またしばしの沈黙。

 「………」

 「………」

 「………」

 あたしも、みゆきちゃんも、占い師も、何も言わない。燭台の西洋蝋燭の炎が、ゆらゆらと揺れて光を散らす。やがて、占い師がゆっくりと口を開いた。

 「……駄目ね」

 「……え……?」

 その言葉に、みゆきちゃんの身体がビクリと震えた。

 「貴女の理想は、叶わない」

 「そ、そんな……!!」

 思わず立ち上がり、詰め寄ろうとするみゆきちゃん。そんな彼女を、冷たい声が遮る。

 「見えないの。その理想の光に輝く、貴女の未来が」

 水晶玉を撫でながら、気の毒そうに占い師は言う。

 「もう一度言うわ。貴女の理想は叶わない。よしんば、無理にその道に進んだとしても、待っているのは後悔だけ」

 「……!!」

 その言葉に、みゆきちゃんは脱力した様に座り込む。その様子を眺めながら、占い師は続ける。

 「貴女、何故その理想にこだわるの?」

 「え……?」

 「何故その理想にこだわるのかって訊いてるの」

 「それは……」

 うろたえる、みゆきちゃん。その様子に、占い師が目を細める。

 「何か、貴女をそれに縛るものがあるわね?」

 「――!!」

 息を呑む気配。そして――

 「捨てなさい」

 ザックリと切り捨てた。

 「“それ”は、貴女にとって良くない縁よ」

 返る言葉はない。占い師は、畳み掛ける様に言葉を連ねる。

 「見えるのよ。貴女の星に尾を絡める、禍しいほうき星が」

 「“それ”は、貴女に偽りの理想を与え、紛い物の未来を夢見せている」

 「“それ”にこだわる限り、貴女は間違った道をたどり続けるわ」

 ザクリ

 ザクリ

 言葉の刃が、心を切り裂く。

 「………」

 みゆきちゃんの細い肩が、プルプルと震え始める。

 「辛いでしょう。だけど、それが……」

 ――これまでだった。

 ダンッ

 テーブルに、強く手を叩きつける。

 「もう、結構です!!」

 驚いた顔をする占い師を睨みつけ、あたしはそう言った。

 

 

 「……それで、どうしたんだ?」

 「みゆきちゃん引っ張って、帰ってきた」

 僕の問いに、未だ憤懣納まらずといった態で里香は答えた。みゆきはまだ、涙をこぼし続けている。ポロポロと落ちるそれを、拭う事すら思い至らない様だ。

 その隣では、司がどうする事も出来ず佇んでいる。かけるべき言葉すら、見つけられないのだろう。何か、自分まで泣き出しそうな顔だ。

 無理もない。

 占い師が言った“みゆきを縛るもの”とは、間違いなく司の事だ。自分が、好きな女の足枷になってるなんて言われた日には、男にとっちゃあ存在を否定されるのと同じ様なもの。

 おまけに、「捨てなさい」ときた。

 遠回し……どころではない。キッパリと“別れろ”と言われた様なもんだ。泣きたくなる気持ちも分かる。

 ちらりと横を見る。

 相変わらず泣き続けているみゆきと、成す術もなく佇んでいる司。

 重苦しい空気が、淀む様に溜まっていく。何か、見ているとこっちまで居た堪れなくなってくる様だ。

 「……でも、まいったな。その占い師、そんなに凄かったのか……。それで、そんな結果が出るなんて……」

 その淀みを振り払おうとそう言いかけた僕を、里香がギッと睨んだ。

 物凄い迫力。思わず怯む。

 「な、何だよ?」

 「占ってない……」

 「え?」

 「占ってなんか、いない!!」

 半ば怒鳴る様に、里香は言った。

 「は……?どういう事だよ?」

 ポカンとする僕に、里香は大きく溜息をついた。

 「“あいつ”が言ったのは、みゆきちゃんの理想は叶わない。それだけよ?」

 「お……おぅ……」

 「それって、塾や学校の先生が言ってた事と、何が違うの!?」

 「……へ……?」

 自分でも思ったけど、その時の僕は相当間の抜けた顔をしてたんだろう。里香が苛立たしげに「あー、もう!!」と額に手を当てる。

 「“あいつ”はね、占いなんかしてないのよ!!みゆきちゃんが先生達に言われてた事を、ちょっと言葉を変えて繰り返しただけ!!」

 「え?え?」

 「まだ分かんないの!?裕一の馬鹿!!」

 いや、馬鹿って言われたって、実際何が何だか。

 「“あいつ”は占い師なんかじゃない!!ペテン師よ!!」

 「で、でもそいつ、みゆきの悩みの事、喋る前に当てて見せたんだろ?だったら……」

 ガシッ

 突然、頭の両側を掴まれた。

 そして、

 ブンブンブンブン!!

 猛烈な勢いで、頭を振られる。

 「うわ!?ちょ、おま、何を!!?」

 「この大きな頭の中には何が入ってるのよ!?脳味噌、干からびてるんじゃないでしょうね!?この!!この!!この!!」

 僕の頭を力任せに振り回しながら、里香は自分の鬱憤を晴らすかの様に怒鳴りつける。

 「ちょ、ま、待って!!やめろって!!き、気分が……!!」

 「うるさい!!うるさい!!うるさい!!」

 ……結局、僕が解放されたのは、たっぷり100回は脳味噌をシェイクされた後だった。

 

 

 「いい?説明してあげるから、よく聞きなさい!!」

 「お……おぅ……」

 クラクラする視界と吐気に耐えながら、僕は里香の言葉に耳を傾ける。

 「みゆきちゃんと向き合った時、まずあいつが何をしたか覚えてる?」

 「えーと。確か……名前と生年月日を聞いたんだっけか?」

 「名前はどうでも良かったのよ。大切だったのは、生年月日の方。それも、何月何日じゃなくて、西暦」

 「は?何で?」

 「みゆきちゃんの、“歳”を知る為」

 そこで初めて、思い当たる。

 確かに、件の占い師はみゆきに生年月日を“西暦”から教える様に指示していた。名前や生年月日なんて、占いでは良く使うファクターだからうっかり流してしまったけど、なるほど。生まれた西暦が分かれば、相手の年齢も簡単に計算で分かる。

 「でも、歳が分かったからって、それが何になるんだよ?」

 「あいつは、次にこう言ったわ。『悩みがあるわね』って」

 「だったな。初っ端にそれを当てられて、ビックリしたんだろ?みゆき」

 僕の言葉に、里香はイヤイヤと首を振る。

 「今日日、悩みがない人間なんていると思う?そんな事、適当に言えば大体当たる」

 「……なるほど」

 言われてみれば、そうかもしれない。僕にだって悩みの一つや二つ、あるのだ。今の世の中、悩みのない人間なんて幼い子供くらいのものだろう。

 「あれは“触り”。みゆきちゃんの懐疑を緩めて、自分の言葉が染み込み易くするためのもの。そして、その後が本題」

 「『自分が選ぶべき道』ってやつか?」

 僕の言葉に、里香が頷く。

 「みゆきちゃんの歳の子が、この時期に一番持ってる悩みって、何だと思う?」

 「俺達くらいの歳の連中が、この時期に持ってる悩み?」

 そんなの、決まってる。僕は留年してるからこそ、まだのんびりしているけど、普通だったら受験生か求職者の身だ。そんな連中がこの時期に持つ悩みと言ったら……。

 「……あ!?」

 自分が思い至った答えに、思わずギョッとする。

 「……進路!?」

 「ほら。裕一でも分かる」

 里香がそら見ろと言った顔をする。随分と馬鹿にされた様な言い草だけど、返す言葉はない。

 「そこで、あいつはみゆきちゃんの悩みに“当たり”をつけたのよ。あえて『自分が選ぶべき道。』なんて曖昧な言い方をしたのは、万が一その当たりが外れていた時の保健」

 言われて、考えてみる。確かに、いくらその可能性が一番高いとは言っても100%ではない。だけど、「進路」という限定した言葉ではなく、「自分が選ぶべき道」なんて言い方をすれば、大概の悩みはその範疇に含まれてしまう。

 けれど、言われた本人の方はあくまで自分を基準に考える。今自分が置かれている境遇にあった解釈を、おのずとしてしまうだろう。そして、結果として「何も言ってないのに、自分の悩みを当てられた」と思い込んでしまう。

 「そう思わせたなら、“仕掛け”は8割方成功した様なもの。自分の悩みを当てられたと思った人は……」

 「その占い師の事を、無条件で信じる事になるって訳か……」

 納得。見事な心理の誘導というやつだ。

 「後は簡単。予め用意しておいた言葉をただ言えばいい」

 里香曰く、大概悩みなんてのは理想と現実のズレから生じるもの。先の「悩み」発言と同じく、投げてやれば相手の方で勝手に受け止めてくれる。後は「貴女の守護星が」だの、「大きな星が」、だのそれらしい言葉で飾ってやればいい。ちなみに、「行方を遮る」存在に親と先生を出したのは、子供が進路を選ぶ時、大抵一番強く関わってくる存在だからだそうだ。

 ここまでくれば、後は誘導尋問だ。『お前が問いたいのは、自分が理想が叶うのかどうかだろう。』と分かってる振りをして、内容の確認を行えばいい。これまでの流れで、すっかり心を掌握された相手はまず間違いなく答えるだろう。

 『はい』……と。

 加えて、みゆきは余計な一言まで言ってしまった。

 「『どうしても、合格したいんです!!』……か?」

 里香はゆっくりと頷く。

 「それで、あいつは確信を持ったのよ。みゆきちゃんの悩みについて」

 「ああ……」

 僕は思わず溜息をつく。狡猾。あまりと言えばあまりにも、狡猾なやり様だ。正直、その場にいたのが僕だったとしても、同じ様に踊らされたかもしれない。今のみゆきみたいな状態なら、尚更だ。心が弱っている時の人間は、それほどまでに脆い。そこに付け入るなんて、まるで悪魔の様な所業だ。

 しかし、しっかりそれを看破している辺り、里香もなかなかの……

 ん?

