北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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汜水関前哨戦・後編

ここで少し、時を戻す。

 

李師が中央部から攻勢を仕掛けてきた二万の軍を撃退し、両翼への圧迫が強力になった時。張遼がまだ小集団による暴風雨の如き戦いを繰り広げていた時、夏侯淵隊は何をしていたのか。そして李師は、ただ兵の再編の後にサボっていただけなのか。

 

それは単純で、明快なことだった。

 

防御戦闘からの攻勢及び相互掩護。それだけである。

 

「……さて、反攻作戦でも行うか」

 

現有戦力のすべてを使って攻勢をかけた張遼とは正反対に、夏侯淵は巧妙な縦深陣を敷き、弩兵と歩兵とを組み合わせることで被害を最小限に抑え、可能な限りの出血を敵に強いていた。

 

だがそれも、敵の攻撃の中心が隣の中央部に向かっていたからこそ出来たことである。

百ほどの犠牲で二千ほどの出血を強いた後、夏侯淵は兼ねてからの作戦通り反攻作戦に打って出た。

 

『一日目の戦闘の後、二日目には中央部が圧迫されるだろう。その攻撃を、私は凌ぐ。その後に、敵は遊兵と化した攻撃戦力を左右に裂くだろう。その瞬間、編成が終わらない内に攻撃に展じ、敵に出血を強いてくれ。あくまでも攻勢によって、だ』

 

あくまでも攻勢に拘った理由を、作戦の草案を渡された夏侯淵は理解できる。

こちらの攻勢に辟易させ、防御態勢をとらせねばならない。それは中々に難しいが、でないと勝ちに繋がらない。

 

(それにしても、面白い発想の逆転と、言うべきだろうな)

 

普通大敵を打ち破るには堅陣から突出させ、その堅なるを自ら破らせてそこを討つのが定石だった。

であるのに李師は敢えて堅陣をとらせ、そこから打ち破ろうとしている。

 

定石を無視していることが奇策と思うような無能ではない。事実今までの作戦は兵法に理に適っていた。

 

大軍を打ち破るには各個撃破こそ望むべきだろう。大軍を一挙に覆滅するような手腕は、魔術と呼ばねばならない。

 

「まあ、魔術を使えるから魔術師と呼ばれている訳だ。実績ある者を疑うには、己が実績をこそ立てるべきだな」

 

「秋蘭様、敵軍が迫ってきています」

 

肘掛けに肘を立てて軽く笑いながら独語していると、典韋が新たな敵の来襲を告げる。

敵軍は袁紹軍三万。後ろには馬騰軍一万、劉表軍一万。計五万相手に、彼女は一万程度で勝利を掴まねばならない。

 

だが、怯みはない。中央部の七万に対する快勝は、両翼の士気を更に上げていた。

そして、夏侯淵自身も向こうが結果を出したならば、こちらも期待には応えなければならないという捻くれた喜び方で喜んでいる。

 

「袁紹軍か。馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ただ直進されるだけだからこそ、大軍の威容が目立つ。案外無能ではないのかもしれんな……」

 

相変わらず、何故か口調に毒がある李師一党に染められかけている曹操軍の双璧は、一党の首領と同じような評価を袁紹に下した。

奇策にはしって負ける馬鹿ではない。正道であるからこそ小細工も効かず、大軍であるからこそ正道で強い。

 

正道を制すのは奇道であり、奇道を制すのは正道である。正道の用兵家としては、袁紹は無敵に近いのかも知れなかった。

 

李師は奇道であり、曹操は正道。夏侯淵はニュートラルといったところだろうか。

だが、曹操は戦略において正道なだけであり、戦術的には奇道である。

 

双方の資質を持ち合わせた場合、袁紹と相性が悪いのか、良いのか。

少なくとも李師と袁紹の相性はお互いに最悪であろう。

 

戦術的巧緻さを無視しての物量戦が李師の不得手。

戦術的巧緻さを張り巡らされて、正道を崩されれば袁紹の不得手。

 

はてさてどうなるものかと、傍観してみたい気もしてきていた。

 

「どうしますか?」

 

「全面攻勢に移る」

 

典韋の問い掛けに、夏侯淵はそのニュートラルな頭を奇道よりに切り替えることもせずに働かせる。

作戦の考案に関しては正奇智勇の均衡が取れていることが、実行に際しては正奇智勇を切り替えることができるのが彼女の何よりの武器だった。

 

