聖剣伝説 Hunters of Mana   作:変種第二号

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砂漠より憎悪を込めて

 

 

 

ローラント、アマゾネス軍。

ローラントが国家として成立する以前、僅か30年にも満たない過去の事。

バストゥーク地方は多数の有力な部族が入り乱れる、正に群雄割拠の直中にあった。

 

リースの父であるジョスターや母であるミネルバ、母方の祖母である族長ガルラ、そして共に戦う多くの同志たち。

彼等は統合に反対する多数の敵対部族や、過去に棄民として不毛の砂漠へと追放された人々の子孫であるナバールの軍勢と、何時終わるとも知れぬ血で血を洗う凄惨な戦いを繰り広げていたのだ。

その中でバストゥークの守護神とされる『翼あるものの父』を崇拝し、女性だけで構成されるアマゾネス軍団を有するローラントの部族は、他の武闘派部族からも一目置かれる勢力であった。

 

女だてらに三叉槍、即ちトライデントを手足の延長の如く操り、如何なる強敵にも臆する事なく正面から立ち向かう女傑の軍団。

周辺部族を次々に併合し、リースの祖母ガルラが族長として辣腕を振るっていた時期には、遂にバストゥーク地方に於ける最大勢力となったのだ。

その尋常ではない力は、国家でもない複数部族の寄り合い所帯が独自に、今や難攻不落のローラント城として世界に知られる大規模山岳要塞を築いた事からも窺えるだろう。

 

そうして、嘗てはナバールが攻め入る度に万単位もの民の犠牲を出しながら何ひとつ効果的な反撃を行う事もできなかったバストゥークは、ローラントの台頭により組織的な迎撃戦を行う事が可能なまでに変貌した。

戦いに次ぐ戦い、フレイムカーンが首領となりバストゥークへの積極的侵攻政策を放棄するまで、延々と続いたナバールの襲撃。

これらにより、元々のローラントの民はその数を当初の2割程にまで減じていたが、ローラント王国の発足、即ちローラントによるバストゥーク統一国家の建国により、遂に部族の悲願は果たされた。

正に敵味方問わず、膨大な流血の果てに国を手に入れたのだ。

 

しかし、建国直後の国内復興と開発には少しでも多くの人手、より端的に言えば男手が必要であった。

其処で、部族にとって最大の協力者かつ最後の族長であるミネルバと恋仲にあり、遂には婚姻しローラント王国初代国王となったジョスターが考案した政策が『風の防壁』の構築とアマゾネス軍団の再編成だったのだ。

魔法王国アルテナより先代女王の崩御に乗じて流出したマナの制御技術を用いて暴風による防壁を築き、ローラント城のみならず全土への陸路からの侵攻を防ぎつつ、陸上戦力としては女性を中心とするアマゾネス軍団を編成。

男性兵士は新設された王立海軍へと所属を移し、航路防衛と敵海上戦力の迎撃任務に当たる傍ら、バストゥーク山脈より採掘される各種鉱石と綿製品の輸出を始めとした海運業を兼任する。

 

この采配は予想以上に上手く噛み合い、ローラントの部族より連綿と受け継がれてきた槍術は女性たちを一流の戦力へと育て上げ、また男手が集中した事により猛烈な勢いで拡大した海運業は、莫大な富を王国へと齎した。

無数のナバール重武装私掠船と小競り合いを繰り広げる内、元々は沿岸部に拠点を置く幾つかの部族が所有していた船を集めただけの海軍も、また世界有数の海上戦力へと変貌。

対抗するナバールもバイゼルやジャドから船舶を購入、或いは自前の造船所を拡大し海上戦力の増強に走った。

その結果、片や山岳地帯の山肌に城を構える国家、片や砂漠の奥地に要塞を構える盗賊団でありながら、ローラントとナバールは実質的な世界2大海軍国家として扱われるまでになる。

そして本国が陥落した今も、王立海軍はナバール海上戦力との熾烈な海上戦、そして灼熱の砂漠東部に位置する沿岸部拠点への襲撃を繰り広げているのだ。

バロの南東、約300海里の海上を航行するフリゲート『デーモン』も、そうした抵抗活動を行うローラント王立海軍所属の1隻であった。

 

 

「艦長」

 

「何か見付かったか?」

 

 

艦長の問いに、水兵は首を横に振る。

思わず零れる溜息。

其処へ、航海長が声を掛ける。

 

 

「艦長、これでもう3日になります。これ以上、この海域に留まるのは危険です。ナバールに発見されてしまう」

 

「解っている。しかし、何の手掛かりも無いまま此処を離れる事は避けたい。もし本当に『ヒュードラ』が撃沈されたのなら、何らかの痕跡はある筈だ。それに……」

 

 

艦長は顔を顰め、辺りを見回す。

艦の周囲は厚い霧に覆われ、僅か20m先も見通す事ができない。

この時期、この海域では有り得ない事であった。

ローラント建国前から数えて30年以上も海に出ている彼でさえ、こんな事は初めてだ。

 

 

「この霧だ。これではナバールの連中とて下手には動けん。この霧自体が、連中の怪しげな術で生み出されたものでもない限りはな」

 

「確かに、こんな事は初めてです」

 

 

同様に、航海長もまた訝し気に周囲を見遣る。

昨晩から周辺を覆い出した霧は一向に薄れる気配が無く、それどころか徐々にその濃さを増しつつあった。

それでも彼等には、容易にこの場を離れる事ができない理由がある。

合流する筈だった友軍艦『ヒュードラ』の行方が掴めない為だ。

 

砲門数32のデーモンとは異なり、ヒュードラは王立海軍でも3隻しか存在しない3層甲板、砲門数114を誇る一等戦列艦、ヒュードラ級の1番艦である。

全長62mにも達する船体には、その積載量に相応しい重装甲が為されており、例え私掠船団に襲われても簡単に沈む船ではない。

ナバール側に対し、海上戦力での優勢を確保する目的で3番艦まで建造されたヒュードラ級は、建造から11年が経過しても世界最強の一角に数えられる強大な戦列艦である。

ところが、その1番艦ヒュードラが、何時まで経っても予定海域に現れないのだ。

撃沈されたにしても、あの巨艦である。

残骸のひとつやふたつ、波間に浮いている筈なのだが。

 

 

「兵にも動揺が広がっています。艦長、どうか……」

 

「……そうか」

 

 

そろそろ決断せねばならない。

ヒュードラの事は気になるが、それで此方が敵に捕捉されてしまっては意味が無い。

唯でさえ、ナバールは4隻目となる一等戦列艦を竣工させたとの情報もあるのだ。

忌々しい事だが、開戦前では戦力的優位を誇っていた王立海軍は現在、ナバール私掠船団に艦隊戦力の面で後塵を拝しつつある。

制圧されたパロや他の軍港に戻る事もできず、独自に戦い続けている海軍艦艇も1隻、また1隻と数を減らし続けていた。

ナバール側に対し、此方の被害に見合うだけの打撃は齎している筈だが、やはり根拠地の有無は大きい。

小さな拠点は幾つかあるが、その数ではナバールに大きく後れを取っている。

更にいえばナバールは、高度な通商破壊戦術と此方の予想を上回る操艦および航海技術、砲撃戦能力を有していた。

結果、王立海軍の被害は当初の想定を大幅に上回り、既に戦闘用の艦艇だけでも23隻を失っている。

この上、ヒュードラまで失われたともなれば、兵員の士気低下は避けられないだろう。

 

 

「帆を張れ。アイコノス島に寄港、補給と休息の後に戦力再編を……」

 

「左舷前方、船影あり!」

 

 