 そこまで考えて、僕はある事に思い当たった。

 「おい、里香」

 「何?」

 「お前、その時点でそこまで分かってたんだよな」

 「分かってた」

 「じゃあ、何でそこでみゆきを連れ出さなかったんだよ!?そうしとけば、みゆきもあんな様には……!!」

 少なからずの非難を込めてそう言うと、里香はふ、と顔を伏せた。

 「ごめん……」

 素直に、謝られた。その顔は酷くしょげていて、らしくないと言えば、あまりにらしくない態度だ。今度は、僕の方が慌ててしまう。

 「え?あ、いや、そんなつもりで言った訳じゃ……」

 じゃあ、どんなつもりだったんだと言われればその通りなんだけど。

 「あたし、甘かった……」

 顔を伏せたまま、里香は言う。

 「……え?」

 「思っちゃったの。こいつがペテン師でも、みゆきちゃんの気持ちを楽にしてくれるならいいか……って」

 どういう事だ?訳が分からない。

 「期待しちゃったんだ。あいつが、みゆきちゃんに、『大丈夫』とか『望みは叶う』とか言ってくれるの」

 「あ……」

 「『嘘も方便』って、言うでしょう?」

 そうか。

 里香は件の占い師が、みゆきを救う言葉を口にしてくれるのを期待したのだ。そこまで心を委ねている状態。そこで、気持ちにプラスになる事を言って貰えれば、それこそ乾土に水が染み込む様に、みゆきの心は癒されただろう。

 けど、現実はそうではなかった。みゆきの想いに、彼女が、占い師が突き付けた答えは「NO」だった。

 今までのやり取りから、占い師にはみゆきの悩みが何なのか、容易に想像がついていた筈だ。

 里香は言う。そこで彼女は考えた。ここで、「大丈夫」と背を押す事は容易い。しかし、それは可能性の低い道をみゆきに示す事になる。それは、自分にとってリスクでしかない。それでみゆきが受験に失敗すれば、結果占いが外れた事になるのだ。それでは、自分の名声に傷がつく。商売上、それは好ましくない。ならば、最初から可能性の大きい方に引きずってやればいい。理想ではなく、現実に引きずり戻してやればいい。そうすれば、みゆきはまず無難な結果を得るだろう。そして、自分の占いも当たった事になり、それは巷での自分の評判を良くする材料になる。彼女は、それを狙ったのだ……と。

 「い、いや。何もそこまで穿って見る事ないだろ!?ただ単に、みゆきが失敗しない様にそう言ってくれただけなのかも……」

 そう言う僕を、里香が見る。大きな目が、黒い瞳が揺らいでいる。その様は、まるで今にも泣き出しそうに見えた。

 「そうかもね……。だけど……」

 里香が叫ぶ様に言った。

 「じゃあ、何で司君の事まで否定する必要があるの!?」

 「――!!」

 その言葉に、僕は答えに詰まる。

 確かに、占い師は言っていた。

 追い詰める様に。

 辛うじて掴まってる崖から、蹴り落とす様に。

 『捨てろ』と。

 進路について、一つの道に執着する奴は、まず間違いなく何か大きな想いを抱いている。

 夢。

 憧れ。

 家族の事や、恋人の事。

 形は色々あるだろうけれど、それは本人にとって何にも代え難い、大切なものの筈だ。そりゃあ、中には間違っているものもあるだろう。想いの強さのあまり、危うい綱を渡りかけている奴もいるかもしれない。だけど、その想いがそいつにとって、この上なく大切なものである事には違いない。相手を思って、危うい道を諭す事は時には必要だろう。だけどその想いまでを否定する権利は、誰にもない。

 だから、人を思い諭す事は難しい。道を正しながら、その想いを傷つけない様に。どうしても踏み込まなければいけないのなら、自分も傷つく事も覚悟しなけりゃいけない。

 それが出来るのは、本当に一握りの人間。そいつの事を本当に理解し、想い、共に傷つく覚悟のある人間。

 少なくとも、その日会ったばかりの名前も知らない占い師なんかが口を出していい道理は、ない。

 なのに、彼女は。あの占い師は言ってしまった。みゆきの想いを。一番大事なそれを抉り取ってしまった。実際、彼女は自分が言う所の「禍しいほうき星」とやらが具体的には何なのか、分かってはいないだろう。ただ単純に、みゆきがここまで拘るには何か原因があるのだろうと当たりをつけただけだ。最初にみゆきの悩みを当てた時と、同じ手口。そこで動揺したみゆきを見て、彼女はそれを突いたのだ。それが、みゆきがどれほど大切にしているものか知るよしもなく。

 否、知るつもりすらなかったのだろう。

 彼女はただ、(みゆき)が自分の示した道の通りに歩けばそれで良かったのだから。みゆきの前にある分かれ道の一方を、自分の思惑の成就には邪魔なそれを、ザックリと切り落とせればそれで良かったのだから。そこにあるのは、自分を頼りにしてきた者に対する思いやりではなく、打算。ただ淡々と、己の利益だけを計算する、血の通わない大人の打算。

 考えてみれば、いつも客に対して態の良い事ばかりを言っていて、信用される筈もない。世の中、そんなに上手くいくものじゃない事くらい、誰でも知っている。世間を納得させるには、救うだけじゃ駄目なのだ。それに釣り合うだけの人間を、奈落に落とす事が必要なのだ。そう。占い師としての評価を得る為の、幾ばくかの生贄。みゆきは、それに選ばれたのだ。

 「ごめん……」

 里香が、また謝る。

 里香を責める気なんて、もうなかった。

 里香は信じたかっただけなのだ。

 人の善意を。

 占い師としてではなく、一人の人間としての矜持を。

 そんな、そんな里香という子供の想いを、占い師の大人としての悪意が上回った。

 それだけの話。

 ……気がつけば、里香は俯き、悔しげに唇を噛んでいた。

 みゆきは、まだ泣いている。

 司は成す術もなく、立ち尽くしている。

 僕は、もう一度「Fortune Silhouette」の方を振り返った。そこには相変わらず、色んな年頃の女性達が長い列を作っている。彼女達はどんな想いを持って、あそこに並んでいるのだろう。この列の果てに、何が待っている事を夢見ているのだろう。彼女達が飲み込まれていく、「Fortune Silhouette」の入り口。その奥に広がる闇が、僕には酷く、酷く深いものに思われた。

 

 

                    ―4―

 

 

 世界はいつしか黄昏を過ぎて、夜闇に包まれ始めていた。街灯が、ぼんやりと光りを放ち始める。少しずつ夜の色に染まっていく街の中を、僕達はトボトボと歩いていた。4人が4人、うつむいていた。誰も、言葉を発しない。いや、発する事が出来なかった。みゆきはもう、泣いてはいない。だけど、その表情にはさっきよりも濃い影が色を落としている。あの後、みゆきには僕が里香からされた話をそのまま教えた。だけど、それでもみゆきの心が晴れる訳じゃない。

 当たり前だ。

 あの占い師の言葉が嘘っぱちだと分かったところで、みゆきの抱える悩みが消えるわけじゃない。胸に詰まったしこりはそのまま。むしろ、人に対する猜疑心が深まった分悪化したと言えるかもしれない。

 暗く濁った視線を下に落としたまま、みゆきは力なく歩を進める。そのすぐ後ろを歩く司も、同じ様に押し黙っている。

 さっきまでは、一生懸命みゆきに話しかけていた。司なりに、みゆきを慰めようと必死だったのだろう。けれど、返ってくるのは沈黙だけ。拒絶感すら感じさせるその様に、とうとう司もかける言葉を失った。

 今はただ、みゆきと同じ様にうつむいたまま、その後をトボトボとついて歩くだけだった。チラリと後ろを見ると、情けなさそうな、そして悲しそうな顔が視界に入る。大きな身体が、いつもより一回りも二回りも小さく見える。居たたまれずに目を逸らすと、今度は隣りを歩く里香の顔が目に入る。

 口を真一文字に引き結んだ、悔しそうな顔。その様は、感情が高じて今にも泣き出しそうにすら見える。彼女のこんな顔を見るのは、初めてだ。実際、里香が心を痛めているのはよく分かった。みゆきは里香を責めはしなかったけど、責任を感じているのは明らかだった。何かしら声をかけようとしたけれど、その言葉が見つからない。

 情けない。

 彼女が傷ついているというのに、それをどうする事も出来ない。

 どうしようもない情けなさと、悔しさ。

 自然と、口から言葉が消える。

 もう一度、後ろを歩く司を見る。

 きっと、その胸の内も僕と同じ思いが渦巻いているのだろう。

 なぁ。情けねぇよな。

 全く、情けねぇよ。

 心の中で司にそう語りかけながら、僕はうつむいて歩く。

 誰も何も口にしない。

 出来ない。

 ただ僕らのトボトボと歩く靴音だけが、夜色に染まった街に響いては消えていった。

 

 

 そうやって、どれくらい歩いていただろう。初めに気づいたのは里香だった。

 「あれ?」

 そんな言葉とともに、立ち止まる。

 「どうした?」

 その声に、僕達も立ち止まる。

 「あれ、何?」

 言いながら示したのは、建物と建物の間にある小さな路地。今の時間帯なら、夜闇に沈んでいる筈の場所。そこに、ぼんやりと「占」という字が浮いていた。

 「……?」

 よく見て見ると、それは漆塗りの木枠に和紙を張った古風な照明。ぼんぼりと言うのだろうか。それが、淡い光を放ちながら周囲を包む薄闇を照らしていた。その光の奥にあるのは、やっぱり古風な引き戸の扉。

 「……お店?」

 誰かがボソリと呟いた。確かに、「占」と一文字書かれたぼんぼりは看板替わりの様にも見える。

 「でも、こんな所にお店なんてあったっけ?」

 司の言葉に、皆が頭を捻る。

 確かに、昼間に通った時にはこんな場所にこんな店……と言うか、建物自体あった記憶がない。もっとも、昼間は単に見過ごしてしまっただけかもしれないけど。

 看板代わりのぼんぼりの光以外、目立った飾りもない作りを見る限りそんな気がしないでもない。この様相では、ぼんぼりの点かない時間帯にはかえって他の建物の影に隠れてしまうかもしれない。そんな事を考えていると、司がポソリと言った。

 「『占』って事は、これも占いのお店なのかな?」

 「「――!!」」

 途端、里香とみゆきが身構える気配がした。

 司がしまったと言う様な顔をしたけど、もう遅い。ただでさえ重苦しかった空気が、なおさらどんよりと重くなった。

 無理もない。今の二人にとって“それ”は禁句だ。何しろ、ほんの数刻前にその占いにこっぴどく傷つけられてきたばかりなのだから。

 辺りに、どうしようもない沈黙が降りる。当の二人はもちろん、失言をしてしまった司もしょぼくれる様に黙っている。

 ……重い。

 重すぎる。

 それに耐えかね、僕がさっさと帰ろうと言おうとしたその時、

 

 「お待ちしておりました」

 

 下の方から、そんな声が聞こえて僕達は思わず飛び上がった。

 慌てて視線を下げると、いつの間に現れたのだろう。女の子が一人、僕達の前に立っていた。歳は、小学校低学年かそこらだろうか。小さな身体を落ち着いた感じの和装で包み、背の中程まで伸ばした髪を根元でキュッと纏めている。その髪をシャラシャラと揺らしながら、女の子は僕達を見上げてニコリと笑う。

 

 「お待ちしておりました」

 

 また、言った。

 何の事か分からずにいると、女の子は促す様に掌をぼんぼりの向こうに向ける。

 ……淡い光の向こうにあった戸が開いていた。たったの今まで、確かに閉まっていた筈なのに。4人もいたのだ。戸が開けば、必ず誰かが気づくだろうに。

 「”お嬢様”がお待ちしております。どうぞこちらへ」

 ポカンとしている僕達を、女の子はそう言って促す。

 「ど、どうする?」

 この奇妙な事態に、些か狼狽しながら僕は皆にそう言った。

 「ど、どうって……」

 司が、困った様な顔でそう返してくる。

 どうもこうもない。

 さっき、あんな目にあったばかりなのだ。

 占いなんてまっぴらごめんだと、無視して帰ればいいのだ。

 ……だけど、

 何故だろう。

 足が、動かなかった。

 いや、別に金縛りとかそういうんじゃない。

 身体の何処も、自由に動く。

 だけど、足が意思に反して動こうとしない。いや、その意思自体、ここから離れようとしているのかどうか曖昧な感じだった。一体、何だと言うのだろう。他の連中を見てみると、僕と同じなのか一様に戸惑った様な顔をしている。視線を戻すと、例の子供は僕達を待つ様にニコニコと微笑みながら、相変わらずそこにいる。

