北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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猶予

八割方完成しつつある易京要塞及び内部都市は、戦乱の内とは思えないほどの順調な発展を遂げていた。

これは公孫瓚の平時における統治の巧さもあったし、彼の軍事的名声―――つまりは未だ敗けたことがなく、十二倍の敵すら退けたというもの―――が巨大であったことを示す。

 

政治に関して彼は無能ではなかったが、公孫瓚の方が才幹と努力の双方においてはるかに勝り、彼の『政治というものは無ければ困るが、自分から触れたくはない』というスタンスが彼の軍事一辺倒な能力値と名声を生んでいた。

 

その姿勢がストイックな名将として評価されたのか敵の数が日々増加し、実際には七倍、伝わった時は十倍、今は十二倍。

人というのは本当に派手な話が好きなのだと、李師は思う。

 

人の噂などあてにならないさ、と思っている彼の元に、一番信頼できる情報元こと、周泰が現れたのは西暦187年八月七日のことであった。

 

「李師様、夏侯妙才殿が袁紹方の青州十余城尽くを陥落させ、曹操が青州黄巾党を降伏さしめたとのことです」

 

「驚くには値しない知らせだね」

 

「はい。ですがこれで河北制覇に先んじたのは曹孟徳様、ということになります」

 

公孫瓚が冀州の半分と幽州。

袁紹が青州の半分と冀州の半分と并州。

曹操が兗州。

陶謙が徐州。

黄巾党が青州の半分。

 

今は少し勢力図が変化したとはいえ、これら五勢力を中心にして、李師は諜報網を築くようにと命じている。

件の謀略の根源たる蜀も気にはなるが、距離の暴虐が邪魔をした。

 

つまるところ、鮮度が命な情報をいち早く仕入れても易京に着く頃には腐っている。

そういうことが容易に有り得た。

 

故に彼は謀略の全容を暴くことを一先ず諦めた。遠きを見すぎ、近くの脅威に対応できなくては阿呆もいいところである。

 

「妙才に手紙を送っているんだが、今回は君が届けてくれるかな?」

 

「あ、元々文通はしていたんですか」

 

本当に仲が良いんですね、という感心半分驚き半分の言葉に、向こうから送ってきたものを返しているだけさ、と李師は答えた。

周泰からすれば仮想敵国の将軍と文通などやって欲しくはない。それはまあ美しい友情だとは思うが、その美しさは好意という眼鏡をかけて見ているからそう見えるのであって、悪意という眼鏡をかけて見ればどう映るかはわからないのである。

 

敵国の将軍と内通しているのだとも、とられかねない。

 

「中身を拝見しても?」

 

「いいよ」

 

書いてあるのは夏侯淵の無事を喜ぶのと、ごく平凡な日常の話と、軍事論と、また飲みたいね、ということくらい。

具体的な内容が一欠片もない、雑談文と言っても良い。

 

そして何より、彼女が挙げた勝利に対しての言葉がなかった。

 

「勝利に関してはなにか書かれないのですか?」

 

「私は友が生き残ったことを喜ぶことはできるが、人殺しを賛美することはできない。彼女も私の戦術を褒めこそすれ、勝利を喜ぶことはない。それでいいんだよ」

 

周泰は、一つ頷く。

以心伝心のような感覚共有を前提とした、おかしな関係だと思った。

 

(暗黙の内に互いのことがわかるのが、友というものなのでしょうか)

 

彼女にはそう言い切れるだけの友は居ない。彼と夏侯淵が重ねた時よりも遥かに長い時を重ね合った友はいるが、そうであると断言はできない。

友愛の深さと繋がりの深さとは、過ごした時間の量よりも、質とか本人同士の相性とかに左右されるのだろう。

 

少女はまた一つ学び、夏侯淵に文を届けた。

受け取った彼女は読んだあと少し笑い、『らしいな』と呟いただけだったという。

 

彼女からの返事が易京に届くのはそれから二ヶ月後のことだが、その三週間後に移った後の易京要塞に話を戻す。

 