咄嗟に望遠鏡を取り出そうとし、その動きを中断する。

この霧の中で見張員が目視したという事は、目標船は至近距離に居る筈だ。

その予想通り、左舷前方の霧の中から、黒々とした巨大な船体がゆっくりと姿を現す。

海面を掻き分け接近してくる船の舳先、腐り掛けた木製の女神像が見えた。

かなり大きい。

とても船の舳先に据えられているものとは思えない。

それが据え付けられた船体も、一等戦列鑑並の大きさだ。

否、その大きさはヒュードラを優に超えている。

突然の事に騒然となる甲板。

暫し呆然とした後、ふとデーモン艦長は気付いた。

自分は、あの船を知っている。

 

 

「レブナント……!?」

 

「……今、何と?」

 

「『レブナント』だ! 間違いない、あれは『レブナント』だ!」

 

 

その名が響き渡った瞬間、甲板上の全員が動きを止める。

『レブナント』

ローラント王立海軍のみならず、民間船、そしてナバールにとっても忌まわしき、その名前。

惨劇から30年以上が経ってなお、屈強な海の男たちでさえ怯える、その拭い難い恐怖の記憶。

 

 

「そんな馬鹿な……何故あの船が!?」

 

「在り得ない、沈んだ筈じゃ……!?」

 

「『レブナント』本艦左舷、約20m! 通過します!」

 

 

霧に紛れ、至近距離に現れた『レブナント』。

その巨体、漆黒の船体が、デーモンの左舷わずか20m程の距離を通り抜けんとする。

甲板上の誰もが、唖然としてその様を見つめていた。

 

そんな中、艦長は気付く。

否、デーモン甲板上の誰もが気付いた。

『レブナント』の甲板上、厚い霧の向こうに、何かが居る。

甲板上に巨大な影が佇んでいるのだ。

霧に阻まれ、直接その姿を捉える事はできない。

唯、影のみが浮かび上がっている。

決して帆柱などではない。

影は、明らかに動いているのだ。

 

人間ではない。

人間ならば、あの巨大さは在り得ない。

では、何なのか。

 

 

「艦長ッ!」

 

 

甲板長が叫ぶ。

何を言わんとしているのか、彼は訊かずとも理解できた。

重々しい、無数の金属音と木材が軋む音。

『レブナント』左舷に並ぶ無数の砲門、それらが一斉に開かれたのだ。

それらの内から覗く、黒々とした砲口。

 

悲鳴を上げる者、凍り付いた様に動けなくなる者、砲に取り縋って反撃せんとする者。

それらの中にあって艦長以下、特に経験に富む者たちは、心身を絶望に蝕まれていた。

何をするにしても最早、手遅れだと理解してしまったが為に。

ただ眼前の巨艦、その忌まわしき漆黒の船体を睨み据え、吐き捨てる。

 

 

 

 

 

「『幽霊船』め……!」

 

 

 

 

 

直後、無数の砲声が全てを呑み込んだ。

無慈悲な鉄の暴風に細切れにされゆく彼等が、遙か頭上を往く巨大な影に気付く事はなく。

また空を往く者たちが、眼下に拡がる霧の内、其処で繰り広げられる惨劇に気付く事も、終ぞなかった。

 

 

 

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「大したものだ、この距離を3日と掛けずに移動できるとは」

 

 

バストゥーク山脈の山間部、不自然に開けた平野。

リース曰く、嘗てはローラントの部族が小型空母の発着場として使用していたという其処に、聖剣の一行の移動拠点となった『スクラマサクス』は着陸していた。

船を下り軽く身体を伸ばしたモントは、スクラマサクスの航行速度に感嘆の言葉を漏らす。

曖昧な記憶の中に、ヤーナムの他国で開発された『飛行船』というものはあったが、彼が知る限り実用的というには程遠い代物であった筈だ。

それに比べれば、この世界での飛行船ともいえる空母の性能は、彼の生きた時代の常識を覆す程のものであった。

 

 

「アルテナの空母はこの数倍の規模か……考えるだに恐ろしいな」

 

「……貴方が話した世界の方が、余程に恐ろしいと思うわ」

 

 

呆れた様に反論するのはフェアリーだ。

狩人の隠れ郷にて、スクラマサクスの改修が終わるまでの1週間。

その半ば頃の事、酒場での夕餉の後にシャルロットが強請った、モント達の世界についての話。

ヤーナムの事ではなく、モントが上位者の幼体となった後に見続けてきた、彼の後の世代に当たる地上の話だ。

異世界の人の世は、如何なる道を歩んだのか。

シャルロットのみならず他の旅の面々、そして酒場に集まっていた郷の住民たちまでもが話を聞き付け、一様にそれを聞きたがった。

物事の法則さえ異なる異世界の話、自らが生きた世界の遥か未来の話。

だからモントは、覚えている限りの事を話したのだ。

 

 

「音より速く飛ぶ乗り物が当たり前にあったんでしょう? 空母なんて大した事ないじゃない」

 

「それが当たり前になったのは、俺が生きた時代から100年近くも後の事だ。空を飛ぶなんてのはこれが初めての経験だよ」

 

「……たった100年で其処まで行くってのが、もう俺達には想像できねえよ」

 

 

微かに首を振りながら、デュランが呟く。

当然、彼もモントの話を聞いていた1人だ。

技術や社会の詳細までは解らずとも、しかし確かに目にしてきた情景を、モントは余すところなく伝えた。

発展してゆく文明、それが齎す煌びやかさと豊かさ、比例して増えゆく負の遺産。

初めは期待に目を輝かせていた聴衆が、話が進むにつれ陰鬱な空気を纏ってゆく様は、数日が経った今でも容易に思い起こす事ができる。

 

モントはこの世界がどうなろうが、それがこの世界の住人たちの意思によるものであれば、それで良いと考えていた。

しかし、美しい生命の輝きに満ちたこの世界が、或いは嘗ての世界と同様の道程を歩むやも知れないと考えると、何とも言えない哀愁を覚えるのも事実だった。

思い起こすのは、嘗て上位者としての自身の目を通して見た、ひとつの世界が死に逝く様。

 

ヤーナムが属していた国のみならず、各国の都市を覆う厚いスモッグ、工場群から垂れ流される毒によって死に絶える山海の動植物。

戦争の主役となった銃、それを更に奪い取った陸海空を翔ける各種の兵器、世界中に溢れ返る世界そのものをすら滅ぼせる悪魔の兵器。

干上がった湖、海に沈む大地、砂漠と化した密林。

世界を侵す、人の手によってばら撒かれた理解し難い毒。

『聖歌隊』の如く天を仰ぎ、一縷の希望を懸けて宇宙を目指そうとする人類を阻む、空の彼方を覆い尽くす悪意の細胞。

何もかもが人の手によって死に絶え、汚染され尽くし、そして当の人類でさえ自らの所業によって壊死せんとしていた世界。

 

酒場の聴衆に語り聞かせる内、モントは自らの胸中に沸き起こる疑念に気付いていた。

或いは、徐々に険しくなってゆく仲間たちや郷の住人、そしてフォルセナ側の人員の表情から何かを感じ取ったが故かもしれない。

その疑念は、今も彼の胸中に燻り続けていた。

そして、似た様な疑念を覚えていたのか、アンジェラが口を開く。

 

 

「……この世界も、向こうと同じ道を辿るのかしら」

 

「それは……」

 

「工房がフォルセナに提供する技術の中に『蒸気機関』があったわ。マナが枯渇し掛けている今の情勢なら、どの国だって喉から手がでるほど欲しがる筈よ。そうなったら……」

 

 

それだ。

モントもまた、アンジェラが述べた『蒸気機関』の存在が気掛かりだった。

嘗ての世界は産業革命を成し遂げたが、其処で発明された蒸気機関により自然環境の破壊は加速度的に進んだ。

それ自体は一旦は落ち着いたものの、その後に続く破滅的な技術の開発は、全て産業革命を発端として始まったとも考えられる。

そして今、あらゆる面で応用が利く『マナ』が存在するが故に、それ以外に基づく技術の開発に消極的であったこの世界に、ヤーナムの面々が実用的な蒸気機関を持ち込もうとしているのだ。