 どうしたものか。

 僕が悩んでいると、背後から「あの……」と言う声が聞こえた。

 みゆきだ。

 彼女は、続けて言う。

 「ここ、占いのお店なんですか?」

 その問いに、女の子は頷いて答える。

 「はい」

 「あたし達、お金、ないんですけど……」

 「結構です」

 その言葉に、僕達は目を丸くする。

 「それって、無料(ただ)って事?」

 里香が訊いた。

 すると、今度は女の子は首を振った。

 「”ただ”ではありません。”代価”はいただきます」

 ……訳が分からない。

 「どう言う事だよ?」

 今度は僕が訊く。

 「代価はいただきます。けれど、それがお金とは限らない。そう言う事です」

 「お金とは限らないって……?」

 「それは、お客様と”お嬢様”がお決めになる事です」

 そう言って、女の子はまたニコリと笑った。

 僕達は頭をつけ、ヒソヒソと話し合う。

 「……おい。どう思う?」

 「お金がいらないって、本当かな?」

 「そうは言ってるけど……」

 「ただより高いもんはないって言うぞ?」

 「ただじゃないよ。代価は貰うって言ってたじゃない」

 「金じゃない代価って、何だよ?」

 「そんなの、訊いてみないと分からないよ」

 「でも、お金じゃない代価って、あんまりいい感じしないんだけど……」

 「……だよなぁ。何か、金の代わりに”身体で払え”とか言われそうだし」

 「裕一、漫画の読みすぎ。でも、いい感じしないのは確かかも……」

 「う~ん」

 「う~ん」

 「う~ん」

 僕達は、頭を突き合わせて悩む。

 ――と、

 「……でも……」

 そんな声が、僕達の間に割って入った。

 みゆきだった。

 「代価は、あたし達とお嬢様で決めるって言ってたよね……」

 「え?あ、ああ」

 「なら、あたしにも選択権があるって事だよね……?」

 「みゆきちゃん……?」

 表情を暗く沈ませたまま、ボソボソと呟く様にみゆきは話す。

 「あたし、やってみる……」

 「ええ!?」

 「お前、まだ……」

 「だって、こんなの惨め過ぎる!!」

 懲りないのかと言おうとした僕の言葉を遮る様に、みゆきが言った。憔悴した様に暗く沈んだ瞳が、僕を睨む。その奥に、メラメラと燃える炎。

 それを見て、僕は急に不安を覚えた。やばい兆候かも知れない。現実によってつけられた傷。それを弄ばれた怒り。みゆきの心の澱は、もう限界まで溜まりきっている筈だ。それは、沸々と燃える溶岩の様に吹き出し口を探している。そこに、唐突に現れた誘い。それも、自分の心を弄んだ者と同じ筋の者。ひょっとしたら、そこにみゆきの心は”出口”を見出したのかもしれない。このまま行かせたら。そしてもし、その先で先刻と同じ仕打ちを受けたりしたら。

 ……何をしでかすか、分からない。

 そんな懸念が、頭を過ぎる。

 「あたし、一人で行くから。皆は先、帰ってて」

 有無を言わせぬ調子で、みゆきが言う。

 言葉を失う僕達。

 しばしの間。

 やがて、みゆきが扉に向かう素振りを見せた。思わず僕が、静止の声をかけようとしたその時――

 「……分かった……」

 里香が、声を上げた。

 「行っていいよ。みゆきちゃん」

 「里香!?」

 「里香ちゃん!?」

 「ただし、」

 驚く僕達を他所に、里香はみゆきに向かって言う。

 「あたしも、一緒」

 「え……?」

 「もう一度、一緒に行くから!!」

 こちらも、有無を言わせぬ迫力。そんな里香の目も、ギラギラと燃えている。

 ああ、そうか。

 さっきの事で怒っているのは、みゆきだけじゃなかった。

 里香もだ。

 狡猾な大人に翻弄された悔しさ。その所業を阻止出来なかった悔しさ。そして何より、守ると言ったみゆきを守れなかった悔しさ。

 彼女も、煮えたぎっていたのだ。みゆきと同じ様に。ひょっとしたら、それ以上に。だから、思っているのだろう。今度こそは、と。

 僕は、ハァと溜息をつく。

 全く。

 全く、こいつらときたら。

 頭をボリボリと掻きながら、僕は司を見る。

 司も、僕を見ている。

 困った様な顔で、苦笑いしている。

 どうやら、考えている事は同じらしい。

 ああ、面倒だよな。

 本当に、面倒な話だよ。

 でも。

 でも、しょうがねぇよな。

 司が、頷く。

 僕も、頷く。

 そう。

 僕達だって、同じ轍を踏む訳にはいかないのだ。

 司が一歩踏み出して、みゆきの横に寄り添った。

 僕も踏み出して、里香に寄り添う。

 ぽかんとしている里香達を差し置いて、僕は女の子に向かって言った。

 

 「皆で行くよ」

 

 やり取りの間、ずっとそこに居た女の子。彼女は待ちくたびれた様子もなく、僕の言葉に微笑みながら答えた。

 

 「かしこまりました」

 

 

 

                    ―6―

 

 

 開かれた戸の向こうは、淡い光に包まれていた。

 そこは板張りの廊下で、外に置いてあったのと同じぼんぼりが等間隔に並び、中に満ちる薄闇を払っていた。さっきの様に、無駄に不安を煽る様な薄暗い通路じゃない。

 優しい光が、妙に目に染みた。

 「どうぞ、お上がりください」

 女の子に促され、靴を脱いで廊下に上がる。踏みしめると、よく磨かれた板がミシリと鳴った。

 「こちらでございます」

 女の子が、先に立って歩き始める。スルスルと滑る様な足取り。不思議と、足音が全然しない。あたし達の歩く音だけが、ミシリミシリと静寂の中に響いては消えていく。

 廊下の脇には、閉められた襖戸が幾つも並んでいる。広いな、と思うと同時に、さっき見た店の外見を思い出す。この店があったのは、二つのビルの間。こんなに、幾つもの部屋が並ぶ程の敷地があったとは思えないのだけど。一体、どんな構造になっているのだろう。不思議に思いながら歩いていると、目の前に一際大きな襖が見えてきた。

 女の子が、立ち止まる。

 あたし達も、立ち止まる。

 女の子は襖の前に座ると、その向こうに向かって声をかけた。

 「お嬢様。お連れいたしました」

 「ご苦労さま」

 襖越しに返ってきたのは、鈴音の様な女性の声。それも、明らかにあたし達よりも幼い、少女の声。さっきの様に、冷淡な大人の女性を想像していたので、少し驚く。少し警戒感が緩んだけれど、まだ油断は出来ない。子供を表に立たせておいて、裏では大人が手を引いてるなんて事もあり得る。

 「失礼いたします」

 女の子が襖に手をかけ、スス……と開けた。思わず身構えたその瞬間――

 フワリ

 中から漂ってきたのは、甘いお香の香り。開かれた襖の向こうにあったのは、8畳程の小さな和室。そこには、綺麗に並べられた座布団が4つと、澄んだ水が湛えられた水盆が一つ。その水盆の向こうに、”彼女”は座っていた。

 

 

 「どうぞ、お入りください」

 促され、部屋の中へと入る。甘いお香の香りと、柔らかなぼんぼりの光に満たされた空間。何か、とても心が安らぐ。さっきまでささくれだっていた心の棘が、少しずつ溶かされて行く様な感じがした。

 「ようこそ、おいでくださいました」

 穏やかな声でそう言って、”彼女”は両手を畳について丁寧にお辞儀をする。床につくほど長い黒髪がサララと流れて、お香とは違った甘い香を散らした。

 身につけているものは着物。薄い桜色の地に、花弁の模様を散らした落ち着いた色合い。歳の頃は12、3歳くらい。年相応の幼さが残る、綺麗な顔立ちをしている。

 その風貌は、長い黒髪や着ているものと相まって、まるで日本人形の様に見えた。

 「あの……貴女が占い師……?」

 尋ねてみると、”彼女”は伏せていた身を起こして、

 「はい。左様にございます」

 と、そこだけは年にそぐわない、大人びた口調でそう言った。

 

 

 「どうぞ、お座りください」

 その言葉に従って、各々が座布団の上に腰を下ろす。

 その時、あたしはふと気がついた。

 ”彼女”の視線。

 それが、あたし達を見ずに常に空を泳いでいる事に。よく見れば、その瞳にはあるべき光がない。

 「……あ……」

 思わず、声が漏れた。

 それに気がついたのか、”彼女”が「ふふっ」と微笑む。

 「気づかれましたか?」

 白魚の様な指が、その目尻を撫ぜる。

 「あの……目が……?」

 「ええ」

 あたしの問いに、不快げな素振りも見せず”彼女”は答えた。

 「やつがれの”これ”は生来のもの。どうぞお気になさらずに……」

 そう言って、“彼女”はまた「ふふっ」と笑った。

 

 

 「どうぞ」

 「あ……どうも」

 さっき案内してくれた女の子が、お茶を煎れてくれた。茶碗を持つと、程良い熱さが手に染みる。

 一口、啜る。

 少し甘くてほろ苦い味が、下っていく。冷え切っていた胸の内が、ゆっくりと温まっていった。

 「……随分と、お冷えになっていた様ですね」

 あたし達がホゥと息をつくと、”彼女”がそう言ってきた。

 「“外”は、お寒うございましたか?」

 優しく、労わる様な響き。まるで、心を許しきった友人に語りかけられている様な心持ち。頷くと、”彼女”は「そうですか。」と言って、また微笑む。

 「どうぞ、ごゆっくりとお温まりください」

 言われるままに、ゆっくりと、染み渡らせる様にお茶を飲む。その間、”彼女”はずっと微笑んだまま、見えない瞳であたし達を見つめていた。

 コトリ

 最後の一人が、茶碗を置いた。女の子が、空になった茶碗を下げていく。やがて、一段落がつくのを見計らった様に、

 「……それでは、始めさせていただきます」

 ”彼女”がそう言った。

 あたしを含めた皆が、再び緊張するのが分かる。

 何処か、拒絶する様な空気が流れる。

 何を今更、と言われるかもしれない。

 けれど、やっぱりさっきの出来事は皆の心に深く影を落としていた。それは、簡単に拭えるものじゃない。心臓が、少し高鳴るのが分かった。

 それはともかく、こちらは四人いるのだ。誰が占って欲しいのか、伝えなければならない。けど、誰も声を出さない。いや、出せない。辺りに満ちる、重苦しくて気まずい雰囲気。

 ――と、

 クルリ

 ”彼女”が、”あたし”に向かって座り直した。

 「占じて欲しいのは、貴女様でしょう?」

 見えない筈の瞳が、真っ直ぐにあたし―水谷みゆきを見つめて言った。

 

 

 マズイと思った。

 「は……はい……」

 みゆきちゃんが、明らかに戸惑った様な声で答えている。いや、戸惑っているのは彼女だけじゃない。裕一も司君も、目を丸くしている。皆が、呑まれかけているのは明白だった。

