一航戦を継ぐ者たち
元正規空母・加賀の朝は早い。正確にはまだ一航戦の正規空母なのだが、いずれはこの肩書も後進の艦娘達へと譲ることになるだろう。寝坊助な新人達を叩き起こし、朝の鍛錬をしに射場に行かなければならないからだ。重い体を起こし、寝汗をじんわりとかいた体を左腕で拭って布団からのそのそと出る。立ち上がる時にバランスを崩して一度起き上がった布団の上に倒れ込んでしまう。
まだまだ、自分も精進が足りないと思い左腕を使って何とか起き上がり、また立ち上がる。
今度は倒れないように壁に左腕をつきながら、ゆっくりと両足を踏みしめると漸く立ち上がれた。低血圧なこの体も考え物だ、これでは新人達に笑われてしまうだろう。流しへ行って備え付けた椅子に座り、顔を洗うと器用に左腕だけを使って着替える。これだけで1時間ぐらいは掛かってしまった。急いで部屋を後にしようとするも、大事なことを忘れていた。
「赤城さん、いってきます」
大事な日課の赤城さんへの挨拶を済ませて、加賀は射場へと向かう。此処まで時間が掛かってしまうと、新人の二人はもう先に行って鍛錬を開始しているだろう。階段や段差を注意深く昇り降りをし、空母寮から漸くその身を白日の下に晒す。真夏が過ぎ、秋が近づいているとは言えまだ日差しも強くじんわりとした空気が肌にまとわりつくような感覚を覚える。それでも古傷が疼く雨よりはマシだと加賀は気を引き締める。
射場に辿り着くと、予想通り新人の二人は既に自主訓練を初めていた。加賀が入って来たことに気付いた翔鶴がまずは駆け寄って来る。
「加賀さん、おはようございます。それよりもお体は大丈夫なんですか?」
「大丈夫も何もいつも通りよ、心配はいらないわ。まだまだひよっ子の癖に私を気遣うなんて随分と余裕があるのね、まずは自分の身を確りと守れるようになってからそう言って欲しいものだわ」
「す、すみません」
「いいえ、貴女は俯瞰で物事を捉えることに長けているけれども、
それ故に自分のことが疎かになっているわ。それさえ直せば、間違いなく一級線の戦力になれる」
萎縮してしまった新人へのフォローは忘れない、飴と鞭の使い分けは提督に確りと教わっていたので早速実践してみると意外と上手くいって加賀は驚いていた。提督が的確なのか、目の前の翔鶴がチョロいのか残念ながら分からないが。
「あ~ら、一航戦。今頃出て来たの?随分と余裕の登場ね」
脇からやって来た、跳ねっ返りは瑞鶴。五航戦姉妹の妹の方でやたらと加賀に突っかかって来る。ただ、いつもの調子でやって来る瑞鶴とのやり取りは加賀には有り難かった。
「瑞鶴、またそんな失礼なこと」
「いいのよ、翔鶴。確かに私が自分で決めた鍛錬の時間を遅れたのは事実だわ」
「でもそれは」
言いかけて、翔鶴は俯いて黙り込む。
「翔鶴姉、加賀さんの言う通りだよ。自分で決めた時間に間に合わなかったから私は言ってやっただけ。
それで加賀さん、今日は何の鍛錬をするのよ?」
「一通り貴女達の基本的な動作は一応は及第点を出して上げてもいいから、今日からは実戦形式の訓練を行うわ」
「やった!やっと実戦形式なのね!」
「ただし、まだ実戦で使うには危険過ぎるわ。せめてもっと貴女達の練度が上がってからで、今は訓練の上でしかやっては駄目よ」
「それって今のやり方と並行して新しいやり方も訓練するってこと!?」
「当然です、貴女達の弓の使い方は正確には私達が使っていた弓術とは違うものだもの」
「確かに、私と瑞鶴の弓は先輩方が使っていた弓よりも短いものですしね」
「そもそも私、弓を縦に構えて射るの苦手だったしなぁ~」
