北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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結界

董卓軍は、戦勝気分に浮かれていた。

なにせ、五万人を二千人と少しの死傷者で葬り去ったのである。それを成し遂げた李師という軍師と智将を足したような人間の鮮やか過ぎる勝ち方の手並みは、誰もがこれからの展望に明るいものを感じざるを得ないほどのものだった。

 

だが、しかし、これに危機感を抱く人間が居た。とうの李師その人である。

 

都から『帝に拝謁して官位をもらいますか』と言う旨を含んだ戦勝祝賀会への招待状が来たあたりで袁紹・袁術の臭いを感じ取り、『今は戦時中ですので致しかねます』と言う旨を書いて送り返した後、李師は諸将を招集した。

 

速攻と猛攻を巧みに切り替える攻撃的な用兵を得意とする、集まった中でも攻めにおいての巧緻さでは他の追随を許さない指揮官、張遼。

 

偽装退却と防御に、陽動。様々な変則的な動きを部隊に精密に伝え、連動させることのできる李師にとっての必須な指揮官、趙雲。

 

戦争における使い方が突撃・突破・突進しかないが、その三種にかけては凄まじく苛烈な指揮と戦力の集中の巧みさを持つ決戦兵力、華雄。

 

戦術の指示に部隊の動きを連動させるプロであり、『地図要らず』とまで言われた名人田予。

 

呂布が定位置に控え、張遼に属する涼州の諸将の居ない円卓を広く使いながら五人が座り、一人がその後ろに立つ。

「我々は先だって五万の敵軍を敗走に追い込んだ。だが、諸君らが思うほどには楽観視はできない」

 

口火を切ったのは、当然ながら李師。主な将の顔にも浮かんでいる楽観と希望に冷水をぶっかけるように、冷厳な現実を浴びせかけた。

 

「何故ですか?」

 

わからんことは反射で訊くタイプである華雄の問いに頷きを返し、李師は普段の姿勢の悪さを崩すことなく喋り始める。

 

「つまるところ、この一連の戦いで戦術的には楽になったと言えるだろう。だがしかし、今まで我々が重ねてきた勝ちと言うのは、戦略的には何の価値もないんだ。故に、実のところ勝率はあまり上がっているとは言えない」

 

「敵を五万減らしたのですぞ?」

 

「でも、それだけだ。敵には十万の新手が居る」

 

ざっと十万なだけで実質は十一万とか二万とか。しかも統一された意志のもとに動く軍隊であり、各個撃破した酸棗諸侯の如き鮮やかな分断戦術は使えない。

彼の言いたいところは、気を抜くなというところであろう。勝敗を決めるのはこれからであって先の戦勝ではないのだ。

 

「我々がここに張り付けられている以上、戦略的には極めて不利だ。なにせ劉焉と馬騰が防衛線を突破して都に着いたらこの汜水関の戦略的価値は喪われ、戦術的に勝とうが負けようが関係のないという虚しいことになりかねない」

 

「つまり?」

 

「敵はただゆったり攻めるだけで勝てるが、こちらはどうにかして敵を敗走させた後に引き返し、劉焉と馬騰に侵攻を諦めさせなければならないということさ。もちろんこの間に汜水関は失われてはならない」

 

張遼の問いに慈悲も何もない現実を突きつける形で答え、李師は浮かれた感じの抜けた面々を一望して膝に腕を乗せ、枕代わりにしながら呟く。

 

「城に待機していた兵を併せて三万五千あった兵力の内、戦死は五百人ほど、戦傷がその三倍ほど。現状軍務に復帰したのは千人ほど。つまりこちらは千人を失いながら四万人を討ち、一万を虜とした。それは素晴らしい。が、油断も楽観もできないことを心に刻んでおいてくれ」

 

馬を失った者は騎兵として使い難いであろうし、腕を失えば弩兵としての任に耐えないであろう。

前者はともかく、負傷者で復帰できなかった者は、後者のようなものが殆どだった。

 

