北の盾たる己が身を 作:黒頭巾
コイクチ様、野々と様。十評価感謝感激であります!
十件を超える感想、感謝です。アイデアを刺激されたおかげで、手早く書けました。
田豊が隠し立てをせずにそう献策した時、右翼部では最後の反攻が行われていた。
李師の心理的トラップで敵の対応を不可能に近いほどに鈍化させ、田予の部隊運用の見事さで右翼部を半包囲すべく全軍で展開を終えた対連合同盟軍三万は、凄まじい攻勢をかけている。
今までの李師は智将とでも言うべき冷徹さと先読みで以って敵の手から己の手を出すことなく落下させ、それを拾ってきた。
しかし今、腕ごと引き千切ってやるかのような猛攻を仕掛けていたのである。
「華雄、行け!」
「はっ!」
一点集中射撃と斉射三連で局所的優勢を決定付け、李師はいつになく声を張って彼の最も信任する矛を投擲する。
夏侯惇よりは破壊力に劣るが、機動力に於いては勝る華雄隊五千は、味方騎射隊七千と弩兵隊八千の掩護を受けて突撃を開始した。
「いいか。敵右翼部はこちらに撃ち竦められ、数を四万にまで減らしている。こちらは三万。攻撃にしているのは二万。向こうの二分の一だが、敵のまともに参加している兵力は五千に満たない。吾々は四倍の兵力で以って四分の一を蹴散らせば良い。
今までこの華雄隊は己の数倍の敵に突撃し、勝ってきたのだ。四倍の兵力で、負ける筈もない」
配下の兵の士気を鼓舞し、彼女は彼女らしい言葉で突撃前の台詞を切る。
「大軍に区々たる用兵など必要ない。ひたすら前進し攻撃せよ!」
地を揺らすような咆哮と共に、華雄隊は数量的には八倍の敵に突撃を敢行した。
滅茶苦茶な理屈を言ってもなんとなくそれらしく聴こえるのが、彼女の才能であろう。場の勢いにのせるのが巧みなのである
「用意してあるな!」
「はっ。ですが、四倍の張りを持たせては、如何なる弩も一射で壊れてしまいます」
「問題ない。吾々は突破力をこそ必要としているのだからな」
前衛たる彼等二千が手に持つのは、四倍の張りを持たせた弩。
矢は既に装填してあり、今にも壊れんばかりの軋みを上げている。
こんな張りを持たせた弩が放たれれば、敵兵を鎧ごと撃ち抜くのは疑いがなかった。
「撃てッ!」
最早お馴染みの一点集中射撃が行われ、前衛二千の放った矢が敵兵の鎧を撃ち抜いて薙ぎ倒す。
「弩を捨て、総員近接戦闘用意!」
龍の咆哮をまともに喰らった如く斃れ伏す敵軍を前に、華雄は一際大きく叫んだ。
「金鎧は目立つ。目の前に見えた金色は全て殺せ!」
華雄は猛進する。薙ぎ倒された敵を馬蹄に踏み敷き、斧の刃で全てを斬り殺していた。
正面に対抗する為に堅牢な隊列を組んでいたことが仇となり、まともな方向転換もできない敵軍を突き崩すなど、華雄からすれば草を刈るほどに容易である。
半ばまでを半刻(十分)たらずで突き崩したあたりで、華雄の視界に纏まって抵抗しようとする一軍が見えた。
纏まって陣を固めているならば突き崩せる。
獰猛な笑みを浮かべつつ更に猛進すると、その一軍は呼応するように前進を開始した。
防御に徹していては止められない華雄隊を逆に攻め、撃退して後撤退する。
劉表軍の客将である劉備の配下である諸葛亮と鳳統が土壇場で立てた策が、それだった。
敵はひたすらに猛進してくる。逆撃を喰らわせて攻守を転換させることも容易ではないが、背中を見せれば更に血を流すことになるのだ。
華雄からしてもこれは想定外なことであったが、敵となる劉表軍八千からしても想定外なことが起こっていた。
侵攻速度が速過ぎたのである。
