聖剣伝説 Hunters of Mana   作:変種第二号

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青ざめた血の空の下で、毒爪の鷹と不死の鷲

 

 

 

蝶の羽ばたきの如き些細な変化が、巡り巡って大風となり大樹を揺るがす。

その些末な異変は、正に世界の理の中心たる『マナの樹』の下より始まった。

 

 

「女神さま、女神さま!」

 

「空を、空を見て下さい!」

 

「……ええ、解っています」

 

 

突如として始まった異変に、背から昆虫の様に透き通った虹色の羽を生やした、極めて小柄な少女たちが騒ぎ立てる。

そんな彼女達の恐慌を具に感じ取りながら、しかし少女たちと同じ艶やかな翡翠の髪を風に靡かせる女性、女神と呼ばれた彼女は静かに夜の空を見上げていた。

 

 

「でも、月が……!」

 

「そうですね。あんな月は、私も見た事が在りません」

 

「月もそうですけど……空が……」

 

 

此処『マナの聖域』では日中は晴天に覆われ、夜は見事な月が澄んだ空気の中に浮かぶのが常だ。

時折降る雨も大地に恵みを齎すものであって、傷痕を刻み込む程のものではない。

常に穏やかな気候が続き、全ての生命を祝福する。

それが聖域の空だ。

だがこの時、聖域の空は嘗てない程の禍々しさを以って、其処に在る全ての生命に得体の知れぬ恐れを齎していた。

小鳥の様に小さな少女達も、周囲の森で騒ぐ鳥たちも、そしてこの聖域の主である女性、実質的な全知全能に近い彼女でさえ目にした事の無い、異様な空と月。

 

 

「こんな青ざめた夜空……なのに、血の様に赤い月」

 

 

呟く様に放たれた声は、幸いにして少女達には届かなかった様だ。

女性は溜息を吐き、次いで足下に咲く花、その中央に座り込んで呆然と空を見上げていた少女に声を掛ける。

 

 

「この異変の原因は、私にも知り得るところではありませんが……貴女達に託す使命には、些かの変化も在りません」

 

 

ゆっくりとしゃがみ込む女性。

慌てて花から飛び立った少女が、その動きを制止せんとする。

 

 

「いけません女神さま! そのような事は……」

 

「良いのです。不甲斐なくも、私は此処を動けない。動く訳にはいかない。だからといって、貴女達をこんな形で送り出す事が正当化される訳ではありません」

 

 

女性の両手が、少女を掬う様にして手の内へと収める。

その中で座り込んだ少女は、その眦に涙を溜めて顔を歪ませた。

 

 

「女神さま、私……私達は……」

 

「御免なさい。情けない女神で御免なさい……ごめんね、ごめんねフェアリー……」

 

 

震える手、自身の周囲に零れ落ちる水滴に、フェアリーと呼ばれた少女の瞳からは遂に涙が溢れた。

彼女は涙を零しながらも顔を振り、震え出しそうな声を必死に押し殺しながら言葉を紡ぐ。

 

 

「私達は……女神さまが、そうして……思ってくれるだけで……!」

 

 

遂には堪え切れずに嗚咽を零し始めた。

彼女は自身の小さな額に、優しい口付けが落とされた事を感じる。

ごめんね、と小さく震える声で付け足された幾度目かの謝罪。

首を横に振りながら、しかし彼女はこの空を造り出した何者か、居るかどうかも解らぬそれに対する憤りを内心にて燃え上がらせていた。

 

あと数日もすれば、この聖域とも、多くの仲間とも、目の前の敬愛する彼女とも別れる事となる。

それは、きっと永遠の離別。

最早、再会する事は叶わない。

だからこそ、今この瞬間を大切にしたいというのに。

なのに、この聖域でこんな空を造り出すなんて。

こんな悍ましい、恐ろし気な、寒気のする様な空。

 

 

 

『青ざめた血の空』なんて!