易京要塞の建設と、それに伴う街の区画割りから外壁の補修工事は概ね巧くいっていた。唯一の懸念だった商人たちの素性についても周泰による洗い流しによって蜀勢力との関与が確認されていない新進気鋭の若手商人たちと大手の商人を招き入れ、件の呂布の方天画戟を造った職人とその弟子らが移住するに相応しい環境を整えたのちに招待した。

 

弩兵の一斉射撃によって敵兵をなるべく効率的に、迅速に殺傷できるように造られた要塞の壁面には、数千の穴が開いている。

これは防御力を僅かに下げるがその何倍もの攻撃力を手に入れることができるという物であり、弩兵を多く揃えた李家軍が籠ってこそのものであった。

 

彼の私軍というべき最前線を守る部隊は千人補充し、総勢二万五千。張遼、趙雲、華雄、呂布の四分隊に分けてこれを統率し、副司令官として田予がこれらの部隊の管理と運用を担当。李師が作戦の立案と指揮を担当することで各員の仕事範囲を狭めて雑味を濾過することで各員が果たす仕事の精度の高さを実現していた。

 

「何の手紙ですかな?」

 

「妙才からの手紙。軍旅の中でも返事をくれるとは律儀なものだね」

 

内容としては、己の身を案じてくれたことに先ず礼を返し、李師の出世には一切祝賀の言葉を書かずに彼の人格的欠点と立場によってとるべき配慮、更には外敵ではなく後方にも注意を払う旨を記した後に『そちらも御健勝であれ』と締められている。

 

「ほうほう、仲のよろしきことで」

 

実に内容の八割が心配と忠告であることを、趙雲は軽く笑いながらからかった。

 

「あぁ。友を得られたのは良いことさ」

 

皮肉を軽くいなされた趙雲は肩を竦め、手に持つ槍をくるりと廻す。

彼女からすれば、夏侯淵と彼の関係が宜しいのは極めて嬉しいことであった。

 

一に、叛乱の嫌疑をかけられる可能性が上がる。

二に、夏侯淵の身に不慮の事態が起こった時にこちらを頼ってくる可能性が高くなる。

三に、からかいの種が増える。

 

まさに良いことづくめ。良いことの欲張りセットであった。

 

「編成は張文遠に八千、私に五千、呂奉先に四千、麴義に四千、華雄に四千。全軍の統括を主がなされ、全軍の運用を田国譲がなさる。これでよろしいか?」

 

「それで問題ない。さしあたり、君を呼び出した理由としては、君の隊に配属された新兵千を率いて訓練に向かってほしいということなんだが、どうかな?」

 

「了解致しました。まあ、熟練兵どもの足を引っ張らない程度には鍛えてきましょう」

 

一礼して新兵の訓練に出掛けていく趙雲を見送り、一旦閉じた手紙を開く。

 

『貴官の人となり、平和を楽しむを好み、軍旅を疎み、己が権力を欲する蔑み、政柄に寄る無用を嫌う』から始まり、『傍から見るに政治に於いて健やかに立つ一主を、その名声と軍事能力において凌いでいる様』とつなげ、『貴官が好くものを嫌い、疎む事柄が来ることを待ち、蔑むを尊び、嫌うを好いている人間が普通であるが如く考えられ、己というものに対する存分の配慮の後に行動されるがよろしい』で終わる文章は、彼の欠点とその死角を埋めるような忠言であった。

 

「……どうしたものかな」

 

二万五千の軍は冀州四郡の防備には必要不可欠である。

 

名声などは血筋と行動に付いてきてしまった邪魔な付録であるが、これまた平和の維持に少なからず役立っているし、軍事的な能力は呪詛のように自分に纏わりついて離れてくれない。

 

ならば締めの一文こそを守り、刻んでおくべきだった。

 

平和を嫌って乱を好み、軍旅を起こす状況が来るのを歓迎し、権力という腐臭のする物を尊び、政治権力でもって乱を発するを好む。

つまるところはこういう人間が殆どだと考えなければならない、と彼女は言っていた。

 

「あまり、考えたくはないことだな」

 

