北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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投降

天下の情勢について、触れておく。

この半年以上かかった反董卓連合軍対対連合同盟軍の戦いで、主要な各勢力は等しく消耗し、小勢力は兵の数割という回復不可能なダメージを受けて滅亡した。

 

戦前の二大巨頭である董卓軍は劉焉に後背を突かれて長安を陥落させられた上に捕虜にされ、袁紹軍は諸侯に対する影響力と名声、広大に過ぎた領土の一部を失い、更には主君と主力部隊をまるごと捕虜にされている。

 

曹操軍と公孫瓚軍も軍を消耗させ、すぐに侵攻できるほどの力はない。人的損失はさほどでもない袁術も武具兵糧を投げ捨てて逃げ散ったが為に征旅が困難。

 

劉焉軍もなんだかんだで頑強に抵抗した董卓軍防衛部隊による守城戦で数を減らされ、更には内部にまだ爆薬を抱えているような状況だった。

天下に突出した勢力が消えてしまった日より、二日。

 

劉焉に長安をとられたとの急報が、激戦の末で蓄積していた疲労を癒やしていた汜水関の将兵の脳髄を貫いたのである。

 

「予想より速かったな」

 

「予想しとったんなら、なんで予め対策しとかなかったんや?」

 

「どうにもならないからさ。わかっていても、吾等が勝つには一昨日が最速だったんだ。わかることと、防げることは違う」

 

やっぱり全部できるというわけではないのか、と変に納得する張遼の表情は明るいが、やはり暗さが見え隠れしていた。

兵たちの手前そう振る舞わざるを得ないのだから、将軍と言うのは大変な職業だといえるであろう。

 

まあ、感情がダイレクトで表情に反映させられる張遼とは違い、両隣で共に円卓を囲んでいる二人は基本的に自然体でそれができていた。

 

片方は血の気も多いが冷静であり、野心家ではあるが自制心に富む。

もう片方は敵対視した者にはとことん無視と不干渉を貫くが、基本的には包容力とでもいうべきものがあった。

 

「で、内容は?」

 

「董卓と賈駆を捕らえた。こちらも捕虜としている兵が居るから、これら二人と袁紹軍の軍兵を交換しようと」

 

「こちらは三万と幹部七人、むこうは一万足らずと幹部二人。釣り合わん取引だな」

 

感情と大義というものを撤廃したような夏侯淵の捕虜交換に否定的な感想に、張遼は口をへの字にして微妙な顔をする。

彼女としては勿論この捕虜交換に応じて欲しいのだが、この二人の意見が応じたくはないというものならば抗す術がない。

 

何せ袁紹を捕らえたのは呂布で、降伏に追い込んだのは夏侯淵と華雄と己。

第一功は勿論作戦立案者の李師だが、第二功は陽動を完璧にこなした上で敵盟主を捕らえるという手柄を上げた呂布。第三功で華雄と張遼と補佐に徹していた夏侯淵が並ぶのだ。

 

華雄は実質はともかく名目は董卓軍なので、発言権としては李師勢力、董卓軍、夏侯淵勢力となる。

 

つまりどうなるかは、李師の発言にかかっていた。

 

「私としては、この捕虜交換を受けようと思う」

 

「おぉ!」

 

「まぁ、妥当だな」

 

理由としては三つある。

 

まず、彼等の主兵力は借りた董卓軍の軍兵であるということ。

 

次に、補給が途絶えて矢があと一戦で払底しそうな有り様であること。

 

最後に、この戦いがあくまでも董卓を助けるという題目で行われているということ。

 

「これら三つの条件から、袁紹達は返す。勿論、条件に入っていない武装と物資は吾々がそのままいただけばいい」

 

「それに関してだが、少しいいだろうか」

 

「どうぞ、夏侯将軍」

 

悪そうな笑みを浮かべた夏侯淵が挙げた手をチラリと見て、李師は少し不穏なものを感じながら発言を許可した。

三者同地位を掲げている癖に担がれてしまっているあたり、彼の足元と脇は甘いとしか言えないであろう。

 

