北の盾たる己が身を 作:黒頭巾
「まあ、誰の目にも明らかだからこそ良い手であり、読み切れる手な訳だ」
186年2月初旬。
軍議の席上で提言すべき主将を張遼に迎え、華雄から伝わっていた黄巾の乱における功績で作戦を一任された李師は発言した。
「……無難な手、ということですか?」
「そうだね、華雄」
未だに華雄は敬語を使う癖が抜けず、その敬語を使う華雄という異常事態に慣れない張遼が円卓の中心からギョッとした目を華雄にやる。
面白い。趙雲と類似の思考回路を持った彼女の抱く思いは、八割がたがそれだった。
「本来籠城戦とは援軍の宛が……外部から援軍が来て、包囲軍を蹴散らせる状態になるまで引き篭もりつづけるというのが常識な訳だが、我らに援軍は無い」
「せやろな」
袁紹・袁術は言うまでもなく、曹操は不動、劉表は二股、劉焉は漁夫狙い。馬騰は参加。
騎兵だけで城攻めは無理だが、俊足を活かして各城同士の連絡線をズタズタに切り裂き、兵力の集中を妨げている。
董卓軍は総動員すれば八万。劉焉対策に二万、馬騰の所為で一万が遊兵と化し、肝心の汜水関には三万、虎牢関に一万、都に一万。
連合軍は袁紹軍が四万から五万。袁術軍が四万くらい。劉表から一万、他五万の十五万ほど。
わかりやすく詰んでいるというのが、董卓軍の現実だった。
「だから、少しずつでもいいから削る。機動力を活かした、野戦でね」
「……でも、間違って袁紹とかと出会してもうたらどうするん?」
「位置は掴んでいる。田都尉には道が頭に入っている。袁紹の行軍速度と、最低でも四万もの大軍を通せるだけの道の少なさを計算すれば、まず出会すことはないさ」
四万もの大軍を通せるだけの、道。つまり殆どがそれ用に整備されたものを通ってしか袁紹は汜水関に到達することが難しいということである。
「発言しても宜しいでしょうか」
「どうぞ」
品の良い女史と言うべき風格と気品のある白髪の女性は、田国譲。田都尉と呼ばれた李師の副官と言う任を果たす女性だった。
「1月27日に工兵を用い、四万の大軍を通せるだけの道を岩を以って封鎖しました。このことから、袁紹の行軍速度は大幅な遅れを余儀なくされると考えられます」
「実際のとこは、どんくらいになると思うん?」
「最低でも五日。少なくとも漢の正規軍として動いていた頃の冀州軍ならばそれくらいかかるかと」
袁紹の配下は精強な騎兵である并州兵と強弩を得意とする冀州兵。麴義なるものを登用し、重歩兵と槍兵を用いた複合陣を敷くとも聞く。
彼が用いている工作兵というものは、袁紹が持つところではなかった。
「彼女等の当初の予定通りに通過できるのはどの諸侯かな?」
「山東の酸棗諸侯ならば、ほとんど全員が可能でしょう。檄文の草案を作成した橋瑁、劉岱、孔伷、張邈・張超の兄弟、袁遺。各一万から八千の兵を所有しています。総勢五万の大軍とはいえ、指揮官は五人。同一の道を通るとは考えられません」
「念には念を入れよう」
地図を示し、幾つかの道を指で示す。
そこは、一万程の軍を通せるだけの幅と整備具合を持っている十本の道内の、四本だった。
「陽人に待機させている工作部隊に連絡して、これらを塞いでくれ。早急に頼む」
「はっ」
田予が頷き、その場を後にする。
残されたのは、何がなんだかわからないと言わんばかりの表情をしている華雄と、説明を欲しがっているような張遼。
李師は、帽子を取り何回か首元を扇いだ。
説明することが多いと、その分時間を喰う。
時間を喰えば、休めなくなる。そのことが彼の不満といえば、不満だった。
「えー、まず。敵軍が適当なところを突っ切って汜水関に到達することは不可能なんだ」
「そりゃまあ、輜重とかあるしな」
騎兵と言う機動力に優れた兵科を使っていることもあって、彼女たちに『道を塞いで進撃を止める』という発想はあまりない。
これには輜重とか、そういった物を担当していたのが賈駆であることも関係する。
後方担当と機動力のある実戦部隊。この二つに分けるのが董卓軍の軍制だった。
地形は調べはするが、現場少し程度であってこんなにも精密に道や何やらを知って戦うわけではない。故に、『橋を探せ』とか『浅瀬を探せ』とかいうことになるわけである。
