北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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規定

「伯圭。人材は集めないのかい?」

 

「……何だ、いきなり」

 

相変わらず斜め右後ろに綸子を生やした被保護者を連れながら、李師―――本名不詳―――は字を呼び捨てにしながら問うた。

 

と言うか、この時点で既に主に対する態度ではない。彼は二年間の間変化のない無役の相談役。眼の前の伯圭はかなり出世して郡太守。

天と地ほどとは言えないが、その身分には梢と地ほどの差がある。

 

血筋からすれば、李師が天で伯圭が地だが。

 

「私は郡太守だぞ?」

 

その一言には、彼女の野心の無さと己に対する自信の無さが滲み出ていた。

彼女の中に非凡な物はあるが、どうにも己を過小に自己規定するきらいがある。

 

それが、何事も卒なくこなせる彼女の才幹を『全てにおいて一流半』と言うものに縮こめてしまっていた。

 

(産まれの差と言うものかな)

 

厭しい、厭しいと言われれば、誰しもが良い思いは抱かない。そう言われれば、反骨精神旺盛であったり、自信のあるものは反発するであろう。

だが、彼女は従順で善良だった。悪く言えば卑屈だった。

 

それがこの強固で矮小な自己規定に繋がっているのならば、それは彼女の父母の教育が問題であろう。

 

「しかし、だ。小役人を募集するときに小役人の適性しか持ち合わさない者しか採用しなければ、いずれ困るのは君だと思うんだが」

 

「大人物というのはそこらに転がっているものではないし、何よりも役人にその人材を宛てがっても才気を持て余すだけだろう」

 

「大は小を兼ねると言う。例を挙げるならば、かの漢の三傑たる韓信は知事になり、穀物役人になっても過不足なくこなした。彼女は間違いなく大将軍の器があった。だろう?」

 

韓信と言う、謂わば教養が豊かではないものでも知っている広義な例を挙げた。

彼はここで、反応を見たと言っても良い。

 

『それは韓信だからだ』と返したら、自己規定は難攻不落だろう。しかし、渋れば僅かに期待がある。

 

彼女の、自身に対する期待が。

 

「それはそうだがな……」

 

「君は郡太守では終わらない。今は一流半でしかないが、精励を積めば一流になれるだろう」

 

ピクリと、伯圭の眉が動いた。

褒められることに慣れていない。そんな反応であり、脆い感情が僅かに透けて見える。

 

押せば崩れるが、崩す気などは毛頭ない。

 

「人材とは、名士のことだろう」

 

「名士を受け入れろとは、言わない。君の生い立ちからしてそれは難しいだろうからね。

が、利用くらいしてみたらどうだい?」

 

伯圭は、名士嫌いだった。

と言うより、偉ぶった名士が嫌いだった。

 

能力のない名士は、偉ぶらない。偉ぶることができないと言い換えてもいい。

名を売ることのできていない状態で偉ぶることは、自分の将来を潰すことになる。

 

『有名ならば威厳、無名ならば傲慢』。そして、伯圭にとっては劣等感補正が掛かって全てが偉そうに見えていた。

 

当然、優秀さとプライドの高さは比例する。プライドばかり高いのも居るが、そう言った類は親が徹底的に叩き直すので極小数でしかない。

 

偉そうな癖に無能という評価は、基本的に『一というより優秀でプライドの高い対象』がないと成り立たないのである。

 

「お前は偉ぶらないよな」

 

「肩肘張るのも、案外と疲れるものだよ」

 

基本的には名士にあるまじき低姿勢である彼は、基本的には舐められない。それは偏に彼が有名だからであり、祖母がそれに輪を掛けて有名だからだった。

 

「それに、私の名声の九割五分が祖母からの一言で構成されているからね。威張れもしないと言い換えても良い」

 

「名士の件は、考えておく。私も彼女等が嫌いな訳じゃないからな」

 

拗らせかけていた割りには、やはり素直なところがある。

そう思いながら、李師は一礼して静かに場を辞去した。

 

「お節介?」

 

「うん。自覚はある」

 

これから、世は乱れる。そこを生き抜くには彼女は優し過ぎるし、甘すぎるのだ。

人材も、少ないに過ぎる。

 

