聖剣伝説 Hunters of Mana   作:変種第二号

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死闘

 

 

 

「随分と頭が回るじゃないか、ええ?」

 

 

翡翠の爆発と連続する轟音、幾重もの叫びを背にモントが毒づく。

その足元には、今も滴り続ける鮮血が血溜まりを作っていた。

細められた目が捉えているものは、彼の正面にて佇む旧主の番人。

そして、その両脇に控える異形の『猟犬』2頭。

長い舌に羊の様な一対の角、赤く光る眼に口腔より漏れ出でる炎。

 

完全に不意を突かれた。

苦々しく、内心で自身を罵倒するモント。

この間抜けめ、うすのろめと、次から次へと湧き出てくる、十数秒前の迂闊な自分に対する罵詈雑言。

自身の不甲斐無さより生じた事態であるが故に、罵倒の内容も極めて辛辣だ。

 

事は、順調に番人を追い詰めたところで起きた。

特に苦も無く攻撃を掻い潜り、幾度となく繰り返した様にノコギリ槍で斬り付ける。

四肢を浅く斬り付け離脱、剣を振り切ったところで再接近、左手からの炎の至近爆発を誘発。

それを躱し、番人が斬り払いを掛けたところで胴の中央に水銀弾を御見舞いし、体勢が崩れた事を確認して鎧の破損個所に右腕を突き込もうとした。

其処で突然、横合いから奇襲を受けたのだ。

 

その時点で意識は、番人を片付け番犬との戦いに加勢する事で占められていた。

迂闊な思考の隙を突く様に、破壊された通路の奥より突如として現れ、モントの脇腹を鋭い牙で以って抉る猟犬。

当然、反撃として水銀弾を喰らわせてやったのだが、至近距離であった事が災いし猟犬の脇腹を貫通、大して痛手を与えられなかった。

そうして体勢を立て直した番人が剣を振るい、間一髪のところでそれを躱し後退した時には、番人と猟犬2頭を合わせた3体もの敵と相対する状況に陥っていたのだ。

 

思えば嘗ての聖杯での探索に於いては、幾度となくこの組み合わせに苦戦させられてきた。

激しい攻撃と連携で此方を追い込む猟犬に、隙あらば鋭い斬撃を浴びせてくる番人。

慣れぬ内は、幾度この身を八つ裂きにされ『灯り』で目覚めるを繰り返した事か。

番人と猟犬を分断し、個別に片付ける事を徹底する様になってからは、比較的容易に対処可能となった。

しかし今、両者を分断する事はほぼ不可能だ。

距離を置いて猟犬だけを誘引する事も考えたが、そうなれば番人は番犬と交戦中の面々を挟撃するだろう。

それだけは避けなければならない。

番人と猟犬、双方をこの場で始末せねば。

 

エヴェリンの排莢口に、骨髄の灰を押し込む。

全身の筋肉を収縮させ、次いで籠められた力を解放し飛び掛かって来る2頭の猟犬。

モントは冷静に1頭へと狙いを定め、しかしまだ発砲はしない。

猟犬の爪を右側面へと跳んで回避し、数瞬の後に2頭が同一射線上へと重なる瞬間を待つ。

そして2頭の頭部が、銃身からの延長線上で重なった瞬間に引き金を引いた。

発砲炎と銃声。

放たれた水銀弾が齎す結果を見届ける事なく、猟犬の後方より疾風の如く踏み込んできた番人へとノコギリ槍を振るう。

 

明らかに間合いの外、一方で番人の持つ長刀は確実に此方を捉える事が出来る距離。

当然、相手方もそれを理解している。

振るわれるノコギリ槍を回避する素振りすら見せず、長刀を振り抜かんとする番人。

瞬間、ノコギリ槍の刃と柄の接続部より火花が散る。

重厚な金属音と共に、遠心力で以て展開される刃。

質量で勝るそれが迫り来る長刀を弾き上げ、その冷気と水のマナを纏った切っ先が、遂に骨炭の鎧へ深々と食い込んだ。

 

 

 

============================================

 

 

 

「躱せぇッ!」

 

 

番犬との戦いは、ルドウイークと聖剣の一行、そしてフォルセナの面々が優勢な状況へと移行しつつあった。

単調で大振りな攻撃、それなりに見極め易い攻撃の予兆、劇的な『アイスセイバー』の効果、獣との戦いで身に付けた回避と反撃の好機を見出す能力。

理由は複数あれど、最大の要因はルドウイークの存在だろう。

番犬との交戦経験も豊富な彼は、周囲の面々へと的確な指示を飛ばしつつ、常に番犬の攻撃を自身へと誘引し続けていた。

攻撃の矛先が他の面々へと向くや否や、強烈な『月光の聖剣』による一撃を見舞い、否が応にも彼へと注意を向けずにはいられぬよう番犬を誘導する。

その上で皆に全方位からの集中攻撃を仕掛けさせ、反撃の兆候が在れば警告の声を飛ばすのだ。

一連の行動を2度繰り返す頃には、皆が番犬の行動を先読みする様になり、ルドウイークが指示を飛ばす必要性すら殆ど失われていた。

新たな狩人たちの優秀さに、彼は内心にて賛辞を紡ぐ。

 

剣が、ダガーが、槍が、獣肉断ちが。

絶え間なく番犬の体躯を四方より刻み、徐々にではあるが巌そのものであるそれを削りゆく。

刻まれた傷の奥、巨大な体躯に湛えられた溶岩が水のマナによる干渉を受けて凝固。

番犬の激しい動きを阻害するに止まらず、更には体表そのものの強度をも著しく損なっていた。

更なる攻撃が脆くなった外殻を容赦なく襲い、鑿で石を穿つが如く番犬の体躯を砕きゆく。

怒りとも恐れともつかぬ咆哮を上げ、全方位より襲い来る攻撃から逃れようと突進を放つも、前兆を見逃さなかったルドウイークの叫びを聴くまでもなく、既に全員が番犬の正面を離れていた。

誰を巻き込む事も叶わなかった突進は、しかし横合いから叩き込まれた翡翠の光を纏う斬撃によって撃ち堕とされ、大きく体勢を崩した番犬が石畳に突っ込むという結果に終わる。

同時に、遂に全身の傷が許容限界を超えたのか、それまで番犬の巨躯全体を覆っていた業火が揺らぐと大量の火の粉を散らし霧散。

これを好機と見た全員が、一気に距離を詰めに掛かる。

 

 

「頭を狙え、頭だ! 冷やして中身ごと固めちまえ!」

 

「ケヴィン、脚を狙って! このまま立たせないで!」

 

 

一同が番犬へと激しい攻撃を加える中、ルドウイークもまた止めを刺すべく動き出した。

聖剣の柄を右肩に充てる様にして刀身を地面と並行に構え、石畳が爆ぜんばかりの力で地を蹴り突進する。

迫り来る彼に気付いた面々が、番犬の頭部周辺から一斉に四方へと散った。

そして、目にも留まらぬ疾さで以って突き出された刀身が、脆くなった外殻を突き破り柄元まで内部に埋まると同時、弾かれた様に身を起こしつつ絶叫する番犬。

番犬の頭部に聖剣の刀身を埋めたまま、その柄を放す事なく中空へと躍るルドウイークの身体。

だが、彼には些かの焦りも無い。

冷え切った鉄の輝きにも似た眼光を湛えたまま、腕力のみで以って身体を剣へと引き寄せ、両の足を番犬の外殻へと確り固定する。

そうして番犬の頭が僅かなりとも位置を下げた瞬間に、柄に体重の全てを掛けて刀身を更に深く喰い込ませた。

苦痛の滲む咆哮が轟き渡る中、ルドウイークは聖剣へと集中させていた自身の意思、神秘の力を一息に解き放つ。

 

 

「ッ!」

 

「おお……!」

 

 

瞬間、轟音と共に翠と碧の光が爆発した。

番犬の頭部、其処に埋もれた『月光の聖剣』の刀身を中心に引き起こされたそれは、頭部外殻を内部より吹き飛ばす。

周囲一面へと飛散する大量の溶岩は、しかし膨大な水のマナより齎される強烈な冷気によって瞬時に冷却され、細かな石礫となって降り注いだ。

頭部の殆どを吹き飛ばされた番犬は、それでも未だ四肢で以て立ってはいたが、しかし残された胴部より響く異音が戦いの終結を物語っている。

硬い物が割れ、砕けてゆく音。

胴体内部の溶岩が、先程の神秘による爆発に付与された『アイスセイバー』の効果によって一気に冷却され、流動性を失い固体と化しているのだ。

倒れない、という表現は適切ではない。

倒れる事すら出来ない、というのが実状だった。

そして、下顎のみが残された頭部の残骸、周囲に立ち込める大量の水蒸気。

その中から、元の大剣へと戻った『月光の聖剣』を肩に担いだルドウイークが、厳かに歩み出る。

その場の誰もが瞠目し、息を呑んで状況を見極めんとしていた。

絞り出す様な、恐る恐るといった体の声。

 

 

「化け物は……?」

 

 

ルドウイークは答えない。

僅かに数歩ばかり身体を横に動かし、背後に佇むそれを全員へと見せ付ける。

 

 

「う……お……!」

 

 

誰ともなしに零れる驚嘆の声。

水蒸気の霧が晴れた先に佇む、頭部の殆どを失った巨躯。

今や微動だにしない彫像と化したそれが、番犬と狩人たち、どちらの側に女神が微笑んだかを雄弁に物語っていた。

 

 

「……仕留めた? 本当に……殺ったのか?」

 

「嘘だろ……おい、嘘だろ!」

 

「死んでる……間違いなく、死んで……!」

 

 

勝利したという実感の伴わない事実は、やがて巨大な歓喜のうねりとなって皆を襲う。

徐々に、しかし確実に身体の奥底より沸き起こる高揚は、すぐさま制御不可能な怒涛と化し狩人たちを呑み込んだ。

 

 

「ぅ……ぉおおおぉぉッッ!」

 

「殺った……? はは……あはは! 殺った、殺ったんだ! 化け物を仕留めた!『聖剣』が仕留めたぞ!」

 

「信じられん……本当に、勝ったんだな……!」

 

 

拡散する歓喜はやがて、腹の内から込み上げてきた声として夜空へと放たれた。

番犬の炎を凌駕せんばかりの勢いで燃え広がったそれは、この場の人数からは本来ならば考えられない程の大歓声と化して、広場に響き渡る。

だがその中で、デュランとホークアイが焦燥も露に叫んだ。

 

 

「アイツは、モントはどうなった!?」

 

「気を抜くな! まだ人型が残って……」

 

「居ないよ、もう」

 

 

その声は、朽ち逝く彫像と化した番犬の背後から聴こえてきた。

罅割れの音と共に破片を散らす番犬の骸、その左後脚の陰から歩み出る人影は、紛れもなくモントのもの。

エヴェリンは腰元に掛けられ、その左手には襲撃者が手にしていた長剣が握られている。

安堵の吐息と共に、言葉を紡ぐリース。

 

 

「……良かった、御無事だったんですね。あの敵はどうなりました?」

 

「思わぬ奇襲を喰らったが、何とか始末したよ……デュラン、これを使え」

 

「うお……っと」

 

 

番犬との戦いで剣の刃を潰されてしまったデュランへと、番人が振るっていた長剣を手渡すモント。

漫然と受け取ったデュランは、その細身からは想像も付かない重さに微かな呻きを零す。

 

 

「ッ……見た目以上に重いな、コイツは……」

 

「扱えそうか」

 

