悪夢
――聞こえた。
『それ』は、声を聞いた。
偶然だった。己に仕込まれたシステムという『個性』は己を元に製造された弟たちには備えられていないことを知り、その性能を確かめていた時、とある会話を傍受したのだ。
システムが傍受し拾ったのは、竜を介して伝わる人と人との会話。
浅く広く自身の『個性』の範囲を広げていたが一字一句、全てを拾い理解した。
『それ』はシステムが探知し続けている他の情報を拾いながらも、正確に思考することができる自分に驚きつつも要点をまとめた。
アーカディア帝国、北東の領主、アティスマータ伯が二十四日後、各地のレジスタンスを集めて蜂起。
近隣諸国の支援も受け、総軍七万に
帝国正規軍の対策は帝都の協力者が引き受ける。
帝都にいる協力者は一体何者なのか。
声の送り主はクーデターの成功の暁には故郷の幼馴染に結婚を申し込む。
聞いた会話で重要なのは二十四日後に機竜使い二百七機がクーデター、いや『戦争』を起こす。この一点だけだった。
鋼が小刻みに震え、音が響く。
『それ』は脳裏でシミュレートし、描いた光景に熱を湧き上がらせていた。
『それ』は飢えていたのだ。己を更に高めるための餌食を欲していた。
その行為に、喜び、怒り、哀しみ、楽しみもない。ただ本能にも似た進化への執着だけがあった。ただ、何もない己にソレがあったからソレに従っているだけ。与えられた
暗黒の宇宙に瞬く妖星のように――黒と金の体の、赤い義眼が熱のない光を放つ。
そして、『それ』は戦争の――己の獲物たちが現れる所在を確認した。海の殺戮者たる鮫が、わずかな血臭を鋭敏に嗅ぎつける自動的生態……おぞましいばかりの貪欲さに、それは余りに酷似している。
拾った竜声の波長を、いつでも傍受できるよう『個性』に記録し、『それ』はいずれ起こる戦争の件を弟たち……いや、同胞たちにも伝えるために動き出した。
――◆◆◆◆◆――
世界最大の大国、アーカディア帝国。
その首都、帝都ロードガリア。
巨大な王城へと続く城下町である王都は、十七の街区にわけられ、人工密度も高い。
自給自足が可能なように、工業、農業、商業――そして軍の拠点が綿密に配置され、不思議な規則性をもって並んでいる。
数百年の歴史を持つアーカディア帝国が、その技術と財力の全てを集結させて造り上げてきた街の仕組みは最も強く、最も堅牢。
その在り方は、世界最大の国であることを寡黙に証明させていた。
そう、それ故に――
帝都で進行する破滅劇を、予想出来た者は誰一人としていなかった。
音があった。
赤に呑まれた。
動きがあった。
紅に呑まれた。
風景があった。
朱に呑まれた。
燃えている。
燃えている。
燃えている。
燃えている
全ては混ざり合って――炎に呑まれた。
アーカディア帝国、帝都ロードガリア炎上。
後に『血濡れの革命』と名付けられるその日、視覚と聴覚、触覚を蹂躙する地獄がここにあった。
惨劇の産声は、轟音と爆炎と叫喚がもたらす三重奏。その都の中は今、余りにも明確な二色の世界に分かれていた。
悲鳴と沈黙。生と死。
瞬く間にまた一つの命が散り、沈黙と死を増やしていく。焼いて生まれた煙に覆われ、大地は焔と風に蹂躙される。熱い、熱いと数えきれぬほどの声色が天に向かって響く。
それに重なり呼ぶ声は、父を呼ぶもの、母を呼ぶもの、息子を呼ぶもの、娘を呼ぶもの、祖父を呼ぶもの、祖母を呼ぶものだ。
それら全てはここに揃い、しかし一切の答えは返らない。
