北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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休暇

「……いかない、の?」

 

「行かない。何も考えたくない。何もしたくない」

 

疲弊し切った李師は、呂布の問いに三種の否定で以って答えた。

行軍路を拓かせる為の作戦立案、各個撃破の為の作戦立案と実行、汜水関籠城戦でタイミングを見極める為の観察と、最前線に立っての勇戦。野戦に際しての心理的罠の構築から、謀略の存在探知。

 

彼は、心身ともに磨り減っている。故に己の援軍という立場を利用し、董卓と賈駆の相手は総大将たる張遼にさせれば良いと思っていた。

 

「……疲れた?」

 

「うん」

 

彼は本質的には怠け者だとしても、職務上科せられた仕事は勤勉とはまでは言えないまでも最低限こなし、結果としてみれば給料の何倍も働いている男である。

この反応はらしくないと言われるかもしれないが、彼からすればこれは自分の管轄ではない。

 

捕虜交換はやりきった。円滑に進み、両軍の捕虜は交換された。

袁紹たちは一足先に冀州に帰り、対連合同盟軍の面々は汜水関で一月待つ。代わりに袁紹は対連合同盟軍の領地の通行を認め、それに危害を加えない。

 

捕虜にされたことで自尊心を傷つけられ、その結果敵愾心を剥き出しにしていた袁紹が冀州に向かって去ってからまる三週間。李師はひたすら引き篭もっている。

 

飲み会の誘いがあっても自室に招くという体たらくで、彼は三週間前まではその身に多少なりとも備わっていた勤勉さと勤労意欲を、本当に投げ捨てていた。

 

無論、ただ寝ていたわけではない。彼もただ三週間を寝て怠けて過ごせるほど脱俗的な人間でもないので、夢の歴史家への第一歩となる歴史書を戦いの推移と裏話を巧みに織り交ぜながら書き、それを酒を持ってきた夏侯淵に見てもらって推敲している。

それか或いは呂布に対して兵法と用兵について語っていた。

 

「恋、私はまだ戦いに負けたことがない。何故だかわかるかい?」

 

ある時、料理用の装束を身に着けてせっせと調理に励んでいる呂布を見ながら床に寝転び、唐突に彼は問いを投げる。

 

「……戦いが、巧いから?」

 

世の年頃になった娘に邪険に扱われる父親から見たらその健気さに泣き、嫉妬するほど羨むに違いない。

 

呂布はあくまでも、人が良かった。唐突かつ無茶振りな質問をそこそこ忙しい時に投げつけられても、ちゃんと考えて答える。

 

非常にできた娘であった。

 

「いや、要は私は勝ち目のない戦から逃げ続けてきたのさ。戦の腕はそうでもないが、逃げて逃げて、勝ち目が出たらのこのこと顔を出すことにかけては熟練だ。みっともないが、これが一番だよ」

 

勿論、夏侯淵が言った通り彼は戦が巧い。

曹操が戦う前に有利に持ち込み勝つことが巧いのに対し、彼は戦略的劣勢を戦術的勝利で覆すのが巧かった。

 

曹操は正道の用兵家であり、李師は邪道の用兵家であると言える。

これは彼が戦略的劣勢を戦術的勝利で覆す快感に囚われている訳ではない。単純にそうする為の権力がなく、やりたくもない戦いの為に欲しくもない権力を得ようとも思わなかったからだった。

 

彼としては極力戦いたくはないが、どうせやるならば先の反董卓連合軍の如く敵の何倍もの兵力で戦いたいのである。

 

またある時は、こう言った。

 

「恋。指揮官は常に切り捨てる側にあることを、忘れてはならない。切り捨てた戦術的単位には家族が居て、死ねば悲しむ者が居ることも、忘れてはならない。これを忘れなければ、君は愚将にはならないだろう」

 

何故こんなにもしたがらない話をしているかと問われれば、彼はこう答えたであろう。

 

『彼女は功を立ててしまった。だから大量虐殺者見習いから、大量虐殺者予備軍になってしまったのさ』、と。

この言葉は一見すれば呂布を疎んじているように見えるが、実際に彼の言った言葉には己に対する忸怩たる思いと呂布に対する罪悪感、愛娘が最も入って欲しくない道に自分を追って入ってきてしまったことに対する無念が色濃く滲んでいた。

 