「扱ってみせるさ。悪いな、気を遣わせちまって」

 

「気にするな。その剣は『繋ぎ』だ。この状況を制したら、自分に合った剣を誂えれば良い」

 

「まあ、そうだな……片刃の曲剣か、使うのは初めてだな……」

 

「そいつは力任せに振るうのには向かない。叩き斬るのではなく、刀身を疾さに乗せ、刃を滑らせて相手を『斬れ』。お前の本来の剣技ではないだろうが、その技術は身に付けておいて損は無い」

 

「……成る程な」

 

 

二度三度と、調子を確かめる様に長剣を振るうデュラン。

数名の騎士が、何処か羨ましそうにそれを眺めている。

そんな様子を、少し離れた位置から無言のままに眺めるルドウイークへと、騎士団長が問い掛けた。

 

 

「これで城内は片付いたのか?『聖剣の騎士』殿、何か解るだろうか」

 

「大仰な呼び方は止めてくれ。ルドウイークで良い」

 

「貴方の戦い振りを目の当たりにしたのだ、此処に居る誰もが同じ呼び方をするでしょう……あれ以上の大物が控えている気配は?」

 

「何とも言えないな……番人も番犬も『トゥメル』由来の筈だが、市街地の様相は寧ろ『ローラン』に近い。この惨状がどの『聖杯』によるものとも特定できん」

 

「……その『聖杯』とやらが何なのかは解らないが、つまり現時点では解りかねるという事だろうか」

 

「ああ」

 

「……ならば、玉座の間まで進むのみ」

 

 

そんなやり取りが交される中、ふと何かに気付いた様に顔を上げるリース。

城門の方向へと振り返った彼女は、周囲へと問い掛ける。

 

 

「……アンジェラ達、遅すぎませんか? 何もなければ、戻ってきても良い頃だと思いますが」

 

「信号弾は上がったかね?」

 

「それって青く光る奴か? それならさっき上がってたぞ」

 

「なら、すぐに他の狩人達が駆け付ける筈だ。番犬は始末したが、他にも何かが潜んでいるかもしれない。丁度良いだろう」

 

「……ルドウイーク、彼等に同行してくれ。俺は戻って……!」

 

「何だ!?」

 

 

轟音。

城門の側から響いたそれは、一同の視線を広場の入口へと集中させる。

 

 

「爆発……? アルテナの魔法か」

 

「まさか、残党が城内に……」

 

 

その時、再びの轟音。

今度は、誰もがそれを目にした。

広場入口の薄暗い通路の先、炸裂する白い光。

 

 

「ホーリーボール……? アンジェラ!」

 

「……違う!」

 

 

リースの言葉を否定すると同時、弾かれた様に駆け出すモント。

一瞬遅れて、それに続くデュラン。

咄嗟に止めようとする周囲の声を遮る様に、ルドウイークが言い放つ。

 

 

「あれは『神秘』……『ヤーナム』の秘儀だ!」

 

 

 

============================================

 

 

 

「何なのよ、あの気持ち悪いの……!」

 

「アンジェラしゃん、こっち!」

 

 

声を潜め、必死に物陰へと身を隠す彼女達は、今まさに追い詰められようとしていた。

城の外で敵の『狩人』に襲われた際、何とか城内へと逃げ込み仲間達との合流を果たさんとしたアンジェラとシャルロット。

しかし、番犬との戦闘がどう推移しているか分からない現状、或いは皆を更に危機的な状況へと追い込んでしまうかもしれないという躊躇が生じた。

だからこそだろうか、彼女達は広場へと直行する通路を辿らず、横に逸れる通路へと飛び込んでしまったのだ。

そうして、追撃を躱しつつ時間を稼ぎ、徐々に広場へと近付きつつあった2人。

だがあと僅かというところで、遂に追跡者によって捕捉されてしまったのだ。

 

 

「何とか反撃しないと……シャルロット、何か思いついた?」

 

「全然駄目でち……! あの女、隙が無さすぎるでちよ……!」

 

 

2人を追う敵は、白い法衣を纏う女だった。

接敵直後に放たれた、奇妙な魔法。

此方へと翳された女の腕、その周囲を覆う様にして光と共に溢れ出し迫り来る、大小無数の触手。

遭遇の際に放たれた第一撃こそ躱す事はできたものの、それが再び中庭へと向かう2人の側面から放たれ、咄嗟に屈んだ彼女達の頭上を突き抜けたのだ。

すぐ横の壁へと当たったそれは、強固な石壁を難なく打ち砕き、瓦礫と共に細かく砕けた触手の残骸を周囲へと撒き散らす。

完全に体勢を崩された2人は至近で奇妙な杖を構える法衣の女を前に、身体にへばり付くおぞましい触手の残骸から齎される不快感すら無視して、這う這うの体で逃走を再開した。

但し城の広場に向けてではなく、元来た道を引き返す方向に。

咄嗟の判断の誤りにより、仲間達との合流まであと一歩と迫りながら、逆に其処から遠ざかる方向へと向かう事となってしまったのだ。

 

 

「詠唱を済ませて不意打ちっていうのは……」

 

「相手の方が早いでち。それにあの杖、多分あれも『仕掛け武器』でちよ。迂闊に近付くのは自殺行為でち」

 

 

結局2人は近くの太い石柱の陰へと身を隠し、追手が通り過ぎるのを待つ事にした。

何とか遣り過ごしてしまえば、広場に居る味方と合流できると踏んだのだ。

じきにフェアリーが撃ち上げた信号弾を目にした狩人達が、王城へと集結してくる事だろう。

そうなれば、追手も此方を捜索している余裕など在るまい。

撤退するか、或いは味方狩人との交戦に入るか。

いずれにせよ、此方が味方と合流する時間が生まれる事には変わりない。

そんな事を思考するアンジェラの前に三度、法衣の狩人が姿を現した。

 

 

「っ……!」

 

「静かに……!」

 

 

息を潜める2人の前、通路の先より現れた法衣の狩人。

速足でその場を通り過ぎるかに思われた彼女は、しかし何故か其処で足を止めた。

すぐ近くで途絶えた足音にびくりと跳ね上がるシャルロットの肩を押さえつつ、アンジェラは自らも呼吸が乱れ始めている事を自覚する。

 

何故、足を止めたのか。

まさか、此処に隠れていると気付かれたのか。

だが、どうやって気付いたのだ。

 

其処まで思考し、アンジェラは思い出す。

狩人の五感が獣のそれに近付いているという、モントの話。

其処に思い到ると同時、石柱の向こうから甲高く聴き慣れない音が響き出す。

何だ、と思う暇すら無く轟音と共に白い光が爆発し、視界の全てがそれに呑み込まれた。

 

 

「うあッ!?」

 

 

突如、全身を襲った衝撃に呻きながら、アンジェラは押し出される様にして前方へと倒れ込んだ。

同じく弾き出されたらしきシャルロットの悲鳴が聴こえたが、今はそれに感けている暇は無い。

すぐに回復した視界、無数の瓦礫が降り注ぐ其処に映り込んだシャルロットの腕。

それを反射的に掴むと、痛む身体に鞭打って立ち上がり、すぐさま駆け出す。

シャルロットも状況の危うさは十分に認識していたのか、すぐに走り始めた為に腕に掛かる負荷は殆ど無かった。

背後を振り返る事なく走りながら、アンジェラは問い掛ける。

 

 

「何なの!? 今のは何だったの!?」

 

「知らないでち! 魔法を使ったんじゃないでちか!?」

 

「魔法!? 狩人が!? でもマナは全く……!」

 

 

問答は、其処で途絶えた。

背後、再びの高音と白い光。

咄嗟にシャルロットの襟首を掴み、横手の通路へと飛び込む。

直後、背後で巻き起こる白い爆発。

飛来した無数の石飛礫が、アンジェラの背中を打ち据える。

 

 

「きゃあッ!?」

 

「ぐ……!」

 

 

背面を奔る熱、遅れてやってくる激痛。

後頭部から背中、そして足首に至るまで無数の拳に殴られたかの様なそれは、しかしアンジェラの足を止めるには至らなかった。

否、アンジェラ自身が足を止める事を拒んだ。

此処に留まっていてはいけない、一刻も早くこの場を脱しなければとの思いが、頽れる事を拒んだのだ。

 

 

「アンジェラしゃん、左!」

 

「く……ッ!」

 

 

シャルロットの誘導に従い、広場へと続く通路へと飛び込むアンジェラ。

どうにか進路を修正できたらしいと判断した彼女は、悲鳴を上げる身体に鞭打って駆け出す。

肺と脚から来る痛みは全身の傷より発せられるそれを凌駕せんばかりであったが、しかし生命の危機に曝されているという切羽詰まった認識が苦痛を凌駕していた。

全身の軋みを無視して、決して運動が得意ではない身体を全力で動かして逃走を図る。

隣を走るシャルロットもまた、小さな身体を跳ねる様にして走らせていた。

 

 

「あの魔法……発動から放たれるまで間があるでち! 走ってれば何とか……!?」

 

「ッ、また……!」

 

 

背後、閃光と高音。

先程よりも音が遠い。

また、あの魔法もどきが発動したのだろう。

だが、おかしい。

現在、あの狩人との距離は、それなりに離れている。

こんな距離で発動したところで、爆発の加害範囲からは外れている筈だ。

一体、何のつもりか。

 

そんな疑問を覚え、首を廻らせて背後を横目に見遣るアンジェラ。

そして彼女は、専属の老講師から『魔導師としては不必要なまでに優れている』と評された動体視力で以て、爆発の『正体』を目の当たりにする。

 

 

「な……!?」

 

 

それは『流星』だった。

単なる衝撃波ではなく、重力を無視した奇妙な曲線の軌跡を描き宙を翔ける、無数の白い『流星』。

それらが矢や銃弾ほどではないにせよ、かなりの高速で以ってアンジェラ達へと迫っていたのだ。

咄嗟に、アンジェラは叫ぶ。

 

 

「シャルロット!」

 

「右ぃ!」

 

 

彼女の叫びの意味するところを、正確に理解していたのだろう。

シャルロットは半開きとなっている扉を見付け、即座に其処を指し示す。

その先に何が在るかなど一切考えずに2人は有りっ丈の力を込めて跳躍、扉へと体当たりして室内へと飛び込んだ。

刹那、一瞬だけ後方を見遣る事が出来たアンジェラの視界に映り込むのは、自身の後を追って急激に軌道を捻じ曲げる『流星』の群れ。

 

追尾型の攻撃魔法。

そう判断すると同時『流星群』は部屋の入り口、その扉の横の石壁へと着弾、盛大な爆発を引き起こす。

衝撃波をそのまま受ける事はなかったが、代わりに粉砕された石壁の破片が弾幕となって2人を襲った。

背後から襲い来る石飛礫に体勢を崩された2人は、そのまま吹き飛ばされ室内に並んでいた木造の長椅子を薙ぎ倒し破壊、散乱する木片と石畳の上へと放り出される。

自身の意思を離れて大理石の床の上を転がる身体は、その果てに硬く冷たい何かにぶつかる事で漸く止まった。

 

 

「げ、ほっ」

 

「うあ……!」

 

 

軋む身体、全身に拡がる鈍い痛み。

それらに混じって奔る、幾つかの鋭い痛み。

吐血混じりの咳を繰り返しながら、何とか自身の身体へと視線を落とすアンジェラ。

全身の打撲は言うまでもないが、剥き出しの左大腿部から溢れる鮮血と、装束の腹部に拡がりゆく赤黒い染みが目に入り、呆然とする。

それらの中心には、長椅子の残骸だろうか、それなりに大きく尖った木片が突き立っていた。

恐る恐る手を伸ばし、木片に指を掛けるアンジェラ。

瞬間、木片が突き立った位置から、電撃の様な激痛が全身に走った。

声にならない悲鳴が零れるが、震える腕に力を込めて何とか引き抜こうと試みる。

だが、抜けない。

 

