北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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作法

「……さて、動かすか」

 

こいつはまたいきなりどうしたのか。

趙雲と張遼の視線が交差し、李師の後頭部という一点で結ばれる。

 

今まで呂布の安定した戦いぶりにも関わらず、一々驚きと悲鳴を上げていた男とは思えない態度に、二人は少し驚いた。

 

「子龍、騎兵二千を率いて左回りに突撃、張将軍は同じく二千を率いて右回りに突撃。田国譲率いる緑甲兵はもう裏門から山肌を通じて配置してあるから、軽く燻るだけでいい」

 

「……最初から一騎打ちなどする気はなかったのですかな?」

 

「私は夢想家でも武人でもなく、兵を掌握し勝つことを義務付けられた将軍だ。例えどんな時も、非常の備えを怠らないのさ」

 

「なるほど、あの狼狽っぷりも演技やったんやな?」

 

「あれは素だ」

 

張遼の誤解を漫才めいたやりとりで解き、二部隊が裏門から間道を通って汜水関を出る。

一回きりの奇策であった。

 

敵は、突如現れた敵にまず驚く。その後、必ず『どう出たか』を調べるだろう。

これがわかっては、汜水関の戦略的意義がなくなることと等しい。

 

だが、もう隠す必要も無かった。

 

「華雄」

 

「はっ!」

 

愛用の武器である金剛爆斧を壁に立て掛け、華雄は目を輝かせて無二の主を仰ぐ。

これまでの戦いで、彼女はやはり己を最も使いこなせるのが李師という恩人だということが身に沁みていた。

 

その忠誠心は極めて高く、死ねといえば何の疑念も抱かず死ぬ。

それほどの信頼を、彼女は彼に託していた。

 

「趙雲・張遼の両隊が姿を見せるまで、存分に暴れてきてくれ。ただし、敵陣に入ってはならない。あくまでも、突出した敵部隊を叩くんだ」

 

「安んじてお任せあれ」

 

夏侯淵が外に出ている以上、曹操兵は使えない。だがむしろ、それが良い。

卓越した指揮官である彼女を抜きにして、攻勢をかけられるなど敵は考えていないだろう。

 

何せ、唯一優勢な指揮官の質の差を自ら擲つことになるのだから。

 

「それにしても、敵の軍師も案外と甘いな」

 

「と、言いますと?」

 

「私ならばまずやらないが、負けさせて陣まで引き付けてそこを一点集中射撃で仕留めるという手がある。敵にも黄忠という弓の名手が居るのだから、その一点集中射撃に混ぜる形で狙撃してもらえば楽に勝てるだろうに」

 

割りと非人道的な意見に、華雄は僅かに顔を曇らせた。

別に嫌悪感があるわけではないが、嫌悪感剥き出しの顔で己の案を話す李師を見て愉快になれるほど、彼女の人格は屈折していないのである。

 

「……まあ、やらないか。敵に復仇の念を抱かせるような策は、上策とは言えない。やはりこうして、やられたからやり返すというのが、一番反感と疑念を買わないやり方ということか」

 

「敵が卑怯にも複数でかかってきた以上、やり返すのが人として当然の行為です。誰も咎めはしますまい」

 

「華雄。軍師という人種はこういう時、どんな手を使われようが卑怯とは思わないし、思ってはならないんだ。君は軍師にはならないだろうが、『卑怯』を『見事』と言ってやれる指揮官になれる資質がある」

 

相変わらず膝を立て、そこに腕をおいて顎枕にしているいつものポーズ。

完全に感情の平静を取り戻した、智者の姿がそこにはあった。

 

「その策を踏み越えてなお己が勝てたら、『卑怯』とは思わない。『見事』と思うだろう。負けそうになる手を打たれたからこそ『卑怯』と言われる。つまるところ『卑怯』と言うのは褒め言葉と表裏一体なんだ」

 

「なるほど……」

 

「私が兵を伏せていたのも、傍から見れば卑怯で悪辣な策さ。動いたのは連合軍よりも速いし、より卑怯で悪辣なのかもしれないな」

 

軽く自嘲気味な笑いを漏らし、李師は正座して聴く忠犬の皮を被った虎の如き将を見て、更に話す。

 