袁紹を捕らえた功は並ぶ者がない。彼女に地位を以って報いねば、他の者に報いることもできない。

私兵軍団の長としても、公孫瓚軍の軍事責任者としても、彼は呂布の指揮兵力を増やし権限を広げなければならなかったのである。

 

だからこそ、彼は今更ながら彼女の才能の畝を耕し始めた。愛娘に死んで欲しくはないし、味方を大量に殺す将にもなって欲しくはない。

 

だが、この時彼は同時に思っている。

敵を殺す名将と、味方を殺す愚将。評価や名声を得るのは前者の方だが、本質的には同じなのではないか。

 

つまるところ大量に殺すのは間違いがなかった。その対象が敵か、味方かというだけで。

 

自分は何をやっているのかという馬鹿らしさと、その馬鹿らしいやり取り如何で死ぬ人間が変わる恐ろしさと、そんな状況を作る戦争というものの愚劣さ。

 

それら三種が、彼のやる気を一層下げる原因となっていた。

 

「……恋」

 

もう名前を呼ぶだけで何を求めているかわかる呂布が紅茶を淹れ、無言でひょいと差し出す。

李師は、それを黙って一口飲んだ。

 

汜水関にいるのも随分になる。そして、幽州を留守にして随分になる。

今の同僚は気が良く有能だが、向こうに帰れば誇りと意地で己の実力のほどを糊塗した者しか居ない。

 

別に見下す訳ではない。夏侯淵と比べれば田偕や単経などは取るに足らないと百人に訊いたら百人がそう答えるに違いないし、現に実力としては比べるまでもなく明らかであった。

 

彼は単経や田偕が軍事的才能に乏しいからこのような倦みを感じるのではなく、彼女等がやけに己に張り合ってくるからこそ倦んでいる。

正直なところ、公孫瓚に仕えるのは良い。まず優秀だし、道義的精神に富んでいた。

 

だが、同僚の質の悪さが彼女への好意と義理とを曇らせる。

公孫瓚に対しての好意と義理とが、直接忠誠心というものに結びつくわけではないということを、彼は自身が置かれた状況で理解せざるを得なかった。

 

そして、己も気をつけねばならない。部隊管理と幹部同士の調停を、誰かに一任して円滑化させる。

 

ここに至ってあくまでも自分ではできないだろうと自身で思ってしまう程の彼の対人交渉能力の拙さが、この状況をつくる一因となっている。そんなことはわかっていた。

しかし、己としては彼女等のようにやる気と名誉欲に満ち溢れて敵を殺したくはないのである。

 

それに、彼も聖人ではない。好き嫌いはあるし感情もあった。

 

『仲良くすればいい』と言われ、更にはそうした方が全体として良いとわかっていても人である以上はそう動けない。

別に自分から動いて仲良くなりたいわけではないし、縺れた感情の糸を解きほぐせるほど、彼は対人交渉能力に優れているわけではなかったのである。

 

そのことを彼は、一先ず夏侯淵に話すことにした。

この三週間の中ではじめて、風呂以外の用事で部屋外へ出る。

 

本当に私生活ではどうしようもない男であった。

 

「相変わらずの不機嫌さだな、仲珞」

 

「ああ、まあね」

 

向かったのは、夏侯淵の私室。律儀に毎日訪ねてきてくれる夏侯淵を逆に訪ねてみてその怜悧な相貌を見ても、瞳に妖星の如き野心は浮かんでいない。

彼女はただ単純に、己が敬愛と友愛と畏敬との三種の感情を寄せることのできる友人と、残り少ない時を重ねたかった。

 

次会う時は敵なのか、味方なのか。どちらにせよ己の心は指向こそ違えど同一の高揚に包まれることだろう。

 

敵ならば、己と同格かそれ以上の用兵家と技巧を競い合える喜び。

味方ならば、心強く信頼できる友を僚友として得られる喜び。

 

どちらでも良いが、前者の場合であれば最早二度と酒を酌み交わすことはできないことも充分に有り得た。

 

「そう言う君は、いつも通り楽しげだね」

 

「ああ。私は貴官と飲むことが楽しいと感じている。不思議なものだが、な」

 

古くは酒を酌み交わしながら職務上の話をするに留まり、今となっては厨房を借りて料理を作ってやり、それをつまみに様々話す。

「私も、見目麗しい女性と二人で飲むことを自ら望むとは思っていなかった」

 