「そんなだからこうして訓練の量を通常の倍にする必要があるのよ、文句を言わないで頂戴」
これだから新人はと呆れるのも半分だが、二人が確実にやる気になってくれていることに加賀は嬉しさを感じていた。
やがて実戦形式の訓練を行う為に鎮守府に面した近海へと連れ立つ。波止場は足場が悪く、移動に時間が少々掛かってしまったがまだ訓練を行う時間は残っている。久しぶりの海に加賀は懐かしさと寂寥を覚えていたが、今は二人の訓練をしなければならない。目つきを変えて二人を睨むと加賀は二人に弓を構えるように号令する。射場ではなく、この海風吹き荒び容赦なく波が襲う海上でこそ、空母の弓術は真価を問われる。
慣れない長弓に手こずりながらも二人は矢を射る。矢は真っすぐに進んだかに見えたが、強風に煽られ、艦載機になる前に海面に飲み込まれてしまった。
「これだから五航戦は!海上はいつもの射場とは状況が違うのよ、それを念頭に射かけなさい!」
普段の戦闘から射場と海上では勝手が違うと翔鶴達にもわかっていたが、未だ不慣れな長弓を扱っていたので予想外の悪条件に戸惑いを覚えつつも、先輩空母達の技術の凄まじさを思い知らされた。
(こんな場所でこんな弓を使ってたなんて、流石は先輩たちね)
(冗談じゃないわ、やっとまともに長弓を扱えるようになったってのに、あの人とまだ全然距離が縮まってないじゃない!)
弓の構えに気を取られていては波に足を掬われ、足元を気にしていては弓を十分に引くことも出来ない。想像を絶する集中力を求められた。結局のところ、今日はまともに艦載機を飛ばすことすら出来なかった。流石の二人もこれには意気消沈しながら波止場へと上がる。
「これが、一航戦と二航戦のやって来た戦い……」
「そう、そして貴女達がいずれは引き継がなくてはならない肩書よ」
ややよろめきながら加賀が二人の元へとやって来る。体力を著しく消耗していた二人だったが、彼女の姿を見てすぐに姿勢を正した。
「はい、今の私達では到底、受け継ぐことの出来ない重責ですね」
「けれども、絶対に引き継いでみせる。じゃないと……じゃないと」
瑞鶴は言葉に詰まり、今にも泣き出しそうな顔になっていた。
「加賀さんに稽古をつけて貰っている意味がありません!!」
やっとの思いで出た言葉でも、瑞鶴の心情を表すには全く足りなかった。こんな時にいつもの調子みたいにズバズバと物が言えない自分に腹が立っていた。そんな瑞鶴の頭を加賀の左手が撫でる。
「時間が掛かってもいい、貴女達には見込みがあるから私が直々に稽古をつけているのだから」
気付けば日が昇り切り、正午を知らせる鐘の音が波止場にも聞こえて来た。午後からは五航戦の二人は出撃が控えているので今日の稽古は本当にこれで終わりになった。二人に両脇を固めて貰いながら加賀はゆっくりと鎮守府に歩み始めた。
一日が終わり、西日が差す頃に空母寮に加賀は帰って来た。左腕で扉を開き、右の壁にある照明のスイッチも左腕で手探りをしながら点けると、敷きっ放しになった布団は朝の状態から何も変わっていない。漸く自室に辿り着き、加賀は玄関先に座り込む。行儀が悪いと思いながらも四つん這いの恰好になって寝室まで進む。着替えを済まして顔を洗い終えた頃には西日はすっかり沈んで夜はとっぷりと深みを増していた。眠りに就く前に一日の締めくくりを忘れない。
「赤城さん、おやすみなさい」
加賀は返事を待たずにもそもそと布団に潜り込んで、目を閉じた。また、明日も後進の育成に努めねば。
鶴姉妹も瑞加賀もジャスティス、五省にも書かれている