「郿と敖倉、滎陽に董卓軍の補給物資が貯まっている。これを余分な警備兵ごといただいてしまおう」

 

「確かに条件には入っていない。が、許可が無いのに占領される前に引き上げられるかな?」

 

「ウチ、一応補給担当も兼ねとるから最速で運んでこれるで」

 

敵にみすみす軍需物資を与える気もない三者としては、この提案はできるならばしたいことだった。

 

こうして一先ず返答を先延ばしにし、張遼が郿・敖倉・滎陽へ向かう。

敵は長安を占領しただけで周りにまで手を回していないことが、この際上手く働いた。

 

勿論、最上は各地に分散して軍を差し向けて無制限に領土を広げて貰い、各個撃破することだったのだが。

「それにしてもこれは、嫌がらせに近いな」

 

「露骨過ぎるな、その表現は。布石を惜しまぬ、とでも言っていただこう」

 

敗けたからといって、すべてを諦める必要もない。復仇戦をするにせよ力を溜めるにせよ、軍需物資と兵員は多くいればいるほどよいのである。

 

こうして長安以東、汜水関以西の董卓軍の余剰兵員と物資を糾合した汜水関駐留軍はその兵力を四万にまで回復させ、矢や金穀糧秣が倉庫で唸りをあげているという―――少なくとも兵力と物資の上では一大勢力となった。

これは仕方ないことだが、ここまで上手く行っては民間の為の物資と最低限の警備兵には手を付けないという都合上、全てを渡さない訳にはいかなかったのが画竜点睛を欠く。

 

焦土作戦をすれば軍事的勝利から董卓の次代政権を復権をなすこともできたのだが、それは三将とも望むことではなかった。

李師は野心がなく、夏侯淵はどうでもいい人間の為に働く気がせず、張遼の忠誠の対象はあくまでも董卓に向いている。

 

なにより、軍事的勝利は政治的勝利を得る為の一因でしかなく、逆はありえないことを三将は知っていた。

焦土作戦は、少なくともそれを行った土地で軍事的勝利を得られるかもしれないが、政治的勝利に得ることは極めて困難となる。

 

そもそも徴収や焦土作戦をできる性格ではない李師と、あくまでも計算で行うことに否定的な夏侯淵と、感情的に無理な張遼の方針が一致したのは幸いであった。

 

「敵は長安に篭った五万。勝ち目は?」

 

「九割勝てる。が、戦わないからこの数字に意味はないんじゃないかな」

 

城攻めに奇策は通じない。少なくとも軍事的な働き掛けは物理的な防御力がそれを阻む。

城攻めとは心を攻めることではあり、如何に効率的に敵の心に孤立と敗北感を植え付けるかが鍵だった。

 

心理戦ならば一日の長があるこの男に夏侯淵が尋ねたのは、ある意味必然と言える。

 

「勝てると言う気構えでいくのと、負けると言う気構えでいくのとでは結果が大きく異なることもある」

 

「それもそうだ」

 

何となく会話が終わった二人の間に沈黙が満ち、しばらく互いに頭の中で未来を予想すべく筆をとった。

結果的にその予想図を描き終えたのは、夏侯淵が一足速かったのだろう。

 

彼女は目の前に話し相手が居たことを思い出したように唐突に、口を開いた。

 

「そう言えば、貴官は未だ不敗なのだろう?」

 

「小競り合いを含めれば七十三勝二引き分け、かな。敗けてはいないが常勝というほどは勝ててもいないし―――不敗というのが正しいのかもしれないね」

 

「それにしても凄いものだと、私は思うが」

 

基本的に彼は手堅く敗け難い状況を作って奇策を以って敵を不利に置き、心理戦でこれを討つ。

 

孫子の虚実編にあるような兵法を、彼は好んでいた。

 

例えば、先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨く者は労す。

要は先に戦場に到着して敵を待ち受ける方はユトリがあり、後から戦場に駆けつける方は余裕が無く苦しい戦いを強いられるということだが、彼はその迅速な行軍で、陽人でも汜水関でも常に待ち受ける側に立った。

