Tales of Vederia ~偽りの絆を越える物語~ 作:歩凛
爆ぜるように開いた礼拝堂の扉。困惑と絶望に揺れるミアリシュレの右の視界に、見慣れた蒼が飛び込んできた。一瞬の内にメオンとの距離を詰め、いつの間にか抜刀された刀はその首を的確に刎ねようとしている。
「やめてっ!!」
ミアリシュレの叫びに、刀は
「お嬢、“これ”はもう手遅れだ。殺すしか道はない」
声色を変えずに、淡々と。ジュストは一秒たりともメオンから視線を外さない。
「……っ! “これ”なんかじゃないわ! だって……こんなの、おかしいわよ! さっきまで私と一緒に遊んでいたもの! 話を、していたもの!」
最早人として扱おうとしないジュストに、ミアリシュレは思わず声をあげる。しかし、この間にもメオンの様子が元に戻る素振りはない。
「……なんだよおぉぉ……なんなんだよぉ……結局、お前が邪魔すんのかよぉおおおおお……!!」
虚ろな目で、メオンが咆哮する。その怨念に応えるかのように、彼に纏っていた黒い瘴気が巨大な手のように形を生してジュストに襲いかかった。跳躍して難なく躱したジュストは、ミアリシュレを庇うように着地する。瘴気はそのまま礼拝堂の壁に激突し、消失した。
壁に走った亀裂を、ジュストの左目が横目で捉える。
「ミアの……傍にいて、いいの……はぁああぁ……お前、なんかじゃあぁあぁ……ねぇよぉおおお!!」
形成される瘴気の手が一気に増えた。だがそれらはメオンの制御下にはないようで、ジュストを追う訳でもなく縦横無尽に飛び交う。
「ねぇメオンってば! しっかりして!」
やはりミアリシュレの言葉は届かない。その間にも壁は手の衝撃を受け止め続けていたが、亀裂は範囲を広げ、遂に古びた礼拝堂に限界が訪れようとしていた。
天井から石片が降り注ぐ。もはや礼拝堂の崩落は時間の問題だった。にも関わらず、瘴気の手は止むことなく暴れ、空間を引き裂くかのように蠢いている。
ジュストは瞬時に判断を迫られた。メオンを倒す隙など、もはや残されていない。
「えっ!? ちょっと、何するの!」
彼は迷わなかった。
困惑するミアリシュレを抱き寄せ、その場を跳躍で離脱。すぐさま礼拝堂の奥に見える裏扉へと走る。
背後では、メオンの影が呻きながらも瘴気に喰われていく。もはや彼が自我を保っているのかすら定かではない。
高貴な光と禍々しさを湛えた結晶に囚われる幼なじみの姿は、ミアリシュレの桃色の瞳に映ることはなかった。
そのまま、礼拝堂が崩れ落ちる。
轟音の中、瘴気もろとも彼の姿は瓦礫に埋もれ、ジュスト達は辛うじて外に飛び出した。
崩れ落ちる礼拝堂の轟音が、不気味な静寂を破って響いた。ジュストに抱えられたミアリシュレは、振り返ることすら許されずに瓦礫の山と化した建物を見つめていた。あの中に、メオンが——涙が頬を伝う。だが、悲しむ間もなく。
ざく、と。
湿った音が、二人の足を止めた。見れば、礼拝堂から続く石段の途中に一つの影が立っている。紅い月明かりに照らされたその顔は、やはり見覚えのある
男の左目は虚ろに光り、血の涙を流している。手にした剣の切っ先からも、まだ温かい血が滴っていた。
「お嬢、後ろから出るな。絶対に」
ミアリシュレを庇うように前に出たジュストは、既に抜刀の構えを取っている。男はゆっくりと剣を構え直し、無言のまま歩み寄ってきた。
しかし、ジュストが刀を抜く必要はなくなった。
肉を断つ耳障りな音と共に鮮血が舞う。頬を点々と血に染めたジュストは目を見張る。血に濡れた刃が、深々と男の胴体を貫いていた。剣だ。彼の刀ではない。
「……あ、あ……あぁっ……!?」
