北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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臣従

「……まあ、その屋台骨の腐っている疫病神でも利用価値はあるのではありませんかな?」

 

「腐臭のする神輿を担いでまでの価値があるとは思えない。まあ、これは私がこの国を嫌っているからということもあるだろうが……」

 

彼は本来、自己のコミュニティーで完結してしまうタイプの非社交的な人間である。

関われば厄介だなと思う人間と積極的に関わろうとは思わないし、嫌っている存在や自分を嫌っている存在をアクティブに動いて理解しようとも思えない。

 

謂わば彼は元来の性格とは別に、その日常生活の暮らし方によって内向的な気質が備わっていしまったのだ。

 

第二の天性と言えば、わかりやすいかもしれない。ようは、努力で本来の性格とは別な性格が塗り加えられたのである。

 

「なるほど、あなたは漢がお嫌いで?」

 

「嫌いではなく、意義がない」

 

舶来の茶葉を使って淹れた、透き通るように赤い色をした液体を少し口に含み、李師は少し考えた。

 

どう言ったら伝わるか。

彼がこう考えるのは、理解してくれる親しい友人と話す時くらいである。

 

「……つまり、国家と言うのは人が営む為の方便の一つだと、私は思っている」

 

「方便」

 

「そう。元来人は一人で生き、それが繁殖の為に家族と言う小集団を形成し、その家族と言う小集団が利便の為に集まって邑となった。邑は何故国となったかと言えば、それは自衛の為だろう」

 

儒教的な思想と国家に対する自然な敬服を備えていた趙雲には新鮮な論理であった。

というよりも、このような論理は口にするだけで不敬罪であり、私塾などではまず学べない。教えていることがわかれば二度と口が利けないようになるか、二度とこの世の土を踏めないようになるかの二者択一である。

 

彼女は勿論今まで信じてきた物を否定されたような思いはあったが、個人的に『面白い』と思っている人間と関わるときは気が長くなることも手伝ってこれを自然に抑えられていた。

 

「自衛の為に税を払う。官吏は払われた税で国の福利厚生を充実させ、軍を組織して国民を外敵から守る。この関係が本来あるべき姿な訳だと、私は思うんだ」

 

「つまり福祉どころか軍が外敵から国民を守れていないこの国は、国としてあるべきではないと?」

 

「うん。そういうことになるね」

 

馬鹿が内地で権力闘争の為に馬鹿やっているときに異民族を必死に防いでいるのは北端・南端の州牧であり、権力闘争の為に着服・使用される金は本来それらの州牧の為に使われるべき援助金だと言える。

 

それを宦官が何だ、董卓が何だ、袁紹が何だという面子の張り合いに使われては戦いが立ち行かなかった。

 

涼州では都に召し出され、相国となった董卓の代わりに任命された涼州牧が討たれ、再び大反乱。

 

司隷郡は諸侯の爪弾きにされ、悪政を敷いているらしい董卓。

 

并州牧袁紹は元領地である渤海郡に侵攻してきた黄巾賊の頬を金で引っ叩いて己の上司である韓馥の鄴に攻め込ませ、彼女を討たせた上で占領された鄴に侵攻。黄巾賊を降して并州・冀州を実質的に手中に収めている。

 

曹操は兗州で基盤を固めた後に地元の名士である陳宮の紹介や潁川名士の荀彧らの伝手で人材を集め、青州に逃げていた黄巾賊の精鋭を旗下に容れていた。

 

孫家を擁す淮南袁家―――袁術は豫州牧となり、それを足掛かりに揚州の劉繇を孫家を以って圧迫。

 

蜀に左遷された劉焉は漢中の民間宗教の教祖である張魯を取り込んで独立の風を見せ始める。

 

荊州の劉表は逃げてきた文化人の保護と豪族の粛清に努め、中央集権的な独立体制を確立。

 

徐州の陶謙は黄巾賊を手名づけて敵対勢力の領土へ物資の略奪に向かわせるという世紀末ぶり。

 

一番ヤバイそうな戦闘民族に囲まれた幽州が一番世紀末でないという恐ろしい状況が、中華で現出していた。

 

「こういうような国内情勢じゃあ、国としてあるのかすら微妙な線だが……」

 