「一口に袁紹軍といっても、内実は派閥の巣食う集合体。騎兵は并州軍、弩兵は冀州軍、歩兵は青州軍だ。現在向かってくるのは歩騎の二兵科。袁紹軍に加わってすぐで功に焦る両者の連動が、速やかであろう筈もない」

 

弓を手に持ち、床几から立って腕を左から右に横薙ぎに振るう。

大仰なその動作は、正の猛将。正と勇に錘を載せてやり、彼女は僅かに均衡を崩した。

 

「その隙を突いて切り崩す」

 

夏侯淵隊一万は縦深陣を解き、全軍を二つに分けて行動を開始する。

後衛として残る片方は弩兵と弓兵を中核とした部隊、前衛として敵陣を切り崩す部隊は騎兵を中核とした機動力と突破力に重きを置いた部隊。

 

言うだけで実行できるほど下士官に恵まれていない夏侯淵からすれば、一々口を出して弱点を剥き出しにしてやり、そこに戦力を集中せねばならない。

 

「衡、覇。私が弓で指定した地点に突撃せよ」

 

「承知致しました」

 

覇と呼ばれた少女の名は、夏侯覇。夏侯淵の―――というより夏侯惇と夏侯淵の双子に新たに加わった七人の一門の内の、一人だった。

厳密言えば従姉妹であり、妹ではない。しかし、衡・覇・称・威・栄・恵・和は曹操と言うよりも、どちらかと言うと夏侯淵を主と慕っている。

 

故に彼女はその意思に応え、将来子飼いの指揮官となりうるであろう能力に期待しながらも、あくまでも中級指揮官、ないしは下士官として従軍させていた。

一族だからといって経験を積む前に大任につけるとろくなことにならないというのが、彼女の主義である。

 

「兵は如何ほど?」

 

「一人二千だ」

 

夏侯衡は五千、夏侯覇は八千、夏侯称は三千、夏侯威は七千、夏侯栄は四千、夏侯恵・夏侯和は参謀。

それくらいが最高の能力を発揮できるラインだと、彼女は誰にも言わないが考えていた。

 

己は、どうだろうか。

 

(華琳様も仲珞も、多々益々弁ず、というやつだろう。私も、そうありたいものだが……)

 

己を見るには、自分の眼は不純に過ぎる。

後で仲珞にでも訊いてみるかな、と。夏侯淵は一人で呟き、驚いた。

 

「この夏侯妙才が誰かに相談したいと思うとは、随分とほだされてきたと見える」

 

だが、嫌ではない。

 

そんなことを考えながら、中央部をちらりと見る。

再編中の敵軍に対し、兵たちの集結地点を見抜いて厭らしく一点集中射撃を行っている以外は、不動。だからこそ、こちらとしても戦い方があった。

 

「まずは、そこだな」

 

放たれた一矢に続くように、二千騎を率いた夏侯衡が突撃する。

続く一矢で、夏侯覇が待ち兼ねたとばかりに吶喊した。

自身と言う名の楔を打ち込むことに成功した二隊を三千の直衛騎を突撃させて素早く圧し込み、微細な連動を破砕して分断する。

 

最初の獲物は、青州歩兵であった。

 

「分断した青州歩兵に、射撃を集中させろ。騎兵は一時放置し、歩兵の前進運動の頭を叩く」

 

最早呼吸の如く行える斉射三連を三セット喰らわせ、堪らぬとばかりに潰走していく青州歩兵の背中を踏み躙る夏侯覇の血気盛んな姿を見つつ、直衛騎を収容し始めた夏侯淵の元に、予想の範疇にある報告が届いた。

 

并州騎兵が遅まきながら前進を開始したのである。

彼等はどうも、青州歩兵が矢を叩きつけられている間に射線に突っ込めば自分たちも二の舞いになると判断したらしい。

迂回しようにも魔術のタネをせっせと仕込んでいる最中の李師が率いる不動の中央部が邪魔となり、逆に回り込もうとしても青州歩兵が邪魔をする。

 

彼等は、狭い地形を利用した夏侯淵の連動阻止に見事に引っ掛かったと言ってよかった。

 

身動きが取れず、立場上退く訳にも行かず、止まる。

 

「戦術的には正しい判断だが―――」

 

ニヤリと笑い、夏侯淵は夏侯覇を戻すようにとの旨を言い含めた伝騎を放った。

 

見捨てれば、尚更間隙が広くなるのではないか。戦略においてはというより、これからの袁紹軍にとっては悪手でしか無い。

 

