北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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才能

「隊長。味方が強奪した輜重の三分の一を運び終えたようです」

 

呂布は、ぼんやりと前を見つめていいた。

纏まって逃げた戦闘員千人と、別方向に逃げちった人夫千人。二千人で運び込もうとしていた物資を、四百足らずで運ばねらばならない。

 

単純に人数のみで測れば作業効率は五分の一になるが、実働人数で測れは三分の一。

馬があることも考えれば、僅かに遅れていると言える。

 

「……襲われた?」

 

正確に時間まで計算している呂布の見かけに寄らない明敏さに驚き、副官はその自分を窘めた。

外見が当てにならないのは、人気のない私塾の教師か研究者といった男が補給線を予測と二度の偵察によって看破し終えた時点でわかっている。

 

「いえ、役割の差でしょうと思われます。急がせますか?」

 

「いい」

 

戦闘員が万能なはずもなく、輜重隊には輜重をいかに速く運ぶかのノウハウがあり、戦闘員には巧く戦うためのノウハウがあるのだ。

力だけあっても、コツが足らない。今の四百騎の現状は、それであろう。

 

「焦ると、失敗する。のびのび」

 

「はっ」

 

どこまでも透けて見えそうな蒼い空に、一朶浮かんだ白い雲。それをぼんやりと見つめ、呂布は風に二本の綸子めいた触覚を靡かせていた。

 

(気張りはするが、気負いはしないのか)

 

無駄な力が、抜けている。固定された意志などはなく、柔軟性のみが顔を覗かす。

 

常にぽけーっとしていたから考えもしなかったが、この隊長は以外と色々考えているのかもしれない。

 

李師は常に何かを考えているからぽけーっとする時は本当に何も考えていないが、呂布は動くときは何も考えておらず、その逆なのではないか。

 

自然が荒れ狂うとき、その天災に意思はない。呂布は、それと同じようなものだった。

 

「来た」

 

いつの間に索敵へと思考をシフトさせたのか、呂布は眼前に僅かに見えるか見えないかの粒を見据える。

次第に人の形をとっていくそれは、一刻も経たずに副官の視界にも入った。

 

「どうなされますか」

 

「……?」

 

「迎撃を成されるのならばその準備を、突っ込むのであればその準備をさせます」

 

伝騎や索敵による発見ではないせよ、現在第五部隊は下馬して馬共々伏せっている。

数の少なさもあって発見は困難なはずだし、奇襲も可能な筈だった。

 

「残った輜重をそのまま、下がって迂回」

 

「一人で相手を?」

 

「……ここは、通れて二人」

 

狭隘な通路に騎兵を連れてきたのはその為か、或いは今回の目的を達成するにあたって部下はいらないのか。

 

「足止めして、後ろから。一斉射後の一押しでいい」

 

「了解しました」

 

犠牲を出さない程度の奇襲と、大地を彫刻刀で真っ直ぐ彫ったような狭隘な山道での混乱誘発。

 

「恐れられたら、有利になる。だから、勝つ」

 

「なるほど」

 

決戦兵団とも言えるこの五百騎は、紅い。赤備えと言うべき派手な軍装を、更に血で塗装して勇名とする。

 

全ては、勝利の為。

 

方法は些か以上におかしいが、背後に輜重を見せて犯人を明確に示すのは有効な手だし、狭隘な山道で―――片方は一人だとはいえ―――挟み撃ちされるのは辛い。

 

「敵は二千。恋で一万、百騎で千騎。一万少しこっちが勝ってる」

 

二回の異民族との戦いで勇戦したからこその兵士への訓示を言い放ち、呂布はすぐさま出立させた。

 

「一万は嘘では?」

 

最後に残った副官が己の馬を曳き、呂布に問う。初めての檄にしてはうまいが、それにしても法螺を吹きすぎだと思ったのである。

 

「……ほんとは三万」

 

絶句した副官は、何はともあれ一礼して乗馬した。

一騎当千とは言うし、現にそのような豪傑は史実上数多く居る。

 

だが、三万人を殺せるような武勇を持つ人間など存在するものだろうか。

 

そんな疑念を抱いた副官は、不敬な考えを排して指揮に専念せんと意識を集中させた。

 

「…………」

 

