北の盾たる己が身を 作:黒頭巾
売買
「これはこれは、敵軍十万を僅か四千で打ち破った詭計百出の智謀の師、戦陣に有れば戦う度に兵を増やしてくる魔術を弄す魔術師殿ではありませんかな?」
「そういう貴女は北辺の雄たる公孫幽州様の配下にあっても随一の武勇の士、敵軍二十万に対しても一歩も怯むことなく突撃していった常山の昇り龍、趙子龍殿じゃないか」
出会って早々、悪戯っぽい笑みと温和な笑みによる皮肉の浴びせ合い。
義勇軍の将帥たちにも趙雲という将と相対するのは初対面では無いとはいえ、今までの彼女と今の彼女を同一人物として印象を掴もうとするにはあまりにもあんまりな光景は、最早公孫瓚陣営の諸将たちからすれば見慣れ、聞き慣れたものであった。
射撃、応射、反撃、終結。
現在第二段階にあるから残るは皮肉を一回分応酬させるだけか。
ぽけーっとしている呂布を除いた全ての公孫瓚陣営の諸将がそう予想したのとは裏腹に、趙雲は返しの皮肉を鞘から抜き放たずに留め置く。
彼女も、疲れていた。要はこの皮肉の応酬も相槌や挨拶と同じようなもので『やらねばならない。が、やらなくても困らない』程度のものでしかない。
尤も、彼女は楽しくてやっているところが多分にあるのだが。
「……その皮肉のキレの鈍さ。先輩たる李師殿も、苦労なされたようで」
「後輩たる君も弁説が回っていないところを見ると、苦労したようじゃないか」
そして、彼も趙雲が退いた以上は無用な追撃を仕掛ける気にはなれないし、ならない。
お互い敵と戦うことに疲れていたし、味方の対応にも疲れていたのである。
「……ええ、まあ」
「…………そうかい」
お互いどこかに陰を背負い、そのまま近くの酒屋に直行しようとしたところで、趙雲は陰を落としていつもの己らしさであるノリの良さと腰の軽さを全面に押し出して李師に問うた。
「ところで、その方は?」
「わかりきった質問だろうに」
「それはそうです。ですが、わかりきった質問をわざわざするのもまた、人生の楽しみというものでしょう」
「義勇軍。君の好きな理想を形にしようとする、私とは違った視野の広さを持つ―――まあ、英雄の卵だよ」
度合いは?
半熟……いや、未熟かな。
クソ真面目に失礼なことを話しつつ、趙雲は己の元気パラメータとも言うべき舌の回りっぷりが徐々に回復しつつあるのを感じている。
どうにもこの世には馬の合う人種という者と合わない人種という者が居て、己は馬の合う人種しか好かれないし好くことのできない質らしいということを、趙雲はこの時既に気づいていた。
「なるほど、やはり私の抱いた印象は正しく、風化に風化を重ねて原型すらない李師殿とは根っこから違うというわけですか」
「後輩。奢ってやらないぞ」
無論本気ではない笑いを浮かべながらの軽い脅しに、趙雲は著しく恐懼した体で拝むような真似をする。
半笑いとも言うべきその口調は、常に違わず余裕綽々とでも言うべきものだった。
「おお、怖や怖や。『震ただ恐懼して落涙止まらざるあるのみ』とは、この先輩たる李師殿の暴挙に震え慄く私にこそ相応しい言葉でありましょう」
「君には相応しい言葉はたった四文字さ」
軽く肩を竦めながら間髪入れずに次なる一射を用意している辺りに、彼の頭がただたんに戦闘に特化された脳筋思考ではないことが伺える。
もっとも、彼の主君である公孫瓚が聴けばこんな皮肉を考えるような頭はいらないから、もう少しマシな勤労意欲を寄越せと言うだろうが。
「ほう、如何に?」
「『自作自演』。これだろうね」
「それはそれは殺生な。話は戻りますが、財力暴力を傘にきた先輩による言論統制は暴君圧政への道、ではありませんかな?」
「偶には私にツケるだけではなく、自分で払えということだよ。趙子龍」
