北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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汜水関防衛戦

「豪華な物だ」

 

眼下に広がる金・金・金。

太陽が降りてきたように光に照らされ、輝かしき煌めきを纏っている大軍を見て、李師は慨嘆を静かに漏らした。

金箔か何なのかは解らないが、袁家の財源の豊富さが伺えるだろう。

 

些か、使い道を間違えている気がしなくもないが。

 

「私の直属弩兵は森色の濃緑、恋の騎兵は血の真紅。いざ塗装にも金がかからないを選んだものだが……あれは度外視しているな」

 

「私も姉の流用だ。黒地に塗り潰していた鎧に蒼を差しているだけ。費用もあまりかからない」

 

「馬甲にかける金なんかないって言われて、ウチは武骨な鉄色やけどな」

 

望楼上で風に靡く旗は、『緑の地に李』と『五稜星』に、『紺碧の地に張』と『鬣を奮う黒い馬』に、『黒地に蒼で夏侯』と『曹』の三旗六種。

 

膝を立てた胡座、胡座、正座。

もう一目で誰だかわかるような粗雑な座り方をした二人に、どことなく育ちの良さが滲み出る一人。

 

三人の各軍首脳は、件の望楼で階下の奮戦を見守っていた。

李師は現場でも指揮を執ることができるが、現在は来る野戦に向けての作戦立案に掛かり切り。殆ど同レベルの立案能力を持つ夏侯淵も引っ張ってこられ、騎兵専門の張遼も引っ張ってこられると、こうなる。

 

つまり、一望楼に将旗と牙門旗とが集中する、といったような感じに。

 

「こちらは典韋だが、そちらは誰が代理で督戦しているのだ?」

 

「子龍だね。有能な部下を持てるのはいいことさ」

 

「ウチんとこは郝昭やな。得意兵科は騎兵とちゃうけど、だからこその副官や」

 

遠目から見える蝶々と呼ばれる紐付き車輪の如き鈍器と、三叉の槍と普通の鉄戟。

それぞれ任された督戦官は、極めて模範的な奮戦を見せていた。

 

「左翼が、袁術。中央部が、袁紹。右翼は、劉表と袁紹軍の一部。警戒すべきは孫家と、袁紹と、新規参戦した馬騰。それくらいかな?」

 

「一先ずは、そこまで得た情報で作戦を立てるべきだろう」

 

未だ敵の陣容は、完全に知り得ない。不確定要素が、あるとも限らない。

しかし、予定を立てねば行動などできようはずもなく、予定通りにいかないからといって予定を立てないわけにもいかないのである。

 

「二人は、やりやすい敵とかは居るかい?」

 

「ウチは一武将やから、行け言われたらどこでも行く。三方面どれでもええで。ただでさえ、ウチらは連合軍をぶちのめせんやって気張ってんねん」

 

「巨獣を搦め捕るのは猟師の仕事。願わくば右翼に振り向けて欲しいものだな」

 

「では、張将軍は左翼。妙才殿は右翼に当たってくれ。私はまあ、袁紹・袁術の混成部隊六万を七千で何とかするさ。一度に全員がかかってくるわけでもないしね」

 

連合軍は、中央部(六万)が分厚い。対連合同盟軍は、中央部(七千)が薄い。

その代わり、両翼(各一万)が厚い。といっても、敵の両翼(各四万)との兵力差は三倍を越す。

 

并州から更に兵力を差っ引いたらしい、袁紹軍七万。

袁術軍五万。

劉表軍一万。

馬騰軍一万。

 

冀州戦線がどうなっているか非常に気になる、連合軍の陣容だった。

 

「それにしても、二度とこんな戦はしたくないもんだ。兵力が五倍差に近いじゃないか、全く」

 

「この際、指揮官の質では負けていないことをこそ、喜ぶべきだろう。一頭の羊に率いられた百頭の獅子は、一頭の獅子に率いられた百頭の羊に敗れると言うのだからな」

 

もう兵力に関しては諦めて優位なところを見ようと言う夏侯淵の意見に首肯し、李師は再び溜め息をつく。

一体全体、本国では何をやっているのか。働いているのかいないのか、戦っているのか、いないのか。

 

(一つ狂うと何もかもが狂ってくるな)

 

数の差と、腹背に敵を抱えている状況という戦略的劣勢を拮抗に変えるためにこそ、冀州を攻めて兵站を絶つ。

これによって敵も腹背に敵を抱え、餓えという無形の敵と戦わねばならなくなる、はずだった。

 

効率的に断つ為にこそ己が総指揮を執ろうとしていたのだが、それは妨害によって成せず。

 

頼みの綱の南北からの情報もまた、滞っている。

 

(大丈夫なんだろうか)

 

彼の現在の二つ悩みの種の内の一つである冀州戦線だが、これは思いの外うまくいっていた。少なくとも、軍事面では。

 