 確かに、今の出来事は不可解と言えば不可解だ。

 ”彼女”の前に並んでいるのは、あたしを含めて四人。その内の誰も、占って欲しいのはみゆきちゃんだとは言っていない。なのに、”彼女”は迷う事なくみゆきちゃんを選んだ。一見、人智外の所業に思えなくもない。いや、実際あたしにも何が起こったのかは分からない。けれど、それで思考を止めてしまったら、さっきの二の舞だ。何か、タネがある筈。辺りを見回す。八畳一間の小さな和室。両隣りにも後ろにも、部屋はない。当然だけど、”彼女”とあたし達以外には誰もいない。あるのは灯りのぼんぼりが二つと、あたし達と”彼女”の間に置かれた水盤だけ。誰かが隠れてる様子もない。さっきの女の子は?お茶碗を下げに出ていて、今はいない。あの娘が、何か教えた?でも、女の子はこの部屋にいた時、”彼女”には一切近づいてはいない。ずっと、あたし達の後ろに控えてた。じゃあ、機械?通信機か何かの類で、密かに情報を”彼女”に伝えていたとか?視線を”彼女”に走らせる。でも、その耳に受信機の類の様なものは見当たらない。それなら……。

 色んな可能性が、浮かんでは消えていく。それに連れて、大きくなっていく焦りの気持ち。このままじゃあ、さっきと同じ事を繰り返してしまう。この世に、超常の事なんてありはしない。なら、今のこれも何かの絡繰。手の内は分からない。

 けれど、どの道こんな奇術紛いの小手先で相手を取り込もうとする輩が、まともなはずもない。

 ”彼女”も、あの女と同類。

 やはり、こんな所に入るべきじゃなかったのだ。

 さっきから胸の置くで燻っていた憤りが、またプスプスと火の粉を立て始める。ポロポロと涙をこぼすみゆきちゃんの顔。それを見て、傷ついていく司君の顔。そして、悔しげに黙りこくる裕一の顔。そんなみんなの顔が、グルグルと頭の中を巡る。

 何とかしないと。

 今度こそ、何とかしないと。

 だけど、思考は空回り。

 焦りばかりが、つのっていく。

 あたしが、もう一度考えをまとめようとしたその時――

 

 「……ご心配はありませんよ」

 

 静かな声が、耳に響いた。

 「――!!」

 思わず、顔を上げる。いつの間にか、”彼女”があたしの方を向いていた。薄い唇が、ニコリと笑う。

 「……其の想いはやむを得ませんが、ここはやつがれを信用してはいただけませんか?」

 その言葉に、今度こそ背筋に冷たいものが走る。

 見えない筈の目が、あたしの内を見透かす様に見つめていた。

 

 

                    ―7―

 

 

 「お手を……」

 ”彼女”が、あたしに向かって手を差し出す。

 こっちも、言われるままに手を差し出す。

 ”彼女”の手が、あたしの手を取る。

 ひんやりして柔らかい、心地良い感触。

 なんとなく、心が和む。

 と、そこまで来て、自分が何を占って欲しいのかを言っていない事に気づいた。

 「あの、まだ何を占ってほしいか……」

 けれど……

 「存じております」

 ”彼女”がそう言った。

 「……!!」

 その言葉に、ザワリと心がざわめく。

 (……貴女、悩みがあるわね……)

 耳の奥で、さっきの占い師の声が甦る。

 同じ。

 同じだ。

 あの占い師と。

 あの女と。

 分かった様な振りをして。

 上っ面の言葉で心を絡めて。

 自分の益のために、人の想いを踏み躙る。

 同じ。

 この娘も。

 あの女と。

 温まりかけていた心が、急激に冷えていく。

 あたしの手を握る、小さな手。

 それを振り払おうとしたその時、

 「そちらの方も……」

 そう言って、”彼女”がもう一方の手を差し出した。

 「え……?」

 ”彼”が、戸惑った様に声を上げる。あたしも思わず呆気にとられる。”彼女”が差し出した手の先。そこにいたのは、世古口君だった。

 

 

 「あの……どうして……?」

 訳が分からないと言った(てい)の世古口君。そんな彼に向かって、”彼女”は言う。

 「貴方様も、同じでございましょう?」

 「え……?」

 「貴方様も、此方の方と同じ。迷っていられるのでしょう?」

 思いもしない言葉に、心臓がドキリと鳴る。

 世古口君が迷っている?

 あたしと同じ様に?

 どう言う事だろう。

 あたしが知りたいのは、進路の行く末。世古口君の行く道は、もう決まっている。もう、しっかりと自分の道を踏みしめている彼。それを決める事も叶わず、揺れているあたし。そんなあたしと、彼が悩みを共にしている?意味が、分からない。

 「ちょっとまって!!あたしは……」

 「その願いは、仮りそめでしょう?」

 言いかけたあたしの言葉を、”彼女”の声が遮る。

 ドキリ

 再び、心臓が鳴る。

 「そもそも……」

 見えない目であたしを見つめながら、”彼女”は言う。

 「貴女様の言う様に、”未来”に関する事象を占じる事は何者にも出来ません」

 「え……?」

 「未来は、変動するものなのですから……」

 「……変動、するもの……?」

 「はい」

 鈴音の様な声が、歌う様に言を紡ぐ。

 「一本の糸の元を揺らせば、その先は大きく振れましょう。それと同じ様に、未来というものも人の身振りによって、目まぐるしく変わるものです。揺れる糸の先が読めぬ様に、人の未来もまた、読み当てる事は叶わぬのでございます」

 優しく、静かに教え諭す様に”彼女”は言う。

 「でも、それじゃあ……」

 あたしの願いは、どうなるのか。それを問おうとした時、”彼女”がクスリと笑った。

 「ですから、その願いは仮りそめでございましょう?」

 ドキリ

 三度(みたび)、心臓が鳴る。

 さっきから、何を言われているのか分からない。あたしの願いが仮りそめ?一体、どう言う事なのだろう。

 分からない。

 分からない。

 けれど、”彼女”がそれを口にする度にドキリドキリと心臓が鳴る。

 あたしの、本当の願い。

 あたしの分からない、願い。

 それは一体、何だと言うのだろう。その疑問を見透かす様に、”彼女”は言う。

 「……やつがれが占じますは、貴女様の……いえ……」

 光のない、けれど優しい眼差しがあたしの傍らを向く。

 「”あなた方”の、”形”……」

 ドキン

 心臓が、一際大きく鳴った。思わず、傍らを見る。そこには、声も出せずに目を見開く世古口君の姿。その顔は、驚きと狼狽に彩られている。あたしもきっと、同じ顔をしているのだろう。そんなあたし達に向かって微笑むと、”彼女”はまた言った。

 「さあ、お手を……」

 促されるまま、あたしと世古口君はその小さな手に、自分達の手を委ねた。

 

 

 「あの……」

 ”彼女”に己を委ねたまま、あたしは尋ねる。

 「あたし達の”形”って、何ですか……?」

 「言葉の通りでございます」

 しつこいとも思えるあたしの問いに、”彼女”は気を損ねる様子も見せずに答える。

 「貴女様と此方様。お二人の今ある形が、正しき型にあるかどうかを、占じさせていただきます」

 「あ……」

 その言葉に、引っかかっていた胸のつかえがストンと落ちるのを感じた。

 そう。

 あたしが知りたかったのは、希望の大学に合格出来るかどうかなんて事じゃない。

 あたしが、本当に知りたかったのは――

 視線が自然と隣を向く。こっちを見つめる目と、視線が合った。世古口君が、あたしを見つめていた。あたしと、同じ様に。あたしを、見つめていた。

 「楽に、してください……」

 ”彼女”が言う。言われるがまま、あたし達は力を抜く。身体からも。そして、心からも。さっきまで波立っていた心は、嘘の様に穏やかになっていた。

 あの占い師に対する怒りも。

 ”彼女”に対する疑念も。

 今は、ない。

 あたしは。

 あたし達は。

 全てを、”彼女”に委ねていた。

 ――と、

 サワリ……

 柔らかい感触が、触れる。

 見れば、手の中に乗る一枚の白い羽根。

 いつの間に現れたのか。

 何処から現れたのか。

 分からない。

 白い。

 白い。

 透き通る様に白い、小さな羽根。

 それが、一枚。

 あたしの手。

 彼の手。

 一枚ずつ。

 手の平の上で、ゆらゆらと揺れていた。

 と、

 ス……

 ”彼女”の手が、持っていたあたしと世古口君の手を傾げた。一寸の違いもなく、同時に。

 フワリ。

 傾いだ手から、羽根が落ちる。

 あたしの手から。

 彼の手から。

 同じに。

 同時に。

 フワリ。

 フワリ。

 舞いながら。

 絡み合う様に。

 戯れ合う様に。

 宙を、踊る。

 下にあるのは、澄んだ水を湛えた水盆。

 そして――

 

 ツ――

 

 二枚の羽根は、音もなく透明な水面(みなも)へと浮かんだ。

 シャン……

 澄んだ音が、幽かに響く。

 ユラリ

 浮かんだ羽根が、水面を滑る。

 シャン……

 シャン……

 幽かな音に踊りながら、二枚の羽根はクルクルと回る。

 あたしは、ジッとそれを見る。

 世古口君も、見る。

 クルクル

 クルクル

 白が踊る。

 やがて――

 二枚はその根元を合わせる様にして、静かに止まる。

 フワ……

 合わさった根元を中心に、二枚が左右に広がった。その様は、まるで羽を広げる一羽の鳥の様。

 シャアン……

 また、響く幽かな音色。開いた羽から、水面(みなも)に波紋が広がる。

 ス……

 と、”彼女”があたし達の手を離した。離れた手が、水盆へと向かう。

 チャプン……

 涼やかな音を立てて、白魚の指が水盆へと浸される。水面に広がる波紋。それが、”彼女”の指へと触れる。”彼女”が、その感触に集中する様に目を閉じる。

 あたしは、そんな”彼女”の様子をジッと見つめる。

 世古口君も見つめる。

 しばしの間。

 そして、

 スウ……

 ”彼女”が目を開いた。指が、スルリと水から抜ける。あたしと世古口君、そして里香と裕一の視線が”彼女”へと注がれる。やがて、”彼女”がゆっくりと口を開いた。

 「……『比翼の鳥』でございますね」

 「ひよくの……鳥?」

 「はい」

 ”彼女”はそう言って、少し乱れた姿勢を正す。長い黒髪が細い肩を滑り、シャララと涼やかな音を奏でる。

 「それが、貴女方の”形”です」

 「で……でも……」

 戸惑いながら、あたしは問う。

 「ひよくの鳥って、何ですか……?」

 「……比翼の鳥とは、雌雄それぞれが目と翼を一つずつもち、二羽が常に一体となって飛ぶという、空言(そらごと)の鳥でございます」

 あたしの問いに、”彼女”は詩でも詠む様に答える。

 「各々が一つの翼しか持たない鳥は、互いを支えあわなければ、飛ぶ事は叶いません」

 言いながら、“彼女”は水盆に浮かぶ羽根をすくい上げる。

 「それは、決して離れる事の叶わぬ伴侶の証。転じては永久の、そして違いなき絆の証とされます」

 「え……?」

 ポカンとする、あたしと世古口君。そんなあたし達に向かって、”彼女”は手にした羽根を差し出してきた。慌てて、受け取る。少しの間、水に浸っていたそれは、しっとりと濡れていた。けれど、どんな原理なのだろう。二枚の根元は、しっかりと交わったまま。まるで、互いに互いを支え合う、二羽の鳥の様に。