 

「あ……ぅああ……!」

 

 

かなり深くまで刺さっているらしい。

長く尖った先端が、骨近くまで食い込んでいる様だ。

あまりの激痛に力を籠め続ける事も出来ず、震える指が木片から離れてしまう。

腹部の傷の深さは、考えるのも恐ろしい。

そういえば血を吐いたが、内臓が傷付いているのだろうか。

 

 

「あ……シャル……?」

 

 

ふと、共に吹き飛ばされたシャルロットの事が気に掛かり、ぎこちなく視界を動かし小さな身体を探すアンジェラ。

果たしてシャルロットは、すぐに見付かった。

アンジェラのすぐ側、同じく大理石の床に倒れ伏す彼女。

その幼い身体には、アンジェラと同じく幾つかの木片が突き立ち、溢れ出す血液は彼女が纏う装束を徐々に赤黒く染め上げてゆく。

この出血量は不味い。

 

 

「シャル……!?」

 

 

自身の負傷も、其処から齎される苦痛も無視して、シャルロットを助け起こさんとするアンジェラ。

背後に建つ象徴的な像に凭れ掛かりながら、如何にか身を起こす。

だが彼女の意識はシャルロットから離れ、唐突に部屋の出入口、吹き飛ばされた扉の方向へと向けられた。

宙を舞う破壊された石壁の粉塵。

その向こうから響く足音、そして金属音。

追い付いてきたのだ、あの女狩人が。

 

 

「く……」

 

 

震える腕を彷徨わせ、漸く見付けた自身の杖を何とか握るアンジェラ。

既に半ばより先が折れ飛んでいるそれは、何とか魔法を発動する為の触媒としての機能を保持していた。

そうして『ホーリーボール』の発動準備を行おうとして、しかし彼女の思考はその行動に異議を唱える。

 

駄目だ。

『ホーリーボール』では術式の発動から対象に影響を及ぼすまでに若干の間が在る。

相手が単なるモンスターや敵兵ならばいざ知らず、意真子の瞬間に相対している存在はモントと同じ『狩人』だ。

モントやアストリアの2人を見る限り、戦闘時に於ける彼等の機動力は獣人のそれと比しても遜色ない。

個人差はあるだろうが『狩人』である以上、あの女も常人離れした膂力を有しているのだろう。

そんな相手に『ホーリーボール』を放ったところで、発動の瞬間に炸裂点から身を逸らされてお終いだ。

ならば、どうするか。

 

 

「……最悪」

 

 

よろめきながらも立ち上がり、自身の周囲を確認するアンジェラ。

室内の構造を把握すると、シャルロットの身体を引き寄せて背後の像に自らの背を預け、覚悟と共に『ホーリーボール』とは異なる術式を組み始める。

此処までの道中、この魔法の訓練は重ねてきた。

フェアリーとウィル・オ・ウィスプという、これ以上ない程に最適な師が2人。

彼等から、過去の高名な大魔導師達と比しても圧倒的な早さで成長している、との言葉を驚愕と共に告げられてもいる。

 

だがそれでも、この魔法を実戦で試すのは初めての事。

いうなれば、発動こそ問題なく可能ではあるものの、未だ実戦での運用可能な段階には達していないと、フェアリー達から判断された魔法なのだ。

安定して運用したいならば『クラスチェンジ』を待った方が良い。

それが、フェアリーとウィスプの判断だった。

寧ろ彼等は、今の段階でこの魔法を使用する事は、アンジェラの自滅を招きかねないとまで危惧している。

彼女の内に秘められたマナがあまりにも膨大に過ぎる事もあり、不安定なまま術式を作動させれば暴走、周囲一帯を巻き込む『災厄』を引き起こし兼ねないと。

 

自身に才能が秘められていると言われて、喜びを感じなかった筈がない。

理の女王の娘であるにも拘わらず魔法を使えないのは、才能が皆無である為ではないと。

寧ろ、人としては在り得ぬ程に膨大なマナを単身で制御可能な才を秘めるが故に、ごく一般的な術式では魔法を発動できないだけだと。

2人の師の言葉は、果ての無い暗闇に差す一条の光そのものだった。

 

しかし同時に、だからこそ彼等の警告は深刻なものとして、アンジェラの内に刻まれている。

光のマナを用いた上級魔法『セイントビーム』。

所謂『戦術魔法』に分類されるそれは、強力な攻撃手段であると同時に極めて危険な特性をも併せ持っていた。

ウィスプ、フェアリーとの遣り取りを、アンジェラは細大漏らさず覚えている。

 

 

『……どの属性にも、術者の周囲一帯に影響を及ぼす戦術級の魔法が在るッス。ボクの属性なら『ホーリーボール』と『セイントビーム』の複数対象同時発動が代表的ッスね。ただ、この2つの術式には決定的な違いが在るッス』

 

『どういう事?』

 

『『ホーリーボール』の場合、単一目標に対して最も有効である術式を弄って、半ば無理矢理複数目標に対して発動してるっス。つまり……』

 

『単体に対して発動した時より、術としての威力は落ちる?』

 

『ご明察ッス。まあそれも、熟練の魔導師ともなると在って無い様なものッスが……問題は『セイントビーム』ッス』

 

『それも目標の数によって使い分けできるのよね。何が違うの?』

 

『何もかも違うッス。『ホーリーボール』とは違い『セイントビーム』は初めから戦術級の攻撃魔法なんッスよ。これの単一目標への発動とはつまり、周囲一帯を焼き尽くすレベルの光のマナを無理矢理収束させて、一箇所に対して照射するって事になるッス』

 

『その分威力が上がる、でしょ? それって良い事……ばかりじゃないわよね。それだけの術式を凝縮して放つって事はつまり、その為の『砲身』が必要な筈。要するに、この場合……』

 

『本当に理解が早いッスね。お察しの通り、その場合に術式を凝縮して発動する為の『砲身』は術者自身ッス。制御を誤るか、或いは凝縮したマナに術者自身が耐えられなければ、周囲一帯を巻き込んで盛大に自爆する事になるッスよ』

 

『そして……アンジェラ。貴女の場合、その際の被害は想像を絶するものになるわ』

 

『フェアリー?』

 

『以前言った、貴女の才能が規格外だっていう言葉。あれは御世辞でも何でもなく、歴とした事実よ。だからこそ、魔法の扱いには細心の注意を払わなくてはならない』

 

『そういう事ッス。アンジェラさんの魔力……マナの制御・蓄積容量は桁違い、はっきり言えば常軌を逸してるッス。そんなものが暴発すれば、小さな街ひとつ吹き飛ばしてお釣りがくるッスよ』

 

『なに、それ……』

 

『だからアンジェラ、貴女が『セイントビーム』クラスの魔法を使うのは『クラスチェンジ』を果たしてからの方が良いわ。いえ、そうでなくてはならない。発動するだけなら、今の貴女でも可能よ。でも、それで貴女自身が死んでしまっては元も子もないわ』

 

 

自らに才が無いのではなく、才有るが故に極めて高いリスクを伴うという事実。

逃げ出す以前の自分ならば無邪気に喜んでいたのだろうなと、アンジェラは自嘲する。

今この状況に於いては、そのリスクこそが自分とシャルロットの生死を左右する要因となっているのだ。

『セイントビーム』が問題なく発動すれば良し、追手を排除し中庭の一行に助けを求める事が出来るだろう。

術式が暴発すれば、その時は追手もろとも粉微塵だ。

ウィスプの言葉通りならば、被害は中庭の面々にも及ぶものになるだろう。

王城の強固さを考慮すれば、市街地への被害は最小限に抑えられるだろうか。

 

刹那的な思考を孕みつつ、アンジェラは術式を完成させる。

先に術式を組み上げ、其処へ膨大なマナを一気に流し込むという、些か強引な発動方法はアンジェラのオリジナルだ。

正確にはフェアリーの手解きを受けて生み出した、一般的なやり方とは異なる彼女にとっての最適な発動方法。

アンジェラの精微極まる術式構成と、その膨大な魔力を最大限に活かす為に考案されたそれは、彼女の魔法に他の魔導師のものとは一線を画す威力を齎していた。

だがそれゆえに、術者に掛かる負担は大きい。

『ホーリーボール』発動の際でさえ、アンジェラは自身の内で暴発しそうになるマナを押さえる事に腐心せねばならなかったのだ。

況してや、その更なる上位術式である『セイントビーム』では、僅かでも制御を誤れば惨事は免れまい。

完成した術式に気を配りつつ、彼女は震える腕で以って杖を構え、追跡者が姿を現すであろう部屋の入り口を睨む。

 

あの追尾型の魔法を使うには、此方の姿を視界に捉えなければならない筈。

そうでなくとも、爆発の効果範囲に此方を巻き込む為には、接近する必要がある。

腕から触手を放つ魔法に関しては、それ以上に距離を詰めねばならない筈だ。

どちらにせよ、敵はその姿を此方に晒す事となる。

其処が、狙い目だ。

此方の被害を最小限に抑えつつ生き延びるには、それしかない。

機会は一瞬、月明かりを背にした敵の影が宙を舞う塵に映り込んだ、その瞬間。

崩れ掛けた壁面ごと『セイントビーム』で敵を貫く。

 

 

「え?」

 

 

そんなアンジェラの思考は、唐突に視界へと映り込んだ代物によって、強制的に中断させられる。

未だ視界の先を覆う石壁の粉塵、その幕を突き破って此方へと迫り来る、人影とは似ても似つかぬ何か。

それは、酒瓶だった。

内に満たされているであろう液体が酒であるとは思えないが、それそのものは酒瓶としか形容の仕様がなかった。

そして、その瓶の口に煌々と灯る光、明るい炎の赤。

つまり『火炎瓶』。

 

 

「っ……!」

 

 

選択肢は無かった。

アンジェラの魔導師離れした動体視力は、宙を翔けて迫り来る火炎瓶の輪郭を正確に捉え、照準している。

そのまま、待機状態にあった術式へと一瞬にしてマナを巡らせ、発動。

構えていた杖、その折れた箇所の先端に白光が灯り、瞬く間に眩い閃光となって放たれる。

集束したその光は、アンジェラへと迫っていた火炎瓶、その瓶口を着火用の布とそれに点された炎ごと抉り、消し飛ばした。

聖なる光の奔流が瓶程度で減衰する筈もなく、直進したそれは舞い上がる粉塵の中央を貫いて室外へと突き抜ける。

その際の大気の変動により更に舞い上がる粉塵の壁、遮られる視界。

 

 

「しまっ……!?」

 

 

読まれていたのだ。

待ち伏せている、必殺の牙を隠していると。

どんな魔法が用いられるか、其処まで推測していた訳ではないだろうが、何らかの手段で以って反撃に出るであろう事を。

だから不用意に身を曝す事を避け、火炎瓶を投げ込んできた。

敵を狙い撃つ為に待機させていた『セイントビーム』の術式。

だが、敵そのものに先んじて放り込まれた火炎瓶を迎撃しなければ、至近に落着した火炎瓶によって撒き散らされる炎により、傍らのシャルロット諸共に身を焼かれる事になる。

だからこそ、撃った。

撃たざるを得なかった。

そして、撃ってしまったが故に、彼女は無防備となった。

敵本体を迎え撃つ手段を失い、魔法によって再度舞い上がった粉塵に視界を遮られ、如何なる対応も取り得ない状態となった。

故に、結末はひとつ。

 