この事が、この世界の未来にどれだけの影響を及ぼすものか、モントは測り兼ねていた。

 

 

「……その為に俺達が居るんだろうが。『マナの剣』を抜いて世界を救い『マナ』の枯渇も解決する。そうなりゃ態々、煤塗れになって石炭を燃やす必要もないだろ」

 

 

迷いを振り切らんとする様に、デュランが言う。

彼の言う通りだと、モントは心中にて同意した。

結局のところ、蒸気機関を何処まで普及させるか、それは先ずフォルセナが決める事なのだ。

そもそも、蒸気機関は郷側にとっての『見せ金』である可能性さえ考えられる。

ゲールマンもルドウイークも、郷の総力を注ぎ込んでまで蒸気機関を普及させるつもりはあるまい。

 

確かに、蒸気機関から始まる技術の革命的進歩、その先に待つ力は強大なものだ。

だが蒸気機関そのものは、一連の進歩に於ける黎明期の産物に過ぎない。

何千年にも亘って研鑽、洗練されてきた『マナ』を用いる機関と比較すれば、この世界の人間にとっては歯牙にも掛けない程に非力なものだろう。

聖剣の一行が『マナの剣』を抜き『マナ』の総量が復活すれば、空気を汚しつつ非力な力しか齎さない蒸気機関など見向きもされなくなる。

一々こんなところで悩む必要はないだろうと、強引に自らを納得させるモント。

アンジェラもデュランの言葉を受けて、気持ちを切り替える事ができたらしい。

軽く息を吐いたその顔には、もう憂いの色は無かった。

 

 

「よう、待たせたな……取り敢えず、行き先は決まったぞ」

 

 

遅れて艦内から下りてきたホークアイが、モントたちに声を掛ける。

彼の背後に続くリース、シャルロットとケヴィン。

他にも何名かの乗組員の姿も見える。

 

 

「何処へ向かうんだ?」

 

「パロに向かうべきかとも考えましたが……ジャドで得た情報では、町は完全にナバールの制圧下にあるそうです。此処は主な街道を離れた幾つかの村を経由して、直接『風の回廊』に向かうべきかと」

 

「『風のマナストーン』があるって所か」

 

 

頷くリース。

本心としては、一刻も早く祖国を解放したいとの思いだろう。

しかし彼女は、現実にはそれが難しいとも理解している。

だからこそ荒れ狂う内心を押さえ込み、風の精霊『ジン』の協力を得る事を優先させたのだろう。

 

 

「直接この目でマナストーンを見た事はありませんが、父が『風の防壁』を築く際に、最重要拠点として防衛機構を配しています。考えられるのは此処しかありません」

 

「アテが無いよりはマシよ。どれくらい掛かるの?」

 

「何分、高所である上に迂回路を用いねばなりませんので……此処から8日は掛かるかと」

 

「身体も慣らしていかなきゃあな。下手すりゃ高山病にやられちまう」

 

「もうなってるでち……」

 

 

リースとホークアイが答える傍ら、多少ふらつきながら顔を顰めつつ不調を訴えるシャルロット。

見兼ねたらしきケヴィンが担ごうかと訊ねるも、シャルロットは手を振って離れてしまう。

そんな2人の遣り取りを余所に、ホークアイはスクラマサクスに残る乗組員の傭兵へと声を掛けた。

 

 

「じゃあ、後は手筈通りに」

 

「了解、御武運を」

 

 

一同が船体から離れると、プロペラの風切り音と共にスクラマサクスの巨体がふわりと宙に浮かぶ。

僅かに上昇した船体は同時に前方へと加速を開始し、発着場跡地の端に位置する断崖へと至ると、今度は徐々に高度を下げてゆく。

その巨体が断崖の陰へと消え、プロペラが起てる風切り音だけがなおも遠ざかってゆく様を見送り、モントは確認の声を飛ばした。

 

 

「日中、空母は渓谷内に待機する。夜間は南側に移動するから覚えておいてくれ」

 

「確認するが、呼ぶ時は信号弾を2発だな?」

 

「そうだ、赤と緑を同時に打ち上げる。無論、敵にも気付かれるだろうから、其処は注意しろ」

 

 

そう言って、一同を見回すモント。

以前と比べて皆、大分様相が変わっている。

得物が見慣れたものに変わっており、全般的に重武装になっていた。

モントも例外ではなく、ノコギリ槍とエヴェリンの他に別の得物を2つ携帯している。

其処に他の荷物も加わるので、中々の重量だ。

荷を纏めた背嚢を軽く背負い直し、モントはリースへと視線を送る。

それを受け、彼女は新たな道程の1歩を踏み出した。

 

 

「先導します。逸れそうになったら、すぐに声を上げて下さい。そのまま遭難しかねませんから」

 

 

 

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「これは一体どういう事か!」

 

 

激昂と共に放たれた声に、応える者はない。

声の主ともう1人を除けば、この場に意思ある者など居ないのだ。

先程まで無機質に報告を続けていた者は、元は人でありながら今や意思なき人形に過ぎない。

幾ら罵声を浴びせ掛けたところで、弁明のひとつもできはしないのだ。

自らの行動の馬鹿らしさに、彼女は苛立たし気に玉座の手摺へと拳を叩き付けた。

その後方から掛けられる、何処までも醒めた声。

 

 

「抵抗組織があるという事だろう。此方で確認したアマゾネスの死体は、明らかに少なすぎた。生き残りが潜伏している」

 

「そんな事は百も承知だ! だが、活動があまりにも活発過ぎる!」

 

 

感情的に言い返したイザベラは、背後の声の主へと振り返る事もしない。

元々が気に喰わない相手である上、向こうも向こうで此方を単なる駒としか見ていない事が透けて見えるのだ。

とても同志などと呼べる間柄ではなかった。

 

 

「此方の戦力が減っている事はどうでも良い。問題は陸上で消えた兵士の行方が全く掴めない事だ。死体すら見付かっていない!」

 

「遺棄されていると考えるべきだろう。アマゾネスのやり口とは思えん、協力者の存在を疑うべきだ」

 

「……逃げ出した連中の事か? あんな烏合の衆に何ができる」

 

 

イザベラにとっては全く面白くない事に、ナバール盗賊団を乗っ取った際、なんと構成員の半数近くがフレイムカーンに反旗を翻し、此方に洗脳する暇さえ与えずに要塞を離脱してしまった。

彼女の背後に立つ人物は、その離反者どもが抵抗組織に与しているのではないか、と言っているのだ。

しかしイザベラの言葉通り、離反した連中は所詮、仰ぐべき主を失った烏合の衆である。

そんな連中に、被侵略国であるローラント側と高度に連携しての抵抗活動など可能だろうか。

 

 

「貴様が焼き殺したフレイムカーンの息子……奴の死体が消えただろう。生きているとは考えられないか?」

 

「馬鹿な。あの火傷で生きていられる人間など居る筈もない」

 

「なら、他に心当たりでもあるのか」

 

 

返す言葉が見付からず、沈黙してしまうイザベラ。

確かに、ナバール盗賊団次期首領と目されていたあの男、現首領フレイムカーンの実子であるイーグルならば、離反勢力を纏め上げ組織として運用する事など訳ないだろう。

しかし、それもイーグルが生きていればの話だ。

 

 

「この私が自ずから、手加減なしの『ファイアボール』を打ち込んだのだ。生きている筈がない」

 

「死体を確認できていない以上、可能性が無いとは言えまい。現に抵抗組織の動きは統率が取れ過ぎている。王女と副団長の女が生きている事は間違いないが、それにしても裏のやり方に通じ過ぎだ。外部からの入れ知恵がなければこうはいくまい」

 

「忌々しい……!」

 

 