 

 

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「くそッ!」

 

「おい、壁に当たるなって。怪我するだけで、それで死人が戻って来る訳じゃないだろ」

 

「そんな事は解ってるさ! でも……でもな……」

 

 

兄弟同然に育ってきた親友が壁に当たり散らす様を見つつ、彼は肩の力を抜きつつ溜息を吐いた。

一見すれば脱力している様に見えるが、しかしその肩は僅かに震えている。

だが、その震えは砂漠の夜の寒さによるものでもなければ、恐れから来るものでもなかった。

それは日中に目にした凄惨な光景への憤り、そして無力な自分自身への不甲斐無さから来る怒りだ。

 

 

「これで『豚』は6匹目だ!『蠍』に至っては数百匹……件数は減るどころか増える一方、犠牲者の数も……!」

 

「……今日は3人か。これでディーンだけでも17人、サルタン周辺で48人。隊商や旅人を含めれば……」

 

「500は下らないだろうさ、それも正規の交易路上で! まだまだ増えるぞ……仲間も、もう6人も殺られてる」

 

「7人だ……多分もう、ニウェは助からない」

 

「……畜生ッ!」

 

 

鈍い音と共に、年月と共に風化していたらしき壁の一部が砕け散る。

極僅かとはいえ、石材の壁が砕ける程だ。

蹴りを放った当人がどれだけ苛付いているか、これだけでも知れようというものだろう。

 

 

「半月足らずでこれかッ……物流も滞り始めてる。小さなオアシスや村の住民はディーンに避難し始めてるが……」

 

「いずれ限界が来るだろうな。ディーンの水源は枯れ始めてる。隊商が自由に行き来できない以上、食料品の枯渇も時間の問題だ」

 

「今は幾つかの部隊が、隊商の護衛に就いている。複数の隊商を纏めて動かしてるが、それでも完全な護衛ともなると手が足りない」

 

「護衛の数を増やせ……ないんだろうな、その様子じゃ」

 

 

最期の言葉に、苛付いた様子の金髪の男性は表情を顰めた。

苦虫どころか、香辛料の塊でも噛み潰したかの様な表情だ。

 

 

「……ああ、そうさ。親父は隊商の護衛を引き上げろと言ってきてる。より攻撃的な編成に組み換え、来たる時に備えろとさ」

 

「時? 時ってなんだ」

 

「噂くらいは聞いてるだろ? ナバール盗賊団は今月中にも解散、新たにナバール王国の建国に動くってな」

 

 

瞬間、今度は金髪の男を宥めていた紫の髪の男、その手元から破壊音が響く。

金髪の男が視線を遣れば、其処には机に突き立った1本のダガー。

次いで地の底から響く様な、ごく一握りの者しか知らない、色濃い負の感情が込められた声が響く。

 

 

「……あの女か」

 

「おい……」

 

「答えろ、イーグル。首領を……フレイムカーン様を唆しているのは、あの女なのか?」

 

 

ゆっくりと此方を向いた金の瞳、砂漠の月の様な光が湛える酷薄さに、イーグルと呼ばれた男は息を呑んだ。

物心つく前から兄弟同然に過ごしてきた無二の親友とはいえ、目の前の男が激昂した際に纏う空気は彼でさえ近付き難いものだ。

普段は飄々として内心を掴ませない軽い男を演じてはいるが、ごく稀に見せる激情は氷の刃の如き酷薄さとなって、常に敵意の向かう先を斬り刻んできた。

自身の怒りの発露は、周囲から火炎の谷の爆炎の如きと形容されるが、ならばこの男の怒りの発露は、夜の砂漠の如き冷たさだとイーグルは思う。

 

夜の砂漠の冷気は、迂闊にそれに触れた者を決して赦さず、決して逃しはしない。

真綿で首を締める様に、哀れな犠牲者の体温を徐々に、しかし確実に奪ってゆく。

そうして気付いた犠牲者が、健気にも自らの身を守るべく行動を起こしても、全ては後の祭り。

囚われた時点で、再び朝日を拝む事など叶わないのだ。

その怒りが今、独りの人間に向けられている。

 