 「それが、答えでございます」

 「答え……?」

 まだ要領を得ないあたし達に向かって、”彼女”は微笑む。

 そして、

 「――間違っては、いないのです――」

 「……!!」

 「間違っては、いないのですよ。貴女方の、想いの形は」

 ”彼女”は言った。

 はっきりと。

 どんな嘘も。

 ごまかしもない言葉で。

 見えない目で。

 しっかりと。

 あたし達の瞳を見つめながら。

 言って、くれた。

 「あ……」

 ポタ

 ポタ

 羽根を持った手に、温かいものが落ちる。いつの間にか、あたしは泣いていた。止めどなく溢れてくる涙。それを拭う事も忘れ、あたしは手にした羽根を胸にかき抱く。

 そう。

 あたしが知りたかったのは、大学の合否なんかじゃない。

 あたしが欲しかったのは、先への指標なんかじゃない。

 あたしが知りたかった事。

 あたしが欲しかったもの。

 それは。

 それは。

 震える肩を、何か大きくて温かいものが包む。目を上げると、世古口君があたしの肩を抱いていた。見つめてくる彼の目にも、涙が浮いている。あたしは、彼の胸に顔を埋めた。恥も外聞もなく、押し付けた。そんなあたしを、世古口君はしっかりと抱きしめてくれた。強く、だけど優しく、抱いてくれた。

 そんなあたし達を、”彼女”は黙って見つめていた。

 見えないその目を、嬉しげに細めながら。

 穏やかな微笑みを浮かべて。

 ただ黙って、見つめていた。

 

 

                    ―8―

 

 

 どれほど時間が経っただろう。あたしは、ようやく世古口君の胸から顔を離した。大きく一つ、息を吐く。身体の中に溜まっていた澱が、吐息と一緒に吐き出されて行く様だった。

 「大丈夫?水谷さん」

 世古口君が訊いてくる。

 「うん。大丈夫」

 あたしはそう言って、ニッコリと笑って見せる。

 それを見た世古口君も、ニッコリと笑った。

 彼の笑顔。何だか、すごく久しぶりに見る様な気がした。

 「さて……」

 ニコニコと二人で笑い合っていると、酷く申し訳なさそうな調子でそんな声が挟まってきた。見ると、”彼女”が少しのバツの悪そうな顔で畏まっている。

 「この様な所、無粋極まる話で大変申し訳ありませんが……」

 本当に。

 本当に申し訳なさそうな声で言う。

 「”代価”を、頂かなければなりません」

 「あ……」

 そこで、ハッと我に返る。

 そう。

 ”彼女”の占いは、ただではないのだ。ここまで案内して来てくれた女の子。彼女の言葉が、脳裏を過ぎる。

 (――代価はいただきます。けれど、それがお金とは限らない――)

 あの子は、確かにそう言った。

 お金じゃない代価。それは一体、なんなのだろう。一体、何を求められるのだろう。

 「あの……”代価”って、何ですか……?」

 恐る恐る、訊いてみる。

 ”彼女”は細い顎に手を当て、考える様な素振りを見せている。

 「そうですね。何にいたしましょう?」

 ……どうやら、それはこれから決まる様だ。

 考える”彼女”。

 しばしの沈黙。

 緊張が、ジワリと身体をはい登ってくる。知らず知らずの内に、世古口君の手をギュッと握る。すると、世古口君もギュッと握り返してきた。見れば、彼の顔も緊張の色に彩られている。ふと、思い当たる。今の占いは、世古口君も受けたのだ。と言う事は、”彼女”の言う代価は、彼も払わなければならないのだろうか。つかえていたものが取れた今になって、皮肉にもあたしの思考は冷静に回り出していた。

 正直、あたし自身は仕方ないと思っている。自分自身の意思で決め、自身の意思で受けたのだ。そこに今、後悔の思いは全くない。だけど、世古口君は違う。彼はあたしの事を思ってついて来て、その流れのまま占いを受ける事になった。

 彼の意思じゃない。

 あたしの勝手に、彼を巻き込んでしまったのだ。

 ……どうしよう……。

 今更の様に湧いてくる、恐怖の念。これから払わされる、代価とやらが怖いのではない。それによって、彼に危害が及ぶのが怖かった。彼に、嫌われるのが怖かった。

 折角、求める答えが得られたのに。

 それを、自分の愚行でぶち壊してしまう事が怖かった。

 もう一度、今度は恐る恐る彼の顔を見る。

 すると、それを察した様に世古口君もこっちを向いた。

 穏やかに、微笑む顔。

 (大丈夫だよ……)

 その笑顔が、そう言っていた。

 (……!!)

 それをまっすぐに見れなくて、あたしはうつむく。その代わり、彼の手をもう一度強く握った。

 

 

 ――どれほどの間だったろう。

 多分、実際には一分にも満たない時間。けど、あたしには酷く長い時間の様に思えた。

 と、

 ポン

 思案していた”彼女”が、両手を打った。

 「では、こうしましょう」

 ドキリ

 心臓が鳴った。

 次の言葉を、判決を言い渡される前の罪人の様な気持ちで待つ。そんなあたし達に向かって、ニコリと微笑むと彼女は言った。

 「やつがれは、甘味に目がありませんで……」

 「「……え?」」

 「お一つ、作ってはいただけませんか?」

 「「は……?」」

 思いもがけない言葉に、あたしと世古口君はそろって馬鹿みたいな声を出した。見れば、里香も裕一もポカンとした顔をしている。

 「甘味って……、お菓子ですか?」

 「はい」

 世古口君の問いに、”彼女”はあっさりと頷く。

 「でも、そんなので……」

 「お得意なのでしょう?」

 微笑む顔を世古口君に向けながら、”彼女”はそう言った。

 彼は、驚いた様に目を丸くする。

 「あの……でも、それじゃあ……」

 「もちろん、貴女様にも代価は払っていただきますよ」

 今度はあたしの方を向きながら、”彼女”は言う。

 「貴女様は、此方様のお手伝いをしてください。一拍も、離れる事なく」

 「は……はい」

 戸惑いながら、頷く。

 「……でも、そんな事で代価になるんですか?」

 それでも今一つしっくりこない感じがして、あたしはまた訊いた。

 「”そんな事”では、ありません」

 そう言って、”彼女”は真顔になる。

 「やつがれは、これより貴女方より”時”をいただくのです」

 「……時?」

 「はい」と言って、頷く”彼女”。

 「貴女方の時を、やつがれのために使っていただくという事は、貴女達の生の一部をやつがれがいただくと言う事と同義です」

 静かに紡ぐ言葉。ぼんぼりの明りが、風もないのにユラリと揺れる。

 「人の生とは、ほんの一時。そして、過ぎ去ってしまえば、二度とは戻らぬもの」

 鈴の様な声が、鈴々と語る。

 「その様な、唯一無二のものの一部をいただくのです。此度の対価としては、十分かと。それに……」

 そこで”彼女”は急に相好を崩すと、悪戯っぽくクスクスと笑った。

 「今の貴女にとっては、時はいつにも増して大事なものでしょう?」

 クスクスクス。

 楽しげに笑う。

 そこであたしは、ハッとして携帯の時計を見る。

 「ああ!!」

 「ど、どうしたの!?水谷さん!!」

 あたしの声に、世古口君が驚いた声を上げる。

 「忘れてた!!今日、塾の入試対策特別授業……」

 「ええ!?何時から!?」

 「7時……」

 携帯の液晶は、6時45分を映していた。

 「もう、間に合いませんね」

 ニコニコしながら、“彼女”が言う。

 「あ、あの、僕が水谷さんの分まで……」

 「駄目です」

 世古口君の申し出は、バッサリと切り落とされる。

 「対価は、対価。しっかりと、払っていただきます」

 ニコニコ。

 ニコニコ。

 何処か意地悪気なのは、気のせいだろうか。そんな彼女に向かって、あたしは言う。

 「……対価なんだ」

 「はい。対価でございます」

 「そっか……」

 あたしは、少しの間だけ悩んだ。

 悩んだ、”ふり”をした。

 そして、

 「分かった。じゃあ、仕方ないよね」

 そう言って、顔を上げた。

 「いいの?水谷さん」

 世古口君が、心配そうに訊いてくる。

 「うん。いいの」

 本当は、あんまり良くない。ほぼ間違いなく、塾の先生や親に怒られる。それに何より、受験生という身においては一分一秒でも勉強の時間は惜しい所だ。まして、今日は昼間を丸々潰している。本来、その分を埋めるために夜は余計に頑張らなければいけない。

 けれど、

 「いいんだ。今日は」

 もう一度、ハッキリとそう言った。

 その言葉を聞いた”彼女”が、またニコリと微笑んだ。

 

 

 「あの……台所はあるんですか?」

 世古口君が訊くと、”彼女”は「ええ」と答えて、「椛」と声を上げた。

 すると、

 「はい」

 後ろから、急に声が響く。いつの間に、戻ってきたのだろう。あたし達を案内してくれたあの女の子が、部屋の襖の前に座っていた。

 「ご案内を」

 「かしこまりました」

 ”彼女”の言葉にそう答えると、女の子は襖に手をかけてスス……と開けた。

 「こちらへ」

 そう言って、廊下の方へみゆきちゃん達を促す。

 「水谷さん」

 「うん」

 世古口君とみゆきちゃんが連れ立って廊下に出ると、女の子は「こちらでございます」と言って、二人を先導する。

 「里香、裕一。ちょっと、時間かかりそうだから。先、帰ってていいよ」

 みゆきちゃんがそう言ってきたけど、あたしは首を振った。

 「ううん。待ってる」

 あたしがそう言うと、みゆきちゃんは「そう」と微笑んで世古口君と一緒に歩きだした。

 やがて、三人の姿が廊下の向こうに消えると、あたしは隣りを見た。そこには、相変わらずポカンとした顔をした裕一が立っている。

 「裕一」

 声をかける。返事はない。どうやら、まだ呆気に取られている様だ。

 「裕一!!」

 少し、語気を荒げて言う。

 「わ!!な、何だよ!?」

 ようやく、気づいた。そんな彼に向かって、あたしは言う。

 「裕一、ついて行って」

 「は?」

 「心配だから。みゆきちゃん達について行って」

 「え……?でも……」

 訳が分からないと言った(てい)の彼に、また少し声を荒げる。

 「いいから!!」

 「わ……分かったよ」

 裕一は首を傾げながら立ち上がると、みゆきちゃん達の後を追って廊下に出ていった。彼の姿が廊下の奥に消えたのを見計らうと、あたしは”彼女”に向き直る。

 ”彼女”はチョコンと座したまま、こっちを見ていた。いや。目が見えないのだから、”見ている”と言う表現はおかしい。あたし達の声のする方に、顔を向けていたというのが正しいのだろう。

