気を失った土影がフラっと落ちていく。アラレの作った鏡にドサリと落ちる。
まさかの大金星。長袖と釜倉は、未だ目の前の光景が信じられない。アラレは土影の隣に立ち、千本を手に取った。
「待っ! 生け捕りっ!」
長袖が咄嗟に叫んだ。殺してしまうよりは、生け捕りの方が戦略的価値が高い。上手く行けば一気に終戦に持っていける。
が、心配は無用だった。
「つーん、つっくつーん」
アラレは土影の尻を突いて遊ぶだけだったからだ。
「ほよよ。動かなくなっちった」
満面の笑みでそんなことを言ってくる。どう反応すればいいのか。
「そ、そうだね。僕達が勝ったんだ」
「あんまし強くなかったね」
「いやいや、そんなことはないよ! ギリギリの戦いだった! 不意打ちが決まらなければ皆殺されていたかもしれない! 何より雨で視界が悪かったのが幸いだった!」
「あっ!」
長袖が興奮して捲し立てていると、突然釜倉が叫んだ。と同時に千本をアラレの近くに投げる。
「チッ」
そこにボッチがいた。千本を回避し、急いで鏡の外へ出ていく。黙って土影を回収するつもりだったのだろう。
釜倉と長袖はさせじと千本を構える。アラレは笑顔でボッチを指差した。
「あっ! ボッちん!」
「アッ、アラレ! そのおっさんくれ! おっぱい大きくする方法教えてやるから!」
ボッチは咄嗟に言った。何気に年下への面倒見がいいボッチは、アラレの性格を熟知していたのだった。
とは言え、さすがにそんな言葉には乗せられないよね? 長袖と釜倉は不安げにアラレを見る。
「ほよ? いいよ!」
が、満面の笑みで頷いてしまった。
「ええーーーっ! ダッ、ダメだよアラレちゃん!」
長袖が慌てて諌めるが、アラレは「ほいっ」と言って土影を投げ飛ばしてしまう。
「さすがアラレ!」
「くっ」
ボッチが受け止める態勢に入る。長袖はジャンプして鏡から飛び出す。
「きゃははははは! あんたらうんこまみれのおっさんが欲しいの?」
アラレの言葉に若干気を落としつつ、すぐさま真剣に戻る。
両者手を伸ばす。ボッチが受けとる方が早かった。
「うっ」
ところが彼女は、うんこまみれの土影を抱えることを躊躇する。手で触れず、落下に任せて泥人形に乗せる。
その時間遅れで、長袖がボッチの泥人形へ辿り着いた。
ところが、長袖は知り合いの女性を前にして、戦闘を躊躇してしまう。そこで考え直す。殺しが無理なら拘束を、と。
「諦めるんだ!」
そう言ってボッチの胸ぐらを掴みにかかる。
「何をだ?」
「あっ」
ところが、空中だったり戦闘を躊躇したりしたせいで、手が狙い通りの場所に行かなかった。
何の因果か、豊かな乳房をガッツリつかんでしまった。
「離せ! この野郎!」
「ぐっ」
長袖は空中で蹴飛ばされてしまう。避けることもできたが、女性の尊厳を傷つけてしまったので、わざと受けたのだった。
長袖は背後に鏡を出し、落下を防ぐ。改めてボッチ目掛けて飛ぼうとする。
しかしその時、二人の間に紫色の霧が入った。
「これはっ! 半蔵さんの!」
気づいた時には、下から毒霧が一斉に迫ってきていた。長袖は慌ててアラレ達の方を見る。2人とも毒から逃げるように移動を始めていた。
「くっ、こんなことって!」
長袖もアラレを追うように毒から逃げていく。チラとボッチのいた後ろを見やる。濃霧に覆われていて、彼女は見えなかった。
さて、何故半蔵はこのタイミングで毒霧を出したのか。実は、彼の立場になってみればある意味当然だった。
上空の戦闘は、雨と浮遊するうんこの影響であまり見えなかった。しかし戦闘の音とチャクラの気配は伝わってきていた。それが、土影が気絶したタイミングで止んだ。当然、長袖達が負けた可能性が高い。だから半蔵は、土影が地上に攻め込んでくる前に毒をばら撒いたのだ。
ひょっとしたら、土影が戦闘で素早く動けなくなっていて、この毒で死ぬかもしれないという期待もあった。長袖達が勝った場合も、ならば土影の首を持って逃げればいいだけだ。彼等が動けなくなっている場合は巻き添えを食らうが、半蔵にはそこまで気を配る余裕も義理もなかった。