 

「……そうだ、イザベラだ。親父が面と向かってそう言った訳じゃあないが、俺はそう睨んでる」

 

 

紫の髪の男は応えない。

無言で机からダガーを引き抜き、腰元に括り付けられた鞘へと収める。

そして、今は椅子の背凭れに掛けられているローブ、砂漠から戻る際に纏っていた襤褸同然のそれに手を突っ込み、何かを取り出し机の上へと放り出した。

硬質な音に、何事かとイーグルが机上を覗き込む。

 

 

「なんだ?」

 

「見ろ、イーグル」

 

「……石か?」

 

 

其処に在ったのは、装飾品程度の大きさの、奇妙な石だった。

黒ずんだ緑色の円盤状の石、闇色にも似た濃紫の三角の石。

其々の中心に、核の様に小さな別色の部位が在る。

見た事も無いそれに、イーグルは眉を寄せた。

 

 

「何だこれ? 宝石……にしちゃ、どうにも不気味だな。翡翠というには濁り過ぎているし、紫水晶にしては透明度の欠片も無い」

 

「紫の方は『蠍』からだ」

 

 

瞬間、三角の石を手に取ろうとしていたイーグルの手が、寸でのところで止まる。

数秒の沈黙の後、掠れた声が零れた。

 

 

「……どういう意味だ?」

 

「そのままだ。あの『人面蠍』どもを仕留めた後、死骸の中から見付けたんだ。緑の奴はサルタンで手に入れた」

 

「『預かった』のか?」

 

「買ったんだよ、ジャドとの交易商から。ウェンデルの近くに古代遺跡が在って、其処に不法侵入した盗掘屋の一団が居たらしい」

 

「其処で見付けたってのか」

 

「ちょっと違う。遺跡には化け物が居て、そいつに襲われ盗掘団は2人を残して壊滅したそうだ」

 

「……じゃあ、その石は?」

 

「化け物とは相打ちになったんだとさ。その死骸からこいつが回収され、紆余曲折の果てに交易商の手に渡ったって事……らしい」

 

「それを何で、お前が買って……」

 

「似てたからな、こっちの紫の石に。あの『豚』や『蠍』と古代遺跡の化け物に、何かしら関連性が在るんじゃないかと思ったんだ」

 

「おい! 人に寄越すなよ、そんな物!」

 

 

緑の石を手に取り、イーグルへと投げる男。

反射的にそれを受け取ってしまったイーグルは、嫌そうに手の中の石を見つめる。

角度を変え、明りに翳し、しかしこれといって特別な事は解らない。

只管に不気味な石が、手の中に在るだけだ。

 

 

「……で、これが何だってんだ」

 

「お前、怪我してたよな」

 

「あ? ああ、大した傷じゃない。『豚』の突進が掠っただけだ、軽い打撲だよ」

 

 

その言葉通り、イーグルは負傷していた。

オアシスの村ディーン、その郊外に現れた『巨大豚』との戦闘で負ったものだ。

この『巨大豚』はこれまでにも複数の個体が出現し、交易路上の隊商やサルタン、各集落の住民に被害を齎していた。

優に一戸建てに匹敵する巨体を持つこの『豚』は、唐突に現れては遭遇する全ての生き物に襲い掛かっては殺し、その身を骨まで貪り喰らうのだ。

 

今日の被害現場は、特に凄惨だった。

ディーンの住民である親子、まだ若い夫婦と幼子1人。

近くで警戒に当たっていたナバールの部隊が駆け付けた時には、既に『豚』に3人もろとも踏み潰され貪り喰われていた。

十数人掛かりで『豚』を仕留めたものの、その過程で更に1人の仲間が『豚』の下敷きになり、恐らくは今夜中に息絶える事だろう。

それに比べれば軽いものと、イーグルは自身の怪我を放置していた。

打撲だけでなく、腕には岩に擦って負った切り傷も在るのだが、それに触れる事はない。

 