 

「あぐぁッ!?」

 

 

僅かな金属音と、鋭い風切り音。

粉塵の壁が切り裂かれるより早く、アンジェラの左肩口から右の腰に掛けて奔る、熱と衝撃。

それらは同時に右手をも襲い、其処に握られていた杖の残骸を弾き飛ばした。

此処で漸く聴こえる、火を失った火炎瓶が床に叩き付けられ、割れる音。

何が起こったかを理解する暇さえ与えず、粉塵を突き破り目にも留まらぬ速さで迫り来る白い人影。

直後、アンジェラは自身の腹部に衝撃と、深々と突き立つ冷たく硬い異物感、遅れて襲い来る灼熱感を覚える。

 

 

「ぐ、ごふ……!?」

 

 

咽返る様な鉄の匂い。

上手く呼吸ができない。

腹部の異物感と灼熱感は徐々に、おぞましい苦痛をも伴い始めている。

視界の中央、目と鼻の先には、前屈みの姿勢で此方へと右腕を突き出す、法衣の狩人。

その手に握られた金属製の杖、その先端がアンジェラの腹部に深々と埋もれていた。

杖が喰い込んだ腹部、そして左肩から右の腰辺りに掛けて直線状に抉られた痕から、止め処なく零れ落ちる血潮。

視界の右端に映り込んだ赤にそちらへと視線を映せば、杖を握っていた右手は小指と薬指の肉が半ば削り飛ばされ、骨が露となりあらぬ方向へと折れ曲がっていた。

そこで漸く、彼女は自身に起こった事象を理解する。

 

『仕掛け武器』だ。

火炎瓶を囮に、粉塵を煙幕に。

発動待機状態にあった『セイントビーム』を無効化し、一気に距離を詰めて何らかの『仕掛け武器』による一撃。

その一連の攻勢を、真面に受けてしまった。

初撃で杖を弾き飛ばされ、続く本命の一撃で致命傷を与える。

まんまと嵌った結果が、この腹部に突き立った冷たい金属の杖だ。

 

 

「が……!」

 

 

杖を更に深く捻じ込まれ、苦悶の声を漏らすアンジェラ。

腹を突き破った杖の先端は臓腑と肉を掻き分け抉り、脊椎を掠めて背中へと至る。

骨と杖が擦れる衝撃、背中の肉が内側より破られるおぞましい感覚。

それらを彼女は、明確に感じ取っていた。

感じ取ってはならない、感じ取るべきではないそれらを、明確に。

 

 

「ぎ……っ!?」

 

 

限界を超えた苦痛の前には、僅かな悲鳴すらも零せないのだという事を、アンジェラは初めて実感していた。

腹から背中へと貫通した杖の先端が、背後の像へと接触した際の硬い衝撃ですら、肉と骨を通じて我が事の様に感じとれてしまう。

その事実に恐怖しながらも、その感情さえも呑み込んでしまう苦痛に意識を塗り潰され、彼女は口部より溢れ返る血もそのままに腹部へと突き立つ杖に左手を伸ばす。

まるで、その杖を抜こうとするかの様に。

無意識故の行動なのだと、法衣の狩人も判断したのだろうか。

一片の容赦なく更に杖を捻り、アンジェラの身体を貫通して刻まれた傷痕を抉り広げてゆく。

 

 

「っ……ぁ……!」

 

 

衝撃に跳ね上がり、杖を掴もうとする細い腕。

だが、何故かそれよりも早く狩人は杖を手放し、空いた右手を自らの腰の辺りに構え、身体全体を大きく右へと捻った。

それが何を意味するものか、苦痛に塗り潰された意識であっても、アンジェラは正確に理解する。

あの、炎に包まれた湖畔の村。

アストリアで繰り広げられた殺戮、あの夜から幾度か目にしてきた、その構え。

狩人たちが振るう、常人には考えもつかぬおぞましき業。

武器に頼らず、自らの手によって敵の内臓を抜き取るという、まさに狂気の沙汰。

 

 

「がッ……!」

 

 

直後、杖が突き立った位置の上、アンジェラの鳩尾。

皮膚とその下の肉をも難なく突き破った狩人の五指が、掌の半ばまで彼女の体内へと突き込まれた。

臓腑を直接掴まれる、異様な感覚。

 

 

「げ、ふ……」

 

 

想像を絶する苦痛はアンジェラの許容限界を疾うに越え、最早彼女の意識は半ば消え掛かっている。

しかし、その左手が腹に突き立ったままの杖を離れ、鳩尾へと突き込まれた狩人の腕へと添えられた。

華奢な身体に刻まれた傷からの出血は、既に周囲一帯を赤く染め上げている。

出血量からしても、何時意識を失ってもおかしくはなかった。

だが、狩人は更に確実な止めを刺す心算なのだろう。

臓腑を掴む右手は更に握力を増し、そのままそれらをアンジェラの体外へと引き摺り出すべく、腕を引き寄せんとする力が感じられた。

だから、アンジェラは。

 

 

「……か、まぇ……た……!」

 

 

朦朧とする意識の中、指の折れ曲がった右手までをも使って、狩人の腕を掴んだ。

 

 

「ッ……!?」

 

「っぎ、ぁ……あああああぁぁぁぁァァッッッ!?」

 

 

瞬間、周囲を染め上げる、暖かな翠玉色の光。

膨大なマナに満ちたその光は、忽ちの内にアンジェラの全身に刻まれた傷を癒してゆく。

これこそが、この室内に存在していた『黄金の女神像』による奇蹟。

『マナの女神』の祝福による癒しの加護だった。

 

『黄金の女神像』自体は、そう珍しいものではない。

世界各地の重要拠点や、旅の要所となる地点などに設置されている普遍的な設置物であり、元々は単なる石像だったものである。

しかしそれらは『マナの女神』による祝福を受け、あるものは銀の像に、またあるものは金の像に転じた。

そうしてそれらは、像の周囲に存在する生命に加護を与える様になったのだ。

『銀の女神像』は理性無きモンスターを遠ざける加護を。

『金の女神像』は祈りを捧げた者の傷を癒す加護を。

そうして奇蹟の産物へと変貌を遂げた女神像の幾つかが回収され、各国の国防上に置ける重要拠点に於いて常設される様になったのは、当然の運びだろう。

アンジェラ達が偶然に飛び込んだこの部屋もまた、そういった兵士たちの傷を癒し、また女神への感謝を捧げる事を目的とした部屋だったのだ。

 

通常ならば如何に『黄金の女神像』とはいえ、アンジェラが負っていた程の重傷を癒す力は無い。

精々が軽傷を癒し毒や病魔の影響を抑える程度の加護であり、致命的な程の傷を癒すとなればウェンデル等の神官による追加の術式が必要となる。

しかし『マナの聖域』より訪れたフェアリーから、更には光の精霊であるウィル・オ・ウィスプからも加護を受けた聖剣の一行となれば、像より齎される癒しの効果は途轍もないものと化していた。

それこそ、今にも命の灯を掻き消さんとしていた傷を、瞬く間に癒す程に。

だが今この瞬間、その加護の下に傷を癒すアンジェラは、耐え難い苦痛に因る悲鳴を上げ続けていた。

 

 

「ああああああッ! うあああああぁぁぁぁッッ!」

 

 

髪を振り乱し、絶叫するアンジェラ。

だが、それも無理はない。

彼女の身体は、あろう事か杖と狩人の腕に貫かれ、それらを体内に『内包したまま』傷を癒され続けていたのだから。

 

 

「ッ……ッ……!?」

 

「ひ、ぎぃっ……うああ……!」

 

 

『黄金の女神像』が存在すると認識した直後に、傷を癒すという選択肢も脳裏を過ぎった。

しかし、この状況で祈りを捧げ、傷が癒えるまでの無防備な体を曝す事は余りに致命的。

かといって、此方の『セイントビーム』が上手く発動し、更には敵を捉えるとの保証は何処にも無い。

だからこそ覚悟を決め、この手を取るしかなかった。

普段であれば決して考え付かず、また考えたとしても絶対に実行しようとは思わない行動。

敵の武器を、腕による攻撃をその身に受け、それらを体内に留め置いたまま傷を癒して自らの内に封じ込めるという、正気とは思えない行為。

 

まともに力比べをしては、魔導師に過ぎない自分に狩人の力に敵う道理はない。

だが、女神の加護による肉体の修復中ならばどうか。

今、自分は女神像に背を預け、直接触れている。

癒しの加護を求める祈りを只管に続けながら。

肩口から抉られた傷が、肉を削られ折れ曲がった指が、杖に貫かれたままの腹が、五指を突き込まれたままの鳩尾が。

女神の加護の下、急速に癒やされてゆく。

癒され続けている。

異物を内包したまま密度を増す肉壁は、招かれざる侵入者である杖と指とを強烈に圧迫、それらを引き抜かんとする力に抗っていた。

狩人の腕を掴んだ左右の手にもまた、決して狩人を逃がすまいとする、華奢な見た目からは想像も付かない程の力が込められている。

 

アンジェラの覚悟と、全身全霊を振り絞った力。

それらは、確かに狩人の動きを阻害していた。

しかし同時に、それらは無限とも思える苦痛をアンジェラ自身にも齎し、無慈悲にも彼女の精神と体力を削り取ってゆく。

 

抉られては癒され、癒されては抉られ。

腹から背中にかけて貫通したままの杖、鳩尾の内の臓腑を握り潰し掻き回し続ける手。

それらの致命傷も忽ちの内に癒され、しかし直後にまた抉られ潰される。

常人ならば疾うに発狂していても何らおかしくはない。

だがアンジェラは余りの苦痛に涙を零し、声を限りに悲鳴を上げながらも、決して自らに課した使命を放棄しようとはしなかった。

 

 

「ぅ……うぁ……!」

 

 

苦痛のあまり閉じそうになる瞼を気力だけで限界まで見開き、敵の一挙動さえも見逃さんとばかりに睨み据える。

此処に至り初めて焦燥の体を見せた法衣の狩人は、業を煮やしたのか腰に掛けていた見慣れない道具へと左手を伸ばす。

その正体こそ知らずとも、恐らくは銃器に位置付けられる類の物であろうと推測するアンジェラ。

この至近距離、銃弾であれ他の何かであれ、致命傷は避けられないだろう。

だが、その状況を黙って見ている程、彼女の戦友は軟弱ではなかった。

 

 

「こんのぉォッ!」

 

「ッ、が……!?」

 

 

それまで伏せていたシャルロット、意識がないと思われていた彼女、その小さな身体が突如として飛び上がる。

そして渾身の力を込めて、自らの得物であるフレイルを振り抜いたのだ。

結果は劇的だった。

2本の鎖の先端に付けられた星形の鉄塊は狩人の頭部を強かに打ち据え、更に撓んだ鎖により不規則な軌道を描いたそれらの1つは法衣を引き裂き、狩人の左手甲をも深々と切り裂いたのだ。

それだけに留まらず、残る1つの鉄塊は腰の銃器らしき道具へと直撃し、その何らかを射出するであろう部分を完全に破壊する。

これで狩人の、アンジェラへの攻撃の試みは頓挫した。

しかし狩人が、自らの間合いで黙ってやられるばかり、等という事は有り得ない。

シャルロットはすぐに、苛烈な報復を受ける事となった。

頭部を襲う、凄まじい衝撃。

 