とにかく、抵抗組織に協力する勢力がある事は確実だ。

ジョスターの義母、最後の族長ガルラが収めていた頃のローラントならば、外部からの助力など無くとも独自に苛烈な抵抗活動を繰り広げた事だろう。

或いはジョスターが存命か、嘗て彼等と共に戦った古参兵が多数合流していれば、同じくローラント残存戦力のみで現在の様な活動が可能であったと思われる。

しかし現実にはガルラもジョスターも既に亡く、嘗ての内戦を経験した世代の兵士も殆どが一線を退き、民としてバロや各地の集落で暮らすばかりだ。

そして抵抗活動の激化は占領後のあまりに早い段階で始まっており、古参兵の合流があったにしては計算が合わない。

考えられるのはナバールによる占領とほぼ同時期に、第三勢力がローラントに介入してきたという可能性だ。

そんな事が可能かつ、占領軍の妨害を目論む勢力など、逃げ出したナバール兵たち以外には考えられない。

忌々しい事この上ないが、認めざるを得まい。

 

 

「何故だ……連中とてローラントは憎い筈だ。祖先からの望みである復讐が叶ったというのに、何が不満なのか」

 

「ナバールの民が、全ての時代でそれを望んでいた訳ではない。特に積極的な復讐を望んでいたのは、此処100年では先代首領オウルビークスの治世までだ。フレイムカーンの代となってからは基本的に不干渉だった」

 

「それも此処十数年ばかりの事だろう。それに、海上での小競り合いは激化していた筈だ」

 

「海と陸ではまた情勢が異なる。度重なる双方の航路妨害、交易船や沿岸部への挑発、偶発的な戦闘行為……ローラントとナバール、双方にとって海上交易は生命線だ。互いに引き際を見失ったというところだろう」

 

「だからこそフレイムカーンを傀儡としたのだ! まさか自らの首領を裏切るとは……理解できん」

 

 

鼻で嗤う音に、イザベラは苦々しく表情を歪める。

背後に立つこの男に、忠義という概念など理解できない事は解りきっていた。

唯1人の主に仕え、自らの全てを以って尽くす。

そんな考えなど、端からこの男の内には無いのだ。

イザベラと同じ主を仰ぐ身でありながら、その本心は主の力を利用して自らが伸し上がる事しか考えていない。

何時になるか知れないが、いずれは主を背後から刺し、その権力の全てを奪い取るつもりである事は明らかであった。

イザベラとしても、今はまだ手駒として使えるからこそ生かしているに過ぎない。

この男とってのイザベラも、同様の考えの下、利用し尽くした上で使い捨てるべき駒なのだろう。

 

そんな男とは異なり、忠義の歓びを知り得ている身だからこそ、イザベラは逃亡したナバール兵たちの考えが理解できなかった。

あれだけの忠誠を誓い、その差配の下に団結していたナバール兵たちが、何故フレイムカーンを裏切る事ができたのか。

突如として砂漠に沸いた正体不明のモンスター、その討伐に赴いた部隊を除き、ナバール王国の建国はフレイムカーンの口から告げられた筈だ。

ナバール兵の大多数が、首領と仰ぐ彼の言葉としてそれを聞いたのだ。

イザベラの口から侵攻作戦を告げられた者など、それこそ10名にも満たない。

にも拘らず、半数もの兵がフレイムカーンに反旗を翻している。

誰かは知らないが、彼等が仰ぐ者が居る筈だ。

 

 

「それよりも、だ。今回の件、対策はあるのだろうな『美獣』」

 

 

『美獣』

男がその名を口にした瞬間、イザベラの手は異形と化した。

白く艶のある体毛が肌を覆い、肥大化した指の先にはナイフの様に鋭く大きい爪が伸びる。

それは正しく『獣』の腕。

低く、威圧に満ちた声が、イザベラの口より紡がれる。

 

 

「……気安くその名を呼ぶな『伯爵』。貴様程度が消えたところで、此方には支障など無いのだぞ」

 

「ふむ、気に障ったのなら謝罪しよう……しかし、貴様はどうにも魔族らしくないな。酷く人間臭い。自覚はあるか?」

 

「戯言を……!」

 

 

思わず獣の歯を剥き出しにして振り返るイザベラ。

その視線の先には、漆黒のマントに身を包み、何処か現実離れした雰囲気を纏う男が佇んでいた。

死体の様に蒼褪めた白い肌、色素の全く無い白髪、その中で其処だけが紅く不吉な光を湛えた瞳。

男は無表情のまま、何の感慨も無いであろう無機質な言葉を放つ。

 

 

「それで、どうする?」

 

「……既に術式は完成している。後は贄となる魂を捧げるだけだが、しかし今のままではマナストーンまで近付けん」

 

「崩落とはやってくれるな」

 

「ああ。よりにもよって、この時期にだ。連中が此方の意図まで掴んでいるとは思えんが……」

 

「回廊に出入りしているところを見られたか……転移はどうだ?」

 

「駄目だ、崩落の影響で回廊内にマナが充満し始めている。恐らくは『ジン』の仕業だ。封印解放の危険を冒してまで、マナストーンのマナを拡散させているらしい。転移先の座標が安定しない」

 

「此方の狙いに感付かれたか。厄介だな」

 

「連絡船の件はどうなっている」

 

「消息不明だ。いや、連絡船だけではない。私掠船も次々に消息を絶っている。既に14隻の行方が掴めない」

 

「叛乱か?」

 

「元々、ローラントへの復讐と自らの利益を最優先に動く連中だ。叛乱勢力に付いたところで旨みが無い以上、それは考え難い」

 

「ならば王立海軍の仕業だろう」

 

「軍港および沿岸部の拠点は既に制圧、判明している島嶼の秘密拠点も2つを覗いて潰している。組織的な艦隊運用など望むべくもない、編成できたとしても2・3隻の小艦隊が精々だろう。そんな連中に『ヴァルチャー』を沈められるとは思えん」

 

 

『ヴァルチャー』

ナバール私掠船団に属する船としては比較的古参であり、ローラントにとっては怨敵となる『ベルクート』級一等戦列艦、その2番艦。

全長67mの巨体に126もの砲門を備え、嘗てはバストゥークの多部族海上戦力から成る総数8隻の艦隊を単艦で相手取り、満身創痍となりながらも、その全てを撃沈せしめた怪物艦である。

挙げ句、その足で単艦パロの港を夜間襲撃し、停泊中の艦船諸共に街を無差別砲撃した事でも知られる。

この凶行によりパロの街並み、嘗ては12隻を数えた各部族の超大型交易船、果ては当時の住民に至るまで、ほぼ全てが一掃される大惨事となった。

パロは漁港として再興され、統一後は遠隔地に軍港や拠点も設けられたものの、惨劇の記憶は今でもローラントの民の間に根付いている。

故にヴァルチャーの存在はローラント王立海軍のみならず、バストゥークの民にとって海原に於ける恐怖の象徴であり、憎悪の的であり、以て彼等に対する最大の抑止力となっていたのだ。

船員も精強で、私掠戦という性格上、接舷移乗攻撃に特化した兵も大量に乗り組んでいた。

そのヴァルチャーが、忽然と消息を絶ったのだ。

多くの私掠船が必死に捜索を行っているものの、ローラント側との遭遇戦になる事も多く、思う様には進んでいない。

 

 

「では、ローラント以外の勢力か。しかし何処が……ビーストキングダムは本拠地に引き籠っている上、アルテナもフォルセナ攻略に掛かり切りなのだぞ」

 

「アルテナはフォルセナから退却した。王都での戦いに大敗したそうだ。暫くはまともに動けまい」

 

「……では、どの勢力なのだ。海上でナバールに戦いを挑むなど、ローラントを除けば自殺行為なのだぞ。ジャドですら相手にはならん」

 

 

『伯爵』と呼ばれた男は応えない。

彼もまた答えを持ち合わせていないのだと知り、イザベラは小さく鼻を鳴らした。

嘲笑ったというよりは、不愉快だったからだ。

此方の知り得ぬところで動いている勢力が居る。

それが何処ぞの国家であれ、或いは『マナの女神』や精霊であれ、どちらにせよ気に喰わない。

おまけに占領地の抵抗勢力は一向に尻尾を掴ませず、その活動は活発になるばかり。

 