 「……ごめん」

 「何がでございましょう?」

 あたしの言葉に、”彼女”は小首を傾げる。

 「まだ、疑ってる様な事言った。」

 「構いませんよ。友方を想うは、当然の事です。それに……」

 ”彼女”の目が、薄く開く。見えない筈のそれが、何かを見通す様にあたしに向けられる。

 「先のは、本音ではないのでしょう?」

 何でもない事の様に、そう言った。

 「……分かるんだ」

 「ええ」

 頷く”彼女”。

 「盲目(この様な身)であるが故、見えるものもございますれば……」

 「そういうものなの?」

 「そういうものです」

 あたしの言葉に、微笑みながら”彼女”は答える。

 「それよりも、どうぞこちらにお座りください。そこでは、話すにも首が疲れましょう?」

 そう言って、自分の前の席を示す。

 促されるまま、あたしはさっきまでみゆきちゃんが座っていた席に移る。

 「そう言えば、まだお礼言ってなかった。ありがとう」

 ”彼女”と差し向かいになると、あたしはそう言って頭を下げた。

 「さて、何の事でしょう?」

 「みゆきちゃんの事。おかげで、随分楽になったと思う」

 「その事でしたら、御礼は筋違いですよ」

 言いながら、”彼女”はピチョンと水盆の水を突く。澄んだ水面に波紋が広がって、そこに映るあたし達の顔がユラユラと揺れた。

 「あの”型”は、あのお二人が自ら作り上げたものです。やつがれは、それを見える様に示し表しただけでございます」

 「……そう」

 あたしはそう呟いて、”彼女”の顔を見つめる。

 人形の様に整った顔。

 それが、ぼんぼりの作り出す明暗に染められて、妖艶な雰囲気を作り出していた。

 「ねえ」

 そんな“彼女”に向かって、あたしは訊く。

 「貴女は、何?」

 「ただの、しがない占者です」

 用意していた様な答えが、すぐに飛んできた。

 「答える気、ないんだ」

 少し、追ってみる。

 「答えてますよ。やつがれは、世に数多いる占者の一人。他の何でも、ございません」

 「貴女みたいな人が、たくさんいるの?」

 「ええ。いらっしゃいますよ」

 「会った事も、聞いた事もないんだけど」

 「そこはそれ、人には”縁”というものがございますから」

 「貴女には、会ったけど」

 「それこそ、御縁というものでしょう」

 「こんな時に?都合の良い縁もあったもんだね?」

 「それが、縁というものです」

 いくら追っても、するりするりとはぐらかされる。その”切っかけ”を、掴む隙を見せない。

 なら、仕方ない。思う事を、ストレートに伝えよう。

 「じゃあ、質問変える」

 「駄目です」

 間髪入れず、答えが返ってきた。

 「まだ、何も言ってないよ?」

 「それでも、駄目です」

 それまで彼女の顔を彩っていた微笑みが消えている。能面の様に無表情になった顔。細まった瞳が、威圧する様にあたしに向けられていた。

 「……やっぱり、そうなんだ」

 その態度に、確信を得ながらあたしは言う。

 

 「見れるんだね……。”未来”……」

 

 「………」

 答えはない。

 代わりに、ぼんぼりの火が風もないのにルォンと揺れた。

 

 

                    ―9―

 

 

 誰もいなくなったその部屋で、あたしと”彼女”は黙って向き合っていた。

 電灯の類のない、古風な部屋。ぼんぼりの放つあえかな灯りだけが、ユラユラと揺れる。

 その揺れる陰影の中で、”彼女”の瞳があたしの方を向いている。光の無い筈のそれは、薄闇の中で妙に輝いて見えた。

 ホウ、と”彼女”が溜息をつく。

 「……あれほど”それ”は出来ないと申しましたに、何故バレたのでしょうね?」

 言いながら、小首を傾げる”彼女”。白々しいと思いつつ、あたしは言う。

 「おかしかったもの。色々と」

 「はて?」

 傾げた首が、ますます傾く。

 「どの辺りがでしょう?後学のためにお教えいただけませんか?」

 すっとぼけた調子で、そんな事を訊いてくる。けむに巻こうとしているのが、見え見えだ。

 「……さっきのあの娘」

 「椛ですか?」

 「うん」

 「あたし達が来るのを待ってて、声かけてきた」

 「ただ、客取りをしていただけですよ?」

 話を逸らされない様、慎重に言葉を並べ立てていく。

 「中から外(こっち)を伺ってる様子なんか、なかった。おまけに、「お待ちしておりました」なんて言ったりして」

 「それは、言葉のあやというものでして……」

 「そんな感じじゃなかった」

 ”彼女”が、う~んと腕を組む。

 「素直でいい娘なのですが、演技と誤魔化しが下手なのがたまに傷ですね。後で指導しておきます」

 「……貴女も、大概なんだけど」

 「あら?」

 ポカンとした様な顔をする”彼女”。

 「やつがれもですか?何という事でしょう!」

 大仰に驚いてみせる。わざとらしい事この上もない。だんだんイライラしてきた。

 「ちなみに、どの辺りがでしょう?後学のために……」

 「人数確認する前に座布団ぴったり四つとか用意しといて、どの辺りも何もないと思うんだけど!?」

 「あら」

 とぼけた顔で、着物の裾を口に当てる。

 「それもそうですね。これは浅慮でした」

 そう言って、コロコロと笑う。

 「あたし、真面目に話してるんだけど」

 いい加減、言葉に怒気が篭る。

 「まあまあ、そう怒らずに」

 ニコニコと笑顔は崩さず、あたしを抑える手振りをする。

 「短気は損気と申しますし、怒気はお身体に障ります。どうです?落ち着くためにお茶などもう一服……」

 言いながら、傍らの茶器を手に取る。

 「……話、逸らそうとしてるよね?」

 低い声で、言った。お茶を入れる手が、一瞬ピタリと止まる。

 「本当に、賢しい方です事……」

 呟く様にそう言うと、止まっていた手が再び動き出す。

 しばしの間。

 シャカシャカと、お茶をかき混ぜる音だけが響く。やがてお茶碗を手に取ると、彼女はそれを差し出してきた。

 「まずは、一服どうぞ……」

 言葉とともに、光のない目があたしを見る。あたしはお茶碗を受け取りながら、その目を真っ直ぐに見返した。

 

 

 お茶碗に満たされた、新緑の液体を口に含む。ほろ苦く、薄甘い味が口に広がり、優しい香りが鼻に抜けていく。あたしがお茶を飲む間、”彼女”はジッとその様を見つめていた。

 「……目、見えるの?」

 空になったお茶碗を置きながら、”彼女”に向かって問うてみる。

 「見えませんよ」

 想定通りの答え。

 訊いては見たものの、その事に関しては疑いを持ってはいなかった。

 光の映らない瞳。

 定まらない焦点。

 こっちに向けられているとは言え、それらの事が”彼女”の言葉が正しい事を如実に語っていた。

 「生まれつきだって言ったよね?」

 「はい」

 「治らないの?」

 「治りません」

 きっぱりとした答え。

 「病院には?」

 「行った事は、ございません」

 「どうして?」

 「無意味だからです」

 「どうして、そう思うの?」

 「分かりきっていますから」

 その言葉に、ふるりと心が震える。ふと、昔の自分がだぶって見えた。

 「行ってみなくちゃ、分からないよ?」

 自然に、そんな言葉が出た。それを聞いた”彼女”が、クスリと笑う。

 「お優しいのですね。ですが……」

 開いていた目が閉じる。白い手が上がって、自分の瞼に触れた。

 「貴女様が憂う様な理由ではありませんよ。言わばコレは”(ことわり)”との契約なのですから」

 「契約?」

 「ええ」

 何でもない事の様に、“彼女”は言う。

 「物事には、”対価”が必要なのです」

 言いながら、瞼に触れていた手を、今度は水盆の上へとかざす。

 「やつがれは、この力を持って生まれました」

 冷たく澄んだ水面が、ユラリと揺れる。

 「その代わりに、この眼は光を宿しませんでした」

 淡々と語る口調。そこには、後悔も怨嗟の色もない。

 「全ては、対価の交換なのです」

 ”彼女”は語る。まるで、教え諭す様に。

 「何かを得るためには、それに等しい何かを失い、何かを失う事で、それに等しい何かを得る。それが、この世の「(ことわり)」と言うものです。そして――」

 白魚の様な指が、あたしに向けられる。

 「それは、貴女様も同じ事……」

 「……!!」

 その指は、真っ直ぐにあたしの左胸を指していた。

 「”そこ”に宿る病は、貴女様から多くのものを奪いました。ですが――」

 見えない瞳が、ジッと見つめる。まるで、あたしの内を見通す様に。

 「貴女様は今、己を不幸とお感じですか?」

 「………」

 あたしは、黙って首を振る。

 確かにこの心臓は、あたしからたくさんのものを奪っていった。疎ましく思った事もあれば、憎々しく思った事もある。やり場のない苛立ちを、他人にぶつけた事だってある。

 でも。

 だけど。

 今のあたしは、不幸なんかじゃない。こんな身体だからこそ、見える様になったものがある。こんな身体だからこそ、感じられる様になったものがある。

 そして何より。

 こんな運命だったからこそ、巡り合えた人がいる。

 馬鹿で。

 情けなくて。

 どうしようもなくて。

 だけど。

 優しくて。

 温かくて。

 愛しい。

 彼。

 そう。

 あたしは、彼を手に入れた。

 何よりも。

 何よりも大きくて。

 何よりも大切で。

 代わるものなど、ある筈もない。

 たった一つの、宝物。

 この病が。

 他人より短いこの命が。

 そのための対価だったと言うのなら。

 あたしは、笑ってそれを差し出せる。

 自信を持って言える。

 重い対価ではなかったと。

 不条理な取引ではなかったと。

 それは。

 それだけは。

 絶対に。

 絶対に、確かな事。

 「……良い対価を、得ましたね」

 あたしを向いていた”彼女”が、ニッコリと笑う。

 「……うん」

 そんな”彼女”に向かって、あたしはそう言って頷いた。

 

 

 ペタペタペタ

 長い廊下に、あたし達の足音が響く。

 その音に摩られる様に、所々に置かれたぼんぼりの光がユラユラと揺れた。

 「ねえ。何を作るの?」

 先を行く女の子の後を追いながら、あたしは隣を歩く世古口君に訊いた。

 「うん。時間が時間だから。あまり手間のかからないバタークッキーとかにしようかと思ってるんだけど……」

 「美味しそうだね」

 「美味しいよ。でも、材料とか器具とか、必要なのがあるか分からないし、台所に行ってから決めるしかないかな」

 「そっか。それもそうだね」

 言いながら、ふと後ろを見る。そこには、憮然とした顔でついてくる裕ちゃんの姿があった。

 「……裕ちゃん、何でついてくるの?」

 「しようがないだろ。里香についてけって言われたんだから」

 むすっとしながら答える裕一。

 「里香が?何で?」

 「心配だから、ついてけってさ」

 「心配?何が?」

 「わかんねーよ」

 そんな会話が聞こえているのかいないのか、女の子は前を向いたままスルスルと歩いていく。そして――

 「こちらです」

 彼女はそう言って、目の前に現れた戸を開いた。

 「あ」

 「へえ」

 戸の向こうを覗いたあたし達は、一様にそんな声を出した。そこにあったのは、質素だけどしっかりとした今風のキッチン。もっと、昔風の台所を想像していたんだけど。使いやすそうな反面、この建物の雰囲気には些か不釣り合いな気がする。

 「何か、以外……」

 中に入りながら、そう呟く。

 「利便性が、一番ですから」

 そう言って、女の子が微笑む。

 「うん。これなら、何でも出来るよ」

 周りを見回した世古口君が、嬉しそうに言った。そんな彼に、女の子が声をかける。

 「必要なものは、そちらに」

 「え?」

 言われて見てみると、テーブルの上に色々と物が置かれていた。世古口君が近寄って、確認する。

 「……バターに薄力粉に卵……必要なの、全部そろってる」

 「本当!?」

 「うん。ココアもあるから、ココアクッキーも出来るよ」

 何処か嬉しそうな世古口君。そんな彼に向かって、女の子が言う。

 「道具も揃っています。お好きな様に、お使いください」

 「ありがとう」

 女の子に微笑みながらそう言うと、世古口君はグイッと腕まくりをする。楽しげな彼。あたしも、何処かウキウキしてくる。こんな気持ちは、久しぶりだ。

 「何、すればいい?」

 訊いてみると、世古口君はちょっと考えて、こう言った。

 「それじゃあ、バタークッキーの方を頼もうかな。僕は、ココアクッキーを作るから」

 「出来るかな?」

 「大丈夫。教えてあげるから」

 そう言って、ニコリと笑う彼。

 「うん」

 大きく頷いて、あたしは自分もグイッと腕まくりをした。

 