どちらかと言えば中原に近い曹操以外の河北諸侯の軍事行動は、彼の篭もる易京に軍事的な要路を完全に封鎖されていることもあって停止している。

彼はこの平和を望みながらも悠久のものだという希望と夢想を捨て、己という要石と精密な均衡のもとに成り立っていることを理解していた。

 

だが、物がわからない人間に軍旅を起こされては仕方がない。自発的な侵攻は公孫瓚が許すまいが、反撃ならば許可されているのである。

 

この制度自体は悪くないが、そんなことはいつものことだった。

要は、どのような法や制度も使う者たちや解釈する者の性根と性格によっては悪くもなるし善くもなる。

 

「……まあ、いいさ」

 

豪族連中の出番をなくしてやれば出しゃばってこない。戦功の独占と非難されるのは癇に障るが、下手に外征をして大量の血を流すことに比べれば些細なことだ。

 

そういう考えをしている彼は、気づかなかったのである。

 

汜水関での完敗と青州での敗戦が合わさって『袁紹は戦が下手』との噂が民の中で流れたが為に、実質的に彼の派閥が要職から末端までを占める冀州四郡の統治機構と彼の軍事力を恃んで難民となって入ってきているなど。

彼は軍事を担当している以上は政治に口を挟まないようにしていた。

 

それでも当然のようにまわってくる街の活性化と整備などの仕事は給料の為にやる。やらねばならない。

 

しかし、この手の軍人系統治者がやりがちな『軍事力増強の為の政治』に一切手を付けず、『民の暮らしの安定化、活性化の為の政治』に終始していた。

このことは彼の兵が僅か易県の城の敗残兵千人しか増員されていないことを見れば一目瞭然であろう。

 

彼のこの姿勢は他の政治系名士たちに好まれ、彼女等は全力を以って繁栄の為の内政に打ち込むことができた。

 

難民の増加と共に易京の城壁は拡大を続け、人口は既に幽州一の都市である漁陽を越していたのである。

これはやはり、交通の要衡であることが大きかった。

 

難民の受け入れと住宅の区画割り、城壁の拡張が終焉を迎えた時、祭りのような気持ちで才能と体力を注ぎ込んで易京の繁栄に尽くした政治系名士たちも流石に己の行いを省みる。

 

軍部を無視しすぎた、と。

彼女等からすれば、幽州で働いていた時は軍人たちがうるさかったので計らずもストッパーがかかっていた。

しかし、政治に口を挟む気がない男がトップに立ち、配下も根こそぎ政治的野心に乏しい人間の集団と、自分勝手な豪族連中では毛並みが違う。

 

彼は本当に、何も言わなかった。言うべきではないと本気で信じ切り、軍政・商業担当の賈駆と農業関係の韓浩と土木関係の劉馥に全てをぶん投げて呂布とたわむれ、趙雲と皮肉を言い合っていたのである。

 

口を出さないと言ってもどうせ口を出してくるから、どうせなら向こうから言い出すまで待とう、と言っていた結果が維持費だけの軍隊と拡張と繁栄を続ける都市になり、三蔵を埋め尽くした宝物は一蔵を残すのみ、六蔵を満たした穀物は残り二蔵。

金に物を言わせて迅速且つ大盤振る舞いに開発を続けた結果、過半以上が内政と建設に消え去っていた。

 

「増兵なされては如何でしょうか?」

 

「文和に訊いてくれ」

 

韓浩と劉馥が神妙な顔をして提言した結果、判断は賈駆に丸投げされる。

軍隊の維持費が馬鹿にならないことを賈駆に散々愚痴られていた身としては、これは当然のことだった。

 

そしてその結果、賈駆は言う。

 

「張機という南陽出身の内務官が医術にすぐれているらしいので招いたのと、医術の研究させる為の環境作りに余剰の軍事費は予備を残して消えたわ。増兵は来年ね」

 

内政費用を切り詰める気が全くない彼女としては、これも当然のことであった。

 

世の諸侯が軍事費を集める為に内政費用を削っている中、易京だけが逆の様子を示す。

これが『民に優しい、徳のある御方』という名声に繋がるなど、平和を楽しんでいる彼には思いもよらないことだった。


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