 

「何が起きている……?」

 

 

歯軋りするイザベラ。

しかし、不意に口元を押さえると激しく咳き込み始めた。

指の間から零れる、どす黒く濁った血。

控えていたナバール兵の1人が、ナプキンを手にイザベラへと歩み寄る。

そんなイザベラを、伯爵は僅かに目を細めて見遣っていた。

奪われた玉座の間には、止まぬ咳だけが響き続ける。

 

ナバール王国。

誰からも正当性を認められぬまま、首魁によって使い捨てられるだけの哀れな国家。

その束の間の栄光は、既に陰りを見せていた。

 

 

 

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「ま、こんなもんじゃろ」

 

 

特に気負う事もなく放たれた声に、フェアリーとアンジェラを除く一同は唖然としたまま声を返す事もできない。

それ程までに、眼前の光景は常軌を逸していた。

 

 

「ご苦労様、ノーム。それじゃ戻っていいわよ」

 

「え、嬢ちゃん最近ワシにだけ冷たくない? ねぇ、冷たく……何でもないです、ハイ」

 

 

フェアリーの右手に握られた得物が微かな金属音を起てるや、慌てて彼女の内に戻るノーム。

此方へと振り返り、皆を促す。

 

 

「開いたわ、行きましょう」

 

「開いたわ、じゃねえだろ!? 何だ今の!」

 

「何って、ノームに道を開いて貰っただけじゃない」

 

 

何が起こったか、それはフェアリーが言った通りだ。

ノームの力で、塞がれていた道を開いただけ。

言葉にすれば簡単だが、その内容はとんでもないものだ。

 

ローラント王国、最重要防衛拠点『風の回廊』内部。

洞窟の中、崩れ落ちた岩盤によって、マナストーンへの道は閉ざされていた。

ノームが言うには、此処最近で人為的に崩落させられたものとの事らしい。

そして彼はごく自然に、大量の岩塊をまるで意思ある生物の様に操って退かし、瞬く間に崩落した通路を復旧してみせたのだ。

数十tもの巨岩がふわりと浮かび上がって動く様には、誰もが言葉を失い見入っていた。

 

 

「コイツはたまげた……マナというのは此処まで万能なのか。これならトンネルを掘るのに人足も要らない」

 

「そう上手い話があると思う? ノームが此処に居て、つい最近崩落したばかりの場所だから、こういう芸当が可能なのよ。同じ事が何処でもできるとは思わないでね」

 

「ついでに言えば、此処は異常な程にマナが充満しているわ。だからノームも難なくこんな事ができたのよ」

 

「色々ムズかしいんでちねぇ……」

 

 

感嘆する一同を余所に、フェアリーは巨岩が除けられた通路を進む。

リースが後に続き、手に持つ新たな自身の槍を構え直した。

此処に来るまでに幾度となくモンスターと遭遇し、その度にこの槍を振るってきたが、その変形機構を使用するまでには至っていない。

それはモントとアンジェラ、ケヴィンの3人を除く面々も同じで、デュランは変わらず曲刀を振るい、何故かホークアイは短刀1本のみで戦っている。

フェアリーは大振りの曲剣を難なく振るい、シャルロットは積極的には戦わないものの、柄の先に鉄球を備えた奇妙なメイスで敵を殴り付けていた。

そしてリースはといえば、これまで愛用していたトライデントとは勝手の異なる得物に苦戦しつつも、今ではすっかりと使い熟している。

トライデントとは異なり肉厚の長い刃が1本、しかもリースの膂力に合わせて軽量化を施したとはいえかなりの重さがある槍なので、敵の刃や爪を引っ掛けるという技巧は不可能となったものの、その重量を活かすコツを掴めば恐ろしい威力を発揮した。

この上、その変形機構を組み合わせれば何処まで戦術が拡がるか、リース自身にも予想が付かない。

 

それら以外にも、幾人かは新たな得物を手に入れている。

フェアリーは短銃を腰に下げているし、ホークアイも何らかの銃を携帯している様だ。

デュランの背に担がれたままの盾、ケヴィンの背にある見慣れない道具と別の武器、モントの背の長銃と腰に下げられた細剣。

皆、随分と重武装だが、幸か不幸かそれらを活用する状況には至っていないのが現状だ。

 

更に言えば、リースとホークアイが、発砲は控えるべきと提言した事もあるだろう。

常に山肌を吹き抜ける風に幾分かは掻き消されるとはいえ、それでも銃声は遠方まで届く。

そうなれば、当然の如くナバールに察知されるだろう。

 

特に警戒すべきは、シーフとは別格の戦闘能力を有する『ニンジャ』だ。

物理的な攻撃だけでなく、五感や体内および周辺のマナに多種多様の異常を齎す『忍術』を用い、更には武器による戦闘能力でも他を圧倒するナバールの精鋭たち。

相対した事は無いが、それでもリースはその脅威について父や乳母、古参のアマゾネス兵たちから幾度となく聞かされている。

 

『ナバール忍軍』

ナバール盗賊団の前身組織であり、バストゥークの民にとって恐怖の具現そのもの。

その歴史は過酷な砂漠に暮らす力なき民と、そして彼等を虐げんとする敵対者、双方の膨大な流血と死によって綴られている。

嘗て数百年もの長きに亘り、ローラントを含む多数の部族によって虐げられ、土地も家族の命までをも奪われ、バストゥークより『灼熱の砂漠』に追い遣られた弱き民。

収奪に耐えかね逃げ出し、或いは全てを奪われ強制的に移住させられた彼等が、生きる為に徒党を組んで早数百年。

戦乱の続くバストゥークから部族を問わず力なき者が砂漠へと流れ続ける中、人が生きるにはあまりに厳しい環境で、自然と育まれた血の結束。

餓えと乾きに倒れた無数の屍が砂に埋もれゆく中、生き延びた彼等の刃は鋭く、疾く、無慈悲に研ぎ澄まされていった。

 

暗く闇を身に纏い、熱と乾きを味方に付け、夜の冷たさを刃と為す者たち。

数え切れぬ権力者たちを刃に掛けるだけに止まらず、ナバールの民に仇なす者は老若男女問わず、時には一族郎党、時には街一つごと殺し尽くす事さえ厭わない。

当然の事ながら、その刃に掛かる多くは長きに亘って彼等を虐げてきたバストゥークの民であり、それはローラント王国の建国後数年間に於いても変わらなかった。

特に建国直前、ナバール前首領オウルビークスの号令の元に行われた大侵攻では、バストゥーク総人口の3割を超える民が殺戮されている。

ローラントの部族によって統率され、態勢を整えて迎撃に当たった上でこの被害なのだ。

更に言えばこの際の迎撃戦で、リースの祖母ガルラは命を落としている。

ローラントの部族も民の殆どが死に、リースの血縁も両親を除いて全滅してしまった程だ。

対して、最終的にオウルビークスが自らの部下の手によって暗殺された事で撤退したとはいえ、ナバール忍軍の被害といえば7,000にも満たぬ戦死者と、その倍程度の負傷者のみ。

その事実だけでも、彼等がどれだけ精強で危険な存在か知れようというもの。

嘗て全てを奪われ追い遣られた力なき民は、今や蜃気楼の果てから遠い過去の故郷を、其処に屯する怨敵の子孫の首を狙う、熱砂の如き憎悪を抱く無慈悲な侵略者と化しているのだ。

 

闇に紛れ夜を翔け、人知れず瞬きの内に命を奪う、砂漠の暗殺者たち。

縦しんば数倍もの数で囲んだとて、包囲側も余程の手練れでなくば、逆に容易く殲滅してしまう程の怪物たち。

名と在り方をナバール忍軍から盗賊団へと改めた今でも、嘗ての忍軍戦闘員と同等の能力を有するに至った者は『ニンジャ』と呼ばれ、敵対者を滅する刃として世界各地に潜んでいるのだ。