 

「まだ痛むか?」

 

「そりゃあ、ちょっとは……いや、待て」

 

 

其処でイーグルは、異変に気付く。

傷が、全く痛まない。

つい先程まで、疼く様な痛みが確かに在ったというのに、今はそれが跡形も無く消え失せている。

まさか、と自身の袖を捲り腕を確認すれば、其処に在る切り傷に明確な異常が生じていた。

 

 

「ッ、んな……!?」

 

「な、驚いただろ?」

 

 

絶句するイーグル。

傷が、見る見る内に薄くなってゆく。

確かに其処に在った切創が徐々に薄れて短くなり、今にも皮膚の上から消えんとしていた。

更にイーグルは、手の中にも異変が生じている事に気付く。

何かが、其処で脈動しているのだ。

投げ渡された石を握り締めたままだった事を今更ながら思い出した彼は、其方へ視線を転じると同時、反射的に手の中のそれを放り出した。

 

 

「なん……何だコレはッ!?」

 

 

再び机上へと転がったそれは、しかし明らかに先程とは異なる様相を示していた。

脈打っている。

石の表面が、微かではあるが、確かに脈打っているのだ。

中心から広がる放射状の構造物が、血管の様に脈動している。

余りの悍ましさに、イーグルの声が上擦った。

 

 

「生きているのか、コイツは!?」

 

「知らん。だが、体験しただろ? コイツは持っているだけで、所有者の怪我を癒しちまう。時間は掛かるが、確実に」

 

 

言いながら紫の髪の男は、三角形の石を手に取る。

そしてそれを、傍らの棚から取り出したダガー、その刀身の根元に彫り込まれた同じく三角形の穴に嵌め込んだ。

その上から覆いを被せ、留め金で固定する。

始めてみるそれに、イーグルは物珍しそうに尋ねた。

 

 

「それは?」

 

「ニキータに作って貰った。アイツも驚いてたよ、こんな物を見るのは初めてだって。それでだ……数日前、コイツでバレッテに斬り付けてみた」

 

「……で?」

 

 

彼はダガーの切っ先で、自身の喉を掻き斬る仕種をしてみせる。

 

 

「あっという間だったよ。痙攣して、口どころか目や鼻からまで血を噴き出して……今までの犠牲者と同じだ」

 

「……毒か? あの『蠍』の毒……そのダガーに?」

 

「ああ」

 

 

手渡されるダガー。

刃に触れぬよう、注意深く刀身を眺めるイーグル。

気の所為だろうか、刀身全体が黒ずんだ紫の瘴気に包まれている様に見える。

 

 

「……ホークアイ」

 

「なんだ」

 

「俺はこれから直接、親父に真意を問い質しに行くつもりだ」

 

「だと思ったよ。だからこれを見せたんだ」

 

「戦闘になるって事か?」

 

「あの女……イザベラは異常だ。あのフレイムカーン様が、出会って一月と経たない女に実権を与えると思うか?」

 

 

ダガーを返すイーグル。

ホークアイと呼ばれた男は、それを受け取り机に置いた。

 

 

「在り得ない。そもそも、あの行方不明の一件。親父があの程度の場所で消息を絶つなんてあるものか。何より、同行していた連中の様子もおかしい」

 

「ビルとベン、だろ?」

 

「ああ。あれ以来、人間味が消え失せたかの様だ。他の連中も似たり寄ったり、他の連中と必要以上に関わろうとしない。そして連中は大概、親父とイザベラの周囲に控えている」

 

「奴の近衛兵か。どいつもこいつも実力者ばかり……まともにやり合えば勝ち目は無い」

 

「だからそれを使うと? 確かにおかしくなっちゃいるが、あいつらは仲間なんだぞ」

 

「馬鹿言うな、コイツを使うのはイザベラにだ……あの女は何か奥の手を隠し持ってる。対抗策は必要だろ?」

 