弩が破壊に追い込まれることを覚悟しての四倍張りの一点集中射撃で屍と変わった者は三千よりは下でも千は下らない。
彼らを突破するのに必要な時間も、諸葛亮と鳳統は精密に計算して逆撃態勢の構築の一助としていた。
その誤差が、モロに出たのである。
しかし、そこで脆くも崩れてしまうほど諸葛亮と鳳統は甘くはない。
時間に誤差が出たとわかった瞬間に何とか計算をやり直し、時間を詰めて逆撃態勢を整える。
結果として、諸葛亮と鳳統は自軍の集結と統率、逆撃態勢の構築を短時間で終わらせることによって李師と夏侯淵から感嘆を得た。
しかし、それはあくまで己の局地的な戦術的劣勢を覆しえるものに過ぎず、全軍の崩壊は防げない。
「ごく局所的な戦術的には正しい判断だ。些か遅きに失するが、自軍の保全としては正しい」
「見事だが、もう遅いな」
弩兵と弓兵を統率して敵の展開を阻み、敵の堅陣を脆弱な斜め前と横部から突き崩していた二人の将が、別の場所で同時に、殆ど同一の事象を見て、褒める。
最早勝ちは揺るがない。横から突入した華雄隊が損耗しても、斜め前から突入した張遼隊が敵の堅陣を打ち崩すのだ。
だが、できるだけ被害は出したくはない。
その彼の意思を実行し、死者を減らすことができるのは、彼等ではなく最前線に立つ華雄なのである。
彼女は能動と機動性に富んだ速攻に定評があるが、その反面迎撃戦となるとやや粘りに欠けていた。
この大陸の将では夏侯惇に近く、攻勢に強い猛将だと言えよう。
この逆撃をいなせるのは、夏侯淵と張遼。わざと退いてカウンター逆撃を喰らわせてやるのが、趙雲。
意に介さずにも突撃して無理矢理突破するのが夏侯惇な為、誰もが正面衝突めいた光景を一瞬後の光景として幻視していた。
その時である。
「構うな、敵に突破させそのまま前進だ」
「迎撃はなさらないのですか?」
「後ろの夏侯淵に擦り付けてやろう。吾々はただただ前進するのみだ」
受け流すというような芸当を持ち合わせることもない華雄は、突撃に合わせて自軍を左右に突撃させて真っ二つに割ることで対処した。
少ない兵力を、更に細分化したのである。
「とは言っても、合流地点を決めていなかったな……」
機敏で能動的な用兵を持つと言っても、まだまだ危機に対応出来るだけでその後の危機を招きやすい思慮の浅さを露呈させ、華雄は咄嗟にとった左右分割をどうするかと考え、咄嗟に思いついた。
一度敵の横に突撃させ、そこから敵を避ける為に左右に突撃させた。ならば、一方はそのまま左に抜けて敵の後背に回り込み、もう一方はそのまま右に抜けて敵の前方に回り込み、それぞれ斜め方向から突入。その交差地点で方向転換して斜行突撃から直進突撃に切り替えれば合流できるのではないか。
「取り敢えず将軍が突撃なされば、向こうも合わせるでしょう」
「ならそうしようか。もう少しで敵右翼は崩壊する。ここは放っておいてこちらは右回りに、分割された別働隊は左回りに斜め方向から突入して中央部で合流しよう。伝令を送れ」
「はっ」
結果的に、この気がおかしくなったとしか思えない用兵は華雄の常軌を逸した突破力と敵の士気の低さと潰乱ぶりから成功する。
一度左右にわかれた華雄隊は、敵中央部で合流。多少の混乱はあったものの概ね大過なく再度の直進突撃に入れた。
問題は、逆撃をした筈がその標的を喪い、計らずとも突撃態勢に入ってしまった劉表軍八千であろう。
彼女等は、動揺した。突撃してくる猛獣を迎撃しようと前に出たら、そこには猟師がいたのである。
凡将ならば、これに動揺して寧ろ退く。だが、鳳統は敢えて直進した。
下がっても被害が出る。下がった後に突破しようとしても被害が出る。