「一騎打ちと言うのは、私としては好ましいものではない。策と合理とが支配する戦場に夢想的要素を持ち込まれるのは迷惑だ。だが、将を殺していく方法としてはこれほど効率的なものもないのも、また確かなんだ」

 

まだ成長の余地がある、余白の大きい人間にものを教えるほど、彼の熱心さとやる気を呼び起こすこともない。

己では埋められない余白というものが、人にはある。その自己の余白を彩る何物かに己の考えがなれば、それはとても嬉しいことだった。

 

「兵の壁を打ち破らずして、頭を斬れる、と言うことですか」

 

「ああ。それに―――」

 

人死が少なくて済む。

究極の偽善と、彼の嫌う軍事的ロマンチズムがそこにはあった。

 

人を殺したくないのならば辞めればいい。公孫瓚は拒まないし、誰も彼を引き止めはしないだろう。

だが、辞めない。それはもう殺してしまったからということもあるが、今更大量殺戮の罪人である己が余生を安楽に過ごしていいのかという罪科の意識が、彼の心に巣食っていたからに他ならない。

 

十数万人を、殺してきた。その怨みがいずれ己を囚え、殺すだろう。

そして自分は殺されたどの人間よりも惨めな死に方をしてしかるべきなのだ。

 

その為に、安楽を求めてはならない。強迫観念に近いが、彼が辞めたいと言いながら決定的な行動を起こせない理由がそこにはある。

 

自分が死んだら、その殺された十数万人の遺族は手を上げて喜ぶだろう。愛しき人を無惨無慈悲に殺した仇が、遂に斃れたのだから。

 

兵になってほしくなかった。指揮官になど、なってほしくなかった。

他人にそれを強制しておきながら、愛娘に強制することを嫌がる。

 

途轍もないエゴイストであると、後世の言葉が今あったならば言われるに違いない。

己は殺した。兵にも、殺させた。しかし、愛娘には死んで欲しくないし殺して欲しくない。平和に、安楽に生きて欲しい。

 

暴虐に振る舞い、そこそこのところで独り立ちさせればよかったのだろうか。何故こんな大量殺戮者を護りたいなどと、愛すべき被保護者は言ったのか。

 

「李師様?」

 

「ああ、すまない。とにかく……頼む」

 

また、殺せと言った。

どう評されようが、どう讃えられようが、どう貶されようが。

己の本質は、大量殺戮の立案者と実行者と教唆犯の三つを濃縮させた醜悪なものに過ぎないのだろう。

 

「……華雄」

 

「はい」

 

「恋は、優し過ぎるのかな」

 

だから、こんな保護者でも付いてきてくれるのだろうか。

そんな忸怩たる念と、常に付き纏う自己嫌悪とを一蹴するが如く、華雄は言った。

 

「ええ。親に似たのでしょう」

 

「私に?」

 

「これは私の個人的な意見ですが、貴方様ほど悩んでおられる将も珍しいと思います」

 

「それは、君の主観だな」

 

「はい。底辺で足掻いていた私を、救っていただいた。ただそのことのみで、私は貴方様ほど優しい人間をこれから先も知り得ないと思います」

 

一礼して去っていく華雄を半ば呆然と見送り、李師は目の前の光景を直視する。

 

これから、戦いが始まる。それは己が機を選んだことによって始まるものであり、己が動かねば発生し得ない戦いである。

それはすなわち、敵も味方もこれから流れる全ての血は己が流させたという、ことだった。

 

「趙雲・張遼両隊が迂回運動を終える時刻に近づきつつあります」

 

「華雄隊を出し、一騎打ちに出ていた二人を収容。緑甲隊には合図を送らず、華雄隊のみで攻撃させる」

 

「はっ」

 

伝令がすぐさま階下へ駆け降り、華雄の元へと言上する。

華雄はすぐさま了承した。

軋みを上げながら開く門から三千の騎兵が出てくるまで、そう長い時間はかからない。

 

一方、一騎打ちに出ていた二人はと言えば。

 

「元気なことだ」

 

「止まりなさい……!」

 

「殺される為に止まるなど、御免被りたいものだな」

 