立て板に水とも言うべきさらさらとした皮肉の効いた台詞の応酬を繰り返す公孫瓚陣営の双璧と言うべき、猛将と智将のコンビを遠巻きに見て、他の将たちは肩を竦めた。
片方は常よりも更に激しい小悪魔的な笑みを、もう片方も常と変わらぬ温和な笑みを浮かべている。
互いが嫌いあっていない以上は無理矢理止めさせるわけにもいかないし、その方法もなかった。
「見目麗しく、淑やかな女性の懐に負担をかけさせないのも男の甲斐性というものでしょう」
「見目麗しいのは、認める。しかし淑やかな女性というものは己の性別と容姿による優越を理解していても口には出さないものだと、思うんだけどね」
借款という事実を突きつけてくる智将に対して、突きつけてきた本人が絶対にできないであろう容姿の誇りを以って躱す。
李師はこれに対し、躱した先に常識と節度と言う、到底に似合わないような罠を仕掛けて牽制した。
「これはこれは、李師殿は腹が黒い女性が好みと仰られるか。これは私も、必死に炭でも飲んで腹を黒くせねばなりませんなぁ」
「白々しいとはこのこと、だろうね」
巧みな話題の切り替えと、台詞に漂う感情的陰翳の彫りの深さ。
その二点に感嘆と呆れを表しながら、李師は帽子に手をやりつつ降参の意を示す。
これ以上なお続ける為の論陣は張れるが、張っても周りがハラハラするだけということを彼は知っていたし、退き時の大切さを彼ほど知り抜いている男も珍しかった。
「残念ながら、小官にはその言葉が誰を指しているのかは理解いたしかねます」
「よく言うよ、本当に」
頭に乗せていた帽子を左手に移した李師は、それをひらひらと風にはためかせて終戦の合図とする。
その女性らしい艶美さと柔らかさを損なわず、なお且つ賢さと眼端の利くシャープさを端的に表すような顎で行き先を軽く示した。
どうやら、良い酒屋は既に目星を付けているらしい。
「手が早いものだ」
「名店を知らぬは人生の損、知ってて行かぬは更に損と申します」
李師が歩き始めた途端に慇懃無礼に深々と頭を下げる。
手だけはしっかりと行き先を示しているあたり、この趙雲という将のしたたかさも生半なものではなかった。
「……まあいいさ。行こう」
「流石は名将、決断に富んでおられる」
「口の減らないものだなぁ、君も」
「これはこれは……」
口調や態度からして思いっ切り慇懃無礼の生きた見本のくせして、こういう時には弁えて一歩半下がりながら追従する抜け目のなさ。
立ち回りがうまい人間はどこに行こうが居るものだと、李師は頭を掻きながら独りごちた。
無論、右斜め後ろの定位置には変わらず呂布がふらりと着いてきている。
「では、我らが暫定主・公孫伯圭殿の幽州牧就任を祝って」
「これから世がろくでもない戦いの渦に巻き込まれないことを祈って」
そうして乾杯した二人と虚空を見つめる一人の愛武器である内の戟と槍の内の槍の方―――龍牙は酒屋の壁に立て掛けられていた。
趙雲はそのままいつでも愛槍龍牙を手に取れるように壁際に、一番入り口に近いところに腰に剣を佩いただけの呂布とが李師を挟むようにして座っていた。
ちなみに両手に花というべき状態にある彼は、『持っていても抜く前に死ぬから』と帯剣すらしていない。
所謂この両手に花というべき状態は、闇討ちや不慮の事故対策である。
「あぁ、戦の後のメンマと酒は最高、というべきでしょうな」
「……奇特なものが好きだね、常山の昇り龍殿も」
「メンマの良さがわからぬ人間は人生の八割を損していると断言できますぞ、私は」
初手からメンマと酒で我が世の春を謳歌している趙雲。
舶来の茶葉の重さを目算と勘でちまちまと量り、容器と水を熱したものをコツコツと用意している呂布。