破壊の権化と化した炎が、声の叫びを糧に大地を染め上げ、アカの色を噴き上げていく。
その地獄を駆ける一つの影がある。
影―――銀髪の青年は、なだれ込む人の悲鳴、肌を蝕む炎を受け止めながらも前へ前へと進んでいた。
「―――!」
叫んだ。
この惨劇に呑みこまれる人を救おうとする思いが込められた叫びだった。しかし、虚しく爆発と炎の絶叫に呑まれるだけ。
「―――!!」
再び叫ぶ。
手を口の横に当て、より大きな声で生きている者を探し続ける。しかし、それでも足らず、呑まれて消えた。
「がっ……!?」
声を張り上げることに集中のし過ぎで地面へと勢いのまま転倒する。
とっさに手を先につけたために顔は無傷だったが……。
「ぐうっ……!?」
砕けた住居からの破片、熱した地面により手は酷い有様。皮は破れ、血は滲み、熱がじわじわと染み込んでくる。
「くそ……っ!!」
少年は傷だらけの手で熱した大地を殴り付ける。涙が零れ落ち、汚れた顔を濡らしていく。少年が零す涙……痛みによるものでは決してない。
握り締めた手を見つめながら、少年の心中は己の無力さに抱いた怒りに溢れかえっていた。
周辺は治まる気配を、それどころかより激しさを増した火の粉が、肌を焼き焦がし、世界を朱に染め上げている。紅い闇を引き裂く断末魔の悲鳴。一秒ごとに濃密さを増していく死臭。この世に存在するありとあらゆる阿鼻叫喚を詰め込んだような、そこはまさに地獄の釜。赤と黒の地獄。
「ハッ――ハ――ハァッ、ハッ――――」
立ち上がり、地獄の渦中へと躍動する両足は青年の意思によって動いておらず、本能と義務によるものだった。なぜなら青年自身が、目の前の事態を誰よりも認識してはいるからだ。
そう、この地獄をもたらした原因が、そも何であるのかという認識を――。
「―――!!!」
現実に脳髄が軋み、精神は負荷で悲鳴を上げながらも生存者を探し続ける。体を蝕む炎よりも、広がり続けている地獄が青年を何よりも苦しめていた。
「―――!!!」
一秒毎に地獄を積み上げていく、悪夢そのものと呼ぶべき黒影……その正体が正しく邪悪の化身や憎むべき敵対者であったなら、葛藤に苦しむ事もなかったろう。
ほんの先刻まで生きていた人間たち。その人生と尊厳を、無慈悲に無意味に踏み潰していく悪夢は……他ならぬ、自分という存在によって誕生してしまったのだから。
牙を向き続けている悪夢、その悪夢から一人でも救うべき走るが――
「――――ッ!?」
涙で濡れていた瞳に映ったのは、瓦礫に半ば埋もれるようにして折り重なった人影だった。
二人。一人は大きく一人は小さい。女性と子供。おそらく母と子。
子供をかばうようにして抱いた女性は足を怪我しているのか、その場から動こうとしない。子供はあどけない顔を恐怖と絶望と苦痛に歪めて、口を大きく開けて泣いていた。
「――っ!」
無我夢中で二人に向かって駆けた。
後一歩、その目の前で。
轟音と衝撃が、世界を塗り潰した。
視覚と聴覚と皮膚感覚が、一体となって混濁する。
平衡感覚を強奪され、少年は地面に打ち倒されていた。
―――ぐちゃり
生涯で聴いた中で、最も不快な音と同時……熱く紅い飛沫が、頬にかかった。
生々しく、粘り気のあるそれが妙に現実的なのが酷く嫌だった。
それが血だと気付くには数秒の時間がかかった。しかし、少年の身には痛みはなかった。
「あ……」
自分の前に『何か』がいた。
「ああ……」
体をあらぬ方向に向けた『何か』がいた。
「あああ……」
その『何か』が何者かと気付いた時――
