北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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因縁

「……関羽」

 

「ああ」

 

旧知の仲である両者は、汜水関と反董卓連合軍の陣を挟んで向かい合っていた。

彼女の強さは、関羽が一番知っている。そう言えるほどに彼女の暴威を見てきたし、数回ではあるが濃密な手合わせをしたことがあった。

 

なればこそ、関羽は一息ついて無駄な力を抜く。

 

「来い!」

 

「……ん」

 

一日千里を行くと謳われる名馬赤兎が地を蹴り、主の後ろに跨がっているおもりがないことを喜ぶように距離を詰めた。

関羽もまた、騎乗している。彼女たち義勇軍のパトロンは馬商人の張世平。馬は大量に融資してもらったし、彼女自身馬術にはそこそこの自信があった。

 

赤兎馬相手に徒歩でやるよりは、騎乗した方が幾分かマシだと判断したのである。

 

「―――ッ!」

 

戟の柄が、霞んだ。

 

そうとしか言い表せないほどの迅速さで、方天画戟の矛先が関羽の心臓目掛けて突き出される。

辛うじて反応できたのは、さすがと言ったところだろうか。

 

しかし、弾けただけ。常の関羽がするように、柄で受けることなど覚束ない。

細い鋒を柄で受けること自体絶技と言っていいが、それを軽々こなせるのが関羽であり、その関羽の防御をただの突きで崩してしまうのが呂布である。

保護者の心配を嬉しく思いながらも、呂布はどこかで思っていた。

 

この場にいる人間の全てに、一対一ならば自分は勝てると。

 

心配はしてほしい。何故なら構って欲しいから。

だが、安心もさせたい。

 

「遅い」

 

充分超反応と断言できる突きの弾きをそう評し、呂布は弾かれた勢いを利用して頭上で一回、片手で持った方天画戟を廻す。

そして、その勢いのまま関羽の右半身に叩きつけた。

 

(防御に徹しても、これか……!)

 

誇り云々、言っている場合ではない。後、何合耐えられるか。

 

そう思った関羽は、一先ず己の右半身に迫る脅威を両手で受ける。

 

遠心力を利用しているとは言え、片手で振るわれた武器を、両手で受けなければならない辺りに二人の膂力の違いが見て取れた。

 

しかも呂布は攻めにすべてを注いでいるわけではない。保護者の訓示を守り、三割を周囲の警戒に、五割を防御に、二割を攻撃に回している。

つまるところ、二割攻撃と十割防御の戦いでなお呂布は関羽を圧していた。

 

(無傷で帰らないと、だめ……)

 

息をつかせずに攻め続けてもいいが、最も堅実なのが八割防御二割攻撃である。

傷を負うと物凄く心配されるので、呂布は拾われて一ヶ月後に李師に呼ばれ、走った時に転んでから今までと言うもの、無傷無病で通していた。

料理の練習の時に傷を負うのではと思われるかもしれないが、彼女はそもそも武器になりうるものならばたいてい使いこなすことができる。

 

完璧に凶器な包丁で、自らを傷つけることなどありえなかった。

 

そして、初陣の時に血塗れで帰った時にも物凄く心配されたので、彼女は返り血にも気を使っている。

隊の者は『隊長、血塗れですね』と言われても『全部返り血』といえば納得してくれるし、そもそも『でしょうね』という雰囲気が強い。

 

だが、彼女の保護者の過保護っぷりは異常だった。

具体的に言えば、彼は呂布を無双の武人ではなく、ただの愛娘としか見ていないのである。

 

これは傍から見れば滑稽極まりなく、では何故戦に参加させるのかと訊かれればたちまち瓦解するように見える矛盾したものだが、彼からすれば矛盾していない。

愛娘は愛娘。その愛娘が自由意志によって選択した進路を、親が無理矢理変えるのは、どうか。

 

己もそれをされたが故に、常に忸怩たる後悔と無念が行動にまとわりついているではないか。

 

「……終わり」

 

五合。

つまり、方天画戟と青龍偃月刀がぶつかり合うこと五回目で、呂布は完璧に関羽の防御態勢を崩した。

 

上から見ている汜水関の諸将や兵卒たちは一人を除いて皆圧倒的なまでの武に狂喜し、向かい側にある反董卓連合軍の陣は息を呑む。

籠城戦も攻城戦も、一般兵の精神を著しく損耗させていた。

 

前者は総大将代行直々の陣頭指揮によって最大の危機を耐え切ったことで彼に対する信頼を厚くしていたものの、押し寄せてくる敵を討つ作業のような動作に単純に疲労。

 