李師には地形図と地図というものを合わせた三次元空間を頭に叩き込んでいる部下を探し、見つけた為、戦う時はあらかじめ予定のようなものを組んでいた。
というより、予定を組まずにその場で対応できるほど兵力に余裕がないとも言える。
「故に、完全ではないにせよ脚は止められる。いきなり三万で十五万を相手にするのは勝機がないから、現在三つに―――五万・五万・五万に分断させているわけだ」
「うん」
「その三つの内の一つを更に五分割して各個撃破する。正確に言えば、三万対一万。道が集まり、敵の集結予定地であろう陽人で、これを五回繰り返す」
曹操がいたら、これも叶わなかった。
彼女は兗州牧として酸棗諸侯の内の二人に強い影響力を持っており、橋瑁が檄文を発したのも曹操が味方につくことを計算に入れてのもの。
曹操を不動の体にできなければ、彼は六万の兵を率いた曹操と三万で対峙することになっていたのである。
「敵は核を欠いて纏まりに欠ける。道を塞がせることによって行軍にズレを生じさせ、陽人の地にて迎え撃つ。彼女等には、ここで退場していただこうか」
酸棗諸侯は完全に曹操の指揮下に入ったわけではない。兗州牧になってから日の浅い彼女の指揮下にある言い切れるのは、陳留太守時代の部下と私兵のみ。
彼女自身が率いる兗州軍は参戦しない。もっと言えば、曹孟徳という個人を取り除くことで分断作戦の勝率が八割上昇した。
「工作兵が封鎖し終えるのは三日、といったところかな。それまでに各部隊は出撃準備を終えていてほしい」
「どんくらい引き連れていくん?」
「どれほど防衛に振り分けても、この作戦が成功しない限り勝機はない。ここは、三万ほど連れて行くべきだろう」
「大胆やな……ま、五千くらい残しとけばええんやな?」
「ああ」
五千人残そうが一万人残そうが、主力部隊を外での邀撃に振り分けている最中に汜水関の壁に取り付かれればどうせ負ける。
ここで五千人残したのは、不安による内応を抑える為だった。
「こうなってみると、君たちが河内の王匡を籠城戦の末に粉砕して以来全く動かなかったことがありがたい。向こうはもう、野戦をする気がないと思っているだろう」
「籠城戦を基幹に据えると、敵は思っているのでしょうか?」
「ああ、恐らくね」
この華雄との会話の後、三日後。
工作部隊から道の封鎖に成功したとの報告を受け、編成を終えた董卓軍は出撃する。
張遼が率いる二万と、華雄の五千。李師・田予・呂布・趙雲の五千からなる三万の軍が余裕を持って通れるだけの道を選んで進み、三万の軍が十日ほどかかる道を田予の部隊運用の見事さによって三日に短縮させて進んでいた。
通り一辺の索敵ではわからない有効且つ最短距離を取れる道をとれたからこそ、工作部隊の待機していた陽人に素早く集結することができたのである。
「明命」
「はい」
長い黒髪に、背骨よりも長いであろう薄刃の剣。
カタナという名称を持っているそれを背負った工作部隊の長は、呼ばれるや否や即座に姿を表した。
「最初はどこから来るか、わかるか?」
「はい」
情報部隊の隊長も兼ねている彼女からすれば、事前に指示されていなくともこのようなことが訊かれることはわかる。
既に掴んでいた『どの道をどのくらいの速さで』進んでいるかという情報、それに事前の偵察を兼ねさせることによって、彼女は極めて正確な情報を割り出すことに成功していた。
他勢力の―――例えば孫家の隠密に比べると戦闘能力には欠ける所があるが、彼女の諜報網の管理能力は卓越している。
李師に仕えていた父親と同じことを繰り返して鍛練してきたのだから、戦闘や暗殺、警護ではなく情報専門になるのは自明の理とも言って良かった。
「東郡の橋瑁が巳の刻の方にある間道から三刻後に、劉岱殿が十刻後に進撃してまいります」
「わかった。他もわかり次第伝えてくれ」
「はい」
スッ、と地面に染みるように姿を消した明命の情報を元に作戦を整え、傍らに控える呂布の方向を見てポツリとつぶやく。
「では、一刻で布陣し、二刻の間は休息。五刻の間に敵を殲滅し、残り二刻で敵に備えるとしようか」