「で、作戦は如何に?」

 

「ない。ただひたすら耐えて敵の糧食が尽きるのを待ち、尽きたら反撃してこれを討つ。

三万で十万そこいらの敵を討つのは不可能じゃあないが、その後のことを考えるとそう投機的な勝負には出れない」

 

蜀の主軸・精兵たる東州兵と、涼州の騎兵。これを併せれば八万は下らない。

董卓軍の各地に分かれた戦線に配置された戦力を糾合すれば兵力は回復するだろうが、劉焉がどれくらいの速さで侵攻してくるかも未だわからないのである。

 

北と南だからこそ距離の暴力を利用した各個撃破も可能だが、洛陽に押し寄せてきた場合は纏めて相手をすることになるのだ。

腹背に槍を受けている状態で戦えば、勝利を得ることは難しいだろう。

 

「つまり、急げば我々の勝率が下がるが全体の勝率は上がる。時間を稼げば勝率は上がるが全体としては敗ける。我々としては可能な限り他の戦線と連絡を密にして機を測らなければならない」

 

「まあ、定期連絡は来とることやしな」

 

現在は、という注釈がつくことになるが、北部戦線と南部戦線から定期的に連絡は入っていた。

その内容が良いものとは言い切れないが、その情景からタイムリミットのようなものは感じ取れる。

 

彼の戦が限界まで味方の被害を減らすことであるということを考えれば、それは極めて真っ当な戦略だと言えた。

 

「野戦は避ける。が、必ずしも戦わないわけではない。こちらの主力はあくまで騎兵なわけだからね」

 

これの状況は、彼としては不本意であったろう。

彼は天の御使いが居た本来の歴史においては弓兵・弩兵といった機動力に劣る守勢型の兵科を専門としていた。

 

彼の生涯を通じての敵であった『歩兵を率いさせれば天下一』こと曹操に、その配下の中でも最優であった夏侯淵を置いて『弩兵を率いさせれば天下一』と激賞されたところを見れば、その用兵における弩兵の重要さがわかるというものであろう。

 

彼の被保護者であり親衛隊の隊長である呂布が『騎兵を率いさせれば天下一』と謳われたからこそ、史実においての彼が騎兵というカードを全てそちらに振り分けてしまったこともあるのだろうが、ともかく彼は弩兵が欲しかった。

将に関しては最早諦めの心がある。しかしながら、弩兵があと五千、いや、三千。

 

二千でもいいから増えていたら、戦術の幅は広がるのだ。

 

「ともあれ、こちらが最初から主導権を握るのはここまでだ。ここからは受け身に立ち、仕掛けてきた手を利用して主導権を拝借する。無茶な突出はせずに、私の指示に従って欲しい」

 

彼の心胆からの願いに、一同が頷く。

無茶な突出、無許可の突出。それが全体の戦線崩壊を招くことくらい、ここに居る面々には理解できていた。

 

「つまるところウチらは抑え役に徹して、ちまちま矢ぁ射って機を待つってことでええんやな?」

 

「少なくとも当分は」

 

先の戦からはや十日。周泰は既に部下を冀州に出立させ、袁紹軍の行動を探っている。

表面的にはまだ戦場に敵軍を迎えてすらいない両軍の戦端は、水面下で静かに切って落とされていた。

 

 

連合軍の大凡の場所を探ってきていた周泰が汜水関に帰還したのは、この軍議から二日後のことである。

 

 

「……敵の隠密が強く、こちらの隠密は相当な被害を出しています。三人一組で向かわせることでこれは何とかなったのですが、全体の一割が既にやられました」

 

「外部に出すのは危険、か」

 

「はい……」

 

孫家の隠密は強い。

それは前々からわかっていたことであり、こちらも認識していたことだった。

 

しかし、聴くのと実際とではどうにも乖離が見られるようである。

 