 

 「あら?」

 不意にそう言うと、”彼女”はふと宙を見上げる。

 「あちらの方、始まられた様ですね」

 目の前にその情景があるかの様にそう言って、フフッと微笑む。

 「楽しみですこと」

 その顔は、年相応の無邪気さに溢れている。

 でも、

 「誤魔化さないで」

 あたしの口から飛び出したのは、少し険のこもった声。”彼女”は困った様に息をつくと、その顔を再びあたしに向けた。

 「やはり、引きませんか?」

 「引かない」

 「貴女様は、賢しい方です」

 今しがたとはガラリと変わった、表情のない顔。あたしを威圧する様に、その眼差しが向けられる。

 「やつがれがこうする意味も、お分かりだと思いますが……」

 「……そんなに、いけない事?」

 「はい」

 あたしの問いに、一寸の間も置かずに返る返答。取り付く島もない。けれど、あたしは食い下がる。

 「対価は、払うよ?」

 「無理です」

 「無理?」

 「はい」

 「どうして?」

 「大きに過ぎます」

 「……大きいんだ」

 「はい。払う事など敵わぬ程に」

 「………」

 会話が途切れた。少しの間、漂う沈黙。ちょっとだけ、大きく息を吸う。そして、あたしは用意していた言葉を放つ。

 

 「それでも、払うって言ったら?」

 

 ”彼女”の呼吸が、一瞬止まった様な気がした。

 あたしを見つめる眼差し。

 本当に、不思議な目だと思う。

 見えない筈なのに。

 光も映さないのに。

 深く、深く、澄み切っている。

 犯されていない。

 灼かれていない。

 真っ新(まっさら)な瞳。

 それが、あたしを見つめる。

 心の内の、奥の奥。

 本当のあたしを、見透かして来る。

 「……酔狂ですね」

 冷たい声だった。それまでの穏やかな声とは違う、冷ややかな声。胸の内まで切り込む様なその声音で、”彼女”は続ける。

 「そして、存外に愚かです」

 「………」

 あたしは、言葉を返さない。

 「分かっている様で、分かっていない」

 「………」

 返さない。

 「全ての対価が、やつがれが先に示した様な型で済むとお思いですか?」

 「………」

 返さない。

 「あれは、あくまでかの形で釣り合うものだからこそ、そうしたまで」

 「………」

 返さない。

 「より大きなものを求めれば、払わねばならぬ対価の大きさも、型も、応じたものへと変わります」

 「………」

 返さない。

 だって。

 「”未来”の形を知ると言う事は、それだけ、大きな事です」

 「………」

 だって……。

 「まして……」

 「………」

 あたしは………。

 「”他者”の未来を知らんがために、それを犯そうなどと……!!」

 「……分かってる」

 そう。あたしは……。

 「分かってるよ」

 分かっているのだから。

 理解して、いるのだから。

 「それでも……」

 だから。

 「それでもあたしは、知りたいの」

 あたしは、想いを口にする。

 

 「裕一の、未来を!!」

 

 はっきりと、言い放つ。

 「………」

 ”彼女”は口を噤み、その目を細める。その視線に縊られる様に。微かに。本当に微かに。心臓がトクリと、悲鳴を上げた。

 

 

                    ―10―

 

 

 「未来とは、あらゆる可能性の有り得る場所です」

 淡々と語る少女。紡がれる言葉に合わせ、黒い髪がサララと流れる。ユラリと揺れる、ぼんぼりの灯。さざめく陰影の中で、淑やかな面(おもて)が冷たい気配を放つ。

 「故に、其が誰の未来であろうと……」

 揺れる影が、昏く囁く。

 「それを知る対価は、一人の生そのものに値するものです」

 一拍の間。

 そして――

 「さて……」

 ユルリ

 白い手が上がり、細い指があたしの左胸を指す。

 「人より短い貴女の”それ”は、対価として成り立つでしょうか?」

 嘲る様な声音。けれど、それはとても固い。書かれた脚本を、棒読みする様な響き。本心でない事は、明らかだった。

 だから、あたしは言う。

 「変わらないよ」

 「――」

 彼女が口を噤む。

 「あたしの”これは”――」

 右手を上げて、左胸に添える。

 「皆の(もの)と変わらない――」

 胸の奥で、鼓動が響く。まるで、その存在を誇示するかの様に。

 「だから、対価に値する」

 「――」

 「……だよね?」

 黙りこくる彼女に向かって、訊ねる。返って来るのは、沈黙だけ。肯定の、証だった。

 

 

 「……一つ、訂正しましょう」

 しばしの沈黙の後、彼女が言った。

 「おそらく……いえ、正しく、貴女の生は多勢の未来とは対価ではない」

 トクリ

 その言葉に、心臓がチクリと痛む。

 けど。

 「逆です」

 その痛みを察する様に、彼女が言葉を続けた。

 「貴女の生は、密度が濃い」

 「密度?」

 「ええ」

 そう言う彼女の手が、水盆の水をすくう。差し出された水面(みなも)。促されて、覗き込む。映り込む、あたしの顔。ただ、写っていたのはそれだけじゃなかった。

 そこに映っていたのは、無数の光。

 強く輝くもの。儚く揺れるもの。

 濃い色彩。

 淡い色彩。

 様々な光が、夜空に散らした星の様に輝いていた。

 「……命の価値は平等と申しますが、そうではありません」

 手の中に光をたゆらせながら、彼女は言う。

 チャプ

 白い手の中で、水面(みなも)が揺れる。そこに浮かぶ、光も揺れる。

 「命の価値を決めるは、その密度でございます」

 光を映さない筈の瞳に、星屑達の輝きが映る。それを愛しげに抱き込む様に、彼女は目を閉じた。

 「何が為に生きるか。何を求め歩むのか。それを知るか。或いは知ろうとするか……」

 鈴音の声が、歌う様に流れ響く。いつしか、あたしはそれに聞き入っていた。

 「長き時を経て、人間(ひと)は永らえる術を得ました。けれどそれに反して……いえ、それが故に、その密度は酷く薄いものとなってしまいました……」

 言葉と共に、星を湛えていた手が傾ぐ。

 「余り得る時を、ただ空虚に生きる者。流れの中に己を忘れ、道を外す者。果ては、己を満たす術すら分からず、自らそれを捨てる者……」

 トポポ……

 傾いだ手から、抱かれていた水が落ちる。そこに浮かんでいた、星々と共に。

 「……愚かしく、そしてなんと惨めな事か」

 細い身体は、微動だにしない。ただ、話す声だけが鈴々と響く。

 「命の価値は、先天ではなく後天のもの。その生まれは比ならずとも、生の密度においては、文字通り一寸の蠱虫も人間(ひと)も、変わりはありません。……いえ……」

 無表情だった顔に、皮肉げな微笑が浮かぶ。

 「現在(いま)に至っては、一匹の虫の方が全うな生をおくっているのかもしれませんね……。もっとも……」

 濡れた指が、つと己の頬を撫でる。

 「……やつがれが、言えた道理ではございませんが……」

 そして、彼女は儚く笑った。

 

 

 グニグニ

 ギュッギュッ

 明るい台所に、生地を練る音が鳴る。

 その音に合わせて、大きな背中と小さな背中がシンクロした様に揺れている。

 「こんな感じでいいのかな?」

 小さい背中が言う。

 「大丈夫。いい感じだよ」

 大きな背中が答える。

 「そうかな?」

 「うん」

 「おかしかったら、言ってね」

 「うん。分かってる」

 交わされる言葉は、とても穏やかだ。まるで、今の二人の心を表すみたいに。

 全く、やれやれだ。

 台所の入口に座った僕は、そんな事を考えながら寄り添う二人の背中を眺めていた。

 と、

 「お暇そうですね」

 背後から、そんな声がかけられる。振り返ると、例の女の子が僕を覗き込んでいた。確か、椛とか言ったっけな?綺麗な顔立ちとは思っていたけれど、こうして間近に見ると殊更だ。何か、ドギマギする。いや、別にそんな趣味がある訳じゃないぞ。

 「あ~。別にやる事もないしな」

 誤魔化しの意味も含めて、そんな事を言ってみる。

 すると、

 「でしょうね」

 返ってきたのは、そんな言葉。何かいやにハッキリ言われて、ポカンとする。

 「やるべき事がないと言う事は、その人間にとってその場がいるべき場所ではないと言う事です」

 「へ……?」

 突然の話に、頭がついていかない。けれど、そんな事には全然構わずに女の子は続ける。

 「ここは、今貴方様がいるべき場所ではありませんから」

 「いや、別に好きでここにいる訳じゃ……」

 僕の言う事など、全然聞こえないと言った(てい)。女の子は、つらつらと語る。

 「その時において、人の在るべき場所と言うのは決まっているものです」

 「だから……」

 「全ては偶然ではなく、必然です」

 まるで、書かれた文を読み上げる様な、色のない口調。聞いているうちに、何か妙な不安感が頭をもたげて来た。

 「………」

 いつしか、僕は黙り込んでその言葉に聞き入っていた。

 「在るべき場所。やるべき事を違えれば、それは後に大きな禍根となって残るでしょう」

 キロリ

 女の子の瞳が、僕を見下ろす。黒く光る、夜闇の様な瞳。それが、僕の中の何かを揺さぶる。

 「さて」

 最後の、一言。

 「貴方様が今、在るべき場所は何処なのでしょうね?」

 ガタンッ

 聞くやいなや、僕は弾ける様に立ち上がる。走り出す視界の脇で、女の子が微笑むのが見えた。

 

 

 ふと振り返ると、裕ちゃんの姿が消えていた。さっきまで、台所の入口で手持ち無沙汰で座ってた筈なのに。

 「あれ?裕一は?」

 司君が、入口に立っている女の子に問いかける。

 「さて?」

 何処か可笑しそうな表情で、小首を傾げる女の子。

 「御手水にでも、お立ちになりましたでしょうか?」

 そう言って、クスクスと笑う。

 あたしと世古口君は、ポカンと顔を見合わせた。

 

 