 

「んぎっ……!?」

 

 

蹴りだ。

目にも留まらぬ速さで振り抜かれた脚、堅いブーツの爪先がシャルロットの額を捉えていた。

小石の様に蹴り抜かれた彼女の頭部が、柔らかく豊かな金髪を置き去りにする程の勢いで弾かれ、そのまま身体ごと女神像の台座へと叩き付けられる。

その凶行を目の当たりにしたアンジェラは、しかしどうする事もできなかった。

彼女にできる事といえば、このまま狩人の動きを封じ続け、中庭の面々が救援に駆け付ける時を待つだけ。

その、筈だった。

 

 

「っ……!?」

 

 

それを目にしたのは、偶然だった。

シャルロットのフレイルにより切り裂かれた、狩人の法衣。

破れた懐から零れ落ちる、幾つかの道具らしき物。

その中に、それらは在った。

 

 

「あ……」

 

 

初めは、何か解らなかった。

否、解る筈がなかった。

そんな物を目にした事などこれまでの人生で一度たりとも無かったし、そんな物が存在している等という話を耳にした事も無かった。

だが、それらは。

それら、悪趣味な収集品としか思えないものは。

如何なる理由か、此方の視線を惹き付けた。

その異形なる、得体の知れない代物。

 

粘液に塗れ、おぞましく蠢くそれ。

鹿の角の様な触角を広げ、深淵の輝きを内包したそれ。

明らかに生きていると解る、異常な存在である2匹の『透明なナメクジ』

 

それらを目にした瞬間、自身の内に流れ込んできたもの。

それが何か、アンジェラは知る術を持たなかった。

だが、理解はできずとも、それを感じ取る事はできる。

感じ取ってしまった。

否、それは正しく、彼女の意識の中枢へと割り込んできたのだ。

 

何処までも続く底の無い深淵の闇、その中に瞬く無数の光。

これまでに幾度となく目にしてきた、しかしこれ程までの深淵と無限を宿したものであるなど、考えもしなかったそれ。

母の愛に飢え悲しみに暮れた夜に、己が無力を嘆き呪った夜に。

見上げた視線の先、何時も変わらず其処にあった闇と光。

即ち、満天の星空。

 

だがアンジェラは、その光の中に混じる、確かな異物に気付く。

星の光などでは在り得ない、翠玉色の光。

無数に瞬く星の光の中、ただ2つだけのそれらが、アンジェラの意識を捉えて離さなかった。

これまでに見たどんなエメラルドでさえ、その2つの星が宿す深い輝きには及ぶまい。

そして、アンジェラは気付いた。

 

 

 

あれは『瞳』だ。

 

 

 

それまで必死に押さえ付けていた狩人の腕を離し、自らの右腕を敵へと掲げるアンジェラ。

その動きは意図したものではなく、無意識の内に生じたもの。

相対する法衣の狩人が、呆けた様に動きを止める。

だがアンジェラの意識が向けられているのは、目の前の敵に対してではない。

彼女の意識の内、向けられる翠玉の瞳。

それが語り掛けてくる、たったひとつの切なる願い。

 

 

 

『帰りたい』

 

 

 

その瞬間、何が起こったのかは良く解らない。

だが、無意識の内に敵へと向けていた右腕、その周囲に闇と光が拡がった事だけは覚えている。

自らの内に広がった星空、それと同じ闇と光。

同時に、腕と胴に奔る衝撃。

視界の下方、赤い花が咲く。

 

 

「ぅ……アン……ジェラ?」

 

 

意識を取り戻したらしき、シャルロットの声。

だがその声は、アンジェラの耳に届いてはいても、意識にまでは届かない。

彼女は緩慢に首を動かし、自身の鳩尾へと視線を落とす。

剥がれた皮、抉れた肉。

赤い飛沫を噴き出す、胴に穿たれた穴。

其処はつい先程まで、狩人の腕が突き込まれていた場所。

 

視線を上げる。

アンジェラから数メートルほど離れた場所、床に膝を突いた狩人の姿。

白い法衣は血塗れとなり、右腕はあらぬ方向へと折れ曲がった挙句、骨が肉と皮膚を突き破り露出している。

目元を覆う仮面こそ残ってはいるものの、奇妙な形の帽子は破れ跳び、その下に隠れていた長い金の髪が露となっていた。

だが、本来は美しい輝きを湛えていたであろうそれは、今やアンジェラのものか狩人自身のものかも判らない血で赤く染め上げられている。

 

何が起こったのか。

詳細な事は何も解らないが、明らかに敵は傷付き頽れている。

自身の負傷は、敵が何らかの要因で強制的に距離を置かれた事により、突き込まれていた腕が引き抜かれた際に抉れたものだろう。

だが、そんな事はどうでも良い。

今、自身の意識を捉えて離さないのは、この事故の内に宿った『星空』と、其処に浮かぶ2つの翠玉が訴え掛けてくる意思だ。

 

 

「アンジェラしゃん……? アンジェラッ!」

 

 

憎い。

目の前の『これ』が

『これ』が属していた『あの集団』が、憎い。

 

帰りたかった。

唯、帰りたかった。

それだけだった。

それだけを望んでいた。

 

なのに『あの集団』は『私』を見つけ出すと、まるで『神』の如く祀り上げた。

血を抜き、叡智を欲し、彼等が『瞳』を見出す為に『私』を利用し尽くした。

『私』には祈る事しかできなかった。

既に亡骸となった同胞、その僅かばかりの力の残滓が遺された祭壇を前に、悲嘆と絶望に暮れる日々。

叶う筈もない僅かな希望に縋る『私』に、運命が微笑む事は終ぞなかった。

只管に救いを求める日々は、無慈悲な死神によって唐突に終わりを告げる。

 

あの日。

訪れる者さえ途絶えた祭壇に、あの月の香りの狩人が訪れた夜。

小さな存在を気に留める事もなく祈り続けていた『私』は、猛烈な悪意と敵意、そして殺意と共に襲い掛かってきた痛みに悲鳴を上げた。

咄嗟に抵抗したものの、それを嘲笑うかの様に斬られ、撃たれ、抉られ、穿たれる。

その小さな襲撃者の身体を幾度となく薙ぎ払い、打ち砕き、消し飛ばそうと試みた。

だが、それら必死の抵抗は、捉える事さえ困難な速さの前に全てが躱される。

遂には自らの身体が傷を負う事さえ無視して暴れ狂ったものの、襲撃者は殺意に満ちた攻撃の手を休ませる事もなく『私』の身体を切り刻んだ。

そうして遂に力尽き頽れた『私』の頭部に、その『獣』そのものと化した爪を腕ごと突き込み、頭蓋の内を根こそぎ引き摺り出して『殺した』のだ。

 

 

「……許さない」

 

「え……?」

 

 

許さない。

許してなるものか。

ただ帰りたかっただけ、それだけだったのに。

祀り上げられ、幽閉されて、利用され、殺された。

あの絶望、あの恐怖、あの憎悪。

忘れるものか。

忘れてなるものか。

 

 

「アンジェラしゃん、何を……ッ!?」

 

 

腹に突き立てられた杖もそのままに、両の掌を宙へと翳す。

その手の内に宿る無限の闇、星々の光。

この世界の誰もが未だ知り得ぬ、天空と聖域の更に先、星の海の闇と光。

 

シャルロットは息を呑んだ。

アンジェラの手の内に宿る光、それは正しく敵の狩人が用いたものと同じ、あの炸裂型の追尾魔法と同じものだった。

だが彼女には、全く同じものとは思えなかった。

吸い込まれそうな、何処までも深く沈み込む様な闇。

その中に瞬く無数の、それこそ千とも万ともつかぬ星々の輝き。

目に見える数以上の星の光が、闇の中に内包されている事を、シャルロットは生命ある者としての本能で以って感じ取っていた。

そして直後、アンジェラから放たれた声、常の彼女とは思えぬそれに凍り付く。

 

 

 

「『消えて』」

 

 

 

法衣の狩人が身を翻し、室外への逃走を図る。

だが、遅い。

アンジェラの頭上、翳された掌の間から、周囲へと広がる星空。

聴こえる鐘の音は、果たして幻聴か。

そして闇の中に瞬く光、その幾つかが輝きを増し、遂には凄まじい高音と閃光と共に弾けた。

 

 

「な……!?」

 

 

シャルロットが目にしたもの。

それは、流星と化した幾つもの星の光が、衝撃波さえ伴って射出されるという異常な光景。

流星の速度は、狩人が用いていたそれを圧倒的に凌ぐ。

閃光纏う矢と化したそれらは、漸く室外へと到達したばかりの狩人、その背へと殺到。

無慈悲にその背を喰い破り、そして。

 

 

「きゃ……!」

 

 

閃光が、城の一画を白く染め上げた。

 

 

 

============================================

 

 

 

「ッ……最悪……!」

 

 

吐き捨てつつ、身を隠した無人の民家にて、フェアリーは自身の左腕に布を巻き付ける。

生地を染める赤はすぐに布の表層へと滲み出し、やがて雫となって床へと落ちた。

 

 

「痛ッ……」

 

 

額に滲む脂汗は、腕から奔る痛みによるもの。

フェアリーの腕には一筋の深い傷が刻まれ、其処から休む事なく血が零れ出していた。

あの、大剣の狩人が繰り出す斬撃を躱し切れず、切っ先が腕を掠めたのだ。

掠めただけとはいえ大質量の大剣、傷は骨にまで達しているだろう。

 

幸いな事に、相手は距離を置かれた際の攻撃手段に乏しいらしく、路地を利用して彼我の距離を空けると攻撃は止んだ。

このまま逃げ続けていれば、いずれは信号弾を目にして駆け付けてきた他の狩人と鉢合わせるだろう。

そうなれば状況を有利に運ぶ事が出来る筈。

そんな考えは、追跡の最中に敵が放り投げた瓶、その内容物によって御破算となった。

 

瓶の中身は血液。

濃密な匂いを漂わせる、大量の『人血』だった。

そして暫しの後、王都の各地から無数の遠吠えと叫びが上がったのだ。

周辺の獣がこの区画へと殺到を始めたのは、そのすぐ後だった。

銃声から察するに、同時に狩人もまた集結を始めていた様だが、しかし獣への対応に追われているらしく未だ接触できていない。

となれば自ら現状を打開せねばならないのだが、問題は自身の得物だった。

 

 

「これじゃあ、もう……」

 

 

足元に転がる、嘗て弓だったものの残骸を見やるフェアリー。

それは躱し切れなかった大剣の直撃を受け、半ばから無残に折れ飛んでいる。

尤も弓が無事であったとして、この腕では矢を番える事さえできないだろうが。

深く息を吐き、壁に背を預けて力なく腰を下ろす。

考えるのは、あの瓶入りの血液が振り撒かれた際の事。

 

あの時、自分は撒き散らされたそれが『人血』であると、ものの数秒で気付いた。

距離が離れていたにも拘らずだ。

背後から風に乗って漂う匂いが、濃密な人の血のそれだと判別できてしまったのだ。

モンスターのそれ、他のどんな生き物のそれとも異なる、甘く絡み付く様な匂い。

衝撃だった。

何故、そんなものを嗅ぎ分けられるのか。

何故、それが人の血だと自分は確信しているのか。

訳が分からなかったが、それ以上に自身が衝撃を受けているのは、また別の事だ。

 

 

「……どうして……!」

 

 

あの、漂う『人血』の匂い。

自分はそれを嗅いだ時、何と考えただろうか。

戦慄しただろうか。

恐怖しただろうか。

拒絶を、嫌悪を、込み上げる吐き気を覚えただろうか。

 