呂布が茶を淹れ終わるまで手持ちに水しかない李師。
一応共に飲みに来ているにもかかわらずまるで統一性のないあたり、公孫瓚陣営の主力メンバーのフリーダムさが伺えた。
「……できた」
僅かというには長く、長いと言うには短すぎる時間で差し出された茶の匂いを嗅ぎつつ少しずつ李師が口にし始め、一刻(二十分)後。
先程まで心底うまそうに飲んでいた李師が差し出した空の杯に、肉を食べ終わった呂布が二杯目を注ぐ。
三人がそこそこ満足し始めたあたりで、本題の口火は切って落とされた。
「……でだ。この飲みの誘いには、何らかの裏があると私は思っているんだが」
「ご明察」
黄巾の乱は全く、収まらない。しかし、州を跨いだ組織的抵抗は基本的に収まったことに気を良くした漢帝国は軍事費の拡大を嫌って西園八校尉を中核とした連合軍の解散を宣言。各州の牧の権限を拡大することによって各勢力の征討行為に任せたのである。
更には、この命を下した劉宏―――諡号は霊―――が直後に崩御。彼女の子の劉弁を支持する 何皇后と、劉協を支持する董太后との間で後継争いが起こった。
人民が蜂起し、内乱が起こっている時に民を哀れまず、また対策をとらず、己の利益を図る為に骨肉相食む争いを国費を投じて味方を作り、諸侯を招いて盛大に火花を散らせ始めたのである。
この諸侯を招こうとする劉弁派の首魁である虎賁中郎将袁紹の動きに危機を感じた劉協派の宦官の蹇碩は、何進を暗殺しようと図ったが失敗し、結局劉弁が今上帝として霊帝の跡を継いで即位した。
劉協派を粛清し外戚として権力を握った何進は、更に十常侍ら宦官勢力の一掃を袁紹と図る。
しかし、何進の権力の源である何皇は宦官から賄賂を受けていたのでこれを許可せず、宦官側もしきりに何進に許しを乞うた為、計画は進展しなかった。
だが宦官を許した何進は逆に宦官に暗殺されたという。
誰が蠢動したかはわからないが、李師は袁紹が計ったのだと思っていた。本来ここで一番得するのは袁紹の筈だったからである。
袁紹は計画通りに宮中に兵を進め、宦官を老若の区別なく皆殺しにし、帝をその手に収めようとしたの、だが。
十常侍が帝とその妹・劉協を宮中よりさらって逃げ、それが何故か董卓に保護されたのだ。
「……伯圭殿は『勝手にやっていてくれ。私には権力を得るよりも民の不安の種を除く方が重要だ』と言い残して早々に幽州に帰られましたからあまり被害はありませんでしたが、他の諸侯はぽっとでの田舎者に名をなさしめる為に工作金と兵とを浪費したわけですからな」
「舶来の交易船に買い付けに行くと、茶葉を買うつもりでいる鵜の目鷹の目の客が茶葉をねらって入ってくる。ところがそういう者は買えないで、ふらりと入ってきた者が茶葉を買ってしまう。これが世の中の運不運というものさ。まあ、今回はどちらが真に不運だったのかはわからないが……」
「欲がない器は広いからこそ、狙われている物は入りやすいのでしょうな」
何故例えが茶葉なのかはわからないが、あり得ることなのは確かである。現に都ではそれが起きた。
洛陽という店が客を呼び込み、呼び込んだ客たちに対して帝という品物を売りに出すと言う。
興味本位で押しかけていた客候補はそれを得る為の買い手となり、公孫瓚という誰もが羨む品に興味をいだかなかった客候補は自宅に帰った。
周りの買い手は馬鹿な奴だと思いつつ競りを続け、遂には乱闘になり、結果董卓という誰よりも遅れてやってきた無欲な客候補が品物を偶然手に入れてしまったわけである。
「……手に入れた物は、民を苦しめることしか脳のない、屋台骨が腐っている疫病神だったわけだ」
別に漢などどうでもいい呂布が頷き、そこまで無頓着ではない趙雲がぎょっと驚く。
まだまだ、夜になるには早かった。