北の盾たる己が身を 作:黒頭巾
「……文和。董仲頴と文遠を呼んでおいてくれ」
「あんたが何考えてるかはだいたい予想がつくけど、別に私たちに気を使う必要はないわ。私たちは袁紹が憎いのであって、袁紹の近親者や配下が憎いのではないの。現に今、ボクはあんたに仕えてるし、霞―――文遠もそうでしょ?」
「あぁ、そう言えば私は袁家の一門だったね」
袁紹のごとく偉ぶるでもなく、怠けながらも篤実に結果を出してきた李師は、忘却の彼方に投げ捨てた己の家系図を引っ張り出す。
袁紹の母の妹が、李師の父の妻。
彼の血筋はかなり良く、清流派からすれば血筋に正統性のある劉氏、潁川李氏、淮南袁氏、潁川陽氏、冀州袁氏となっていた。
潁川李氏の次男坊が李瓔こと李師であるが、彼の姉の李宣と妹たちは庶流―――つまり、政略的な意味での正妻である袁氏の血をひいていない、所謂恋人との間にできた子である。
一応李宣は長女であり潁川李氏の棟梁だが、漢において重視される官位・実績・名声・血筋の四点に於いて勝っていた弟がいる為、対外的にはまったくそう見られてはいなかった。
妹たちは兄ではなく姉を支持しているが、それは内部のことであって外部から了承と理解を得たわけではないのである。
そもそも、腹違いとは言え姉たちが『一門同士で戦うのは止めましょう』と一言も言ってこないあたりに、彼の支持されてなさが伺えた。
「忘れてたの?」
「身内とは疎遠なんでね」
嫌いな奴に好かれようとは思わない。理解したくない人に理解される必要もない。
翻れば、嫌われている奴に好かれようとは思わないというような彼の思考は、まったくの例外を許さずに身内にも適応されている。
彼にとっての家族は父ではなく祖母であり、母であり、自分に充分に注がれなかった分の愛を注ぐように可愛がり、保護し、育てている呂布であった。
幸いなことに、呂布は注がれた愛をより多くの敬愛と思慕によって明確に愛を示してくれる善良な性格をしていたのである。
もっとも、保護者が被保護者に求めてもいない才能の幅と枠を大きく越してしまっていたが。
「……まあ、いいわ。とにかく気遣いは無用よ。そこまで私たちは狭量じゃないの」
「君たちを馬鹿にしたようになった。すまない」
「いいのよ。無断で動かれるよりは遥かにこちらの心証も良くなるんだから」
そのまま一礼して仕事に戻っていく賈駆を見送り、李師は趙雲と華雄に視線をやった。
現在呂布は大幅な増強を受けた自身の赤備え軍団を前身部隊の練度にまで引き上げるため日夜訓練に励んでいる。
結果として、能力と忠誠心はともかく人格的にはまるで信用の置けない趙雲が護衛となっていた。
華雄を随行させるのは、張郃と顔見知りだからというところが大きい。
「子龍は居残り、華雄、来てくれ」
「護衛はこの趙子龍に任されたのではないのですかな?」
「私は君を信用しているし信頼もしているが、決定的にこの場面には合っていない」
華雄は操縦が容易いという美点があるし、導火線に火をつけない限りは冷静で人格的にも信頼できる。
その導火線が短く、更には場所がわかりにくいのが玉に瑕だが、そんなことを言っていられるほど彼の軍は人材豊富なわけではない。
万単位で別働隊を率いることのできる指揮官が居ない。
軍師が居ない。賈駆は、ということになるかもしれないが、アレは『勝運がないからボクは辞めたの』ということらしいので軍師が居ない。
武力と指揮能力に優れた人間は何故か多いが、基本的に性格に難があった。
敬語を遥か彼方へと投げ捨てたような性格をしている趙雲・張遼・麴義。
この中で一番マシなのが張遼だが、彼女は彼女で酒呑みである。いや、全員酒呑みなのだが。
田予はこの時代の将には珍しく頭脳派であり護衛はこなせず、護衛をこなせて真面目であるブレーキ役の高順を一箇所に固定するとそこかしこで宴会が始まることは間違いがない。
周泰は基本的に屋根裏から軒下に居るし、結界の維持と情報の整理を担当しているから除外。
結論、呂布が一番ということになる。
なっていたのだが、彼女にも仕事ができてしまった。
「明命、張儁乂の情報を教えてくれ」
「はっ」
華雄が『どこから来た』という視線を浴びせ掛けられた時にした破砕音も無く、周泰は密やかに現れる。
流石は隠密とでも、言うのか。彼女の存在が幽州の豪族たちに気づかれていないのも、この静けさに一因があった。
「姓は張、名は郃。字は儁乂。鄚を本拠とする河北の名門河間張氏の嫡子として延熹7年に産まれ、現在24歳。軍歴はその半生に渡り、初陣は指揮官の逃亡し、文官時代のり……嬰様の雁門撤退戦。その後第三次易京攻防戦での戦功でり……え、嬰様が征北将軍になられてからは華雄将軍と共に指揮官として仕え、嬰様が解任された第六次易京攻防戦を終えてからは家を継ぐために鄚に戻られたとか」
「そんなに真名を呼ぶのが辛いなら、別に無理しなくていいよ?」
「い、いえ。慣れないだけです」
真名を許した相手に李師様李師様と呼ばれるのは初めての経験であった彼が面白がって放置していたから、周泰は今の今まで『真名を呼ばれるが真名を呼ばない』という関係を是としてきていたのである。
最近、その理由を問い質した李師に真名を呼ぶことを約束したばかりに、彼女は若干しどろもどろになっていた。
まあ、最後に言った時は流石に慣れ、スラリと言えていたようではある。