「ああああああああああああっ!!」
奥底に押し込めた記憶がフラッシュバックし、呼び起こされる。
かつて自分が起こしてしまった遠い日の慟哭、遠い日の後悔。
失った、あの底なしの絶望を。
「ぁ―――」
胸が締め付けられる。現実に向き合う力が抜けていく。
だらんと力が抜けた姿は糸が切れた人形だ。
痛い、苦しい、辛い。心が悲鳴を上げ、現世からの解放を願っている。現在進行形で四肢を炙る炎の痛みよりも心の痛みが激しく鮮烈だ。
もはや意識を保つことさえ限界に近い。発狂寸前の……へし折られる寸前はただただこの惨劇で死んでいく人々への謝罪で埋め尽くされた。ごめんなさい、ごめんなさいと。
後一歩、青年の心が死ぬ寸前。
天空には、真円を描く満月。雲一つない空に輝く月は魔的に美しく、見下ろしている大地とは正反対の世界に『それ』がいた。
月を背にして漆黒と黄金の
そして、胸部装甲の内側に異様な人間がいた。
首から下に装着された黒いフルプレートの鎧、顔には紅い鳥が羽ばたくようなマークを刻んだ白いフルフェイスの仮面を身に付けている。
一言で言えば、異様な機竜だ。
いわゆる汎用機竜と呼ばれる三種、
異界の技術によって作られた兵器がこの世界の技術と融合して生まれた物だ。
考えてみれば当たり前の発想だと青年は得心した。
あれらは
何故、反乱が行われるのを知り得たことにも、納得した。天に浮かぶ者――『ガウェイン』に備えられたドルイドシステムの力があれば、竜声の傍受も容易い。いや、『蜃気楼』かもしれない。
だが、そんなことはどうでもよかった。
元凶。
元凶がいる。
この状況を生み出した元凶がここにいる!!!
立ち上がった。
火傷が猛痛を放った。身動きすれば苦痛が呼ばれる。一歩進むたび、膝が折れそうになる。瞬きするたびに意識を闇に沈めそうになる。
だが、それでも青年は動いた
素晴らしい。憎悪こそが力。
こんなにも憎いから立てる。
こんなにも憎いから動ける。
愛情が人の心を感動させるのならば。憎悪に浸ることもまた、この上ない感情ならば。
この殺意こそが至福だっっ!!
怨敵の元へと青年は駆けていく。
その目に溢れていた涙は止まり、口は縫い付けられたように閉じられ、表情は鋼鉄へと変貌していた。
――◆◆◆◆◆――
天に浮かぶ――《ガウェイン》の紅い双眸が光を放つ。
それが合図となったのか帝都の絶叫はより激しさを増した。
すなわち、事態は一向に好転の兆しを見せず。地獄を作り出した元凶の手で、ここからさらに破滅的な絶望を演じるのだった。
まず、生まれたのは焼き尽くす暴風と熱波。積木のように粉砕される半壊した建造物群。二体の影を発生源に同心円状へ広がる衝撃。狂乱する死を引っさげて禍の到来を告げた。
襲い掛かる光線――射線上にあった全ての物質が、赤と黒に包まれて消滅する。
振り払われる双剣――音を置き去りにした刃が獲物を捌き、刺身へと変える。
ばらばらと、バラバラと――降り注ぐのは死体の雨。
血と内臓と肉片の混合物をまき散らしながら、悠々とそれを浴びて進撃する奇怪な影が炎に映る。
それは鋼鉄の騎士を模した二体の怪物。
ありったけの災禍を纏う怪物が、己の性能を見せつけながら姿を現した。
姿形は空中に浮かぶ、《ガウェイン》と似ていたがカラーリングは灰色で、顔面部には四つの赤い光点がはめ込まれていた。そして、個性として一体が手に双剣を持ち、もう一体は両腕に砲口が備えられていた。
そんな渦中で、男は一匹の虫だった。生物として己の上位たる存在にただ踏み潰される存在として。