 「……どうにも、御心は変わらぬ様ですね……」

 溜息と共に言う彼女。

 あたしは黙って頷く。

 「……なれば、これ以上の問答は不毛……」

 そして、彼女の手が長い袖にシュルリと潜る。次に出てきた時、その手の中には純白の羽が乗せられていた。

 ドキリ

 心臓が、軽く呻きを上げる。

 それを見通す様に、彼女は言う。

 「これを手に乗せれば、もう後戻りは出来ません」

 「それでも?」と、最後に問う。

 あたしは、頷いて手の平を差し出す。差し出しながら、言う。

 「……あたしの今は、裕一にもらったもの」

 「………」

 「……裕一は、自分の未来をあたしにくれた」

 「………」

 「でも、あたしはそれに答える事が出来ない」

 「………」

 「言ったよね?全ては対価だって」

 「………」

 「だったら、あたしは確かめたい。あたしの命が、裕一の未来と釣り合うのかを」

 それを聞いた彼女が、何かを思う様に瞳を閉ざす。

 一拍の間。

 そして、ゆっくりとその手が傾ぐ。

 フワ……

 宙に舞う、白い羽。

 フワリ……フワリ……

 羽は何かを躊躇う様に舞いながら、ゆっくりとあたしの手に――

 ガシッ

 急に背後から伸びてきた手。それが、あたしの手の平に乗ろうとしていた羽を掴み取った。

 「――っ!?裕一!!」

 驚いて振り返った先には、怖い顔で腕を伸ばす彼の姿があった。

 

 

                    ―11―

 

 

 「裕一、何で!?」

 「それは、こっちの台詞だろ!!」

 思わず声を上げたあたしに向かって、裕一が怒鳴り返す。

 「あの娘が妙な事言うから気になって来てみれば、何やってんだよ!?」

 「裕一には関係……」

 「あるだろ!!思いっきり!!」

 あたしの言葉を、彼の声がかき消す。

 裕一は怒っていた。

 あたしが見た事もないくらい。

 激しく。

 純粋に。

 「お前の命と、オレの未来が等価か知りたいって!?今更、何言ってんだ!!」

 あまりにも、真っ直ぐな激情。

 その勢いに、あたしはすくみ上がる。

 「言ったろ!?約束したろ!?もう、決まってんだ!!そんなもん!!」

 そして、その怒りは当然の様に”彼女”に向く。

 「お前!!」

 裕一の視線が、真っ直ぐに彼女を射抜く。

 「したり顔でおかしな事ばかり、言ったりやったりしやがって!!挙句に里香の命が対価だ!?ふざけんな!!」

 「裕一!!それは……」

 止めるあたしの言葉も、今の彼には届かない。

 「いいか!!里香は……里香の命はな、等価なんてもんじゃないんだよ!!オレの未来なんかより、ずっと……ずっと大きいんだ!!」

 聞いた瞬間、胸の奥がドクリと疼く。

 「それを、里香はくれたんだ!!オレの……オレのつまんねー未来と換えてくれたんだ!!」

 彼女は黙ったまま、見えない瞳で裕一を見つめる。

 「大事なんだよ!!本当の、宝物なんだ!!それを、お前みたいな訳分からない奴に掠め取られてたまるか!!」

 そこまで一息に言って、裕一はゼイゼイと肩を揺らす。

 「裕一……」

 あたしは、ただ絶句する。

 しばしの沈黙。

 裕一の、荒い息遣いだけが響く。

 やがて――

 クス……クスクスクス……

 静かに聞こえてくる、鈴を振る様な笑い声。彼女が、着物の裾で口を隠して笑っていた。

 「これは残念」

 「は?」

 「“貴方”の方が、足りなかった様ですね。」

 ポカンとする裕一に向かって、彼女は言う。

 「もう少し、励みなさいな。こんな事では、男が廃りますよ?」

 「んな……!?」

 あんぐりと口を開ける裕一。

 と、

 ヒラリ

 力が抜けたのか、握っていた手から羽が落ちる。

 「あ」

 思わず手を伸ばす。

 その手を掠める様にして、羽は舞う。

 ヒラリ

 ヒラリ

 踊ったそれは、そのまま水盆の水面(みなも)に落ちる。

 「「――――!!」」

 息を呑むあたしと裕一。

 その視線の先で、水を吸った羽がフワリと開く。

 まるで、純白の華が咲く様に。

 シャン……

 澄んだ音を響かせて、波紋が広がる。

 「あら」

 いつの間にか水面(みなも)に指を浸していた、彼女が言う。

 「『比翼連理』、でございますね」

 「ひよく……」

 「れんり?」

 ポカンとするあたし達に向かって、彼女はクスクスと笑いながら教える。

 「先だってお話いたしました、比翼の鳥の上位互換版と言った所でございましょうか」

 「は?」

 「え?」

 「これは、ちょっとやそっとでは離れませんよ」

 お互い、お覚悟を。

 そう言って、彼女はひどく楽しそうにコロコロと笑った。

 

 

 スス……

 細い音とともに、襖が開く。途端、部屋の中いっぱいに広がる甘い香り。

 「あれ?裕一戻ってたんだ」

 クッキーをいっぱいに盛った大皿を盛った司君が、そんな事を言って小首を傾げた。

 「あ」

 その傍らで、あたし達の前の水盆を見たみゆきちゃんが声を上げる。

 「里香達も占ってもらったんだ」

 どうだった?と言う彼女の言葉に、あたし達は赤い顔で黙るこくるしかなかった。

 

 

 サクリ

 小さな口が、ココア色のクッキーを齧る。

 「あら、美味しい」

 そう言って、彼女は顔をほころばせる。その様は、まんま歳通りの女の子だ。

 「美味しいお菓子には、美味しいお茶が必要ですね」

 「かしこまりました」

 阿吽の呼吸で、椛と呼ばれていた女の子がお茶の用意を始める。何処から取り出したのか、透明なポットにサラサラと茶色い茶葉を入れる。フワリと漂う香りから察するに、紅茶の様だ。

 それを察した司が立ち上がる。

 「手伝うよ」

 「大丈夫ですよ」

 「やらせて欲しいんだ。今、勉強してるから」

 司の言葉に、微笑む女の子。

 「そうですか?では、僭越ながらご教授などいたしましょうか?」

 「本当?」

 「はい」

 それを聞いたみゆきも、

 「あたしにも出来るかな?」

 などと言ってそちらに向かう。

 わいわいと、はしゃぐ様にお茶を入れる三人。

 それを見ていた里香が、ホッと息をつく。

 「もう、大丈夫だね」

 「そうだな」

 僕もそう言って、うんうんと頷く。

 これで万事解決だ。

 僕がそう締めくくろうとしたその時、

 「まだ、終わってはおりませんが?」

 後ろから、そんな言葉が飛んできた。

 「………」

 いや~な顔をしながら、ゆっくりと振り返る。

 そこには、クッキー片手にニッコリと笑う彼女の姿。

 「まだ、”対価”を頂戴しておりませんよ?」

 「いや、だって、俺達は頼んだ訳じゃ……」

 「重要なのは結果ですので」

 「で……でも……ンギャ!?」

 さらに言い募ろうとしたら、突然お尻をつねられた。思わず傍らを見ると、僕のお尻から手を離した里香がしゃあしゃあとした感じで言った。

 「裕一、往生際が悪い」

 「でもさ……」

 「決まりは、決まり」

 ピシャリと言う里香の顔は、言葉にはそぐわず何か嬉しそうだ。

 里香が、彼女に聞く。

 「それで、何を払えばいいの?」

 「そうですね……」

 手にしていたクッキーを口に放り込みながら、考える彼女。

 しばしの間の後、こう言った。

 「……物語を、語ってくださいませんか?」

 「ものがたり?」

 思いがけない提案にキョトンとする僕達に向かって、彼女は頷く。

 「あなた方の出会いから、此度に至るまでの事を、語ってくださいな。互いで互いの隙間を、埋め合いながら」

 僕と里香は互いに顔を見合わせ、そしてニッと笑いあった。

 「いいよ。話してあげる」

 「長いぞ。覚悟しろ」

 「望む所でございます」

 と、彼女が僕に向かってヒョイヒョイと手招きする。耳を貸せと言っているらしい。

 「?」

 身を乗り出して耳を向けると、寄せられた口がこんな事を言った。

 (おっしゃりたくない部分は、除いて結構ですよ?)

 「――――っ!!」

 思わずむせそうになるのを、必死で堪えた。

 「……どうしたの?裕一」

 「い、いや、何でもない!!何でもないぞ!!」

 怪訝そうに訊いてくる里香。

 それを誤魔化す僕。

 「何やってるんだか……」

 言葉と共に流れてくる、紅茶の香り。

 呆れた顔のみゆき。

 苦笑いする司の手には、紅茶を満たしたカップが乗ったお盆。

 「なかなかのお点前で」

 司の足元で、女の子がそんな事を言って笑う。

 「先生が良かったからね」

 女の子を見下ろしながら、微笑む司。

 パン

 彼女が、嬉しそうな顔で手を打つ。

 「さ、皆様揃いましたね。それでは、始めましょう」

 クッキーの皿を中心に、輪になった皆。

 彼女が、僕と里香を促す。

 さて、何を何処から話そうか。

 色んな事を思い起こしながら、ふと横を見る。

 里香が、こっちを見ていた。

 微笑む里香。

 僕も微笑む。

 そして、僕達はゆっくりと話し出す。

 僕と里香が紡ぎ上げ、これからも紡いでいく物語を。

 紅茶と焼き菓子。そしてお香の香りが漂う空間。

 不思議な夜。

 世界はゆっくりと更けていった。

 

 

 家にたどり着いたのは、結局10時過ぎ。

 当然の様に、こっぴどく怒られた(多分、皆も)。

 でも、心は穏やかなまま。

 着替える時、服から微かにあのお香の匂いが香る。

 それに包まれて、その夜は久しぶりにグッスリと眠った。

 悪い夢はもう、見なかった――

 

 

 それから一週間。

 僕と里香は、あの占いの店の前にいた。

 いる筈だった。

 けれど――

 「……ここ、だったよな……?」

 「うん……」

 そこには、何もなかった。

 建物はもちろん、そんなものが入る空間さえもなかった。

 両側の建物。

 その双方に、見覚えがある。

 間違いなく、あの店はこの二つの建物の間にあった筈。

 なのに――

 「………」

 「………」

 そこにあるのは、狭い路地。

 本当に、人一人通るのがやっとといった、薄暗くて湿っぽい空間。

 何もない。

 ある筈もない。

 けれど、

 「ここだったよ……」

 里香が、呟く様に言う。

 「確かに、ここだったのに……」

 何処か、寂しげな声。

 そして思いは、僕も同じだった。

 

 

 それからしばらく、僕と里香はその近隣を探してみた。

 だけど、結果は同じ。

 あの店も、椛と呼ばれていた女の子も、そして彼女も。

 見つける事は叶わなかった。

 結局、釈然としない思いを抱いたまま僕と里香は帰路についた。

 並んで歩きながら、僕はポソリと呟く。

 「夢、だったのかな……?」

 すると、里香が言った。

 「違うよ……」

 はっきりと。

 「夢なんかじゃない……」

 確信した様に。

 「夢なんかじゃ、ないよ」

 「………」

 そして、ちょっと間を置いて僕も言った。

 「……そうだな」

 ヒュウ……

 僕達の間を、深くなった秋の風が通り過ぎる。

 少し鋭さを増したそれから守ろうと、僕は里香の肩を抱き寄せる。

 里香は、素直に身を委ねてくる。

 お互いの温もりでお互いを守りながら、僕達は歩く。

 さて、これからどうしよう。

 そうだな。

 途中で、出来たてのあっついぱんじゅうでも買うか。

 そして、それを一緒に食べよう。

 そんな、どうでもいい事を考えながら。

 と、また風がひと吹き。

 何処から飛んできたのだろう。

 紅く染まったモミジの葉が一枚、くるくると舞う。

 吹き通る、秋の匂いを乗せた風。

 その中にふと、甘い香の香りが流れた様な気がした。

 

 

                              終わり

 

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