北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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黄巾

黄巾の乱。

 

これはそもそも、黄巾が先に荊楚の地で兵を集めさせていた馬元義を洛陽に送り込み、中常侍の封諝、徐奉等を内応させることによって内と外から蜂起するよう約束したが、信徒の一人である唐周が他の宦官達に密告した事で蜂起計画が発覚し、潜入していた馬元義が車裂きにされたことからはじまった。

この内部と外部からの襲撃による洛陽攻略計画を知らされた帝は三公や司隸に命じ、宮中の衛兵や民衆を調べさせ千人余を誅殺。張角捕縛の命を下したのである。

 

これに対して黄巾側は教主である張角を天公将軍に、張宝、 張梁をそれぞれ地公、人公将軍として兵を集め、これに対抗した。

 

これに対して漢側は皇甫嵩等の進言によって党錮の禁を解き、官界から追放されていた清流知識人が黄巾賊に合流するのを防ぎ、且つこれを登用する。

また宮中の倉の銭と西園の馬を出し人材を募り、盧植を張角がいる冀州方面へ、皇甫嵩と朱儁に豫州潁川方

面へと、それぞれ黄巾の勢力が強い所へ派遣した。

 

そして、この黄巾賊の一斉蜂起に対して意見を求め、加えて預けていた私兵の仕上がりを見るべく公孫瓚は李師を呼び出す。

 

しかし。

 

「伯圭殿、面白いことがわかりましたぞ」

 

来たのは、呼ばれていないこともないが指名したわけではない―――つまり、一団としては呼んだが個人としては呼んでいない趙雲、字は子龍であった。

 

この槍を取っては無双の使い手である豪傑は、怠けるという一点で問題児な李師とは違った意味で問題児だと言えるであろう。

 

端的に言えば、さらりとごく自然に慇懃無礼なのだ。

 

「面白いこと?」

 

「ええ。不謹慎からも知れませぬが、伯圭殿も興味があるかと思いまして」

 

不謹慎。そう言うからには面白いながらもどこかに裏があるのかと勘繰り始めた公孫瓚の耳に、思いもよらない言葉が囁かれた。

 

「実は、まだ噂のたぐいでしかありませんが…………」

 

「が?」

 

「ほう、よほど気になられるようですな」

 

癖者らしいニヤニヤとした不敵な笑みを浮かべながら、趙雲は肝心の話題に手を付けない。

そしてやられた側であるこの公孫瓚、この割りと無礼且つ非常識な対応を受けても怒っていないのである。

 

そこらへんに人としての変な気の長さがあるのかもしれないし、或いは少なくとも我儘の度合いだけでは他を圧倒する袁紹と付き合ってきたからこその免疫なのかも知れない。

 

まあ兎に角、ただの凡人ではないことは確かだった。

 

「李師殿が真面目に働いていた―――と言うよりは、熱心に働いていた時があるようなのです」

 

「ソレは嘘だろ」

 

勤勉さとかそういった物を纏った李師を到底思い浮かべることのできなかった公孫瓚は、一瞬でその噂を否定する。

その真面目且つ勤勉に働くところが家臣としてどうかと思うが、それは彼なのだから仕方なかった。

 

「それはそうでしょうが、では伯圭殿は李師殿が右斜め後ろの定位置に奉先殿を連れていない光景を思い浮かべることができますかな?」

 

「……無理矢理景色ごと記憶から消せばできなくも、ない。うん」

 

明らかに自信のない解答に我が意を得たのか、趙雲は意気込んで次の言葉を繋ぐ。

 

「所詮人間の想像力などその程度のものです。それとも伯圭殿は、李師殿がああなる前の姿を知っておられるか?」

 

「いや……」

 

彼女が李師を初めて見かけた時は、身長が今より首二つ分小さかった恋―――呂布を右斜め後ろの定位置に連れて市街を歩く姿である。

 

当然ながら、どこかに怠惰が見え隠れしていた。

 

「と言うより、正直なところ李師は将としての自分が嫌いだろう」

 

「今は。その頃は好んでいたとはいかずとも、積極的ではいたようです」

 

嫌いだとわかっていても彼以上の用兵巧者がいない現状、他のものに全権を渡して兵を無駄に死なせるわけにもいかない。

非常に心苦しいが、彼はそこらへんの葛藤を知ってか出兵が近くなるとふらっと自分の前にゆるい姿を現してくれるので、いくらか軽減されては、いる。

 

「……もっと詳しくわかるか?」

 

「調べろと仰せならば」

 

李師が登城したという報告により、二人は話を切り上げた。

興味で人を探っていいのかと言う是非が、公孫瓚の脳裏に去来する。

 

その疑問と複雑な感情を隠す術を知らず、それであるが故に彼女は僅かに寡黙になるくらいでしかその類の物を押し込めなかった。

 

「……私たちには出撃の勅令は下らないのかな?」

 

やっとこさ口を開いたのは練成された私兵の成果を見た時であった。

 

「遼西は一応鮮卑方面の最前線ですから、そこから兵を引き抜くわけにはいかない。無論、かかってくる敵にはそれなりの対処が必要でしょう」

 

公孫瓚配下の―――と言うよりは彼女が維持費を出している彼の私兵が騎射と陣形の再編・突撃と言う目まぐるしい変化をしている様を見ながら、彼女と李師は眼下を土煙を立てながら疾駆する精鋭を眺める。

 

黄巾の精鋭は冀州と豫州と荊州。豫州と荊州はともかく、冀州は南下すればすぐの距離にあった。

 

「……他の郡の兵に比べて経験不足にならないかな」

 

