岩肌だらけの荒れ地は、遮るものがない暴風と数年に一度降る大雨によって、時折人智を超えた地形を創り出す。
現実に限界地域として存在する地形を再現されたVR空間で、伏射姿勢を取るアバターがあった。
「……すー……ふー」
のべ助は反り立つな断崖絶壁の付け根に、寄り添うように伏せていた。
身に纏ったサンドカラーの迷彩柄マントは、アバターの体を完全に周囲と同化させる。
「……すー……ふー」
のべ助は、意識して呼吸を細くする。覗き込んだスコープの揺れを最小限に抑える狙いもあるが、行為の最大の目的は低温により白くなる息を見られないようにするため。
レンズ越しのファイヴは、常時クラウチングスタートを繰り返すようにしてかなりの速度で迫ってきている。不用意にレンズの反射光や白い息を見せれば、見つかる可能性は高い。
さらに念には念を重ね、のべ助は初撃を放った場所から位置を変えている。
先刻ファイヴの肩を撃ち抜いたのは、今いる崖の頂上だった。そこにあった岩に予備の迷彩マントを被せてデコイを作成した上で、ラペリングを使って崖を下るという徹底ぶり。
(……全部が役に立たなくていい。もし用意してなくて失敗したら、後悔するだけだから)
全ては時間稼ぎ、弾道予測線なしの一撃を成立させるため。
そうでなければ、ファイヴを仕留めることはできない。
それだけは、確信していた。
事実、のべ助の構えるライフル――ガンサイトスカウトは3kgを切る軽量さと高精度を両立させているものの、ボルトアクションというどうしようもない弱点を抱えている。
着脱式マガジンに納められた10発の7.62mm弾も、近距離戦に於いては役に立つ見込みは無い。
――そんなのべ助の地味な努力が実り、ファイヴは麓の分岐点から上り坂を駆け上がってゆく。
視界を切られたことに慌てず、のべ助は仰向けになって銃口を崖の端に向けた。
(ラペリングに使ったロープは残してある。……気づいて頭を出したところを、撃つ)
のべ助はライフルを構えたまま、手首の内側に巻いた時計で時刻を確認する。ちょうど、一分が経過していた。
フォアエンドを握っていたバイポッドに移し、グリップ代わりに握り込む。真上に向けた銃口の揺れをピタリと止めてから、のべ助はトリガーに指を掛けた。
「……」
非常に落ち着いた精神状態にも関わらず、スコープのレティクル上に投影された着弾予測円の収縮リズムは決して穏やかではない。
トリガーに指を掛けるたび、のべ助は自身の小さな心臓に気分を害されるのだ。
それでも、のべ助にはGGOでスナイパーをやり続けられるだけの腕があった。先天的な欠点は、知識と訓練で補ってきた。
(ファイヴもアイリスも、強い。シカゴの言う通りだった。……でも、勝つ)
技術は十二分。覚悟も上等。集中力も申し分ない。
――だが、のべ助は狙撃手にとって致命的な誤りを犯していた。
どんな時でも
……だが、背後は地面なのだ。一人の
――
のべ助が背を預ける、頑丈な一枚岩の地面。
それが突如として、音を立てながら砕け散った。
「!? うあっ……!」
足場にいきなり空洞ができたことに反応できなかったのべ助はライフルを手放してしまい、落下する。
自由落下すぐに終わるも、のべ助は自身が斜面を滑り落ちていることを認識した。すぐさま腰の拳銃を引き抜き、転がって体勢を立て直す。
「やられた……!」
のべ助は、自身がモンスターの罠に掛かった事実に歯噛みした。
滑り落ちるその先には、巨大なアリジゴク。すり鉢上の落とし穴の最奥に身を埋めるプログラムの生命体は、獲物が掛かったことを歓喜するかの如く大顎を振り上げた。
現実それよりも鋭利で巨大な
のべ助は努めて冷静に、腰のホルスターからPRM-30拳銃を抜いた。
仰向けのまま両手で構えトリガーを引くと、その玩具のような見た目に似合わぬ甲高い破裂音と共にマグナム弾が吐き出される。
だが、いくらマグナム弾といえ.22口径。分厚い甲殻に弾頭のエネルギーが削がれ、大したダメージには至らない。
それでものべ助は、撃たれたことに怒り奇声を上げるバケモノに発砲し続ける。
アリジゴクはのべ助からの攻撃がさぞうざったらしかったらしく、顎で近くに転がった岩盤の破片を持ち上げる。
現実のアリジゴクも得物に対して砂を投げつけて巣穴に叩き落とすが、このスケールの
自身を圧殺せんとする恐ろしい昆虫に対し赤いライトエフェクトを刻みつけながら、のべ助は左手でリグのポーチから新たな武装を引き抜く。
――MK3A2
のべ助はPRM-30を握ったまま右手の小指でピンを抜き、アリジゴクに向けてコンカッションを投げつける。
そして拳銃をホルスターを戻し、爆風から身を庇うように防御姿勢を取った。
果たして、アリジゴクが岩を投げる前に手榴弾は炸裂した。
怪物が衝撃波をもろに受けて金切り声をあげる中、のべ助も爆風の煽りを食って弾き飛ばされる。
「うぐっ……!」
HPバーが急激に減り、一気にイエローゾーンへ。だが、それこそがのべ助の狙いであった。