更にその中には、ナバール上層部に近いホークアイでさえ正確な人数や面相を知らぬ『マスター』の称号を与えられた者たちが居るという。

特に戦闘に秀でた2人の友人が、同世代の内で最も早くニンジャの称号を得たと、ホークアイは言った。

戦闘に於いて圧倒的な疾さで敵を翻弄し、瞬く間に命を刈り取る技量を持つ彼でさえ、未だニンジャの称号を得るには至っていないというのだ。

 

そんな連中に存在を嗅ぎ着けられれば、この一行も瞬く間に全滅しかねない。

皆、戦闘に関しては非凡な才能を持つとはいえ、相手は此方とは比較にならぬ経験と力を持つのだ。

モントやアンジェラなどは互角以上に戦えるかもしれないが、それでも数の暴力には抗し得ないであろう。

特にアンジェラは、魔法を用いる戦い方が本領である以上、戦闘中の隙は大きい。

仕込み杖である程度は対応できるだろうが、それでもニンジャが相手ともなれば1分と保つまい。

それらの点を勘案するに、広範囲に此方の存在を知らせてしまう銃撃や一部の神秘は、使用を控えるべきとの結論に達したのだ。

この時点で装備の半分は単なる重しと化してしまったが、それでも交戦ともなれば本領を発揮する筈と判断し、それらを担いで山道を踏破してきたのである。

今のところ、それが報われる状況には至っていないが。

 

 

「……あった」

 

 

そんな事を思い返していたリースの耳に届く、フェアリーの呟き。

彼女へと目を遣り、その視線を辿った先に、それはあった。

 

 

「あれが……」

 

「そう、あれが『風のマナストーン』よ」

 

 

それは、何とも不可思議な巨石だった。

薄闇の中に聳え立つ、高さ4m程もある三角錐に近い形状の巨石。

異様な事に、その巨石は三角錐の底部ではなく、最も突出した先端部を下にして直立していた。

先端部は埋没しておらず、かといって何らかの器具によって巨石が固定されている様子もない。

有り得ない事だが、この巨石は不安定な突出部を下にして、完全に自立しているのだ。

荒い岩肌そのものでありながら透き通った表層は淡い虹色に輝き、同じく虹色の光の粒子が其処彼処から零れ落ちている。

その光が、幾度か目にしたフェアリーの羽、それから零れるものと同じである事に、リースは気付いた。

恐らくはあれこそが、如何なる属性をも付与されていない純粋なマナ、その本来の光なのだろう。

 

 

「凄いな……」

 

 

思わずといった体で、感嘆の声を零すデュラン。

この神秘的な光景を前にしては、無理もないだろう。

一方で、フェアリーはマナストーンの周囲を見て回り、その表面に触れて何事かを調べている。

やがて調査が終わったのか、安堵した様に溜息を吐いた。

 

 

「……良かった、特に異常は無いわ」

 

「通路を崩落させた連中は何もできなかったか……或いは、何もさせない為に崩落させたのか」

 

「解らないわ。でも『死の首輪』を使えるくらいだから、イザベラという女がアルテナ同様、マナストーンの解放を狙っていたとしても不思議ではないでしょう」

 

「……そういえば、光の司祭が言っていた『神獣』とやらがコイツに封じられているんだったな。厄介な連中なのか?」

 

 

何とはなしに、といった体で訊ねるモント。

それを受けたフェアリーは、何か忌まわしい記憶を思い起こしたかの様に、端整な顔立ちを歪めて答える。

 

 

「厄介なんて代物じゃないわよ。女神様の話だと、たった8体で世界を滅ぼす寸前までいったそうだから」

 

「何でちか、それ。そんなもんよく封印できまちたね?」

 

「1体1体はまあ、戦えない事もないらしいわ。それでも、女神様でさえ苦戦する程の怪物よ。災厄の化身って言葉は、比喩でも誇張でもない。8体が揃ってしまえば、世界は天変地異によって暗黒の時代に逆戻りよ」

 

「……この石には、その『神獣』の1体が封印されているという事ですね」

 

 

言いつつ、マナストーンを見上げるリース。

幻想的な外観からは、その内に恐ろしい神獣が封ぜられている等とは、とても想像できない。

 

 

「恐らくは風の神獣がね。鷲の頭と翼、獅子の身体を持つ怪物だったと聞くけれど……」

 

「面白い話。けど、それより風の精霊、この近くにいる筈。先にそっちを……」

 

「ワシなら此処に居るダスー!」

 

 

ケヴィンがジンの捜索を促すと同時、頭上から響く能天気な声。

直後、マナストーンの傍らに青い影が降り立った。

それを目にするや、フェアリーが声を上げる。

 

 

「ジン!」

 

「お? お嬢さん、ワシを知っとるダスかー?」

 

「お久し振りッス、ジン!」

 

「って、ウィスプ!?」

 

「よ、風の」

 

「ノームまで! アンタ、何者ダス!?」

 

 

どうやら、この御伽噺に出てくるランプの精にも似た存在が『ジン』らしい。

目の前の女性がフェアリーである事、これまでの経緯を説明されると、ジンは快く協力を申し出てきた。

しかし同時に、気になる情報も齎される。

 

 

「ナバールが此処に?」

 

「そうダスー。異国風の出で立ちをした女に率いられて、何度か此処に来たダスー」

 

「イザベラ……!」

 

「それがあの女の名前ダスか? でもあの女、明らかに人間ではなかったダスー」

 

 

背筋が凍り付くかの様な錯覚。

思わぬ言葉に、一時的にせよリースの思考は完全に停止した。

ナバールの指揮官イザベラは人間ではないと、ジンは言ったのだ。

低く冷たい、ホークアイの声が響く。

 

 

「……どういう事だ?」

 

「あの女、取り巻きの精神を完全に支配してたダスー。おまけに古代遺失呪法を単身で操って、マナストーンの封印を解こうとしてたダスー」

 

「イザベラがマナストーンを!?」

 

「恐らくは独自に編み出した古代呪法の応用ダスー。流石に一度や二度では解放まで至らなかったらしくて、崩落で閉じ込められてる間に術式は解除しておいたダスー」

 

「……古代呪法を1人で操るなんて、どう足掻いても人間には不可能だわ……それこそ『魔族』でもない限り……」

 

 

『魔族』

その言葉に、鼻を鳴らすホークアイ。

 

 

「道理でな、それなら辻褄が合う。奴が『死の首輪』を使った事も、何故フレイムカーン様や皆を操れたかも」

 

「あの女が何度か来た後に崩落が起こったダスー。やったのは何人かのアマゾネス兵と、一緒に居たナバール兵ダスー」

 

「な……!」

 

 

全滅したかに思われたアマゾネス兵が生存しており、尚且つナバールの者と行動を共にしている。

イザベラの正体に勝るとも劣らぬ衝撃を伴った言葉に、リースのみならず皆が言葉を失った。

否、ホークアイだけは何事か考え込む素振りを見せていたが、皆がそれに気付く事はない。

やがて、如何にかといった体でフェアリーが言葉を絞り出す。

 

 

「どうしてアマゾネス兵がナバール兵と!?」

 

「それは解らんダスー。でも、そのナバール兵たちに操られている気配は無かったし、アマゾネス兵も特に敵対する素振りを見せずに協力してたダスー」

 

 

聞けば聞く程、訳が解らない。

それから暫く情報交換と議論が交わされたが、アマゾネス兵がナバール兵に、或いはナバール兵がアマゾネス兵に協力する理由は解らず仕舞いだった。

その間、ホークアイが沈黙を貫いていた事には皆が気付いている様だったが、誰も言葉を挟む事はしない。

結局、それ以上の議論は切り上げ、一同は眼前のマナストーンを見上げる。

ジンの協力を得る事の他にもう1つ、此処でやるべき事があった。

 