ミアリシュレは戦慄する。剣を抜かれた男は斬られた大木のようにゆっくりと背中から地に伏せ、ぴくりとも動かなくなった。理解が追いつかない。自分達を殺そうとしていた者が、別の誰かに殺されている。
その者は、いつの間にか倒れた男の背後に佇んでいた。身に纏う黒いローブは紅い月明かりに、やけに映える。目深に被ったフードにより一切の表情を読み取れない。誰かもわからないのに、ジュストは何とも言いがたい胸のざわつきを感じた。
ローブの男から発せられている殺気。凄まじいそれに飲み込まれないように、ジュストも警戒心を最大まで引き上げる。空を切り取ったような蒼の瞳は大きく釣り上がり、ローブの男を
「狩られる人間のくせして、一丁前に横取りしようってかぁ? いい根性してんじゃねぇか、おい」
「え……!?」
この地で聞く筈のない、狂気を孕んだ男の声だ。ジュストの困惑を隠せない声が漏れた。
ローブの男はもう指一本動かなくなった
背伸びをしているとはいえまだ
「なに……なんなの……?」
「悪ぃ悪ぃ。嬢ちゃんにゃちょっと刺激が強かったなぁ……っと!」
足元から突如現れた無数の鎖に絡め取られ、ミアリシュレの身体は宙に浮いていた。
「下から!?」
「う、動けない!」
品定めするように見回すフードの下の口元は歪んでおり、心底愉快そうだ。その手は悪びれもせずに、今しがた抉り取った目球を弄んでいる。光を失ったはずのその目線は、ミアリシュレを捉えて離さない。
「やっぱり硬い……!」
見た目こそごく普通の鎖。だが燿眸力を纏ったそれは、鋼を連想させるような強度となっていた。ジュストの居合いを受けても傷一つつかない。
「やれやれ、面倒すぎる道のりだったなっと。やぁっと両方揃うぜ」
(両方ですって? この人は、何を言っているの)
思考が止まったミアリシュレに絡みついた鎖は、ローブの男の元へとゆっくり運んでいく。
「今すぐ離せ! 蒼破刃!」
連れて行かせまいとジュストは目にも止まらぬ速さで抜刀、前方を薙ぐと蒼い衝撃波がローブの男を目掛けて真っ直ぐに地面を走る。
「ほ〜ぉ? 粗末なもんだな、おい。そいつぁこうすんだ……よっ!」
ローブの男の両手には、いつの間にか刀と鞘が握られている。緩やかに抜刀後、切っ先を地面に当て余裕綽々と下から振り上げると、ジュストのものを遥かに凌ぐ大きさの衝撃波を放った。ローブの男に辿り着くことは叶わず、呆気なく相殺された。
だがジュストにとってこの事態は予想済みであり、焦りや絶望から表情を変えることはない。地を蹴り一瞬の内に加速し、居合いの範囲に男を捉える。
ローブが揺れた拍子で見えた男の口角は、不気味に上がっていた。
頬を、髪を、鮮血が彩っていく。だが刃は男に届いてはいなかった。胸に朱い華を咲かせたのは、ここにはいない筈のベルクールの忠実な従者、ミアリシュレを命懸けで逃がしたトリータだった。同じ主人に仕える者として、多少なりともジュストと親交はあった。
「トリータ!? どうして……!」
彼女の最期を予期せぬ形で導いてしまったジュストは、目を見開き動揺を隠せない。絵画が描かれる前のキャンバスのように、頭が真っ白になった。何故、どうして。込み上げる疑問も、一瞬の内に白に書き換えられてしまう。
彼女の身体には、ミアリシュレ同様幾重にも巻きついた鎖。どういった原理かは不明だが、ローブの男に盾に使われたことはわかった。
すると、力無く項垂れていたトリータが壊れた人形のように顔を上げる。ぎょろりと剥いた白目を伝うのは、血の涙。
瞬間、彼を抱擁したのは地獄の業火だった。
皮膚を焦がす激しい苦痛が全身を駆け巡り、ジュストは流石に冷静さを保てず刀を落とす。燃え盛る緋色は、全く衰える様子を見せない。
「うひゃははははは! これでへこたれんのかよ、随分と温室で飼われてたみてぇだなぁ」