 

そして、実際兵を動かすときには『善く戦う者は、人を致して人に致されず』を守り、自分が主導権を握っており、他人に引き回されることがない。

引き回されるように見えてもそれは『能く敵人をして自ら至らしむるは、之を利すればなり』、つまり敵が動くに相応しい利益を態と見せ、誘引している。

最後の斜行移動による片翼包囲戦法にしても、奇策に見えるが『攻めて必ず取るは、其の守らざる所を攻むればなり。守りて必ず固きは、其の攻めざる所を守ればなり』、『攻めて必ず成功するのは、敵が守っていない所を攻めるからだ。陣地を必ず守り抜くのは、敵が攻めることの出来ない所にいるからだ』という原則を守っていた。

 

「虚実編の実行者と、言うのかな」

 

「うん?」

 

「言い換えるなら、巧妙に隠した落とし穴の上に金貨を置いておくような用兵だということだ」

 

元々軍人志望ではなく、よって孫子を読んでいない彼からすれば、虚実編などは知る由もない。彼は歴史家になりたいのであって、思想家や兵法家になりたくはないのである。

 

「私の用兵をそう評したのは君で二人目だ」

 

「ほぉ、一人目は誰だ?」

 

「張然明殿さ。この漢には勿体無いほどの見事な御老人だった」

 

檀石槐と愉快な六人の仲間たちが侵攻してきた時の征北将軍であり、涼州三明の二人と共に異民族の侵攻を迎え撃った。

現在三人とも存命しており、全員が男であったことでも知られる前時代の名将たちである。

 

「御年幾つになられる?」

 

「征北将軍になった時に七十とかだったから、今は八十とかじゃないかな。勿論、まだ御老人の時は停止していないよ」

 

「易京の戦いを境に、隠棲されたのであったな」

 

他の涼州三明も引退し、そして李師は征北将軍を辞めた。

前の征北将軍が次の征北将軍に従うという異常事態を引き起こさなければならない程に、その当時の漢は切迫していたのである。

 

「まあ、易京の戦いは私の二引き分けの内の一つだ。撤退に追い込めたから勝ちと言ってもいいのかもしれないが、血を流し過ぎた」

 

「五十万を五万で引き分けに持ち込めるのだから大したものだろう」

 

「その大したものはその後、敢え無く牢に叩き込まれたがね」

 

易京の戦いで檀石槐が流れ矢にあたって死ぬと、六人の仲間たちは分裂して異民族同士での抗争が再び幕を開けた。

つまり、傑出した軍指導者は不要になったのである。

 

「狡兎死して走狗烹らるというのは、漢の通弊だからな」

 

韓信からはじまった、伝統とも言って良い。

歴史的に見れば軍事的に傑出した指揮官は敵があってこそ喜ばれるが、敵を討ち破った後は掌返しで殺されていた。

 

「そして私はなんだかんだあってやる気が尽き、引退した。そんなところさ」

 

易京の話をしたあたりで、彼の頭は別な方向に回転を始めていた。

あそこには、北に向かって設営された防御陣地が無数にある。

 

それと同じ様なものを南側にも作れば楽に袁紹に対抗できるのではないか。

袁紹と精鋭三万を返すにしても、対策は立てなければならない。その為には易京の重要さを敵が認識していない事が必要だった。

 

「失礼致す」

 

入ってきたのは、趙雲。字は子龍。三叉に別れた槍を巧みに操る撤退戦の名手である。

 

彼女に続くのは、焦げ茶色の髪をした不敵そうな女性。将官クラスを集めた会議では、見たことのない人物だった。

 

「こちらの方が気になりますかな?」

 

「まあ、見たことのない顔だからね」

 

不敵そうなところは君にそっくりだよ、とは言わない。

類は友を呼ぶのかとも、言わない。

 

趙雲相手ならばともかく、別に初対面の人間に軽口を叩くほど社交的でもなかったのである。

 

「こいつは麴義と言うのですが、主に仕えたいと申しましてな。捕虜の癖に大口叩く身の程知らずですが、一応連れて参りました」

 

