北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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前夜

李師が呂布の帰還を『危ないことをしちゃいけないと、いつも言っているだろう』という到底武将に言うべきことではない言葉で迎え、軍の再編を終えた三刻後。

 

前哨戦とも言うべき陽人の戦い以来の大規模な野戦を終えた李師等対連合同盟軍は、すっかり会議場になった上級指揮官食堂で集まっていた。

 

「それにしても、些か軽率だったのではないか?」

 

黄忠をからかっていた時の変貌ぶりを『李師一派という朱に交わり、赤くなってしまったのだ』という一言で切って捨て、夏侯淵は常の薄氷を心に貼り付けたような怜悧な相貌を僅かにほころばせる。

微笑というのか、冷笑というのか。口の端を少し上げたその笑みは、内実がどうあれ美しいのは確かだった。

 

「軽率?」

 

「裏道使ってもうたことや。あれがわからんほど連合軍も馬鹿の集まりやないやろうし……そりゃあ今んとこ戦術的には甘いけど、これ見逃す程やないやろ。見通しは大丈夫なんか?」

 

夏侯淵から貰ったような形になっている硝子でできた舶来の杯に酒を満たしながら、李師はにこやかな体を崩さずに少し笑う。

本日最大の功労者たる華雄は今、部下たちに酒を届けに行っているからここには居ない。

 

その時に切り出すあたり、張遼も中々に強かだった。

 

「また何かの策があるのですかな?」

 

面白そうな雰囲気を隠さない趙雲の方をちらりと見て、李師は好き勝手に飲み食いする面々に視線を回す。

 

呂布、趙雲、田予、張遼、夏侯淵、典韋。

いずれも武勇か、或いは指揮能力において一流の力を持つ勇者たち。そのほとんど全員から『あっと驚く奇策』の内実を明かすように求める視線を受け、李師は肩をすくめて腕を振った。

 

「悪いが、そんなものはない」

 

それは、帰ってきた華雄が一瞬『自分はなにかやらかしたのか』と怯むほどに重く、失望めいた空気が混ざっている。

ほとんど全員が思考を李師にあずけて奇策をこそ望んでいたことが、この一事にも現れていた。

 

「やはり、か」

 

「わかっていたのかい?」

 

「ああ。策は浮かばないでもないが、そんなことをするくらいならいくらでも代案として危険のないものが多々ある」

 

思考を李師にあずけていない数少ない人材である夏侯淵がある意味納得といったような感じで頷き、己が行く前と今との空気の変貌にキョロキョロしている華雄に手で示して着席を促す。

華雄は驚きと不安からなる束縛から解放されたことを感謝するように夏侯淵に頭を下げ、座った。

 

虫食いどころか前半部分が抜けてしまった話の内容は当然の如く、彼女にはわからない。

 

「……まあ、あと四日で決着をつける。その短さなら、調べられたとしても立案・実用に漕ぎ着けることはできないだろう」

 

何を軽く笑いながら、李師は己が一見したところ投機的な冒険に打って出た理由を明かす。

あと四日で決着をつけるという意味がわからぬほど、ここに居る面々は無能者ではなかった。

 

「あと四日で、とは?」

 

誰もが暗黙のうちにわかっていることを言霊として表すべく、夏侯淵が冷静に発言を促す。

それを求められることは、当然彼にもわかっていた。

 

そしてこれを言うことで、更に死者が増えることもまた、わかっていた。

 

「明日からは関外で野戦だ。敵が動いてくれたことにより、士気が下がっている。ここまで読んでの策を用意していたら私の敗けだが、幸いにもそんなことはないだろう」

 

「被った犠牲が多大過ぎる、と?」

 

「そう。罠ならもう少しうまくやるし、士気を下げるような愚は冒さないさ。古来、士気が低い軍隊が勝った試しがないことを向こうも知っているはずだ」

 

これはほとんど完全に、事実という的の中央部を射抜いている。

この一騎打ちにかこつけて袋叩きにし、それに激発した華雄辺りを釣って殺すという策は郭図発案のものであり、それだけのものだった。

 

つまり、袋叩きにして勝った後に汜水関が落ちるわけでもない。死ぬのは騎兵隊長である華雄であって防衛指揮官とその配下は健在なのである。

ただ、敵に勝てるという一時で終わっている愚策であると極限しても良い。

 

劉表の客将とでも言うべき諸葛亮や鳳統、田豊と周瑜はこの発案に『勝ったとしても得るものはなく、連鎖してさらなる戦果を求めることもできない近視眼的な策。実行すべきではないし、それを却って逆手に取られる公算が大』だと反論したが、前者二人はこれに更にこう付け加えた。

 

向こうには呂布が居る。自分たちにその強さはわからないが、ともかく強い。連合軍の将が一騎打ちを挑んだならば当然李師が応じさせるのは彼女だろうし、寄って集っても彼女に勝てなければ士気の低下に拍車がかかることになる。

 

この発言は李師の『愛娘を戦場に出したくない。だけど自由意志は尊重されるべきだし、親はそれに意見を押し付けてはならない』という反儒教めいた複雑な内面を完全に理解してはいないものだったとはいえ、結果的には正しかった。現にこうして負け、士気は下がっている。

 

こんな馬鹿な策で将を失いたくない諸葛亮としては、一騎打ちに拘泥する理由もない。関羽張飛の二人を早々に投入したのはあくまでもポーズであり、味方の内で『侮り難し』との印象を植え付けることに目的を転換した。