弦を切られた弓を捨て、薙刀を取り出した黄忠の水車の如き怒涛の連撃を左右の双剣で防ぎつつ、夏侯淵はチラリと背後に視線をやる。

呂布はあれより祖茂・喩渉・雷薄・梁興を討ち取りながらも、その身に一つたりとも敵の爪牙の痕跡を残していない。

 

そしてまた、僅かな疲れすら見せていなかった。

 

(私の戦況はまあ良いとして、よくもまああの豪傑連中を敵にして圧すことができるものだな)

 

上から目線とも取られかねないが、賞賛に値する武勇である。

尤も彼女が信奉するのは李師と同じ合理であって『呂布が居れば勝てる』などという夢想ではない。

 

そこらへんに、両者の気の合う原因があった。相似ではないものの、類似ではある。それが夏侯淵と李師だった。

 

「む?」

 

背後から、軋む音がする。

いや、何かが軋む自体のはおかしくはない。だが、彼女の背後にあるのは汜水関であり、それが軋むとすれば―――

 

「奉先」

 

「ん」

 

呂布は逃げ出した。

そう形容されてもおかしくないほどの速さで、赤兎馬が一騎打ちの相手たる五人から離れる。

夏侯淵もまたその場から離れるべく黄忠を軽く蹴飛ばして騎乗し、脇へと逸れた。

 

華雄率いる三千の騎兵が出てきたのはそれとタッチの差しかなく、それの穏やかな関外進出はすぐさま苛烈で獰猛な突撃へと転化された。

 

「連合軍から有り難くも教えていただいた、一騎打ちの作法に応えてやるとしよう」

 

割りと染まってきている証拠に、彼女はらしからぬ皮肉を以って部下を鼓舞する。

己一人が突っ込んでも意味はない。部下と共に駆け、その破壊力を一点にかけて圧迫の次に突破。

 

それが、彼女が戦場で学んだ突撃の呼吸というものだった。

 

「一人につき十人でかかって来ていただいた敵には、こちらも丁重に、三百人で以って返してやるのが礼儀だろう?」

 

なぁ、とでも言うようなからかいと、視線の先にある部下たちに向けられていない別な侮蔑が籠もった視線が全軍を睨めつけた後、華雄は高らかに金剛爆斧を掲げ、振り下ろす。

 

「突撃だ!一人残らず踏み潰せ!」

 

華雄の号令は、比喩でも何でもなくその場に漂う空気を切り裂き、己の為のものとした。

 

長槍を手に、剣を腰に。

 

黒い鎧に身を固めた三千の騎兵が、一騎打ちに応ずるべく突撃をかける。

無論、連合軍もただ見ていたわけではない。迎撃部隊としてすぐさま再編できた五千の兵を差し向けるが、それは瞬く間に潰乱した。

 

「こちらが丁重に一騎打ちに応えてやったというのに、誰も応じないのはどういうことだ!」

 

雷鳴の如き怒声が、指揮を執るために華雄隊に背を向けた将たちの背に突き刺さる。

何の不純物もない怒りが、華雄の力を大幅に増していた。

 

だが、怒りで力が増したからといって攻勢限界点がなくなるわけではない。

最初は一万だろうが五万だろうが破砕してやると意気込んでいた華雄隊も五刻の後にはその勢いを失い、圧され始める。

 

その敗退が演技ではないだけに、連合軍の先鋒は物の見事に騙された。

 

華雄といえば、李師の腹心であり随一の猛将である。これを討てば、勲功第一とはいかずとも、その功が大となることは間違いがない。

 

功を焦った一万ほどが突出したあたりで、満を持して趙雲・張遼の両隊がその退路を速やかに切断。

伏兵に驚き、過去のトラウマを穿り返された連合軍が退きはじめたところに、孤立した一万は更に伏せられていた緑甲兵に撃ち竦められ、己の醜態にキレた華雄隊の逆撃を喰らい、趙雲・張遼の突撃を食らって壊滅する。

 

一騎打ちの戦果は、十に満たぬ将と一万に満たぬ兵卒。

これは時間がかかる訳だと笑い合い、対連合同盟軍は悠々と汜水関に引き揚げた。

 


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