「大口叩くとは存外趙子龍殿も口が悪い。ワタシはただ能力に対して正当な評価を要求しただけだと言うのに」

 

ああ、曲者だ。一目見て、一言聴いただけでそれとわかる曲者だ。しかも趙雲とか成廉とか魏越とかと同類だ、と。

自分のことを棚に上げ、李師はそう確信した。

 

「ワタシを用いませんか、李師殿。あなたが敗けない限りは、ワタシは忠誠を誓いますよ」

 

「極めて辺境的な発想だな」

 

「御理解いただけているようで何より」

 

辺境、と言った時の口調に納得があっても侮蔑がないことに疑問を持ちつつ、麴義は芝居がかった調子で首肯する。

彼女は涼州西平郡出身の人物である。はじめは馬騰に仕え、韓遂に敗けた馬騰を見捨てて韓遂に仕え、その後韓遂の画策した叛乱が鎮圧されるとその鎮圧に来ていた韓馥に己を売り込んで仕えた。

その後は韓馥の双璧として張郃と共に活躍し、韓馥が袁紹に冀州を取られるにあたって自ら叛乱を起こして袁紹を迎えている。

現在も同僚となっている張郃は一応最後まで裏切らなかったことを考えると、彼女の裏切り癖は異常と言えた。

 

こんな危険人物は早々に殺されそうなものだが、彼女は精強な歩兵と弩兵を率いている。

更には、指揮能力に長けていた。

 

その能力は三日目の戦いで―――元々退く前提であったとはいえ―――華雄の猛攻と趙雲の巧緻極まりない誘引をものともしなかったところに表れているし、田豊が『あいつならば華雄の猛攻を防げる』と信用したことにも表れている。

 

その袁紹軍の勇将が、また敗けた主を見限って主を代えようというのであった。

 

「この女、四回裏切っております。尻軽もいいところですが、どうなさいます?」

 

趙雲の明らかに面白がっているような言葉に、李師は軽くため息をついてこれに応じる。

この手の人間の扱いは、彼には慣れていた。

 

「麴義には重歩兵の指揮を任せる。弩兵も現有戦力は己の判断で指揮していい。速やかに兵を纏めて編入するように」

 

「ワタシにそこまで任せるとはまた、破格ですな」

 

「ああ。私は敗けようと思ってはいないからね」

 

刺青が入っているから一目でわかるが、彼女には異民族の血が入っている。

異民族の思考は、漢人とは違うのだ。

 

強い者にこそ忠誠心を懐き、その忠誠心は強い者が強い者である限り減衰することがない。時には己の身を擦り減らし、危機に晒すかのような不屈の勇戦を見せる。

 

漢人の忠誠は『名誉、信念、信義』を源泉とするが、彼女のような人物は『強者』のみ。

 

強い者には犬のように従う。強者の為ならば悪名も嬉々として被る。

だが、強者が弱者になればあっさり裏切る。彼からすれば、はっきりしていてわかりやすい。

 

と言うより、信念とか信義とかいう概念的なものを強烈に信奉する者が理解し切れない彼からすれば、異民族系の思考を持つ彼女はやりやすかった。

 

「では、敗けない限りは忠誠の限りを尽くさせていただきます」

 

「ああ。君の受け持つのは歩兵。戦場の主役だ。勇戦如何によって勝敗が決まるとも、言っていい」

 

敗ける原因となるのは君かもしれないけどね、と軽くプライドを擽るようなことを言ってやり、ムッとした麴義に手を差し出す。

 

「君の勇戦、期待しているよ」

 

「応えましょう」

 

 




檀石槐「お前を叩きのめしたのはこの檀石槐だ。次に叩きのめすのはこの檀石槐だ。覚えておいてもらおう」

張奐「貴官は自己の才能を示すのに、弁舌ではなく実績を持ってすべきだろう。 他人に命令する前に自分には出来るかどうかやってみたらどうだ!」

皇甫規「すみません。食事の途中だったもので」

段熲「おぉ、撃ちまくれ!ここで死んでも無駄死ににならんぞ!」

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