「お……あぁ……ッ」
裂けるほど見開かれた眼球には、燃え盛る炎が映し出されている。それよりもなお紅く生々しい、地面と壁一面に飛び散る色彩もまた。
男――アティスマータ伯は、正気を失った人間のように、天へ向かって問い掛けた。
その姿は死に体といってよく。身に纏っていた機竜は原型を留めていないほどに破壊され、装甲の破片が脇腹に深々と突き刺さっていた。
火傷に蝕まれ続ける腕を伸ばして、震えながらただ一心に、哀切を籠めて声を絞り出す。
「何故だ……何故こんなことに。我々の行いは……この惨劇を産むためのものでしかなかったのか……!?」
この国を救おうと立ち上がったのだ。如何なる犠牲を出してでも諦めることはしないと誓って、実際そうした。
そう、したのだ。帝国に人質として連れ去られた娘のことを顧みずにこの反乱を行った。
だが目の前の現実は、まるでその考えを嘲笑うように存在していた。
荒れ果てた戦場に、
刹那、炎を突き破るようにして出現したのは、
手にした装備から怒涛の攻撃を放ち、突き進む。
そして彼らを援護すべく上空から包囲射撃を敢行する
火を吹き続ける機竜息砲が、振るわれる巨大な刃が、災厄の根源へと次々と襲い掛かる。
しかし――いいや、当然の如く。
『――――――』
『双剣』が唸った。
鉄と鉄が軋み合うが如き不協和音は呪詛のように聞こえた。
砲撃がその身に襲い掛かろうとした瞬間、体から機械音を響かせるとすべての有利が消失した。
『双剣』の全身を覆うように現れたのは、正体不明の翡翠の壁。
着弾と同時――壁にぶつかりその威力を敵に示すことなく爆炎となる全方向の砲弾弾幕。
全弾命中。そのはずなのだった。空気の層を突き破った砲撃の衝撃は、『双剣』を倒すことはできずとも、何らかの傷を負わすことができたはずだ。
けれど結果はこの様。翡翠の障壁に囲まれた『双剣』は無傷。
自分たちの描いた未来図とは異なった結果に兵は、束の間自然と忘我に憑りつかれてしまう。
「―――」
その僅かな間が、兵の命運を決定付けた。
淡々と、感情を感じさせない動きで、『双剣』が自ら攻めへ打って出る。
―――そして、死んでいく。
先ほどまで勇猛に挑んでいた
両手の剣を一度振り、大地を蹴りつける。動体視力を振り切るほどの高速移動を駆使しながら、巨体に似合わぬ俊敏さで
剣が振るわれるたび、纏った
高速機動に加えて、絶対障壁、素人が見ても理解できる隔絶した剣才。
機体の性能が違う、操者の実力が違う。視界に入ってくる現実が、存在の格を突きつけている。抗うことさえ馬鹿馬鹿しくなるほどの隔絶性。
そしてそれは、もう一体にも当て嵌まる。悪夢に並び立てるものなど自明、同等の怪物を除き決して他にはいないのだ。
「――――」
機械の唸り声を上げるのは『双砲』。漏れた唸り声が『双剣』と同じものならばその意味は明白。
両腕を上空で固まっている
五指のない蕾の形をした腕が上下に割れる。瞬間、黒に縁どられた赤い光線が発射された。その破壊力は機竜の装備とは、一線を軽く凌駕している。
放たれた光砲は寸分違いもなく、
平均して一撃で三体。破壊の塊である光線は機竜が持つ障壁をまるで無いように突き破り、頑固な
無論、機竜よりも脆弱な肉体を持つ
「あ……あ……」
その光景をアティスマータ伯は目に焼き付けていた。志を同じくした同胞たちがこの世に何も残さずに殺されていくのを。
この異形は何なのか?なぜ、どうしてこんな所業を行うのか?