一気に落とし穴の縁まで吹き戻されたのべ助は、鈍痛に全身を痺れさせながらもナイフを抜いて壁面に突き刺す。
45度を越えた傾斜で、のべ助はナイフを支えにぶら下がることに成功した。
落とし穴の壁面はまるで刃物で削りだしたかのように滑らかだが、何度かナイフを突き刺しながらよじ登れば脱出できるだろう。
だが、それには二つの障害があった。
一つは、その間にもアリジゴクはノックバックから回復し、もたもたと壁をよじ登るのべ助にまた岩を投げつけようとしてくるであろう事。
もう一つは、先ほどの自爆によって自身の両足も吹き飛ばしてしまったこと。
「……絶体絶命、かも」
ライトエフェクトを迸らせる自身の脚を一瞥してから嘆息したのべ助は、脱出を諦めてナイフのグリップに片手でぶら下がったまま拳銃を抜く。
だが、のべ助の
更に追い打ちを掛けるかのように、無情にもPRM-30のスライドがホールドオープンする。
「…………はぁ」
ため息一つ吐き、のべ助は物言わぬ相棒をホルスターに戻した。
不測の事態に陥った際、ハンドガンを片手でリロードする技術はのべ助も修得している。だがこれほどまでに不安定な状態では、それすらもままならない。
アリジゴクは金属を擦り合わせたような鳴き声を上げながら、顎で挟んだ岩を勝ち誇っているかの如く持ち上げる。
のべ助は諦めて目を瞑った。
岩に潰されて死ぬか。それとも顎に挟まれて毒液を流し込まれながら息絶えるリスクを冒してでも、近接攻撃を仕掛けるか。
(……岩も痛そうだけど、毒はもっとキツそう)
そう結論づけた。――その時だった。
岩石を抱えたアリジゴクに、一陣の銃撃が降り注いだ。
「よそ見してんじゃねェぞオラアァッ!!」
曇天に炸裂する、二挺の怒号。
「……!」
のべ助が、驚いて瞼を開くと、崖の天辺から身を投げ出してMPXを乱射する、ファイヴの姿があった。
彼は体を完全に倒立させた状態で、怒声と薬莢を空中にまき散らす。
「危ない……!」
この高度から落下すれば、いかにファイヴが《
だからこそのべ助は高低差を利用した陣を敷いた訳であるが――まさかこんな形で災いするとは思ってもみなかった。
そんなのべ助の手遅れな心配を知ってか知らずか、ファイヴは弾切れになったMPXを二挺拳銃にトランジションしながら降下し始める。
9mmのラッシュにひるんでいたアリジゴクはその僅かな隙に身を逸らし、ファイヴに向かって巨岩を発射した。
自身を撃ち落とそうと迫り来る大質量の砲弾を見て、ファイヴは確かに笑った。
「もらったァ!!」
直後繰り広げられた光景に、のべ助は自身の目を疑った。
ファイヴが、飛んできた岩石を
……正確に言えば、飛ばされたのは運動エネルギーで劣るファイヴの方である。
だが空中にいる状態で、高速で迫る飛翔体にサマーソルトキックを合わせて自身の移動方向を変更したという事実は驚嘆に値する。
続けて飛来する砲丸も、ファイヴは足技やフリップで受け流すなりしてやり過ごす。
「ハハハハハッ! アーッハッハッハッハァ!!」
ファイヴは空中でバカみたいに笑いながら、自在に飛んで跳ねて回って撃ってを繰り返す。
実に奇っ怪で恐ろしい悪鬼のような笑顔の男にのべ助は軽く引きつつも、ファイヴの目論みに気づく。
(落ちるスピードを、殺している……?)
事実、岩とぶつかり合うたびにファイヴのHPバーはじりじりと減少していたが、落下速度は目に見えて緩やかになっていた。
ファイヴとアリジゴクの正面衝突まで20メートル。そこで拳銃二挺が沈黙する。
9mmパラベラム弾62発に.45ACP弾を18発。さらに.22WMR弾を30発と攻撃手榴弾を受けたアリジゴクは、弱りきってもなお反撃の為に
そうして投げつけられた岩弾は、今までのものより小ぶりで低速だった。それでもファイヴの上半身ほどのサイズはあり、かつ狙いは正確だ。
完璧な
ファイヴはゆっくりと――それでも時速30kmほどのスピードで迫る子供大の脅威を見て、リロードを諦めて二挺の1911をすぐさまホルスターに戻した。
そして、腰を捻って拳を固く握り――岩を正面から、裏拳でブン殴る。
バキバキと、岩を砕いているのかアバターの骨格が砕けているのか分からない嫌な音を聞きながら、ファイヴは歯を食いしばって拳を振り抜いた。
「――――ッだァ!!」
角度にして僅か、10度ほど。
だが確かに、ファイヴは投擲物の軌道を殴って変えたのだ。
最後の一撃すら凌がれたアリジゴクが、絶望したようにファイヴには見えた。
勝機と見たファイヴは、脚を縮めて力を溜め込む。遮るものがなくなった空中を
目標は、度重なる銃撃によってライトエフェクトまみれになった頭部。
狙い違わず急降下したファイヴは、アリジゴクと接触する瞬間に全身のバネを解放した。
「ゼェエエイアアァッ!!」
双の踵を揃えて放たれた一撃は、とても人間の蹴撃とは思えないインパクトを轟かせる。
空気を震えさせるその落雷蹴りは、装甲に放射状のダメージエフェクトを迸らせながら、怪物の意識を彼方へと叩き飛ばした。