チノちゃんとの繋がり 作:光崎
あれから私は自分の気持ちを整理できず、ただ怠惰な生活を、つつがなくいつも通りの私を振舞っていた。
新しい気持ちに気づいて、せっかく変わろうと思ったのに何も変わらない。
難しいんだなぁ。人生って。
人生の無常観に気がついていても、油断するとすぐ時間の流れに流され迷子になる。多分今その波に溺れているのだろう。どうにもあはれにうしろめたけれ……。
今千夜ちゃんと喫茶店にいる。どうしてかといえばただ私の気分である。学校帰り、常々鬱蒼に生えているアイリスの花が、私を憂鬱にさせた。あれ、アイリスってそんな花だっけ。
喫茶店は少し前に流行っていたお店だ。人気の波も収まりすこし落ち着いたと思われたので、千夜ちゃんを誘って今に至る。
ラビットハウス以外の喫茶店は久しぶりだ。ラビットハウスとの相違に目を向けていると、新たな発見があってなかなか楽しい。
「んー♪ブリュレが美味しい!」
あー、このキャラメリゼのカリカリ感、いい。私も今度作ってみようか。パンの次はお菓子も作れるようになろう。こうやって進歩が生まれていくんだね。Let's make progress!
口の中の甘みをコーヒーで中和させようとする。ラビットハウスのコーヒーと味の違いがよく分からない。んー、コーヒーってこんなものなのかなぁ。
「ラビットハウス以外のコーヒーも新鮮ね」
「違いが分かるの!?」
なんか悔しいなぁ。チノちゃんにもコーヒーの味の違いが分からないって言われるし。でもコーヒー沢山飲んでも急性カフェイン中毒で辛くなるだけだった。なんとかならないものだろうか。
あっ、コーヒーサイフォン。格好いいなぁ。ラビットハウスのと形が若干違う。サイフォンは幾何学的な美しさがある。私も自分用の一つ買おうかな。高いけどインテリアにもなるしね。
しばらくの間コーヒーの上で他愛もない会話をしていた。そろそろ出ようか、なんていう頃に、千夜ちゃんが真剣な目をしてこういった。
「ココアちゃん、最近悩んでること、ない?」
どきりとした。あれー、私上手く振舞えてなかったかな。チノちゃんにもばれてたし。どうしよ。
私はすぐに頭を回転させ、この場でどう展開を進めるべきかを考えた。まあ心配はかけたくない。
「特にないけど……。急にどうしたの?」
「最近ココアちゃんが無理してるように見えたから」
「そんなことないよー」
千夜ちゃんはまだ、疑いの目をこちらに向けていた。
彼女はなにか言おうとしていたけれど、息を小さく吐いてコーヒーに手を伸ばした。
「そろそろでましょ」
◇
――外は夕暮れ。オレンジ色の道路を二人で歩く。そこに会話はない。千夜ちゃんは、なにか考え込んでいるようだった。アイリスの花は夕日に照らされさっきまでの鬱蒼さはまったくなかった。
「ねぇ、ココアちゃん。チノちゃんのことで、なにかあるでしょ?」
やけに静かな普段の道。春風が少し肌寒く感じた。
「どうしてそう思うの?」
千夜ちゃんは察しがいい。こういうちょっとした「違和感」にすぐ気がつく。気づいても気づかぬ振りをして欲しいんだけど……。
「……昔、シャロちゃんと喧嘩してね。それはすぐに仲直りできたんだけど、それからちょっとシャロちゃんが変わっちゃって。なんかそのときのシャロちゃんにちょっと似てたから」
千夜ちゃんはいつもと変わらぬ表情で、いつも通りの口調でそう言う。けれど、その裏に隠れた諦めや、後悔のものが見れたような気がした。これは見て見ぬ振りしてはいけないのだろう。
きっと、今でも後悔してるんだろうな。シャロちゃんはそれから、きっと変われていないのだろう。少しの違和感を残して今まで通りの自分を必死に振舞っているんだろう。自分に向き合えず、ぼんやり漠然としたまま、いつしかその違和感が空虚に溶け込み無くなると信じて、必死に生きてる。
結局皆同じなのかもしれない。自分に向き合うって、本当に難しいんだってこと、変わろうとすることって、とっても恐ろしいこと。こういう当たり前のことに今の今まで気が付かなかったなんて、私は鈍すぎた。
いたたまれなくなって、つま先で石ころを1つ蹴ってみる。脇にそれて他の石と同化した。
「……シャロちゃんは、きっと大丈夫だよ」
自分に向き合うことは、きっと大切なことなんだろう。でもそれから逃げて、遠回りして元の道に戻るっていうこともまた大切だと思う。結局、変わるということに変わりはない。――今の私はどうだろう?シャロちゃんのように、1つの道を選べただろうか?ちゃんと、進めているだろうか?