否、どれも違う。

嫌悪も、恐怖も、吐き気も覚えなかった。

自分が覚えたものは、ただひとつ。

 

 

「嘘だよ……こんなの……!」

 

 

『甘い』と。

甘く濃密で、酷く飢餓感を覚える『香り』だと。

仲間たちと共に口にした酒とはまた異なる、比較にならぬ程の『酩酊』を齎す香しさだと。

自分は、そう感じたのだ。

 

あれを直接口にしたならば、一体どれ程の酩酊を味わえるのだろうか。

どれ程に素晴らしい香りを味わえるのか。

舌に蕩け、喉を潤し、臓腑に絡み付く濃厚な『人血』は、どれ程の悦びを齎してくれるものだろうか。

 

 

「嫌ぁ……!」

 

 

頭を抱え、身を縮こまらせる。

幾ら振り払おうとしても、あの『人血』の甘い香りが脳裏から離れない。

嘗て聖域で口にしていた花の蜜。

あの『人血』がそれ以上の多幸感を齎すものだと、そう確信してしまっている自分が内に居る。

あんなおぞましいものを、口にしたくて堪らないと渇望する自分が、確かに存在するのだ。

蜜よりも、甘味よりも、あまり自身に合わなかったとはいえ嗜好品である酒よりも。

その何よりも、あの『人血』を啜ってみたいと望む自分。

それが何よりも恐ろしく、おぞましい。

 

自分自身の変化に恐怖するフェアリー。

膝を抱え、幼子の様に身を震わせる彼女を、しかし状況は見逃してはくれなかった。

窓の外、割れたガラス片を踏みしめる音。

 

 

「っ……」

 

 

咄嗟に息を潜め、更に身を縮ませるフェアリー。

傍らの卓上、其処に置かれた瓶の表面に浮かび上がるのは、通りを隔てて炎上するはす向かいの家屋の炎。

そのオレンジの光の中に、屋外に佇む人影が映り込む。

影の輪郭はぼやけているものの、その人物が肩に担いでいる物の形状ははっきりと認識できた。

幅広の大剣。

即ち、影の主はあの狩人だ。

どうやら、周囲の物陰に此方が潜んでいないか捜索しているらしい。

 

咄嗟に、懐へと仕舞い込んでいた信号銃を取り出す。

音を立てぬよう、慎重に銃身を折るフェアリー。

露になった薬莢を抜き取り、その内部を覗くと苦々しく表情を歪める。

 

駄目だ、やはり内部が空になっている。

どうにか再利用できないかと考えたが、そう上手く事が運ぶ訳がない。

この銃で状況を切り抜ける事は不可能だ。

そう考えた時、彼女は異変に気付く。

 

 

「え……」

 

 

手の中の薬莢、その側面。

其処を、何かが這いずっている。

窓から差し込む月明かりに照らされ、怪しく光るそれ。

 

咄嗟に床へと視線を落とす。

其処には、腕から滴り落ちた自身の血が、幾つもの染みを作っていた。

だが、少ない。

思っていたよりも遥かに少ないのだ。

血が止まったのだろうかとも考えたが、傷の深さからしてそれはないと否定する。

ならば、零れた血は何処へ。

 

 

「な、あ……!?」

 

 

左腕へと視線を移し、絶句する。

止血の為に巻き付けた布、其処から手首へと向かう幾筋もの赤い線。

蠢くそれらは、紛れもなくフェアリー自身の血液だ。

傷から手首へ、手首から指へ。

そして指から、其処に掴まれた薬莢へ。

空になったその内へと潜り込む、意思あるが如く蠢く血の流れ。

やがて、絶句するフェアリーの眼前でその流れは止まり、滲み出す血が再び床へと零れ落ちる。

 

 

「何、これ……?」

 

 

再度、薬莢の中を覗き込む。

空になった筈の其処には、赤黒い結晶が詰まっていた。

恐らくは、彼女自身の血液が凝固した物。

数秒ほど、唖然として手の中の信号弾を見詰めていたフェアリーだったが、やがて緩慢な動きで給弾口へとそれを装填する。

慎重に銃身を戻し、引き金に指を掛けて目を閉じた。

 

驚いたが、恐らくはこれも狩人の業だろう。

抵抗感からあまり狩人についての説明を受けた事はなかったが、もう少し詳しく話を聞いておくべきだったか。

否、これまで銃を扱う機会など無かったのだ。

こんな業が在ると知っていたとして、それを活かす機会などこれまでに無かったのだから、致し方ない事だろう。

だが、やはり自分がフェアリーという存在から掛け離れた代物に成り果ててしまったという事実を、こうして目に見える形で実感するというのは酷なものだ。

ただ今は、感傷に浸るよりも優先すべき事がある。

 

窓枠に指を掛け、息を潜めて外の様子を窺う。

外に人影は無い。

獣共も、目に見える範囲には居ない様だ。

炎上中の民家は既に半ば倒壊し掛けており、通りには灰や瓦礫が散らばっている。

これから王城に戻り、仲間達と再合流するのが最良の選択肢だろうが、しかし道中であの狩人か獣に遭遇する確率は高い。

そうなれば、抵抗の手段はこの信号銃だけだ。

何処まで通用するか知れたものではないが、無いよりはましだろう。

 

 

「……行くしかないか」

 

 

覚悟を決め、ゆっくりと立ち上がる。

壁伝いに扉まで移動し、静かにドアを開けるフェアリー。

廊下に人影なし。

背中に腕を回し、其処にある幾つかのボタンを外しておく。

 

このまま裏口まで移動し、路地を伝って城まで戻るべきだろう。

経路を定め、室内から1歩を踏み出した、その時。

隣の部屋から聴こえた、微かな物音。

瞬間、反射的に身を伏せる。

 

 

「ッ、な……!?」

 

 

ほぼ同時、屈めた背中の直上を突き抜ける大剣の刃。

薄壁一枚の向こうから、壁ごと此方を串刺しにしようとしたらしい。

転がる様にしてその場を離れ、身を起こすと同時に後退る。

僅か3・4m前方、力任せに壁を破壊して姿を現す、眼鏡を掛け学者風の出で立ちをした男。

振り抜いた大剣を担ぎ直し、一息に此方へと肉薄してくる。

身を翻し、駆ける先は裏口ではなく通りに面した出入口。

肩口から身体をぶつける様にして表に飛び出すと同時、足首に奔る熱。

 

 

「あうっ!?」

 

 

次の1歩を踏み出す事ができず、足を縺れさせて転倒するフェアリー。

石畳に叩き付けられ転がる身体。

意にそぐわぬ動きが止まった時、彼女は自分に何が起こったかを理解した。

斬られたのだ、足首を。

 

 

「ぐ、うっ……!」

 

 

足首から溢れた血が、履物を濡らす不快感。

直後、電流の様な痛みが足首から全身へと奔った。

 

 

「いッ……ぁ!」

 

 

思わず零れる声。

しかし、どうにか仰向けに身体を起こすと、細身の片手剣を手に歩み寄って来る男の姿が目に入る。

その背には、幅広の刀身の影。

 

『仕掛け武器』だ。

恐らくは片手剣と、両手持ちの大剣を使い分ける類の武器。

大剣の刀身は、片手剣の鞘としても機能しているのだろう。

否、鞘そのものが大剣の刀身なのか。

手数と速さに優れる片手剣、間合いと一撃の威力に優れる大剣を使い分ける武器、といったところだろう。

大剣から片手剣を分離させ、その取り回しの速さで以って、逃げる此方の足首へと斬り付けたらしい。

 

そんなフェアリーの思考を肯定するかの様に、男は片手剣を自身の頭上へと翳すと、その刀身を下に向けて垂直に落とす。

金属同士が擦れ合う異音と、何らかの金具が組み合わさる重々しい音。

次に男が柄を持ち上げた時、その刀身は細身の剣ではなく、壮麗な装飾を施された大剣と化していた。

止めを刺すつもりだろう、ゆっくりと此方へ歩み寄ってくる男。

何とか立ち上がろうとするも、先程の衝撃により咳き込んでしまうフェアリー。

両腕で胸元を押さえ、口内を切ってしまったのか血の入り混じった咳を繰り返す。

どうにか呼吸を整えると、彼女は震える声で言葉を紡ぎ出した。

 

 

「ッ……何が目的なの、貴方たちは……」

 

 

答えは無い。

男は無感動に歩を進め、右手のみで保持していた大剣の柄に左手を掛けた。

それでも、フェアリーは言葉を止めない。

 

 

「知っているわ、貴方たちの正体……『カインハースト』!」

 

 

其処で初めて、男は脚を止めた。

僅かに眉を顰め、胡乱げにフェアリーを見つめる。

その様子に、フェアリーは更に言葉を投げ付けた。

 

 

「貴方たちの目的は『女王』が赤子を授かる事の筈でしょう!? こんな事をして何に……」

 

「的外れだ」

 

 

目を剥くフェアリー。

彼女の言葉を断ち切って放たれたそれは、眼前の男が初めて発した声。

言葉だけでなく、その内容をも斬って捨てた彼は、無感動に続ける。

 

 

「『汚れた血族』の目的など知った事ではない」

 

「え……?」

 

「我等は『星の娘』に代わる『聖体』を求めるのみ」

 

「星の……」

 

「新たなる『聖杯』は此処に。即ち『宇宙』もまた、この地に宿る。なれば新たなる『聖体』もまた此処に宿るだろう……誇りたまえ、君たちは『宇宙』への階となる」

 

 

先程までとは打って変わって、饒舌に語る男。

その声に、その瞳の内に宿る、確かな熱狂。

無表情ながら抑え切れずに滲み出る興奮に気圧され、倒れたまま腕を使い後退さるフェアリー。

彼女はただ、目の前の男が恐ろしかった。

 

何を言っているのか、半分も理解できない。

だが、ひとつだけ確心した事がある。

この男は自らの目的の為に、この都市を生贄として捧げるつもりだ。

そして、その事について一片の疑問も、罪悪感も抱いてはいない。

それを、当然の事だと思っている。

誇りに思え、とまで言い切った。

狂っている、まともじゃない。

 

 

「正気じゃない……狂ってるわ、貴方たち!」

 

 

知らず、フェアリーは叫んでいた。

自らの内に燻り出した炎、それを抑え切れなかった。

堪え切れぬ激情を音に乗せ、自らの声として吐き出し続ける。

 

 

「『宇宙』だの『聖体』だの! そんな事、この街の人たちには関係なかった! 知った事じゃなかったのよ! なのに、そんな勝手な理由で……!?」

 

 

言葉は、またしても強制的に中断された。

正確には、フェアリー自身が発言を打ち切って、咄嗟に横へと身体を転がした為だ。

一瞬遅れで耳に届く風切り音と、石畳を叩き割る轟音。

細かな石飛礫が背中を打つ中、頭を擡げて先程まで自身が居た場所を見やるフェアリー。

其処には、石畳を割った大剣の刀身が半ばまで埋もれていた。

フェアリーの全身から血の気が引く。

再び剣の柄を握る男へと視線を移せば、其処には先程までの熱が嘘の様に消え失せた、作り物宛らの顔があった。

男の口が、静かに開く。

 

 

「私達の存在が知られるのは、好ましくない」

 

 

石畳から大剣を引き抜き、右肩に担ぐ様にして構える男。

倒れたままのフェアリーへと向き直り、ゆっくりと歩を進める。

 