ならばこの機会をむしろ活かすべきではないか。
総員が覚悟を決めて突撃してくる様を、一方的に射殺し、掩護する役に徹していた筈が迎え撃つ側に立たされた両者はこう評した。
「あれは手強いし、将も軍師も非凡だ。まともに戦いたくはないな。
妙才なら、合わせてくれるだろう」
「なるほど、死兵だ。まともに相対する愚は避けるべきだな。
仲珞ならばいなすか、或いは解くか」
緑の鎧の軍と、黒に青の装飾を施した鎧の軍。
両軍の隙間を縫って突破しようとした諸葛亮の前に広がったのは、尖端がぶつかる前に左右に旋回していく敵という、どこかで見たような光景だったのである。
「包囲し、正面から射撃しているから懸命に生きようとして死兵になる。ここは逆に一部を解いて脱出させ、その地点に射撃を集中させれば『交戦する』ことよりも『逃げる』方が生存率において勝ってしまう。死兵の交戦意志が生存欲求によるものである以上、彼等は必ずその脱出できる地点に先を争って飛び込むはずだ。そこを狙う」
「お得意の心理的罠を仕掛けていると見える。合わせてやるのが最善、だ」
左右にわかれた二軍は、お互いの目的を読み切ったが如き見事な連携で再展開し、密集すれば辛うじて脱出できる程度の穴を開けた。
ここで散開した後に密集し、敵陣を強行突破すれば、勝てる。
そう思った鳳統は素早くその旨を伝達した。
対抗策は残されている。そのように見えたのである。
「駄目です!兵が我先にと敵の包囲陣の欠損部分に飛び込んでいきます!」
更に悪辣なことに、李師は最初の数百人には矢を放たなかった。
これによりあたかも『脱出できる安全な地点ですよ』と実演してみせる。
こうなると、もう兵たちは一直線に欠損部分に突撃した。
そして結果として、凄まじい密集隊形をとってしまっていたのである。
「敵の密集部分に一点集中射撃を行え。なるべく正確に、効率的にだ」
「斉射三連。敵の密集部分の中央に、仲珞は射撃を集中させるに相違ない。吾々のやるべきは周りを的確に打ち崩すことだ」
矢が横殴りの雨のように降り注ぎ、おそらく正面から戦えばただでは済まなかったであろう八千の軍は忽ちその総数を減らした。
劉表軍は実に六割の被害を出し、潰走というべき体をとって荊州に命からがら落ち延びることになる。
この戦いで、反董卓連合軍の右翼は壊滅した。
左翼の袁術は負けたと見て脱兎の如く逃げ出し、呂布隊の紡錘陣形をとっての突撃で一割の損害を出して撤退。
残っているのは、中央部で頑強な抵抗を続けている袁紹軍のみであろう。
「追撃致しますか。今なら劉表軍を殲滅することも苦ではないと思いますが」
「余分なことに戦力を裂く余裕は、吾が軍にはない。ここは袁紹を捕らえることに注力し、確実にそれを達成することが肝要だ」
「わかりました」
兵たちの疑問と焦燥、無用な突出を抑える為に敢えて彼の取らないであろう策を提言した趙雲が一つ頭を下げてその場を辞した。
あくまで形式的にも、選択肢を外して無用な行動を止めなければならないことを、彼女はよくよく理解している。
無論、それが自分らしくはないということも。
「伝令!」
「どうした?」
それからしばらく頑強な敵の中央部を半包囲して攻め続け、趙雲隊を後方に回り込ませて敵の脱出に備えようとした時、赤い装甲を纏った親衛騎の内の一人が本陣へと駆け込み、歓喜と興奮を言葉の節々に滲ませながら息を整えた。
「吾ら親衛騎、敵盟主袁紹を二刻の並行追撃の末に捕らえました」
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