「郡太守と言えば、かなり良い地位だ。彼女はもっと効率的に人材を集められる筈だし、ここで集めておけば後々困らない筈なんだが……」

 

「嬰も、優しい」

 

「なるべく平和に怠けていたいからね」

 

出来うる限り働きたくない彼からすれば、主体となる人材が自分しかいないこの現状をどうにかしたかった。

今、彼女の下には末端となる人材しか居ない。それで良いというのならばそれでも良いが、この戦乱が間近な国で郡太守を務めている以上、巻き込まれることは免れないだろう。

 

「私は言った。後をどうするかは彼女次第だし、彼女がどうするかまでに口を挟む気はない」

 

「なんで?」

 

「私は本を読んでいればそれでいい。だが、働かなければ食っていけない。だからここに来た。来た以上、食わせてもらっている以上は助言はするが、それだけでしかないんだよ」

 

つまり、やることはやるが超過勤務はしない、ということだった。

人材が必要なのではないかと言う予測を汲んで提言したのも、偏に『楽をしたいから』である。

 

このままでは近々、また自分は戦場に立つことになってしまうし、幽州は散々に荒らされることになってしまうのだ。

 

「……やる気、ない?」

 

「生命を維持する程度にはあるさ」

 

つまり積極性はないということを暴露しつつ、李師は早々にその場を辞す。

後世、『野心と積極性に大いに欠ける』と言われただけあって、彼の挙措には浮世離れしたような感があった。

 

「そうだ。君の武器を買いにいこう」

 

唐突に、李師は掌に拳を打ちつけながら閃く。

どうにも、彼は今の今まで忘れていたらしい。

 

「…………あ」

 

言われた本人も忘れているから、どこからもツッコミが入らなかったのが主な原因なのかもしれなかった。

元々一日を庭に舞う蝶をぽけーと見ながら過ごせる恋と、わざわざ加工した椅子に揺られながら史記を読んで一日が終わる李師。

 

狩りをしなければならなかった山での生活とは裏腹に、彼等の生活には武器というものが縁遠かったのである。

 

鮮卑が来て、その結果として伯圭が郡太守となる十日前までは。

 

鮮卑が来て、伯圭が馬に、李師が揺り椅子に車輪をつけた手押し車に乗って郡境まで出征。

五千と五百の睨み合いの末、負けたのは五千の方だった。

 

「……嬰は、何したの?」

 

「あの鮮卑の頭目は、元々競争相手でしかなかったからね。離間の計を使って相討たせたのさ」

 

彼がやったことと言えば、噂をばら撒いて仲違いさせ、程よいところで退いて内乱を誘発。互いが疲れ切ったところに五百の兵で奇襲を仕掛けたに過ぎない。

 

恋は人差し指と中指で器用に矢を掴んだり、剣で弾いたりしていただけだが、それでも彼女の武威は幽州のその道の心得がある者の中で著名なものとなっている。

 

「敵を嵌めたいなら敵が望むように動いてやればいいし、敵を思うように動かしたいならそう動くようにしてやればいい。何故か皆、そうはしないようだが……私はそこらへんに躊躇が無いんだ」

 

愛しい揺り椅子が破損したことを思い出しつつ、李師は軍御用達の武器屋に向けて足を向けた。

区画整理はまだ済んでいないし、やるかどうかすらも危ういが、ともあれ郡の要職についている人間や御用達の店は政務府の周りに集中している。

 

故に、帰宅途中でも少し足の運ぶ方向を変えればすぐに武器屋に向かうことができた。

 

「何が欲しい?」

 

「……壊れないの」

 

武の天稟を持っていない李師には皆目わからないが、彼女は天才という部類に入る傑物らしい。

 

彼は、彼女にそんな才能などを期待していない。ただ善く育ち、善く学び、然るべきところに嫁いでくれれば何も言うことがないと思っていたのである。

 

彼は彼女に文字を教えた。家事も教えたし、料理の秘伝も教えた。

軽い護身術が記された竹簡もあげたが、それは本当に『無防備で危ないから』という老婆心からだった。

 