数秒後、土影が敗れたとの知らせが入り、岩隠れは撤退を決意した。
半蔵、サソリ等がお返しとばかりに猛攻を仕掛けた。増援に来たばかりの木の葉隠れと桃隠れはさらに勢いがよかった。
岩隠れも粘り強く反撃した。一時は人柱力ハンによって盛り返しさえした。が、木遁使いのトグロに遭遇すると、ハンは不利を悟って逃げていった。
さらに、そこへ中忍試験の会場から走ってきたクシナ等が加わる。完全に木の葉同盟軍に有利となった。
しかし、ここからが長かった。第二次忍界大戦中、また戦後において、雨隠れは土地の大部分を岩隠れに奪われていた。半蔵は全て奪還することを望み、敵の駐屯地を一つ一つ潰していくことになった。
が、その中には雨隠れか岩隠れか、はたまた石隠れか草隠れか微妙な領土もあった。戦争が続く中、木の葉の忍びが徐々に里に帰っていく。桃隠れの士気も下がっていく。砂隠れに至っては、東西統一後の内戦にかかりきりで、全く戦力を寄越さない。
しかし、戦線は拡大していく。トグロや綱手の手が届かない場所で、被害が増えていく。ミサイル攻撃を有効に使えば、ほとんど無傷で相手を降伏させることができたが、その残弾も怪しくなってきた。
実はミサイルは数に限度があった。大雑把な形はトグロの木遁によって一瞬で作ることができるが、微妙な寸法合わせや強度の補強は時間をかけて手探りでやっていた。そうでなければ音速を超えたミサイルは狙い通りに飛ばない。
暁は、最初のうちは侵略してきた岩隠れにだけ抗議を行っていた。民間人への残虐行為や民家の破壊、盗みなどに対しては、積極的に攻撃もしていた。しかし、ミサイル攻撃による蹂躙を見ると、トグロも非難し始めた。蹂躙と言ってもできるだけ殺さず捕虜にしていたにも関わらず。半蔵の毒攻撃に至っては、風で邪魔をすることもあった。
雨隠れの土地を約8割奪還した頃、トグロの元に長袖達が大勢でやってきた。そして言った。もう戦争はやめたい。何のために戦っているのか分からない。話し合いで解決できないか。と。親衛隊、警備隊による初めての直訴だった。
「俺もそろそろ頃合いだと思っていた。癪だが暁に頼もうと思う」
「では!」
「いや、あっても休戦だろう。岩隠れは諦めていない」
「そんな……」
それに、半蔵を説得できるかどうかの問題もあった。
ある日の合同戦略会議で、トグロは冒頭に言った。
「ミサイルが無くなれば、また戦争の被害が酷くなる。戦争が長引けばミサイル自体の対策を取られてしまう可能性もある。勝っているうちに辞めた方がいい」
領土を取り返したい半蔵には都合の悪い話だった。しかし半蔵は怒るどころか、納得したような顔になった。
「そろそろそう言ってくるだろうと思っていた。だが、桃隠れから同盟の協定を破ろうとしているんだ。補償はしてもらうぞ」
トグロの予想より半蔵が弱腰だった。先代風影やダンゾウと比べると、おだやかで平和主義的とさえ思える。逆に罠かもしれないような気もする。半蔵は自分を閉じ込めて人体実験していた男だ。
「うちは、戦後民間人がまともに生活できるまでの支援は、基本的にタダだ。それじゃあ足りないか?」
「足りんな。お前が言っているのは、同盟国じゃなくとも受けられるものだ。雨隠れは同盟軍として戦力の補償を求める」
「はっきり言って、今回の戦いは初戦に土影を落とした我々の功績が大きかった。大規模にミサイル攻撃を行ったのも我々だ。戦果の優劣を考えれば本来譲歩する必要すらない。これが木の葉なら領土の一部を要求しているだろう」
綱手がそう言うと、半蔵は途端に苦い顔になった。
「分かった。俺とてお前達との関係を崩したくはない。傲慢な大国に囲まれ、常に緊張に晒される中、お前達とは議論をしていても心地よくさえあるからな。ならばこういうのはどうだ? 俺の親族と、お前達どちらかの親族で、婚姻を結ぶというのは?」
突然の提案だった。