結果として呂布を何とか防ぎ続けた関羽張飛の名は高まったものの、それは名誉ある高まり方とは言えない。

 

呂布が圧倒的な中、何とか喰らいついた、と言うようなものなのだから。

 

ともかく、連合軍はその意志が統一されていないのである。

 

「何故でしょうか?」

 

「うん?」

 

「いえ、吾らも寄せ集め。向こうも寄せ集め。どちらも似たようなものではありませんか」

 

華雄の至極まっとうな疑問に、李師はひとつ頷いた。

 

「何故だと思う?」

 

「……こちらは三勢力で、向こうは大小二十にも及ぶ諸侯の連合だからでしょうか」

 

「だが、袁紹が主導権を握っている。細かく分かれているからこそ、その力は一層強大なものなのではないかな?」

 

董卓も公孫瓚も曹操も、全員に共通して言えることはただ一つ。一州のみしか統治下においていない勢力だということである。

 

つまり、反董卓連合軍はその名の通り、二州と半分を支配した袁紹を頂点とし、その下に大小二十諸侯が並んだ連合制。

対連合同盟軍もこれまた名の通り、対等な三勢力が横並びに三つ並び、発言権も軍権も主導権もそれに合わせて三分割された形になっていた。

 

どう考えても、前者の方が意思統一が容易に見える。

実情と相反しているところが、この世の面白いところだが。

 

「……そう言えば、そうですね」

 

「まあ、簡単に言うと主導権を握っている袁紹軍には戦略を組み立てられる人間が多いのさ。だから戦場に立ってから、つまり意見をまとめ切れなくなってからの動きに統一性がなく、戦略的・戦術的な一貫性に欠ける。更には外部からも戦略を見れる人間が入ってきたから、もう収集がつかない」

 

郭図・沮授・田豊・許攸・逢紀・荀諶。ざっと並べただけでもこれほどの数の戦略家が袁紹軍には居り、外部から諸葛亮・鳳統・周瑜が入ってきている。

誰を信任して作戦を一任するかでその戦略の色も変わってくるのだが、袁紹はどうやら気分屋らしい。

 

最初の苛烈な攻めは現場に居る田豊、続くだらだらとした攻囲戦は冀州に居る沮授、最後の一騎打ちは郭図というように、三回も方針がブレていた。

田豊流に徹されても、それが退けられて自軍の被害を嫌ってからの沮授流に徹されても、野戦に引き釣り込む郭図流に徹されても、李師の苦戦は免れない。何故なら敵は数が多い。戦略思想を一つ、徹底して取り上げられただけでも、それを打破するには何万倍もの努力が要る。

 

「一流の人材は田豊・沮授だけと少ないが、だからこそ他の連中がこぞってこの二人の足を引っ張る。引っ張って引き摺り倒しても、その先で仲良く引き摺り倒した奴等での殴り合いが始まる。袁紹軍の中身はそんなところだろうな」

 

「流石は妙才。私の代わりに戦略を立ててみないかい?」

 

「もし万が一、私の気がおかしくなって立てることになったとしても、貴官のものを打ち崩して再び立てる愚は犯さないと約束しよう」

 

いつの間にやら字呼びの仲にまで進展している二人の戦略家が軽口を叩き合い、ニヤリと笑った。

この場合、戦略・戦術というより内政と謀略に傾いた能力を持つ賈駆が現場に居ないのが却って良かったのだろう。そのお陰で初戦での戦闘の戦略・戦術構築を李師が一手に引き受けることができ、そこで董卓軍の信任を得ることができたのだから。

 

夏侯淵も自我よりも理性を優先する質であるが故に、李師の戦略を優先して誰よりも先に賛意を示した。

要は、勝つ自信を抱くに足る戦略的余裕があるからこそ袁紹軍は内輪揉めに精を出すことができ、そんなものはない董卓軍は一つに固まらざるを得なかったのであろう。

 

あとは、夏侯淵が姉の行動の尻拭いに終始していたが故に誰かを立てることが巧く、本質的には梟雄的猛々しさではなく、ある物の長所を伸ばし、短所を消すことのできる―――三代目の君主あたりならば歴史上でもこれほど最適な人物は居ないほどの能力を持っていたことも、大きい。

本人は能力に比した野心に相応しく、改革的な、或いは創造的な能力を保持していることこそを望んでいたが、彼女は予め決められた案の長所を伸ばして短所を消すことで貢献し、至って献身的に李師の案を支えた。

というより、李師の案を聴いた時に己の腹案を私心なく捨て去り、それを改良すべく思考をシフトさせることに長けている。

 

無論それは己と李師の案とが同水準のものであるから、という前提条件が付いてしかるべきだった。

 

彼女が梟雄的な能力を持っていたら、そもそもこうなることを受け入れないであろう。

本人はもちろん、気づいていない。

 

対して李師は、なんとなくそれを気づいてきていた。

同格の者に対して失礼ではあるが、軍師という曖昧な役職ではなく寧ろ参謀長として、この上なく有能だと思うのである。

 

「ともあれ、会議は終了。妙才はこれを見といてくれ。なくさないように頼むよ」

 

「謹んで承ろう」

 

最後に周りの面々を見回し、李師は頭を掻きもせずにいつもの姿勢の悪い座り方のまま、常と変わらぬ様子を見せつけながら、彼は言った。

「もちろん、勝つ為の算段はしてある。だからいつも通り、無理せず気楽にやってくれ」


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