文字も料理も吸収が早かったが、所詮は努力で到達できる一流にしかなっていない。なら、武術もそんなものだろう。

 

その見通しの甘さは失望でも何でもない。この世で平和に生きていくには名声も能力も要らない。ただ、そこそこ全てできれば良いのだ。

無表情ながら誰よりも優しい彼女には戦場に立たせなくないと思っていたから、無意識的にそう規定したのかも知れない。

 

が、その見通しの甘さを裏切って彼女は恐ろしく強くなった。

 

武術を学んで二日で、玩具のような骨剣で城下の武芸大会を勝ち抜いてしまう。

 

踏み込む。

左で殴る。

右で斬る。

 

初期の型であるこの三動作をひたすら繰り返し、恋はひたすら勝ち進んだ。

 

その大会の中には、引退した羽林―――皇帝のエリート親衛隊―――も居たし、幽州の元武術師範もいた。

 

それを尽く一太刀一拳で気絶させ、彼女は賞金だけとって帰ってきたのである。

 

同じことを繰り返しているだけなのに勝てないというのは、名将の用兵に見られる現象だった。

彼女の武技は、最初期からそれほどのものだったのだろう。

 

「壊れないの、か」

 

「うん」

 

戦場だろうがどこだろうがとことこと着いてくる彼女を引き離すのは、もう不可能。不和のある敵に離間はかけられても、人を疑うことを知らない恋には離間は無意味でしかないのだ。

 

ならばもう諦め、死なないようにしてやることだけが彼の出来ることだった。

 

「店主、壊れない武器はないか?」

 

「武器屋が言うことではありませんが、形ある物は皆等しく壊れるものですので……」

 

非常にご尤もな説に大きく頷き、少し困り顔の店主に頭を下げる。

我ながら頭の悪い質問だと、彼は言った端から理解していた。

 

「ですが、壊れにくい物ならばあります。しかし―――」

 

「しかし?」

 

「どうにも、その……重いのです。隕鉄を使っているので、強度は心配要りませんが、持ち上げられないと言う難点がありまして」

 

店主は、たははと言うような虚しい笑い声を上げる。

数十年に一度降るか降らぬかの隕鉄を買い、己の全てを懸けて打った武器が誰も持てないとは、ご愁傷様としか言えなかった。

 

「だが、打ち終えたあとはどうしたんだ?」

 

「店の者八人がかりで運び、そこに」

 

指さされた先にある戟は、床に自重で以って凹ませ、めり込ませながら突き立っている。

通常の戟よりも構成部品が多いことが却って更にその重量を増やしていることが容易にわかった。

 

「これは、新しい武器だな」

 

「私は、方天画戟と言っております。穂先での突き・斬り、月牙での薙ぎ・払い・打ちの全てが出来る万能武器であり、この月牙で巧く受ければ敵の攻撃の衝撃を逃し、攻防一体の設計になって……おりました」

 

過去形なのは誰も持てないからか、或いは持てても機敏に使い分けられないからか。

机上の空論と言う言葉が脳裏を過った李師の服の裾を、じーっと方天画戟を見ていた恋が引いた。

 

「持って、いい?」

 

「持てるのかい?」

 

「……、……うん」

 

「無理はしない方がいいと思うんだが」

 

「できる」

 

一つ首を傾げ、その後に頷く。

熊を引き摺ってこられるあたりに彼女の怪力を感じていたが、流石にこの化け物戟はどうかと聞かれれば、即答できない。

 

何せ、ただ床にめり込んで立っているだけでも威圧感が凄まじいのだ。熊も勿論威圧感があるが、この戟は他と隔絶している。

 

手を潰したら目も当てられない重傷になるだろうし、他の武器を使っても充分強い。

方天画戟を触っている彼女にそのことを言おうとした瞬間、方天画戟が床から抜けた。

 

「……いい」

 

片手で軽々持ち上げ、外に出て風車の如く振り回した挙句に、恋は再び小首を傾げて不思議がる。

周りから向けられた奇異の視線に気づいたのか、店主から向けられた畏怖の視線に気づいたのかは、解らない。

 

「嬰、買って?」

 

しかし、彼女がとった行動は『おねだり』であり、それでしかなかった。


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