「ほぉ、貴官にしては珍しい言い草だな」

 

恐らく夏侯淵は生物学上女に分類される人類の中でも、こと美しさで言えば上位に食い込むことは間違いがなかった。

無論美しさというのは主観が多分に含まれ、明確な基準がないものだから詳しくは分からない。

 

そんな客観視は一先ず置き、彼女からしても自分は男から好かれるということは経験上把握している。

故に己の容姿は男を惑わすに充分であり、よって美人と言われる部類なのだろう、と。

 

彼女は今まで己の能力を己で定め、その定めた能力に追いつくために奮励した。

そして結果としてその規定を少し超える程の能力をその都度身につけ、更に上を目指している。

 

己の行動と努力によって誇りと自信を持った彼女にしては珍しく、他人の評価を自己の評価に移植してきていた。

自分の能力の限界は自分で決めるという既定路線を、初めて外したわけである。

 

余談だが、彼女は愛娘・皮肉屋・苦労人とバラエティー豊かな女性陣と関わってきた李師にとって初めてとなる冷静沈着な常識人な女性だった。

いつまで経っても彼の中では幼かった印象の抜けない愛娘、女性と娘の中間のようなのが二人。

 

この三人の誰よりも、夏侯淵は落ち着いて見えた。早い話が歳上めいた貫禄があったのである。

 

年齢はさほど変わらない筈なのにもかかわらず、その美貌を怜悧さで染め上げて固めてしまう夏侯淵は幾分かは成熟している印象があった。

彼女の姉は皮肉屋と苦労人より少し幼い感じに見えなくも、ないが。

 

「私も女性の美しさくらいは判別できるさ」

 

と言っても彼の女性の振り分けは、趙雲は美しい、呂布は可愛く、夏侯淵は綺麗といった、語彙の欠片もない漠然とした分類に限られた。

まさしく、味も素っ気もないといえるだろう。

 

「まあいい。容姿などは、取るに足らないことだ」

 

「その通り」

 

取るに足らぬと思いつつ、夏侯淵は己に驚いていた。

いつも容姿を褒められれば、僅かに口の端が上がる。すなわち、外面だけを見られたような不快感と所詮こいつもかという侮りが心を覆う。

 

だが不思議と、嫌ではなかった。

 

(友だから、なのか)

 

敬愛する姉は、支えるべき身内であって友ではない。

敬愛と畏敬の対象たる曹操は、仰ぐべき主であって友ではない。

 

友愛と言うものを、彼女は知識として知っている。

主たる曹操と衛茲は―――華琳と青藍とは、間違いなく友愛で結ばれていた。

 

姉と主とも、感じたことがなかった繋がりが、結ばれている。

そう考えると面白いし、且つ笑えた。

 

主の友を殺したとわかっているにも関わらず、その犯人たる男と、友を喪った主の臣下が友誼を結んでしまう。

友誼を奪い、それを下地に新たな友誼を作ると言うのは如何にも用兵家らしいではないか。

 

彼が曹操と衛茲の友誼を死別という形で剥奪せねば、己とは会っていないに違いなかった。

この世で起こる何事も犠牲の上で、成り立っている。

 

これまでそれは己ではなかったとはいえ、いずれは己にその役が回ってきてもおかしくはない。

 

ここまで考えて、彼女は静かに頭を振った。

犠牲の羊に饗されるなど、考えたくもない。

 

「吾々は人格の底にまで、用兵家という流血の色を染みさせている。そうは思わないか?」

 

「思わなかった時はないよ。私が生きているのも多くの味方と、敵を殺したからこそ、なのだからね」

 

郿宇城にあった舶来の赤い酒を飲み干し、夏侯淵は自分が作ったつまみに手を伸ばす。

 

李師が『流した血に値するだけの何かが、自分にはできるのか』ということを考え、自分が『如何に生者を殺すか』という後ろ向きな考えを常に負って戦っているのに対し、彼女はそれほど自己嫌悪と自己矛盾に苦しんでいるわけではない。用兵家としての自分を受け入れているし、その罪の深さも理解していた。

 

しかし、彼女の考えは『戦いに参加する人間は己を含めて皆死ぬ可能性を背負っている。この状態から如何に生かすか』という前向きな考えで戦っている。

 

そこら辺の思考的な違いが、殆ど同一の能力を持つこの二人の将の戦闘意欲や戦争中の行動に影響してくるはずであった。


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