最早、何を言っても無駄だろう。

此方に止めを刺す、目の前の男からはその意思しか感じ取れない。

必死に腕を動かして後退り、距離を置かんとするフェアリー。

だがそれも燃え盛る民家の熱と、周囲に舞い落ちる火の付いた無数の木片、そして渦を巻く火の粉によって阻まれてしまう。

 

 

「く……!」

 

 

背中に感じる熱に、思わず呻く。

そんなフェアリーの眼前で立ち止まった男は、肩に担いでいた剣の柄を頭上へと掲げた。

 

 

「大いなる叡智に触れられるのだ、黙して受け入れ給え……神秘に見えるは人の幸福なのだから」

 

 

一方的に過ぎる戯言を吐くや、彼はフェアリーの身体を両断すべく剣を振り下ろそうとして。

 

 

「ひとつ、忘れてるわ」

 

 

唐突に放たれたその言葉に、知らず動きが止まる。

フェアリーの背面、拡がる虹色の光。

男の双眸が、限界まで見開かれる。

 

 

「此処は、貴方たちの世界とは違うのよ」

 

 

フェアリーの背中に現れた、二対の虹色の薄羽。

余程に信じ難い現象だったのだろうか、軽く口さえ空けて呆然とする男の目の前で、フェアリーは自らの羽を全力で震わせた。

フェアリー達の羽は、一見するとトンボやカゲロウに似たそれだが、実際には羽搏く事によって浮力を生み出している訳ではない。

それらの昆虫と同様に高速かつ小刻みに動かす事で風を起こす事もできるが、飛翔の際には羽根を集束器官として凝縮したマナからの加護を得て宙に身体を浮かべるのだ。

仕組みとしては、嘗て各国が運用していた『空母』の浮遊機関と大差ない。

 

だがこの時、彼女は集束したマナで大気を掻き乱すのみならず、羽そのものを激しく振動させてまでして人為的な突風を引き起こした。

その規模は、アストリアで室内の調度品を吹き飛ばした際の比ではない。

人間と同じまでの大きさの身体となり、同じくそれに見合うだけの大きさと化した羽。

それが巻き起こす風は『風の精霊』によるもの程ではないにせよ、人の動きを封じ周囲の物体を無差別に宙へと巻き上げる旋風を引き起こすには充分なものだ。

そして、この瞬間にフェアリーが位置する場所、燃え上がる民家の傍という環境でそれを引き起こしたならばどうなるか。

 

 

「ッ、ぐ……!?」

 

 

大量の火の粉と、燃える無数の木片。

それらがフェアリーを中心に渦を巻き、大剣の狩人へと襲い掛かる。

突如として発生した炎の渦。

不意を突かれた狩人には、咄嗟に腕で顔を庇う程度が限界だったろう。

彼はそのまま、赤い熱風の壁の直撃を受けた。

無数の尖った木片が体中に突き刺さり、それらに宿る火が衣服へと移り風に煽られ燃え上がる。

更には渦の中の火の粉までもが次々と衣服に燃え移り、狩人の身体は見る間に炎によって覆われてゆく。

 

こうなっては、最早フェアリーに止めを刺すどころではないだろう。

だがそれは、相手が常人であればの事。

『狩人』でなければの話だ。

 

衣服の殆どを火に包まれながらも、男は顔を庇う事を止め、あろう事か再び大剣の柄を両手で握り締めた。

そのまま、渾身の力で以て刃を振り下ろさんとする。

この程度の負傷、返り血を浴びればどうという事はないとの判断だろう。

他者の血を浴びる事で傷を癒す、狩人だからこそ下す事のできる判断。

だが、刃を受ける側であるフェアリーが、その行動を黙って見ている訳がない。

 

 

「ッ……!?」

 

 

瞬間、狩人から零れる苦悶の声。

その原因は分かり切っている。

周囲一帯を震わせる程の鐘の音と、彼の喉元に突き立った赤い光を放つ弾体。

信号弾だ。

仰向けに倒れたままのフェアリーの手には、引き金が絞られたまま、銃口から微かに白煙を燻らせる信号銃。

 

大量の火の粉と自身を焼く炎に視界を遮られている以上、攻撃は直前に此方を確認した位置へと行われる筈。

そう読んだフェアリーは、敵が此方の攻撃を躱す確率は低いと踏み、自ら距離を詰めてきた狩人へと至近距離から信号弾を撃ち込んだのだ。

結果、予測は的中。

銃を構えても敵は身を躱す素振りさえ見せず、そのまま射出された信号弾の直撃を受けたのだ。

此処までは良い。

だが問題は、それでもまだ敵は絶命に到っていない事、炎の旋風を巻き起こしたフェアリー自身が炎に巻かれている事だ。

衣服の其処彼処に、透き通った虹色の羽に。

其処彼処に燃え移った炎が自身を焼き始めた事を、彼女は明確な苦痛として感じ取っていた。

 

 

「ウアアアアアッッ!」

 

 

そして彼女は、その身を跳ね起こす。

自身に残された力、その全てを振り絞り、負傷による痛みさえ無視して敵へと跳び掛かる。

迷いは無かった。

迷う暇など無かった。

こうしなければ死ぬ、唯その確信だけがあった。

だからこそ、本能に突き動かされるがままに、自分が何をしているかさえ理解できぬままに。

彼女は敵の懐へと飛び込み、そして。

 

 

「が……ッ!?」

 

 

渾身の力で、右腕を敵の鳩尾へと突き込む。

指先から手首にかけて纏わり付く、生温かく柔らかい、粘着く様な塗れた感覚。

手の内に触れた柔らかい塊を、有らん限りの力を込めて握り締める。

聴くに耐えない、苦悶に満ちた呻き声。

そのまま、相手の身体を肩で弾く様にして突き飛ばすと同時、手の中の塊を握り締めたまま身体全体を捻る様にして右腕を引き抜く。

 

 

「が、げ……!」

 

 

爆ぜる赤、全身に降り掛かる熱い飛沫。

忽ちの内に衣服の炎を消し去った程に大量のそれは、フェアリーの全身を赤黒く染め上げてゆく。

同時に、火に焼かれ赤く爛れ始めていた彼女の皮膚は、飛沫を浴びるや否や見る間に元の透き通った色を取り戻していった。

虫食いの様に焼け崩れていた薄羽も、時を巻き戻すかの様に元へと戻り始める。

それは正しく、超常の血により齎される肉体の変貌、返り血を糧とし自らの傷を癒す『狩人』の業。

虹色の薄羽が、透き通った白磁の肌が、翡翠の髪が。

彼女の全てがどす黒い赤に染まり、塗れてゆく。

炎に曝された肌を癒しゆく、赤黒い雫。

 

そして、引き抜いた勢いのまま、背後へと振り抜いた右腕。

その手には袋状の肉塊と、共に鷲掴みにされた紐の様な大量の臓器。

他にも幾つかの器官が、周辺の肉ごと纏めてそれらに付着していた。

それだけでもかなりの重さになるであろう肉塊を、フェアリーは容易く後方へと放り捨てる。

勢いを保ったまま放られたそれらは、民家の壁に当たり耳障りな水音と共に拉げた。

周囲に満ちる、先にも増して濃密な人血の匂い。

 

そうして、数瞬前の凄まじい動きが嘘の様に、負傷した足首から体勢を崩し通りに座り込むフェアリー。

透き通った肌を上気させる彼女、その焦点の定まらぬ瞳は炎と血の赤を映すのみ。

やがて、ふと我に返った彼女の双眸は、目の前で仰向けに倒れた男の姿を捉える。

 

 

「あ……」

 

 

呆けた様な声を零し、その信じ難い光景を見つめるフェアリー。

男の腹は大きく開かれ、その内にある筈の臓器は影も形も無い。

薄暗い空洞の中に、脊椎らしき白い物が見える。

しかしそれでも、男は未だ息絶えてはいなかった。

咳き込み、血の泡を吐き、四肢は痙攣している。

 

 

「あ……え……?」

 

 

ゆっくりと死に向かう男。

その様を呆然と眺めていたフェアリーだが、ふと右手に違和感を覚え其方へと視線を投じる。

そして、驚愕した。

 

 

「ヒッ……!?」

 

 

恐怖に引き攣る声。

フェアリーの視界、其処に映り込んだそれは在り得ないもの。

 

元の倍以上に伸びた指。

ナイフもかくやとばかりに鋭く尖った指先と爪。

肉片を纏い鮮血に濡れて怪しく輝く硬質な皮膚。

正しく『獣』そのものと化した己の手が、其処に在った。

 

 

「あ……あ……!」

 

 

驚愕と得体の知れない恐怖により、正常に声を発する事さえできない。

異形と化した己の右手から逃れんとするかの様に、腰を抜かしたまま後退るフェアリー。

そして彼女は、自分が何をしたのかを漸く理解する。

 

自分は『狩った』のだ。

あの男、敵の狩人。

此方の生命を狩ろうとした人間、その生命を逆に『狩った』のだ。

アストリアで、この王都で。

モントやルドウイークが見せた、あのおぞましき狩人の業。

獣人や『獣』の臓腑を自らの腕で抜き取る、正気の沙汰とは思えない、あの業。

あれを、自分がやったのだ。

 

 

「ぐ、げ……ぅ……」

 

 

全てを悟ったフェアリーの眼前で、異形と化していた右手が見る間に元の形へと戻る。

残されたのは何時も通りの自らの右手だったが、しかしその手は鮮血と胆汁、臓物の欠片に塗れていた。

思わず左手で口元を覆い、堪え切れずに嘔吐する。

しかし彼女を襲うそれは、悍ましさや嫌悪感からくる吐気ではなかった。

恐怖。

際限なく湧き起こる、自己に対する恐怖だった。

 

 

「ぐ……嘘だ……こんなの……こんなのって……!」

 

 

まただ。

また、思ってしまった。

全身に纏わり付く鉄の匂い、生温かく滑る人血。

強烈なその匂いを、香しいと感じてしまった。

知らぬ間に口に飛び込んでいた血の飛沫に、蕩ける様な甘さを感じてしまった。

腹を開かれ、臓物を抉り出され、今にも息絶えんとする人間の様を見て、一瞬とはいえ抗い難い興奮と快楽を抱いてしまった。

 

 

「いや……いやだぁ……」

 

 

こんなのはおかしい、狂っている。

フェアリーとして、人間としても在り得ない事だ。

人血の匂いと味に酔い痴れ、人の内臓を抉り出す事に喜悦を覚えるなんて。

自分は狂ってしまったのだろうか。

 

否、そうではない。

自分は狂っているのではなく、フェアリーでも人でもないものへと変貌しているのだ。

夢でも現実でも、幾度も宣告されたではないか。

自分は、自分は。

 

 

「私、ほんとに……本当に……!」

 

 

 

『狩人』になったのだから。

 

 

 

蹲り、啜り泣くフェアリー。

そんな彼女の背後で、炎上していた民家が遂に崩れ落ちた。

大量の火の粉がフェアリーに襲い掛かるが、全身を覆う返り血の膜が彼女の身に炎が燃え移る事を防いでいる。

だが最早、彼女は周囲の事などどうでも良かった。

否、周囲を気に掛ける余裕など無かった。

唯々、自らがおぞましい存在に成り果ててしまったという現実に、恐怖し絶望する他なかったのだ。

 

そんなフェアリーの姿を、少し離れた建物の陰から見つめる者があった。

モントだ。

人為的に振り撒かれたであろう、特に濃密な血の匂いを辿り、遭遇する『獣』全てを狩り尽くしながらこの場へと到った時には、しかし全てが終わっていた。

だが、血塗れで蹲り嗚咽を漏らすフェアリーとそのすぐ傍に転がる信号銃、そして内臓を抉り出され事切れた見覚えの在る狩人の亡骸を見れば、此処で何があったかは容易に想像が付く。