目的、正体、まるで不明。前触れなく帝都に出現して、絶大な戦闘力を武器にこの地を獄炎と死で彩ったという結果だけを残していく。
『双砲』と『双剣』。一見してまったく同じに見える怪物は、紛れもない同種であり、ならばこそ疑問を感じられずにはいられなかった。
あのような怪物は見たことも聞いたこともない。
他国が開発した新型の自立兵器だろうか。まだ見ぬ新種の
もはや反乱軍が壊滅するのも時間の問題。この歪んだ帝国を変えようと自分についてきた者たちが物言わぬ肉塊になるのを目に収めながら、慟哭する。
「……無念だ」
今にも消え入りそうな謝罪の言葉と共に、襲い掛かってくる機竜使いを全滅させた『双砲』がこちらに向いた。
「ああ…………」
もう終わりだ、逃げられない。至極自然な道理としてここで魔人に殺されるのだと理解させられた。
自分を貫く視線は、希望を消し、足掻くことを無駄だと教え、死を受け入れさせるには十分過ぎた。
次の瞬間。『双砲』の右腕で力が炸裂した。
砲撃。
来る。死ぬ。骨すら残らんと。迫りくる死の光線から目を背け、首を俯けた。
「頼む、誰でもいい――どうか、どうかっ!!」
全てをこの反乱に注ぎ込んだ結果がこの惨状、悪夢以外になんだというのだ。
このままでは、終わってしまう。費やしてきた過去、新たに創造されていく未来。その全てが破滅の現在によって消滅し、終わってしまう。
進み続けている人智を凌駕する破滅を覆すには、もはや奇跡に頼るしかない。
誰か、誰か、誰かと、自分以外の何者かに懇願する不甲斐なさに涙さえ浮かべながら、アティスマータ伯は叫んだ。
だが、『双砲』の放った力は一瞬で到達。
轟音が……響かなかった。
アティスマータ伯は目をきつく閉じていた。
しかし、体に襲い掛かるはずの痛みはない。もしや、死の痛みとは無痛なのかと思考をよぎったが、脇腹の痛みがその考えを否定してくれた。
「生きて……いる……?」
呆然と血の味が広がった口を開いて呟いた。
鼻を蹂躙する死臭、肌を焼かれる感覚が自分が未だに現世生きていることを教えてくれた。
恐る恐る前へと顔を上げると、眼前に黒色があった。
命が消えつつある視界では目の前にある黒色が人の衣服であることしか解らなかった。
自分と、悪夢との間にあった光線は綺麗に消滅しており、黒衣を着た人物が、己と悪夢の間に立ち塞がっている。
それだけだ。それだけだったのだ。
しかし、それだけでは、生身の人間が機竜を殲滅できる光砲を防いだということには、理解するのに時間がかかった。
だが現に、男は無傷でその場に立っている。
「《ガレス》、《ガへリス》。――よくもやってくれたな」
鳴り響いた声は、まさしく喜怒哀楽が抜けきった鋼鉄が奏でる響き。庇うように背を向けて立つ姿が、命に代えてもこれ以上の暴虐を許さんと雄弁に語っていた。
そこでアティスマータ伯は現実を理解した。
ここに、ようやく数々の損失、痛み、そして絶望、それらあまねく負の因子を一触で振り払う奇跡、物語には付きものの逆転劇という救いが舞い降りたということを。
――◆◆◆◆◆――
突きつけていた腕を下すと、そのまま腰にかけた
続いて口から放たれる声は、機竜を呼び出すための
「起動せよ、朔と望の先駆けとなる青の志士。遍く敵を、害悪を極意の一撃をもって打ち砕け《月下・先型》」
男の足元に何かが割れる甲高い音が響く。呼び出された『力』が、主の呼びかけに従い空間を砕いた音だ。
砕かれた空間から漏れだしたのは、赤という赤に染め上げられた世界とは正反対な神々しい光だった。すると、空間の向こう側から光に誘われるように『それ』が現れた。
深い、海の深淵のような青い機竜――いや、『
「
続いて吐き出された声により、瞬時にその装甲は主の頭、両腕、肩、両脚を覆う。