 

「……みんな、ちゃんと触れてる?」

 

 

フェアリーの言葉に、モントを除く一同が頷く。

リース達は今、初の『クラスチェンジ』を行おうとしていた。

通常であれば長い修練の果てに辿り着く境地へと、数段飛ばしに駆け上がる為の儀式。

嘗ては日常的に行われていたそれも、マナの減少に伴い今では遺失術式のひとつと化してしまっている。

実力はともかくとして経験の不足を補う為の儀式ではあるのだが、聖剣の一行は充分にそれを行える下地があると、フェアリーと精霊たちは判断したのだ。

 

 

「繰り返すけど、一度選んだ道は決して変えられないからね。『光』の道か、それとも『闇』の道か。選んだ先にどんな自分が待つのか、先ずはそれを確認しましょう……さあ、目を閉じて」

 

 

フェアリーの指示に従い、瞼を下ろす。

マナストーンに触れている掌に、微かな熱を感じた。

 

 

「集中して……心の内に宿る、新たな自分自身を捉えて……」

 

 

自らの内に宿る、新たなる力を手にした自分自身。

これまでの道程と経験、過去の絶望と悲嘆、これからの展望と渇望、絶えぬ希望と不安。

全てを受け入れ、新たなる自分を模索する。

その短いながらも深淵に至る試作の果て、リースは目の前に立つ2人の自分自身に気付いた。

 

光と共に邪なる者を打ち払う、戦乙女としての自分。

闇を纏い禁呪を用いて死を振り撒く、呪術師としての自分。

それらを自覚し、リースは徐に瞼を開く。

どうやら、皆も自身の未来を見付けたらしい。

瞼を上げ、フェアリーを見遣る一同。

 

 

「どう、2人の自分が見えたかしら? それが貴方たちの『光』と『闇』2つの道よ。其処から……」

 

「2つだって?」

 

 

2つの道について説くフェアリー、その言葉に割り込んだのはケヴィンの声だった。

見れば、彼は何処か釈然としない様子で、フェアリーを見つめている。

何事かと視線が集まる中、彼は僅かに首を捻りつつ答えた。

 

 

「『3つ』見えたぞ」

 

「え……」

 

「3つ? 私は『1つ』しか見えなかったわ」

 

「アンジェラ!?」

 

 

2人から放たれた、予想外の言葉。

ケヴィンは2つではなく『3つ』の道が見えたと言い、アンジェラは『1つ』しか見えなかったと言う。

これは一体どういう事なのか。

フェアリーの戸惑い様を見る限り、尋常ならざる事なのだろう。

 

 

「御2人とも、どんな御自分が見えたのですか?」

 

 

リースは2人に、何を見たのかと問い掛ける。

先ずはそれを知らねば、フェアリーとて何も解らないだろうと考えての事だった。

 

 

「『光』と『闇』と……見た事ない恰好した自分。でも3つ目は、これ持ってた」

 

 

そんな言葉と共に、背負った獣肉断ちを指し示すケヴィン。

 

 

「私は、まあ……ヤーナムで見た格好だったわね」

 

 

実に不愉快そうに述べるアンジェラ。

それだけでリースは、何が起こっているのかを理解した。

他の面々も同じらしく、揃ってモントへと視線を遣る。

 

 

「……どういう事かしらね?」

 

 

モントは、軽く肩を竦めるだけだ。

埒が明かないと判断したのか、諦めた様に軽く首を振るフェアリー。

そんな彼女に、シャルロットが声を掛ける。

 

 

「そういえば、フェアリーしゃん」

 

「どうしたの?」

 

「フェアリーしゃんはクラスチェンジしないんでちか?」

 

 

シャルロットの問いに、目を見開くフェアリー。

その仕草からは、考えもしなかった、とでも言いたげな驚愕が感じ取れる。

事実、彼女の答えは予想に違わぬものだった。

 

 

「……考えもしなかったわ、そんな事」

 

「シャルロットの言う事も尤もだと思うよ。不本意かもしれないけど、フェアリーだって今や立派な戦士だ。試す価値はあると思うぜ」

 

 

シャルロットに賛同するホークアイ。

フェアリーは暫し悩んでいたが、やがて覚悟を決めたのか溜息混じりに同意する。

 

 

「……解ったわ、私も試す。それじゃあ、始めましょう。しつこい様だけれど、後悔しない選択をしてね……モント、貴方は?」

 

「俺か?」

 

 

フェアリーから話題を振られ、此方も想定外だったのか僅かながら驚いた様子のモント。

そういえば、彼は当初からクラスチェンジには無関心だったなと、ぼんやりと思い出すリース。

彼が積んできた経験と、その獣じみた身体能力を考えれば、それも当然なのかもしれないが。

しかしフェアリーには、何かしら思うところがあるらしい。

 

 

「貴方だって、十分マナに触れてきたのよ。何かしらの加護があってもおかしくないわ」

 

「別にそんなものは期待しちゃいないんだが」

 

 

乗り気でないというよりも、必要ないと考えているのだろう。

素気なく返すモントに、しかし怯む事なくアンジェラが追い打ちを掛ける。

 

 

「やってみなさいよ。駆け出し魔導師の意見で恐縮だけど、魔法って結構便利よ? 神秘との相性だって悪くないわ」

 

「俺は元々そっちには疎い」

 

「でも、何かしら良い変化があるかもしれないじゃない」

 

 

そんな問答を続けること暫し、遂にモントが折れた。

結局は全員がクラスチェンジに臨む事になり、一同は

マナストーンの表面に手を当てて己の道に向き合う。

 

 

「それじゃ、いくわよ……!」

 

 

フェアリーの声と共に、我が身が優しいマナの光に包まれてゆく。

内より溢れる力を自覚した瞬間、リースの意識は眩い白光に満たされた。

 

 

 

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間に合わなかったか。

マナの光に包まれる聖剣の一行を見遣りつつ、闇に身を潜める『彼』は時機を逸した事を理解する。

 

思えば、あれ程までに大規模な抵抗組織がナバール占領下のローラントに存在していた、その時点から計画は狂い始めていたのだ。

占領下の混乱に紛れ、ジンを捕らえてナバールが用いたマナストーンへの介入手段を探り、アルテナ領内の氷壁の迷宮にある『水のマナストーン』を解放する為の礎となる術式を手に入れる事。

それが彼に下された使命だった。

 

水の精霊『ウンディーネ』が此方の捜索から巧妙に身を隠し続けている為、アルテナによるマナストーン解放計画には大幅な遅れが生じていた。

当初は古代魔法だけでもマナストーンを解放できると目されていたのだが、それらの封印を施したマナの女神は、此方の想像ほど甘い人物ではなかったらしい。

綿密に、幾重にも張り巡らされた制御結界は一瞬にして基底部位に当たる術式を破壊され、期せずして起こった膨大なマナの逆流現象によって、周囲の機材も200名を超える人員も、根刮ぎ消し飛んでしまったのだ。

どうやら不正な介入に備え、予め『罠』となる術式が女神の手によって封印術式内に組み込まれていたらしい。

封印術式内に巧妙に隠された、突破口となり得る術式の脆弱点を見付けた解析班は、それが罠とも知らず不正介入の為の術式を割り込ませてしまったのだ。

結果、彼等は自らの命で以て失敗の対価を支払い、アルテナの計画は思わぬ躓きを見せる事となった。

故に、ナバールが風のマナストーン解放の準備を進めているとの情報を得た紅蓮の魔導師は、その術式を探るべくローラントへと彼を差し向けたのだ。

 