 

 

「『メンシス』の……いや、あの剣は『聖歌隊』か……?」

 

 

呟きながら、彼は自身の腰元にあるポーチを探り、赤い液体が封じられた小瓶を取り出す。

小瓶の口には特殊な針が備えられ、その周りを分厚いガラスの蓋が覆っていた。

その蓋を指で弾き飛ばしながら、モントはフェアリーの傍へと歩を進める。

 

先ずは傷を癒さなくては。

本来ならばシャルロットに頼むか、或いは『女神像』の加護とやらを利用するのが最適なのだろう。

残念ながらこの場にシャルロットは居らず、近場に『女神像』がある訳でもない。

尤も、彼女は既に『狩人』となった身。

ならばその肉体を癒す為に最も適しているのは、ヤーナムの『血清』に他なるまい。

 

そんな事を思考しながら、歩を進めるモント。

次いで、再度フェアリーの傍に転がる信号銃へと視線を移した彼は、今後の事について考えを巡らせ始めた。

 

 

 

そろそろ彼女にも『銃』を見繕ってやらないとな。

 

 

 

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「あの……アンジェラしゃんは……」

 

「大丈夫だ、気を失ってるだけだよ……ありがとな、シャルロット」

 

 

心配そうに、しかし何処か怯えている様にも見えるシャルロットに言葉を返し、デュランは女神像の下で気を失ったままのアンジェラを見下ろす。

爆音と閃光に気付いた彼等が礼拝堂に駆け付けた時、其処には既に敵の姿は無かった。

礼拝堂への出入り口周辺の通路や壁面は殆ど崩壊しており、最も破壊の痕跡が酷い箇所の中央には、僅かな肉片と赤黒い染みが残されている。

シャルロットの言葉から、それが敵対する狩人の成れの果てだとの説明は受けたが、俄には信じ難いというのが彼の本音だった。

 

 

「何があったってんだ……?」

 

 

絨毯を丸めた上に寝かされ、浅い寝息を零すアンジェラ。

その顔色は御世辞にも良いとは言えない。

元から雪の様に白い肌は、今や死人のそれに近い青白さとなっていた。

血を流し過ぎたのだ。

シャルロットが言うには『仕掛け武器』の杖によって肩口から横腹までを引き裂かれ、腹を貫かれ、更には腕を直接鳩尾へと突き込まれた上で内臓を引き摺り出され掛けたという。

背後にあった『黄金の女神像』の加護を利用した事で傷を癒す事は可能であったが、しかし敵の動きを封じる為にそれを利用した事で、更なる出血を強いられたらしい。

詳細を聞いた騎士団の面々が、デュランも含め蒼白になる程に無謀、かつ自己犠牲的に過ぎる作戦。

デュランは、それを自ら立案し実行したアンジェラに末恐ろしいものを感じると同時、救援が間に合わずにそんな事を実行せざるを得ないまでに追い込んでしまった自らを恥じる。

何せこの場に到着した際に目にした光景は、意識を失ったまま仰向けに寝かされたアンジェラの傍で、女神像の加護と自らの『ヒールライト』を用いて彼女の傷を癒しつつ、腹に突き立ったままの杖を必死に引き抜こうとしているシャルロットの姿だったのだ。

泣きながら小さくアンジェラの名を呼び続け、鉄製の杖を小さな手で握り締めながら必死に引き抜こうとするシャルロットを宥め、代わりにデュランが慎重にそれを引き抜く。

その間もシャルロットは『ヒールライト』を連続発動し、杖を引き抜く事によって抉れてゆくアンジェラの傷を必死に癒し続けていたのだ。

彼女の魔法と女神像の加護、両者が在るからこそ可能な荒療治だったが、当のアンジェラが意識を取り戻さなかった事は不幸中の幸いだろう。

苦痛に目覚める事もできない程に消耗しているという事でもあるので、一概に喜ぶ訳にもいかないが。

 

 

「理由は解らないでちけど……アンジェラしゃん、敵の魔法を使ったんでち。ただ、威力や速さは段違いでち」

 

「元はモントの世界の魔法だからな。本場の連中に劣っても……」

 

「逆でち、段違いに強力だったんでち」

 

 

その言葉に、デュランはシャルロットを見やる。

彼女は、何か恐ろしいものを見るかの様に、アンジェラの傍に転がる『仕掛け武器』の杖を見つめていた。

 

 

「……良く解らないが、何か兆候とかは無かったか? いきなり敵の魔法を真似るなんざ、幾らコイツに才能があるとはいえ不可能だろ」

 

「そう言われまちても……」

 

「う……」

 

 

その時、アンジェラが小さく声を上げる。

皆の視線が彼女へと集中する中、彼女は額へと手をやり薄らと目を開けた。

 

 

「アンジェラ!?」

 

「アンジェラしゃん……! 良かった、目が覚めたんでちね!」

 

「無理するな、そのままで……アンジェラ?」

 

 

意識を取り戻したアンジェラの傍らに寄り添い、今は休むべきだと促さんとするデュラン。

だがすぐに、彼女の様子がおかしい事に気付く。

額に翳した手を動かし、まじまじと見つめるアンジェラ。

やがて彼女は自らの傍に転がる杖へ視線を移すと、迷う事なく手を伸ばしそれを掴んだ。

 

 

「おい!?」

 

「アンジェラしゃん!?」

 

「何を騒いで……おいアンタ、まだ動いちゃ……」

 

 

周囲の制止を余所に、徐に立ち上がるアンジェラ。

彼女が纏う得体の知れない雰囲気を前に、誰もが止める術を持たなかった。

そのまま『仕掛け武器』を手に室外へと出た彼女は、壁に向かって立ち杖を強く握り締める。

 

 

「何……やってんだ、アンジェラ? 本調子じゃねえんだから……」

 

「離れてて」

 

 

言い捨てるとアンジェラは自身の右手、先端を前方へと向けて握った杖を左肩の上まで振り被り、其処から一息に右下方へと振り抜いた。

瞬間、アンジェラの眼前で火花が散り、風切り音が鳴る。

幾つもの小さな金属塊が擦れ合う音。

振り抜かれた杖は、一瞬にして手の中で逆手に持ち変えられていた。

デュランが、騎士団の面々が目を瞠る。

 

『仕掛け武器』だけあって、金属製の杖の重量は細身の片手剣程もあった筈。

それをアンジェラはいとも容易く、まるで使い慣れた杖の如く扱っていた。

振り抜かれた杖の速度も然る事ながら、振り抜くまでの一瞬の内に片手のみで逆手に持ち変えるなど、メイス等の扱いに慣れた者でも難しい芸当を自然体のまま行っている。

一体、彼女に何があったのか。

 

そして、当の杖だ。

否、今やそれは杖ではなかった。

蛇腹状に分かたれた金属製の峰は斜めにずれて鋸の様な刃となり、中心を貫く芯がそれらを一列に繋いでいる。

その刃の数は30程にもなるだろうか。

アンジェラはそれを先程とは逆に右の腰元から左肩上方へと、デュラン達でさえ捉え切れるかどうかという速度で振り抜く。

うねり、宙を割く鈍色の閃光。

先程のそれを遥かに超える風切り音、そして金属が石造りの壁を打ち据え削る破壊音。

 

 

「ッ……!?」

 

 

絶句する一同。

アンジェラの正面3mほど離れた石壁には、くっきりと解る程の破壊の痕跡が生じていた。

彼女が振り抜いた杖の軌跡をなぞる様にして、石壁へと斜めに刻まれた4mを超える直線状の破壊痕。

音を立て周囲へと飛び散る、細かな石飛礫。

同時に振り抜かれた杖が、アンジェラの手の内で金属音と共に蛇腹状の形態を取り戻す。

 

デュランは見た。

アンジェラが杖を振るった瞬間、その蛇腹状の峰が大蛇の様にうねり『伸びた』のだ。

長大な金属製の『鞭』と化した杖は、一瞬の内に石壁を打ち据え削り取り、大剣を一閃したかの如き傷痕を刻み込んだ。

斬ったというよりは、削り取ったという方が正しい。

あれは『鞭』でありながら、モントの槍と同様『ノコギリ』としての性格も併せ持っているのだろう。

そこまで思考し、彼は気付いた。

 

あれは、ケヴィンの得物と同じだ。

『獣肉断ち』とかいう銘のノコギリ。

大質量による打撃力と、刀身を分裂させた際の広範囲制圧力。

強靭な獣の毛皮を強引に削り取った上で、連続する不揃いな刃により治療困難な傷を与える能力。

凡そ通常の武器では成し得ない、幾つもの凶悪に過ぎる能力を併せ持った『仕掛け武器』。

あれよりも制圧範囲は狭く、また威力も低いだろうが、根本的な設計思想は同じところに帰結するであろう武器なのだ。

杖として運用しても十分な打撃力を備えているであろうそれは、変形により鞭としての機能を露にする事でより凶悪な武器と化す。

特に対人用、または通常のモンスター相手ならば、あれ程に恐ろしい武器も無いだろう。

何しろ迅い。

手元の動きも然る事ながら、其処から一泊遅れで襲い来る鞭の迅さときたら、もはや目視など不可能だ。

一瞬の内に肉を、骨を削ぎ取られる事になるだろう。

ケヴィンのそれに比べ遥かに軽量であるが故、間合いや威力と引き換えに圧倒的な速度がある。

成る程、アンジェラが肩口から腰に掛けて刻まれた傷というのは、あの鞭の攻撃による負傷だったのか。

 

そんな事を考えながらも、デュランの脳裏には更なる疑問が浮かび上がる。

何故アンジェラは、この『仕掛け武器』を手足の様に扱えるのか。

それ以前に、どうやって敵の魔法を覚えた。

モントの話では、発動の原理さえこの世界の魔法とは異なる筈だ。

一体、此処で何が起こったのだ。

 

 

「ねえ」

 

 

言葉が見付からず、無言のままに佇む一同。

そんな彼等へと、振り返る事なくアンジェラは言葉を紡ぐ。

 

 

「魔法陣を探しましょう。術式を止めれば、この惨劇も終わる筈よ」

 

 

ゆっくりと振り返るアンジェラ。

その瞳を見た瞬間に、その場の誰もが凍り付く。

 

 

「此処は『ヤーナム』じゃない。『医療教会』も存在しない。それを解らせてやらなくちゃ」

 

 

彼女の瞳は。

彼女の、夏の満月の様な黄金色の瞳は。

 

 

 

 

 

「『宇宙は空にある』……その傲慢、命を以って償わせてあげる」

 

 

 

 

 

エメラルドの様に透き通った、深淵なる翠の光を宿していたのだから。

 

 

 

 




1年以上も間を空けてしまい申し訳ありません。
とにかく忙しかったりFGOのSSに浮気したりしてましたが、時間が出来たのでちょいと更新。

いやあ、アニメ版ブラボもナイス啓蒙でしたね!(発狂)
各地で『旧主の番人・ミライ』の遺影が表示される演出とか原作に忠実ですごーい(Majestic)!
特にあの、主人公の血の遺志を友邦の獣が継ぐところとか最高でした。
クライマックスの血に酔った獣の結集とか、集中的に足を狙ってからの内臓(石)攻撃とか、幸運の人形が船と共に海に沈むところとか……
呪いと海に底は無く、故に全てを受け容れるからね、仕方ないね。
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