戦場に新たな怪物が姿を現した。
優雅さには程遠く、代わりにいかにも無骨と剛健さを混ぜ合わせた威圧を感じさせる武者。頭部には光り輝く単眼。背中には折りたたまれたX字型の翼。右腕には鈍い光を放つ銃口と唸り声をあげる長刀が備えられている。
その姿を確認した、悪夢たちの纏う気配が別種のものへと組み変わっていく。
大地を這う芋虫が羽ばたく蝶へと変じるように、それは“存在”自体の変異を意味していた。
男が見守るその前で、悪夢の存在は……今や遊びから戦争という機能に特化した何者かへと音もなく推移を果たしていく。
その変化の始まりとまったく同時、《月下・先型》が流星の如く疾駆した。
「―――、なっ」
その爆発力、その加速、もはや汎用機竜の比ではなく、驚異的な性能を前にアティスマータ伯の反応速度をいとも容易く振り切った。
人間の知覚を遥か凌駕した領域のそれは、残像さえ残さないほど。既に捉えられている獲物が慌てて構えるものの、遅すぎる。
『――!?』
意識の変化を対価に、『双剣』――《ガへリス》は己の武器を一つ失った。
宙を舞うのは灰色の装甲。
《月下・先型》が左手に備えた刀―――《回転刃刀》。刀身から蜂の羽ばたきと似たような異音が奏でられている。高速回転を繰り返す日本刀は切れ味抜群、切っ先に触れたならば幻玉鉄鋼すらも容易く両断可能。
恐らくは《ガへリス》にとって初めての負傷だったのだろう。目に見えて挙動には、戸惑いがあった。しかし、その動きも僅か。これ以上の損失を防ぐため、《月下・先型》から脚部の車輪を起動させ距離を取る。
次いで動いたのは、『双砲』――《ガレス》。
《月下・先型》が行ったその攻撃を恐れてか、両手の砲撃だけでなく、脇と腿に装備された武装を解放する。
二条の砲火が轟き、赤い線状の弾幕が降り注ぐが――
「――《甲一型腕》!!」
その名称に応じるように、《月下・先型》に動きが生まれた。
左腕外装に突如空間が展開し、甲一腕型と呼ばれた武器がパーツ分解状態で姿を現す。
様々なパーツが左腕フレームにロックをかけ、包みこんでいく。変化した腕の指は三本で、それぞれ真紅の色に光っていた。
完成まで一瞬だ。
白に染まった異形の魔手を突きつける。
赤い、赤い障壁が生まれる。
光線が散る。弾幕が散る。障壁に接触した途端、莫大なエネルギーによって、形を保てることが出来なくなった数多の凶器は微塵となって砕け散る。
その光景は使用者からすれば、見慣れた光景にしか過ぎない―――だが、相手にとっては、想定外の不条理であったために、致命を晒すはめとなった。
硬直によって生まれた僅かな隙を逃すことなく、《月下・先型》が突撃する。
咄嗟に翡翠の障壁を展開するがもう遅い。
魔手は障壁を易々と突き破り、仮面の人間の胴体を鷲掴みした。
「弾けろ」
繰り出されるのは先ほどの技。
強烈なスパークが発生し、仮面の人間の組織を一気に破壊していった。その余波は《ガレス》にも迸り身体中から絶叫を生み出した。
スパークが終わり、全てを蹂躙された《ガレス》は、それでも崩壊しなかった。しかも、頭部にある目と思しき光点、胸に浮かぶ紋章は未だに輝き続けている。
だが、男はそれを許さなかった。
振るわれるのは、鉄拳。刀を握ったまま《月下・先型》の拳が赤い鳥が羽ばたく紋章を備えて、《ガレス》に突き刺さった。
その一撃で……ガレスは遂に沈黙した。
崩れ落ちる《ガレス》を構わず、次の目標へと視線を移す。
隻腕になりながらも《ガへリス》が剣を構えている。構えは、防御に向いたものでどんな攻撃にも対応できるものだ。その姿勢は《ガレス》を倒したことには、いささかも動揺をしておらず、ただ敵の迎撃に向けられている。
その布陣に青は正面から突撃した。
右腕の《回転刃刀》が回転率を上げる。握り締めた鋼の刃が甲高い声で鳴き始め、その切れ味を最高潮まで高めていく。