 

言いながら、ホークアイはダガーの1本を鞘から抜き、換わりに毒の瘴気を纏ったダガーを其処に刺し込む。

そして脈動する石を手に取り、再びイーグルへと投げ渡した。

 

 

「おい!」

 

「持ってろよ、色男さん。肌に傷なんか残ってみろ。相棒が何やってたんだって、俺が女どもに殺されちまうよ」

 

「それお前が言うのか? お前が怪我する度に、誰かに刺されるんじゃないかってマジで怖いんだぞ、俺」

 

「冗談は兎も角、マジで下手な事はできないぜ。死んだりしてみろ、もう一度生き返らされて、改めて2人ともジェシカに殺されちまうよ」

 

 

笑い声。

しばらく続いたそれは、しかし徐々に静まってゆく。

ぽつりと零れる声。

 

 

「言わないのか?」

 

「……アイツも、今の親父はおかしいと感じてるんだろう。だがそれ以上に、親父を信じている。信じようとしている。此処で余計な心労を掛けたくない」

 

「兄貴が妹を信頼しなくてどうするよ。アイツはそんな弱い女じゃない、そうだろ?」

 

「だが負担を掛けないに越した事はない。イザベラの正体を暴けば状況は変わるだろう……それがどんな形であれ、アイツにも負担が掛かる事は避けられない。なら、せめて今だけは……」

 

 

イーグルが、壁に立て掛けてあった愛用のシャムシールを手に取る。

ホークアイもまた、無言で椅子を立った。

 

 

「ローラントの王家がどうなろうと知ったこっちゃないが、無関係の民を傷付けるなんざナバール盗賊団の誇りが許さん。何としても親父を正気に戻すぞ」

 

「ああ、あの女の化けの皮を剥いでやる。砂漠の民を謀る事がどんな結末を齎すか、身を以って理解させてやらなくちゃあな」

 

 

言葉を交わしながら2人は部屋を出る。

彼等が向かうは、自らの育ての親が待つ部屋。

この『砂の要塞ナバール』の中枢であり『ナバール盗賊団』の首領であるフレイムカーンの居室。

そして、全てを狂わせた女『イザベラ』の待つ場であった。

 

 

 

 

 

「逃げてください、アニキ!」

 

「馬鹿言うな、ジェシカが……ジェシカを置いていけるか!」

 

「ジェシカさんならオイラが見てます! 今はウェンデルに……光の司祭様に会って『死の首輪』の情報を得るのが優先事項ですニャ!」

 

 

結局のところ、ホークアイはイザベラの正体を暴く事に成功した。

引き換えに得たものは『仲間殺し』『裏切者』の汚名と、兄弟同然に育った親友の死。

妹同然の少女に着けられた『死の首輪』という呪いのアーティファクト。

そしてナバールが、もはや嘗ての誇り高い義賊ではないという、絶望的な事実のみだった。

結果として今、闇夜に紛れて人目を憚り、重罪人としてナバールを後にしようとしている。

 

 

「馬鹿野郎! もうイーグルだって居ないんだぞ! なのにアイツ独り、こんな場所に……!」

 

「アニキ!」

 

 

弟分のニキータ、脱獄の手助けをしてくれた彼に、胸倉を強く掴まれるホークアイ。

有無を言わさぬそれに面食らっていると、更に想像を超えた言葉が降り掛かった。

 

 

「イーグルさんは死んでニャい! まだ生きてますニャ!」

 

「……は? おい……おい、それって」

 

 

思いも寄らなかった事実に、喜びよりも先に思考が麻痺する。

そんなホークアイを余所に、ニキータは更に言葉を捲し立てた。

 

 

「あの石です、アニキ! イーグルさんは確かに瀕死だった! でも、あれだけの火傷を負いながら、それでも生きてたんですニャ!」

 

「生きて……生きてるのか、イーグルは!?」

 