後者は『自分が行かなくとも勝てる』という怠惰な他人任せの精神と、鉄壁に肉弾をぶつけるような攻めに辟易していたのである。

後者も前者と同じく全体が作業の如く繰り返すだけだが、死亡率が違い過ぎた。

 

対連合同盟軍の全軍は前はほぼ四万。現在は陽人での野戦と攻城戦の死傷者として千人減り、損傷率は2.5パーセント。

反董卓連合軍の全軍は野戦で打ち破られた諸侯を合わせればほぼ二十一万。曹操にやられた涼州連合、李師にやられた酸棗諸侯で約六万人が消え、攻城戦によって一万五千人ほどが消え、損傷率は35パーセント。

 

もう、少し馬鹿らしくなるほどの損耗率の高さである。

とは言え、攻城戦で死んだのは全体の4パーセントなので兵たちからすれば苦戦しているが三割減ったとは思っていない。

合流前に叩き潰された者達が多過ぎたとは言え、それでも精神的には損耗していた。

 

故に、この一騎打ちというパフォーマンスによって将を討ち取ることによって、『吾らも戦果を挙げている。敵は無敵ではない』ということをアピールし、兵たちに軍事的ロマンチズムによる士気の高揚を与えようというのが、この一騎打ちの思惑なのである。

 

軍事的ロマンチズムとは程遠いところに己を設置し、殺人動作を機構化することで兵の意識的な損耗を軽減しようとした李師とは真反対の方式だが、これもこれで有用だった。

勝てればの話だが。

 

「愛沙ー!」

 

蛇矛が、振り下ろしてとどめを刺さんとする方天画戟の矛先を遅らせる。

馬の速さに任せて突撃し、ギリギリ勢いで滑り込んだ形になるその武者からすれば、片手で矛を盾として突き出すのが精一杯。

そして、呂布の片手とその小柄な武者の片手では出力が違った。

 

「にゃ!?」

 

関羽よりも、単純な膂力では上な己が止められないことに驚き、慌てて両手で支える。

結果的に、その刃は関羽に触れる直前で止まっていた。

 

「……張飛。何?」

 

「助太刀なのだ!」

 

成廉と魏越に出撃命令を下そうとしている李師を夏侯淵が『まあまあ。奉先嬢が貴官の命を順守することを信じてやったらどうだ』となだめすかして止めている間に、二対一の戦いは開始される。

苦しげな、或いは無念気な顔をしている関羽も、一対一で勝てないことは身に沁みていた。

 

今は一先ず、勝つことである。

 

「なら、お前も死ね」

 

相変わらずの片手で、呂布は方天画戟を低く構えた。

劉備の双璧とでも言うべき二騎の武者が距離をとって構えた瞬間、赤兎馬は飛躍する。

 

厳密に言えば間合いに入るか入らないかのところで跳び、騎兵となった二騎を乗り越えて後背をとった。

 

「ッ!」

 

馬に翼が生えているのではないか。

全軍の見物者の脳にそんな感想が過ぎり、消える。

彼等としては見えない翼が生えているかどうかわからない馬よりも、一騎打ちの勝敗にこそ拘りを見せた。

 

相変わらずの八割防御二割攻撃で、呂布は二人を圧し捲る。

攻撃などしようとも思えず、さしあたりそのようなことができる隙もない。

 

そんな絶望的な戦況を見ている、汜水関では。

 

「危なくなったら逃げろと言ったのに……」

 

「危なくないと、判断しているのだろう」

 

「そう言うけどね、夏侯妙才。君はあれを見てどう思う?」

 

あれを見て、どう思うか。

今のところ、夏侯淵には呂布が余裕であしらっているようにしか見えない。なにせまだ片手だし、彼女は傍から見てもそれとわかるほど律儀に防御主体の戦い方をしていた。

 

それに、一度も全力を出していない。両手を使っていないこともそうだが、片手のみを損耗させれば経戦能力に影響が出ることを本能で知っている動きである。

 

結論、大丈夫。夏侯淵にはわかりきっており、張遼にもわかりきっており、華雄にも、趙雲にもわかりきっていることだった。

 

そして、もう李師には何を言っても無駄だと判断した夏侯淵は、慎重に言葉を選ぶ。

 

「すっとんで逃げる」

 

「だろう?」

 

「勘違いするな。貴官の大事な大事な愛娘と相対したら、だ。あの二騎相手でも、防御に徹すれば立ち回れるさ」

 