「まあ、あるとすればよいでしょう。ことあるごとに何かの名分に使われるのは間違いないのですから」

 

「違いない」

 

并州・冀州という中原への出入り口をガッチリ固められ、『いつでも経済封鎖できますよ?』とにこやかに手を差し伸べられている幽州には、人材も来ない。黄巾の乱時に逃げてきた劉馥・杜畿・韓浩で打ち止めであろう。

 

「義勇軍も近々荊州に行くらしい」

 

「まあ、伸び代がありませんからな」

 

「それもある。が、劉玄徳殿はどうも、一地域の平和で満足してはくれないらしいんだ」

 

その為に、統一できそうな大勢力に力を貸す。恐らくは、そんなところだった。

 

「ほぉ……気宇の壮大なお方だ」

 

「君も好きだろう、そういう人物の方が」

 

「はて、これは異なことを」

 

「誤魔化さないでもいいさ。君は公孫伯圭に君主としての魅力を感じていない。そうだろう?」

 

一瞬笑いの消えた彼女は、軽い溜め息と共に再び笑顔を取り戻し、酒の杯を軽く呷って目の前の卓へ置く。

 

「……お気づきでしたか」

 

「まあ、彼女は英雄豪傑から見たら魅力ある君主とは言い難いところがある。特に君のような―――伊達と酔狂を行動原理に据えそうな人種からすれば、そうだろう?」

 

「そうですな。しかし私は、あなたに興味がある」

 

姿勢を正し、趙雲はいつになく語気に丁寧な物を見せながら口を開いた。

 

「あの張純が起こした乱で幽州の不穏分子は一掃され、異民族の中に居た非共存派と表面化された上に一掃されました。これは、仕組んでいたことでしょう?」

 

「それは正しい。が、私は叛乱と言うどうしようもなく損害しかない事態に、可能な限りこれからの乱の種たちに便乗してもらっただけさ」

 

騒乱の種を纏めて掘り起こし、一気に殺してしまう。

口で言えば簡単であるが、彼は平和を長引かせる為に数多の乱の種を発芽する前に炙り出し、その悉く葬ったのだ。

 

「残酷な方だ。いや、本質的にはそうでないかもしれませんが、やるときは残酷なまでにそれを徹底する人間。私はそう思っていますが、どうですか?」

 

「そう。私は残酷で卑劣な人間さ」

 

舶来の茶を飲みつつ、李師は趙雲を直視していた目を逸らす。

炙り出し、殺すことで異民族との戦いは、こちらからが仕掛けない限りは向こう二十年はなくなった。内乱も、最早幽州で起こることはない。

 

その二十年の平和の為に、それを阻害するもの悉くが土へと還ったのである。

 

「いや、別に責めているわけではないのです。自覚があるならば結構」

 

「自覚してなきゃこんなことやってられやしないよ、後輩」

 

趙雲は、このことに憤りも何も覚えなかった。純粋に、不予の事態を己が引き起こしたが如き鮮やかさで処理してみせた彼の手腕に興味を感じたのである。

 

「それに、先程の思想。あなたは民を主に、王を従にという考えを持っておられる。これは中々に斬新だと言えるのではないですかな?」

 

「斬新であっても実を伴わないものほど質の悪いものもない。

―――で、本音は?」

 

べらべらと前置きを話している彼女に付き合うのもいいが、たまには腹を割って話すのも良い。

そう考えた彼は、いつになく率直な言い方で真意を問うた。

 

「うむ。私は世にも珍妙な性格をしたあなたがどう進むかとの末を特等席で見届けたくなりましてな」

 

特等席でというところが、如何にも彼女らしい。一般と同じ線にあるを良しとせず、野次馬根性を多量に含むが野次馬で終わらない気概を持つ。

 

己の人生をかけるに足る道楽を探しているような享楽的なところが、彼女にはあった。

 

「私はあまり、今居る英雄たちと関わる気はないんだけどね」

 

「そんなことはわかっています。現にあなたは、あの黄巾討伐の最終戦でもどの群雄とも顔繋ぎをせず、義勇軍とも積極的に関わろうとはしない。曹孟徳殿からの祝賀会の誘いも公孫仲圭殿を立てて断った。

