元・正規空母加賀の朝は早い。
新人二人の教官役を買って出たあの日、自分で決めた集合時間に遅れないためだ。
布団から腹筋だけで上体を起こし、左腕を壁につけて重心を意識しながらゆっくりと立ち上がる。
(以前に比べて大分、起き上がるのにも慣れたわね)
思わず自画自賛をしてしまうぐらいには、上手くなった。
着替えにかかる時間も大分短くすることが出来、そのまま軽快な足取りで流しに行く。
顔を洗い、髪を梳かして鏡を見る。本日もばっちり身なりを整えてから時計を見やる。
約束の時間まで、かなりの余裕が出来ていた。
しかし、慢心してはいけない。今日は空母寮から比較的近い波止場ではなく、射場での稽古だった。
最近は実戦形式ばかりで、二人の弓の構えから基本の色が薄れかけていたので再び基礎の確認をしてから波止場へ移動する予定だった。
余裕があるならば、むしろ射場へ移動して新人二人に遅いぞと注意ぐらいしなければ。
「いってきます。赤城さん」
朝の日課を済まして加賀は射場へと真っ直ぐ向かう、しかし今日はそうはならなかった。
鎮守府内に設置された放送用のスピーカーから緊急出撃を告げる警報がけたたましく鳴り響く。
警報の後に、出撃する艦娘の呼び出しがある。加賀の予想通り新人二人の名前がスピーカーから聞こえる。
どうやら、今日の稽古は中止にしなければならなそうだった。
加賀は状況把握の為に、執務室のある赤レンガの建物へと向かう。
赤レンガの建物には出撃する艦娘たちの控室があり、そこへ入ると加賀に気付いた翔鶴が椅子から立ち上がりやって来る。
「加賀さん、おはようございます」
「おはよう、翔鶴。今日は稽古は休まざるを得ないわね」
残念ですが、と翔鶴は頷く。やがて加賀が来ていることに気付いた瑞鶴が向こう側から挨拶にやって来る。
「おっはよー、ございます。加賀さん、心配になって様子を見に来てくれたんですか~?」
茶化すように、含み笑いをしながら瑞鶴が訪ねる。しかし、加賀の表情は真剣だった。
無意識に加賀の左手が瑞鶴の右手の裾の端を掴む。
「当然です、貴女達は私の教え子である以前に、この鎮守府の次期主力空母なのよ」
よく見れば、加賀の左手は微かに震えていた。
それに気付いた瑞鶴は優しく自分の左手を加賀の左手に重ねる。
加賀の左手は震えているのと反比例して、とても温かくて触れた瑞鶴の緊張を解してくれた。
「だ、大丈夫よ。私は、正直実力はまだまだ加賀さん達には及ばないけど、
幸運の空母なんて呼ばれてるし!翔鶴姉だって今までちゃんと帰って来てる!」
重ねた加賀の左手を優しく解いて、瑞鶴は自身の右手も重ねて両手で包み込んだ。
「えーと……だから!そんな顔しないでよね!こっちまで調子が狂っちゃうでしょ!!」
今までこんなやりとりをしたことがない瑞鶴は自分の顔が真っ赤になるのを自覚した。
加賀の表情を覗き込むと、無表情ながらも同じく真っ赤になっており、余計に意識してしまう。
その様を見て翔鶴はクスクスと笑っていたが、いい加減に助け舟を出さないと二人とも熱暴走でも起こしかねない。
「瑞鶴の言うとおりです、加賀さん。私達は先輩達の意思を継ぐ為に稽古をつけてもらいました。
まだまだ道半ばですので、必ず帰ってきます」
我に返った加賀は包み込まれている左手を慌てて引っ込める。
「当然です、私のこれまでの時間が無駄にならないように、絶対に帰って来なさい」
加賀の確りした口調に、二人も背筋を伸ばして敬礼し了解の返事をする。
やがて、出撃の時間となり二人は他の艦娘と共に、深海棲艦の跋扈する海へと向かって行った。
一人、控室に残された加賀は艦隊が出撃する様を見るかのように、窓際から外を眺めていた。
そこへ、軍服を纏った青年が控室に入ってきた。
「此処にいたのか」
「ご無沙汰しています」
「そうだな、最近の調子はどうだ?」
「実戦形式の長弓の扱いは既に問題ありません。後は提督が大本営と交渉して『例の物』を入手してくれれば二人とも『立派な空母』になります」
「そういうことじゃない、体の調子はどうなんだ、と聞いてるんだ」
バツが悪そうに青年は軍帽を目深く被り直す。
後ろめたさ故か、加賀に座ってもらう様に椅子を窓際近くまで運ぶも、加賀の方を直視できずにいた。