彼の思った以上に、公孫瓚と公孫越が戦闘指揮と豪族の意思統率において有能だったのである。

 

彼女らは現在鄴を囲みながら、冀州と并州の残存兵力と対峙していた。

この一戦に勝てば公孫瓚のもとに、冀州は転がり込むであろう。しかし、兵站線が切れていない。

 

冀州に残っている沮授が、一人奮闘している。そもそも現在の幽州には、隠蔽に隠蔽を重ねられた兵站線を切れるほど偵察に優れた人材も居なければ、地形から兵站線を予測できる人間もいない。天から見通すが如く断片情報から全体を掴む智謀を持った人物も居なかった。

 

かと言って周泰を連れてこなかったら作戦が筒抜けになりかねないし、田予は李師の脚のような存在であるが故に、抜けられると戦力が文字通り半減しかねない。

 

騎兵の探査を頻繁に行えるほど楽な戦線ではないことも、兵站線の切断を容易に行えない状況を作っている。

 

「それにしても、いつまで篭もるん?」

 

「兵站線が切れるまで、といきたいが……」

 

張遼の言葉に頭を掻きつつ答え、更に頭を回す。

その結果を口にしようとした瞬間、夏侯淵が後の先を打った。

 

「篭って既に一ヶ月だが、南部戦線の情報が虎牢関から伝わってこない。これにより、適切な時機を見計らって打って出ることが不可能になった。それに北部戦線においてもどうやら……兵站線の切断においては控えめに言っても、芳しからざる状況だ。打って出るのは近日中と考えていいだろう」

 

言葉への変換を行っていた頭の中身を文にされ、李師は肩をすくめながら帽子を振る。

何か困った時や、あまりよろしくない状態の時によく見られる光景だった。

 

「報告!」

 

「敵の軍が退いた、ということかい?」

 

「はっ。華雄将軍が出撃するか否かの判断をと」

 

どうにもわざとらしい。華雄は強いが、それは攻勢だけの話なのである。

それを読み取れる人間が、そろそろ出てきてもおかしくはない。

 

「張将軍、敵の背後を突いて適当に荒らしてきてくれ。向こうは華雄の突撃には慣れてきたらしいからね。少し味を変えてみよう」

 

「おっしゃ、任しとき!」

 

これぞ吾が本懐とばかりの身の軽さで望楼から降り、精強な張遼軍の中でも精鋭といえる三千の騎兵が城門から出ていく。

 

紺碧の張旗と、馬の旗。

 

二旗の牙門が前進するごとに敵が崩れ、華雄隊の踏み潰し、噛み砕かんばかりの攻勢とは違った理性的な攻撃の波が袁紹軍の金色と劉表軍の水色とを朱に染めた。

 

敵が体勢を立て直そうとした辺りで守勢に転じ、横からの伏兵を撃退して危なげなく帰還した張遼の攻守に安定した能力は、人材不足の公孫瓚軍にとって垂涎の的だと言える。

 

「ああ言う将が二人居れば、私も相当怠けていられるんだけどなぁ」

 

「後方の城が落ちていく様子ばかり聴くと頼りなさげだが、中々どうして董卓軍にも名将が居るものだな」

 

単純に董卓軍は守りに弱いというのが基本的な評価であるが、どうやらその認識も張遼に関しては是正すべきだという夏侯淵のからかい気味の評価に対して頷きを返し、相変わらず姿勢の悪い李師は敵軍の動向を見下ろした。

 

「申し上げます!」

 

出撃した張遼隊の再編が終わり、自身もほのかに肩あたりを上気させながら望楼に戻ってくる。

 

被害が八十人に満たないこと、敵の伏兵があり、華雄であればまず引っかかっていたであろうことを報告した後に『何故わかったのか』と問い詰める張遼に、『動きが怪しい。如何にもくさい』と李師が答えたあたりで、伝令が再び急を告げた。

 

「どうした?」

 

「敵将が一騎打ちを求めております」

 

「返答を保留して出撃した張遼隊と関の外壁の防衛部隊を再編急がせ、矢と石を補充し迎撃体勢を整えさせてくれ」

 

軍事的ロマンチズムに全く拘泥しない彼らしい、軍指揮官としての命令に脇を固めていた両者が肩をすくめて首を振る。

武将・武人として普通の神経をしていれば、敵を騙くらかすより前に一騎打ちという行為に何かを見出すはずだが、そうではないらしい。

 

「精妙巧緻な策も失敗した。このままでは落ちない。だから一騎打ちで将を削り、副次的効果として士気を落とす。策としては定石ですが、どうやら相手の意地と性格に噛み合っていないようだ」

 

「せやな。けどまあ、相手がアレやしなぁ……」

 

ただ望楼でダラダラしているのではなく、彼は最も攻勢が強大だった最初の三週間、一度も部屋に帰らず、矢が飛び交う前線で陣頭指揮を取り続けた。

その防衛戦闘における戦力集中の見事さと、一点集中射撃と斉射三連巧みに使い分け、それと華雄隊の追撃を連動させることで、敵もかなりの犠牲を被って撤退している。

 