突撃してくる騎兵は、収容し始めたら弩兵が無力になるとでも思っているのだろう。

 

確かにそれは正しい。しかし、騎兵の前でそんな腹を晒すような真似をするわけがないではないか。

 

「姉様。擬態を解きますか?」

 

「どうせ死ぬ。ならば、夢を死ぬまで見せてやれ」

 

「はっ」

 

夏侯恵の問いに凄絶な美しさを湛える笑みで応え、夏侯淵は腕をすらりと揚げた。

収容し始めたように見えた騎兵がさっさと分裂して退路を絶ち、弩兵が崩した体を装った備えを埋める。

 

「この斉射で、勝負は決まる」

 

元来激情家なところがある彼女を覆っている氷に亀裂が奔り、熱された意志が兵たちを奮い立たせた。

歩兵の掩護なしに騎兵の前に立つのは、自殺行為。ちゃんと指示に従えば勝てるとわかっているが、恐怖と無縁でいられないのが兵である。

 

そんな彼等彼女等を、夏侯淵はその命令一つで恐怖から一時的にせよ解き放った。

恐怖に竦むタイミングも、どこで喝を入れてやればいいかも、夏侯淵には天性の資質でわかっている。

 

それは正しく、兵たちに届いた。

 

「弩兵、斉射三連!」

 

急に止まれなかった騎兵を、三重に放たれた矢が薙ぎ倒す。

斃れた屍体を咄嗟に乗り越えられるのは流石だが、それが騎兵隊の突撃を遅らせた。

 

「次発装填。右方向に射線を集中させろ」

 

「左方向はどうなさいますか?」

 

「緑甲兵が射線を向けている。心配は無用だ」

 

この頃には、李師は敵の第二陣を射撃でつつき過ぎたが為に突撃を喰らい、百ほどの犠牲を受けている。

突撃を喰らったお礼として半数をハリネズミか、馬蹄の下敷きにして撃退したが、彼としては兵の疲労を嫌い始めていたのだ。

 

つまるところ夏侯淵は李師の手が空いた時に、その絶妙な進退の見事さでクロスファイアポイントに誘引していたのである。

この誘引に気がつなかければ李師もそれまでだが、彼女は李師の視野の広さを信頼していた。

 

ツーカーの仲という奴なのか、息を合わせるように交差射撃は正確無比に敵の命を奪い、精鋭で鳴った并州騎兵を槍を合わせる前に殆ど壊滅せしめている。

 

「全隊前進」

 

「はっ!」

 

夏侯恵の敬意にあふれた声を背景にし、夏侯淵はまるで戦闘をこなしたことが夢煙の中であったかのような整然とした陣形で次なる敵に向かう。

縦深陣に引っ張り込んで討った敵は二千。射殺した者は五千。騎兵で殺戮した者は二千。後は殲滅しきれず、逃さざるを得なかった。

 

次の一万にぶつかるには、九千弱の兵は過分に過ぎる。

 

「敵軍、突撃してきます!」

 

「旗は」

 

「馬。牙門旗がないところから、馬超の手勢だと思われます!」

 

「ほぉ……」

 

思わず背筋がぞくりとそばだつほど色気のある声色で溜め息とも感嘆ともつかぬ声を上げ、夏侯淵は猛禽と評された己の獰猛さを一片のみ出した。

 

「ならば一年の先達としてのせめてもの手向けだ。青二才に用兵の何たるかを教えてやるとしよう」

 

今まで働いていなかった歩兵を前に出し、李師の騎兵に脇を固めさせて弩兵を後ろに格納し、更にその後ろに夏侯覇の騎兵を隠す。

夏侯淵の迎撃態勢は、馬超が考えるよりも遥かに早かった。

 

「突撃態勢を取り次第、覇の隊を右回りに迂回させて敵を半包囲し、集中射撃を浴びせて殲滅する。弩兵は歩兵の作る防御壁から散発的に射撃を行い、突撃を多少なりとも阻害せよ」

 

指示通りに部隊が動き、脚が鈍化した瞬間を縫って夏侯覇が後部との連絡線を切断する。

その瞬間歩兵の後ろに隠れていた弩兵が両翼として、両脇の騎兵が両翼として展開した位置から夏侯覇の掩護を開始した。

 

馬超隊三千は八割の犠牲を被り、命からがら落ち延びる。

 

この犠牲を以って、二日目の戦いは終結となった。


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