「強い敵と戦ったからって強くなるものではありません。日々の訓練と指揮官への信頼、あとは旨い飯こそが兵を強くします。

更に言えば、戦は金を浪費する物ですから、ここで我々が参戦しないということはその分の費用が浮くということだとも言えるのではないですか?」

 

李師は、恐ろしく平和な様子で目を蕩かせながら温和に答える。

 

少し南に行けば大戦乱が起こっているというのに、彼の脳は驚くほど機能していなかった。

 

彼の手は、それほど長くない。そして、この世すべてで戦いが根絶されたことなどないと知っている。

 

だからこそ、公孫瓚が生み出せたこの平和な一時を軍内で一番満喫できていた。

 

「……む、確かに」

 

「これは何も悪いことではない。寧ろ平和で宜しいじゃありませんか。特に、遼西郡で蜂起した民が居ないというのは非常にいい」

 

平和がいいのは、彼女にもわかる。そもそも彼女の目指すところは手の届く範囲の平和なのだから、戦わなくとも不満はない。

だが、問題なのは袁家である。

 

冀州の渤海郡に根拠地を持つ袁紹は、乱が起こるや否や僅かな親衛隊を率いて洛陽の何進の府へと参入し、曹操等と共に中央でその権勢と名声を高め始めていた。

 

「あいつ、ただの行動主義の馬鹿じゃなかったんだな」

 

「人間誰しも、取り柄というものがあるものですぞ」

 

趙雲、乱入。

訓練を繰り返すにつれてやはりというか、必然的に頭角を表してきたこの客将は、現在階級はともかく実力的に見れば三席の地位にある。

地位からすれば枠外もいいところだが、実際のところの階級が枠外に近いのは李師も同じような感じだった。

 

「己の行動に対して後先を考えないと言うのは思い切りと決断力に富んでいるということになりますし、一度決めたら容易に覆さないというのは戦いに必要な意志の強さにつながります。まあ、まかり間違えばただの頑迷で我儘だということになりかねませんが」

 

「人間が社会において勝ちを拾えるのは、何も一概に長所のおかげだとも言い切れない。短所が敵の長所を打ち消し、勝因となることもあるのさ」

 

面白味を感じた猫のような笑顔で毒を吐く女と、温和な顔のままに毒を吐く男に挟まれた公孫瓚は一歩後ろに下がり、何かにぶつかる。

 

自分の物よりも僅かに暗い深みのある紅色に、褐色の肌。

剥き出しの肩、腰、大腿部には茨を思わせる刺青が這っている彼女の手には、軽く振るえば敵を絶命させるほどの鋭さと重量を持つ方天画戟。

 

「い、いつからそこに居た?」

 

「……さっき」

 

先程まで眼下にいた筈の彼女が、角の定位置である右斜め後ろに視点を定めることなく立っていた。

 

視点を定めることが無いのは集中させることによって生じる視界の狭まりを防ぐ為らしいが、傍から見たら虚空を見てぼけーっとしているだけである。

 

案外と、少しくらいぼんやりとしていた方が護衛に向くのかもしれなかった。

 

「……嬰、どう?」

 

「良い仕上がりだ。逃げ足も早そうだし、色々な場面に使えるだろうね」

 

「……ん」

 

彼女が問うたのは、部隊の仕上がり。主に彼女に一任されていた個人的な技術の向上に加え、暇な時に教えていた部隊としての運用までもがそれなりに様になっている。

 

元々彼女の呑み込みはいい。一芸万芸に通じるとはよく言ったものであるが、彼としてはそんなことを学ぶよりも平和な技能を学んで欲しかった。

 

尤も、彼は自分の思考を相手に押し付けることを嫌う都合上そうは言えないのであるが。

 

「趙子龍、君から見ては?」

 

「一射離脱に於ける離脱速度と、突撃時の破壊力は申し分ないと考えます。ですがまあ、私としては一射離脱を常とするより蝶のように舞うことで敵を撹乱することを常としたいものです」

 

「だが、できなくは無いだろう?」

 

「無論」

 

「では、さしあたっての問題はないわけだ」

 

呂布が得意な破壊力・機動力重視の騎馬民族の血を引いていることがよくわかる一射離脱戦法と、趙雲の掴みどころのないような言動の如き退いては突っ掛かり、退いては突っ掛かりという翻弄の動き。

これを、彼はさしあたって二隊の内一隊ずつに教え込んでいた。

 

「今は五百人。後五百人増員できないこともないが、どうする?」

 

「強いて言うならば弩兵が欲しい。誘引しても伏兵が居なければどうにもならないからね」

 

そう言った瞬間、李師の顔が嫌悪に歪む。

基本的には温和そうな笑みと大人しそうな表情を崩さない彼には珍しい、明確な嫌悪の顔だった。

 

「り、李師、私、何か拙いことを言ったか?」

 

「……いや」

 

少し黙り、李師は公孫瓚の問いを否定する。

彼の顔を歪ませたのは、持病の自己嫌悪であった。

 

「趙子龍」

 

「はっ」

 

「兵たちに労いを頼むよ」

 

「承知」

 

ただならぬ雰囲気を察し、趙雲は普段のからかいと皮肉で織り交ぜられた口調を鞘に納める。

公孫瓚にこれまた珍しく供手の礼を行い、李師は静かに城を辞した。

 

彼は、ただ歩く。呂布は、ただ着いてくる。

 

この無言こそが、この二人の刻んできた時間の長さを表していた。

 

「……嫌なものだ」

 

揺り椅子にも座らず、李師は庭の樹のもとに寝転ぶ。

彼は元々屋敷の中にある庭に昼寝に都合の良い樹を植えていた。

 

この植えた樹の元で寝ているとき、彼はたいてい己の行動に対しての矛盾であるとか、能力と性格の齟齬であるとかに悩んでいる。

 

呂布は、ただ側で座っていた。


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