「敵の張った結界は兵、民、隠密を利用した三重のもので、敵の勢力圏に入るとまず見つかることになるらしいのです」

 

「……冀州に行かせた面々は?」

 

「逃げ帰ってきています。その、無理だと」

 

勝てないから逃げるというあたりに僅かな情けなさを覚えながら、周泰はひたすら頭を下げた。

警護と暗殺を得意とする孫家の隠密頭が強いということは知っている。だが、彼女の隠密も木偶ではないのだ。

 

そりゃあ諜報と破壊工作が専門であり、戦闘を専門とする訳ではないが、いざという時の警護のために戦闘訓練も積んでいる。

 

その上で、敵と遭遇しないように細心の注意を払うようにとの薫陶を受けているはずなのだ。

 

だが、汜水関から冀州に通じる道に件の結界を張られてしまうと突破は困難に過ぎる。

 

その結果、逃走という手段に繋がった。

 

「それはよかった」

 

「はぃ?」

 

「その隠密が死なずに良かった。これからは防諜に専念してくれ」

 

彼の認識としては無理なものは何をしても無理なのだから、できることをやればいい。

それが防諜ならば防諜に専念して欲しいし、防諜も無理ならば工作に専念して欲しかった。

 

「防諜は、どうかな。できないならそれを前提に作戦を立てておくが―――」

 

「やり遂げてみせます」

 

予想外の言葉に意表を突かれながらも、周泰は速やかに命令を受領して実行に移す。

彼女は司隷の各地にばら撒いていた五百人ほどの隠密を集結させて汜水関の各所に散りばめ、兵たちの警備位置を効率的に転換させることによって結界を張る作業を開始した。

 

熾烈極まる諜報戦は、この時に一先ず形勢が決まったと言える。

 

そして、結界が張りはじめられた翌日。一大暗闘が、汜水関にて繰り広げられた。

 

李瓔、趙雲、張遼、華雄、呂布。

諸将が睡魔にかられ、尽くそれに身を委ねた丑三つ時。

 

太陽が昇って後に来る連合軍が来る前の前哨戦とも言える戦いが、闇の帳を切り裂いて開始されたのである。

 

(……読まれていましたか)

 

壁に身を凭れ掛けさせて身体と精神を休めていた周泰は、城に僅かに響く足音に意識を覚醒させた。

 

結界が完成したならば汜水関に侵入することは不可能とは言わずとも、困難に極まることになろう。

その点を読んでいたのか、集結させようとする動きに勘付かれたのか。

 

そこまではわからないが、周泰にわかることは敵の目的の候補となる二つだった。

 

「嬰様の暗殺か、情報の蒐集か」

 

諸将は強い。隠密に討たれるほど弱くはない。しかし、首から下が何の役にも立たない男は、あっさりと暗殺に倒れる可能性がある。

首から下が役に立たないとは思っていないが、すぐに死にそうということは認識している彼女は一先ずという形で李師の下に赴こうとし、止まった。

向こうには呂布が居るはずだ。呂布を越える護衛など居りはしないし、自分が合流してもどうにもならない。

 

ならば敵が情報蒐集してくると見て、配下の動きに縦糸を織るべきだろう。

横糸となる戦闘法は、もう伝えてある。縦糸となるのは指向性。その横糸に縦糸を織り込んで何を織り出すかということだった。

 

「幼平様、如何致しますか」

 

「情報蒐集を阻みます。師匠と警護兵を指定した場所に誘導してください」

 

もう戦闘が始まっていることを示す僅かな物音を聞きながら、周泰は結界の縮小を命令する。

それは恐らく、極めて正しい判断であった。




一刀歴史情報(寿命編)

ハム(〜222)
李瓔(〜213)
呂布(〜215)
趙雲(〜215)
周泰(〜215)
華雄(〜215)
曹操(〜220)
夏侯惇(〜220)
夏侯淵(〜213)
荀彧(〜214)

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