自壊寸前まで高められた刃は、盾として構えられた剣と前面に集中して展開された障壁を容易く断ち切り―――使い手の首を刎ねた。
続けて、赤い紋章を張り付けた拳の一撃が《ガへリス》に叩き込まれる。
これまでの戦闘が嘘のように《ガへリス》はその場に停止した。
その光景をアティスマータ伯は見ていた。
もうすでに耳は音を拾わず、肌の感覚は死んでいた。視界は機能をしていないにも等しく、今まで猛威を奮っていた悪夢が倒されたことのみ理解していた。
「……は……ははっ……ははは」
それでもアティスマータ伯の胸には歓喜の念が生まれていた。血が喉からせり上がり、笑いを赤に染める。
――いた。いてくれた。
――悪夢を倒せる者が。
――人々を救ってくれる者が。
暫くして、アティスマータ伯の生命は活動を停止した。
しかし、その口は笑みの形を作っていた。
――◆◆◆◆◆――
《ガレス》、《ガへリス》を倒した男は二体から
主のみ失った《ガへリス》はともかく、全身を蹂躙された《ガレス》の
残った
男は囲まれていた。
大地と天から視線を送り、囲むのは悪鬼。しかし、その様相に統一の二文字は無かった。唯一の共通点は、その全てが仮面を付けた人間と共にあると言う事だけ。
――白い騎士を模した悪夢。
――禿頭に二本の角を持った悪夢。
――小豆色の城塞の如き装甲を持った悪夢。
――黄金色で半人半馬の悪夢。
――地面に虫のように這う白い悪夢。
――東洋の面の形をした顔を持つ青の悪夢。
――銀色の右腕を持った真紅の悪夢。
――甲虫を模した一本角を持った悪夢。
――両肩にケープ型の装備を纏った薄紅色の悪夢。
その他にも、特徴的な形状をした悪夢が複数いた。
囲む悪夢たち全ての姿を確認した時、突如地上に『それ』が降りてきた。
降りてきたのは、大剣を背負い、その大剣に負けず劣らずの巨体を持った悪夢。悪夢の使い手は当然、仮面を付けていた。
その肩には大きな裂傷があり、火花が散っている。
傷を負った腕を伸ばして足元に転がった――斬り飛ばされた《ガへリス》の腕を掴み上げる。すると、腕の輪郭が崩れ始めた。
形を失った腕は淡い光の粒子となって、持ち上げられる手へと吸い込まれていく。それと同時、体から湧き出た光が肩の傷に覆いかぶさるように集まり、雪のように溶けて消えた。その下には傷一つない装甲が姿を現した。
傷の塞がった肩を大きく振り、聖剣の名を与えられた剣を抜く。その動きに鈍りは無く、完全に回復したことを明確に表していた。
それを合図に取り囲んでいた悪夢たちが各々の装備を構え始める。
その矛先が向けられるのは、無論、同胞二体を破壊した《月下・先型》。
言わば、絶望的な状況。
たった二体でも驚異的過ぎた悪夢と同等か、それ以上の存在が集団で取り囲んでいる。
だが、男は逃走、降伏といった後ろ向きな考えは持っていない。
不退転の意思表示として符を口にする。
「覚醒せよ、月夜に輝く青の戦士。紅蓮と白炎を超えし身となるため、月満ちる夜に蒼となれ《蒼月》」
新たに言葉は
符の一節を聴き取り、《月下・先型》が唸るような軋みをあげた。
己の主を取り込むように展開された胸部装甲に真紅の鳥の紋章が浮かび上がる。紋章から脈のように伸びた線が身体中を駆け巡っていく。
紋章をから流れ出す力が《月下・先型》の姿を変えていく。
より強く、より速く、より高くへと。
その意思を感じ取った悪夢たちは一斉に襲い掛かる。
生まれ変わった《月下・先型》――《蒼月》は、腕を広げてより鋭くなった刃とより禍々しくなった爪で迎え撃った。
――◆◆◆◆◆――
――鋼の竜が天空を舞い、激しく刃を打ち合わせる時代。
この日をもって彼らの存在が世界中に知れ渡った。
絶大な戦闘力を持った鋼の悪鬼、『