しかし、一朝一夕で思いつく話ではない。半蔵は本気で桃隠れと手を結ぶつもりなのかもしれない。
「親族と言っても、俺と深く血のつながりがあるのは赤子だけだぞ」
「私もそうだ。千手一族、うずまき一族ならいるが、血が一番近いのはおそらくクシナだな。だがあいつは問題外だ」
だが、トグロも綱手もすぐに結婚させられるような親族はいなかった。そしてそれは、半蔵程の男なら調べられる内容である。トグロの親族を辿るのは困難だが、例外的に半蔵だけは知っている。
半蔵はうなずいた。
「俺の子どもも長男が今10歳だ。だから、お前達の赤ん坊の誰かと結婚する、という曖昧な婚約でいい。が、子供同士の交流を深めるために、木の葉のアカデミーのようなものを作りたいと考えている。場所は雨隠れと桃隠れの国境沿いか、桃隠れよりでいい。そっちの方が安全だろうからな」
半蔵は驚くほどおだやかな口調で言った。実は子煩悩だったのだろうか。
あまり信用するのもよくないが、同盟を強くすることには意味がある。
桃隠れの東は木の葉隠れ。綱手がいるので攻めてくることはほぼない。西は砂隠れ。現在の風影との関係は良好であり、あまり心配せずともいい。南は海。北は雨隠れ。
唯一北の雨隠れだけ、いつ裏切ってくるか分からなかった。ここが磐石になれば、桃隠れの安全はほぼ確立される。
「半蔵殿からそんな言葉が出るのは意外だった。しかしいいと思う」
トグロは綱手の方を見る。
「私も賛成だ。いずれにせよ、戦争を終えないことには取らぬ狸の皮算用だがな」
次に戦争を辞める話に移った。
戦争を始めるのは簡単だが、辞めるのは本当に難しい。戦いが長期化し、恨みつらみが積み重なったらなおさらだ。さらに、今回は領土が深く関わる。向こうは大国としてのプライドがあり、小国に妥協しようとはしないだろう。
だが、ここでトグロの情けない女癖が生きる。
「捕虜にした忍びが、100人近くいる。若く美しい娘が80人近い。こいつらを人質に交渉できないか?」
「何!? いつの間にそんなに!?」
これには半蔵も驚いた。
「初めからだ。俺は基本的に女は殺さないんだ」
「それだけ多いとなると、交渉カードには十分だな。と言っても、返した途端反撃もありえる。それを防ぐためには、確実なのは封印術だな。捕虜の女共に、遠くからいつでも発動できる呪いをかけておく」
「それも仕方の無いことか。だが、将来の禍根を考えると、女を傷つけ過ぎるのもよくない。終戦の条約に、5年か10年か、何事もなければ女の呪いを解くよう明記させてくれ」
「いや待て。それをするなら、5年以内に解除するのは土影に近い人間、10年以内は土影から遠い人間としてくれ。差を作ることで岩隠れの反体制側を煽ることができる」
「なるほどな」
やはり、半蔵もダンゾウと同じのような卑劣戦士だったか。この『なるほどな』にはそういう意味も込められていた。
その後、暁に和解の仲介役を頼み、岩隠れに親書を手渡した。捕虜の取引、領土の取り決め、賠償金の支払いなどが、想定しているものよりやや連合軍よりに書かれていた。どうせ岩隠れも岩隠れよりの内容を要求してくる。細かい部分は話し合いで決着をつけるしかない。
一週間後、岩隠れから返答が来た。
領土を第二次忍界大戦終結時まで戻すこと。賠償金を支払うこと。ミサイルの使用を禁止にすること。捕虜に呪いを仕掛けないこと。土影に失礼を働いた雪一族の娘を引き渡すこと。を、条件に和解に応じるとあった。
桃隠れとしては、最後以外は受け入れられる。が、半蔵にとっては全てダメだった。
戦争が再開する。桃隠れは止めのつもりでミサイルを多投し、さらに勢いよく領土を奪い返していく。
岩隠れは溜まらず土影を復帰させる。その初戦、全身に包帯を巻いた痛々しい姿で、アラレに一対一の再戦を挑んだ。
「娘ェ! お前だけは楽に殺さん! ひっ捕らえてボコボコにしてやるじゃぜ!」
「きゃははははは! うんこのおっさん!」
「なんじゃとおおお!」