二騎相手には勝てはしないがそうやすやすと負ける気はない。

己の能力に自信を持ち、自信に相応しいだけの研鑽を積んできた夏侯淵にすら、呂布の武威は敵わないと断じられるものだった。

 

「……ん?」

 

「どうした」

 

「いや、少しな」

 

姉の愛剣・七星餓狼と同一の金属を鍛えて造られた姉妹武器とも言える弓・餓狼爪を構え、夏侯淵は狙いをつけずに無造作に一矢を放つ。

 

「?」

 

「さて、援護に行ってくるとしよう。お望み通りに、な」

 

何を狙ったのかわからない李師が、傍らの趙雲に目を向けた。

『見えるとこまでが射程範囲』と謳われるほど精密に視える呂布とは違い、視力がそこまで良くない李師は、夏侯淵が何をやったのか全くわからない。

 

説明を求められる男から説明を求められた女は、面白そうな物を見る目を変化させることなくそれに答える。

 

「御息女を狙っている狙撃手が居ましたからな。その弓の弦を射て断ち切り、狙撃を阻害してくれたのですよ」

 

「……そんなことができるのか?」

 

「できているのですから仕方ありますまい」

 

全くご尤もな意見に黙らせられた李師をチラリと横目で見つつ、趙雲は心の中で呟いた。

 

(たぶん、御息女もやってのけるのでしょうが……)

 

言わぬが花、というものである。

 

そして、呂布。

 

彼女は本当に強かった。もう、災害か何かかと思うほどに強かった。

最初の頃は、連合軍の人材の層の厚さをひけらかすように次々に呂布にかかっては矛を交え、危うくなったら他の者が助けるというようなサイクルを作ることで何とか一対十くらいで圧し始める。

 

だが、いい加減めんどくさくなったのか、呂布は後先考えるのをやめた。この場で全員殺せばいいや、と言うある種の境地に達したのである。

 

次の七秒程で、呂布は心中で保護者に謝りながら攻撃に六割を傾けた。

結果として方悦が一撃で矛と兜ごと頭を叩き割られ、穆順が盾と胸鎧ごと貫かれ、武安国が防いだ戟の柄と鎧と己の腹、それに馬の首ごと横に真っ二つにされ絶命。

 

一気に崩壊したサイクルを孫策・黄蓋・文醜・顔良が参戦して何とか六分四分にまで持ち込めているが、このままでは完璧に押し切られることは明白だった。

 

更に巧妙なのは、呂布は前半は力一辺倒に攻めていたにも関わらず、三人を瞬殺したあたりから技巧を凝らしたフェイントを織り交ぜるようになったのである。

彼女は八割防御二割攻撃のいつもの命大事な無傷スタイルに戻っていたが、構えと意識の代用品として技巧を攻撃に全部振ってきたのだ。

 

(は、やっ!?)

 

顔良が突きに必死に対応したら、それはフェイント。

周りが必死に対応してくれるからかすり傷を大量に負うだけで済んでいるが、それも長く続けば血が足りなくなるであろう。

 

とある狙撃手がそれを見かねて手を出したのは、この時であった。

その狙撃手の名は、黄忠と言う。

 

弓の神・曲張に比肩すると謳われた彼女が弓の弦を引き絞り、一瞬足りとも静止しない呂布に何とか狙いをつけた時、目敏い夏侯淵がその弦を精密に射抜いた。

 

頭をぶち抜こうとすれば気づかれるからだし、元々直接的に言えば嫌がらせが、迂遠に言えば最善を尽くして布石を打つことが得意な夏侯淵である。失敗するはずもない。

 

当然黄忠は、矢の放たれた方向である汜水関を見た。

 

「こちらだ、弓手」

 

そのことも予想していた彼女は比較的さっさと逃げ去り、汜水関の門で暇していた成廉と魏越に門を開けてもらって出撃したのである。

 

「老巧の智慧も、老獪なる一手もよいだろう。だが、私が見逃す道理もないな」

 

「……何ですって?」

 

「老巧卓抜、歴戦の将たる老黄忠殿の一手を見抜かぬ道理は私にはないと言ったのだ」

 

それとも聴き取れぬほどお歳を召されたとは、かくも老いとは恐ろしいものだ、と。

 

何故か最初から喧嘩腰―――もとい、挑発している夏侯淵と黄忠。

両者の対峙は、因縁めいたものを感じさせていた。




呂布の防御よりのスタイルは、李師が生きてる限りは変わりません。一時的に転換することはありますが。

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