公孫仲圭殿はあなたが己を尊重し、立ててくれていることを謙虚だとか思っておられるが、あなたのはただのものぐさですな」

主に彼が指揮をとった左翼の戦いで発生した敵左翼の崩壊が全軍の崩壊を招いたということもあり、戦の事後処理の最中、曹操は勝利をもたらした功労者を探し始めていたのてある。

 

公孫越、董卓ら様々な名が上がったものの、結局彼女はその優れた臣下たちに探らせて公孫越陣営が主導権を握っていたことを突き止めた。

 

彼の他の姉妹が軒並み曹操に仕えていたこともあり、彼の姉が『ああ、あの不肖の弟なら公孫伯圭に仕えているらしいですよ』と言ったことで完璧に狙いを定められたのである。

少勢力の一指揮官が全体の戦況をひっくり返したという異常事態に対し、彼女は一応という形で隣にいた天の御遣いに尋ね、『有り得る』と返答をもらった瞬間にその名分で彼を私的な宴会に招こうとした。

 

雄大で覇気のある、激烈な意志が見て取れるような文字で書かれたそれを見て、彼は頭を抱える。

 

「尊重しているところもあるさ。私は公孫家の古参の臣から疎まれているらしいと、耳に囁いたのは君じゃないか」

 

「それもそうですが、本音はただ面倒くさかっただけでしょう?」

 

その後、彼は黴と埃で朽ちかけていた『文』とか言うものに対する技能を引っ張り出し、『私は公孫伯圭様の一家臣に過ぎません。才覚は比するも愚かしいことですし、我が主君はそこまで狭量ではありませんが、范雎と同じ轍は踏みたくありません。そも、主君が赴かぬ場所に勝手に赴くのは不敬云々』というもっともらしい言い訳を並び立てて、逃げた。

 

曹操はそれを見て、『能力や戦功に対して十全に報いられていないのに、忠義に篤い。見事な将ではないか』と感心することになったが、そんなことは彼も予想していない。

 

そして、これだけの戦功を立てても私兵と給料が増加された程度で一向に役職の昇進することのない彼を少し哀れみ、且つ上の見る目のなさを憎んで引き抜こうとしていることも、知ってなどいない。

 

『此方が礼を失していました。再び軍陣にて合間見える時まで壮健なれ』と書かれていた返事を読み、よかったよかったと胸を撫で下ろしただけである。

 

「まあ、それもある。面倒くさいというより、緊張するからだけどね」

 

曹操が買い被っているだけで、所詮はこんなものだった。

 

「とにかく、あなたの好む好まざるはどうでもよろしい。あなたに能力がある以上、あなたは負けないし死にはしない。己の為にわざと負けて自軍を死なせることができるほど、冷酷でもない」

 

「残念ながら、その通りだ」

 

「つまりあなたは、巻き込まれるべくして巻き込まれている。おわかりですかな?」

 

「わかりたくないね」

 

「そこでですが」

 

返事など無視して、趙雲は机を白い掌で思いっきり叩く。

芝居がかっているのはいつものことだが、どうやらここはひときわ演技が重要なところらしかった。

 

「小官が味方に居るのと、敵に居るのでは随分と勝率が変わってくるのでは、ありませんかな?」

 

「君は勇猛で冷静沈着な指揮官だ。しかも武勇にも優れている。戦場につくまでは兵站が、戦場についてからは指揮官の質が勝負を分けることを考えれば、君のような指揮官は得難いだろう」

 

「そうです。小官が居れば、あなたは幾分か怠けていられると思いますが?」

 

互いに暫し見つめあった後にため息をつき、片方は舶来の茶を、片方は酒が満たされた杯を掲げる。

 

「私の目標は知っているかい?」

 

「無論」

 

片目を瞑ってウインクを送り、趙雲は茶目っ気のある微笑みを浮かべた。

 

それも、一瞬。

すぐに真面目な顔に戻り、彼女の顔は真面目なものへと移り変わる。

 

「永久ならざる平和の為に」

 

「永久ならざる平和の為に」

 

カチリと、二つの杯が音を鳴らした。


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