彼らの知り得ることではないが、三週間の攻勢で反董卓連合軍は一万二千人の犠牲を出していた。

対して防衛側の犠牲は二百人に満たないという辺りに、勤勉さを顕にした彼の指揮の見事さが伺える。

 

その後の彼はと言えば、夏侯淵に防衛の総指揮を任せた。

そして二日間ぶっ通しで寝て、復帰したのである。

 

実際のところ犠牲は増え続け、馬騰を加えて十四万、涼州連合を加えて十六万になるはずだった反董卓連合軍は十二万五千にまでその生者の数を減らしていた。

 

彼の計算による戦力差は、誤差程度とはいえ実際よりも過分だったのである。

汜水関にいる者達は知らないが、馬騰の援軍として進発した涼州連合軍二万は曹操率いる五千の兵との戦いで李師のお株を奪う各個撃破で粉砕され、強制解散されるという憂き目に合わされていた。

 

ここにいる一万は、涼州連合を抜いた馬氏の主力である。

 

「幽州に帰ったら正当な休暇を要求することにしようかな」

 

「ああ、死ぬほど寝たらええよ。洛陽でも酒を浴びるほど呑ませたる」

 

「後のことは寧ろ、勝ってから話すべきだな」

 

二ヶ月間は絶対働かない。勤勉さを使い果たした男の決意を他所に、汜水関の防衛体制は田予の見事な管理・伝達によって整った。

 

あとは、一騎打ちの人選である。

 

「是非私を」

 

「防衛戦闘よりも華々しい一騎打ちをこそ、それこそ我が本懐というものです」

 

「……恋が一番強い。だから、恋」

 

「はい!」

 

「大槌を蟻を潰すのに使う必要はないでしょう。ここは私が行ってきますよ」

 

「おい魏越。お前は調子に乗り過ぎんだろうが。ここは冷静な俺がだな……」

 

選ばれた一騎打ち候補六人を並べつつ、李師は軽く後ろ頭を掻いた。

華雄、趙雲、呂布、典韋、魏越、成廉。いずれも勇猛な武人であり、前者三人は指揮官として、後ろ三人は単騎の戦力として有用な人材である。

 

指揮官の三人は顔を見合わせながら、困り顔で笑語した。

 

誰を選んでも角が立つ。

 

「全員でかかって捕らえて来いというのは駄目かな?」

 

結果、そういうたぐいのものに無関心極まりない男から、最早一騎打ちですらない男の提案がなされた。

 

「ご命令とあらば」

 

「それはちと伊達とは言えぬかと」

 

「恋はいい」

 

「それは、ちょっと……」

 

「つまらん」

 

「同意」

 

右から順に発言させていった結果、『一騎打ちに来た奴を袋叩き作戦』は二対四で却下される。

正式名は『六旗囲将作戦』だが、そんなことはどうでもよかった。

 

「ではくじを引いて決めよう。負けそうになったら逃げる。いいね?」

 

六者六様の同意と宣誓がなされ、右から順にくじを引く。

 

当たりとなる緑色のくじを引いたのは、呂布だった。

 

「恋、危険なことをやってはダメだぞ?」

 

「……ん」

 

「危なくなったらすぐ逃げて、勝てそうになっても欲をかかない。いいな?」

 

「ん」

 

一騎打ち。何故己の制御下に置けない事象に愛娘を突っ込ませねばならないのか。

そんなボヤキは、張遼のツッコミで瞬く間に破壊される。

 

「戦を八割方制御できとる自分がおかしいねん」

 

「……負けないかな?」

 

「一騎打ちで隊長がやられるとすれば、やった側はおそらく地上に存在できるかどうかすら怪しい何かだと思いますがね。

そんな生物としても爪先立ちしているような奴が、敵にいるとも思えませんが」

 

成廉の身内誇り三割、皮肉七割の言葉に頷き、李師は漸く平静を取り戻した。

城壁に敵が登ってきた時も冷静沈着さを崩さずに『予想通りだね。射撃交差地点に誘導するのははじめてだったが、案外うまくいくものだ』と言って二千人にのぼる敵の屍体を量産した男がここまで狼狽えるのは、ある意味見ものだとすら言える。

 

普通、城塞指揮官が狼狽したら部下は不信と軽蔑を抱くものだが、今回ばかりは『ああ、この男も一応人間なのか』という安心めいたものが漂っていた。

それほどまでに、この男はその冷静さを損なうことがなかったのである。

 

「……成廉、魏越」

 

「なんです?」

 

「ちょっと城門前で待機していてくれ」

 

最早何を言っても無駄だと観念し、相棒に肩をすくめて見せたあと、城門前まで降りていく。

彼等としては、敬意を抱く隊長の戦いぶりを見ることができないことだけが不満だった。


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