しかし、出会い頭にバカにされてしまう。それだけならよかったが、土影は怒りで全身に力を込めてしまい、傷口が開いた。
「ぐおおっ、がほっ」
「お、親父ィ! 無理すんなで!」
血を吐いたオオノキに、息子の黄ツチらが群がろうとする。しかしオオノキは片手で部下を制した。
「小娘1人に土影が助けを呼んだとあっちゃあ、名折れじゃぜ」
オオノキは脂汗をかきながら気丈に笑った。
ところがアラレは、そんなオオノキを前に鼻くそをほじっていた。
「ぐっ、おのれェ! あぐっ」
オオノキはまた怒り、また痛い思いをしてしまう。
落ち着け、わし。冷静に動けば何でもない相手じゃ。
アラレは鼻くそをトグロに飛ばして遊んでいた。その様子を見ながら、オオノキはすーはーと深呼吸をする。
「お、親父い!」
再び黄ツチから声がかかる。
うるさいのお、愚息が。わしがあんな娘に遅れをとるはず無かろう。
オオノキが内心でそう言った時、後ろから娘の声が聞こえた。
「んちゃ!」
「なっ!」
振り向くと、いつの間にか例の氷の鏡がオオノキの後ろにあった。そして娘がすさまじい速度で飛び出してくる。
「きょほほほほ!」
満面の笑みだった。今のオオノキにはただ不気味に映った。
オオノキは知らないが、実は氷遁の鏡を作る術は片手印だった。さらに、アラレは鼻をほじっているように見えて、器用にもほじっている側の手で印を結んでいた。そしてトグロに鼻くそを投げながら術を発動したのである。
とかく、ダメージのあるオオノキでは回避できない。またあの鋼鉄のような頭が? あの時の悪夢が蘇る。
「ぐっ」
しかし、ガードは間に合った。頭突きから身を守るべく、全身を土遁で強化する。寝込んでいる間に練習した術だった。これでダメージなしとはいかないが、一撃でダウンするようなことはない。
が、アラレは頭突きをしなかった。前傾姿勢のまま印を組むような真似をし、その手をオオノキの尻に突っ込んだ。
禁術、卑遁・千年殺し景厳(かげよし)。
「んぎゃああああ!」
オオノキは尻から茶色がかった水を放出しながら吹っ飛んだ。
ただの浣腸ではない。指で尻の穴を刺しながら、水遁で水を注入しつつ排泄を促す。トグロから禁術指定を受けた、アラレオリジナルの卑遁だった。しかしこの戦いでは使用を認められていた。
オオノキは叫んだために、傷口は完全に開いてしまった。その傷と下腹部の強烈な痛みで、オオノキはまた気を失ってしまった。しかも、また部下の前でうんこまみれになって。
「親父ィ。だからまだ早いと……」
「やっぱつええなあ。アラレのやつ」
土影の再びの敗戦。岩隠れの忍びはショックを隠せない。しかも惨め過ぎる負け方だ。
一時戦いが止まった。岩隠れはショックのあまり。桃隠れと雨隠れは終戦を期待して。
黄ツチがハッとして気付いた。
「おい募ツチ! 早く親父を回収しろ!」
「ええーっ。いやだなあ、あんな臭そうなの。うんそうだ。前だってしばらく匂ったんだぜえ。うんこだけにうんそうだ」
「おまっ! 戦場で何を言っているだに!」
ボッチはただふざけているわけではなかった。戦争に嫌気がさしていたので、土影が負けたタイミングで辞めたかった。が、投降を口にすることは憚られて、このような態度で微妙に表したのだ。
2人が言い合っている間に、アラレは気絶したオオノキをトグロに投げつけた。トグロはうんこがかからぬよう木の根っこで受け止め、匂いが漏れぬようグルグル巻きにした。
「岩隠れよ! 此度の戦我々の勝ちだ! おとなしく投降せよ!」
「もういいだろう! 戦いは悲しみしか産み出さない! 対話に応じてくれ!」
トグロと、それに被せるように弥彦が言った。
しばらく両軍動かなかった。実は岩隠れの中でも、戦争をやめたい勢力が多数派だった。
不意に、視線が黄ツチに集まり始めた。両軍からだ。オオノキが倒れた今、指揮を執るのは彼だからだ。
「暁に従おう。我々は一時休戦する」
暁を選んだのは、彼らの方が手温いと思ったからだ。それに、桃隠れに投降したとあっては、後で父に殺されるかもしれなかった。