そんな副官の心の動きに頓着することなく、呂布は輜重の中にあった干し肉の匂いを嗅ぐ。

毒があるかないかを確かめるには、彼女の鋭敏な嗅覚か毒味かの二つしかない。そう言われるほどの優れた嗅覚を持つ彼女から見て、この干し肉は安全だった。

 

引っ張り出して食べ、引っ張り出して食べ。挑発代わりの行為がただの食事に変わるまでには一刻もかからず、その間を埋めるようにして敵軍が迫る。

 

「おい小娘」

 

「……?」

 

「お前が輜重隊を全滅させた官軍に居た化け物って奴か?」

 

もっしゃもっしゃと干し肉を頬張っている呂布から、返答はない。

する気がないのかもしれないし、食っている最中には話さないという彼女の意外な―――保護者とは違う―――行儀の良さが反映されていたのかもしれなかった。

 

だが、この二千の軍勢の指揮官たる鄧茂にはそれはただの無礼に見える。黄巾三十万を束ねる三渠帥の下の五大将軍の一人である自分が直々に問い質しているのに、無視というのは何事か。

 

「おい、こいつなんだな!?」

 

「ひ……!」

 

輜重隊の生き残りを引っ張ってこさせ、鄧茂は更に確認を急いた。

神経質な質である彼にとって、不確定なままに仕掛けるのは好ましくないのである。

それが例え好機であろうが、その好機を作った、或いは発生した原因がわからねば動かない。

 

つまり、彼は堅実だが柔軟性に欠けていた。

 

故に、輜重隊の生き残りの怯えに過剰に怒りを覚える。

 

「早く言え」

 

「そう、です……」

 

敵を前にして呑気している呂布を見て、鄧茂は再び頭にきた。

はっきりと容姿が視認できる程度の距離とは言え、二千を前にしてぼんやりの物を食べているのも気に食わないし、それが自分たちのものだということも気に食わない。

 

「奴を殺すなり動けなくするなりして未だ奪われていない輜重を取り戻せ。今直ぐだ!」

 

間合いは百歩。己の軍は黄巾の中でも精鋭の二千。敵の背には鉄弓が、地面には突き刺さった戟がある。

 

「怯めば被害を増やすばかりだということを意識しろ。屍を乗り越えて突き進むのだ!」

 

号令と共に進む黄色の集団を横目で捉え、呂布は食いかけの干し肉を呑み込んで悠々立ち上がった。

左手には、件の鉄弓。矢を滑り止めがわりの包帯を巻いた手で持ち、狙いを定める気もないように番える。

 

「垂直とはな!」

 

上に向けてではなく、空気抵抗など知らぬとばかりに垂直に構えられた弓を見て、鄧茂は嗤う。

所詮は近接戦闘に強いだけの戦闘の素人。数を揃えれば充分に圧し切ることができるだろう、と。

 

確かにそれは正しい。個の武では並ぶ者がない彼女の対処法は、物量を叩き付けて疲弊させるしかなかった。

 

尤もそれには、一般兵四万を草埋めにして一騎当千の武人を五人向かわせる、精鋭二万の命と一騎当千の武人三人を捧げる、一騎当千の将を十人揃えて連携させる、と言うろくでもない選択肢のいずれかを取らねば実行不可能なのであるが。

どちらにせよ彼女の命を絶つには無数の命が失われなければならないし、彼女を屠る刃に滴った血の数万倍を流血で贖わねばならない。

 

彼女が生涯で流すであろう血はごく普通な分量だが、流させる血はその万倍にも上るのである。

 

そして、この無敵の猛将が放った開闢の嚆矢は、五人分の命と流血を要求した。

ただの一矢が先頭に立って進んでいた勇士の腹を甲ごと貫き、後続の兵一人の甲と胸骨を穿って命を奪う。

 

「怯むな、突き進め!」

 

表現するにはあまりにも簡単な異常事態が繰り返され、五人目がどうと倒れ伏した瞬間に叫ばれた檄を打ち消さぬような小さな声で、されどよく通る無感情な声音で呂布はポツリと呟いた。

 

「あと、二十本」

 

 

少なくとも、先頭に立った百人は死ぬ。

明確にそれを告げ、粛々と射殺―――もはや死刑と言っても良いかもしれない―――が実行されていく様を見て、二千を千九百五十人にまで減らした兵たちは背筋に死神の手をつっこまれたかの如くゾッとした。

 