いや、私はきっとどちらも選んでいない。進んで、また戻っての繰り返しをしているんだと思う。だからこうしてすぐにボロが出る。
「そう、ね。これが変わるってことなのかしら」
「多かれ少なかれだけど、喧嘩しなくても、シャロちゃんは変わっていたんじゃないかな」
「ココアちゃんも、そうなの?」
「私はそうじゃないよ。私はシャロちゃんほどしっかりしてないから。いつか、追いつきたいな」
「しっかりしてないだなんて……」
「しっかり、してないよ」
そう。しっかりしてない。しっかりしてないからチノちゃんとも、自分とも向き合えない。
「だから、もう少し頑張ってみる。シャロちゃんに追いつけるように前を向いてみる」
私はシャロちゃんと同じ道を行くよ。どんなに逸れていても、いつかはきっと元の道に戻ってくる。後ろを振り返ったりはしない。そんなランダムウォークな人生も、少し素敵だと思った。
◇
「イベント、ですか?」
ラビットハウスの仕事が終わったところ、タカヒロさんに私達は呼ばれた。3人とも呼ばれるのは珍しいことだった。
「ああ、ラビットハウスも人気になったから、いつもお世話になっている客のためになにかやろうと思ってね」
イベントかぁ。クリスマスに1回やっただけで、それ以外には特にやっていない。
「なにをやるかはまだ決めていないから、考えてみてくれ」
なにをやろう。喫茶店でできて、皆で楽しめるもの。
「ココアさん、思いつきました?」
「あんまり。チノちゃんは?」
「こっちもです」
少しの沈黙。チノちゃんもリゼちゃんも考えてるみたいだ。
「まあ、ゆっくり考えていこう。クリスマスパーティーと違って日程が決まっているわけじゃないんだし」
今日はもうちょっと皆と話したい気分だ。イベントが楽しみだからか少し落ち着かない。イベントのことでも日常のことなどでもいい。なにか、話したい。
「ねえ! ちょっと皆で散歩しない?」
「今からですか? もう遅いですよ」
「まだ7時ぐらいだし大丈夫!」
「3人でなにかするのも久しぶりだしな。たまにはいいんじゃないか? いざとなったら私が守ってやる」
こういうときのリゼちゃんは頼もしい。モデルガンであろうものをポケットの中で握る姿が少し眩しかった。
「じゃあ、着替えて行きましょうか」
春の夜は薄着だと少し肌寒い。でもそれが心地良いものだ。深呼吸をしてみると、さっきまでイベントで浮かれていた私のほとぼりは少し冷めた。ふと空を見上げれば今夜は満月だった。今夜は寝付けなそうだ。
「皆はさ、どんなことしたい?」
「私はなんでもいいです。でも、父がイベントをやろうなんて言ったのは驚きました」
「私も皆で楽しめればなんでもいいな。成功はもちろんさせたいけどさ」
「そっか。皆で楽しめるものが、やっぱり一番だよね」
ある程度歩いて大広場に出る。少し人はいるけれど、夜らしい静けさがそこにあった。
噴水から溢れる水が満月の光を反射させる。
「そこで、ちょっと座ろっか」
噴水の前にあるベンチに腰掛ける。噴水のリラクゼーション効果は上手く作用しているようだ。
「私さ、ラビットハウス、好きなんだ。2人のことも、チノちゃんのお父さんのことも、ティッピーのことも、お客さんのことも」
遥か遠方の満月を前に、ゆっくりと今の気持ちを伝える。今だから言える気がした。今を逃したら、きっと本音はまた言えなくなるから。
「だからこのイベントは私にとって、とっても大切なの。これを成功させるのがラビットハウスへの最大の恩返しかなって、ちょっと考えてた。ラビットハウスらしいイベントで成功させたい。ラビットハウスが大好きだから」
これがきっと遠回りしている道の、1つの交差点なんだろう。一寸先も見えないけれど、この道は進まないといけない。
「チノちゃんのお父さんって、ジャズやってたんだよね? ミュージックパーティーなんて、どうかな?」