「鄚と言えば……易京の喉元か」
「はい。護民の精神を持つお方であったようで、先の梁期会戦においても民間からの徴収兵を真っ先に逃し殿を務められたとか」
「ありがとう」
張郃と聴いた時点でぼんやりと、儁乂と聴いた辺りではっきりと思い出してきていた彼だが、この情報で完全に張郃という人物を思い出していた。
華雄と張郃という、将器を持っていそうな人材を抜擢するにあたり、彼は問うた。
『何故自ら志願して兵となったのか』、と。
「さて、君はなんて答えたか覚えているかな?」
「私は『このまま真面目に働いても食っていけないから』、儁乂は『民を守るのが彼等から税を徴収している豪族としての義務だから』だったような気がします」
いつもの派手な鎧ではなく、黒を基調とした乗馬しやすい胡服を着た華雄が頭を傾げ、その言葉に連れて李師は己が張郃をすぐに思い出せなかった理由を悟る。
「君の理由が強烈すぎたんだな」
「はぁ?」
この華雄の一言で、李師は漢王朝の施政の拙さを明確なリアリティと共に知った。
当然それは強烈な記憶として残っており、張郃の古き良き支配者世代を思わせる一言が僅かに霞んでしまったのである。
彼は一兵卒として働いたことがなく、文官が序列に従って兵を指揮したら才能を示したのでいきなり指揮官から、といったような異色の出世を果たしていた。
華雄は所謂叩き上げで、張郃も叩き上げ。公孫瓚も張遼も麴義も叩き上げと言えるし、趙雲はあちらこちらで傭兵稼業をしていたから叩き上げと言えなくもない。
呂布もまた、出世スピードが尋常ではないが叩き上げだと言える。
軍務についてから指揮官しかしてません、というのは曹操とか袁紹とか袁術とか劉焉とか劉表とか、配下で言うならば夏侯姉妹とか、田豊とか沮授とか審配とか、所謂金のある名門出身や豪族出身が多い。
張郃は、豪族でも数少ない一兵卒からの叩き上げだった。
「張儁乂と言えば袁家の宿将にして名将、といった印象が強かったが……よし、思い出した。行こう」
「はっ」
記憶の書庫に情報という名の鍵を挿し込んで回し、中身を引っ張り出す。
既に応接室に通されているであろう張郃に会うべく、李師は後ろに帯剣した華雄を引き連れて歩いて向かった。
執務室と応接室は、さほど離れていない。別に構造上しかたない理由があるわけでもなく、『あまり長い距離をフラフラされると李師がサボるから』という建設的な理由しかない。
正直、応接室以外の内装に凝っている金もなかったのである。
「亡命を、ということですが……武将としてか、民としてか。
将軍。まずはその辺りを聴いてもよろしいでしょうか」
李師が無防備であることを見て佩剣を外し、立って恭しく礼しながら高覧の剣ごと預けようとする張郃の配慮を手を翳して断りながら、李師は向かい合うように腰を下ろした。
それを見た張郃とその副官である高覧も、続いて腰を下ろす。
「吾々は敗残の身。私の身は司令官殿にお任せし、この上は如何に処置されようとお恨みは致しません。しかし、部下の処置はどうか寛大に願いたく思います」
どちらを採択するも、どう処分するも己の身を預けるという潔い発言に、李師は一拍の間考えて判断を下した。
「わかりました。将軍は袁本初の元にあって名将の誉れ高き御方。あなたの行動の自由と人として持つべき権利の全ては私が保証しましょう。
あなたさえよろしければ、一先ず令下の軍と共に客将待遇で遇したいと思います。勿論、一市民としての生活を望まれるのでしたら、私は易京なり鄚なりに住居を用意しますが……」
「いえ、客将待遇という話を謹んで受けさせていただきたい。しかし、降将の元に共に降ってきた兵を集めるのは謀叛の恐れがあると思われます。気を払った方が良いのではありませんか」
降将の謀叛に対しての恐れと可能性を降将が指摘するという珍妙な光景を華雄が眉を顰めて見る。
確かに彼の判断は純軍事的・組織的にはよろしくない判断かも知れないが、それを降将が指摘するのは極めてまれなことだと言って良い。
もっとも、李師からすれば清廉さと実直さを持つ張郃の人格を見れば偽造降伏などしようもないし、したところで軍事的にも政略的にも意味があるとは思えない。
袁紹がこの偽造降伏を画策したとすれば、敵前逃亡をする必要がなかった。
曹操が―――というよりは北方司令官である夏侯淵は偽造降伏を企むような気質ではない。
軍事的に成功しても戦略的には、政略的にも、気性的にも合致しない。
「私は、将軍は謀略に手を染める人間ではないと思っています」
「それは有り難いことですが、より一層、御身に気を遣われるように進言させていただきます。そして、敬語は無用です。嘗て仰いだ主に敬語を使われるほど、私は大した人物ではありません」
こうして張郃が亡命してきたことは、李師が気を利かせて彼女を旧領である易京要塞城壁で連結された、喉元にあたる鄚の軍事権を移譲したことで河北に広がることとなる。
これによって張郃に続けとばかりに淳于瓊等が夏侯淵の追撃に散々に打ちのめされながらも旧袁紹領の軍需物資や兵員を吸収して鄚へ駆け込み、鄚で張郃が預かる兵力は一万を瞬く間に越した。
河北を二分する勢力となった公孫瓚と曹操の戦いの幕が切って落とされるのは、そう遠いものではない。
識見を持つすべての人間が、それを肌身に感じていたのである。