「ご心配なく、既に日常生活を送るのには問題ありません」
その言葉を聞いて、青年は安堵したようにそうか、そうかと繰り返していた。
「加賀、今の鎮守府の現状をお前には知ってもらいたい」
「私がそれを知ったところで、何の意味があるというのかしら?」
「はっきり言って戦力が欲しい」
「私に復帰しろ、と言いたいのでしょうか?」
「いいや、違う。例えそう思ったとしても、俺からは口が裂けても君にはそれを言う資格がない」
青年のまだるっこしい言い回しに加賀は段々と苛立ちを覚えていた。
「今回の作戦の後、新たに正規空母の配備が決まった」
「新しい正規空母、ですか?」
それを聞いた加賀の表情が、一瞬だが明るくなった。
「ああ、だが来るのは雲龍型の正規空母だ」
青年の言葉を再び聞いた加賀の表情が、いつもの無表情に戻る。
むしろ失望の色を隠さないので、無表情とは言い難く、もはや仏頂面だった。
「同時に三隻も着任することになってな、内二隻は龍驤達のような
呪術形式の発艦方法で、もう一隻はお前たちのような弓を扱った発艦方法だ。
二人で手一杯かもしれないが、そのもう一隻目をお前に託したい」
「もう一人を私に……?まだ新人教育で何の成果も出せていない私でいいのかしら?」
「構わん、もはや弓を使った艦載機の発艦方式を持ち、教えられる立場なのはお前と鳳翔しかいない」
加賀が口を開きかけたので、青年は捲し立て始める。
「鳳翔は人手が足りない鎮守府運営の手伝いがある、はっきり言って稽古を付ける時間もない
何よりも、数々の戦場を潜り抜けて来たお前の技術を伝授してやって欲しい。頼む、どうか聞き入れてくれ!!」
青年は加賀の前に進み出て軍帽を脱ぎ、頭を下げる。
此処までされてしまうと、加賀には断ることは出来なかった。
渋々と承諾すると青年の表情は悲痛なものから明るいものに変わっていた。
「ありがとう、それと言いそびれてしまったから、今ここで言わせてくれ」
「何をですか?」
「あの時はすまなかった。俺の判断ミスで赤城や二航戦、それにお前の右腕が……」
急に加賀は椅子から立ち上がる。あまりにも急だったので、重心が安定せず、右側の方へよろけてしまう。
慌てて、青年は加賀の体を支えたおかげで、転倒は防げたが加賀はすぐに青年の腕を振りほどいた。
「お気になさらず、あの時は貴方の作戦には何の落ち度もありませんでした、提督」
「しかし、責任は俺にも」
「いいえ、あの戦場で敗北したのは私達空母の判断ミスです。こうして私が生き恥を晒しているのも全ては私達のせい」
加賀は
その光景に、青年もとい提督は目を一瞬逸らしそうになるも、踏みとどまった。
自分の責任だと口にした手前、それを否定するような態度を取りたくなかったからだった。
「加賀、生き恥などと言うな。お前は立派だ、戦友を、相棒を失って尚も気丈に振る舞い。
自身のリハビリもそこそこに生還して間もなく、後進の育成に専念してくれている。
それは戦力を大幅に失った我が鎮守府にとっては、大きな助けになっている」
肌蹴た加賀の襟を正しながら提督は宥める。すると、大声を聞いて駆け付けた金剛が控室の扉を勢いよく開けた。
「て、テートクぅ、何してるデース!!?」
「待て、金剛、誤解だ。俺はまだ何もしていない」
「まだってどういうことデース!今日という今日は許さないからネー!!」
現・秘書艦である金剛は、提督とはケッコンカッコカリをする仲だった。
ただヤキモチ妬きを拗らせており、ひょっとしたことでもこうして提督に殴り掛かってくる。
加賀はしてやったり顔で提督を一瞥した後、金剛に向き合う。
「私は嫌がったのだけれども、提督が無理やり襟を……」
「何デスってー!?テートク、お話がありマース」
「ま、待ってくれ!本当に今回は俺は何もしてな……やめて下さい、徹甲弾は洒落にならな……グワーッ!!」
提督の首根っこを掴み、金剛は控室を出て行った。
外から提督の悲鳴が聞こえる以外は、再び静かな場所に戻った。
これ以上、此処に長居しても仕方がないので、加賀は食堂で昼食を済ませてから射場へ向かう。
今回の話は一応次まで続きます(ただし次は何時かは未定
正直、金剛嫁提督にはオチに使って申し訳なかった