隣を向いて見ると、ハッとしてチノちゃんが1つ咳払いをし、答えた。
「そうですね。ミュージックパーティーはいいんですけど、ココアさんは楽器ができるんですか?」
それを言われると痛いのだが、それでもやりたい、やり遂げたかった。
「今から練習する! 皆は楽器はできるの?」
「私はピアノをやっていました。流石にグランドピアノのようなものはないですが、キーボードぐらいならあるのでそれを」
「私は親父が楽器をやっていたから、よく教えて貰ってた。ギター、ベース、ドラムはできるよ」
ってことは、楽器ができないの私だけかぁ。
楽器を演奏している私を少し想像してみる。
「ギター! 格好いいし、学校で少しやったことあるからやってみたい! リゼちゃん教えて!」
「おっ、いいぞ。私が教官か。厳しいけど、いいか?」
「イエス、サー!」
「最初の頃と比べて成長したんだな……。私は嬉しいよ」
「じゃあ、決まりですね。帰って父に報告しましょう」
正直不安だらけだった。学校でやったと言えども手は全然動かなかったことを覚えているし、そもそも楽譜すら正しく読めない。何も無い状態から始めるに等しい。でも、根拠の無い自信だけはあった。
◇
結論から言うと、二つ返事で承認された。もっとも、3人では味気ないだろうということでタカヒロさんも演奏に参加してくれるそうだ。千夜ちゃんやシャロちゃんも頼めば参加してくれそうだが、このイベントはラビットハウスのメンバーだけで成功させたかった。
しかし、考えなくてはならないことが1つ増えてしまった。日程の話である。 イベントはチノちゃんの学校の終業式、すなわち約2ヶ月後だ。あと2ヶ月で、ある程度弾けるようにならなくてはならない。かなり厳しいと思われた。
タカヒロさんがこの日程を提案したのには理由があった。というのも、チノちゃんの受験だ。
この話は私とタカヒロさんとの間で内密に行われた。私も心配していたようにタカヒロさんもチノちゃんの受験を心配していた。
チノちゃんのテストの成績を見させてもらったのだが、端的にいえば悪かった。
1度タカヒロさんもチノちゃんとは話したようだが、高校に入れなくてもバリスタになれればいいと言われて参っているようだ。確かに夏から腰を据えて勉強しないと間に合わない。2ヶ月後というのは、タカヒロさんの配慮であった。
ミュージックパーティーが終わったら、ラビットハウスは半年近くは喫茶店としての面をある程度失う。これはタカヒロさんが決めたことだ。タカヒロさんはチノちゃんを高校に行かせたい。しかしチノちゃんはバリスタに対する思いは誰よりも強い。ここに矛盾が生じていた。
この矛盾を解消させるためにはどうするか。タカヒロさんは私にチノちゃんの勉強を見て欲しいと頼んでくれた。私よりはリゼちゃんのほうが向いていると思うのだけれど、タカヒロさんは私にしかできないことだと言っていた。そんなことを言われたら断れなかった。
私は理系科目しかできないし、特に英語。中学生の英語でさえ教えられる自信がない。まずは私が勉強をしないといけない。こういった不甲斐なさが神経をつつくのはこの時に限った話ではなかった。逆にいえば、これはある機会なのだ。
――この2ヶ月、すなわちラビットハウスに私が居れる時間のある程度を占める期間は、私にとってもチノちゃんにとっても重要な時間だ。より一層イベントを成功させないといけないという義務感が強まっているのを感じた。この2ヶ月に後悔を残してはいけない。残った後悔はきっとこれからの私にとって大きな足枷になる。この義務感もまた歩いている道の1つの障壁なのだ。
私は今まで進んでいるようで進んでいなかったし、あるいは進んだ振りをしていた。人生に対して漠然とした思いを描くだけで、向き合うことはしてこなかった。借金は、そろそろ返さないといけない。どうか、このイベントが私とチノちゃんを後押ししてくれるような終わりになりますように。