進めば死ぬ。ほんの百歩の間合いを詰めるのに、百人の命と血を欲すこの化け物は、何なのか。

地獄に住む羅卒と言えども、一歩進む代わりに人命を要求したりなどはすまい。

 

しかも、二列縦隊の内の左列五人、右列五人と言ったように機械的に五人の命が失われていく。

四人とか、六人とか。僅かな誤差や失敗があればまだ救いがあった。しかし、化け物は正確無比に命を刈り取る。

 

矢が尽き、弓を捨てた。そうわかった瞬間、死への行進をしていた兵たちの士気がやけくそ気味に上がった。

確定された死より、まだ希望が持てる方がいい。運命が同じところに帰結しようとも、用意された死に突き進めるほど彼等の精神は太くなかったのである。

 

まだ、まだ希望が持てる。そう判断して士気を上げた右列先頭の兵士の頬を、烈風が撫でた。

 

矢では、ない。なら、何なのか。

 

屍体と血で塗装された道を虚しく踏みしめながら彼は進み、頬を撫でた烈風の発生源に疑念を抱いたまま命を絶やす。

 

右列の三人と、彼を含んだ三人はまだ幸せだったのかもしれない。

何せ、確定された死を乗り越えた先に待っていた確定された死を知ることなく死ねたのだから。

 

「あと八本」

 

手に持つは、手戟。持ち運びが容易な『打つ』とか『投げる』為の戟だった。

ただし、彼女の場合は投擲モーションの視認が不可能に近い。速い。ただそれだけである。

後ろを振り返り造反しようとした兵の頸骨が手戟に絶たれ、喉を突き破って二人目へと至り、頸骨と喉の通過順序が逆とは言え更に突き進んで三人目の喉に深々と突き刺さり、止まる。

返っても死ぬ。行っても死ぬ。どこに行こうが死ぬのならばと、黄巾の兵はせめて避けられる可能性のある前を向いた。

 

矢で五百人、手戟で三十人。まだ千四百七十人。

それでもなお、近接戦闘に持ち込めば何とかなるかもしれないという不確定な希望と、もう二度と会わないためにここで仕留めたいという願望が、彼等の死の行軍を支えている。

 

呂布は、特に何の感慨も持たずに地面に突き立った方天画戟を引き抜いた。

 

彼女としては今までの狙撃戦で結構減らしたつもりでは、ある。

しかし、まだ向かってくる敵を見て少し思うところがあった。

 

三万といったが、あれはのべだった。瞬間的な殲滅力では己よりも千人の軍が勝るし、効率的であろう。

 

三万を殺せることと、自分一人で戦力が三万上がることはイコールではないと、彼女はだいたいそんなことを感じていた。

 

「……あとで、謝る」

 

あの副官の言い分は、正しい。呂布一人では三万を殺せるかもしれないが三万の代用品とはならず、精々百とか、五十とかの戦力にしかなく、数学的に見ればさほどでもない。

 

持った方天画戟を斧のように振るい、一先ず四人ほどを物言わぬ屍に変える。

 

(―――恋は、将になった方が役に立てる)

 

個人の武は戦局を変えられるかもしれない。だが、それでも一介の将と同じ権限を与えられたに過ぎなかった。

 

ならば、己も将になる。そして、前線で働く。

 

二重で戦局を変えられれば、二倍くらい役に立てることができると、彼女は考えた。

 

保護者が己の戦才をさほどの物でもないと自然に意識しているのに続くように、呂布も己の武才から離れる。

役に立てることが嬉しいのであって、彼女には武を極めるのはさほど嬉しいとは思えなかった。

 

「後方から圧迫し、山肌を包囲網の一翼とせよ。この戦いが隊長の御手の上にあろうと、我らも役者の一人なのだからな」

 

考え中の呂布にだいたい三百人ほどを撃殺された黄巾賊が怯み、先ほどと状況を逆転させたのを好機として、副官率いる百の騎兵が二連斉射の末に斬り込む。

 

呂布に一歩ずつ進んでいた黄巾が呂布が一歩進む度に一歩ずつ下がり、崩壊しかけてきたところで退路を絶つ。

 

自身が先頭になって勇猛果敢に攻め込むところにも、この副官の有能さが伺えた。

 

「隊長の狙いを崩すな。何人かは逃がしてやれ」

 

右往左往するしかない敵兵を草でも刈るように討ち取っていく味方を諌め、副官は己の隊長に視線をやる。

 

呂布は、一つ頷くだけだった。


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