男は狂ったように笑うと鎖が動き、トリータを乱暴に投げ捨てる。もう二度と動くことのない細い身体は、重力に従い冷たい地面へ吸い込まれた。
「あの炎、トリータの
「ミディアムか? レアか? まぁ……美味けりゃ何でもいいか!」
男は笑い続ける。
ジュストを救うにも、トリータを介抱するにも、身体には何重にも鎖が絡みついており、到底抜け出せない。歯痒さから来る彼女の歪んだ表情も苛立った声も、ジュストにはもう遠く感じ始めていた。
守るべき存在を前に何たる無様で、情けないのか。苦痛の叫びをあげることすら忘れ、炎の檻に囚われたまま、ひたすら心に積もる後悔の念に身を委ねていた。
心臓が、一際大きく鼓動した。
「離しなさい! 離せっ!!」
ミアリシュレは鎖を引きちぎらんばかりに暴れるが、金属が擦れる冷たい音だけが虚しく響く。心のどこかでは無駄なことなのだと理解こそすれど、生憎これ以上誰かが傷つく様を黙って見ていられる性分ではない。
失いたくない、強く願ったその時だった。電流が走るような痛みを左目に感じ、反射的に目を閉じる。同時に弾けるような音と共に、あれほど強固に身体を捕縛していた鎖が消え、ミアリシュレは地面に尻餅を着いた。
「……!?」
広がる光景に目を疑う。鎖が、あろうことか今度はミアリシュレを守るかのように幾重にも伸びて重なり合い、ローブの男を吹き飛ばした。意志を持ち、恐らく持ち主であろう男に反旗を翻したというのだろうか。そう考えたが、すぐに打ち消した。
どう表現するのが正解かはわからないのだが、今こうして守ろうとしてくれている鎖は、先程自身を縛っていたものとは違い、どこか温かみがあるような気がするのだ。
ローブの男は一瞬呆気に取られたような表情を見せたが、すぐに一人で何かに納得し、口を三日月のように怪しく歪めた。
状況はよく理解出来ていないが、男は動きを見せない。──ぴくりとも動かないトリータ。今も尚苦しむジュスト。どちらも大切だったが、まだ助けられる可能性のあるジュストを選んだ。
「トリータ……ごめんなさい、ごめんなさい……!」
ミアリシュレは僅かに悔恨を抱きながら鎖に背を預け、燃え盛る炎へと一目散に駆けた。
身を焼かれる恐怖。想像し身震いしたが、このまま彼の命の灯火が消えるのを黙って見るのは耐え難い。ミアリシュレは意を決して飛び込もうとしたが、それを阻む物があった。また、あの鎖だ。しかし、どうやら背後で男とミアリシュレの間で壁となっている鎖とは別物らしい。新たに湧き出してもしているのか。
意図の読めない行動にミアリシュレは苛立つ。そもそも何故ひとりでに動いているのか。悶々とする彼女を後目に、鎖は炎の中へと一斉に伸びた。そして、何かを絡め取った。
「……っ、ジュスト! しっかりしてっ!」
変わり果てた青年の姿に、鎖のことなどどうでもよくなった。皮膚は赤黒く焼け爛れ、あちこちが酷く腫れ上がっている。目を背けたくなるような惨状だったが、彼の空色の瞳は弱々しくもミアリシュレを映した。まだ生きている。喉も焼け、もう声も出ないのだろう。ぱくぱくと虚しく開く口は、何を告げたいのかわからない。
彼を失えば、自身を待つものは孤独──否、それならまだ良い。ローブの男に殺される未来の方が容易く想像出来る。
震え始める身体を押さえつけ、そしてひたすら祈った。一体何に、誰に祈っているのかさえわからないが、今出来ることはこのくらいしかない。癒しの
(お願い……私達を、助けて……!!)
金属の軋む音に顔を上げると、空中に無数に伸びた鎖がジュストとミアリシュレをドーム状で覆うように複雑に絡み合っていた。やがて夜空が見えなくなったかと思うと、ミアリシュレの意識は急速に闇に飲まれていった。
どこか、懐かしさを感じながら。