「助かりっこないのは誰の目にも明らかだった! でも、あの石を持ってたお蔭で……傷を負った直後から、もう回復が始まってたんですニャ! 今は信頼できる仲間とディーンに脱出していますニャ!」

 

「……そうか、良かった……本当に、良かった……!」

 

 

思わず顔を伏せ、震える声を零すホークアイ。

死んだ筈の親友が生きていたのだから無理もない反応ではあったが、ニキータは感傷に浸る暇を与えなかった。

 

 

「のんびりしてる暇は無いですニャ、アニキ。ナバールはこれから2つに分裂します、確実に。フレイムカーン様とイザベラに着いていく者と、イーグルさんとアニキに着いていく者。間違いなく、嘗ての仲間同士で刃を交える事にニャる。悪夢ですニャ」

 

「……ああ、そうだろうな」

 

「イーグルさんは皆の指揮を執らニャならないし、オイラはジェシカさんの傍に居なきゃならない。ウェンデルに行って『死の首輪』の情報を得る事が出来るのは、アニキしか居ニャいんですニャ!」

 

「……そうだな、こんなとこで足踏みしてる場合じゃないよな」

 

 

眼下に広がる、月明りに照らされた砂漠。

窓から其処に身を乗り出しつつ、ホークアイは告げる。

 

 

「ありがとよ、ニキータ。おかげで迷いは無くなった……行ってくる」

 

「行ってらっしゃいです、アニキ……ナバールを、宜しくお願いします」

 

「……戻って来るぞ! 待ってろよニキータ、ジェシカ!」

 

 

 

 

 

重力を無視したかの様に、宙に身を躍らせるホークアイ。

こうして鷹は、砂の要塞を飛び発った。

そして、本来であれば翼を捥がれていた筈の鷲もまた、その翼を広げて外へと飛び発つ。

砂漠に始まる物語は、その様相を大きく変容させて幕を開けた。

 

 

 

 

 

「イザベラ様、お怪我は……」

 

「心配無用だ、下がれ」

 

 

イザベラの寝室。

其処で彼女は付き人を下げ、化粧台の前に座した。

鏡を覗き込み、呟く。

 

 

「あの坊や……やってくれたわね。まさか、こんな……こんな、奥の手が……あった、なんて……」

 

 

徐々に、徐々にイザベラの顔が俯いてゆく。

そして数秒の後、彼女は激しく咳き込み始めた。

口元を両の掌で覆い、咳というよりは何かを吐き出す様な音と共に呻き続ける。

数十秒続いたそれが止んだ時、イザベラは漸く顔を上げ、再び鏡を覗き込んだ。

 

 

「……あの状況で……斬り付けてきたってのも、驚いたけど……毒まで、仕込んでた、とはね……」

 

 

激しく乱れる呼吸。

鏡に映り込んだ彼女の顔は、本来の美貌が見る影もない程に凄惨なものだった。

口元から胸元まで全てが吐血に塗れ、更には目元からも出血し鮮血が涙の様に頬を伝っている。

明らかに、通常の毒ではなかった。

少なくともイザベラの知識の中に、この様な既知の毒物は存在しない。

 

 

「こんな物、何処で……砂漠の異変に関係が在るのか?」

 

 

解毒も試みたが、マナによる治療が意味を為さない。

在り得ない事だ。

この毒物は、この世界の理の外に位置しているとでもいうのか。

 

 

「知られる、訳には……いかない……何としても……隠し通して……」

 

 

再び咳き込み始めるイザベラ。

彼女が一際大きく咳き込む度、化粧台は徐々に、徐々に赤黒く染まってゆく。

 

 

 

 

 

喜劇と悲劇は表裏一体。

砂漠の民の誇りが2つに分かたれた夜、相対する両者の命運は決定的に変化した。

免れた悲劇の陰で、別の悲壮が幕を開ける。

 

そして、遠く離れた異国の地。

新たな悲劇と血の惨劇が、その牙を剥こうとしていた。

 

 

 




劇毒21.7
ホークアイ(発見力:450)
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