ところが現地に着いた直後、マナストーンへと到る通路は抵抗組織の手によって崩落させられ、空間転移もジンの抵抗により不可能となってしまう。

そうして、何とか崩落先に籠城しているジンを捕らえんと思案している内に、聖剣の一行がこの場に到達してしまったのだ。

ノームの力で難なく崩落を除けた彼等は、そのままジンと合流してしまった。

これではマナストーンに施された術式を探る事ができない。

紅蓮の魔導師ならば、マナストーンから直接術式を読み取る事も可能だろうが、彼は今『別件』から手を離せない。

故に、彼がこの場に赴いたのだ。

 

となれば、この場で聖剣の一行を打倒し、ジンを確保して情報を引き出すしか術はないのだが、それもまた実現困難である事を認識せざるを得なかった。

理由は、あの黒ずくめの装束を纏う『狩人』だ。

個体差はあれど、戦闘に際して彼等が見せる異常なまでの才覚と奇抜な様式は、既にアルテナでも知られていた。

世界各地に展開するアルテナ軍の内、故あってか偶発的かを問わず交戦した部隊の悉くが壊滅に追い遣られている以上、数少ない生存者の口からその存在が知れ渡るまでに然程時間は掛からなかったのだ。

彼自身は未だ相対する機会に恵まれてはいないが、しかし視線の先でクラスチェンジを試みている男が、只でさえ異常な戦闘能力を誇る狩人の中でも、飛び抜けた力を有しているであろう事は容易に見て取れた。

たとえ今、此処で背後から奇襲を掛けたとしても、他の面々への被害を抑えつつ痛烈な反撃を受けるであろう事が。

当然ながら、ジンの確保など叶う筈もない。

故に、彼は闇へと身を沈め、この場を去る事を選ぶ。

 

今はまだ、その時ではない。

いずれ対峙の時は来る。

その時こそ、己の全てで以て彼等を打倒してくれよう。

 

そう独りごちる彼の視線は、知らず知らずの内に1人の青年を捉えている。

マナストーンに触れながら、祈る様に頭を垂れている若い剣士の背。

彼自身も理解できない郷愁、既に失われた筈の感覚を呼び起こすその姿に僅かな困惑を抱きつつ、その身を闇へと沈めてゆく。

 

古の竜族、彼等が用いる古代魔法により隠匿された彼の存在に、終ぞ誰も気付かない。

こうして聖剣の一行の誰もが気付かぬ中で、彼との初の邂逅は果たされる。

彼『黒曜の騎士』の存在を一行が知るのは、未だ先の事であった。

 

 

 

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「嘘だろ、オイ……」

 

 

焦燥が入り混じった、デュランの呟きが聞こえる。

『風の回廊』を抜けた一行を出迎えたのは、よりにもよって20を超える数のナバール兵であった。

周囲警戒は決して怠ってはいなかったのだが、それを嘲笑うかの様に一瞬で包囲されてしまったのだ。

これまでに相対してきた人間の敵とは、明らかに一線を画している。

何故か1人として得物のダガーを抜いてはいないとはいえ、油断などできる筈もない。

 

不安げに周囲の仲間たちの様子を窺えば、デュランとケヴィンは武器を構えて敵を牽制しつつも、乱戦ともなれば仲間への被害は避けられないと見てか、彼等から仕掛ける様子は無い。

アンジェラは一見すると無防備だが、その実は魔法と神秘の発動準備に入っている様だ。

フェアリーは焦りを見せつつも、最初に狙うべき獲物を見定めているらしく、以前からは考えられない鷹の様な眼で敵を睨み据えている。

 

そして、リース。

こんな彼女を眼にするのは、シャルロットも初めてだった。

女神もかくやという清楚な美貌からは一切の感情が抜け落ち、しかしその身体は槍を構えて筋肉という筋肉を収縮させ、宛ら敵の喉元を咬み千切る瞬間を今か今かと待ち焦がれる獣の様。

リース自身が1本の槍、或いは牙と化したかの様な姿に、知らずシャルロットは恐怖を覚えていた。

 

その一方、ホークアイとモントの様子は何処かおかしい。

包囲された当初も慌てる様子を見せず、寧ろ事前に敵の存在を認識していたかの様に落ち着き払っている。

それどころか2人は、その場で武器を収めてみせたのだ。

有り得ない行動に驚愕し、思わず叫ぶシャルロット。

 

 

「ちょ、何してるんでちか!?」

 

 

その声に、漸く他の面々も気付いたらしく、ホークアイとモントを見るや表情を強張らせる。

特にリースは、一瞬だが酷く傷付いた様な顔を覗かせた後、怒りと悲しみが入り交じる明確な負の感情を表情に浮かべていた。

しかし直後に掛けられた声に、リースの表情は悲哀を凌駕する驚愕に取って代わられる。

 

 

「お帰りなさいませ、リース様」

 

 

聞き慣れない女性の声。

それが響くと同時、ナバール兵たちの背後から、数人の女性たちが姿を現した。

彼女たちが手にするのは、嘗てのリースと同じトライデント。

身に纏うマントの下から覗く装束は、これもつい先程までリースが纏っていたものと同じ、ローラント正規軍アマゾネス兵のもの。

リースの目が大きく見開かれ、僅かに震える声が零れた。

 

 

「ライザ……?」

 

「はい、リース様……ご無事で、何よりです……!」

 

 

感極まった様にリースの名を呼び、その瞳に光るものを滲ませる、ライザと呼ばれた女性。

見れば他のアマゾネスも、その殆どがライザと同様に感涙に咽いでいる。

リースもまた、その瞳に涙を滲ませてはいたが、しかしアマゾネスたちの傍らに立つナバール兵への疑問からか、幾分か戸惑いの方が大きい様子だ。

そんな彼女たちを後目に、ホークアイへと歩み寄る1人のナバール兵。

 

 

「久し振りだな、ホークアイ」

 

「ルヴェンか……アイツや他の連中も此処に?」

 

「ああ」

 

 

そのまま自然に会話へと移る2人を、モントを除く聖剣の一行は唖然と見つめる。

ホークアイの身の上話が嘘でないのなら、彼はナバールの方針に反発し出奔していた筈だ。

にも拘わらず、彼はナバール兵と親しげに言葉を交わしている。

これは、どういう事か。

否、それ以前に何故、ナバール兵とアマゾネス兵が一緒に行動しているのか。

 

 

「ライザ、皆……これは、一体……」

 

「落ち着けリース、彼等は味方だ」

 

 

困惑を隠そうともしないリースに、ホークアイが語り掛ける。

『味方』と、彼は間違いなくそう言った。

一体どういう事かと混乱するシャルロットの耳に、何気なくといった体で発せられたモントの声が飛び込む。

 

 

「ホークアイ、彼等がそうなのか」

 

「そうだ。俺と同じく『ナバール王国』に敵対する、真の『ナバール盗賊団』さ」

 

 

『王国』ではなく『盗賊団』と、ホークアイは言った。

驚く一行に、モントが追い打ちを掛ける。

 

 

「俺達が此処に入る前から監視されていたぞ。ホークアイが気付いていたので、撃たずに済んだが……」

 

 

どうやらホークアイとモントは、随分と前から彼等の存在に気付いていたらしい。

その事を告げなかったのは、すぐにこうなる事を察知していたからだろうか。

ナバール兵とアマゾネス兵たちの間から姿を現し、ライザの隣へと立つ男。

編んだ長い金髪を揺らし、彼は声を上げる。

 

 

「ナバール盗賊団、現首領イーグルだ。我等が義により、ナバール盗賊団はローラント奪還に協力する」

 

 

そんな彼へと、常ならぬ獰猛な笑みを浮かべて歩み寄るホークアイ。

対するイーグルと名乗った男も、その口端を釣り上げ滲む歓喜を隠そうともしない。

そして、未だ状況が飲み込めない面々の前で、彼等は言い放ったのだ。

 

 

 

 

 

「遅いぞ、兄弟」

 

「待たせたな、兄弟」

 

 

 





蛇「待たせたな!」



鷲「あれも仲間か?」

鷹「知らん」

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